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一話
今日、恋人が死んだ――。
独立のための平和的なデモに参加したばかりに彼女は殺された。
腹には俺の子がいた。
引き裂かれた彼女の子宮内から取り出され壁に叩きつけられて殺された。
拷問と尋問から解放された俺は恋人の無残な死体と対面した。
俺は潰れたわが子を、四肢をもぎ取られた恋人を、抱き締めて泣いた。
今から仲間達の処刑が始まる。
銃殺。
それを見る事を強要される。
手を背後で縛られ一列に並べられた同胞は俯き、項垂れ、だが光を失わない目で未来を見詰めようとしていた。
人民解放軍の兵士が希望を吸い取るかのような真っ黒な銃口を同胞達の後頭部に当てた。
東トルキスタンの国旗が燃える。
激しい青空の下で。
真っ黒なカラスが羽ばたいた。
脳漿と血にまみれ、頭を失った同胞達。
花が咲いたようだと兵士は笑った。
死体となった母親に泣きながらにじり寄ろうとする幼子の髪を兵士が引っ張った。
だが幼子はそれでもなお母親に縋ろうとする。
幼子の体が持ち上げられる。
叩きつけられる、地面へ。
血。
鮮やかな血。
そして脳漿。
潰れた幼子は俺の同胞。
ウイグルの未来を背負う大切な命。
奴らは咲き乱れた脳漿を踏み躙り幸せそうに笑っている。
人の命を踏み躙って幸福を享受している漢民族。
俺の胸の中では潰された我が子がトマトケチャップのような血を流して息絶えていた。
兵士は俺の腕の中から俺の子の死体を奪い取った。
恋人の死体と我が子の死体、そして同胞達の死体が一箇所に集められうずたかく積み上げられた。
テニスシューズを履き、鮮やかな水色のワンピースを着た少女の胸を肋骨が突き破り白い骨が覗いていた。
まともな死体は一つたりとも見当たらない。
骨に張り付いた皮。
皮膚を削られ剥き出しになった骨。
四肢を失った胴体。
死体の山を流れる血と涙。
世界のマスコミは彼らの事を三行ほど書いて満足するだろう。
そしてすぐに忘れ去っていくのだろう。
新聞に書かれた数字は無機質に俺達を記号化し、人格を奪っていく。
そこにあるのは死者の数字ではなくて、今を生きていた人がいたとどうして理解しないのだろうか。
世界の人々にとってどうでも良いのだ。
中国共産党に支配され、奴隷同然の生活を送っている俺達の事など。
俺達の命は裕福な奴らが持っている紙切れほどの価値もない。
ここにはたくさんの犠牲者が血を流し、涙を流しているのに世界の人々は自分の事だけで精一杯で誰も他人の事なんて気にしやしない。
兵士が俺を銃身で殴り、刑務所まで行くバスに乗せるために俺を小突く。
懲役三百年。
思想犯。
政治囚。
俺が何をした。
俺達が何をした。
国旗を掲げ自由を返せと叫んだだけじゃないか。
手錠をかけられバスに乗せられる。
糞尿のすえた臭いが鼻の粘膜に絡みつく。
下品な声を上げる囚人や青ざめている囚人、うとうととしている囚人。
この中に本当の犯罪で刑務所送りとなった奴らはどれほどいるのだろうか。
虚ろな目をしているチベット仏教の僧侶の隣に腰を下ろす。
バスが上下にゆれ、砂埃が舞い上がった。
刑務所に向けて動き出すバス。
驚いた鳩が空に向かって飛び立った。
ぼんやりとしていた老婆が売り物のパンを落とし慌てて砂埃を払い何食わぬ顔をする。
歪んだ愛国心を植えつけられ、二流市民の虐殺を正当化する一流市民の漢民族の学生がバスに向かって罵声を浴びせかけた。
ガソリンが頭の痛く臭いを撒き散らしてバスは刑務所に向かって走り続ける。
血まみれになった耳に飛び込んでくるものは大嫌いな中国語。
