2008年1月13日 (日)

17世紀に身を置き18世紀を支配した人

アメリカでは毎年と言っていいほど、銃の乱射による事件が後を立たない。

昨年の4月にバージニア工科大学で起きた銃による乱射では、32人もの教員や学生たちが殺された。また今から8年前に起きたコロラド州立高校の銃乱射を覚えている読者も多いだろう。

大規模な乱射事件が起きるたびに、アメリカ国内では銃の規制を立法化しようという声が上がるが、いつのまにかそれらの運動が中途半端に終わってしまう。

「アメリカ人ってなんて野蛮な人種なんだ!」って思われる読者も多いだろう。あるいは銃規制に反対する全米ライフル協会は、「なんて力のある圧力団体なんだ!」って思われている読者もいるかもしれない。

ところが、この銃規制が進展しない本当の理由はもっと別のところにある。

このことを知っている日本人って案外少ないのではないだろうか。

アメリカが銃規制を断行できない理由は、銃規制が民主主義の根幹にかかわる問題だからなのである。

「えっ!なんで平和な民主主義が銃と関係あるの???」って思われる読者も多いと思う。

そう思われて当然である。というのは、

我々日本人が学校で教わってきた民主主義と、アメリカ国民が学校で学んできた民主主義がまったく違うからなのである。

端的に言うと我々日本人に見える民主主義の風景とアメリカ国民に見えている民主主義の風景が違うのである。

ちょっとむつかしいと思うので、たとえをつかって説明しよう。

たとえば、健康。

我々は健康というと、あたかも健康という「物」が存在しているように考えがちであるが、健康という「物」が存在しているわけではない。

健康をどのようなものであるかという捕らえ方、考え方なのである。

健康の見方には二通りあると思う。

一つは外側から見た健康。

顔色が良く、元気ハツラツで、ご飯もおいしく食べられる。身体のどこにも痛くはなく、自由に動かすことができる。このような状態を外から見て、健康の存在を実感する人もいるであろう。いわば外面から見た健康である。

これと同様に、日本人は外側から見た「状態」として民主主義をとらえる。

憲法が存在し、司法、行政、立法の三権に権力が分離され、普通選挙が行われて、、国民が選んだ人たちによって国会で法律が作られていれば、民主主義の国家であると日本人は考える。

もう一つの見方は、内側から見た健康である。

健康というのは、外側から見ただけではわからない。元気ハツラツで顔色も良く、ご飯もおいしく食べられたとしても、ひょっとしたら身体の内側では、脂肪が内臓にびっしりとへばり付き、高血圧で、血はドロドロになっているかもしれない。こんな状態であれば、けっして健康とは言えないだろう。適度な運動をして節制をこころがけ、適度な体重を維持し、体内では血がサラサラに流れて、はじめて健康と言える。その結果として、外側からみた血色の良さや、元気ハツラツで、おいしく何でも食べられるということなのである。

アメリカ国民の民主主義の見方はこれに近い。

アメリカ国民は民主主義を内側から見る教育を受けてきているのである。それはずばり言うと、民主主義の精神を学ぶということである。

アメリカ国民は民主主義の精神が国民一人ひとりに行き渡り、各個人がそれにしたがって行動することにより、はじめて健全な民主主義の社会が実現されると思っている。

彼らはその結果として、憲法や三権分立や議会政治があると考えているのである。

だからアメリカ国民は、議会のシステムや憲法、選挙制度といったことを学ぶ前に、民主主義のバックボーンにある思想や、民主主義社会にいたる歴史といったことを学ぶことがより重要だと思っている。

日本の民主主義とアメリカ合衆国の民主主義は表面上は似ているが、アメリカ国民にはあるべき姿の民主主義の風景が我々日本人とはまったく違って見えているのである。銃規制ひとつをとっても、日本人とアメリカ国民の民主主義の考え方が違うのは当然のことなのかもしれない。

我々日本人は高校生のころに、倫理社会(いまはこう言わないのかな?)で、日本国憲法や国会のシステム、三権分立の制度などを学ぶ。わずか5~6時間の授業でこれらのことを学習し、これが民主主義のすべてだと思っている。

片やアメリカ国民は、民主主義の精神がすべての国民に行き渡らせなければならないと思っている。だから彼らは小さい頃から歴史の中から民主主義の思想の変遷を教え、民主主義の精神を心の奥深くに植え込もうとする。

アメリカ国民が学校で子供たちに費(つい)やす民主主義教育の時間は日本の比ではない。

オジサンのブログ記事「歯止め」でも紹介したが、アメリカ国民は子供たちが幼稚園にあがる年齢になると、民主主義の思想が凝縮されているリンカーンのゲティスバーグの演説や、トーマス・ジェファーソンの独立宣言書などを暗唱させられる。そして高校生になるまで、ヨーロッパの民主主義にいたる歴史や、独立戦争における歴史を徹底的に繰り返し教えるのである。そうすることによって子供たちに民主主義の精神を注入していく。

アメリカ国民は、国民一人ひとりに民主主義の精神が根付くことによって、民主主義社会が健全に維持されていくと考えているのだ。

アメリカの大学には初等科の数学のコースがあるという。

大学に入学したばかりの生徒の中には簡単な代数の計算すらできない学生がいる。初等科の数学コースはそれを補うためのカリキュラムである。アメリカでは小学校、中学校、高校の算数や読み書きの時間を削ってでも、この民主主義の歴史を教えるためにこのような学力不足の生徒たちがでてきてしまうからだ。それくらい彼らは民主主義教育に時間をかけるのである。

以前、「徘徊する怪物」というオジサンのブログ記事に、アノーピさんというアメリカに在住の日本人の方からコメントをいただいたことがあった。アノーピさんにはハイスクールに通う息子さんがおり、息子さんは三権分立を提唱したモンテスキューの「法の精神」を学校の授業で読んでいるとおっしゃっていた。

日本ではモンテスキューは、「モンテスキュー」 → 「法の精神」 → 「三権分立」 という具合に、言葉の連想ゲーム的程度にしか学校で教えないと思う。「法の精神」を読ませる学校はほとんどないのではないだろうか。そんなに詳しくつっこんだら、日本では広く浅く知識を求められる穴埋め形式の大学入学試験に合格しなくなってしまうからだ。

アノーピさんがおっしゃるには、息子さんの民主主義教育はそれだけではない。民主主義の重要性を学ぶために、第二次世界大戦で命をかけて戦い、民主主義を守り抜いた退役軍人の慰問もしていると教えていただいた。このようにアメリカでは、日本では考えられないような膨大な時間をかけて、歴史の中から子供たちに民主主義の精神を教えるのである。

これはオジサンの経験からであるが、不思議なことに我々日本人であっても、彼らのように民主主義を民主主義の精神の中でとらえるようにすると、民主主義というものがまったく違って見えてくるのである。

このような民主主義の捕らえ方をすると、銃規制の問題だけでなくアメリカという国がいま世界でどのようなことをしようとしているかが見えてくる。それだけではない。今日本で起きている不祥事などが、実は民主主義の根底を揺るがす重大な問題であることがわかってくる。現在の日本は憲法を持ち、三権分立がなされ、議会政治が行われており、表面上は民主主義国家のように見えるが、実際には内側に流れる血液はドロドロで、内臓には脂肪がびっしり張り付いて、メタボリック症候群に陥っていることに気付くはずだ。

そこで本日は、みなさんといっしょに、アメリカ国民と同じように民主主義を民主主義の精神の中で見ていきたいと思う。

これによっておそらく皆さんにもアメリカ国民と同じ民主主義の風景が見えてくるだろうと思う。

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民主主義の精神がもっとも発揮された時代は、偉大なジョージ・ワシントンと建国の父たちが起こしたアメリカ独立戦争のときである。

だからアメリカ国民はこの時代の歴史を学校で何度となく繰り返し教わるのである。

このころのヨーロッパの国々の王様は強大な権力を持っており、絶対主義と呼ばれた時代であった。17世紀のイギリスの政治哲学者、トーマス・ホッブズはこの権力を聖書のヨブ記にでてくる伝説の怪物、リバイアサンにたとえるほど、当時の王様は強大な権力を持っていた。アメリカ13州はこの強大な権力を持っていた王様から独立を勝ち取ったのである。

民主主義の精神とはなにかをお話する前に、予備知識として、中世の後半から近代の初期までのヨーロッパの歴史の中で、このリバイアサンとも言える強大な権力者がどのように登場してきたかを簡単におさらいしておこう。

えっ、歴史は苦手だって!

大丈夫。オジサンも高校生のころは暗記科目が苦手で、特に歴史は及第点ギリギリだった。

大学入試に合格するためには細かなことを知らなければならないかもしれないが、民主主義のバックボーンを知るためには、そのように重箱の隅をつっつく必要はない。大きな流れを物語のように覚えておけばそれで十分。

それでは中世後半から近代初期までの歴史の物語を語ろう。

ローマ帝国が崩壊したあとのヨーロッパは分裂し、封建領主といわれる非常に多くの権力者たちが群雄割拠していた。そしてその封建領主のためにヨーロッパの人口の九割以上を占める農奴と呼ばれる人たちが土地を耕して農作物を作っていた。

農奴という言葉は世界史の授業で聞いたことがあると思うが、ほとんどの人たちが、農奴とは単純に農業をする奴隷と思っているのではないだろうか。農奴と奴隷は同じではない。

ここでちょっとアメリカに存在した奴隷と中世ヨーロッパの農奴との違いを述べておこう。

実はこの違いがあとになって歴史の流れの中で大きな意味を持ってくるからだ。

アメリカにいた奴隷は家畜と同じだと見なされていた。

だから主人は奴隷たちを意のままに扱うことができた。必要なければ売り払っても良いし、処分しても良かった。1980年代に50%という驚異の高視聴率をあげたルーツというドラマがあった。著者アレックス・ヘイリー氏の自伝的小説をドラマ化したものであった。オジサンと同じ年代か、あるいはそれ以上の世代であれば覚えているかもしれない。アレックス・ヘイリー氏の先祖であるクンタキンテという黒人が、西アフリカで奴隷商人たちに拉致されアメリカに連れてこられ、ある農園主に売られた。クンタキンテはキンテ族の王子で誇り高き戦士であった。奴隷である身分に耐えられず何度か脱走を企てるがいずれも失敗してしまう。そして農園主はこれ以上逃亡を企てないように、クンタキンテの片方の足の甲を切り落としてしまったのだ。こうしてクンタキンテは自由になることを諦め、奴隷として農園で働かなければならなくなってしまった。

その後、クンタキンテは種の保存のために、同じ農園で働く奴隷の女性となかば強制的に結婚させられ、そして女の子が生まれた。こうして奴隷の身ではありながら、愛する妻と娘の3人の幸せな生活を送ることになった。ところがその幸せな生活も長くは続かなかった。娘が成長し働ける年頃になると、農園主はクンタキンテ夫婦から娘を引き離し、市場で売ってしまったのである。

「なんてひどいことを!」って、多くの皆さんは思われるかもしれない。

しかし当時のアメリカでは、このような人身売買を非人道的と思う人はほとんどいなかったのである。

奴隷は家畜として見なされ、人としての一切の権利を持っていなかったからだ。

生まれたばかりの子犬や子猫を親から引き離して、ペットショップで売る感覚だったのである。皆さんもペットショップで売られている子犬や子猫を見て、「かわいい!」って思うことはあっても、「親から引き離されてかわいそう!」とは思わないでしょう。この当時のアメリカも同じ。奴隷が市場で売られても、それを哀れに思う人たちはほとんどいなかったのである。(もっとも現在のアメリカの多くの州では動物虐待であるということで、生まれたばかりの子犬や子猫を親から離してペットショップで販売することは禁じられている。いずれ近い将来に日本でも動物愛護の観点から子犬や子猫のペットショップ販売は禁止されるかもしれないが…)

ヨーロッパの農奴たちも不自由な身分であった。

土地に縛り付けられていたのである。

「お隣の封建領主様の方がやさしい!」からっていって、農奴たちは勝手に他の土地に行って働くことは認められていなかった。アメリカの奴隷たちと同様に農奴は封建領主の所有物であったのである。

ところがヨーロッパの農奴たちにはいくつかの権利が認められていた。

そのひとつは家族をばら売りされないということだった。

アメリカ開拓時代の奴隷にとってもっともつらいことは、愛する家族を引き離されることであった。だから南北戦争後、奴隷たちが悲惨な境遇(奴隷解放宣言のあとでも、元奴隷の地位向上政策は20世紀になるまで行われなかったため)の中で、彼らがまっさきにやったことは引き離された家族を捜し出すことであった。。

それに比べると、ヨーロッパの農奴たちは恵まれていた。

ヨーロッパの農奴たちはあくまで土地とセットと考えられていたので、封建領主であっても農奴たちの家族をばら売りすることはできなかったのである。もし封建領主がどうしても農奴を他の領主へ売らなけれっばならない場合は、土地と農奴の家族をセットで売らなければならなかった。

また、農奴たちは地代として収穫物の何割を封建領主に納めるというように決められていたので、残った収穫物を農奴たちは自由に処分することができた。

アメリカのまったく不自由な奴隷と違い、このように農奴たちには上記の権利が認められていたのであるが、このことがいずれヨーロッパの歴史を動かしていく要因の一つとなるので、こころに留めておこう。

さて、話しを封建領主にもどそう。

非常に多くの封建領主たちは限られたヨーロッパという土地の中でひしめき合っていたいたため、封建領主たち同士の争いごとが絶えなかった。

「隣の封建領主のところの家畜がオレのところの牧草を食べちゃう!」、「隣の封建領主のところを流れる川を堰き止めたので、オレのところに水が流れてこない!」なんて問題が起きていた。

ところがそれらの問題を仲裁してくれる人がいないので、即、実力行使にでたため、しょっちゅう戦争があちこちで起きていた。

そこで封建領主たちは彼らの中で力のある人を仲裁役として選ぶようになってきた。これがいずれ王様となり、封建領主は貴族となって王国を形成して行ったのである。

王様というと、皆さんは非常に強い権力を持った人と思われるかもしれないが、中世の王様はとても弱い立場にあった。ホッブズが言ったリバイアサンからはかけ離れた存在であった。なぜかというと、もともと王様は強い武力で周りの封建領主たちを力ずくでねじ伏せて王様になったわけではない。封建領主たちの中でちょっと大きめな荘園を持っている人が王様として選ばれたからだ。いわば村の庄屋さんのような立場であった。

王様と領主たちは主従関係を結ぶのであるが、この王様と家来の関係は、日本の戦国時代や江戸時代の殿様と家来の関係とは違っていた。

ヨーロッパの王様と家来である領主たちの関係は契約に基づいていた。

日本人の感覚からするとちょっと奇妙に思えるかもしれない。

彼らは詳細に記した契約書を作った。

たとえば、税金としての年貢は出来高の何割とか、戦争になったときは何人の兵隊を出すとか、こと細かに規定されていた。

だから、王様がお隣の王国と戦争をして、「あとちょっと家来が多く兵隊を出してくれれば勝てるのに~!」って思っても、契約以上の人数の兵隊を家来たちに要求することができなかった。あるいは王様の娘が結婚するので、「豪勢な結婚式をしてあげたいのだけど、家来たちはもうちょっと税金を払ってくれないかな~」って思っても、契約以上の税金を徴収することはできなかったのである。このように王様の権力は限られたものであった。

ところで王様と家来の関係が契約によると聞くと、「中世の時代の主従関係はずいぶんドライだったんだなぁ」って思う人がいるかもしれない。

しかし彼らの契約は必ず守られたということを記憶しておこう。

中世ヨーロッパには騎士道というものがあった。この騎士道とは契約によって決められたことはきっちりと履行するということである。ある意味では日本の武士道より信頼できるものかもしれない。

たとえばあだ討ち。

王様と家来の契約にあだ討ち条項があれば、王様が何者かに殺害されたとき、家来は必ずあだ討ちをおこなったのである。それに比べて日本では、戦国時代に主君を裏切って敵方につくことは日常茶飯事だった。日本の歴史上主君のあだ討ちをした例はわずかに二つ。忠臣蔵の赤穂浪士たちと織田信長のあだを討った豊富秀吉だけである。肉親のあだ討ちは数多くあったが、主君のあだをうつことは非常にめずらしいので後世に語り継がれる美談となった。

だから中世の主従関係は契約によって成り立っていたが、けっして希薄な関係ではなかったのである。

余談になるが、この契約という概念はじつは聖書からきている。

キリスト教の聖書をいままで読んだことがない読者の方たちは、聖書には人生の示唆に富んだ話や、愛に満ちた心やすらぐお話といった、ありがた~い言葉が書かれていると思っているのではないだろうか。

それはまったくの誤解である。

聖書は神様と人間の契約書なのである。

旧約聖書、新約聖書の「約」とは、契約のことを表している。旧訳聖書、新訳聖書ではないことにご注意。

特に旧約聖書の中ではこと細かに、神様が人間たちにしなければならないことを預言者を通して書いているのである。「出エジプト記」、「申命記」、「レビ記」といった章を読んでいただければわかるのであるが、祭壇の寸法から着る物、普段の生活の仕方から食べ物にいたるまで、やっていいこととやってはならないことを神様はビックリするくらい詳細に規定している。神様との契約とは、それらの言いつけを守れば神様は永遠の繁栄を保証してくれるが、その言いつけを守らない場合は、罰則として、一族の滅亡をもたらすというものである。

旧約聖書にはとくに古代イスラエルの民が神様との契約を破ったため、悲惨な歴史を歩まなければならなかったことが、これでもかこれでもかというくらいに書かれている。そのためヨーロッパの人々には、契約を守らないとどんなに恐ろしいことが起こるということが脳裏に焼きついたのである。

だからヨーロッパでは、単に人間同士の間に契約の概念が広がっただけでなく、

契約は絶対に守られなければならない、

という契約の絶対性が根付いたのである。そしてこの契約の絶対性が近代にはいって資本主義を生み出す土壌になっていくのである。このことはいずれ宗教ブログに戻したときにまたくわしくお話したいと思う。

さて、中世の王様と家来の関係はこのように契約に基づいた関係で、王様であっても強い権力を持っていなかった。

しかもこの時代のヨーロッパには伝統主義というものがあった。これは過去の習慣、風習は良くても悪くても、かならず守られなければならないというものである。このころになると、王様と貴族たちは定期的な会合を持っていた。これが後に議会となっていくわけであるが、そこでは新しい法律を作るわけでなく、過去の習慣や風習を確認しあう場で、法律は歴史の中から発見するものであったのである。だから当時の王様は会合(議会)でいつも貴族の不満と伝統主義の板ばさみに苦しんでいた。中世の王様はこのように中間管理職のような立場で、ホッブズがリバイアサンと呼んだ絶対的な権力を持つ王様とはかけ離れた存在だった。

ところが永遠に続くかと思われたこの中世の時代を、近代へ大きく動かす出来事がいくつか起きた。

ひとつは14世紀の中ごろに起きた黒死病(ペスト)の流行である。

黒死病は瞬(またた)く間にヨーロッパ中に広まり、多くの人々が死んだのである。この黒死病によりヨーロッパの人口の四分の一から三分の一が減ったと言われている。

この人口激減は結果として農奴の立場を強くすることになった。

封建領主たちは領地内で農奴が働いてくれないと食べていけないのであるが、農奴の人口が減ったため、農奴の機嫌を取らなければならなくなった。「少ない人数で悪いけど、もうちょっと残業して働いてくれないかな?」とかなんとかソフトに言って手なずけようとしたが、「じゃ、年貢の割合を下げろ!」って感じで、農奴たちは地代の引き下げなどを交渉し、相対的に封建領主たちの力は衰えていった。

もうひとつの出来事は11世紀ころから始まった数回の十字軍遠征である。

皆さんも学校の歴史で習ったと思うが、ヨーロッパ諸国はキリスト教の聖地であるエルサレムの奪還を目的に、トルコ帝国に軍隊を送り込んだのである。そこでヨーロッパ諸国が出会ったのはイスラム世界の圧倒的な文化の高さであった。もともと中近東にはギリシャ哲学が継承され、医学、数学、天文学などが発達していた。またトルコ帝国は世界貿易で栄えており、遠く中国の絹織物やインドの香辛料、あるいは美しい陶器などが持ち込まれていた。ヨーロッパ諸国の驚きは、あたかもブッシュマンがニューヨークへ来たときと同じ衝撃を受けたに違いない(この例えちょっ~と古いかな?)。そのようなわけで、十字軍が戦利品として持ち帰ったそれらの高い文化の品々はヨーロッパで珍重されたのである。

