『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』って至難の業なんだけどね

 4月1日にアップ予定だった原稿を完成した直後、何をどうしたか、保存→メール送信の手順を間違えたらしく、書いた原稿が丸々消えてしまうという素敵なハプニングに遭遇してしまったアタシ。あまりのことに倒れました。原稿は週末にしか書かないので、アップ1週間遅れちゃったわ。ごめんなさいね。

 さて、前回のエッセイの続きですが、「生きるのって基本的に楽しくも嬉しくもない。っていうかあまりに何もない」と思うがあまり、「絶望」か「自傷の誘惑」にみっちりからめとってしまう、という人々に関してですが……。書いた後で「ああ、アタシごときが大変なことに手を出しちゃったわ」と思って、自分の軽はずみさにしばらくうんざりしていたの。でもまあ、乗りかかった船だから、アタシなりに考えてみなくてはね。

 思いっきり平たい言い方になってしまうけれど、「生きるのってしんどい」と思う経験、そんな珍しいものではないわよね。どういう世界で生きていようと、その世界なりの「殺伐」ってあるからさ。経済的にある程度進んでいて、まだ世界的に見れば治安がいいとされていて、「他国と戦争をしていない」という意味で平和な日本であっても、「殺伐」は珍しいものではないし。「生きるのって、あまりにも何もない」っていうのも「殺伐」よね。「何もかもすでに持っていて、そのことで何もかもあきらめなくてはいけないぼくたち。書き割りのように平坦で、のっぺりとした戦場で、生き延びなくてはいけないぼくたち」といった意味の詩を書いたのはウィリアム・ギブソンだったかしら。岡崎京子の『リバーズ・エッジ』、誰かに貸してしまったから、いま手元にないのだけれど。

 そんな世の中で、「生きがい」を持つのって至難の業よ。「あらかじめ何もかも与えられている」がゆえに、誰もが「平凡」とか「凡庸」というスタート地点に立たされて、「自分らしい生き方」「自分の個性を生かしたライフコース」を目指さざるを得ないのに、「程度の問題であれ内容の問題であれ、人から賞賛される『個性』でなければ『個性』とは呼ばない」というダブルスタンダードがきっちり根を下ろす社会で生きていくなんて。その息苦しさに関しちゃアタシもよく知っているつもり。「ゲイ」って「個性」のひとつだし、それが10代のころのアタシに影を落としていたのは事実だから。

 アタシは「ゲイ」という「個性」と、その個性とともに生きていかなくてはいけない「これから」を、「他人の判断など通さない。自分自身が判断して、面白がれるかどうか」という視点で考えられるようになれたのがきっかけで、ほかの種類の「殺伐」もなんとか面白がれるようになったけれど、それだってアタシの才能や能力の問題というよりは「僥倖」というべきものだと思うしね。ソンタグの『反解釈』に出会ってなかったら、アタシいまごろどうなっていたか。だから、刹那的な生き方を選んでしまう人たちの「不運」だって、決して他人事ではないのよね。

 ただ、いま現在「殺伐」の中を生きている人が、もしこのエッセイをお読みなら、「そう簡単に答えのでるものじゃないから、考えましょう。テレビにバシバシ出ている人の書いた説教本ではない、ものを考えさせるために書かれた本を読んでみましょう。そして、できることなら、考えることを面白がれるようになりましょう。そして、いつか、自分が考えてきたことを話し合える人がきっと見つかる、そう信じてみましょう」ということだけは言いたいわ。少なくとも、アタシを救ってくれたのはそんな営みだったし、アタシと同じようなことを考えていた友人たちの存在だったから。

最後に。アタシ自身は「仕事して得たお金で、20歳を越えてようやくできた友人たちと時間を過ごしたり、好きなお洋服で身を固めることは楽しい。考えることを自分からやめてしまうのももったいない」と思えるから、いまはもう自殺を考えはしない。でも、自殺した人に関しては、「できれば、“明日も1日生き延びてみようか”と思える“何か”を見つけてほしかったけれど、死ぬことのほうが『まだつらくない』と思うほど、生きることが困難だったのなら、仕方がないのかな」とアタシは思ってる。いや、もちろんアタシだって、例えばイジメを苦に自殺した学生たちのニュースを聞くと、イジメた側に対する激烈な怒りが湧き上がってくるわよ。自殺を選ばせてしまうほどの外的な要因なんて、ないに越したことないんだから。ただ、なんて言うのかしら、「自殺を20年以上考えないで生きてきたアタシと、自殺してしまった人たちの間に横たわるのは、優劣などでは決してないんだわ」と感じる部分も確かにあるのよ。

「死ぬ勇気より生きる勇気を」とか「自殺なんて、勇気を出す場所間違えてる」とか「自殺した人は成仏できない」とか言う人もたくさんいるし、それはそれで発言者にとってはまぎれもない真実なんだろうけど、いざ友人の遺影に手を合わせたときに、アタシが思ったのは「もう苦しくないでしょう」ということだけだったからね……。残された者は、たぶん全員が全員、「どうして相談してくれなかったのだろう」「どうして気づいてあげられなかったのだろう」という自責の念に押しつぶされそうになるし、「こんな悲しみ、こんな痛みは味わいたくなかった」と思うものよね。でも、その感情を味わいたくないがゆえに編み出したさまざまな方便が、結果的に、当事者に生き続けることを強いて、痛みを味わい続けることを強いるのを正当化しかねないのなら、それはとても残酷だと思うの。少なくとも、アタシはそう思うの。


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