ベルリンからのお客様

2008年02月29日(金) 0時03分
今日も大雪で飛行機の欠航が続いたが、ドイツから「独日平和フォーラムベルリン」の代表オイゲン・アインホルンさんと、アンネさんが来札した。オイゲンさんは、ベルリン工科大学の教授であり、アンネさんは、海外でボランティア活動をするドイツ青年のサポートをするNGOのスタッフだ。
 
 ドイツでは徴兵を拒否した場合には、1年の福祉活動が義務付けられている。海外で行なうこともできるため、毎年、日本で奉仕活動をしたい青年が多数応募してくる。オイゲンさんは、それらの応募書類を審査し、面接し選考し、日本に派遣するという大きな仕事をしている。日本では小田実さん、ベルリン側では、オイゲンさん、梶村さんたちが20年前に始めた活動だ。私は日独平和フォーラム北海道として、奉仕活動を選択した青年の受け入れをしているが、その青年たちには、3回の研修が義務づけられている。その日本での研修が先日、広島で行なわれた。研修終了後、オイゲンさんは全国何箇所かで、徴兵拒否の青年の受け入れをしている地域を訪問し、最後に北海道にみえた。
 
 北海道人にはうんざりの雪だが、こんな雪ははじめて見たと、大変喜んでくれた。青年を受け入れてくれている、施設3箇所をまわり、最後に日独平和フォーラムの事務所をみたいとのことで、小さなオフィスを案内し、インタビューを受けて終了。
 現在、受け入れをしているのは発達障がいの子どもの通所施設、成人の知的障がい者入所施設、児童養護施設の札幌市内で3箇所である。他に深川の保育園でも受け入れをしている。どの施設も青年たちと、良好なかかわりをもちつつ、日々、日本とドイツの文化や慣習や国民性のちがいなどを発見しながら、理解を深めているように見うけられる。私としても、うれしい一日だった。一方で、その違いが、マイナスに作用する場合もあり、相互理解でなく、不信につながることもないとはいえない。毎年、一年で帰国し、かわって別の青年が来日する。施設にとっては、やっと、言葉も通じ合い、理解しあったと思うまもなく、いなくなってしまうことにとまどいもあるかもしれない。
 
 しかし、この日本の福祉現場での経験は彼らのこれからの人生の上で必ず大きな財産になるだろし、施設全体にとっても、そこで触れ合った利用者さんにとっても、ドイツの若者との一年は大きな経験となるにちがいない。私はそのことを確信している。ドイツの良心的徴兵拒否の思想の延長にある、というか根本にあるのは、武器をとることを拒否する権利、殺すことも殺されることも拒否する権利を保障するということだと思う。一方、日本を考えるならば、憲法9条はまさに、「国家としてもの良心的軍事拒否宣言」だといえるだろう。そのことを色々な場面で伝えながら、日独平和フォーラム北海道として、青年たちの活動を支えたいと考えている。

     


             ピースカフェでの、オイゲンさんとアンネさん

もうすぐ春か、、、。

2008年02月28日(木) 1時28分
今日も大雪で、道は渋滞。空の便も遅れ気味。雪の下がつるつる凍っているので
おっとと、すってんころりんと行きそうになる。この時期の大変さ、本州の人にはわからないだろうな。ということで、夜のセミナーのあと、Sさんとご飯を食べようと思って
いたけれど、どんどん、雪が降り積もるので、早く帰宅しようということになって、空腹で帰宅した。

この頃は、あまり食事を作らないのだが、石焼ピビンパは      
大成功だった。石焼の器を買いながら作る機会がなかったの
だが、大根で即席カクテキキムチを作り、水菜、人参、きゅうり、豆もやしでナムル、挽肉を味付けして、ご飯の上に乗せ最後に生卵の黄身をおとして、直火で5分焼く。完成!おこげがおいしい、コチュジャンやごま油の香ばしさもなかなか!冷蔵庫の野菜の整理で、材料費はゼロ。野菜たっぷりで究極のエコ(エコロジーではなくてエコノミー)献立だった。
全部国産野菜だと思うとなおさら、おいしく感じられる。