当然のことながらやがて、ヨーロッパの商人たちがアラブ諸国へ訪れるようになり、中東貿易が盛んになった。

そして貨幣経済が発達したのである。

この貨幣経済の発達は中世のヨーロッパを大きく変えることになった。

まずこの貨幣経済は、黒死病の流行により、相対的に立場の良くなった農奴たちに追い風となった。

いままで年貢を払ったあとの収穫物は、農奴たちが自由に処分できたのであるが、物々交換経済では、蓄積ができなかった(キャベツを蓄積しても腐っちゃうでしょう~♪)。貨幣経済の普及により農奴たちは貨幣によって富を蓄積することがはじめて可能となったのである。また農奴の中には商才に長けた者がいて、市場の価格が上がるまで待って農作物を売るようになり、大もうけをする農奴もいた。そして稼いだ貨幣を封建領主に渡して、自由になる農奴も現れてきた。

このようにして、封建領主たちは没落し、中世の封建制度が崩れていったのである。

この貨幣経済の発達によってもっとも恩恵を受けたのは王様だった。

もちろん王様も、元は封建領主のひとりであるので、黒死病の流行や貨幣経済による領土内の農奴たちの独立の被害をこうむった。しかしその損失を補ってなお有り余る恩恵があったのである。

それは貨幣経済の発達にともない財力を持った商人たちをバックに付けることが出来たからである。

当時は山賊や海賊がウヨウヨいた。

13世紀の後半にベネチアの商人マルコポーロは、法王の親善大使としてモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンを訪れた。17年間皇帝フビライに仕えたあと、マルコポーロがイタリアに戻るとき、フビライは黄金や絹織などの土産を持たせ、4艘の船と600人のクルーでマルコポーロを送り出した。

18ヵ月後にイタリアについたマルコポーロは悲惨なものであった。

帰路の途中で海賊や山賊に遭い、生き残った者はわずかに18人。黄金や絹織物はもとより、着ぐるみはがされ、乞食のようにボロ布をまとった状態でベネチアにやっとのことでたどり着けたのであった。

こんな具合に、ヨーロッパの商人たちは中近東への旅路で山賊や海賊の被害にあっていた。

封建領主たちは山賊や海賊を取り締まってはくれなかった。もともと封建領主たちは戦時中に雇う兵隊は、山賊や海賊出身者が多かったからだ。中世の軍隊は平時は山賊や海賊をして生計を立てていたのである。だから封建領主たちは最初から山賊や海賊を取り締まろうなんて思っていなかった。

そこでヨーロッパの商人たちは王様に保護を求めたのである。

「王様、どうぞ私たちの通商の安全を保障して下さい」とかなんとか言って、商人たちは王様にお金を献上した。

議会でいつも小うるさいことを言ってくる憎き封建領主たちが没落していく様を、「いい気味だ!」って思っていた王様は、この商人たちの申し出に飛びついた。

そして王様は商人たちの中東貿易の安全を守るために、商人たちから受けたお金で多くの兵隊を雇ったのである。

これが常備軍である。

当時の王様のみが財力を持った商人たちを味方につけ常備軍を持ったことの意義は大きい。これによって権力基盤が確固たるものになったからである。

皆さんも歴史の授業で「常備軍」という言葉は何度か聞いたことがあるでしょう。

でも、この常備軍を持つことの重要性は学校でくわしく習わなかったのではないだろうか。そこでもうちょっと常備軍を持つことの意義を補足しておこう。

常備軍を持つことの重要性は、織田信長の例を挙げればわかりやすいと思う

信長が戦国時代に天下を取れたのは、戦国武将で彼のみが常備軍を持ったからである。

中世のヨーロッパも日本の戦国時代も、富の源泉は土地だと思われていた。当時は通貨も流通していたが、多くの武士たちは農作物や米を生産できる土地をほしがった。だからお殿様は軍功のあった武将たちに土地を与え、武将たちは平時はその与えらた土地を耕して米などを作っていた。

戦国武将たちは百姓を兼務していたのである。

戦(いくさ)の時にのみ、クワやスキを刀にかえて出陣していた。

つまり当時の戦国武将たちは戦のプロとは言いがたかった。

これは勇猛で名高い武田軍も同じだった。

だから戦国大名たちは、戦功をあげた部下たちに与える土地を確保するために、つねに領土拡大に血眼になっていた。

そんな戦国大名たちの中で信長のみが土地にこだわらなかった。

彼は貨幣が将来、大きな富の源泉になることを見通していた。

そこで信長は商人たちを保護し、楽市、楽座の制度によってさかんに商業を奨励した。これによって貨幣経済が発達し、堺の町などは栄えたのである。

信長は豊富な財力を持った商人たちに献金させ、そのカネで軍隊のための兵士を雇ったのである。

信長の兵隊たちは土地を与えられたわけではないので、百姓仕事をする必要がなく、平時から戦の研究をし、かつ訓練をしていた。

つまり信長の持っていた軍隊はプロの軍隊だったのである。

プロとアマチュアの差は大きい。

このことを如実に証明したのが天下に最も近い戦国大名と言われていた今川義元との戦であった。

史上名高い「桶狭間の戦い」は、今川軍2万5千人に対し、信長軍はわずか数千人。

でも結果は、今川義元は首を取られ、信長軍の圧勝であった。

これほどまでにプロとアマの力の差は大きい。

人数的に十数倍の規模を持つ今川軍に信長が勝てた理由は、桶狭間で信長軍が今川軍に奇襲をかけたからだという説がある。それは歴史の事実かもしれないが、その背後にある歴史の真実をつかんでいない。信長の軍隊が平時に訓練をしているプロフェッショナルの集団であったからこそ、綿密な奇襲作戦を立て、迅速にそれを遂行できたと見るべきなのである。

社会人野球の優勝チームがプロ野球のどん尻のチーム(楽天?)と試合をしてもかなわないだろう。(たぶん…汗…野村監督頑張ってぇ~!!!)

中世の王様の軍隊も同じであった。

封建領主がそれまで雇っていた兵隊たちは、平時は百姓をしているか、あるいは山賊や海賊をしているならず者で、いざ戦(いくさ)になったときに統制が取れていなかった。それに比べて中世の王様の軍隊はプロフェッショナル。

王様の軍隊は封建領主たちが束になってもかなわない軍隊になったのである。

中世という時代に、商人たちの財力と圧倒的な軍事力を王様が手に入れたことは、大きな権力を手に入れたことを意味する。

ここでちょっと簡単に権力とは何かを補足しておこう。それによって当時の王様がどれほどの権力を持ったかがわかるからだ。

権力とは他者に対して支配し服従させる力を言う。

だからなにも権力とは国家のみが持つものではない。我々の日常にも権力は存在する。たとえば会社の上司は部下に対して業務に関し、支配し服従させることができるから、権力を持っていると言える。また親は小さな子供に対して親の言いつけとおりにさせることができるので、親は子供に対して権力を持っている。

それではこの他者を支配することのできる力の源泉はなにか?

このことを非常によく分析したのが、社会学者のアルビン・トフラー氏である。アルビン・トフラー氏によると、権力の源泉は3つに分けられるという。それをもっともよく説明しているのは三種の神器である。

三種の神器とは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことではありませんぞ。それは日本の高度経済成長期の家電の三種の神器。念のため。

トフラー氏のいう三種の神器とは、本当の三種の神器。天皇家に代々伝わる三種の神器のことである。

天皇家の三種の神器とは、剣(つるぎ)、宝石、鏡のことである。

この三種の神器は、天皇陛下が崩御されるたびに、次の天皇陛下に譲り渡されるものである。昭和の天皇が崩御されたときも、宮中ですみやかに三種の神器の譲渡の儀式が行われ、平成の天皇へと受け継がれている。

実はこれはあまり日本人にも知られていないかもしれないが、この三種の神器は権力を象徴しているのである。つまり三種の神器の受け渡しは、崩御された天皇から次の天皇への権力の譲り渡しの儀式なのである。

三種の神器の剣、宝石、鏡はそれぞれ、物理的な力(暴力)、財力、知力を表している。そしてこの暴力、財力、知力こそ権力の源(みなもと)なのである。

こういうと皆さんも思い当たることがあると思う。皆さんの周りにいる権力を持った人たちというのは上記の三つの権力の源泉を1つ以上持っている人たちなのである。

ガキ大将がなぜ下の者を従わせることができるかというと、他の者たちより大きな腕力(暴力)を持っているからなのである。また親は小さな子供より大きな腕力、財力、知力を持っているから、子供を従わせることができるのだ。

国家はなぜ権力を持っているかいうと、警察という暴力装置を持っているからなのである。法に従わないものは、暴力という力によって強制的に人々を従わせることができるのである。

ところでトフラー氏によれば、この権力の源は時代とともにその重要性が、

暴力→財力→知力

というように移行していくという。

古代の時代では、権力の源泉は暴力であった。腕力の強い者にはより大きな権力があった。喧嘩や戦(いくさ)の強い、屈強な身体を持った男がリーダーになったのである。

ところが時代が変わり、産業革命がおこり、通貨が流通するようになると、腕力を持った者より財力を持った者が権力を握るようになった。銀行業を起こした中世ヨーロッパのフッガー家やメジチ家などは、一族の中から法王になる者やヨーロッパの国王になる者を輩出するほどの力を持っていた。

そして現代のコンピュータの登場により権力が新たな段階へ移行した。

大きな知力を持った者が大きな権力を握るようになってきたのである。

このことを象徴しているのが、ビル・ゲイツのマイクロソフトだ。

オジサンはコンピュータ音痴なので、皆さんの方が詳しいと思うが、マイクロソフトはウインドウズというコンピュータの基本ソフトを作っている会社である。工場を持たずプログラムを作る技術者たちの集まった会社であった。彼らはソフトを作りコンピュータ・メーカーへそのソフトを納める下請け業者のひとつであった。だから本来はコンピュータ・メーカーは顧客でありマイクロソフトに対し権力のある立場であるはずだった。「オレのところのコンピュータに基本ソフトを売りたいなら、これこれこのようなソフトを作れ!」って感じで、コンピュータ・メーカーはマイクロソフトへ強く命令できる立場にあった。

ところが実際はどうかと言うと、まったくその逆なのである。

マイクロソフトはウインドウズのバージョンをアップするたびに、IBM、アップル、デル、NEC、東芝といった大手のコンピュータ・メーカーに対し、アクセスタイムのこれこれのマイコンを使えとか、どこどこの部品メーカーのメモリーチップを使えといった指示をしているのである。つまりある面ではマイクロソフトはコンピュータ・メーカーを支配しているといえる。

知力を持ったものがより大きな権力を握る。

権力移行(POWERSHIFT)が起きているのである。

この権力移行はコンピュータの登場により、我々のまわりのいたるところで起こっている。このことを話し出すとこれだけで長~いブログになってしまうので、ここであえて止めておこう。我々の周りで起きている権力移行をもっと知りたい読者は、アルビン・トフラー氏のパワーシフト(POWERSHIFT)を図書館で借りて読んでいただきたい。1990年代にベストセラーになった本なので、多分邦語訳もあるのではないかと思う。

それでは話を中世の終わりに戻そう。

中世の終わりという時代は、物々交換経済から貨幣経済への移行期であった。そしてまだコンピュータを中心とする知識集約型社会は到来していなかった。つまりこの時代の権力の源泉は暴力と財力にあったのである。

そして商人たちの財力をバックにつけ、常備軍という強い暴力装置を持った王様は、この時代の最高の権力を身につけたということなのである。

さらにまたこの時代に王様の権力を決定付ける思想が生まれた。

国家の主権という概念である。

それまでの中世のヨーロッパには国家というものは存在していなかった。

国家の構成要素は、国土、国境、国民であるが、中世ではこれらが明確にされず混在していたのである。先ほど述べたように、中世では王様と家来の主従関係は契約に基づいていた。ところがAという家来はBという王様と主従関係を結びながら、Cという王様とも主従関係を結ぶことができた。またBという王様はDという王様と主従関係を結ぶことができた。つまり、どこからどこまでがBという王様の国土と国民なのか、またCの王様の国土と国民はどこまでなのかという明確な線引きができなかったのである。

したがってこの時代までは国家は存在しなかった。

中世の終わりに封建領主が没落し国王の権力が強大になり、重複する主従関係がなくなった。そのため領土、国境および国民がようやく明確になり、近代において初めてスペイン、イギリス、フランスといった国家が誕生してきたのである。

そして国家が生まれると同時に、国家には主権があるという考えも生まれた。

フランスの思想家、ジャン・ボダンは、「国家には永続的にして拘束を受けない絶対の権利がある」と、提唱した。国家は他国の干渉を受けず、自国のことを自国で決定する権利があり、国家の主権の主体は国王にあるという考え方である。

この思想はヨーロッパ中に広まり当時の国際法となったのである。

この国家の主権という概念は国王の権力を増大させることになった。

国家には主権があり、その主権は誰も干渉することが出来ない。そしてその主権の主体は国王にある。つまり簡単に言うと、国土および国民を王様が所有し、その所有物をどのようにしようが王様の勝手でしょってことだ!

ベルサイユの栄華を極めたルイ14世の「朕は国家なり」という言葉が当時の国王の権力の強さをよく表している。

国王はここにおいて絶対の権力を手に入れたのである。

この絶対君主となった国王の前では、国民は吹けば飛ぶような将棋の駒どころかチリほどの重みもなくなった。どんなに税金を課せられようが、ムチャクチャな徴兵を受けて遠くの戦場へ送られようが、国王の思いのまま。文字とおり、国民を煮て食おうが焼いて食おうが、王様の勝手。国民はなにひとつ文句を言えなくなってしまったのである。

このようにして権力の怪物、リバイアサンがついに歴史に登場したのである。

さて、中世後半から近代初期の絶対主義国家の誕生にいたるヨーロッパの歴史をざっと見てきた。それではアメリカ13州がいかにこの恐ろしいリバイアサンとも言うべき絶対君主から独立したかを話そう。

えっ!話が長くって疲れたって!

う~ん、これから先がもっとも大切な話になるのだけど…。もし、疲れた読者がおられれば、この先は日を改めて読んでいただけるだろうか。なにせこのあとの話をわかりやすくするために、ヨーロッパの歴史を復習したのですから。

ここで読むのを辞めてしまうということは、レストランで前菜だけ食べてメインディッシュに箸をつけないで帰っちゃうようなもの。もったいないでしょう~!

このあとの部分を読んでいただければ、皆さんもアメリカ国民と同じ民主主義の風景を見ることができ、銃規制がアメリカで徹底できない理由や、アメリカがなぜ世界で無謀ともいえる軍事行動を展開している理由がわかってくるのですから。それだけじゃありませんぞ!今の日本の民主主義が健康に見えて、実は内部ではメタボリック症候群をわずらい血液はドロドロの状態で、いつ脳梗塞や心筋梗塞が起きてもおかしくない状況になっているのがわかるのです。

だからもうちょっとがんばって読んでね。

それじゃ、ジョージ・ワシントンと建国の父たちが絶対主義国家のイギリスから独立したころの話をしよう。

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皆さんも高校のときの世界史で習ったと思うけど、アメリカ13州が本国イギリスから独立した原因は税金問題だった。

当時のイギリスはアメリカ大陸でのフランスとの戦い(フレンチーインディアン戦争)で財政が逼迫していた。時のイギリス国王はジョージ3世。彼はそのコストを13州に払わせるため多くのものに税金をかけたのである。

アメリカ13州はイギリス本国の議会に代表者を一人も送り込んでいなかった。だから彼らには税金に対する不満が溜まっていた。NO TAX WITHOUT REPRESENTATION! (代表なきところに課税なし!)という気持ちが強かったのである。

そして課税される税金が商業上の印紙貼付の義務付けだけでなく、砂糖からお茶といった日常品にまで及ぶにいたって、アメリカ13州はついに、「ふざけんじゃねぇ!」って感じで独立を決意した…

…と言うわけではなかった。

事はそう単純ではない。

皆さんも歴史の授業で、「ボストン茶会事件」という言葉を聞いたことがあると思う。イギリス本国はアメリカ産の紅茶に高い税金をかけ、インドの安い紅茶を13州に売りつけて大儲けをしようとした。これに対してアメリカの植民地人の不満はいっきに爆発し、港に停泊していた東インド会社のお茶の積荷を海に投棄してしまったという事件である。我々はこの事件が発端となって各地で戦闘が勃発し、アメリカ独立戦争へつながっていったと習ってきた。

ところがこの時点では、ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムスといった多くの13州の識者たちはイギリス本国からの独立には消極的であったのである。外交官であったベンジャミン・フランクリンなどはこの時、イギリス本国との軍事衝突を避けるため奔走していた。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちは、イギリス本国からの独立をためらっていたのである。

なぜか?

強大なイギリス軍を恐れていたからである…

…と、言うことではない。

確かに当時のイギリスは超がいくつも付いてしまうくらいの超大国。「けっして太陽が沈まない帝国」と言われるほど世界中に植民地を持っていた大国であった。イギリス本国から見れば田舎の村のような13個の植民地が戦っても、はたして勝てるだろうかという疑問があった。

しかし、それ以上に彼らがイギリスからの独立をためらう大きな理由がふたつあった。

ひとつは絶対君主に逆らうことが「神の摂理」に反することではないかという恐れであった。

先ほど中世後半に登場した国王の権力を決定付けたものとして、国家の主権という概念をお話した。16世紀の思想家、ジャン・ボダンという人が、「国家には永続的にして拘束を受けない絶対の権利がある」とし、その主権の主体は国王であると唱えた。

彼と同時期にやはりフランスの思想家で、国王の権力を磐石(ばんじゃく)にした人物がいた。ロバート・フィルマーという人だ。

ロバート・フィルマーは国王は国家の主権を神から授かっていると提唱した。

彼の主張はこのようなものだった。

聖書の創世記では、神は天と地を創造されたあとに、この世のすべての動物や植物を作られた。そして人類最初の人であるアダムを作られる時にこう言われた。 ”Have many children, so that your descendants will live all over the earth and bring it under their control (産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這生き物すべてを支配せよ。)『創世記第一章28節』”

つまり聖書ではアダムはこの世のすべてを神から授かり、その支配権はアダムの子孫に継承されるということである。そしてロバート・フィルマーは国王こそがアダム直径の子孫であり、国王がすべての支配者であることは神から授かったものであるので、王権は神聖にして冒(おか)すべからざるものであると主張した。

これを王権神授説という。

この王権神授説は当時のヨーロッパで自然に受け入れられた。

なぜかというと、若干の例外(古代ギリシャの都市国家アテネと初期ローマの共和制)はあるが、ヨーロッパでは王様のいない国はそれまで存在しなかったからだ。

今でこそ我々は王様のいない国が多数この地球上にあることを知っている。むしろ王様と国民を意識して生活している人は少ないだろう。だから王様のいない国を想像することは容易だ。

ところがこのころのヨーロッパの人々は王様のいない国など想像もつかなかったのである。夢想だにしなかったと言ってもいい。いつの時代でも、国が存在すれば王様が存在していたのだから。王様がいて国があるという感覚だろうか。

だから王様がいるということは自然のことであり、それは神の摂理であるというフィルマーの考え方は人々に自然に受け入れられたのである。

そんなわけで、どんなに酷い圧政を布こうが、武力と財力の大きな権力を握り、かつ国王は神聖にして冒すべからずという神がかり的なオーラを身につけた絶対君主に逆らおうと思う者はイギリス国内にはいなかったのである。

これは遠く離れたアメリカ13州も同じだった。

アメリカ大陸に初めて渡ったピルグリム・ファーザーズといわれる人たちは、イギリスで迫害を受け新天地へ逃れてきた清教徒と呼ばれる人たちである。このことからわかるように、アメリカ13州の人たちは熱心なキリスト(プロテスタント)教徒の子孫たちなのであった。

そんな敬虔なキリスト教徒にとってもっとも恐ろしいことは、神の御心(みこころ)に反した行いをして「救済」を受けられないことであった。我々無宗教の日本人には彼らが感ずる恐怖は理解しがたいと思う。このキリスト教における救済とはいったいどういうものなのかは、いずれ宗教ブログを再開したときに詳しくお話したい。その時に初めて彼らの恐怖の度合いがわかると思う。それまではちょっと我慢していただいて、ここでは救済を受けられないことは彼らにとって死ぬことよりも恐ろしいことであったということだけを覚えておいてほしい。