「てめぇは何をしでかしたんだ。俺は強盗殺人だ。」
眼球だけを動かしてそちらを見れば漢民族と思われる大柄な男が隣に座る小柄な少年に自慢をしていた。
どうやって強盗に入ったのか。
どうやって住人を殺したのか。
女を殺した後どんな風にして陵辱したのか。
少年は薄暗い笑みを頬に広げて男に言う。
「父親と母親を殺した。僕の両親は日本人だったからな。」
「英雄だな。」
「ああ。」
誇っているかのように少年は男に言った。
「だがてめぇは日本人だ。」
男の声は軽蔑そのものだった。
少年は眉間に皺を寄せ黙りこくる。
男は繰り返した。
「日本人だ。」
少年の歯軋りの音が聞こえて来た。
たいして興味も持てずに隣を見た。
窓につけられた鉄格子を握り締め外の世界を見ているのはチベット仏教の僧侶だ。
幼い僧侶だ。
頬を流れる涙は祖国を思ってのものだ。
流れていく町並みは平和そのもの。
女子高生がアイスクリームを舐めながらボーイフレンドといちゃついている。
散歩している毛並みの良い犬が欠伸をする。
近代化された高層ビルの間を縫うように走っていくぼろっちい囚人護送用のバス。
「大丈夫だ。」
俺は彼に声を掛けていた。
「中国共産党は必ず滅びる。ウイグルもチベットも日本も必ず独立できる。元々は独立国だったんだ。」
耳ざとく俺の台詞を聞きつけた警官が電気棒を持って俺に近づいてきた。
バスががたんと揺れる。
ガソリンの臭いに頭が痛くなる。
「ウイグルもチベットも日本も太古の昔から中国のものだった。嘘をつくんじゃない。」
「嘘つきはお前達だ。没有教養!」
警官の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
電気棒を顎に突きつけられた。
「よく見りゃ綺麗な顔してるじゃないか。てめぇのそのケツにこいつを突っ込んでオンナにしてやろうか。ええっ?!」
「お前はつぶれた豚のようなツラをしているな。お前の両親は豚だったんだな。」
最大限の侮辱。
電気棒が振り下ろされた。
顎から脳に電流が突き刺さる。
流れる血と激痛。
倒れこむ体。
手錠の鎖がじゃらと音を立てる。
僧侶がひいっと悲鳴を上げた。
目の前がちかちかする。
だが俺は勢いよく立ち上がり声の限り絶叫した。
「ウイグルに人権を!チベットに自由を!日本に誇りを!」
立ち上がって叫ぶ。
口から血を流し、叫ぶ。
殺される事を恐れずに、叫ぶ。
次の瞬間、俺の咥内に電気棒が突っ込まれた。
口の中で炎がはじけたような感覚。
意識が朦朧とし崩れ落ちた。
泥に酷く汚れ、ぐにょぐにょとした小さな虫が這う床。
気味の悪い虫達は見慣れているのか驚きもせずに俺の顔に這い上がってくる。
思い切り頭を踏み抜かれた。
額が熱くなり、眼球に真っ赤な液体が飛び込んで来る。
耳に忍び込んでくる音は嘲笑。
罵詈雑言。
バスの運転は荒っぽく続けられる。
馬鹿馬鹿しい日常のように。
日常生活の狭間にある刑務所の門が開く。
バスが門を潜るためにスピードを上げた。
中国日本省でも悪名高い東京刑務所、通称殺人者の獄と呼ばれる刑務所。
収容される囚人は連続殺人、尊属殺人、強姦、強盗、放火などを犯した重罪人、超長期囚ばかり。
そして、祖国独立のために蜂起した活動家達を惨殺するための刑務所。
2008年に起きたチベットでの大規模なデモを弾圧し、その後日本を併合した中国共産党が設立した東京刑務所は、初期は右翼日本人を収容する思想犯専用の刑務所だった。
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