しかし、今、オーストラリアとの経済連携協定(EPA)交渉が開始されている。25日には、第4回交渉が行なわれた。オーストラリアは、農産物の市場開放を求めており重要品目の関税撤廃が大きな柱だ。今でも、日本はカロリーベースで食料自給率は40%をきっており、さらに、食料自給率を引き下げる結果になることは明白だ。北海道では、道庁試算によると1兆3716億円の影響があるといわれている。食料供給地である、北海道の乳製品、畜産品は、安心でおいしいからこそ、全国から大きな評価を受けている。それが、たぶん壊滅的な打撃を受けることになるだろう。食料安全保障の観点からも、ありえない選択だ。自国の農業、一次産業を守ることは政治の使命ですらあると思う。むしろ、自給率を一層あげることこそ最優先課題だ、と石焼を食べながら考える。

あと2日で三月だ、この大雪のあとには、春が待っている。春の匂いを待ち望みながら、深夜の雪かきをしたのだった。

団体交渉

2008年02月26日(火) 23時36分
 今日は、私も執行委員をしている女性のための労働組合「ウイメンズユニオン」の団体交渉だった。市内の病院におけるパワーハラスメントで、ひとりの看護師さんが、心身を病んで、休職中だ。その看護師さんの職場復帰へむけて、どうすれば、職場環境が改善するか、どのような再発防止策をとったかなど、病院側と交渉だ。彼女が、いかに惨いことを上司から言われたかを述べはじめてすぐ、急に激しい頭痛に襲われ、手は震え、座っていることさえできなくなった。病院の仮眠室で横になることになったが、人の心のもろさ、柔らかさを痛感する。攻撃されたり、いじめられたり、その場面を思い出すと、言葉を失ったり涙がとまらなくなったり、頭痛に襲われる。何日たっても、何年たっても、体の傷は治っても、、心の傷は癒されることがない。
 
 ウイメンズユニオンは、そんな、大きな労働組合に入っていない中小零細企業の女性や、派遣や臨時職員など非正規雇用の女性たちに寄り添って、会社と団交をし、謝罪や補償や職場復帰を勝ち取ってきた。  その道は困難の連続だ。就業規則もみたことがない、残業代をもらったことがない、いきなり雇い止め、労働組合の存在すらしらない女たちが大勢いる。パワハラだけでなく、職場の上司による性暴力やセクハラを受け、心の病になった女性も見てきた。
 加害男性は、一人残らずがない「同意だった」と弁解する。望まない性的関わりほど、女性の人権を侵害することはないと言ってもいいほどだ。

 24日に、女性自衛官への性暴力を許さず、人権を回復するための裁判闘争支援の学習会のお誘いがあり参加した。7日に裁判を傍聴したが、この日は被害当事者や支援する会のメンバー、担当弁護士さんも出席しての学習会だった。恐怖はどれほどだったろうか。この事件でもごたぶんにもれず、逃げればよかったじゃないか、とか、女性にもすきがあったのではないか、訴えるなんて、お前はもう自衛隊ではいらいない存在だ、というキャンペーンがはられる。とりわけ、現場が、「力」が最高の価値である自衛隊なら、なおさらだ。女のくせに、女は男に従うもの、という非人間的な価値観がいまだに大手をふっている世界だ。しかし、裁判を支えるネットワークも少しづつ広がっている。当事者は、きっぱりを名前を名乗り、逃げ隠れせず、発言している。「私は一人ではない」という確信が被害者を支えている。
 
 女性が安心して働ける職場、人間らしく働くことができる職場の確立が急務だ。人が人として、大切にされる、そんな当たり前のこと、でも実現されていないこと、そのために、今日も、ユニオンの女たちは、手弁当でがんばっている。
 
 