したがってジョージ・ワシントンと建国の父たちも敬虔なキリスト教徒であったから、彼らが国王に反旗をひるがえして独立戦争に踏ん切りがつかないのは皆さんにも理解できると思う。

彼らにとってこのロバート・フィルマーの王権神授説はそれほど巨大な壁であった。

そしてもうひとつ、ジョージ・ワシントンと建国の父たちがイギリスからの独立をためらう理由があった。

それは仮に国王を排除できたとして、その後にどのうような国を作ってよいかというビジョンがなかったことである。

なんども繰り返すが、それまでのヨーロッパには王様のいない国はなかった。だからだれも王様のいない国はどのようなものであるべきかという理想の姿を思い浮かべることができなかった。はたして王様のいない国など上手くいくのだろうか?彼らは王様のいない国家作りに不安を感じていた。

このビジョンのないことが白日の下に明らかとなった事件が本国イギリスで起きていた。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちがイギリスからの独立を決意する120年前に起きた清教徒(ピューリタン)革命である。

この清教徒革命は神の前の平等をスローガンに迫害を受けていた清教徒たちが起こした革命で、当時の国王チャールズ1世を公開処刑し、清教徒主導の議会政治を行ったというものである。

ところが、国王の首をちょん切ったまではよかったが、議会内では各派閥が権力闘争を繰り返したため、清教徒革命を率いたクロムウェルという軍人が独裁制を布き、反対派の人々を粛清し恐怖政治を布いたのであった。結局、クロムウェルが病死したのち、独裁制に懲りた一般市民たちは、「やっぱり、王様がいたほうがいいや!」って感じで、亡命先からチャールズ1世の息子チャールズ2世を呼び寄せて王位につけた。チャールズ2世はクロムウェルの妻子や革命の首謀者たちを逮捕して処刑し、この無政府状態ともいえる清教徒革命後の混乱を収拾したのであった。

王様を排除した後の社会はどのようなものにするべきかというクロムウェルたちのビジョンの欠如が、清教徒革命後に混乱をまねき王政復古につながったと言えるだろう。

以上2点。

王権神授説と王様のいない国家はどのようなものであるべきかというビジョンの欠如。このふたつの問題が巨大な壁のようにジョージ・ワシントンと建国の父たちのまえに大きく立ちふさがっていた。

そこで彼らはその答えを歴史に求めたのである。

そして歴史の中に埋もれかかっていたある一人の人物と出会ったのである。

運命的な出会いであったと言っていいだろう。

この人物こそ難攻不落と言える王権神授説を打ち砕き、王様のいない国家は如何にあるべきかというビジョンを彼らに与えてくれる人であった。

その人物の名前はジョン・ロック。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちの時代からちょうど100年前に存在していた17世紀のイギリスの政治哲学者だ。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちがジョン・ロックと出会えたことは、人類の歴史において運命的な出会いであった。なぜなら彼らがジョン・ロックに出会ったことによって、その後の世界は大きく変わっていったのだから。

本日、長々とヨーロッパの歴史などを書いてきたが、実はこのロックという人物の思想を皆さんにお話したかったからなのである。

なぜロックの思想をお話しするのにヨーロッパの歴史を語ったかというと、このロックの思想は大きな歴史の流れの中で捉えないと、その本当の真価が伝わらないからなのである。

ジョン・ロックという名前は高校の歴史の授業で皆さんもお聞きになったことがあるだろう。おそらくロックという名前から、ロック→統治論→社会契約説、というように、言葉の連想が浮かぶのではないだろうか。しかしその思想についての歴史的意義というものをはっきりと認識している人は案外少ないのではないかと思う。

それは当然のことなのだ。

日本の歴史の教科書では、大学入試の穴埋め問題対策だろうか、広く浅く歴史の出来事を扱っているので、肝心な歴史の事件についての考察の深さが足りないからなのである。日本の歴史教科書にはロックについての記述はせいぜい2~3行くらいの記述しかない。ところがアメリカでは重要な歴史的出来事にはものすごい時間をかけて子供たちに、その歴史的背景や歴史的意義を教えるのである。特にロックの思想については日本人の想像を絶するほどの時間をかけて教育する。

冒頭、アメリカ国民は民主主義の精神を膨大な時間をかけて子供たちに教えると述べた。

実は民主主義の精神とはロックの思想のことである。

彼らは子供たちが幼稚園に上がる年になると、このロックの思想が凝縮されたリンカーンのゲティスバーグの演説やトーマス・ジェファーソンの独立宣言書などを暗記させる。そして高校になるまで何度も繰り返し教え込むのである。卒業後は国家的なイベントなどで繰り返しロックの思想を聴衆にリマインドする。AFNの放送などを聞いていると、時たまショート・ヒストリーという民主主義の歴史が流される。ほとんどがロックの思想に関してのものだ。

これほどまでにジョン・ロックの思想についてアメリカ国民は時間をかけて子供たちの心に深く植えつけようとするのである。

一方、日本ではロックについては、歴史の教科書の中でわずか2~3行程度の記述ですませている。

このロックに関しての認識の違いが、日本人とアメリカ国民の民主主義の捕らえ方の決定的な相違を作り出しているのである。

我々日本人の目から見ると、なぜアメリカは断固たる銃規制を行わないのかとか、あるいはアメリカはなぜ無謀ともいえる軍事行動を世界で展開しているのかがわからない。ところが逆にアメリカ国民から見ると、アメリカ国内であれば暴動が起きてもおかしくないような民主主義を危うくするような事象が日本では平然と行われていたりするのである。これらはすべてロックの思想を認識しているかどうかの違いから生じている。

そこで本日はアメリカ国民と同じ民主主義の風景を見ていただくために、このロックの思想についてお話したいと思う。

ちょっと(いや、かなりかな?)長くなってしまったので、疲れた読者はこの続きは明日また読んでね。絶対に最後まで読んでね~。

それじゃ、ロックという人がどのような人物で、どのような思想を持っていたかを話そう

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ジョン・ロックは1632年にイギリスで生まれ、オックスフォード大学で医学と哲学を学んだと言われている。彼が10歳のころに清教徒(ピューリタン)革命が始まり、17歳のときにチャールズ一世が公衆の面前で処刑された。そして彼が28歳のときにクロムウェルの死をもって革命が終わり、チャールズ2世が即位し王政復古が行われた。

このように彼は多感な青少年時代を革命の混乱のなかで過ごしたのである。

海を隔てたお隣のフランスでは、太陽王と言われたルイ14世が君臨しており、絶対主義の絶頂期を迎えていた。イギリスでも革命に懲りた人々が王政を望み、それに加えてフランスからの王権神授説がイギリスに入ってくるにいたり、いよいよイギリスの絶対王政は強まっていったのである。

そんな絶対主義まっただ中で、若きジョン・ロックは疑問に思った。

「はたして本当に国家の主権は国王にあるのだろうか?」

そこで彼は、「国家とはなんだろうか?」という根本的な問題から考え始めた。

彼は国家とは何かということを考えるにあたって、国家のできる前の状態を想像してみた。

国や社会などという複雑な人間関係ができるずっとずっと前のこと。そこで暮らす人々は自由であったはずだ。人々が不自由になったのは社会ができ、ルールや伝統などに縛られているからだ。もともと社会や国が出来る前は、身分の上下などというものはなく、すべての人々は平等で自由であったはずである。このようにロックは考えた。

ロックはこの平等で自由であった人々を「自然人」と呼び、自然人が生きていた状況を「自然状態」と呼んだ。

ロックの理論のすごいところは、複雑な社会現象をこのように抽象化したということにある。

社会といっても千差万別。イギリスのように伝統的に議会の強い国もあれば、フランスのように絶対主義が強い国もある。また社会を構成している人々は弁護士や医者のようなエリートもいれば、商人もいるし、貧しい農民だっている。これらの個々の事象を個別に扱っていては「木を見て森を見ず」ということになり、そこにある真実を見抜くことができない。だからロックは思い切ってディテールをすべて捨て去って、対象となるものを抽象化したのである。

抽象化することによってロックの思想は科学となり、普遍性を持ったのである。この普遍性こそが、時を越え国境を越えてアメリカに渡り、アメリカの独立を成功させた大きな要因だ。

自然科学をたとえに出せばわかりやすいかもしれない。。

たとえば、幾何学。

幾何学でいう点と直線は抽象化されたものである。

点の定義は大きさがなく場所のみを示すものであり、直線の定義は太さがなくまっすぐで長さだけを示すものである。ところが現実の世界には、大きさのない点など存在しないし、まっすぐで太さのない線など存在しないのである。ミリ単位で見れば点にはかならず面積はあるし、直線を描いたってどこかで曲がっているし、太さもある。それらの詳細をいちいち考慮していたら、幾何学の問題は解けない。それらのディテールを省略して、点や線を抽象化することによってはじめて、巨大な建造物である超高層ビルやダムなどを作ることが可能となるのである。

数学もそうだ。

ゼロや負の数。

この世にはゼロや負の数なんて存在しない。八百屋に行って、「大根マイナス一本下さい!」って言ったて、八百屋のオヤジは???ってことになっちゃうでしょう。

でも、ゼロや負の数、あるいは虚数なんて実際の世界にはないことを抽象化することにより、人類はロケットを月面に到着させたりして、我々の住むこの宇宙を解明してきたのである。

ロックの場合も同じだ。

人間というのは集団で暮らす動物だ。太古の昔に我々の先祖が洞穴で暮らしていたころにはすでに群れをなしていた。そこには当然一部族としてのルールや身分の差はあったろう。自然人や自然状態などというものは現実には存在しないのである。

しかしロックは自然科学と同様に、あえて人間や社会を抽象化することによって国家とは何かを解明しようとしたのである。

彼の理論をさらに続けよう。

自然人は自然状態で土地を耕し種をまいて収穫して暮らしていた。そこでは国家も社会もなくすべての人は平等で自由であった。ところが時代が経るにつれて人々は社会および国家の必要性を感じるようになってきた。なぜかというと、犯罪が増えてくるからである。

人は個々の性格を持っている。Aという自然人はとても働き者で、朝から晩まで働き通し。かたやBという自然人はグータラで昼間から仕事もせずにブラブラしている。当然そこには貧富の差が生じてくることになる。やがて勤勉でないものの中から窃盗や強盗などをする者たちがでてくることになった。

そこで人々は集まって社会をつくり、人々が安心して生活できるためのルールを作った。

他人から物を盗んではいけない。人を殺してはいけない…などなど。

ところが、そんなルールなんて知ったことか!って感じの人もいて、ルールを作っただけでは従わない人も中には出てくる。

そんなわけで、人々はルールを従わせるための社会的権力を作ることにしたのである。

これが国家である。

国家とは本来人々の合意に基づいて作られたもので、国家の権力は人々との契約によって委託されたものである。王様が権力を持っているのは、神から与えられたものではなく、国民との契約によって権力を行使する権限を与えられているにすぎないのである。

だから国家の主権は王様にあるのではなく国民にある。

そして国家の任務はこの国民との契約に基づき、国民の生命、財産、自由を守ることである。

ロックはこのようにして、人は生まれながらにして自由で平等であり、国家の主権は国民にあり、そして国家の存在目的は国民の生命、財産、自由を守ることであることを証明して見せたのである。

これ、すごいことだと思わないか?

今でこそ我々は民主主義の世の中に育ってきたから、すべての国民は自由で平等であると言われても驚かない。それが当たり前になっているから。ところが、ロックの生きた時代は絶対主義の絶頂期だ。国王の権力は神から授かったものであり、王権は神聖にして冒すべからずというものであった。不自由、不平等、身分の差は当然のことと思っていた。国家の主権が国民にあり、人々は生まれながらに自由で平等であるなんて誰も想像もつかない時代だったのである。

ジョン・ロックの生きた時代を考慮した場合、ロックがこのように考えたことはまさに奇跡であった。

ロックの理論はさらに続く。

国家権力は国民が作ったものであるから、国民に奉仕するためのもの。ところが国家権力は放っておくと肥大化し暴走する。だから国民の代表者を議会に送り、真の国民の国民による国民のための政府を作って、政府の運営を監視しなければならないと唱えた。

しかしながら、それでも権力が暴走する可能性がある。

その場合はどうするか?

ロックは人々には国家との契約を改廃する権利があると言う。

それは抵抗権と革命権である。

もともと国家は国民との契約を結んで誕生したものであるから、もしその国家が契約違反をするのであれば、国民には契約を破棄し、新しい契約を結びなおす権利があるのである。

このロックの思想を社会契約説という。

ジョージ・ワシントンと建国の父たちが求めていたのは、まさにこのロックの社会契約説であった。

ジョージ・ワシントンたちはこのロックの社会契約説によって、王権神授説を否定し、イギリスからの独立が正当化され、かつその後の社会をどのように作ればよいかという指針を得ることができたのである。

ロックのこの社会契約説は燎原の火のごとくアメリカ大陸に広まった。

アメリカ13州の人々はロックの社会契約説を本気で信じたのである。独立戦争が勃発した直後は13州の寄り合い所帯の軍隊は強大なイギリス軍に押されっぱなしであったが、思想の力は強い。ロックの描いた世界を実現したいという思いが、最終的にこの独立戦争をアメリカ13州に勝利をもたらしたのである。

我々は歴史の時間にこのアメリカ13州のイギリスからの独立の出来事を「アメリカ独立戦争」と習ったが、アメリカのハイスクールの歴史の教科書ではこの出来事を、

AMERICAN REVOLUTION(アメリカ革命)

と呼んでいる。あくまでもロックの主張する「革命権」の行使なのである。

17世紀にロックがイギリスでこの社会契約説を発表したとき、すぐに「ロックの思想はすごい!」とはならなかった。ほとんどの人々は、ロックの抽象化した自然人や自然状態は実際にはあり得ないことで、社会契約説など「絵空事」と批評したのである。

ところが、ロックが社会契約説を唱えた100年後の世界では、ロックの社会契約説はもはや単なる仮説ではなくなった。アメリカ合衆国の誕生はロックのシナリオ通りに行われたからである。アメリカ合衆国は人類史上初めてロックの社会契約説に基づいて作られた人造国家となったのである。

その後、ロックの思想はヨーロッパにもどりフランス革命をも導いた。

17世紀の大事件と言えば、アメリカ合衆国の誕生とフランス革命だが、この二つの事件はロックがいなければ実現されなかった。

日本の政治学の泰斗(たいと)、丸山真男教授はロックについて、

「17世紀に身を置きながら18世紀を支配した人」

と評したが、まさしくロックの思想はジョージ・ワシントンと建国の父たちに出会うことによって、その後の18世紀の世界を大きく変えたのである。

現在、世界の三分の一くらいの国々が民主主義を標榜している。それらの民主主義の国々には憲法がある。そしてそれらの憲法には必ずロックの思想が盛り込まれている。もしロックの思想が盛り込まれていなければ民主主義ではないと言っていいほどだ。日本国憲法も例外ではない。1990年代に相次いで社会主義、共産主義国家が崩壊して行った現在、民主主義化していく国は今後とも増えていくだろう。ロックの思想は21世紀の世界をも支配しようとしているのである。

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以上、ロックの思想について述べてきた。

ロックの社会契約説を要約すると、人は生まれながらに自由で平等であり、国家は国民の合意に基づいて作られ、国家の主権は国民にある。そして国家の存在目的は国民の生命、財産、自由を守ることにある。国家権力は放っておくと暴走するので、国民は代表者を議会に送り、国民の国民による国民のための政府を作り、監視しなければならない。そして、国家権力がそれでも暴走するようであれば、国民には国家との契約を改廃する権利がある。

ロックの社会契約説を信じ、苦労の末にイギリスと戦って独立を勝ち取ったアメリカ13州の人々は、この戦いからひとつの教訓を得た。

それは民主主義というのは、非常に貴重なものであり、それらは命を賭してでも守らなければならないということである。ロックの抵抗権や革命権はそれを教えている。

このロックの社会契約説に基づく民主主義を理解し、且つそれを命がけで守らなければならないということ。

これこそが彼らが学んだ民主主義の精神である。

このことはトーマス・ジェファーソンの独立宣言書に現れている。

「すべての人間は創造主によって平等に造られ、生まれながらにして何人も取り去ることのできない生命、自由、幸福の追求の権利を有することは自明の理である。その政府の統治者は人々から選ばれた代表者で、選挙民の同意を得なければならない。いかなる政府であろうと、選挙民の権利を護(まも)らないときには、人々は時の政府を覆し、新たな政府を誕生させる権利を有する。」

実はこの命を賭しても民主主義を守るという考えは、現在のアメリカ国民も持ち続けているのである。

これ、日本人の感覚からするとちょっと信じられないかもしれない。

以前、オジサンが海外関係の仕事をしていたとき、ビジネスで知り合ったアメリカ人には機会があればいつもこう質問した。

「あなたは民主主義を守るために命をかけて戦いますか?」

するとほとんどのアメリカ人は、真剣な顔になって、「もちろん!」と答えた。

もし、皆さんの周りにアメリカ人の友人がいたら同じように質問してみてほしい。きっと同じような答えが返ってくるはず。

これ、同じ質問をオジサンが日本人の会社の同僚に聞いたら、「おまえ、ちょっと最近働きすぎでストレスが溜まっているのか~?」って言われてしまった。

これほどまでに日本人とアメリカ人 の民主主義に対する考え方が違うのである。サウナと水風呂くらいの温度差がある。

なぜこのような温度差があるかというと、アメリカ国民は民主主義というのは永遠に続くものではなく、つねに守っていかないとなくなってしまうという危機感があるのに対し、日本では民主主義というのは、社会が発展していけばいつのまにか自然に発生するものという感覚があるからだ。いつでもどこでも空気のように民主主義というのはあり続けると思っている。

ここまで読んでくれた読者には、もうアメリカ国民と同じ民主主義の風景が見えてきたのではないだろうか。

9.11以降、アメリカはアフガンやイラクそしてイランに対して、無謀とも思える強硬姿勢を取り続ける理由は、彼らが民主主義の危機を感じているからなのである。もし何もしなければ民主主義がこの地球上から消えてしまうかもしれないと本気で思っている。リンカーンの「人民の人民による人民のための政府をこの地上から永遠に消してはならない!」というゲティスバーグの演説の言葉が今でも彼らの頭の中で響いているのだ。

オジサンの文通友達でオハイオ州に住んでいるマイケルという敬虔なクリスチャンがいた。彼は不動産会社に勤めていた。マイケルはリザーバー(reservoir)の一員でもあった。おそらく日本人にはこのリザーバー制度はあまり知られていないかもしれない。リザーバーは通常は一般人と同じ生活をしながら、定期的に軍事訓練を受けている人たちである。つまりいったん国家の危機が生じたときに軍務につく予備兵だ。

同時多発テロが起きてからアメリカがアフガニスタンに侵攻したとき、政府から彼は召集された。そこで彼は不動産会社を辞めて、手薄になった欧州のアメリカ軍基地を支援するためにヨーロッパへ送られた。そこでマイケルは1年近く勤務したあと、またオハイオ州にもどってきたのであるが、なかなか新しい就職先が見つからず苦労していた。オジサンはそれまでこのリザーバー制度には何らかの特典があるものだと勘違いしていた。たとえば国家から仕事を優先的に斡旋してもられるとか。ところがそのような面倒をアメリカ政府は見てくれないのだ。もちろん多少の保障のようなお金はアメリカ政府から出ていると思うが、リザーバー制度はほとんどボランティアの人たちによって支えられているということがわかった。

もし日本にこのような民主主義の危機が起きた時、自分の仕事を辞してまで戦おうという人がはたして何人いるだろうか?

先週大統領予備選挙がアイオワ州で行われたが、アイオワ州で走るすべての車のナンバープレートには次のような標語が書かれているという。

”LIVE FREE OR DIE!”(自由に生きよ、しからずんば死を!)

