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│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く |2005/10/03
懐かしいな、社会党の「非武装中立論」。
最近は「非武装平和主義」って言うのか。 劇作家・井上ひさしさんが講演 /福岡 「平和の大切さを次世代に訴える「2005平和のための戦争展」(同実行委員会主催)が2日、八幡東区の八幡市民会館で開かれ、劇作家で「九条の会」呼びかけ人の井上ひさしさんが「非武装平和主義は無力か」のテーマで講演した。 約1000人の聴衆を前に井上さんは、憲法の性格を歴史的に解説する中で「民主主義下の憲法は、主権者である国民がその時の政権に『これこれをしちゃいけません』と出す命令です。憲法を『守る』という言葉は実は誤りで、私たちは政治家や官僚に憲法を『守らせ』なければならないのです」と述べた。 さらに、アフガン戦争やイラク戦争の発端が日中戦争と似ていると指摘し「政府が、行動を起こすための理由を作り、仮想敵をこしらえて『敵だ、やっつけろ』と言い始めたら危ない。そのために憲法を変えるなんて僕は絶対いやです」と強調。「紙片1枚で戦争に行かされるのは普通の人たち。これをもう一度繰り返そうなんて正気の沙汰ではない」と、平和憲法を守ることの大切さを訴えた」 なんか、9条さえあれば徴兵制にならないと確信しているみたいだが。それとこれとは別問題。どうしてそう思いこむのか、さっぱりわからない。 というよりもむしろ、論理のすり替えを意図的にやってますね。徴兵するぞ、と言えばみんな憲法改正に反対するだろうという読みでしょう。 「井上ひさしって誰やねん」という話もあるので、ちょっと紹介すると、 ------------------------------------------------ 家庭内暴力猿人・井上ひさしの破廉恥な告白と自己正当化の論理 (文春文庫1984年刊『巷談辞典』pp.309-310「動物愛護」より) 「動物を可愛がっておいでの皆さんからは叱られるかもしれないが、子どもの時分からずいぶん犬や猫を苛めてきた。 (略) たとえば小学五年のとき、近所の猫を煮干し用雑魚(じゃこ)でおびきよせ、とっ捕えてやつの鼻の穴にわさびの塊を押し込んだことがある。例(くだん)の猫はぎゃっ!と名状すべからざる悲鳴をあげて三十糎もとびあがり、次の瞬間、時速百キロは優にあろうかと思われる速度で走り出し、そのまま行方不明になってしまった。 また小学六年のとき、柔道を習い始めたが、あるとき、この柔道の教師が、「猫はどんな高いところから跳びおりても、ぴたりと四つ足をついて着地するが、姿三四郎はこの猫の着地法を見て独得の受身術を編み出した」 と、話すのを聞き、友だちと猫の着地術を研究したことがある。やはり近所の猫を雑魚でおびきよせて捕え、火の見櫓の天辺から落したのだ。猫はにゃんともいわずに即死した。(略)火の見櫓の高さは三十米はたっぷりあった。妖怪変化と仙人と鳥類以外は、これはだれでも即死する高さである。 高校時代、日向ぼっこをしていた猫にガソリンをかけ、マッチで火をつけたことがある。猫はあっという間に火の玉と燃えあがり、ひかり号なみの速度で西に向って走り出し、これまた行方不明となった。まだ達者ならとっくに地球を一周して戻ってきていいころであるが、それ以後、彼の姿にはとんとお目にかからぬ。おそらくどこかで野垂れ死にしたのであろう。 それにしても、わたしはなぜこのように猫に辛く当ったのだろうか。(略)動物愛護家には人間を愛することのできない人が多いような気がする。あの人たちは自分と同じ種族である人間が飢えているのを見すごすことはできても、自分の傍にいる犬猫が飢えているのは黙視できないのではないか。(略)わたしたちの動物虐待は、屁理屈をつければ、そういう人たちの<動物愛護精神>にたいする無意識のからかいだったのだ。 ------------------------------------------------ …まぁそんな男だ。(笑) さらりと書いて自慢しているが、猫に火をつけて遊ぶのは残虐すぎる。 作家としては悪くないと思うが、残念ながら好きな部類には入らない。芸術家と政治家は兼業できないという見本みないなヤツだな。そういやヒトラーも芸術家くずれだったね。幻想の豊かさ(不可能性)が勝負の芸術家と、いかに現実が見えているかが肝要な政治家稼業とは、お互い相容れない性質だと思うよ。 日本共産党幹部の娘と再婚してから、思想の左傾化が一層激しくなってしまったようだ。 っつーか、井上ひさしは作家としてよりもむしろ、最近は「日本一のDV男」として有名だな。前の妻(西舘代志子、西館好子)にはかなりヒドイ仕打ちをしている。 「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」 某有名板からテキトーなコピペ -------------------------------------------------------------- いまどき非武装平和とか言ってるほうが狂気。ざんねんながら。 単に「無力」、だけじゃなく、もはや「害」だと思うね。 国際問題は戦争だけじゃない。外交も経済ももろもろの人間関係が絡んでくるから、実質無力という結論にせざるを得ない。 井上ひさしは、国際問題というと戦争の有無しか頭にないんじゃないか? 典型的な左翼。まったく現実が見えてない。 政府が「仮想敵を作って『敵だ、やっつけろ』と行動」したことなんかないし、「そのために憲法を変える」なんて言ってる奴もいないし、「徴兵制をもう一度やろう」なんて言ってる奴もいない。 もちろん、「非武装平和主義は無力」なんて言ってる奴もいない。無力なのは自明だから、論議にもなってない。 全部、脳内のできごと。左翼は、いつも自分の妄想を攻撃する。 戦争になるのは嫌だが、「日本、ヌッコロ」と公言した上に大嘘ついて核まで作っといてさらに 軽水炉もよこせとかいってるわがまま国家が隣にあるのになにを言ってるんだ。 