おいしい時間

2008年02月26日(火) 1時35分
今夜は、若い女性ジャーナリストとお酒を飲んだ社民党の幹事長もいっしょに久しぶりに、会っておしゃべりと意見交換。北2条西3丁目敷島ビル1Fの「兄弟姉妹」と書いて「きょうだい」と読む創作中華の店だ。しゃぶしゃぶを注文したのだが、数々の薬草や果実や木の実で「出し」をとる薬膳スープ、そこに野菜や肉を入れて食べる。スープだけ飲んでも体によさそうで、ついついスープばかり飲んでしまうのだ。小樽商大に来ている中国の留学生とも名刺交換した。楽しい中国人の店主と、ヘルシーな、スープ。ぜひ、一度足を運んでください。

 食べ、紹興酒を飲み、楽しく話すうちに4時間経過。メディアのこと、政局のこと、道路特定財源のこと、、、話し出すととまらない。

 彼女の話では、ブログは3行でもいいから、毎日書いたほうがいいと。今度いつか分からないというのでは、読む人が減っていくと。なるほどと感じ、今、心地よく酔っ払っているのですぐに休みたいのだが、こうして書いているとうわけだ。
しかし、書いているうちに、目が冴えてきた。少し先週のことを振り返ってみようという気持ちになってきてしまった!

 19日は、小樽へ行って、週間金曜日主催の「佐高信と訪ねる冬の小樽―小林多喜二ツアー」に合流。朝里温泉・宏楽園でのミニ講演会に参加した。2月20日は小林多喜二が拷問により殺害された日であり、今年は没後75年だ。ツアーの主旨には「命をかけて戦争に反対した人々を思い起こし、「今」と「あの時代」の相似性を感じ取ることができれば」と記されている。テーマは「多喜二が生きた時代といま」講師は多喜二研究者の倉田稔さん、治安維持法研究者の荻野冨士夫さん、司会が佐高信さん。それぞれざっくばらんに、多喜二の人となりを話してもらった。
 
 私は、幼稚園と小学校1年を小樽で過ごした。
多喜二の通った、小樽高商(今の小樽商大)は、伊藤整やわたしの父の母校でもある。蟹工船の舞台となった製缶工場―北海製罐は私の父の兄や弟が勤務していた。(もちろん戦後であり、拷問はあるはずもないが)
 
小樽の町を歩く時、いつもどこかに小林多喜二や伊藤整の影を感じる。父や伊藤整や多喜二が毎日息を切らして登ったであろう商大前の「地獄坂」を登る時、昭和初期の青春を想像する。海と坂、運河と鉄道、小樽のもつなつかしさ、町のにおいが私は好きだ。多喜二の時代と今は、戦争へ向かおうとしている時代という点で似ているかもしれない。
 一方で、小田実さんが語っていたこともまた、しっかり心に刻まねばと思う。それは、今の日本が戦前に回帰しているのではない、むしろ第一次大戦後のドイツに似てきたのではないかということだ。ワイマール憲法という立派な憲法をもちながら、ヒットラーの登場を許してしまったドイツ。憲法をかえないで、その代わりに、緊急事態に備えるための全権委任法を作った。それは議会の多数決で成立したことを忘れてはいけないということだ。暴力革命でナチスドイツが誕生したのではなく、民主的な手続きを踏んで、平和のうちにナチス政権が誕生したのだ。今、日本は安倍首相の改憲を声高に叫ぶ路線は破綻したから、もっと巧妙に、憲法を空洞化させる動きがある。国連のお墨付きがあれば自衛隊の海外派遣を認める海外派遣恒久法の制定の動きがそのひとつだ。憲法をかえないで、いつのまにか、自衛隊が日本とはるかはなれた中東で、集団的自衛権の行使としてアメリカの戦闘に参加するというシナリオが進行している。自衛の範囲をはるかに逸脱していながら、まさに合法的にだ。そのことを私たちは、もっと重くうけとめるべきではないだろうか。多喜二ゆかりの講演会に参加して、「あの時代との相似」という視点で見ることとともに、ドイツを想起することが必要だと思った。

 たまに柔らかなテーマでブログを書こうと考えつつ、どうしても、戦争や平和のことになってしまう自分を、思考が狭いなと思ったり、それだけ真剣に平和のことを考えている証だよ、と思ったりするうちに、明日になってしまった。zzz。

[歴史を踏まえ東アジアの真の和解を」

2008年02月25日(月) 1時05分
昨夜からの大雪で、空も陸も交通は大混乱だ。朝起きたら、雪の山と吹き溜まりでクルマがもぐっていた。雪かきに追われ、疲れて体のフシブシが痛み、しばし静養。普段の運動不足がこういう時にたたるのだ。集会に行くのが遅れたが、会場に着くと、講師の高史明さんが、飛行機の欠航で、東京で足止め。講演は中止になっていた。残念!