たとえ命を落とすことになろうとも民主主義を守る…。アメリカ国民の民主主義に対する気概を感じる言葉ではないか。

この命を賭しても民主主義を守るということは、なにも外からの脅威だけに向けられているわけではない。

実はアメリカ合衆国政府にも向けられているのである。

もしアメリカ国家の権力が暴走したら、彼らは立ち上がって革命を起こすくらいの覚悟をもっている。彼らはそれほどロックの社会契約説を信じきっている国民なのである。

ここまで話せば皆さんもなぜアメリカでは徹底した銃規制が行われないかがわかるでしょう。そう、彼らには銃を取り上げられるということが、なんとなく「刀狩り」のように感じてしまうからなのである。頭では銃を規制するべきと思っても、潜在意識の中で抵抗感があるのである。「わかっちゃいるけど止められない~♪それ、スイスイス~ダララッタ~♪」ってところでしょうかねぇ(ちょっ~と古いかな~?)。

一方日本はどうかと言えば、日本共産党でさえ革命路線を放棄してしまったくらいだから、権力が暴走したら革命を起こしてでも民主主義を守ろうなんて思っている人はほとんどいないだろう。いやむしろ国家権力が暴走するなんて夢にも思っていないかもしれない。なんだかんだ政府を批判はするが、結局親方日の丸を信じているのが日本人だ。

だからあちらこちらで日本の国家権力が肥大化して暴走しているのに気がつかない。

たとえば天下り。

独立行政法人なんてわけのわからない会社を作って官僚が天下りする。いくつかの会社を数年ごとに渡り歩いてごっそり退職金をもらっていくシステム。この天下りはなにも中央官庁だけではない。皆さんの周りを見渡してほしい。市や区といった地方行政レベルでもいたるところにわけのわからない▲×○■組合とか、○▲☆■協会なんて法人があるはず。たいていは地方行政組織の上層にいた人たちが天下っている。このように中央官庁から地方行政にいたるまで天下りシステムは日本中に広がっているのである。

日本天下り列島

この言葉がピッタリの役人天国が日本という国だ。

これを権力の暴走と言わずなんといったら言いのだろう。日本の政治・行政権力は官僚や地方の役人たちに簒奪されているのである。今や官僚たちはリバイアサンになろうとしている状態。

しかし不思議なことに、マスコミも国民も天下りを個々に批判はするが、これを民主主義の危機と声を大にして唱える人がいないのはなぜだろう。民主主義のプロである憲法学者でさえ「民主主義がいまや崩れようとしている!」と警告していない。これはバミューダ海域やピラミッドの謎に匹敵する世界七不思議のひとつに入れてもよいのではないかと思う。

ここで問題です。

「天下り」を英語ではなんと言うでしょうか?

答えは…

「天下り」なんて英語はありません、が正解。

ためしに皆さんが持っている和英辞典で「天下り」を調べてもらうとわかると思う。日本の「天下り」に相当する英語の言葉は見当たらないはずだ。仮に和英辞典に載っていたとしても、どれもこれも苦し紛れの英訳しか出ていないはず。

なぜ「天下り」に相当するピッタリの英語がないかというと、アメリカには天下りがないから。

「えっ、うそ~!」っと、驚かれる読者もいると思う。

そうなのです。アメリカには天下りなんて不公平なことは起きないシステムが採用されているのです。

天下りの原因となっているのは官僚制。日本はこの官僚たちが政治家を動かし、日本を支配している状態。自分たちの都合のいいように政治システムを作っている。

かつてはアメリカにも日本と同じ官僚制があった。しかしそれは民主主義を危うくするものとして、とっくの昔に官僚制を廃止してしまった。だから天下りがないのである。

その日本型の官僚制を廃止した人は、第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンという人。

アンドリュー・ジャクソンは日本人にはあまりなじみのない大統領かもしれないが、アメリカ国民であれば誰でも知っている偉大な大統領の一人である。彼以前の大統領はジェントリーという貴族出身で、ほとんどが大農園主であった。ところがアンドリュー・ジャクソンは平民からはじめてなった大統領だった。彼は戦災孤児のど貧乏の逆境を跳ね返し、ホワイトハウスに駆け上った人だ。それだけに特に彼は特権階級の利権の独占が許せなかった。

彼は数々の業績を上げジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれる時代を築いたが、そのうちの一つに抜本的公務員制度改革がある。

ジャクソンの時代にもノーパンシャブシャブや偽名を使ってまでのゴルフ三昧接待といった官民癒着があったのだろう。彼は「官僚は放っておくと腐敗し肥大化して、民主主義国家を危うくする」という危機感から、当時の官僚制を廃止して猟官制度を導入した。これは大統領が替わるたびに、公務員の主要ポストを総取替えする制度である。この猟官制度は現在にいたるまでアメリカ合衆国で採用されている。だからアメリカには天下りが起きないのである。

一口に官僚制を廃止すると言っても大変なことなのですぞ!

郵政民営化どころの話じゃない。全官僚を敵に回すことになるのですから。

しかしそれでもアンドリュー・ジャクソンは大統領生命をかけて官僚たちと戦い、公務員制度改革を断行したのである。なぜそこまでしたかというと、彼には民主主義は命を賭しても守り抜くという民主主義の精神があったからなのである。

ここまで読んでくれた読者の皆さんには、アメリカ国民が見る民主主義の風景が見えてきていると思う。どうですか。民主主義の精神から民主主義を見るとまったく違ってみえてくでしょう!

それじゃ、最後にこの民主主義の精神からみた日本の民主主義が実は健康そうに見えて、内部では血がドロドロのメタボリック症候群を起こしているということを検証して、この長かったブログ記事を終わらせることにしよう。疲れた方はちょっとここで休憩を取るか、明日この続きを読んでね。

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冒頭、アメリカ国民は民主主義の精神を膨大な時間をかけて子供たちに教えるとお話した。それに比べ、日本では数時間程度の民主主義の教育しか行わない。ロックの思想に関して言えば、わずか教科書に数行の記述しかない。

この結果、いま日本ではどのようなことが起きているか。

一億総民主主義音痴という状態が起きているのである。

あまりにも民主主義に鈍感になっていて、いま日本で起きていることが実は民主主義の根幹を揺るがす大問題であることに気付かない。

たとえば、薬害エイズ、薬害C型肝炎、防衛疑惑、ずさんな年金管理問題、等等…

ほとんどの国民がこれらの問題は個々に起きていると思っている。

ここまで読んでくれた読者には、もうおわかりになっていると思うが、これらは共通の原因から起きているのである。

民主主義精神の欠如

これこそがすべての問題の原因だ。

もし、厚生労働省の役人たちが「国民の生命を死んでも守る!」という気概を持っていれば、薬害エイズやC型肝炎問題は起きなかっただろう。社会保険庁の職員が末端に至るまで、「国民の財産である年金を死んでも守ってみせる」という気概で働いていれば、このようなずさんな管理で大問題になることはなかったはずだ。

厚生労働省の役人も社会保険庁の職員も、これは上層部の連中がやったことで、木枯らし門次郎なみの「あっしには関わりのねぇことでござんす」ってな顔をしている(このたとえもちょっと古いかな?)。ひとりひとりに民主主義を守り抜こうという民主主義の精神が欠如しているのである。”LIVE FREE OR DIE!”っていうくらいの民主主義を守るという精神がないのである。

あれもこれもそれも、すべて貧弱な民主主義教育から起こる民主主義精神の欠如が招いた悲劇なのである。

健全な民主主義社会は民主主義の精神が国民一人ひとりに行き渡り、各個人がそれにしたがって行動することにより、はじめて実現されるものなのである。

だから民主主義精神が国民ひとりひとりに根ざすことがなければ、同種の事件は今後とも起こってくるだろう。

どうですか。ここまで読んでくれた読者には、外見上は憲法があり、議会政治が行われ、三権分立が整っている日本の民主主義が健康そうに見えて、実は内部ではメタボリック症候群を患っていることがおわかりになったかと思う。

もしジョン・ロックがこの世に生き返って今の日本の状態を見たら、

「日本は断じて民主主義国家ではない!」

と言うに違いない。

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最後に日本の憲法9条についても触れておこう。

日本人に憲法でもっとも重要な条文はなんですか?…

…って聞いたら、おそらく

それは憲法9条の戦争の放棄であると答える人が多いのじゃないだろうか。

なぜかというと、戦後60年、日本では憲法論議はほとんど憲法9条に費やされてきたからである。テレ朝の俵総一郎さんの「朝までやってる」討論番組では、憲法問題はすべてこの9条問題だったし、憲法を守る会の人たちも問題としているのはやはりこの9条だった。とにかくマスコミも一般市民も憲法といえば9条のみ、憲法にはそれ以外の問題はないって感じで過ごしてきた。

だからほとんどの人たちが憲法でもっとも重要なのは憲法9条だと思い込んでしまうのは無理もない。

ここまで読んでくれた読者にはもうおわかりだと思うが、

憲法の命は基本的人権の保障にある。

日本国憲法で言えば、第十条「基本的人権の享有」、第十三条「国民の生命、自由および幸福を追求する権利の尊重」、第十九条「思想、信条の自由」である。

本来、我々が憲法に関して論じてこなければならなかったことはこの基本的人権の保障だったのである。あまりにも憲法第九条に時間を費やしすぎたため、国民の憲法に関する感覚がいびつになってしまった。

それを如実に表しているのが、隣国北朝鮮による日本人拉致問題。

こう着状態にあるこの拉致問題に対して、だれひとり武力を持ってして解決すべしと主張するものがいないのである。国民もマスコミも政治家も、武力で解決するという発想がないのだ。

それもそのはず、日本国憲法第九条では国際紛争を解決する手段としての武力を放棄してしまっているからだ。

日本では第九条は神聖にして冒すべからず的条文となってしまっている。

誤解がないようにしたいのだが、オジサンは戦争をすることを言っているのではない。拉致被害者救済の一手段として、武力の行使もひとつの選択肢として挙げているのである。

ここで冷静に考えていただきたい。

憲法第九条と基本的人権の保障とどちらが大切か?

民主主義教育をきちんと受けて、民主主義精神を受け継いでいるアメリカ国民なら、こんな簡単な問題は小学生でも答えられるだろう。またここまで読んでくれた読者にもすでにお分かりになっている。

憲法の命は繰り返すが、基本的人権の保障にある。比べること自体がナンセンス。国家は国民の生命、財産、自由を守ることが最重要事項である。

基本的人権の保障を遂行するのに憲法第九条が足枷(あしかせ)になるのであれば、さっさと修正するべきである。

憲法でぜったい変えていけないのは基本的人権の保障だけ。それ以外は民主主義というのは時代が変われば、状況も変わっていくので憲法もそれに合わせて修正していかなければならない。アメリカ合衆国は建国いらい何度も憲法を修正して、時代の変遷に対応してきた。日本国憲法も現代の状況に合わせて修正すべきなのだ。いつまでも日本はシーラカンスとなってしまった憲法を持ち続けるべきではない。

もし、アメリカ人が北朝鮮に拉致されて、アメリカ大統領がなにもしなかったら、アメリカ国民はその大統領を大統領のゴミ箱へポイしちゃうだろう。

1979年11月、駐イランのアメリカ大使館がテロリストに占拠されるという事件が起きた。時のアメリカ大統領は第39代のジミー・カーターだった。カーターは有名な平和主義者でハト派の代表格。そのカーターでさえ即座にピンポイントの救出をするために空てい部隊をテヘランへ送り込んだのである。なぜか?

イラン大使館の人質の中に一般国民がいたからである。

国民の生命、財産、自由を守ることは国家の基本中の基本。何もしなければ民主主義が死んでしまう。

だからカーターは軍隊を即座に送ったのである。

しかしながらこの時カーターは人質救出に失敗し、アメリカ国民は、国民の生命を守れない無能な大統領はいらない!って感じで、翌年の大統領選挙でジミー・カーターはゴミ箱へ結局ポイされちゃったのである。

もっとも何もしない日本の政治家より何倍もカーターの方がましか…。

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いろいろと長々と書いてきましたが、どうでしょうか。皆さんの民主主義の風景が変わりましたでしょうか。

私たちはCNNや映画、あるいは音楽などでアメリカ人に接する機会が多く、アメリカ人に対して親近感を持っていると思います。ところがそのよく知ったつもりになっているアメリカ人というのは、実は宗教や民主主義に関して、日本人とは似ても似つかない考え方を持った人たちなのです。

コミュニケーションで大切なことは、単なる言葉の技術だけでなく、こういった文化的な背景を学んで知ることです。バイリンガルと同時にバイカルチュラルを目指してくださいね。

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最後にオジサンのお願い。

本文でもお伝えしたように、民主主義の社会が健全に機能するためには、一人ひとりが民主主義の考え方を理解して、民主主義の理念にしたがって行動しなければなりません。そのためにはもっと充実した民主主義教育がこの国には必要です。現在の民主主義教育はあまりにも貧弱です。皆さんの中で将来政治家になる人や、文部科学省などの官僚になる人がいたらぜひ充実した民主主義教育を子供たちにできるように教育改革をお願いいたします。

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あとがき)

いや~、いつも長いブログを書きますが、今回は特別長かったですね。字数を数えてはいませんが、おそらく一冊の本になるくらいの分量がありましたよね。

最後まで読んでくれた読者に感謝します。

多分、このブログ記事を最後まで読んでくれたのは、今のアクセス数からすると数人程度かと思います。ひょっとしたら一人も完走できなかったかも…。

もし、最後まで読んでくれたら、読んだよ!って程度でいいので、コメント下さいね。一人でも読んでくれる人がいたらこれからも書き続けますから。

次回は民主主義教育に関して、歴史教育にもひとこと補足します。

私たちが学校で習ってきた歴史は、海外から見ると実に奇怪な教育に見えるんですよ。オジサンが仕事で付き合った外国人から学んだ歴史教育を紹介し、いかに日本の歴史教育がいびつになっているかをお話したいと思います。

それじゃ、またね~。ばいばい。

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参考文献

ルーツ

パワーシフト

統治論

アメリカ大統領物語

アメリカ外交の魂

憲法原論

バイブル

美しい国へ

2007年9月30日 (日)

民主主義を殺すもの

日本とアメリカの違いはいろいろあるが、選挙の考え方もかなり違う。

日本では選挙にお金をかけることは悪いことだと思われている。

お金をかけすぎると、すぐにマスコミに「金権政治だ!」って批判をされてしまう。一度金権政治化のレッテルを貼られると、悪役のイメージが付いてしまうために、有権者たちから敬遠されてなかなか当選できない。だから候補者たちは極力選挙運動を質素に見せようと努力する。たとえば選挙のスタッフたちは手弁当で応援のかたちを取ったりする。また法律でも候補者一人に対して事務所や選挙カーは何台までとか、うぐいす嬢や選挙スタッフは何人までといった具合に規定してある。細かなところでは事務所に飾るダルマやちょうちんの数まで規定している。

こんなことを全然気にしないのがアメリカの選挙だ。

もし皆さんがアメリカに行って選挙にお金はかけてはならないなんて言ったら、アメリカ人からけげんな顔をして、「ホワイ?」って聞き返されてしまうだろう。

なぜなら、アメリカ国民は選挙にお金をかけるのが当たり前と思っているからだ。

彼らはお金をかけるから知名度のない新人議員であってもチャンスがあると信じている。とくに自国のトップとなる大統領を選ぶ選挙となれば、その候補者がどのような候補者であるかを知るために、お金をかけなければならないと思っているのである。だから大統領選となれば、各候補ともジャカスかお金をかけて全国を遊説するし、テレビコマーシャルをどんどん流すのである。

もっとも日米のこの違いは、選挙資金の集金方法の違いからきているのかもしれない。

日本の場合は基本的に、一部の政党を除いて、企業の献金に頼っているのが現状だ。

表面上はパーティ券購入のような個人献金の形式を取っているが、実際は各企業に割り当てられた券を個人名で購入している現状だ。オジサンの勤めている会社にも選挙の時期になると、「パーティ券の購入お願いしま~す」って、いろいろの関連企業から依頼がくる。このような選挙資金の集金方法が、企業との癒着を生むのではないかという懸念があり、日本では選挙にお金をかけないほうが良いという考えになるのだと思う。

ところがアメリカの場合はどうかというと、もちろん有力な企業やお金持ちがスポンサーになったりするかもしれないが、大部分は一般国民の個人献金が大きなウェートを占めている。

一般の国民が自分の応援したい候補者に、100ドル、200ドルといった献金をするのだ。人気のある大統領候補者になると、選挙権を持っていない女子高生でさえ、アルバイトをして得たお金の一部、たとえば10ドル、20ドルといった寄付をしたりする。能力のある政治家、人気のある政治家であればそうとうな選挙資金を調達することができる。それを宣伝費や遊説などの資金にあってているのである。こんなところから選挙にお金をかけることにアレルギーが無いのかもしれない。

大統領選に関していうと、かけるのはお金だけではない。相当な時間もかけるのである。

アメリカ人は実質2年間をかけて大統領を選ぶのである。

このアメリカの大統領選挙であるが、皆さんもご存知かもしれないが、非常に複雑な選挙方法が取られている。

まず、大統領選挙が行われる年の2月から6月にかけて、予備選挙というものが行われる。アメリカでは共和党と民主党の2大政党制を布いており、各党の候補者を一般有権者が選ぶわけであるが、それぞれの州によって若干の違いはあるが、間接選挙で行われる。

そして、それぞれの党で選ばれた候補者が11月の大統領本選に臨むわけであるが、このときの11月の本選も一般有権者が投票した総数で大統領が選ばれるわけではない。これまた間接選挙を採用している。各州で勝利した候補者がその州の選挙人団という人たちを獲得し、その選挙人団の人数を多く獲得した候補者が大統領となるのである。

2000年の大統領選は稀にみる接戦で、民主党のゴア候補に投票した一般有権者数が多かったにもかかわらず、間接選挙人数を多く獲得したブッシュ候補が大統領に選ばれるという矛盾も生じてしまった。

この時のニュースを見て、「アメリカ人ってバッカじゃないの!予備選や本選なんて止めて、最初から複数の候補者を直接選挙で選べばいいじゃん!」って思った読者は多かったのではないだろうか?確かに最初から直接選挙にすれば、時間もお金もかからずに済むはずである。

ところがじつは、彼らはわざと大統領選挙を複雑にしているのである。

これは日本人にはあまり知られていないことかと思うが、この複雑な大統領選挙方法の原形を考案した人は、ジョージ・ワシントンと建国の父たちである。

ジョージ・ワシントンが憲法制定委員会議長になったとき、このアメリカ合衆国という人類史上初めての民主主義国家を永続させたいと思った。そこで彼は民主主義の国家がどのように衰退していくかを歴史の中から学ぼうとしたのである。ところが、当時のヨーロッパの国々では王様のいない国家はなかった。ましてや民主主義の国家なんてものはなかった。つまりジョージ・ワシントンが教科書とする国家がなかったのである。

そこで彼が注目したのは古代ローマであった。

古代ローマでは最初のころ共和政(民主政とほぼ同義)を取っていた。すべてのことは貴族の代表者の合議で決められていた。その民主的なローマがなぜジュリアス・シーザーという独裁者に乗っ取られてしまったのか。ジョージ・ワシントンは彼の仲間たち(建国の父たち)と徹底的に、このころのローマと独裁者・シーザーを研究したのである。

そしてひとつの結論に達した。

独裁者は民衆の熱狂から生まれる。

シーザーは執政官になると、国有地を貧しい平民に分配する法律を制定し、ガリア地方の遠征を成功させた。またシーザーは大変な雄弁家でもあったので、平民たちからの人気は絶大なものがあった。その彼がローマに軍隊を入れてクーデターを起こしたのである。ローマに入ってきたシーザーに対してローマの大衆はブーイングをしたかというとまったくその逆で、シーザーは民衆の歓呼で迎え入れたのである。シーザーのクーデターは大衆の熱狂なしでは成功しなかった。

つまり我々が最も恐れなければならないのは、独裁者ではなく、独裁者を生み出す我々国民の熱狂なのである。

国民の熱狂こそが民主主義を殺す。ジョージ・ワシントンはそう考えた。

だからジョージ・ワシントンと建国の父たちは、大統領が国民の熱狂によって選出されることがないように、このように時間のかかる、かつ複雑なシステムにしたのである。

国民の熱狂は短時間である。どんなに人気のある候補であっても、国民の熱狂は2年間も続かない。また2年間かけて選挙をすることによって候補者一人ひとりを有権者たちは観察することができる。どんなに完璧に見える候補でも、2年間かけて選挙をすれば、ひとつや二つのアラが見えてくる。候補者が神格化されることを防ぐことができるのである。

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ところで、おそらく独裁者と言っても、多くの日本人にはピンとこないと思う。

今の日本は民主主義の国で、憲法で基本的人権が保障されているし、三権分立がなされている。しかも戦争も無く平和だ。だからほとんどの人たちは独裁者なんて遠い国のことで、日本には全然関係ない話しだと思っていることだろう。でも、独裁者はどこにでも出現するのである。日本であっても例外ではない。

日本にも独裁者が現れる可能性があるという話しをしたい。

たとえばこんな以下のケースを考えてほしい。

ある日のこと、かいちゃんという天才政治家が日本に現れた。

かいちゃんは菜食主義で虫もころさない、とても性格が優しい人だった。かいちゃんの生活はとても質素で誠実そのもの。かいちゃんは禁欲主義者で、汚職の「お」の字も見当たらない清廉そのものだ。またかいちゃんはかつては画家をめざしたこともある芸術家タイプで雄弁家。彼と会った人たちがかいちゃんの人間的魅力にとりつかれてしまうほどのカリスマ性をもった人であった。かいちゃんは理想的な政治家であり、非の打ち所がなかった。少なくとも多くの人たちにはそう見えた…。

そんなかいちゃんがある時、国民の人気を背景に日本の内閣総理大臣になった。

かいちゃんは総理大臣になると同時に、強力なリーダーシップを発揮して、現在の日本の諸問題をすべて解決してしまった。

たとえば、かいちゃんは巧みな経済政策の実行により景気を活性化し、いままで就職したくても就職できなかったフリーターの人たちや派遣社員の人たちが正規雇用できるように法律を作った。そして格差のない社会をみごとに実現し、国民のすべてが豊かに生活できるようになった。

また、国民の年金を食いものにしている社会保険庁を即座に解体し、プロフェッショナルな投資集団を組織して、巧みな投資により、増税することなく年金基金の財源を創出し、国民の老後を保証することができた。これで日本国民が老後の不安なく安心して生活ができるようになった。

隣国による拉致問題に関しては、諜報機関をフルに活用し、拉致被害者の所在を調べ、ピンポイントに空てい部隊を送り込んで、一人の血も流すことなく、被害者全員の救出に成功したとしよう。

こんなかいちゃんという有能な首相が日本に現れたら、皆さんは熱狂しないだろうか。そしてこの人にずっと自分たちのリーダーでいてほしいと思わないだろうか。

そんな時にかいちゃんが皆さんにこう言ったとしたら、皆さんはどう判断するだろうか?