井上さんは、元朝鮮の方ですから・・・ 朝鮮半島の血が、こういわせるのですよ。 誰か教えてください、非武装・無抵抗なチベットはなぜ蹂躙されたのですか? そういえば昔の地理の教科書ではチベットは「国」だったんだよな。 当時チベット人はひたすら平和を祈って非武装を貫きました。そして中国に占領されました。今では民族浄化が現在進行形です。 非武装中立だったチベットが侵略→民族浄化されたのは、どう非武装中立のままで防げたのか、具体的かつ現実的な方法を答えてください。 別れた女房に散々暴力奮ってたオッサンが 平和だ何だ言ったってなあ。 外では民衆へ暴力に反対し 内では嫁に暴力を行使する さすが二枚舌 芸はあるんだが、思想は薄っぺらいからなあ、このじいさん。 この人ほんとに怖いよね。空想平和主義も怖いけど、なにより口では奇麗事をいいつつ裏で奥さんをボコボコに殴るその人格が怖い。 こういう人間こそ一般大衆の敵だと思う。 こういう人間を生まない社会を作っていきたいと心から願うよ。 日本が井上の元妻のようにならないためには、なにが必要か。 > そして、その徴兵制を今でもやってるのが韓国 アレは…なんだろうなぁ? やっぱり対北再戦に備えてるのかな。 朝鮮戦争は「休戦中」だから。 終わってないのよ。 とりあえず、在日は、自国の徴兵制に逃げないで参加すべきです。 井上ひさしさんも日本国籍をお取りになっていなければ、当然、徴兵されるべきでした。反日だけど、日本に帰化して よかったね。W ボルボやエリクソンなど国際的な大企業のある先進国スウェーデンも徴兵で国民皆兵。 独仏スイスロシア、欧州の大国は全て徴兵制度。アメリカも有事には徴兵が可能。 サヨ軍オタがどう言い訳しようが世界の大勢は未だ徴兵がメイン。 ドイツの徴兵制度が特殊事情の下に成り立ってるのはがいしゅつ。 フランス・スイスでは徴兵制廃止を検討中。 誰も徴兵制復活なんて言ってないと思うが・・ 非武装平和主義なんてまだ言ってる人いるんだねぇ。中国の核ミサイル基地視察してから言って欲しいもんだな サヨは徴兵された兵士はただ働きだと思ってるらしい(マジ) 「借金大国日本が兵士を増強しようとしたら徴兵制になるのは自明の理です」とか真面目に語り合ってるサイトとかある。 非武装平和主義で民族滅亡の危機に瀕してるチベットについて、井上”ドメスティックバイオレンス”ひさしはどう思ってるんだ? 嫁の顔が変形するほど暴力振るうんだってな。 非武装の嫁は大変だなw DVの夫対して、妻は無力だったよ! 徴兵いや徴用は日本において効果的なんですよ実は。 もちろん戦力にはならないが、軽火器の扱いや特殊車両の運転くらい覚えられる。だがそれは些末事で、国民主権において国民が自ら国を守るという憲法精神の育成、これが大事。また軍事やシビリアンコントロールを他人事ではなく感じる事ができる。 それは金がかかるさ。ただ、災害大国の日本では災害救助の任務で大いに役立つ。 世界においても。 あと重要なことは男女同権のドイツ式徴用制度を入れるべきだ。1年間、兵役か福祉のどちらかを本人が選ぶ。災害救助や老人福祉ボランティアで人助けしてみたいと思わないか? そこで積んだ経験はその人の人生の宝になる。福祉事業はこれから急速に拡大するマーケット、雇用の創出にもつながるね。 1946.11.03 日本国憲法公布 1947. 5.03 日本国憲法施行 1948. 8.13 大韓民国、アメリカから独立 1948. 9. 9 朝鮮民主主義人民共和国成立 1950. 6.25 朝鮮戦争開始 1950. 8.10 警察予備隊発足(日本) 1951. 9.08 サンフランシスコ講和条約&日米安保調印 1952. 1.18 李承晩ライン(竹島占領) 1952. 4.26 海上警備隊発足(日本) 1952. 4.28 サンフランシスコ講和条約&日米安保発効 1952.10.15 保安庁設置(日本) 1953. 7.27 朝鮮戦争停戦 1954. 7. 1 自衛隊発足 竹島占領は日本の軍事力防衛力の空白期に狙い済ましたように行われ、 日本国憲法の平和理念は、施行後わずか5年で瓦解している・・・ しかし、憲法変えないで戦争が始まった時どうすんのさ? 相手の軍門に下れと政治家に命令するのか? それとも、自発的に国民が銃を取るのを待つのか? そういう事態になってもまだ反対反対と言い続ける気なのか? 前の戦争は日本も国策で戦争に突入したが、次の戦争をどこが起こすかなんて誰もわかんないんだぞ。 特定アジアの共通点は、明らかに勝つ見込みの無い戦はしない。 日本と戦争しても、勝てないもしくは採算が合わない、自国が滅びる、と言った状況を創らねばならない。 もっとも手っ取り早いのが、軍備なんだけどね。 今日高槻市役所の前でも無防備地域宣言、とか署名しているのがいたよ。 あんまり相手にされていなかったのが救われるが、さすがに辻本清美を輩出した地域だけのことはあるわ。。。orz 「徴兵制禁止」陸自幹部が改憲案 自民大綱素案に反映 (2004/12/05) 「陸上自衛隊の幹部隊員が、軍隊の設置や、集団的自衛権の行使を可能とする内容の憲法改正案をまとめ、10月下旬、自民党憲法調査会の中谷元・改憲案起草委員会座長に提出していたことが4日、分かった。この中で示された趣旨は、結果的にすべて同党の改憲草案大綱の素案に反映される形となった。 草案とは別に、安全保障関連で「盛り込むべき事項」を記載した文書も作成。徴兵制の否定など、現憲法の精神に沿ったものも含まれており、これらも自民党の草案大綱の素案に反映されている」 -------------------------------------------------------------- この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/machikoMizutani/diary/200510030000/1e894/ Loading now....