 何の集会かというと「朝鮮人強制連行犠牲者札幌追悼法要ならびに集会」で浄土真宗本願寺派札幌別院で行なわれた。主催は、「強制連行強制労働を考える北海道フォーラム」
私は法要は出られず、今年で第六回となる集会に参加した。

今日は、
アジア太平洋戦争から60年以上経つが、戦争当時、日本に強制連行されたまま、祖国へ帰ることもできず異国で一生を終えた4名ののご遺骨が帰国することになったことにあわせての追悼法要と、市民集会である。
今回、返還されるのは、室蘭・光昭寺、赤平・宝性寺から発見された4名のご遺骨である。

戦争当時、室蘭には日鉄輪西(わにし)製鉄所と日本製鋼所室蘭製鉄所があった。日鉄では、従業員14487人うち朝鮮人2284人、日鋼は従業員14126人うち朝鮮人405人であった。1945年7月15日、米軍による集中砲火で、死者400人以上、負傷者150人、家屋損壊1500戸と資料には記されている。この死者のなかに朝鮮から強制連行されてきた5人がいた。いずれも10代である。赤平の犠牲者は、北炭赤間炭鉱で坑内作業に従事していた方だ。当時北炭赤間炭鉱には800人の韓国朝鮮人が就労していた。ある日突然、脅されて日本に連行され、過酷な労働を強いられ、粗末な食事、真冬にも薄い洋服一枚、悲惨なタコ部屋で、日本名を名乗らされ、家族にその消息すら知らせることもなく、亡くなった、少年たちの無念さを思う。
 4名の方に心から哀悼の意を申し上げるとともに、ご遺族の心中を考える時、言いようの申し訳なさで一杯になる。更に、今日にいたるまで、民間徴用者の遺骨については返還どころか、ほとんど調査、発掘すら行なわれていないことに対し、強い憤りを覚える。あわせて、日本人として、すべての朝鮮半島出身の犠牲者とご遺族におわびを述べたいと思う

 60年以上前の日本が行なった国家的拉致が、まだ解決されていないのだ。
犠牲者のご遺骨を遺族に返還する責任は日本政府にあることは明白だ。その政府が重い腰をあげようとしないなかで、北海道フォーラムが、こつこつと地道に各地の寺で過去帳を調べ役場で埋葬許可書を探しあてるなどして、少しずつ、ご遺骨のある場所を発見してきた。そしてついに今日の集会には、外務副大臣や北海道知事が追悼のメッセージ時を寄せるようになった。これまで一切ノーコメントだった、製鉄所が花輪と香典を届けてきたという。市民のこうした行動の積み重ねが、行政を動かしつつある。しかし一方で歴史教科書から「従軍慰安婦」の記述や「沖縄戦での集団自決への軍の関与―命令」が削除された。過去の歴史は、なかったことにしたい人々が明らかにいる。未来志向で行こうという。しかし、私たちは、戦争についての反省と責任を果たすことなく「善き隣人」とは、なれないと思う。
歴史を改ざんしようとする動きにはっきり対峙することも重要だが、市民の運動が、政府を引っ張り、謝罪と和解を実現しようと奮闘していることの重みは、アジアの国々と信頼関係を築くうえで、非常に重要だ。そんな卑劣な動きをする勢力は問題外だ。歴史から学び行動するーそのことを通じて、アジアのなかで「共に生きる」ことを実現する、アジアの平和の実現に近づくことができると確信した集会だった。