「私に全権を与えていただければ、もっと豊かな日本を造ります!」

こんな有能な人格者であれば、全権を彼に与えちゃってもいいかな…なんて思ったりしないだろうか?

「そんな、神様じゃないんだから、日本が抱えているそれらの諸問題をすべて解決するなんてできっこないじゃないか!」って反論する人もいると思う。

もちろん、かいちゃん(オジサンのこと)にはそんな能力はまったくないので、かいちゃんは独裁者なんかになれっこない。せいぜいなれるのはウサギの独裁者くらいだ(我が家ではうさこを12匹飼ってるのです…)。

ところが、そんな神様のようなことを実際にやってのけた人間がいるのである。

アドルフ・ヒトラーである。

ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

そして次にヒトラーに関して知っておきたい重要なことは、彼は天才だったということである。

つまり天才がひとたび出現すれば、民主主義の社会でも合法的な方法で独裁者となる可能性があるということである。

ヒトラーがどれほどの天才だったかを知るために、最初に当時の社会的な背景を知っておく必要がある。

1929年10月24日にニューヨークのウォール街で端を発した株価暴落は、瞬(またた)く間に世界を飲み込んで大恐慌となった。一瞬にして財産を失った人たちは路頭に迷い、自殺する者も続出した。ウォール街では歩くときに上を見て歩け!と言われるほど、ビルからバラバラ人が降ってきたという。この日だけで、11人の飛び降り自殺者が出たのだ。また企業の倒産や閉鎖が相次ぎ、あっという間に世界中で失業者があふれ出した。

もっとも世界恐慌の打撃を受けたのはドイツだった。

第一次世界大戦で敗戦したドイツには、ベルサイユ条約で莫大な賠償金の支払いが命じられていた。その金額たるや天文学的数字で、孫の代まで払い続けても返せないと言われていた。

そんな巨額の賠償金支払いで国家財政が苦しいドイツに世界恐慌が襲ったのだからたまらない。すぐに国家財政は破綻し、たちまち巷(ちまた)には大量の失業者が出てしまった。その数なんと600万人。じつにドイツ国民の5人に1人は失業してしまった。当時の失業は今の我々の失業と深刻さが違う。我々日本では失業すれば失業保険が出るし、給料の条件を考慮しなければコンビニでも、工事現場のガードマンとしてでも働くことはできる。ところが1930年代の社会では失業したらアウト。なんの保証も働き先も見つからず、路上生活で乞食をするしかないのである。失業ということが彼らにとってどれほど深刻で恐ろしいものであったかがわかると思う。

そんな恐ろしい失業問題を短期間で解決したのがヒトラーである

1933年の選挙によってドイツの国民議会の第一党となったナチスのヒトラーは合法的にドイツの首相になった。そしてまずやったことは、アウトバーンの建設をはじめとする公共工事である。

今でこそ不況になれば市場を刺激するために、公共投資をするということは誰でも知っている。

不況のときに公共投資が効果的であることを初めて提唱したのは、近代経済学の祖、ジョン・メイナード・ケインズというアメリカの官僚である。彼は「雇用・利子および貨幣の一般理論」という本を1935年に出版し、その著書のなかで不況時に人工的に需要を増大させる政策の有効性を証明した。それ以降、不況時に公共投資をする国が増えてきた。

しかし、ヒトラーが首相になった1933年時点では、不況に公共投資が有効であることはだれも知らなかった。

むしろ国家は経済に介入してはならないと思われていた。

この時代の経済学の主流は古典派経済学。古典派経済学の祖、アダム・スミスは「国富論」という本の中で、レッセフェール(自由放任主義)を提唱した。国家がなにもしなければ、市場は見えざる神の手(市場原理ー需要と供給バランス)によって最大多数の最大幸福を実現すると主張した。アダム・スミスの説はそれまでの小さな不況には効果を発揮した。だから今回の不況でも、どの国もこの大不況の中で何もせず、いずれは市場の健全性がもどると信じてじっとしていた。しかし経済が好転する兆しはまったく見られなかった。

各国政府は古典派経済学者たちに何度も意見を求めたが、彼らはいずれ市場は回復すると言うのみ。ところが不況はどんどん悪化して行ったのである。そのうち古典派経済学の大家たちは、「これは古典派経済学の理論が間違っているのではない。回復しない市場が間違っているのだ!」、なんてことを言い出す始末。

そんな時に、古典派経済学のレッセフェールなんてゴミ箱にポイしちゃって、ヒトラーただ一人が公共投資をしたのである。

ヒトラーが公共投資をしようとした時、そんなことをしたら市場はさらに大混乱を起こしてしまうってことで、ヒトラーの側近たちやドイツの経済学の大家たちは止めようとしたが、ヒトラーは一切聞く耳を持たず、公共投資を続けた。そうしたところ当然のことと言うべきか、景気は回復し失業問題は短期間で解消したのである。しかも通常公共投資をするとインフレが起こるのであるが、特筆すべきは、ヒトラーは巧みに市場を調整しながら公共投資をしたので、この時インフレを起こさずに市場を回復させたのである。

驚くべきとしか言いようがない。

ヒトラーは若い頃は画家志望であったので、経済学の「け」の字も知らなかったはずである。なぜ公共投資が不況に有効であることをヒトラーが知っていたのか。天才は生得の知恵があるということなのかもしれない。

この大不況で世界中がのた打ち回っている時に、ヒトラーのみがドイツ経済の立て直しに成功したのである。

当然のことながら、ヒトラーの国民的人気はうなぎのぼりのように高まった。

次にヒトラーが行ったのは大ドイツの復活である。

第一次世界大戦で敗戦国となったドイツにはベルサイユ条約で、多額の賠償が義務付けられただけでなく、軍事力の制限と広大な領土の譲渡があった。ドイツ人にとってこれは屈辱的な条約であった。ドイツ国民の尊厳や自尊心はこの条約でボロボロであった。

そのドイツ人にとって恥辱とも言えるベルサイユ条約を、1935年にヒトラーは一方的に破棄すると宣言したのである。

そしてヒトラーは一挙に陸軍の規模を12倍にするべく、再軍備を開始したのだ。

この時ばかりは、ヒトラーの側近だけでなく、ドイツ国民も震え上がってしまった。

大国のイギリスとフランスが攻め込んでくる!

ドイツ国民もヒトラーの側近もそう思った。ただしヒトラーを除いて…

ところがヒトラーはその時にイギリスやフランス国内で広がっていた平和主義運動に着目していた。

第一次世界大戦はこれまでの戦争では考えられないような戦死者を出した。その反動からイギリスやフランスでは国民に厭戦感情が高まり、いたるところで国民による平和主義運動が繰り広げられていた。

「イギリスもフランスも、国民の世論に反対して、軍事行動を起こせるような勇気のある政治家は一人もいない!」と、ヒトラーは読んでいた。

ヒトラーの読みは的中した。

イギリスもフランスもこのとき軍事行動を起こさず、ヒトラーのベルサイユ条約破棄宣言と再軍備を黙認したのである。

その後は平和主義運動の高まりで動けないイギリスとフランスを尻目に、無血で第一次大戦で取られたラインラントの領土を奪い返し、オーストリアを併合して行った。

ドイツ経済を立てなおし、失業問題を解決し、ベルサイユ条約によってボロボロとなったドイツ国民の尊厳を取り返したヒトラー。またアーリア人至上主義を説き、ドイツ民族の誇りと自信を取り戻してくれたヒトラー。

ドイツ国民が熱狂するのはむべなるかな。

ドイツ国内は欣喜雀躍、狂気乱舞の手のつけようがない状態。一神教であるキリスト教徒のドイツ人は、「神様、仏様、ヒトラー様!」とはさすがに言わなかったが、その代わりにこう言った。

「ヒトラーは限りなく神に近い人…」

一神教のキリスト教徒がこう言ったら、もうヒトラーを神だと言っているようなものだ。こうしてヒトラー神話が作られていった。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。

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日本にヒトラーのような天才が現れたとき、はたして我々日本国民は冷静な判断ができるだろうか?皆さんには独裁者を出さない自信がありますか?

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国民の熱狂こそが民主主義を殺す。

ジョージ・ワシントンの慧眼(けいがん)は、はからずも他国の歴史が証明した。

アメリカの大統領は、行政権、軍隊の指揮権および立法に対しての拒否権という強い権力が与えられている。

だからこそ、ジョージ・ワシントンは国民の熱狂から独裁者になろうとする候補者が出ることを恐れたのである。

建国以来200年以上、アメリカ合衆国に一人の独裁者も出現しなかった理由は、ジョージ・ワシントンと建国の父たちが考え出したこの複雑な選挙制度にある。各政党の候補者選びから、予備選、本選と実質2年間という時間をかけてアメリカ国民は大統領となるべき人をじっくりと観察していく。そうすればひつじの皮をかぶった狼のどす黒い野望を見破ることができるのである。どんなに選挙に時間とお金がかかろうが、あるいは集票に手間取ることがあろうが、おそらくアメリカ国民はこの大統領の選挙方法を変えることはないだろう。

死してなおアメリカの民主主義を守り続けるジョージ・ワシントン。

ジョージ・ワシントンが歴代の偉大な大統領の中でも、ナンバー・ワンであることに異論を唱える者は一人もいないであろう。

あとがき)

ふ~うっ!

お疲れ様でした。今回はちょっと分量が多すぎましたでしょうか?最後まで読んでいただいた方は何人いるのかしら、ちょっと心配…。

昔と違って最近は日本国憲法を改正しようという議論がときどきされます。その際に日本もアメリカと同様に首相を一般国民が直接選んだほうがよいのではないかという首相公選制が話題になったりします。でも、日本のように選挙にお金をかけることが悪いことのように見られる国では、一般国民の直接投票がとても危険であることがお分かりになったのではないでしょうか。

ジョージ・ワシントンについて今回お話したとなると、どうしてもエイブラハム・リンカーンにつても話さなければなりません。なにしろこの二人は、王と長島、大鵬に柏戸、アントニオ猪木にジャイアント馬場、ラーメンに餃子(オジサンはラーメン餃子が好きなので、へへへっ…)のような関係ですから。

宗教ブログと言っておきながら、次回もアメリカの大統領についても話させて下さい。

それじゃ、来週も読んで下さいね。

バイバイ。

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参考文献

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ヒトラーと第三帝国

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ヒトラー神話の誕生

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ヒトラー・ユーゲント

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経済学をめぐる巨匠たち

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A Short History of The World

2007年9月23日 (日)

私の周りに神は見えない

前回の投稿記事で、1957年の旧ソビエト連邦の人工衛星スプートニクの成功がアメリカ国民にショックを与え、それまで多くの州で施行されていた反進化論法が廃止されたというお話しをした。

ところが、その4年後にもっとショッキングなことがおこった。

1961年4月の旧ソビエト連邦の有人宇宙飛行の成功である。

おそらく今の若い人には馴染みのない名前かもしれないが、人類史上はじめて宇宙に出た人物は、ユーリー・ガガーリンという軍人である。いまでもロシアの英雄の一人である。

オジサンと同い年かまたは年配の人であれば、この質問には簡単に答えられると思う。

ガガーリン少佐が宇宙から地球に送ってきた最初のメッセージは何でしょうか?

おそらくほとんどの日本人がこう答えるに違いない。

「地球は青かった…」

それまで人類は宇宙から地球を見たことがなかったので、我々の住むこの地球が宇宙空間で青く光る星であることは誰も知らなかったのである。だから彼が発したこの言葉は非常に印象が強く、当時の多くの日本人の心に感動とともに強く焼きついた。

ところが、同じ質問をアメリカ人にしたらどうだろうか。

これがまったく違った答えが返ってくる。

アメリカ人が記憶するユーリー・ガガーリンが最初に宇宙から発した言葉はこのようなものであった。

「私の周りに神は見えない…」

「へぇ~、結構哲学的な言葉だね!」って、皆さんの多くがのんきに思われるかもしれない。ところがあまり知られていないが、この言葉はアメリカという大国の60年代の方向を決定したといっていいほどのインパクトのある言葉だったのだ。

当時の日本人もこの言葉はニュースの報道などで聞いているはずなのであるが、宗教音痴の日本人はこの言葉は左の耳から入って右の耳から抜けて行っちゃった。だからだれも記憶していないのである。

ところが、キリスト教国であるアメリカは違った。

アメリカ国民のすべてがこのガガーリンの言葉に怒り震えたのである。

なぜかというと、アメリカはキリスト教の国であり、このガガーリンの発した言葉は、アメリカ国民を最高に侮辱した言葉であったからだ。

ちょっとわかりにくいと思うので、もう少し解説を加える。

旧ソ連は社会主義の国であったが、その理論的基礎は唯物論というものにあった。唯物論とは、我々の精神活動も含め、この世のすべての事象は物質の変化によって説明ができるという説である。そこには物質以外の要素(たとえば神など)は入る余地はない。社会主義の創始者・マルクスは「宗教は精神的アヘンである」と言って、宗教を切り捨てた。つまり、社会主義国家は無神論国家なのである。

かたや、アメリカは言わずとしれた資本主義国家であり、キリスト教国でもあった。

したがって、当時の資本主義国・アメリカと社会主義国・旧ソ連邦の対立は、有神論国家と無神論国家のイディオロギーの対立でもあったのである。

キリスト教の神はどこにいるかというと heaven (天国)である。

その heaven (天国)はどこにあるかというと、実は聖書にはその所在は明らかにされていない。だからと言って、地中深いところにあるとは考えにくい。神様はモグラじゃないんだから、そんな暗いジメジメしたところがお好きとは思われない。どちらかというと広々とした明るい上の方にあるのではないだろうか。そう考えた方が全知全能の神様のイメージにはピッタリだ。だらから大概の人は heaven (天国)というと上の方にあると考える。

ガガーリンもそう思った。

我々のずっと上の方、つまり宇宙空間からガガーリンが発した「私の周りに神は見えない」という言葉は、「天国など存在しない」また「神など存在しない」という、無神論国家・旧ソ連邦の宇宙開発競争における高らかな勝利宣言であり、かつアメリカ国民を文字通り見下した言葉であったのである。

だからアメリカ国民は怒りに震え、悔し涙を流したのである。

ガガーリンの有人飛行から3週間ほどして、アメリカもアラン・シェパードという宇宙飛行士が乗った宇宙船・フリーダム7号で有人飛行を成功させた。しかしこの宇宙飛行の実施はじつにタイミングがわるかった。なぜかというとガガーリンのボストーク1号との有人飛行の技術差が歴然として現れてしまったからだ。

ガガーリンは地球周回軌道に乗り1時間50分かけて地球を1周したが、アラン・シェパードの乗ったフリーダムは単に弾道飛行を16分間したのみ。無重力も10分間弱しか経験しなかった。今の人たちはサーカスなどを見たことがないかもしれないが、ピエロが大砲の中にはいってドンと打ち上げられ、放物線を描いてネットなどに着地する芸がある。アラン・シェパードの弾道飛行は、そのピエロのちょっと大掛かりな打ち上げと考えればよい。フリーダムは厳密な意味で宇宙に出たとは言いがたかった。

ガガーリンの華々しい成功のあとでは、文字通りアランシェパードはピエロを演じてしまったのである。

本来なら彼は国民的英雄としてアメリカ国民から熱烈な歓迎とともに地球に帰還するはずであったが、現実はその逆で、アメリカ国民の失意とともに迎え入れられたのだった。

当時のソ連邦はすごい国だった。少なくとも周りの国々にはそのように目に映った。

今の人たちには考えられないことかもしれないが、1960年代、1970年代は社会主義国の絶頂期で、農業生産も工業生産も年々倍増につぐ倍増が報じられていた。世界のいたるところで社会主義になる国も増えていた。またオリンピックなどは、まるでアメリカとソ連邦の運動会のようなもので、金メダルというとほとんどがこの二国が独占していた。ソ連邦の国威を示すひとつの例である。

カール・マルクスは唯物史観というものを唱えた。

これは人間はその社会の一定の生産関係の中にあり、歴史の移り変わりによって、生産関係も変わり、社会が発展していくというものである。たとえば中世は農奴と封建領主との生産関係であったが、貨幣経済が普及するにつれて、近代社会では労働者と資本家の生産関係に移っていくというように。

そしてマルクスはその著書「資本論」の中でこう予言した。

「生産技術の向上は、資本主義社会の内部矛盾を引き起こし、いずれは社会主義を経て、共産主義社会に移行する!」

いまから考えればばかばかしい話だが、60年代、70年代には、このマルクスの予言を信じている人がけっこういた。お恥ずかしいながらオジサンも学生時代は、ある朝起きたら日本は社会主義の国になっていた…なんてことが起こるのではないかと漠然と思っていた一人だ。

現在地球上に残っている共産主義国は、中国、キューバ、北朝鮮のみ。あとは1990年代にみんな崩壊してしまった。中国は共産党一党独裁を除いて、資本主義国に変貌しつつあるから、もはや現存する共産主義国に数えられないかもしれない。だから今から振り返れば、マルクスの予言なんて現在はだれも信じる人はいない。

しかし当時はアメリカでさえマルクスの予言に囚(とら)われていたのだ。

アメリカには、その頃ヒステリック症状というべき「ドミノ理論」という外交思想があって、連鎖的に共産主義国が誕生するなんていう強迫観念があった。だからアメリカはベトナムへの軍事介入をしつつあったのだ。実際はアメリカが70年代にベトナムから手を引いたら、現在のベトナムを見ればわかるように、彼らは共産主義の道を選ばずに資本主義の道をひたすら歩んでいる。(あの悲惨なベトナム戦争はいったいなんだったのか…。)