サヨクにみる論理破綻とダブルスタンダードのありようには本当に驚かされます。(2005/10/05 06:22:10 AM)
まあ、連中がとりあえず突けるのは徴兵制、だけ、と。
そして憲法の改正を念頭に置いた人も徴兵制を必要としていない。 なんだかなあ。^^; 中共の駆逐艦が日本に大砲を向けても、まだ気づかない、ってのが凄いな、と。 弱ったもんです。(2005/10/05 06:07:40 PM)
TB有難うございます。
西舘さんの講演を聞いたことがあります。 オーストラリアのDV対策の話のはずでしたが、どんどん元夫の話になってしまいました。 それはそれでものすごい話の連続で、元夫は作家・戯曲家としては第一級と思うのですが、作品を見るたび 締め切りが押してくると編集者が「奥さん殴られてください。」と西舘さんに行っていたという話を思い出してしまいます。ぶん殴られえいるのか気になります。(2005/10/05 08:33:38 PM)
戦争なんて誰もが反対ですが、守らねばならない物は命がけで守る。これ当たり前。
自衛のためしか交戦出来ない国の国債等誰が買いますか?危なくてカントリーリスクは無限大です。 外国が買ってくれないからでもありますが、結果として、わが国の国債は外国依存していない、数少ない優秀な物です。 「(バカの一つ覚えのような)九条守れ!」これでは日本天皇国は滅びます。 (2005/10/11 06:00:58 PM)
http://skymotion.exblog.jp/d2005-10-18
A=理想主義者。全世界非武装を唱える。 B=現実派 A「世界中が武器を捨てれば世界は平和になるのです。」 B「どうやって軍隊や武器を放棄させるの?」 A「国連によって世界規模の刀狩を行います。」 B「チェチェンやチベットの武装ゲリラは自衛の為に武装しているんだお? 第三者の介入が難しい民族紛争をどうやって停止するの?」 A「国連は第三者でも、国連安保理は地域紛争をいち早く解決させる義務があります。」 B「国連安保理は武力で紛争を停止しているんだお?あなたは国連による戦争は賛成なの?」 A「いいえ。反対です。武力を用いるのは事態を沈静化させるときだけです。」 B「紛争を沈静化させる国連軍は賛成なんだね?国連軍は各国の軍の集合体だお?「全世界刀狩」と矛盾していると思うお?」 A (無視。日本は核武装の危険があると新たなデムパを飛ばし始める〜) (2005/10/25 12:22:31 PM)
論理のすり替えがお上手ですね。。(2005/11/13 04:28:29 PM)
ある人曰く、日本ペンクラブ会長で文化功労者、作家・井上ひさしの娘が市川駅前のダイエーで万引きして捕まり、警察に引渡されたという噂を耳にしたという。(2005/12/10 12:16:48 PM)
編集者Oさんと飲んだ時のこと、酩酊したOさんが井上ひさし先生の離婚のときのことを話し出しました。離婚騒動にどう対処するか何度か話合いがなされるうちに、前妻、井上好子を攻撃する人と、擁護する人に意見が分かれたそうです。井上先生は徹底的に攻撃することを主張して、擁護する人は去っていったということでした。その時話合われたことは、マスコミを使って井上好子を社会的に抹殺すること、井上先生が奥さんに暴力を振るっていたことは隠蔽すること、奥さんの怪我が癒えたころを見計らって記者会見すること、以上が話合われたということでした。世をはかなんでいっそ・・・と言いかけてOさんは急に話題を変えました。あれ以来Oさんは私と一緒にお酒を飲むことを避けているようです。新聞に一行載るだけで自殺する人がいることを考えると、Oさんが私を避けるのも判るような気がします。(2006/04/30 11:28:55 AM)
編集者Oさんと飲んだ時のこと、酩酊したOさんが井上ひさし先生の離婚のときのことを話し出しました。離婚騒動にどう対処するか何度か話合いがなされるうちに、前妻、井上好子を攻撃する人と、擁護する人に意見が分かれたそうです。井上先生は徹底的に攻撃することを主張して、擁護する人は去っていったということでした。その時話合われたことは、マスコミを使って井上好子を社会的に抹殺すること、井上先生が奥さんに暴力を振るっていたことは隠蔽すること、奥さんの怪我が癒えたころを見計らって記者会見すること、以上が話合われたということでした。世をはかなんでいっそ・・・と言いかけてOさんは急に話題を変えました。あれ以来Oさんは私と一緒にお酒を飲むことを避けているようです。新聞に一行載るだけで自殺する人がいることを考えると、Oさんが私を避けるのも判るような気がします。(2006/04/30 11:29:31 AM)
また長文の駄文を書いてくれたねぇ。ウヨクって頭大丈夫?
ベトナム、アフガン、ティモール、その他もろもろの侵略国家アメリカの説く「正義」こそ嘘八百だろうに。 ある一定の者達のダブルスタンダード・ウヨフィルターは一生取り外せないのだろうか。御愁傷様です。(2006/12/16 03:46:23 AM)
また長文の駄文を書いてくれたねぇ。ウヨクって頭大丈夫?
ベトナム、アフガン、ティモール、その他もろもろの侵略国家アメリカの説く「正義」こそ嘘八百だろうに。 ある一定の者達のダブルスタンダード・ウヨフィルターは一生取り外せないのだろうか。御愁傷様です。(2006/12/16 03:47:09 AM)
また長文の駄文を書いてくれたねぇ。ウヨクって頭大丈夫?
