春のモワーン
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【暫定税率復活】で、
今日からガソリンの値段が上がってしまった!!
すごい・・・。やっぱりすごい・・・。
我が愛車ビートル君は、「ハイオク」をお召し上がりになる上に、燃費が悪いヤツなので、駆け込み給油で「満タン」にしても、ちょいと忙しいスケジュールをこなすと、
「えぇぇ??1日で、こ、こんなに減っちゃったの??(マスオさん風に)」
という感じである。
ガソリンを減らないように減らないように・・・・と心掛けようとしても、やはりその日その日のスケジュールがあるし・・・。
やがて、車に乗るのはゼイタクだ!という時代が来るのか?みんな車に乗らなくなれば、排気ガスも減り、地球にやさしい??
じゃ、車に代わる「移動手段」って??
「車」は、昔で言えば、「馬」??
真っ白なサラブレットにまたがって、パカパカ街中を駆けながら、檀家さん宅へお参りに回る「暴れん坊将軍」風の自分を妄想する私・・・・。
パカパカパカパカ・・・・・ヒヒ~~~~ン!!!
「ばあちゃん、お参りに来たよ!(と、馬の上から飛び降りる)」
・・・・お参りが終って、
「ばあちゃん、またな!(馬にまたがる) さ、いくぞ!!(ペシッ!)」
ヒヒ~~~~ン!パカパカ・・・・・ヒヒ~~~~ン!!(小さくなっていく私)
カッチョいいけど、あり得ない・・・・。
それにしても、ガソリン。。。
25歳の頃、「ディアマンテ」に乗って運転し始めた頃、僕の地元では
レギュラー78円 ハイオク89円
だったのを思い出す。
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「京都」に行ってきたことなど、もうすっかり「夢」だったような日常に戻り、
今朝、朝のお勤めが終ったあと、僕は、家の中のカレンダーすべてをめくって(破って)歩いた。
明日から5月。
「2ヶ月で1枚」のカレンダーは、明日から「5月と6月」の面になる。月が改まって1週間くらい過ぎても、まだ前月のままのカレンダーだと、気持ち悪い・・・。いつも月末の最後の日の朝にめくるクセになってしまった。
でも、ビリッとカレンダーをめくり、「5月」という月が見えた瞬間、ちょっとだけひるんでしまった。
5月は結構忙しい。
「BOSANソングライターKONO」として高校でライブ(お話)に行ったり、お坊さんとして「法話」をしたり、人前で発表する機会が6回もあるのだ。
大丈夫かな?準備をしなければ・・・・。
とりあえず、京都の披露宴で、人前で歌うという「リハビリ」は済ませてきたので、あとは、「中味」を整えることとしよう。
あと、5月は39歳になるなぁ・・・。
「さんじゅうしち☆はち」という僕の年齢も終ってしまう・・・・。
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現在、関西空港から京都に向かうJR車内。
暗闇の窓の外に流れる大阪の街の景色を見つめる。
ネオンが見える。
マンションが見える。
密集する住宅が見える。
家の中に洗濯物がぶら下がっているのが見える。
オフィスではまだ残業中か。
居酒屋の灯り。
自転車で帰る学生さん。
コンビニに立ち寄るカップル。
マンションのホールを乳母車を推しながら歩く若奥さん。
通過する駅のホームでケイタイを見つめるOLさん。
………色んな風景が一瞬で過ぎていく。
僕はその「一瞬」の景色の中に、色んな想像(妄想)をする。
あの歩いているサラリーマン風の人はどんな1日だったか?
俺はあの人と一生知り合いにならないんだろうな。
あの居酒屋のノレンをくぐったらどんなものが食べられるか?
あのオフィスで残業してる人、疲れてないかな?
あの女性と付き合うことは絶対ないなぁ(笑)
あの灯りのお宅では何のテレビ見てるかな?
「一瞬」の風景に何かを見つけたくて、僕は窓の外を眺め続ける。
飽きない。
でも、ふだん北海道の田舎にいる世界の「小ささ」を感じる。
知り合いにすらなれないたくさんの人が、広い世界が、窓の外を流れていく。
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「お前のいる環境で感じる苦労なんてたいしたことない、甘えるな!バカタレ!」という批判にあえて耳をふさぎ、
私KONOなりの甘っちょろい世界の中で感じてきた想い。
振り返れば、色んな事を断念してきた。
楽しみにしてた予定もアキラメてきた。
「どこかに一緒に出掛けよう」という守れない約束を重ねてきた。
どこにも動けない日々の中で、どこかへ出掛ける友達に対しての羨ましい気持ちを必死に抑えながら、目の前の事に懸命に取り組んできた。
自分が背負っている「環境」が理由で「回り道」をしたとしても、そんな自分自身をミジメだと思うことだけはしないように、ツッパッてきた。
体調が思わしくない状態が続いてもそれを「ストレス」とは言いたくなかった。
そんな日々の中で、自分自身の喜怒哀楽を見つめながら、そのままを引き受け、受け入れようとした。
それしかなかった。
そんな自分の「情けなさ」に気づきながら、「自分の事として」仏教を学んできた。
でも、
何も理解しちゃいなかった。何も引き受けちゃいなかった。
だって、
今、
こんなふうに
愚痴っているから。
でもさぁ、
受け入れないままに、受け入れてるのかもしれないなぁ。
ココロは揺れまくっても、私という「存在」は一切を引き受けながら、おとずれる場面を生きているから。
枕経で「ご遺体」の前に座る。
横たわる姿が、
びくとも動かないその姿が、
ゴチャゴチャ愚痴る僕のそれまでのココロを一番黙らせてくれる。
無言の迫力が、ゴチャゴチャ愚痴る僕を一蹴する。
イレギュラーに、容赦なく入る「葬儀」は、やはり、そんな落ち着かない「私のため」にあるんだ。
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