当時はそれほど現実離れした社会主義の脅威論が大きかったのである。

そんな状況下でソ連邦の有人飛行の成功が報じられたのである。

アメリカ国民の落胆振(ぶ)りは推(お)して知るべし。

やはり、ソ連には勝てないのか…。

アメリカ国民は敗北感にうちひしがれ、アメリカ社会には暗~い雰囲気が漂っていた。

このような状況下で、この劣勢をみごとにひっくり返す男が現れた。

就任したばかりの第35代大統領、ジョン・F・ケネディである。

ケネディは若干43歳の若さであったが、並みの大統領ではなかった。

フリーダムが帰還して数日後の1961年5月25日、ジョン・F・ケネディは突如として、アメリカ予算委員会でこう発言した。

「60年代が終わるまでの10年以内に人類を月面に立たせます!」

そしてこうも言った。

「これまでの宇宙開発で、これ以上重要で、これ以上困難で、これ以上費用のかかるものはありません!」

人類を月に送り込むためにいったいいくらかかるのか?いやそれ以上に月面に人類が立つことが果たして可能なのかどうか?力強く宣言したケネディ自身この時点ではわからなかったのである。

ひょっとして月面には技術的には行けないかもしれない…

世紀の茶番大統領の汚名を歴史上に刻む可能性が高かったが、アメリカ国民に希望を持たせ、ふたたびアメリカ社会を活性化させるため、アメリカ合衆国の威信をかけたケネディの一(いち)か八(ばち)かのかけであった。

もし日本で、政治家がなにかのプロジェクトを推進しようとして国民に向かって、「可能かどうかわからないくらい困難で、いったいいくらかかるかわかりません!」といったら、「あんた、いったいなに考えているの…」って、即リコールをくらっちゃうでしょう。ところがケネディが「月面に人類を立たせる!」って宣言したとき、アメリカ国民のブーイングを受けるかと思いきや、まったく逆だったのだ。

ケネディのこの宣言はアメリカ国民の熱狂をもって受け入れられたのである。

その理由はその背景にガガーリンの「私の周りに神は見えない」という言葉があったからだ。

「おのれ…、この屈辱を晴らさでおくものか…」とうい怨念がアメリカ国民にはあった。だからケネディの「月面に人類を立たせる!」という力強い言葉に、アメリカ国民全員が奮い立ったのである。

ケネディの月面着陸宣言に旧ソ連邦も全世界も度肝を抜かれたが、もっとも驚いたのはアメリカ航空宇宙局(NASA)の人たちである。

彼らは60年代の開発目標を立てたばかりであった。

その目標とは有人飛行を早く成功させ、1970年までに地球周回軌道に乗せて、7~8回地球を回るというものであった。それがいきなり、いくら予算を使っても良いから10年以内に人類を月面に立たせろというわけである。いままで幼稚園のお受験の準備していたのが、いきなり家庭教師は何人つけてもいいから、大学の入学試験を受けて合格しろ!と目標設定を変えられてしまったようなものだ。

しかし賽(さい)は投げられた。

そのあとのアメリカはすごかった。

キリスト教徒(プロテスタント)には行動的禁欲というものがある。

いずれこの宗教シリーズのブログでも詳しく紹介する予定であるが、行動的禁欲とは目的に向かって一心不乱に走りつづけるというパウロの教えである。アメリカはまさしく行動的禁欲のごとく、わき目も振らずに人類を月面に立たせるためにアポロ計画に没頭していった。アメリカ国家予算220億ドル、現在の貨幣価値にして1200億ドルを投入し、30万人の科学者やスタッフがこのアポロ計画に参加した。

そして、ジョン・F・ケネディの宣言した通り、1969年7月20日にアームストロング船長が月面に降り立ったのである。

今から40年前はパソコンなどない時代である。オフコンなるものはあったが、コンピュータなど一般の人たちは見たこともない。コンピュータのハードも今ほど発達していなかった。アポロ11号に搭載されたマイコンは4ビット。現在皆さんが使っているプレイステーションのようなゲーム機は32ビットのマイコンが主流だ。何世代か前のゲームボーイに使われていたマイコンよりもはるかに劣るマイコンがアポロ11号に使われていた。

そんな今よりコンピュータ技術の劣った時代に、アメリカはわずか8年間でアポロ計画を成功させたのである。

これはすごいことだと思わないか?

これが実現できた背景には、アメリカ国民の宗教的情熱とプロテスタントとしての強烈な使命感があったのである。

1960年代はまさにプロテスタンティズムが実現された時代であった。

彼らからすると、自由主義世界を守るということは神の御心に沿うものだと考えている。なぜかというと、彼らにとって民主主義、資本主義、キリスト教は三位一体なのである。

国家の威信をかけて、資本主義、民主主義を守ると言うことは、キリスト教世界を守ることでもあるのである。

このように、アメリカという国の行動の背景には、大なり小なりプロテスタンティズムの思想があるのである。このことをしっかりと覚えておいてほしい。

あとがき)

お疲れさまでした。

民主主義、資本主義、キリスト教は三位一体であるということは、今の高校の歴史教科書には書いてあるのでしょうか?少なくともオジサンの学生時代にはなかったような気がします(はっきり断言できないのは、オジサンは高校時代は歴史は及第点ギリギリで、得意科目ではなかったからです…汗)。

実は私たちが住む資本主義社会、民主主義社会というのは、キリスト教から発達してきたのです。資本主義や民主主義がキリスト教と関係があるというのは不思議に思われるかもしれません。このことを初めて解明した人は、ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人です。その著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本に書かれています。

これがすごい理論なんです。風が吹けば桶屋が儲かるって感じの理論なんですが、思わず「なるほど!」って納得しちゃう理論なんです。目からウロコが落ちるように、現在のアメリカが見えてくるようになりますよ。いずれこのブログで彼の理論を紹介しますね。

さて次回ですが、宗教のテーマから離れて、今回登場してもらったジョン・F・ケネディも含めた偉大なアメリカの大統領をご紹介したいと思います。アメリカ人にとっていつの時代も大統領は彼らのヒーロなんです。アメリカ人のメンタリティに強く影響を及ぼした歴代の偉大な大統領を知ることは、アメリカという国家、国民を知ることでもあります。

そうそう、もしオジサンの過去ログ、「アメリカン・ヒーロー」と「5ドル紙幣の偉人」と「徘徊する怪物」を読んだことがない方は、ぜひ次回までに読んでいていただけますでしょうか。読んでいただいていれば、次回の偉大な大統領たちの記事がよりおもしろく楽しんでいただけると思います。

それじゃ、また次回もぜひ読んで下さいね。

バイバイ

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オジサンお薦め本)

アメリカ外交の魂

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日本人のための憲法原論

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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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アメリカ大統領物語

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大統領たちの通信簿

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NASAを築いた人と技術

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宇宙からの帰還

2007年9月16日 (日)

おサルの裁判

評論家の山本七平さんが、戦時中フィリピンでアメリカ軍の捕虜になって終戦を迎えたときの話しである。

山本さんたち旧日本兵はアメリカ軍宿舎へ集められ、ある教育を受けさせられた。

それはダーウィンの進化論についての講義であった。

進化論の講義が終わったあとで、山本さんがアメリカ軍将校にこう質問をした。

「ここにいる日本人はほとんどが高等学校でダーウィンの進化論などとっくに学んできた。なぜいまさら我々にわかりきったダーウィンの進化論を教えようとするのか?」

この質問にアメリカ軍将校は腰を抜かさんばかりに驚いたという。

終戦後、アメリカ軍の最大の関心事は、強かった日本人をいかに弱体化させるかということにあった。特にアメリカ人を恐れさせたのは、自分の命もかえりみずに爆弾を抱えて戦艦に突っ込んでくる神風特攻隊である。アメリカ人の分析ではその日本の強さの秘密は、天皇に対する強烈な忠誠心にあるという結論であった。

ご存知のように我々日本人は戦前の教育で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・ニニギのみことが葦原の地に天孫降臨し、天皇陛下はその子孫であると習ってきた。だから天皇陛下は単なる人間ではなく、人にして神である。つまり現人神(あらひとがみ)であると教わったのである。

日本人に根付いたこの「天皇教」を打ち崩すために、アメリカ軍はわざわざ講師を呼んで、山本さんたち旧日本兵にダーウィンの進化論を講義させたのであった。それに対し、「すでにダーウィンの進化論など知っている」と山本さんが言ったので、アメリカ将校は驚いたのである。

アメリカ軍将校がこう山本さんに質問を返した。

「君たち日本人はこれまで天皇は神の子孫であり、人間にして神であると言ってきた。これはダーウィンの進化論と矛盾するのではないのか?」

このアメリカ軍将校の質問に、今度は山本さんが驚く番であった。

山本さんは初めてこのとき、ダーウィンの進化論が天皇の現人神(あらひとがみ)説に矛盾することに気付いたのである。

山本さんだけでない。戦前の日本で進化論が教えられてきたが、特高の思想検閲を受けたという話も聞いたことがない。当時の日本人1億人は誰一人として、ダーウィンの進化論が天皇現人神(あらひとがみ)説と矛盾することに気がつかなかったのである。

これは驚愕の事実である。

山本さん曰く、「日本で現人神(あらひとがみ)と進化論を学んだが、それはそれ、これはこれという感じですんなりと受け入れられた。」

日本人の宗教観を如実に表している言葉である。神社の初詣、お彼岸のお墓参り、暮れのクリスマスのお祝いをいっぺんにできちゃう国民ならではの特質というべきか。

前々回の投稿で、日本人の宗教観は世界でも類まれであると述べた。この一件からも我々日本人は他の国民と違っていることがお分かりになるかと思う。

ダーウィンの進化論がすんなりと受け入れられた国は世界広しといえど、日本以外にはないのである。

.

さて前置きがいつものように長くなってしまったが、本日はユダヤ教とキリスト教のファンデメンタリズム(原理主義)について検証していこう。

前々回の投稿で、宗教とは本来ファンデメンタリズム(原理主義)であると述べた。

イスラム教徒のほとんどが、原理主義者であることは、最近のイランやイラク、アフガニスタン、パキスタンなどの報道を聞いていると、なんとなく納得がいくのではないだろうか。

ところが、アメリカ人はほとんどが原理主義のキリスト教徒であると言っても、多くの読者はピンとこないと思う。

我々の多くがTVや映画などで目にするアメリカは、ほとんどがビジネスマンやセレブの人たちが闊歩するニューヨークやロスアンゼルスなどの大都会だ。そこではこれっぽっちの宗教色も感じられない。だから多くの読者はいったいどこにキリスト教原理主義者なんているの?って感じだと思う。

でもいるのである。あちらこちらに。アメリカは宗教国家といってもいいほど、キリスト教原理主義者がたくさんいるのだ。

冒頭に進化論の話をしたが、実はアメリカでは日本とまったく逆で、この進化論を受け入れるにはとてつもない苦悩と葛藤があるのである。このお話をすることによっていかにアメリカにはファンデメンタリスト(原理主義者)が多いかをお伝えしたい。

アメリカではダーウィンの進化論に関して、これまで何度ともなく繰り返されるモンキー・トライアル(おサルの裁判)というものがある。

おそらく多くの読者は驚かれると思うが、アメリカの多くの州では、ダーウィンの進化論を公立の学校で教えることを禁じているのである。なぜかと言うと、それらの州ではキリスト教ファンデメンタリストが多く、親たちが公立の学校で子供たちに聖書の天地創造と異なる学説を教えることは好ましくないと思っているからである。

ところがときどきそれらの州法に反してこの進化論を子供たちに教えてしまう(不埒な?)教師が出てきてしまうのである。その際にこれらの州法の禁止命令が憲法に抵触しているのではないかということを争う裁判に発展してしまうことがある。これがモンキー・トライアル(おサルの裁判)と呼ばれる裁判である。特に有名なものとしては、1925年のテネシー州で起きたおサルの裁判がある。

テネシー州ではキリスト教ファンデメンタリストが多いため、聖書の天地創造の記述と異なる進化論を公立の学校で子供たちに教えることは法律で禁じられていた。ところが理科の教師・ジョン・スコープスは子供たちに進化論を教えてしまったために、逮捕されてしまったのである。

この裁判は検察側に元民主党大統領候補だったウィリアム・ブライアンが代表となり、被告側にはクラレンス・ダローという当時有名な弁護士がついたため、全米が注目する裁判となった。

結果はスコープ側の敗訴となった。

しかしそれから40年たって、ソ連のスプートニックの実験成功がきっかけになり、1967年にこの法律は廃止された。

しかし、その後も同様の裁判はつづき、最近の例では1987年のルイジアナ州のおサルの裁判がある。

オジサンは初めてアメリカの多くの州で、ダーウィンの進化論を教えることを法律で禁じているということを知ったとき、非常にショックを受けた。

これはイスラム世界の宗教国家ではない。自由の国、アメリカなのだ。それまでアメリカという国は、なんでも自由で科学も含め最先端にある国だと思っていた。だからこのような宗教による学問の規制があるとは信じられなかった。

ソ連のスプートニックショックがあってから、宗教よりも科学を優先しなければならないという機運が高まり、これらの反進化論法は撤廃されるようになったが、それでもいくつかの州では、依然として進化論を禁じているのである。

このことから見ても、いかにアメリカにはキリスト教原理主義者が多いかがおわかりになるかと思う。

石を投げれば原理主義者に当たるってくらい、アメリカには原理主義者がたくさんいるのだ。

2004年11月のCBSの調査では、国民の55%が聖書の天地創造を信じているという。

キリスト教にはイスラム教のような戒律がない。

だから食事をしていて豚肉を食べないとか、一日5回の礼拝が義務付けられているとかといった戒律がないので、外からみて原理主義者であることがわからない。しかし確実にキリスト教原理主義者は多数存在する。CNNなどのTVにでてくるレポータやアンカーたちにも確実に原理主義者がいるはずである。

聖書ではアダムからイエスまでの系譜が克明に記述されている。

アダムは何歳まで生き、その子セスはアダムが何歳の時に生まれ、何歳まで生きた…と言う具合に延々と記述されている。これらを計算すると神が天地創造を行ったのはいつころかということが正確にわかる。神がこの世界を造ったのは紀元前4004年である。

つまり今から約6000年前にこの宇宙と地球ができたことになる。

ちなみに現在の宇宙物理学では、地球は約30億年前にでき、宇宙の始まりであるビッグバンは約150億年前に起きたとされている。これは遠くにある星ほど写真を撮ると、赤く映って見えることから、遠くにある星ほど光のスピードで我々から遠ざかっていくことがわかったからだ。これを逆計算すると宇宙ができてどれくらいたったかがわかるのである。

宇宙物理学で計算された150億年と聖書が述べる6000年の宇宙の年齢…。この違いがどれほどあるか。その違いをわかりやすくするために、仮に150億年を1年の長さにたとえて見ると、6000年の長さはわずか30秒足らずになる。一年の長さと、たったの30秒弱。それほど宇宙物理学でいう宇宙の年齢と聖書の年齢はかけ離れているのだ。

それにもかかわらず、これらのファンデメンタリストは、なんども繰り返すが、天地創造も含め、聖書に書かれている一字一句が本当にあったこととして信じている人たちである。

これはユダヤ教徒についても同じことが言える。

ほとんどのユダヤ教徒も旧約聖書に書かれている一字一句信じている。

アインシュタインを筆頭に、医学、化学、物理学の分野でノーベル賞を取るユダヤ人は非常に多い。なんと、ノーベル賞受賞者の5人に一人がユダヤ人だ。(これは驚異的な受賞率である!)そして、これらのユダヤ人のほとんどが敬虔なユダヤ教徒なのである。

かつてノーベル物理学賞をとったユダヤ人の科学者に、小室直樹さんという学者がこう質問した。

「あなたは本当にこの世界がわずか6000年前にできたと信じているのですか?」

するとこの物理学者はこう答えた。

「もちろん信じてます。当たり前でしょう。私はユダヤ教徒なのですから。」

これぞ原理主義の真髄 …。

我々日本人は初詣とクリスマスをいっしょに祝っちゃう国民なので、この原理主義というものがよく理解できないのであるが、読者のみなさんはなんとなく実感としてつかんでいただけただろうか?

このようにこの世界のほとんどの事象は、ユダヤ教徒、キリスト教徒そしてイスラム教徒の原理主義者によって動かされている。そして彼らの宗教は彼らの思想および行動を意識的または無意識的に規定しているのである。

このことを実感としてつかんでおいてほしい。そうすることによって、皆さんの身近な外国人との付き合いから国際紛争にいたるまで、目からうろこが落ちるように、よ~く見えてくるようになるのである。

そうそう、アメリカでもっとも権力のある原理主義者の話もしておこう。

アメリカでもっとも権力のある原理主義者といえばブッシュ大統領である。

彼は敬虔なファンデメンタリストである。そして彼の右腕のライス国務長官も同様にファンデメンタリストである。彼らはホワイトハウスの一卵性双生児といわれるが、深い宗教の信仰を通じて信じあっている仲であると言われている。もちろんこの二人も天地創造は神によって6000年前に行われたと信じている人たちである。

こう考えると、ブッシュ大統領があくまで妊娠中絶法や同性愛者の婚姻に反対する理由がお分かりになると思う。

彼は単に人道的にまたは道徳的にこれらに反対しているわけではない。

それらは聖書の記述、"Have many children, so that your decendants will live all over the earth(創世記1章26節)" と "No man is to have sexual relations with another man(レビ記18章22節)に反する行為だから反対しているのである。

こんな風に聖書やコーランに何が書いてあるかを知ってくると、身近なことから国際問題にいたるまでよくわかってくる。タイムやニューズウィークを読んでいておもしろいように理解できるようになるのである。

あとがき)

おつかれさまでした。

どうですか?宗教とは本来原理主義であるということが実感としてわかってきましたでしょうか?

次回は、多くの反進化論法の廃止のきっかけとなったスプートニク・ショックとそれに続くガーガーリンショックを補足します。

宇宙開発に遅れをとったアメリカは人類を10年以内に月へ送るというアポロ計画を打ち立てます。しかしこの背景には宗教が関わっていることを日本人はあまり知りません。「なんで、科学的なアポロ計画とキリスト教が関係あるの???」なんて、声が読者から聞こえてきそうですが、実は大有りなんです。人類を月に立たせた60年代のアメリカの国家プロジェクトというべきアポロ計画にキリスト教がどのように関わったか。その思わぬ展開を書こうと思っています。

それじゃ、また次回よろしくね。バイバイ!

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オジサンお薦めの本)

空気の研究

皆さんも「空気」で動かされてしまうと感じることはないだろうか?実はこれは日本人独特の文化であるのだ。そしてこの「空気」が日本社会を動かしているといっても過言ではない。この日本独特の「空気」を学問としてはじめて研究したのが山本七平氏である。

日本人とユダヤ人

イザヤベンダサンというペンネームで山本七平氏がはじめて30年前くらいに書いた本。日本人は水と安全はタダだと思っているという言葉が当時社会にショックを与えた。この本を読むとユダヤ人が安全をどのよう考えているかがよくわかる。

A BRIEF HISTORY OF TIME

車椅子の物理学者として有名なホーキング博士が、宇宙の始まりとその後の発展をわかりやすく教えてくれる…と言いたいが、かなり難解。うわべ読みでざっくりと内容をとらえることが大切。英検準1級以上の方にお薦め。

ユダヤ世界のすべて

現代物理学の父・アインシュタイン、社会主義経済の父・マルクス、アローの背理で有名な経済学者・アロー、精神医学の巨人・フロイト等…。学術の分野でのユダヤ人の活躍は驚異的である。この本によってユダヤ人の歴史から現代にいたるまでの足跡を学ぶことができます。

2007年9月 9日 (日)

耳の長いトリ???

我々一般の日本人が海外の人たちと付き合うときに、もっともトラブルになりやすいのが、食べ物にかんしてだと思う。

特にユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教およびインド仏教では食べて良いもの悪いものがはっきりと決められている。これを食物規範という。本日はこの食物規範について、それぞれの宗教で何を食べてよく、何を食べてはならないかを詳細に見ていこう。

その前にまずお伝えしたいことは、オジサンのビジネスを通した経験では、宗教上の食物規範を単なる「好き嫌い」程度にしか考えていない日本人が多い。

ちょっとくらいなら、神様も許してくれるだろう…

ほとんどの日本人がこう考える。とんでもないことである!