ベトナム、アフガン、ティモール、その他もろもろの侵略国家アメリカの説く「正義」こそ嘘八百だろうに。 ある一定の者達のダブルスタンダード・ウヨフィルターは一生取り外せないのだろうか。御愁傷様です。(2006/12/16 03:47:13 AM)
K氏が作家井上ひさしの評伝執筆の資料収集のため、昨年、前妻井上好子の両親に取材したということだ。二十数年間井上ひさしと生活を共にし、その一部始終を知っている二人の話は貴重な資料となることだろう。井上の前妻に対するDVは周知の事であり、作品を書くことに行詰ると両親の目の前で実の娘が頭を柱に叩き付けられたこと、二十数年間親として尽くしてきた二人を前妻との離婚の際、前妻と共に裸で放り出した事実が語られたという。この評伝が完成したあかつきには、以降、井上ひさしを語るときは作品と妻への暴力を切り離して論ずることはできないことになるであろう。井上は自身のDV犯罪を隠蔽するため各賞選考委員や日本ペンクラブ会長などあらゆる役職や肩書きで身を守ろうとしている。あたかも共産主義国の高官が胸一杯に勲章を貼り付けるように醜悪そのものだ。それ故に作家としての評価は同郷の藤沢周平と比して対極と言える。肩書きの数はもとより作品の評価は書店の書棚を見れば明らかだ。憲法九条を声高に擁護し平和主義者の仮面をかぶろうとDVの事実は消えることはない。血塗られた手に掲げられて憲法九条が泣いている。キリスト教徒として洗礼を受けたという井上ひさしに残された道はただ一つ、告白と懺悔あるのみ。(2006/12/24 01:45:29 PM)
井上ひさしの離婚のときの真相が洩れ聞こえてくるようになった。前妻の井上好子を半殺しにして追い出した後、井上ひさしは周到にマスコミ対策をしていたらしい。時期を見て記者会見、離婚手続き、内山東太郎・ヒデとの養子縁組解除、米原ユリとの再婚、長女井上都のこまつ座への参加。井上ひさしが遅筆で初日に戯曲が間に合わないときは、いつも前妻との長女、井上都が謝罪している。これらの事実を時系列に並べてみると、緻密な計画性が透けて見えてくるという。確かに当時、井上の周辺からそのような噂が飛び交っていた。井上は戯曲を書くに当たり、綿密に構成を練り上げるという。人生最大の転機となる離婚と養子縁組解除という事態を前にして井上が成り行き任せだったとは考えられない。長年にわたる前妻井上好子へのDVもその伏線だったということだろうか。前妻井上好子との離婚劇が井上ひさしの最高傑作という説も当たらずとも遠からずと言えなくもない(2007/03/17 05:16:29 PM)
先日、W氏が「薮原検校」について問わず語りに話してくれたところによると、井上ひさしが前妻井上好子と結婚する際、当時の身分証である米穀通帳がなかったために内山家の婿養子になったということだが、その頃の井上を知る人によれば乞食同然だったという。好子の父、内山東太郎は生粋の江戸っ子で、言葉遣い、立振舞い、歳時など日常生活は江戸の香りに包まれていたらしい。数少ない幼馴染の話によれば誰にでも好かれる温和な人柄で関東大震災や東京大空襲をくぐり抜けた苦労人でもあったらしい。次女の好子が小柄な東太郎にそっくりだったこともあり、目に入れても痛くないという可愛いがり方だったと伝えられているという。好子と結婚した井上ひさしは東北の田舎育ちであったが、やがて江戸を題材とした作品を手がけるようになったのは、内山家の香りが触媒となっているのかもしれない。井上が妻好子に暴力を振るうようになったのは、結婚してかなり早い段階らしい。下町育ちの好子の伝法な物言いは田舎者の井上にとっては手を上げるに十分な衝撃だったのかもしれない。井上のDVがエスカレートしたのは直木賞を受賞してからといわれている。先生、先生、と呼ばれるようになっても内山家の中では田舎者でしかなかったこと。義父である東太郎が好子をとても可愛がっていたこと。そして好子も親孝行だったこと。義母、ヒデの証言では「誰のおかげでこんな生活ができると思ってるんだ」と言いながら、井上は義父母の目の前で好子の髪を鷲づかみにして柱に叩き付けたという。そんな時、東太郎は口をつぐんで自室に戻って行ったそうだ。可愛い娘が殴られるのを耐え忍ばなければならなかった父の思いはいかばかりであったろうか。「薮原検校」はこのような状況の中で生まれた。井上の怒りと凶暴性がエキスとなり生まれたこの作品の主人公杉の市は井上ひさしそのものだといわれている。(2007/04/29 03:48:17 PM)
W氏の問わず語りによると、井上ひさしは生粋の江戸っ子のすべてを身につけている義父東太郎が嫌いだった。というよりどこへ行っても先生と呼ばれ、誰もが尊敬の眼差し崇め奉ってくれるのに、家の主人である自分に断りもなく江戸の風俗の暮らしをそのままに江戸の香りをただよわせている東太郎が妬ましく、憎らしかった。どんなに江戸の書物をかき集めて読んでも、知識を積んで作品を書き、戯作者と呼ばれても、江戸の体現者が同じ屋根の下にいるのが耐えられなかった。江戸を、穢土や反吐、と言い換えることは江戸っ子にはできない。「雨」「小林一茶」等、井上の作品は江戸に対する憎しみで溢れかえっている。井上は前妻好子に暴力を振るいながら、その憎しみを叩きつけ作品を生み出していった。「薮原検校」の主人公、めくらの乞食杉の市が検校に上り詰める道筋は、米穀通帳も持たなかった井上が文化功労者になる過程と見事に一致する。「薮原検校」が井上作品の中で一番上演されるのは井上ひさしの生い立ち、悲しみ、嫉み、恨み、憎しみ、凶暴性、心の軌跡、それまでの人生すべてが凝縮されて生まれた作品だからなのだ。戦争反対を声高に唱え、戦争犯罪を我がことのように追及し、憲法九条をひたすらに擁護するのは、井上がそれを飯の種にしているにすぎない。現在の妻、米原ゆりがつくるイタリア料理に舌鼓を打ちながらコメ問題を論じるのと同じこと。前妻好子との間に生まれた長女、都を原稿が間に合わない時の防波堤として利用していることと同じこと。井上が主宰する、こまつ座、は恐怖に支配されているという。井上は前妻好子との離婚劇により内山家への憎悪を実行に移した。井上の筋書き通りに行かなかったことは前妻好子が生き延びたことだ。マスコミの袋叩きによって好子が自殺し東太郎が慟哭する場面で幕が下りるはずだった。神がその巧妙な筋書きを書き換えた。(2007/04/29 03:58:50 PM)
