この際、書いておきます
テーマ:東大下暗しどこかの大学の教員に、「東大阿呆学部」呼ばわりされました「東大法学部」卒業生として、ひとつ書いておこうと思います。
どう思おうが勝手だと思いますから、何とでも言ってくれというのが感想ですが、馬鹿にするなら、「一度通って、卒業してからにしてくれ」と言いたいです。
私が通って実際に接した東大法学部生は、ひねくれた私のような者は少数派で、人間的にも尊敬できる人が多かったです。「勉強は出来るけど、人間的には?だよね」という人は少数です。世間的には、そう思われているかもしれませんが、誤解です。少なくとも、どこかの教員のように、赤ん坊は0.5人なんて、人としての見識を疑われるような発言を平気でブログ上でするような人はいませんでした。
東大法学部では、こう教えられます。「ここにいる諸君は恵まれている。その恵まれた環境に自分が置かれていることに感謝し、恵まれない環境にいる他者の気持ちになって物事を考えなさい。もし、それが出来ないなら、君は本当の意味での東大法学部生ではない。そして、そういうことが出来ないなら、早いところ辞めて、別のことでもしなさい」と。
以前も引用しましたが、法学部の名物教官K先生の言を。
「誇りなき者は去れ」
これが東大法学部です(笑)
例えば、私が大変お世話になった、故・福田有広先生が教えて下さったのは、一市民として生き、真摯に研究する姿勢です。一市民として生き、真摯に研究するのが、どれほど大変か。法学部を離れ、学内の別の大学院に在籍し、ようやく研究者として少しだけ歩を進めつつある現在、その大変さが身に染みて分かります。
少し勉強が出来て、そこそこ有名な大学や大学院を出て、大学にポストを得たぐらいで調子に乗っているような人は、東大法学部出身者にはいません。もしいても、その人は、もはや東大法学部卒業者としての矜持を捨てた俗人でしかなく、そんな人は、卒業生としては看做されません。大事なのは、東大法学部を卒業したかどうかではなく、その人がどれだけ真摯に生きているのかだと思います。そして、そういう真摯に生きる姿勢こそ、東大法学部で叩きこまれる事柄だと私は痛切に感じています。
私たち東大法学部卒業生は、「東大法学部卒業生である」という、ある種の重荷を背負って生きています。良いことをしても、「東大法学部を出ているのだから当然だろう」と言われ、少しでも期待を裏切れば、「東大法学部を出ているのに、そんなものか」と言われるのです。そういう厳しい環境に常に身を置きながら、それぞれの場所で生きているのです。当然、ひとつひとつの言動に責任を負っているのです。
そういう環境に身を置いたことがないであろう方が、外から見て、安易なイメージで面白可笑しく侮辱するのだけは、止めて欲しいものです。
それから、色々と外野で他大の教員が言っているようですが、名前を出して勝負してくるなら、こちらも東大法学部出身者として、いつでも相手になりますよ。
とんだ勘違いの某教員も、いつでも勝負しますよ。「東大阿呆学部」なんて、東大法学部に喧嘩を売らないで、無気力東大院生の私に喧嘩を売ってみろ!
法学部出身者が法律しか出来ないと思ったら、大きな間違いですよ。いつでも、あんたの専門分野で勝負する(そんなものがあるのか不明ですが)。
■あまりにもまっとうな
法学部生は本当に真っ当な人ばかりですよね。
あまりに真っ当で、曲がったことのない人。
真面目な人が大真面目に真面目をやっているのが本郷の住人たちであり、そのなかでも法学部生は最もまともだと思います。
法学部生が非難されるとしたら、まともではないためではなく、あまりにもまともすぎ、余りにも正論を語りすぎで、それが原因で世間知らずだと思われてしまうことでしょうか。
ともあれ、まともでないことで非難されるのではなく、「まとも」や「普通」の基準が高すぎることが病理と看做されることのほうが多いと思われます。