食物規範を含む戒律は彼らにとっては「生死」以上の問題であることをぜひ肝に銘じてほしい。

彼らはこれらの戒律を破ると神の罰が下ると本気で信じている人たちなのである。

ユダヤ教徒であれば戒律を破れば一族皆殺し、イスラム教徒であれば地獄での永遠の業火による苦しみ、ヒンズー教徒であれば畜生の生まれ変わりに等々…

戒律を破るとこのような罰が与えられると本気で信じているのである。

以前、日本からイスラム教の国・インドネシアへ進出した某調味料メーカーが、調味料の素となるグルタミン酸ソーダを作る際に豚肉の一部を触媒として使った。「触媒だから直接口に入らないからいいか」ってな安易な気持ちで、製造したグルタミン酸調味料を販売してしまった。ところが後から触媒に豚を使ったことがわかり、暴動が起きて国際問題にまで発展してしまったことがあった。彼らにすれば豚を使ったものは全て不浄なものとなり、食することは戒律違反になってしまうのだ。努々(ゆめゆめ)ちょっとくらいならいいかという考え方は、食物規範に関しては厳禁である。

またユダヤ教徒は、旧約聖書を読むとよくわかるのであるが、過去に何度となく神が定めた掟を破り、その都度一族絶滅の危機に見舞われてきた民族である。北イスラエルの滅亡、南ユダ王国のバビロン捕囚、そしてその後、数々のヨーロッパにおけるホロコーストを体験してきた。彼らにとって食物規範を含む戒律を守るということは、ユダヤ民族の存亡にかかわる重大問題であることがおわかりになると思う。

彼らの戒律を守ることの重要性をしっかりと把握して、これらの海外の人たちと付き合っていってほしい。

逆に言うとここらへんをしっかりと理解して、彼らが日本に来たときに戒律に反する「不浄な?」食べ物から守ってあげると、これらの人たちと太い信頼関係のパイプを作ることができるのである。

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まずはユダヤ教から見ていこう。

ユダヤ教の経典は旧約聖書であるが、特に最初の部分、創世記(Genesis)、出エジプト記(Exodus)、レビ記(Leviticus)、民数記(Numbers)、申命記(Deuteronomy)には、ユダヤ教徒として守らなければならないこと(戒律)が克明に書かれている。これらの5書をトーラ(またはモーゼ5書)と言い、ユダヤ教の経典の中でももっとも重要なものとされている。

食物規範についての記述は、レビ記の11章と申命記の14章3節から21節までに書かれている。こと細かに書いてあるが、食べてはいけないものの要点は以下。(コリンズの聖書の原文を最後に載せておくので、英語に興味のある方は挑戦してみたし):

1.蹄(ひづめ)が割れていない動物または反芻(はんすう)をしない動物。

ブタ(蹄は割れているが反芻をしない)、ラクダ、ウサギ、ねずみ、もぐら、等

2.水中に生息するものでエラまたはウロコのない生物

3.食べてはいけない鳥。

わし、ふくろう、たか、とんび、カラス、海とり、ダチョウ、コウノトリ、コウモリ等

4.バッタ、イナゴを除く羽のあるすべての昆虫

5.地をはう動物

へび、とかげ等

6.ヒツジまたはヤギの肉とその乳をいっしょに料理したもの

ということは、

ユダヤ教で食べられるものは、肉類は牛、羊、ヤギなど。一般の魚はOKだが、ウナギやドジョウはだめ。貝類もだめ。イカやタコもだめ。カニもだめ。ただし確かエビはOKだったと思う。鶏肉はOK。グラタンやクリーム類を使った料理は同種の肉類が使われているならばだめ。

オジサンはお刺身を肴に、お酒を一杯というのが大好きなので、ホタテや貝類、イカ、タコの食べられないユダヤ人とは、なんとかわいそうな民族なんだという気がする…。

もし皆さんがビジネスなどで欧米の人と食事や接待をするときには、けっこうユダヤ系の人たちが多いので、食べ物の制約があるかどうか事前に調べておこう。接待のときなど思わぬ不快な思いをしてしまうことがあるので気をつけよう!

なお、旧約聖書を共通の聖典とするキリスト教は、イエスの登場によって戒律よりも神への忠誠と愛を優先させたため、ユダヤ教のような食物規範はない。常識内で何を食べてもOK。

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次にイスラム教の食物規範を見てみよう。

コーランの第5章3節にはこのように書いてある。:

「あなたがたに禁じられたものは、死肉、流れる血、豚肉、アッラー以外の名を唱え殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で殺されたもの…」

イスラム教はシンプルだ。ずばりイスラム教徒が食べられないものは、豚肉である。

…と思いきや、そう簡単ではない。

実はイスラム教では、キリスト教の旧約聖書の「出エジプト記」、「レビ記」、「申命記」および、新約聖書の福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)は、聖典の一部とされているのである。

以前、パキスタンから来たイスラム教徒の顧客と食事に行ったことがあるのだが、彼らは豚肉以外にもタコやイカ類は食べなかった。また前回の投稿に登場したカーンさんと居酒屋へ行ったことがあるが、彼も豚肉以外にもタコやイカ類は食べなかった。

そう考えると

パキスタンとバングラデシュのイスラム教では食物規範にかんしては、ユダヤ人同様に旧約聖書が適用されているようだ。(申し訳ないが、オジサンはアラブ人と食事をしたことがないので、本家本元のイスラム教徒であるアラブ人も同じであるかわからない。この点ご存知の方がいらっしゃれば教えてほしい…)

イスラム教徒の方を食事に招待する時などは、豚肉以外に食べられないものがあるかどうかを確認しておくほうが無難である。

ところで、「えっ!なんでイスラム教ではキリスト教の聖書の一部が聖典となっているの???」と、不思議に思っている読者がいるかもしれないので、ちょっと解説を。

イスラム教徒に、「あなたの最初の先祖は誰ですか?」と聞くと、こう答えるはず。

それは、アダムとイブである。

つまり広い意味で言うと、イスラム教徒はユダヤ教徒およびキリスト教徒と兄弟なのである。

イスラム教の経典であるコーランは、旧約聖書および新約聖書を継承して、7世紀に天使ガブリエルを通して預言者モハメッドにおろした唯一神アッラーの啓示なのである。このコーランの中では、たびたびモーゼやイエスが登場し、イスラム教では彼らはモハメッドと同様に預言者として扱われ、尊敬されている。

ちなみに、彼らは預言者(prophet)であって予言者(fortuneteller)ではない。預言者は神の代理として神の言葉を人々に伝える人。予言者は超能力によって未来に起こることを事前に伝えることができる人。混同しないように、念のため。

イスラム教と聞くと、右手に剣、左手にコーランを持って、イスラム教に改宗するように迫ってくる恐ろしい暴力的な宗教のようなイメージがあるかもしれないが、これはまったくの誤解である。十字軍以降の西ヨーロッパのキリスト教世界のプロパガンダによって作り上げられたいつわりのイメージと思われる。実際はコーランではイスラム教に改宗するのが望ましいが、ユダヤ教、キリスト教との共存を認めているのである。

覚えている人も多いと思うが、イラクのフセイン政権で外務大臣を務めていたアジズというごくごくまともな人がいた。この人はキリスト教徒であった。キリスト教徒であってもイスラムの世界では迫害されることはないのである。

9.11以降世界中で過激なイスラム原理主義運動が起こっており、これらの現象をイスラム教とキリスト教の対立としてとらえている識者が多くいるが、上記の例からもちょっと的外れなのがわかると思う。

イスラム教はユダヤ教もキリスト教も同胞として共存を認めているのだ。

現在のイスラム原理主義運動の原因はもっと深いところにある。それはオジサンといっしょにイスラム教およびイスラムの世界を勉強していくと本当の理由が徐々に見えてくるはずだ。

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ついでにインドのヒンズー教を見てみよう。

インド人と聞くと、牛を神聖視して、牛肉だけ食べないと思い込んでいる日本人が多いけど、それは大きな間違い。

インド人の7割は敬虔なヒンズー教徒で、全員がベジタリアン(菜食主義者)である。

彼らはいっさいの動物や魚介類は食べない。

これは人は死んで輪廻を繰り返すと信じているところから来ている。

「あなたが今、食べようとしいる豚や魚は、亡くなったあなたのやさしい母親の生まれ変わりかもしれない…」

こう言われたらちょっと食べる気がしないでしょう。

以前オジサンが勤めていた産業機器を製造している会社の社長さんは高学歴でかなりの英語使いだったが、インド人は牛肉だけ食べないと思い込んでいた。そこで接待をする際に、牛肉以外にも豚肉や魚介類があるってことで、なんと!インドの代理店の人を彼の行きつけの高級焼肉屋について行っちゃったのである。それを後から知って、あわててオジサンが追っかけて行って強引にお店を変えさせたことがあった。高級だからって彼らが喜ぶはずはない。

そのインド人が言っていた。「かいちゃんは命の恩人だ!」って。

彼らからすると、牛に限らず生き物を焼いたにおいが漂うところにいることすら耐えられないことなのだ。

本来はヒンズー教徒も元始仏教徒も植物さえ食べてはならないのである。

なぜかというとそれらには命が宿っているからである。

ヒンズー教と元始仏教では、いっさいの殺生を禁じている。そうかといって、なにも食べないのでは餓死してしまうので、必要悪として野菜と果物は食べるのである。

日本では食事をする前に「いただきます」と言う習慣があるが、これは仏教用語から来ている。本来の意味は、「あなたの命をいただいて、生きながらえさせていただきます」という、自分が生きるために犠牲となって死んでいく動植物に対する感謝の言葉なのだ。英語に訳そうとしても適訳が見当たらないのは当たり前。欧米にはそのような宗教的概念がないのだから。旧約聖書の中では、唯一神・エホバはヤギや羊の皮をはぎ、これこれこのように焼いて供えよとイスラエルの民に命じる箇所が多数記述されている。つまりもともと家畜は人間が食べるものとして神によって創造されたものである。家畜を殺すことは神の意思にかなっており、悪いことではない。だから無理に「いただきます」を英訳しようとすれば、せいぜい、Let's eat it, shall we? なんてあっさりと言うしかない。

マヨネーズや卵くらいはいいのかな?なんて思うのは日本人。野菜と果物以外はだめ!(ただし、乳製品はOK!)

精進料理であっても、かつおだしを使っているものも不可。

オジサンは日本国内でインド人と営業に出かけて、昼食をとるときには喫茶店に入ってトーストやピザ(ただしサラミの乗っていないもの)とサラダを食べさせていた。それで十分。もちろんドレッシングはイタリアンで、マヨーズなどが使っていないものを選んであげよう!

そうそう、インド人はお茶も好きなので、紅茶も合わせてたのんであげることを忘れずに!

オジサンは時々、行きつけの昆布だしのお蕎麦屋さんにも連れて行っていた。インド人はたいてい「うまい、うまい」と言って喜んで食べていた。なにも高いところへ連れて行く必要なんかない。高級レストランに連れて行っても彼らはちっとも喜ばない。彼らが一番喜ぶものは「安全な」食べ物なのである。

またインド・レストランに連れて行けば安心だろうと思わないこと。

日本では本当のインド・レストランは非常に少ない。

インド・レストランと銘うっているお店のほとんどが、バングラデシュ料理かパキスタン料理である。日本に本当のインド・レストランが少ない理由は、コックがインド人だと、ベジタリアンなので、肉や魚を使った日本人好みの料理が作れないためだ。大概でてくるインド料理と呼ばれるものはパキスタン人またはバングラデシュ人コックが日本人好みに作ったパキスタンまたはバングラデシュ料理である。そのなかには肉類や魚介類が材料として使われているので注意が必要だ。(オジサンはパキスタン人またはバングラデシュ人が作った料理を否定しているわけではないのでご了承いただきたい。彼らの作る料理はそれはそれでとてもおいしい!)

もし、皆さんのお知り合いのインド人がホームシックにかかって、どうしてもインド料理が食べた~いと言ったら、東京地区であれば、銀座の「アショーカ」か「ナイル」に連れて行ってあげよう。この二軒は本当のインド料理レストランである。ただし完全を期すために、念のため、菜食主義者であることをウェーターに伝えておこう。なお、あまり知られていないが「ナイル」は日本で初めて開店したインド・レストラン第一号でもある。

なんか英語ブログというよりも、グルメ店の紹介ブログみたいになっちゃいましたね。

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最後に日本の食物規範についても触れておこう。

江戸時代まで日本にも食物規範があったのをご存知だろうか?

江戸時代までの人たちは、不浄なものとして四足動物を食してはならないことになっていたのである。これは仏教の戒律から来ているものと思われる。ところが日本の食物規範はユダヤ教徒やイスラム教徒のような原理主義者がみたら、腰を抜かすくらい厳格ではなかったのである。

種子島に外国船が漂着して以来、日本は鎖国をしていたとはいえ、西欧の文化が徐々に入ってきた。そのうちの一つに牛肉、豚肉があった。日本人はそれらの四足動物がおいしいということがだんだんわかってきた。

戒律で四足動物を食してはならない。かといって肉は食べたい…。

そこで当時の人々はこう考えた。

イノシシは色が黒くてとても他の四足動物のように見えない。あの黒さはどこかでみたような…、そうだ!あれは海にいるクジラの色に似ている。イノシシはひょっとして四足動物じゃなくて山にいるクジラじゃないか?うん、あれはたしかにクジラだ!ってことで、イノシシを食べていた。

また、ある人はウサギを見て、ウサギはピョンピョン跳ねる。あれはどう見ても四足動物に見えない。ウサギはひょっとしてニワトリの一種じゃないか?確かに、一羽二羽と数えていたらなんとなく鳥のように思えてきた…、うん、これは鳥だ!ってことで、ウサギも食べちゃった。

前回の投稿記事で、妻子を殺されても豚肉を食べなかったイスラム教徒と比べると、日本人の食物規範はなんとあいまいなことか…。

日本の仏教僧もそうだ。日本に仏教が伝わったころは仏教僧は完全なベジタリアンであった。ところが現在では精進料理は何かのイベントに出される程度で、ほとんど食さなくなってしまった。いつのまにか食物規範の戒律がなくなっちゃたのである。

このことから見ても、我々日本人には原理主義(ファンデメンタリズム)がなじまないのがおわかりになるかと思う。

あとがき)

お疲れ様でした。

ユダヤ教やイスラム教でいう宗教上不浄な食べ物とは、現代的知識を持って見ると、細菌やウィールスが繁殖したものであるようです。

細菌やウィールスは肉眼で見ることができず、かつその存在すら知らなかったので、古代の人々はそれらの食べ物にはなにか霊的に不浄なものが憑いていると思っていたのでしょう。昔の豚は衛生面で問題があり、多くの人がお腹をこわしたりしたのでしょうね。またイカやタコのような生物は、冷蔵庫のような貯蔵場所がなく腐敗しやすかったので、食中毒などを起こしやすかったと思います。これらは旧約聖書のレビ記や申命記の食物規範の章をじっくりと読むとおわかりになると思います。巻末にその部分を抜粋しておきましたので、このような観点から読んでみると面白いのではないでしょうか。参考にしてみて下さい。

原理主義の人たちにとって食物規範は非常に重要なものです。ここら辺を注意して日本にこられる海外の人たちに接してあげて下さいね。コミュニケーションがスムーズになると同時に、深い信頼関係を築くことができます。

前回の投稿でイスラム教徒の原理主義を見ましたが、次回はユダヤ教とキリスト教の原理主義を検証してみたいと思います。

それじゃ、また見てね。バイバイ。

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オジサンお薦めの本)

聖書

聖書協会が出版している、口語英語で書かれた読みやすいバイブルです。この聖書の特徴は各章の要約が冒頭に書かれていることです。聖書は日本語で読むよりもこの英語版で読むほうがずっと楽です。中学3年生程度の英語力があれば理解できるほど、平易な文章と単語で書かれています。

平易な文章で書いてあるとは言え、一般の我々が聖書を通読するのは骨の折れる作業です。なぜかというと、系譜が非常に複雑で混乱するからです。最初から細かく読んでいくと何がなんだかわからなくなっちゃいます。そこで枝葉末節は思い切って省き、ざっくりと幹の部分だけをすばやく読みましょう。そうすることによって聖書による神と人間の関係がより深く理解できます。どの部分が太い幹か今後このブログで明らかにしていきますね。

参考文献)

レビ記11章

The Lord gave Moses and Aaron the following regulations for the people of Isreal.

You may eat any land animal that has devided hoofs and that also chews the cud, but you must not eat camels, rock-badgers, or rabbits. They must be considered unclean; they chew the cuds, but do not have devided hoofs. Do not eat pigs. They must be considered unclean; they have diveded hoofs, but do not chew the cud. Do not eat these animals or even touch their dead bodies; they are unclean.

You may eat any kinds of fish that has fins and scales, but anything living in the water that does not have fins and scales must not be eaten. Such creatures must be considered unclean. You must not eat them or even touch their dead bodies. You must not eat anything that lives in the water and does not have fins and scales.

You must not eat any of the following birds; eagles, owls, hawks, falcons; vultures, crows; ostriches; seagulls, storks, herons, pelicans, cormorants; hoopoes; or bats.

All winged insects are unclean, except those that hop. You may eat locusts, crickets, or grasshoppers. But all other small things that have wings and also crawl must be considered unclean.

Whoever touches the dead bodies of the following animals will be unclean until evening; all animals with hoofs, unless their hoofs are devided and they chew the cud, and all four-footed animals with paws. Whoever carries their dead bodies must wash his clothes, but he will still be unclean until evening.

Moles, rats, mice, and lizards must be considered unclean. Whoever touches them or their dead bodies will be unclean until evening. And if their dead bodies fall on anything, it will be unclean. This applies to any article of wood, cloth, leather, or sacking, no matter what it is used for.  It shall be dipped in water, but it will remain unclean until evening. And if their dead bodies fall into a clay pot, everything that is in it shall be unclean, and you must break the pod.

Any food which could normally be eaten, but on which water from such a pot has been poured, will be unclean, and anything drinkable in such a pot is unclean. Anything on which the dead bodies fall is unclean; a clay stove or oven shall be broken, but a spring or a cistern remains clean, although anything else that touches their dead bodies is unclean. If one of them falls on seed that is going to be sown, the seed remains clean. But if the seed is soaking in water and one of them falls on it, the seed is unclean.

If any animal that may be eaten dies, anyone who touches it will be unclean until evening. And if anyone eats any part of the animal, he must wash his clothes, but he will still be unclean until evening; anyone who carries the dead body must wash this clothes, but he will still be unclean until evening.

You must not eat any of the small animals that move on the ground, whether they crawl, or walk on four legs, or have many legs. Do not make yourselves unclean by eating any of these. I am the Lord your God, and you must keep yourselves holy, because I am holy. I am the Lord who brought you out of Egypt so that I could be your God. You must be holy, because I am holy.

This, then is the law about animals and birds, about everything that lives in the water, and everything that moves on the ground. You must be careful to distinguish between what is reitually clean and unclean, between animals that may be eaten and those that may not.

申命記14章3節ー21節

Do not eat anything that the Lord has declared unclean. You may eat these animals: cattle, sheep, goats, deer, any animals that have divided hoofs and that also chew the cud. But no animals may be eaten unless they have divided hoofs and also chew the cud. You may not eat camels, rabbits, or rock-badgers. They must be considered unclean; they chew the cud but do not have divided hoofs. Do not eat pigs. They must be considered unclean; they have divided hoofs but do not chew the cud. Do not eat any of these animals or even touch their dead bodies.

You may eat any kind of fish that has fins and scales, but anything living in the water that does not have fins and scales may not be eaten; it must be considered unclean.

You may eat any clean bird. But these are the kinds of birds you are not to eat: eagles, owls, hawks, falcons; buzzards, vultures, crows; ostriches; sea-gulls, storks, herons, pelicans; hoopoes; bats.

All winged insects are unclean; do not eat them. You may eat any clean insect.

Do not eat any animal that dies a natural death. You may let the foreigners who live among you eat it, or you may sell it to other foreigners. But you belong to the Lord your God; you are his people.

Do not cook a young sheep or goat in its mother's milk.