井上ひさし先生の離婚の際の内幕を知る関係者から聞いたところによりますと、記者会見を開くかどうかで内部で大きな意見の隔たりがあったということでした。騒ぎが収まるまで緘口令を布いて沈静化に努めるという意見と記者会見を開いて井上先生の身の潔白を世に知らしめるべきだという意見が対立したというのです。記者会見に反対する人たちの考えは、会見を開くことにより座長(井上好子)がさらし者にされること、社会的に制裁を受ける傷が大きくなりその後の座長の生き方が難しくなることを配慮したものでした。一方、記者会見を開くことを主張する人たちは、社会的制裁は当然のことで、井上先生の評判に傷がついたことを一番に憂慮すべきだと主張したということです。当時は嵐が来るといわれていたマスコミの殺到と袋叩きは目に見えていたのですが、井上先生の意向で記者会見は開かれることになったそうです。問題は会見の時期でした。座長の顔の傷が目立っては逆効果になるため、顔の打撲傷の快癒時期が慎重に検討されたということです。また、会見で読み上げる文章は井上先生がご自分で推敲されたそうです。こうして、裁判官が社会的制裁として情状酌量の根拠とする、現在ではマスコミスクラムといわれている暴力的取材が繰り広げられたのでした。憲法九条を擁護し、戦争反対をテーマとする戯曲を多数お書きになっている井上先生ですが、自分を守るためには何でもするということが人間的といえるというところでしょうか。以前、娘さんの一人がこんなことを言っていました。「パパの日記を覗いたことがあるんだけど、ユリさんのことでいつも私たちに言っていることと全然違うことを書いていたんでびっくりしちゃった」。このことがどういう内容を言っているのか判然としませんが、井上先生の性格や人間性に対する疑問符が次第に増えてくるような気がするこの頃です。(2007/05/19 09:17:50 PM)
井上ひさしは自分の社会的影響力を保持するために数々の肩書きにしがみついている。直木賞の選考委員は数年おきに入れ替わるが、井上だけは手放そうとしない。司馬遼太郎や藤沢周平は数年で選考委員を後進に譲っている。文芸春秋の担当者が愚痴っていた。直木賞の選考委員は本人が辞めると言い出さない限り辞めさせることができないことになっている。日本ペンクラブ会長の席もいつまでしがみつくことだろうか。なぜ、井上はこのように肩書きに執着するのか。それは自分の悪行を隠蔽するために他ならない。活字文化の信奉者たちは活字業界(新聞雑誌等の出版界)を牛耳ることにより、情報発信を操作してきた。活字業界で影響力を確保することにより、身の安全を担保してきた。井上の前妻との離婚の際の報道はまさしくこの影響力を巧妙に行使している。これまで作家の離婚は数え切れないほどあるが、記者会見を開き、別れた妻がマスコミに袋叩きにされるように仕向けた例はない。たいていの場合は三行記事でお茶を濁すのが業界の暗黙の了解だった。なぜ、井上はあえて記者会見をおこなったのか。新聞や雑誌に自分の記事が掲載されたことによる自殺者はいくらでもいることを考えると、意図はあきらかだ。前妻、井上好子の口封じに他ならない。それまで井上のDVは出版関係者の間では有名だったが、業界の外に漏れることはなかった。ただ、業界人の前では平手打ちや頭を小突く程度だったが、他人のいないときには両親の目の前で娘が拳で殴られる、髪の毛をつかんで頭を柱に叩き付ける等のことが15年以上にわたって続いていたということだ。前妻がDVの事実を本にして出版したとき、出版された本が梱包も解かれないまま書店から返品されてきて、出版者は井上の影響力とそのやり口に驚いたという。現在の日本ペンクラブの会長はそういう人間なのだ。真実には必ず光があたる。(2007/05/19 09:22:08 PM)
井上ひさし先生の離婚会見のいきさつをS氏から聞いた。井上先生に半死半生の目にあわせれて逃げ出した前妻井上好子が自分の下に戻る見込みがなくなったのを確信した井上先生は、自分が作品を提供している出版社の担当者を一同に呼び集めたという。井上先生は集まった担当者を前に涙ながらに状況を説明して、担当者の同情を一身に集めた。それまで前妻井上好子を口を極めて罵倒していた井上先生が逃げた女房のことを未練たっぷりに担当者に話すのを見てS氏は驚くとともに先生に深く同情した。担当者達が出版社へ帰って噂が広まるのをしばらく待つことにしたらしい。また、井上好子が万一にも殴られた顔のままで人前に出て来ないようにするためにもしばらく時間が必要だった。頃合を見て記者会見が開かれた。記者会見に反対するものもいたが、井上先生の激しい叱責を受けて沈黙した。記者会見によりマスコミ界に突風が吹き荒れることは誰もが理解していた。かくして前妻井上好子は井上先生の「惻隠の情」という言葉とともに突風の真っ只中に無一文のまま素っ裸で放り込まれた。井上好子は一度会見に応じた後、姿を隠した。マスコミ各社はこぞって井上先生の談話を引用し、井上好子を袋叩きにした。井上好子が会見したときの顔に残るかすかな痣に気が付く人はいなかったし、当然のことながら井上先生のDVが話題になることもなかった。テレビに出て涙を流し、井上先生は見事に被害者の役を演じた。周りの人たちの同情を得るために何が必要かは仙台の孤児院時代から身についた芸ともいうべきものだった。自分を卑屈なまでに矮小化し、いかに自分が惨めな状況にあるかを訴えて人々の同情を集めることは井上先生が子供の頃から世の中を渡るための大切な技術だった。結果としてマスコミ各社は井上先生の私刑(リンチ)の片棒を担がされることになった。S氏の「井上先生は情報操作の天才です」という言葉が印象に残った(2007/05/20 01:19:56 PM)
