記者の目

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

記者の目:中国の矛盾露呈 五輪聖火リレー=飯田和郎

 「興隆する中国」を世界に見せつけるはずだった北京五輪の聖火リレーは、中国指導部の思惑と正反対の結果を残し、地球1周を終えた。リレーは2日の香港を皮切りに国内コースに入るが、歓迎一色とはいくまい。噴出したナショナリズムと過剰なまでの警備の緊張感が重なり合うはずだ。胡錦濤国家主席は6日からの訪日で、このような事態に至った背景と理由をどう語るのだろうか。

 聖火リレーの混乱を見ながら、私はダライ・ラマ14世と会見した7年前を思い出していた。01年7月16日。インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府を訪ねた私は、ダライ・ラマに最初にこう質問した。

 「北京での五輪開催が決まりました。どのような感想をお持ちですか」

 その前々日、経由地ニューデリーで見たテレビは、08年夏季五輪の誘致成功に狂喜する北京市民の様子を映し出していた。ダライ・ラマはにこやかに答えた。「中国は悠久の歴史、国土や人口の規模において、五輪を開く資格を持ちます」

 中国と対峙(たいじ)してきたチベット仏教最高指導者の反応だけに意外な印象を受けたが、ダライ・ラマは私の顔を見ながら付け加えた。

 「開催まで7年。それまでに国内の人権状況を改善する責任が北京(中国政府)にはあります」。チベット自治区ラサでの暴動から始まった一連の混乱を、ダライ・ラマが予言していたようにさえ思えてくる。

 英語を自在に操り、時にユーモアを交え、時に中国を指弾する様は生き仏という存在だけではない。したたかな政治家にさえ思えてくる。チベット擁護の声が欧米を中心に高まったのは、国際世論を味方にするダライ・ラマの個人的魅力と無関係でない。

 ただ、「祈りに生きるチベットの人々と、彼らを虐げる中国」の構図が世界で広がったのはそれだけではあるまい。

 私はチベット暴動、聖火リレーへの対応にこそ、中国が抱える最大の問題が露呈したと考える。

 中国側の言い分に首をかしげる場面が2度あった。彼らは「反中国」的な行動を起こしているのは「ごく少数の者」と言う。そして、コースが大幅変更された米サンフランシスコでのリレーについて、中国の周文重駐米大使は「成功だった」と評した。そうだろうか。

 いずれのケースも中国自身がそうではないことをよく知っているはずだ。だが、口に出せない「自己流の解釈」にこそ、中国社会のいびつさを感じる。

 中国では「国際標準(スタンダード)」という言葉がよく使われる。規範を国際社会に通じる水準にしようという、国を挙げての目標でもある。だが、国際標準にほど遠い自己流を貫かざるを得ない現実に、中国の弱点が見えてくる。

 「最高経営者がダライ・ラマを金銭支援している」との誤情報を疑うことなく、狭量な民族主義が燃え上がった。そして同じ方向を向いた大衆が仏大手スーパー「カルフール」の不買運動を展開する様子こそ、社会の未熟さ、危うさを多くの外国人に植え付けた。

 そんな光景は05年4月の「反日暴動」に例えられるが、主に日中2国間の出来事だった3年前と違い、世界中が注視する今回、中国のイメージはより傷つけられたかもしれない。

 もちろん、当局も事態を深刻にとらえ、抑制に動き出したが、無理に制すれば、矛先は当局に向かう。この国が抱える矛盾は貧富の格差や腐敗の横行だけではなく、問題の根源はここにあると思える。

 ただ、私は時に自分たちの物差しをそのまま中国にあてはめようとする欧米の価値観にはくみしない。例えば13億人が毎日3回きちんと食事を取ることも重要な人権と考える。ほんの数十年前、無数の餓死者を出した中国で、「食」が基本的に解決されたことは評価すべきだ。隣国に好奇の目を向けるだけでよいだろうか。こわもてを演じる事情を知る必要もある。

 チベットで何が起きているのか。人権団体や亡命政府側、中国当局側の言い分は大きく異なり、私には真実はわからない。確かなのは、中国はダライ・ラマから7年前に突きつけられた課題に対処せず、今日の事態を招いたということだ。

 今、世界が改めて問うのは、五輪開催国にふさわしい振る舞いが中国にできるかどうかだと思う。

 答えるのは胡錦濤主席にほかならない。容易に「反日の嵐」が吹き荒れる対象の日本だけに、中国国民の視線も気にするだろう。間接的な表現になるかもしれない。胡主席が来日中に発する言葉からくみ取る努力も、私たちは求められる。(外信部)

毎日新聞 2008年5月2日 0時22分

記者の目 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報