防衛省を防衛庁にもどそう

2008年02月23日(土) 1時48分
毎日、憤ることが多い。一昨日も書いたが、19日午前4時7分頃、千葉県房総半島の野島崎の南42キロ沖で、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と新勝浦市漁協所属の漁船「清徳丸」が衝突し、2名の漁民の方が行方不明になっている事故は怒りと悲しみがおさまらない。 東京湾では漁船が多いのも関わらず、これまでも海上自衛隊の潜水艦による漁網の切断事故や、潜水艦にもう少しで衝突しそうになったなど、漁業関係者が安心して操業できない状況が続いている。1988年には横須賀沖で海上自衛隊潜水艦なだしおと釣り船による同様の事故が起き、30名が犠牲になった。報道によると今回も、衝突を回避しようとした形跡がない、大臣への報告の遅れ、救助の遅れ、レーダー記録がない、くるくる変わる防衛省の発表、など、20年前と同様のことが繰り返され、教訓が生かされていないことが明らかになった。これまでの体質から海自による証拠隠滅の可能性はきわめて高い。やりきれない憤りをもって、防衛大臣と海上自衛隊に、そして任命権者である福田首相に強く抗議したい。
イージス艦は高度の防空能力がありミサイル防衛の中核を担う最先端の海上自衛隊護衛艦だ。「テロとの戦い」とか「朝鮮半島有事」という大義名分で1800億円という多額の防衛費を投じ5隻も配備されている。漁船を見分けられず、救うこともできない、そんなイージス艦は本当に必要なのか。毎年5兆円近い税金が、「防衛機密」の名のもとにほとんど情報公開されずノーチェックで無駄に使われているのではないだろうか。

  毎日新聞によると昨年12月14日、護衛艦「しらね」で、隊員が中国製保冷温庫を無許可で持ち込み、そこから出火したという事故があった。また、イージス艦の情報漏えい、イラク特措法の審議のなかであきらかになった、インド洋上における米艦への給油量偽装や、補給艦の航海日誌の破棄、さらに防衛商社の水増し請求や守屋武昌前防衛事務次官の業者との癒着などー自衛隊はたるんでいる、いや、終わっている、お粗末のひとことのみだ。
 
 一昨年12月の国会で防衛庁の省への昇格と、自衛隊の海外活動を本来任務に位置づけた改正自衛隊法が成立した。その時の国会審議では、法案に反対した社民党と共産党はまるで非国民扱いのヤジと怒号であった。そのことを思い起こすと賛成した民主党にも責任の一端があるといわざるをえないのではないか。今回の事故の究明と責任者の処分、漁民の方の捜索を第一義的にやりつつ、防衛省をもう一度防衛庁にもどす。やがて解体し、国内外で活躍する災害救助隊に改組する中期的展望をえがきながら、あるべき自衛隊の姿を議論してほしいと思う。
 「息子と孫が、寒いよ 寒いよと夢枕で叫んでいる」と訴えた、お母さんの言葉に胸がつまる。なにより、お二人の一日も早い救出をお祈りいたします。

9条世界会議とは

2008年02月20日(水) 22時51分
一昨日のつづきだが、9条世界会議の主旨はこうだ「戦争の放棄と軍隊の不保持をうたった日本の憲法9条は、アジア・太平洋戦争の惨害と反省の上に立って、世界に対する「不戦の誓い」として生まれました。そして60年以上にわたって、日本とアジアの人々の信頼関係の礎となってきました。

いま世界では、暴力と戦争の連鎖が続いています。イラク情勢は泥沼化し、中東は大きな危機を抱えています。また、朝鮮半島の核問題で、東アジアは新たな軍拡競争にさしかかっています。そんな中、日本の9条は、平和をめざし活動する世界の多くの市民に勇気を与える存在です。日本国内で「改憲論」が高まる今だからこそ、世界の共有財産としての9条の価値を、世界の人々と共に見つめ直したいと思います」というわけで、広島では24日に、71日かけて東京まで歩く9条ピースウォークがスタートするという。安倍首相は政権を投げ出したけれど、福田首相は新テロ特措法を成立させ、さらに、自衛隊海外派遣恒久法を制定しようとしている。そのためには民主党とも連立をくむということだ。米軍との一体化をさらに強め、日本をどこへむかわせよとしているのか。沖縄の負担軽減は名ばかりで、全国の沖縄化が進行している。米軍による犯罪もあとを絶たない、とりわけ、いたいけな少女をねらった暴行など、絶対許せない思いで一杯だ。さらに、今回自衛隊のイージス艦による漁船との衝突事故だ。自衛隊も米軍も日本の国民を守らない、組織防衛のために、情報操作や情報隠蔽がおこなわれるだろう。