井上ひさしの離婚会見が引き起こした騒動の最中、井上ひさしと井上好子の離婚協議が行われたという。井上ひさしは離婚の条件として井上好子は離婚における財産分与の権利を放棄すること。その代わり自分が婿養子となっている内山東太郎と内山ヒデの面倒は見ることにして、月50万円の生活費を渡す。また、井上都、綾、麻矢の三人の娘は自分が引き取るという提案をしたらしい。マスコミの暴力的な取材攻勢に晒されていた井上好子は自分の両親の生活が保障されるのならと協議に応じたらしい。離婚が成立してから数日もしない内に井上ひさしは使いをやって内山東太郎に養子縁組解除の書類に捺印させた。その話を聞いた井上好子は自分の愚かさと父東太郎の人の良さに慟哭したという。まもなく井上ひさしは共産党の元衆議院議員、米原昶(いたる)の娘ユリと結婚して鎌倉に新居を構えた。三人の娘たちは一緒に暮らすことを許されずそれぞれ市川市に残されることになった。井上好子は歯噛みし、地団駄踏んで悔しがったというが、井上ひさしの用意周到さの前にはすべてが水の泡となってしまった。井上ひさしの母親井上マスも同居を許されずやがて病で入院することになった。母親マスは自慢の息子に会いたがって何度も連絡を取ってもらったが、井上ひさしは母親の見舞いに来ることはほとんどなかったと病院関係者が言っていたという。井上ひさしはこのような筋書きをいつから練り始めたのであろうか。長年にわたる井上好子へのDVはこの結末を予測した序章だったのではないかと思わせるほどの見事な展開といえる。一般社会では井上ひさしのやり口は人非人とか人でなしと非難されるが、文化人の世界では何の問題もないらしい。現在の妻ユリと結婚して以来、井上ひさしは共産党の主張に沿った戯曲を量産している。(2007/05/20 01:21:54 PM)
井上ひさしは離婚した前妻井上好子を社会的に抹殺する為に敢えて記者会見を開き、マスコミが前妻を袋叩きにするように仕向けた。第二弾として母親井上マスの著作で「好子さん!」を出版した。井上好子がどんなにひどい妻だったかを母親の名前で本にしたのだが、実際は編集者のO氏がゴーストライターとして構成を考え、文章も書いた。O氏は井上マスに聞き書きしたことになっているが、内容は井上ひさしが校閲したという。この本には井上ひさしの自筆の脚注が掲載されている。別れた妻を誹謗中傷するために、人格を貶めるために、社会的に抹殺するために、母親の名前で本まで出版するのは尋常ではない。自分の意にそぐわない人間はリンチにかけて抹殺するという共産主義独裁者の系譜そのものだ。井上はその後も前妻を抹殺するためにあらゆる影響力を行使した。これは出版業界では有名な話だが、婦人公論が井上好子に連載の企画を持っていったとき、井上ひさしは中央公論社の嶋中社長を自宅に呼びつけ、企画を中止しなければ中央公論社から作品を引き揚げると猛烈に罵倒したという。嶋中社長は土下座して謝り、連載の企画は中止されたという。この話はまたたくまに出版業界に伝わり、井上ひさしの作品を抱える出版社は井上好子に執筆を依頼することはなくなった。前妻を一文無しで放り出し、マスコミを利用してリンチにかける、その上、仕事の邪魔をして兵糧攻めにする。ペンは剣よりも強しという言葉がこのような意味合いを持ってるとは!まさに井上ひさし独特のレトリックとでもいうのだろうか。自分のDV犯罪を隠蔽するためにはどんなに残虐なことも、どんなに非人間的なことも平気で実行する。こんな人間が平和憲法を守れ、などと言っても誰が信じられるというのだろうか。(2007/07/22 04:47:12 PM)
井上ひさしが日本ペンクラブ会長を退いた。本人はまだまだ辞めるつもりはなかったのだが、井上のDV犯罪と前妻井上好子に対する出版妨害が顕在化するにしたがって諸外国からの批判が高まってきたためといわれている。井上ひさしが会長をしているために日本ペンクラブは日本DVクラブと揶揄されていた。日本ペンクラブのPEN憲章には次のような文言が記されている。
前文略〜P.E.N.は、各国内およびすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、ならびに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形の抑圧に反対することを誓う。P.E.N.は言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。P.E.N.は、より高度な政治的経済的秩序への世界が必要としている進歩をなしとげるためには、政府、行政、諸制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。また自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちは政治的個人的な目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論報道の自由にまつわる悪弊に反対することを誓う。 井上は作家として上記の憲章を踏みにじっている。井上ひさしは自身のDV犯罪を隠すために前妻井上好子の出版を妨害した、一度目は「修羅の棲む家」、二度目は「男たちよ妻を殴って幸せですか?」を出版したとき。折りしも、井上ひさしが被告として、その独善的な残虐性が東京地方裁判所で審理されているという。傍聴席は毎回満席だということだ。(2007/07/22 04:48:32 PM)
