メドヴェージェフ
                                       中澤孝之


    ◎次期ロシア大統領はユダヤ系
  -プーチン後継の知名度を上げるクレムリンの周到かつ巧妙な筋書きー

 
ロシアでの政権交代に関連して、プーチン大統領が前任者エリツィンによって後継者に指名された当時のことを思い出す。プーチン連邦保安庁(FSB)長官が99年8月9日に首相代行に任命され、1週間後に首相に就任した。同時に、エリツィン後継者と指名されたが、当時は「クトー・プーチン(Who is Putin)?」といわれた。つまり、彼の名前はほとんど知られていなかったのである。
 
ロシアの大統領は直接選挙で選ばれる。候補者はまず全国の有権者に名前を知られなければならない。7カ月後の大統領選挙を控え、プーチン候補の知名度を上げるために、選挙で確実に勝つために、クレムリンは何をしたのか。周知のように、第2次チェチェン戦争を開始したのだった。
 
それは99年9月のことだった。アパート爆破事件がモスクワなど各地で起き、全ロシアを震撼させた。合計300人近くが犠牲となった。99・9テロである。事件は即座に、チェチェン人テロリストの仕業であると決めつけられた。これが再びチェチェン戦争を始める口実となった。その先頭に立ったのが、ほかならぬプーチン首相だった。連日、テレビはじめ全国メディアが大々的に事件を報じ、プーチン首相が登場して、彼の名前が広く知れ渡った。翌年3月の大統領選でプーチン候補は楽勝した。
 
06年11月にロンドンで毒殺されたアレクサンドル・リトヴィネンコ元FSB中佐と在米歴史学者ユーリー・フェリシチンスキー氏が共著「Blowing up Russia(邦題「ロシア 闇の戦争」07年6月出版・光文社)」で詳しく立証したように、99・9テロ事件はFSBの自作自演(エリツィン政権の暗黙の承認による)であった可能性が大きい。
 

筆者は、プーチン後継の場合、その知名度を上げ、大統領選で確実に勝利するために、いったいクレムリンはどのような手段を講じるのかを特に注目してきた。チェチェン情勢が落ち着いた昨今、エリツィン政権のように、戦争やテロ事件といった荒っぽい方法に訴えることはできない。
 
そこで編み出した妙案が、抜きん出て信頼度の高いプーチン大統領自らを与党「統一ロシア」の比例名簿のトップに据えて07年12月の下院選を圧勝に導く。その上で、国民からの高い支持(今回は7割の議席を獲得)を得た同党が中心となって(今回はさらに、「公正なロシア」「農業党」「市民の力」の3党が加わった)、後継者(今回はドミトリー・アナトリエヴィッチ・メドヴェージェフ第一副首相兼ガスプロム会長)を推薦し、プーチン大統領がこれを承認するという巧妙な筋書きである。プーチン大統領と与党のお墨付きをもらったメドベージェフ候補が、今年3月2日の大統領選挙で他の候補を抑えて当選するのは間違いない。
 
プーチン大統領が05年11月にメドベージェフ氏を大統領府長官から第1副首相に任命した後、優先的国家プラン(国民の生活に直結する住宅、教育、医療、農業)担当にしたのは、有権者の目に多く触れさせるためだったのではないか。事実、メドベージェフ第1副首相は同プランの遂行に当たり全国各所を視察し、その姿がテレビなどのメディアで報じられた。彼の知名度が次第に高まり、世論調査でもほどほどの信頼度を得ていた。
 
昨年1月ダボスでの国際経済会議で、アナトーリー・チュバイス氏(ロシア統一エネルギー機構社長)が外国関係者に、同席していたメドベージェフ第1副首相を「次期大統領候補」と紹介し、しかも、かなり自信ありげに「彼は次のロシア大統領になるだろう」と断言したことが思い出される。クレムリン内部事情に詳しいチュバイス氏の予言は見事に的中した。
 

さて、12月2日の下院選挙8日後(10日)に、プーチン大統領の後継者に正式に決まったメドベージェフ第一副首相(42)は、応接室の入り口にロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の肖像写真を飾っているという。確かに口髭と顎髭を蓄えれば皇帝そっくりだ。学生時代、彼はハードロック音楽や、重量挙げ、カヤックに凝っていたという。水槽で魚を飼うことが趣味だとか。
 
彼のクレムリン内のあだ名は「ヴィージリ(大臣、高官)」だ報じられている。身長はロシア人にしては低く158センチ(161センチ説も)。167センチ(来日の際日本側に提出した資料による。170センチ説も)のプーチン氏(55)がメドヴェージェフ氏を弟のように格別愛顧していた理由は、この身長差にもあるといわれる。ちなみに、元大統領エリツィンは189センチの大男だった。
 
プーチン大統領はメドヴェージェフ氏を「ジーマ(あるいはミーチキ)」という愛称で呼んでいる。プーチン大統領の愛称は「ワロージャ」だ。ついでながら、プーチン、メドヴェージェフ両氏は「仕事のうえでの付き合いは17年にも及ぶ」(プーチン大統領)とのことだが、学生時代のメドヴェージェフ氏を「密告者」にリクルートしたのが当時KGBに勤務していたプーチン氏だったとの噂がロシア国内で流れている。


ところで、ロシアを象徴する動物と言えば、熊である。ロシア語で、メドヴェーチという。メドヴェージェフ氏の姓の語源はメドヴェーチに由来する。いかにもロシア人らしい名前だ。日本ならさしずめ、熊田、熊木、熊本、熊倉などの姓名に匹敵する。
 