もうたくさんだ。武力で平和はつくれない、そのことをくり返しくり返し確認しなければならないだろう。シンポジウムに参加した、詩人のアーサービナードさんは、日本国憲法は力強い理想であり、スケールの大きな文学としてもすばらしいものだと述べた。だからこそ、古典にしてはならない、北東アジアで、世界各国で、平和のために生かすことだ。ドイツとフランスは、自然に仲良くなったわけではない。市民の間でくり返しくり返し、平和友好のイベントが取り組まれてきたのだ。その数7000.そのたゆまぬ歩みがあって、はじめて良き隣人になれるのだ。だから、われわれは、全国ツヅウラウラから、戦争を封じ込める平和の活動を倦まずたゆまず続けなければと思う。

アーサーさんはさらに、二大政党で政権交代の行なわれるアメリカは成熟した民主主義社会であるというのは、ウゾだ、二大政党は袋小路にはいっている民主主義の墓場だ、もううんざりだ、とも断言した。それをかえるのは市民の運動だとも。本当に、勇気と自信がわいてくるシンポジウムだった。

実り多い東京での3日間

2008年02月18日(月) 22時52分
15日から3日間東京に行ってきた。日独平和フォーラムのベルリン事務所代表オイゲンさんと会って、今後の徴兵拒否の青年の受け入れについて意見交換。ドイツから、来ているから何かとさびしいし不自由だろうと考えたが、とにかく、もう大人だから、何かあっても青年本人の責任で問題解決させるべきだというのが彼の考えだ。確かにそうかもしれない。今年は病気になる青年が相次いだ。ドイツの医療保険に加入してるので、日本では一応全額払ってあとからもどってくる。それも日独側でたてかえてあげたが、自分で考え自分でお金を工面させなくてはだめだと言う。そのほか、たくさん意見交換したが、個人の意志を尊重するドイツと北海道の考えの違いを痛感した。
 
 夜はある週刊誌の編集長さんと、以前札幌にいた新聞記者さんと飲み会。上海料理で、乾杯。現政治状況に関して編集長の意見を聞く。なろほど。選挙大好きな編集長、いくつもの選挙にかかわって、ほとんど当選させてきたという。私の選挙もプロデュースしてほしいなななど考える。不夜城のような新宿に圧倒されながら新宿5丁目のホテルまで歩いていった。はー!やはり、新宿。人種のるつぼのようだ。外国人があふれている。研修の名の下低賃金で働かされている人も多いし、問題山積みだ。中国人のフロントがあまり流暢とはいえない日本語で対応していてこれも驚かされた。

 16日は、福島党首と意見交換。政治情勢、選挙についての考え方、洞爺湖サミットについてなどなど。福島党首さんは本当に気さくに、だれとでも、分け隔てなく接している。なかなか、そんな政治家はいない。それだけでも尊敬!社民党の政治理念は、こんな世の中で絶対重要だ。新自由主義の嵐のなかで、社会民主主義のめざす社会をもっともっと、多くの人に知ってもらうこと、そのために何をすべきか、それが勝負だと思う


 午後からは、許すな!憲法改悪市民運動交流集会。全国24都道府県から、改憲や戦争に反対する市民運動のなかまが全国からあつまり、情報と意見交換だ。私は、北海道でも米軍再編が具体化しつつあることー千歳での米軍訓練の開始や小樽、石狩湾新港への米軍艦船のあいつぐ入港、矢臼別での自衛隊と米軍の合同訓練など。米軍に対するアレルギーをなくしていこうとの狙いだろうーその実情を報告した。そのほか、愛知、大阪、岩国、沖縄など、現地報告を聞き、夜のシンポジウムへ参加。