演劇関係者が集まった席で井上ひさしの次女が栄養失調で入院したというこ噂を耳にした。次女は父、井上ひさしにそっくりだということで、小さな頃は3人の娘のなかでは一番可愛がられたという。娘たちは井上ひさしが前妻西舘好子と離婚した際、父親といっしょに暮らすことを選んだ。井上は娘たちを引き取ることを条件に前妻に離婚の際の財産分与の権利を放棄させたというのだが、娘たちは当然父親といっしょに生活できるものと思っていたという。しかし、井上は新妻米原ゆりとの新居を鎌倉にかまえるにあたり、娘たちを市川に置き去りにした。事情を知る関係者によると、井上は得意の言葉と言い回しを駆使して娘たちを洗脳したということだ。鎌倉に住み、料理研究家として何冊も本を出している妻の料理を食べながら実の娘の願いは無視する。妻はイタリア料理が得意ということだが、娘たちは食べさせてもらったことがあるのだろうか。先ごろ、「父、藤沢周平との暮らし」遠藤展子著が発刊された。藤沢周平の父親としての優しさが読む者に暖かさを送ってくれた。同じ山形県出身の作家として、遅筆堂文庫という自身の記念館を地元に作らせた井上ひさしと、秀逸な作品だけを残していった藤沢周平の評価の違いは明らかだ。井上ひさしの娘たちはどのような父親像を書き残すのだろうか。西舘好子のブログには娘たちが母親を頼って来る様子が散見されるという。血を分けた実の娘さえも冷酷に捨て去ってしまう人間が、憲法九条を守ろうといっても何を信じればいいのだろうか。井上ひさしの作品が後世まで残るかどうかは別にして、人間としてどうあるべきかを身をもって示すのが本筋と思うのだが、いかがなものだろうか。
(2007/07/22 04:50:04 PM)
『好子さん!』という本がある。井上ひさしの母、井上マスが著者となっている。井上好子の悪口を並べ立て人格を否定するため発刊された本としてこの世に存在する。この本には井上ひさし直筆の膨大な補足や脚注が加えられている。あとがきではこの著作は井上ひさしの了承を得ず、勝手に井上マスが書いたとなっているが、あとがきの署名にある井上マスの筆跡と本文の脚注や補足の筆跡は明らかに異なっている。しかも本文中にはこまつ座公演の際のプログラムの写真が載っていて、その写真に見える井上ひさしの手書き文字は、本書の脚注・補足の筆跡と同一。井上ひさしは井上好子の人格を貶めるために、井上マスがいかにも付け加えたようなふりをして、膨大な注を自身で書き加えているのである。本の内容は母親が息子のことをここまで知っているとは信じられないほど詳細だ。昭和61年11月5日初版と奥付にある。あとがきによると井上マスが離婚をテレビで知って釜石から出てきたのが7月15日となっている。また、9月末〜10月初旬に骨折で神奈川県下の病院に入院したこになっている。この本の著者が井上マスでないことはあきらかだ。6月26日の記者会見以降、井上ひさしはあらゆるマスメディアを利用して井上好子への攻撃を行った。井上好子の声が取り上げられることはなかった。特に活字媒体は井上ひさしのリンチに知らず知らず加担させられていた。井上ひさしは井上好子を悪人に仕立て上げ、自分自身を被害者として社会に認知させるためにあらゆる手段と影響力を行使した。自分自身のDV犯罪を隠蔽するために、娘たちを自分の弾除けにするために。インターネットが普及しなければ永久に表に出ることはなかったであろう真実がここにはある。かくして『好子さん!』は井上ひさしの残虐性の証拠として永久に存在することになった。(2007/12/23 07:52:42 PM)
先日、文化功労者の受賞パーティに参加した。かずかずの祝辞のなかで「残念ながら文化功労者にDV功労者が混じってしまって困惑している・・・」という内容の挨拶があった。これはあきらかに井上ひさしのことを指している。歴代の受賞者が困惑していることを公の場で言及したのは初めてと思われるが、そこまで井上ひさしのDV犯罪が一般に知られてきたということだろう。井上ひさしはかつて、「愛があるから殴った」「愛していなければ手を上げない」などと言い訳したと聞いたことがあるが、それは言葉遊びの世界の戯言だ。自分の悪行を隠すためにどれほどの言葉を費やそうとも、悪行は消えない。言葉巧みに言いくるめようとしても、神様はお見通しだ。厚顔無恥の居直りで歴代受賞者に忸怩たる思いさせているとすれば罪は重い。井上ひさしに多少なりとも良心があるのならば文化功労者を返上するのが筋というものだろう。井上ひさしは言葉遊びの巧みさで受賞している。
かずかずの作品を送り出し、息の長い活動はたしかに認められるにふさわしいかもしれない。しかし、言葉遊びの世界で評価されるのは結構だが、憲法九条の擁護を声高に主張し、平和を論ずる場に言葉遊びの世界の戯言を持ち込んではならない。言葉は伝達手段や表現手段として大切な役割を果たしているが、言葉遊びの手法を政治や現実社会に持ち込んではならない。もし、政治的な発言や主張をしたいのであれば、自分自身のDV犯罪に対して明白なけじめを付けなければならない。井上ひさしは井上好子との離婚の際に、あらゆる手段を使って井上好子を攻撃した。自身の影響力を駆使して社会的に抹殺しようとした。インターネットは普及しなければ、誰にも知られることもなく闇に消えたであろう井上ひさしの悪行が白日の下に晒されている。神は悪行を行った者を罰して地獄へ落とすという。洗礼を受けたという井上ひさしは今、時代に裁かれている。(2007/12/23 07:54:22 PM)
月刊誌の編集者K氏が井上ひさし先生の次女のことで心配していた。体調を崩し、食うものも食わずに寒いアパートで一人震えているというのだ。これから本格的な冬に向かってとても心配しているという。一時的に鎌倉の井上先生の家にごやっかいになったらどうですか、と聞いてみたら。次女はあいまいにうなづくだけだったという。井上先生も状況をわかっているらしくたまに電話で話してはいるらしいが、手を差し伸べようとはしないらしい。これまでも次女は何度か体調を崩して入院したことがあるということだが、井上先生はどうして自分の手で助けてあげないのだろうという気持ちが言外に伺えた。憲法九条を擁護し、平和を訴える井上先生が血の繋がった娘さんの窮状に手を差し伸べないというのは信じられないことだ。平和の基本は社会の最小単位である家族の平和から積み上げられるものと思うが、井上先生はどのようにお考えなのだろうか。手を差し伸べられないほど貧窮しているとは思えないし、次女を預かれないほど狭い家とも思えないし、実の娘の窮状に手を差し伸べられないほど忙しいとも思えない。井上先生は全国各地で憲法九条を擁護するための講演会を行っている。平和を願うのは国民ひとしく願っていると思うのだが、自分自身の血を分けた娘を救うこともできない人が平和を唱えることにどんな意味があるというのだろうか。文学者として文化功労者にも選ばれている人が、どうしてと思う。同郷の山形県には藤沢周平という偉大な文学者がいて、亡くなられた今も作品があらゆる分野で取り上げられている。藤沢先生の作品の内包するやさしさが故郷の文化が育んだものだとしたら、どうして井上先生にはないのだろうか。(2007/12/23 07:55:27 PM)