メドヴェージェフという名前のロシア人は珍しくない。ソ連時代に反体制派だった双子兄弟、ロイ(歴史学者)、ジョーレス(生化学者・ブレジネフ政権に国籍を剥奪された後現在もロンドン在住)は知る人ぞ知るだ。また、ドミトリー・ニコラエヴィッチはチェキスト(秘密警察)出身で、対独戦争の際パルチザンとして活躍、スターリン時代のソ連邦英雄だった。ユダヤ人百科事典全3巻(97年刊行)に掲載されている彼らはいずれもユダヤ系である。
 

筆者はメドヴェージェフ次期大統領候補の出自に関心をもった。昨年12月10日統一ロシア党大会でのメドヴェージェフ氏のプーチン後継決定直後に、インターネットで調べると、実は彼もユダヤ系ロシア人であることを発見した(ロシア非公式サイトのほか、チェチェン独立派やイスラエルの複数のサイト[一部はメドヴェージェフがユダヤ教本部を訪問したときの写真入り]で確認したが、有力情報源のエストニアのサイト[の記事のみ]は3月現在、削除されたまま。ロシア情報当局の工作ではないかと疑われている)。
 
父親はアナトーリー・アファナシエヴィッチ・メドヴェージェフ(04年に没)、母親はユーリヤ・ヴェニアミノヴナ(旧姓シャポシニコワ[ベルマン説も]と名乗っているが、父親の実名はアアロン・アブラモヴィッチ・メンジェリ、母親の名はツィーリャ。両親ともにユダヤ人の名前である。ただし、パスポート(身分証明書)では、父親はロシア人で、母親はユダヤ人だという。
 
その息子のドミトリー氏のユダヤ名は「ダヴィド(メナヘム説も)・アアロノヴィッチ・メンジェリ」であることが明かされた。公式には、ドミトリー氏のナショナリティはロシア人で、宗教はロシア正教信徒となっている。メドヴェージェフ氏は2月下旬発売の週刊誌「イトーギ」とのインタビューの中で、23歳のときに、自らの意思で、洗礼を受けたことを明らかにしている。また、この会見の中で、母方の曽祖父たちの名前を挙げてユダヤ系であることをにおわせ、皮革帽子製造,鍛冶屋といった職業(ユダヤ人に多い)を明言したが、ユダヤ系(自身を含め)かどうかは明らかにしていない。
 

イスラエルの帰還法では、母親がユダヤ人であれば、その子供もユダヤ人と規定されている。したがって、ロシアにユダヤ人大統領が誕生することになる。ロシアの最高ラビ、ベルル・ラザール氏が早速、メドヴェージェフ氏を高く評価する発言をしたのも理解できる。ちなみに、夫人のスヴェトラーナ・モイセエヴナさんもユダヤ系(いかにもロシア女性らしいふっくらした体格の写真をインターネットで何葉か見ることができる。「将来のファーストレディ」というキャプション付きも)で、旧姓はリンニクだった。メドヴェージェフ夫妻の息子(11)はユダヤ系と分かるイリヤと名付けられた(作家イリヤ・エレンブルクは著名なユダヤ系)。
 
歴史上ロシア民族以外の出身者がロシアを統率した顕著な例は、女帝エカテリーナ2世(ドイツ人)、スターリン(グルジア人)などがあるが、革命の父レーニンやソ連共産党書記長だったアンドロポフにもユダヤ人の血が入っていた。ガイダル元首相代行、プリマコフ、キリエンコ各元首相、フラトコフ前首相、そして野党指導者、ジリノフスキー自民党党首、ヤヴリンスキー・ヤブロコ代表らも同様だ。だからユダヤ系大統領が誕生しても不思議なことではない。

 ただ、ロシア人の中には今なお、伝統的な反ユダヤ感情・偏見がくすぶり続けている。早くも、ユダヤ系大統領を戴くことへの不満や嫌悪感を吐露した意見が保守系のサイトなどで散見される。ロシア至上主義、愛国主義的風潮が高まっているだけに、ユダヤ系大統領の出現が新たな民族問題に発展する可能性がないとは言い切れない。 

なお、2月後半になってようやくロシアの主要紙「モスクワ・タムイムズ」電子版(2月20日)がこの問題を初めて論評し、イスラエル紙「ハーレッツ」(22日)が「モスクワ・タイムズ」を引用する形で、メドヴェージェフ・ユダヤ人説を初めて取り上げた。続いて、米国AP通信社と英国ロイターズも相次いで、ロシアの民族主義者たちがユダヤ系大統領の誕生に異議を唱えているとの情報を報じた。通信社電はイスラエル紙に掲載された。メドヴェージェフ氏の大統領当選後、本邦メディアの論評には、ユダヤ人説に触れたものが見当たらないが、新大統領のハンディキャップの一つとして留意すべきであろう。

今年はイスラエル建国60周年の節目の年であり、5月15日の式典には、イスラエルの最初の承認国の一つソ連の後継国ロシアのメドヴェージェフ新大統領とプーチン首相が招待されるに違いない。その前後に、改めてメドヴェージェフ・ロシア人説がクローズアップされるかもしれない。また、米大統領選挙で民主党候補のオバマ氏が共和党のマッケイン氏に勝利すれば、米国に黒人系、ロシアにユダヤ系という史上初の異色大統領が誕生することになり、両者の顔合わせは民族的な観点からも注目されるであろう。                                 (了)


 
# by nakatakat | 2008-03-20 12:19 | Trackback | Comments(0)
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