きょう五月三日は憲法記念日。改正手続きを定めた国民投票法の成立で一気に加速すると思われた改憲の動きが静かになっている。
昨年の参院選で民主党が大勝して衆参両院の勢力に「ねじれ」が生じ、与野党の対決姿勢が強まったからだ。戦後レジーム(体制)からの脱却を掲げ、「私の内閣で」と改憲に強い意欲を示していた安倍晋三前首相の突然の辞任も勢いをそいだ。
「改憲」「護憲」「加憲」「創憲」など各党の旗印は多彩だが、論点はこれまで「戦争放棄」をうたった九条に特化してきた。前文と百三条からなる憲法には、九条以外にも私たちが生きていく上での基本となる重要な条項が盛り込まれている。
にもかかわらず、国民の関心は総じて薄い。論争が穏やかになった今年は憲法全体への関心を高め、日本の将来を幅広い視点で考えてみたい。
動かない政治
四月下旬、ガソリンスタンドに車の列ができた。揮発油税の暫定税率が復活して再び値上がりする前に、という駆け込み給油である。
この一年で大きく変わったのが、衆参の「ねじれ」による国会運営の状況だろう。暫定税率などをめぐっては、参院第一党の民主党は審議を長引かせて、期限切れへと追い込んだ。
これに対し、暫定税率の復活を図る与党は参院送付から六十日間の「みなし否決」を経て、衆院本会議で再可決した。みなし否決で衆院再可決による成立は五十六年ぶり二例目という異例のことだ。
暫定税率のように、ねじれ国会になって審議が動かなくなるケースが増えた。日銀総裁人事では再議決を使えないため、一時は総裁が空白になる事態にもなった。財務省出身者の総裁就任に難色を示して譲らない民主党に対して政府・与党も歩み寄らず、「審議の停滞や混乱は民主党のせいだ」とアピールする。
そこには次期衆院選をにらんだ政局優先の思惑や駆け引きがあり、国民不在といわざるを得ない。動かない政治に自民党内からは「憲法改正も視野に見直そう」との声も聞こえてくる。
成熟への試金石
国会は衆院と参院の二院制をとる。参院の在り方はさまざまに論じられてきたが、衆参のねじれによって再びクローズアップされてきた。
スムーズな国会運営を実現するために「参院を廃止して一院制に」との指摘もある。確かに改革すべき点は多い。だが、参院は本来、丁寧な審議で衆院の審議をチェックする役割を担う。「良識の府」と呼ばれるゆえんである。
衆参のねじれは決して悪いことではない。政府・与党の暴走を抑え、与野党でよりよい政策に仕上げる成熟した政治への試金石といえよう。
ところが、現状は政権をめぐる与野党の党利党略の場になっている。政治が動かないのは、制度より与野党に動かす工夫や努力が足りなかったからにほかならない。
再議決以外にも、衆参で議決が異なる場合に両院の代表者が話し合う「両院協議会」など現行憲法の中で行き詰まりを打開する手はある。一気に改憲とはなるまい。
身近に引き寄せて
憲法は「国民主権」を基本原理に掲げている。だが、その趣旨が十分生かされているかといえば疑問だ。
国民主権を実現する手だてとしては、選挙で選んだ政治家や政党を介しての行使がある。だが、政治家は自らの考えや利害関係で公約とは違う動きをし、政党もご都合主義で連立や再編をする。国会の行政監督機能も弱い。これでは主権の実感は薄かろう。
そうした中で、国民主権の趣旨が生かせるものが出てきた。例えば司法制度改革である。二〇〇九年五月には裁判員制度がスタートする。国民が裁判官とともに重大事件の刑事裁判の審理を行う。市民感覚を司法に生かすことが期待されている。
住民に身近な行政は、できる限り地方にという地方分権も国民の意思による政治へと近づける。分権の流れは止まるまい。
お任せから自らが参画して責任を負う真の国民主権へ、憲法の掲げる基本原理が身近になっている手応えが感じられだした。現行憲法をもっと磨く必要があろう。