 このシンポ「9条を世界へ 世界から」と言うテーマで今年5月に開催予定の「9条世界会議」のプレ企画として行なわれた。400人くらい参加で、会場の日本青年館ホールは満員だった。この報告は明日にして、もう寝ることにしようと思う

ブルブル!寒いよー。

2008年02月14日(木) 1時00分
今日は朝起きたら、雪だった。ごみを捨てに外へ出たら、両隣りは雪かき終了し、きれいになっていた。なので、あわてて、私も除雪。さらさらの雪で重くなのでそれほど大変ではない。しかし、寒い。
それにしても、雪国ゆえのこの作業だし、灯油の値上がりで、節約節約ー部屋の温度はつねに18度くらいにしている。値上がりは市民の生活にきつい、しかし、ガンガンとストーブを燃やし、半そで着て、冷たいビール飲んだり、アイスクリーム食べたりの北海道的暮らしの見直しはいいことだ。交付税に除雪費も算入されているとはいえ、札幌市の除雪費は毎年100億円をくだらない(と思う)。道路特定財源が廃止になると、除雪にも支障をきたすといわれているが本当だろうか。道路財源については、議員のときから、一般財源化すべきと主張してきた。しかし、市の建設局などからは道路特定財源制度堅持の意見書を国にだしてほしいとよく、依頼された。制度維持に賛成したこともあったかもしれない。しかし、とりわけ暫定税率を10年間維持し59兆円を道路予算として使うなんていうのはべらぼうな話ではないか。道路財源維持かガソリン値下げかという議論ではなく、社民党が主張している、総合交通政策のなかで、道路をどうするか、公共交通をどうするか、クルマ社会をどうするか、そのうえで、道路にいくら、公共交通にいくら、など決めていくことが筋ではないだろうか。

道路ありきの、暫定税率は廃止、特定財源は一般財源化で自治体が責任をもって交通政策を考え予算を使えるようにするべきだと思うのだが。

 

集会の連続

2008年02月12日(火) 21時59分
連日集会が続いている。政治があまりにひどいから、市民が手弁当で駆け回っている。沖縄では女子中学生が米兵に暴行をされたと報道があった。またしても、女性の人権を踏みにじる事件が起こった。13年前の悲惨な事件を想起させる。これまで一体何件の犯罪が起こされ何件が闇から闇へ葬り去られただろうか。米軍基地があるかぎり、基地周辺住民の不安は消えない、にも関わらず、岩国市長選挙では、米艦載機訓練移転に反対してきた前市長井原候補が敗れた。市民は、米軍再編交付金やそのほかの補助金を選んだ。苦渋の選択だったのだろうか。井原市長の胸中を考える。無念としかいいようがない、あめとむちで自治体の頬を札びらはたくような政治をはずかしいと思うとともに、怒りで一杯だ。長いものにまかれろはごめんだ。

11日は紀元節ー建国記念日だ。例年のように、     
紀元節復活反対道民集会に参加した。ジャーナリスト
斎藤貴男さんの講演。米軍再編と改憲、教育基本法改悪、監視社会などがひとつの大きな潮流となって日本が変質していこうとしている、
斎藤さんはもはや時間は
あまりないと警鐘をならされた


 2月9日は、千歳市で、米軍機の飛行訓練移転に反対する集会が開かれた。沖縄大学の新崎盛輝さんの講演や、沖縄辺野古でがんばっている命を守る会の海上阻止行動のDVDも見た。
220名が参加して、千歳での米軍飛行訓練に反対の声をあげた。新崎さんは、米軍は千歳にくるな!
というがでは沖縄でいいのか、そのことを考えてほしいと言われた。また、各地での飛行訓練は大きな米国の世界戦略のなかで位置づけられていることであり、千歳だけの問題ではないことも指摘された。
沖縄から、日本から、世界から米軍基地が撤去されることが
求めねばならないと思った。
プロフィール
名前:山口たか
2008年02月
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