ドクターから見た病気の話
- 胎盤早期剥離について 産婦人科 鈴木秀文
- お産を扱う我々産科医が最もおそれる病気の一つに胎盤早期剥離(たいばんそうきはくり)という病気があります。胎児はもちろんのこと、進行すると母体の命まで奪う可能性がある病気です。最近はマタニティ雑誌などにも医学的な知識が詳しく書かれていますので、名前ぐらいは聞いたことがある方も多いでしょう。しかしその本当のこわさは患者さん自身と患者さんを目の当たりにした医師でないとわからないと思います。
胎盤はご存じのように子宮の壁に張り付いていて、お産が終わるまではへその緒(臍帯)を通じて胎児に酸素と栄養を補給しています。赤ちゃんが生まれると、その後自然に子宮から剥がれてきます。これが後産(あとざん)と呼ばれるものです。
- ところが胎盤早期剥離という病気では、まだ赤ちゃんが子宮の中にいるのに、胎盤が子宮から剥がれてくるのです。胎盤が剥がれると子宮の壁から出血し胎盤後血腫という血の塊が形成されます。
- お産の最中におこることもあれば、まだ臨月にもなっていない時に突然おこることもあります。胎盤が子宮から剥がれてくると、胎児への酸素と栄養の供給はストップしてしまいます。剥がれる面積が小さいうちは胎児は何とか生きていますが低酸素のため弱ってきます。広い範囲で剥がれると胎児は死んでしまいます。
- 胎盤後血腫のために母体の血液の状態が変化して、血が止まらなくなることがあり、出血のために母体の生命を奪うこともあります。
- 自覚症状はまず腹痛です。強いこともあれば弱いこともあります。典型的には動けなくなるぐらい強い腹痛があり、お腹は板のように硬くなります。
- また性器出血がみられることもあります。これは多いこともあれば少ないこともあり、また全く無いこともあります。
- また胎盤早期剥離のために胎児が弱ってくると、胎動が減少または消失します。
- 要するに腹痛や出血や胎動の減少などが胎盤早期剥離の症状ですが、どれも決め手になるものが無く、切迫早産や通常の陣痛と区別がつきにくいこともしばしばです。
- 上記のような症状があった場合には必ず診察を受ける・・・早期発見するにはこれしかありません。
- 診断するためには胎児の心拍をモニタリングする必要があります。超音波で胎盤後血腫が見られれば診断は確実ですが、はっきしないことがむしろ多いようです。
- 妊娠9〜10ヶ月の妊婦さんは胎動がしっかりあるかどうかに注意して下さい。胎動がしっかりとあれば赤ちゃんは元気であることに間違いありません。胎動が少ないと感じたら危険信号です。この時も必ず診察を受けて下さい。(よくマタニティ雑誌などには「陣痛が近づいてくると胎動が少なくなる」と書いてありますが、胎児が弱っているために胎動が少なくなることもあります。陣痛が近づいてきても2〜3時間に10回程度の胎動があるのが正常です。)
- 非常にこわい病気なのですが、いつ、誰におこるのか全く予想ができないところが我々をさらに悩ませます。いかに医学が進歩し超音波などの機械が発達したとはいえ、この病気を予測することは未だに不可能です。強い妊娠中毒症がある場合におこりやすいといわれていますが、実際には中毒症と関係なくおこってくることもめずらしくありません。
- 患者さんにしてみれば、「きっちりと妊婦健診を受けているのになぜ予測ができないの?」と言いたくもなるかもしれません。しかし残念ながら予測は不可能ですし、適切な予防法もありません。おこった場合にできるだけ早く診断して帝王切開を行うことが我々にできる最善の道です。かりに来院された時にすでに赤ちゃんが死んでいたとしても、直ちに帝王切開で胎盤及び胎盤後血腫と胎児を子宮から取り出さないと、母体に危険がおよびます。
- この病気はおよそ200〜300人の妊婦さんに1人ぐらいで割合で発症します。胎盤の剥がれる面積が小さかったり、進行がゆっくりであれば赤ちゃんもお母さんも無事助かる場合もありますが、来院時にすでに胎児が弱りきっていると、生まれても脳に障害が残ることがあります。脳は胎児の体の中で最も低酸素状態に弱いのです。
- 福井愛育病院での分娩記録を見てみますと、程度のごく軽い例をのぞいて過去5年間に8例の患者さんが胎盤早期剥離を起こしています。そのうち5例の方は幸い赤ちゃんも母体も元気なうちに帝王切開で出産されました。しかし2例の方は残念ながら来院時にすでに胎児が死亡していました。また帝王切開により胎児は生きた状態で生まれたものの、低酸素のため脳に障害を残すことになった例が1例あります。幸い母体死亡に至った例はありませんでした。
- 胎盤早期剥離は予測が不可能な病気の代表格です。気になる症状があれば、自宅で様子を見ることなく病院に連絡しましょう。