「好子さん!」という本を読んでみた。著者は井上ひさしの母親井上マスということになっているが、読んでみた感想を言わせてもらえば井上ひさしの作品そのものと言わざるを得ない。出版業界の噂は中らずとも遠からずのようだ。いわく、「好子さん!」は井上ひさしが記者会見する前から企画されていて、母親井上マスの名前で出版するために母親を呼び寄せた。いわく、「好子さん!」出版の言いだしっぺは井上ひさし本人だ。いわく、母親が書いていては間に合わないので、編集者のO氏がゴーストになった。いわく、井上ひさしは「好子さん!」を校正するにあたり自分の日記を原典とした。いわく、・・・・。もし、この世の中に公平という言葉が存在するなら、「ひさしさん!」という本を井上好子の母親に出版してもらわなければならない。目の前で自分の娘が亭主に殴られる。一度や二度ではなく15年以上にわたり暴力を受けつづけたことをどのように訴えるのだろうか。女の子をお持ちの方ならきっと理解できるだろうが、自分の娘が暴力を振るわれたらどのような衝撃を受けるだろう。それも平手打ちのような生易しいものではなく、髪の毛をつかんで柱に叩きつけるというのだから考えただけでも怒りで体が震えてくるようだ。ある人からの又聞きだが、井上ひさしが井上好子に暴力をふるっているとき母親は「これ以上殴ったらますます頭が悪くなりますから止めてください」と懇願したそうだ。後年、井上好子は親の前で殴られるのが一番辛かったと言っていたという。井上ひさしがどれほど平和を主張しようと、どれほど憲法九条擁護を主張しようと、どれほど暴力を否定しようと信用できない根拠はここにある。言葉を便利は道具に貶めてしまってはならない。言葉には魂が宿っていなければならない。井上ひさしの言葉は信用してはならない。(2008/01/20 04:03:14 PM)
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ニュース速報+【社会】「非武装平和主義は、無力か」「徴兵、もう一度やろうなんて狂気の沙汰」 井上ひさしさん講演…分 1 名前: ☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ [off_go@yahoo.co.jp] 投稿日: 2005/10/03(月) 12:24:25 ID:???0 ?## ...(2005/10/04 07:54:47 AM)
[政治][憂国]九条の会とかいって、憲法九条を変えない運動をしているところがある。日本全体でどれだけの人が支持してるのかわからんが、大江健三郎とか売国奴が世話人やってるみたいだ。
その中でもひときわ許せないのが日本ペンクラブ会長とかいう権威をふりかざす井...(2005/10/04 12:02:59 PM)
Fig. 吉里吉里人民共和国 彼(中国)は表面上は非武装平和主義を訴える一方で、時には暴力を振りかざす。ボコボコにしてやるためにも非武装平和主義を奥(日本)さんに守らせるのがモットー。 海底ガス盗人行為、領事館ペットボトル討ち(ペットボトルで襲撃するこ...(2005/10/04 12:44:36 PM)
【憲法改正=戦争?】
私は改憲推進派です。憲法9条はその象徴ですが、9条のみに限らず、現在の日本国憲法を全文からすべて日本人の手で作り直すべきであると思っています。2005年、8月に『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』という小冊子...(2005/10/04 05:19:05 PM)
6者協議関連のネタ、見当たらなくなった。もうダメかもわからんね。ω;嫌韓流は絶好調だけどね。【日本のはある…サイパン韓人会長、戦争平和記念館の設立を提案】【河野氏「中国を米国と同じように」】【中共−豚連鎖球菌の制圧を宣言=WHOは否定】(2005/10/05 06:06:55 PM)
平和のための戦争展:平和憲法の大切さ訴え 劇作家・井上ひさしさんが講演 /福岡:毎日新聞
>平和の大切さを次世代に訴える「2005平和のための戦争展」(同実行委員会主催)が2日、八幡東区の八幡市民会館で開かれ、劇作家で「九条の会」呼びかけ人の井上ひさ...(2005/10/07 12:41:12 AM)
このネタ知ってる人殆どいないだろうなー。 岡田あーみんの匁「お父さんは心配症」の中の「お父さんのバカは今や日本一よ!!」というネタだ。 でもって、タイトルの軽薄さと比較しても、高槻に住んでるおいらは本気で心配になってくるだよ。 相変わらずバカでしょうが...(2005/10/25 01:32:57 PM)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051121-00000001-san-pol「ジュネーブ条約で有事の際に攻撃が禁じられている「無防備地域」の宣言をするよう地方自治体に求める運動が全国に広がりをみせている。これまでに宣言条例が成立した例はないが、確認されただけで二十一区...(2005/11/22 01:49:21 PM)
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