2007年9月 2日 (日)

「死ぬ」よりも恐ろしいこと

オジサンの知り合いにオマール・カーンさんというバングラデシュ人がいた。

カーンさんは日本の大学で学び、卒業後はそのまま日本に留まってインド向け専門商社へ就職した。オジサンと知り合ったのはこのインド向けの仕事を通してであった。

そのカーンさんから、「かいちゃん、今度インド・レストランをやりたいと思っているのだけど、いっしょにやらないか?」という話を持ちかけられた。いまから15年くらい前の話である。

カーンさんは以前から日本でインド・レストランをやりたいという夢があったようで、そのために貯金をし綿密な計画を練ってきたのであるが、どうしても資金面で不足があるようで、親しくしている人たちに共同経営を持ちかけているのだった。カーンさんは人をだますような性格ではないし、働き者で実行力があることは仕事の付き合いからわかっていた。また企画書なども良く出来ていて、綿密にコスト計算もされており、実現性の非常に高いものであることがわかった。そこでオジサンはこの話に乗ってみようかという気になった。

しかし、オジサンが出資できる額とカーンさんの預金を足しても、まだ少し足りない。

するとカーンさんは、「かいちゃん、あとひとり信頼のできる人がいる。」と言った。

その信頼できる人とは、山本さんという自動車修理工場の社長さんで、カーンさんの古くからの知り合いだとのこと。さっそく二人でレストラン開業のための出資をお願いするため、その社長さんを訪ねることにした。

会ってみると、山本さんは50歳前後で、偉(えら)ぶるところがなく、気さくで感じの良いひとであった。

山本さんは中学を卒業してから単身東京に出てきて、苦労の末自動車修理工場を経営するまでになった人だそうだ。会社経営が軌道に乗ってからは、従来したかった勉強もはじめ、英語に関しては独学で英検3級を取るまでになった努力の人である。また勉学のかたわら、海外からの留学生を援助するボランティア活動などもしていた。カーンさんとは彼が日本の大学に通っているころからのお付き合いだという。

「ぼくはこう見えても結構国際人なんですよ!」

と、山本社長はおっしゃられて、国際交流ボランティアの会合や知り合った人たちと撮った写真のアルバムなどを見せていただいた。海外の人たちと交流しているということが山本社長の自慢のタネのようだった。

レストラン出資の件も、具体的に詳細までは話し合わなかったが、「ぼくのできる範囲で協力はするよ」とおっしゃられていたので、感触はよかった。うまくいきそうだ!

そうこうしているうちにお昼時になり、山本社長が外で食事をご馳走してくれるという。

「この近くに繁盛しているメキシコ料理店がある」と、山本社長は言った。

このメキシコ料理店は店構えは小さいながらも、国税局が査察に入ったほどの盛況ぶりだという。

「インド料理とは違うかもしれないが、君たちの勉強になるだろうから、行ってみよう!」と社長はおっしゃられた。

なるほど、そのメキシコ料理店の前には客が行列を作っている。すごい繁盛ぶりだ!

順番を待って山本社長お薦めのそのメキシコ料理店へ入った。

メキシコ料理といっても昼の定食は一品だけ。熱した鉄板製のお皿に、なにやら中華丼の具のようなとろみのかかったものを入れただけのとってもシンプルなもの。それにご飯がつく。それでもジュージューとおいしそうな音とこうばしい香りがしてくる。うまそうだ!さっそく定食三つを注文した。

1分もたたないうちに、さっと料理が出てきた。

ジュージュなっているその中華丼のような具を口に入れてみた。うまい!ちょっと辛味のかかったなんともいえない味だ。ご飯とよく合う。一品料理で時間がかからず、しかもおいしそうな音とこうばしい香り。客の回転率もよく、儲かるはずだ。山本社長が我々をここに連れてきた理由がよくわかった。

本来であればここでご馳走になって、山本社長が機嫌のいいうちに、具体的な出資のお願いをして帰れるはずであった。

ところがここで大きな問題が起きた。

カーンさんがこの山本社長お薦めの自慢の料理を食べられないのである。

そのメキシコ料理には豚肉が使われていたのであるが、カーンさんはイスラム教徒だったのである。

ご存知の読者も多いと思うが、イスラム教の聖典・コーランでは豚肉を食することを禁じているのである。

以下はその時のカーンさんと山本社長の会話。

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カーンさん: 「社長、すみません。私はイスラム教徒なので豚肉は食べられないのです。」

山本社長: 「じゃ、豚肉の部分は食べずに、その汁だけでもご飯にかけて食べてごらん。日本人が好む味がわかるよ。とても勉強になるよ。」

カーンさん: 「社長、豚肉を使っている料理はいっさい口にしてはいけないのです。」

山本社長: 「なにも死ぬわけじゃないんだから、そんな大げさな。ちょっとだけでいいから舐めてみたら。本当においしいんだから。イスラムの神様もちょっとくらいなら許してくれるだろう?」

カーンさん: 「・・・・・・・・」

そのうちだんだん山本社長の機嫌が悪くなってきてしまった。

山本社長: 「オレも自動車修理会社を命がけでやってきた。レストランを経営するのも命がけでやらないとダメだ。なにも豚肉を食べろとはいっていない。味の勉強のために汁をちょっと舐めてみたらといってるだけなんだ。命がけでやればできるでだろう?それくらいもできないのか?」

カーンさん: 「・・・・・・・・」(いまにも泣きそうな顔)

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このあとなんとか食べさせようとする山本社長がカーンさんを責め立てるのであるが、結局、カーンさんはこのメキシコ料理にはいっさい箸をつけることはなかった。当然山本社長はカーンさんのレストラン経営の姿勢を疑うことになり、出資をしてもらう話はうまくいかなかったのである。

今回なぜカーンさんの話からしたかというと、読者の皆さんに私たち日本人の宗教観とイスラム教徒の宗教観の違いを体感してもらいたいからなのである。

ここで皆さんに質問したい。

もし読者の皆さんがイスラム教徒と仮定して、カーンさんのようになにか実現させたい夢を持ち続けていたとしよう。たとえば皆さんが英語の勉強のため外国に留学したいと夢見ていたとしよう。そんなとき豚肉を使った料理が出てきて、ちょっと舐めたらその夢を叶えてあげようと誰かが言ったとしたら、皆さんはどうするだろか?

多少舐めちゃってもいいかな…なんて思わないだろうか。

もっと極端な例を出そう。

もしみなさんがイスラム教徒で、暴漢によって家族全員が捕らわれたと仮定する。もし豚肉料理を食べないと家族全員を殺すと脅されたらどのように行動するだろか?

愛する家族を救うためなら、ちょっとだけなら食べちゃおうと思わないだろうか?

実はこれはむかし十字軍がエルサレムに進攻した際に、実際に現地のイスラム教徒に対しておこなった拷問なのである。

あるイスラム教徒の男が妻と娘といっしょに十字軍に捕らわれてしまった。そして十字軍兵士によって彼は豚肉料理を差し出され、食べないと妻と娘を刺し殺すと脅されたのである。

その脅しに対してその男はどうしたか?

答えは、その男は目の前で妻と娘が惨殺されても豚肉を食べなかったのである。

日本人的感覚から言うと、「なんて、薄情な奴なんだ!」って、思われるかもしれない。

しかし、それほどイスラム教徒にとって戒律を守ることは絶対なのだ。

自称「国際人」の山本社長が、「死ぬ気になれば食べられるだろう」と言ったが、それは間違っている。

自分だけでなく、たとえ愛する家族が死ぬことになろうが、戒律を破ることはできないのである。

いやむしろイスラム教徒にとっては「死」は重要なことではない。彼らは死などさほど恐れていない。

それよりも恐ろしいのは戒律破りなのである。

彼らにとって戒律破りは死ぬことよりもはるかに恐ろしいことなのだ。

なぜ彼らにとってそれほどまでに戒律破りが恐ろしいのか?

それを知るためにはイスラム教の教義を知らなければならない。

ちょっと長くなって恐縮だが、もうちょっとがんばって読んでもらいたい。簡単にイスラム教における教義を説明しよう。

イスラム教には六信(イマーン)というものがある。

これはイスラム教徒として信じなければならない6つの要件で、イスラム教の基本中の基本となる教義だ。それらは ①アッラーを信じること ②アッラーの天使を信じること ③アッラーの経典を信じること ④アッラーの預言者を信じること ⑤最後の審判を信じること ⑥天命を信じること

この六つのことを完全に信じきることができて、はじめてイスラム教徒となれるのである。

今回の宗教シリーズでは、後日あらためてイスラム教について詳細を説明するので、本日は項目5の最後の審判についてだけお話する。

イスラム教ではキリスト教と同様に終末思想というのがある。

それはいつだかわからないが、いずれ必ず世界の終わりがやってくるというもの。

ある日突然に天使が降りてきて、ラッパを2度吹く。そうするとこの地上は神の光でかがやき始め、死んだ者は生き返り、生きている者と一緒に瞬時に裁かれて、コーランに書かれた正しい行いをした者は天国へ、正しくない行いをした者は地獄へ送られるのである。

ここでポイントは「生きたまま」天国または地獄へ送られるということ。

コーランの記述によると、正しい行いをしなかった者は地獄で炎の中に「生きたまま」投げ込まれる。ところが焼け死ぬことはできないのである。なぜかというと皮膚が焼けただれても、またすぐに新しい皮膚が再生されるので、まさしく灼熱地獄の苦しみは永遠に繰り返されていくからだ。

地獄とはまさに阿鼻叫喚の世界。

逆に天国はどうかというと、そこは緑の多い世界で、ここちのよい涼しさ。美しい森の中を甘い川やお酒の川が流れている。その川のお酒をいくら飲んでもよい。そのお酒はなんともいえない美味で、飲みすぎても肝硬変になる心配もない。また果物などのおいしい食べ物も豊富にある。おまけに容姿端麗な女性を与えられて、セックス三昧の日々。

これほど楽しいことはないというところが天国なのである。

イスラム教徒にとって、生きたまま最後の審判の日を待つのも、死の状態で待つのもあまり違いはない。いずれかならず最後の審判の日はやって来るのだ。次の世が本当の世界で、現世はテスト期間中の仮の世界だと彼らは思っている。だから彼らはあまり死というものを重く考えないのだ。

十字軍に捕らわれた男は、たとえ家族を殺されたとしても、行いを正しくしていればいずれ全員が生き返って天国へ行くと思っていた。だから彼は豚肉を食べなかったのである。

我々日本人からすると、最後の審判の日の到来は荒唐無稽な作り話のように聞こえると思う。しかし、オマール・カーンさんや十字軍に捕らわれた男も含め、すべてのイスラム教徒がこのことを本気で信じているのである。

これはすごいことだと思わないか?

世界のイスラム教徒の人口は約15億、しかも急速にイスラム教徒が増え続けている。あと10年~20年もするとキリスト教徒を抜いて世界一の宗教になる。

そしてイスラム教徒のほとんどが、自分の命だけでなく愛する家族の命をも犠牲にしてまで、最後の審判の日の到来に備え、コーランの教えを完璧に実践しようとするのである。

オマール・カーンさんのような読者の周りにもいる一般のイスラム教徒から、アラブ世界の国を動かすほどの力を持ったイスラム法学者や政治家のような権力者に至るまで、全員がコーランの教えを信じ、その教えを何よりも第一優先に実践しようとしているのである。

9・11以降、原理主義者(ファンデメンタリスト)という言葉をよく聞くと思う。

原理主義者とは宗教の教えを忠実に実践しようとする者を言う。日本人的感覚からいうと、我々は原理主義者について一部の宗教に囚われた狂信的な人というイメージを持っていないだろうか?

ところが原理主義者とは特別な存在ではない。

どこにでもいる人たちなのである。

そして本日の投稿でオジサンがみなさんに伝えたかったことは以下。

原理主義者とはイスラム教徒だけではない。

ユダヤ教徒やキリスト教徒も本来は原理主義者なのである。

ほとんどのユダヤ教徒は旧約聖書に書かれたことは「事実」として信じているのである。

たとえば、紅海が真っ二つ分かれてモーゼに率いられたイスラエルの民が渡った出エジプトの記述を本当にあったこととして信じている。

また同様に多くのキリスト教徒はイエスがおこなった数々の奇跡(亡くなった少女に触れて生き返らせたことや、ガラリア湖の水面を歩いて渡ったこと等)を実際にあったこととして本気で信じているのである。

まさか!大の大人がそんな作り話を本気で信じているはずはない!

…と、思うのは日本人だけである。ある宗教の教徒になるということは、その宗教の教義を文字通り信じきることなのである。

宗教とは本来そういうものなのである。

たいていの日本人は、元旦は神道の神社に初詣に行き、お彼岸には仏寺のお墓参りをし、暮れにはクリスマスを祝っちゃうような国民なので、この原理主義というものがなかなか理解できないのである。どうしても原理主義者を目の当たりにすると、頭のイカレタ変人にしか見えない。

日本ではキリスト教徒であってもほとんどの人が、天地創造やノアの箱舟、あるは預言者たちのおこなった数々の奇跡を単なる比喩的にしか捕らえていない。現実にあったものとして信じている人たちは少ない。少なくともオジサンの周りにいる日本人のキリスト教徒は聖書の中の奇跡をな~んとなくそんなことがあったのかな…程度のあいまいさ。積極的に疑ってはいないものの、確信には至っていなかった。

実はこの日本人のような宗教感覚の方が、世界的に見て稀なのである。

そして問題なのは、自称「国際人」の山本社長をはじめ、多くの日本人が自分たちの持っている類まれな宗教観を人類普遍の宗教感覚だと思い込んでいることなのだ。ここに異文化間コミュニケーションの軋轢(あつれき)が生じるのである。

畢竟(ひっきょう)、宗教とは原理主義(ファンデメンタリズム)こそが本来の姿であることを肝に銘じてほしい。このことをとっくりと腑に落とすことによってはじめて、これからオジサンがお話しようと思っているユダヤ教、キリスト教およびイスラム教の驚くべき世界が理解できるようになるのである。

あとがき)

みなさ~ん、おひさしぶりです。

今年の夏は本当に暑(熱?)かったですが、ようやく最近、朝夕がちょっと過ごしやすくなってきたかなって感じがしています。

さて今週より宗教をテーマにブログを再開します。10回~15回くらいの投稿記事を書こうと予定していますが、執筆する時間が日曜日しかないので、前回のように毎週1回の更新はできないかもしれません。(前回はかなりしんどかったです。)今回は無理せずに、不定期に投稿しますので時々覗いて下さいね。

記事の投稿間隔は長くて投稿回数も少なく、物足りない感じもするかもしれませんが、一球入魂で書き上げていきますので、気長~にお付き合いをお願いいたします。

レストランの件ですが、資金が思うように集まらず最終的には断念しました。その後、転職したのでカーンさんとは疎遠になってしまいましたが、何年かして風の噂でカーンさんは念願のお店を開店できたということを聞きました。

今回の投稿でなんとなく原理主義者というものが一部の人たちではなく、どこにでもいる人たちであることがわかっていただけましたでしょうか。しかも彼らの戒律というのは、命と引き換えでも守るというとても厳しいものです。そこらへんを理解して彼らと付き合ってくださいね。

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そうそう、本日は是非皆さんにご紹介したいブログがあります。

はなぶささんという英語三冠(英検1級、TOEIC965以上、通訳ガイド)保持者でプロの翻訳家の書かれたブログ(変身!幸せな英語使いドットコム)です。

このブログは英語と日本語のチャンポンで書かれています。

使われている英単語はいずれもタイムやニューズウィークなどで見かける「知的な」語彙ばかりで、おそらく英検の試験出題者が好みそうなものばかりです。辞書を片手にじっくりと読むとボキャビルに役立ちます。

しかしオジサンが皆さんにお伝えしたいのは、それ以上に書かれている内容がとってもいいということなんです。

円滑なコミュニケーションとは語学だけの問題ではありません。

外国の言葉を学ぶと同時に、文化、習慣、考え方等に関して、海外と日本の違いを学んでいく必要があります。その点、はなぶささんのブログにはそれらのヒントがたくさん書かれているのです。まさに一石二鳥のブログなんです!

また彼女のブログで扱っているテーマがなぜかオジサンの書いた過去ログとシンクロしています。はなぶささんのブログと合わせて読んでいただければ、2倍お楽しみいただけると思います。ぜひ彼女の過去ログも読んでいただくことをお薦めします!

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次回はそれぞれの宗教の食物規範について補足します。

それじゃ、次回もよろしくね。バイバイ!

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2007年8月 5日 (日)

秋のブログ再開のお知らせ

読者の皆さ~ん、

お久しぶりです。暑い日が連日続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

すでに終了してしまったオジサンのブログですが、多くの方々が毎日このブログを訪れて、過去の記事を読んでくれています。英語ブログランキングに登録して、記事を投稿していたころよりもずっと多くの方々が訪れています。とっても不思議に思うと同時に、非常に感謝をしております。

さて、前回の投稿連載では最後の方はヘトヘトになってしまいましたが、4ヶ月間休養を取り、体力も回復してきましたので、また秋からブログの投稿を再開しようと思っております。

前回の投稿では、主としてロングマンの使い方と英語の本を読むことの楽しさをテーマとして書きましたが、今回は何にしようか考えた末、宗教をテーマに書こうと思っています。

なぜ宗教について書こうかと思ったかというと、オジサンは20年間、海外の人たちと仕事をしてきたのですが、「あれれ?」と思うようなことがいろいろありました。彼らの行動が理解できないのです。ところが徐々に彼らの意思決定には宗教が大きく関係していることがわかってきました。彼らの宗教を理解すると、彼らの行動が日常的なことから国際紛争にいたるまでよくわかるようになります。タイム誌などを読んでいても、非常によく内容がわかってきます。

たとえば、私たち日本人にもなじみのあるキリスト教ですが、私たちが持っているキリスト教に対するイメージと実際のキリスト教では大きな相違があります。

聖書を通読するとそのことがよくわかります。

なぜか日本では、キリスト教徒であっても聖書を読みません。オジサンの周りにいる何人かの日本人のキリスト教徒に聞いてみたのですが、旧約から新約にいたるまで聖書を通読した人は一人もいませんでした。日本ではクリスチャンになる人のほとんどは、牧師さんの人柄に惹かれたとか、ミサの荘厳な雰囲気が好きということで、毎週日曜日に教会へ行くようになり、そのままクリスチャンになる場合がほとんどのようです。もちろんオジサンはこのようなキリスト教の学び方に反対しているわけでないので誤解しないで下さいね。

日本人のキリスト教徒でさえ聖書を通読しないのですから、おそらく一般の日本人で聖書を通読された方は非常に少ないのではないかと思います。ところが欧米では小さい頃から子供たちに聖書を全体を通して読ませます。

日本人が持っているキリスト教の神様のイメージは、なんかホワ~ンとしてとっても暖かくって、愛に満ちているありがた~い神様を想像するのではないかと思います。しかし聖書に描かれている実際の神様は我々の想像とはまったく違っています。水風呂とサウナくらいの温度差があります。

天地創造から新約まで読んでいくと、私たちが持っているそのようなキリスト教観はふっ飛んでしまいます。聖書の中には我々の想像をはるかに越えるすごい世界が広がっています。

秋からのブログで、ぜひオジサンと聖書をおおざっぱにザッと通読しましょう。皆さんのキリスト教観が変わると思いますよ。

また、アラブの方たちの宗教、イスラム教もオジサンといっしょに勉強しましょう!

イスラム教は現在人口比率で言うと世界第二位の宗教ですが、あと10年~20年もすると、キリスト教を抜いて、世界第一位の宗教になります。それなのにほとんどの日本人がイスラム教を知りません。

イスラム教というと、日本では、「なんか奇怪な宗教で、テロばかり起こしている恐ろしい宗教」、というイメージがあると思います。

ところが、イスラム教を勉強すると、皆さんのイスラム教に対する見方が180度変わります。

イスラム教ほど平和を重んじる宗教はありません。感動すら覚えますよ。もしオジサンが生まれ変わって、どの宗教をやりたいかと聞かれたら、まっさきにイスラム教を選びます。イスラム教は理想的な宗教です。だからイスラム教が世界的に急速に広まっていくのがわかります。

いま世界中で起きているイスラム原理主義運動が問題になっています。

9.11が起きた時、ある大新聞が「テロの背景には貧困があるので、貧困の撲滅が大切である」というような論調の社説を出しました。たしかに貧困の撲滅は重要ですが、テロを起こすイスラム教徒の中にはエンジニアや弁護士、医者という地位の高い人たちが相当数占めており、単に貧困が原因ではありません。また世間で言われているような、単純なキリスト世界とイスラム世界の宗教対立と捕らえるのもちょっと違います。理由はもっと別のところにあります。

それでは中東の混乱も含めてこれらの原因はなにか?

その答えはイスラム教の聖典・コーランの中にあります。

ぜひ秋からのブログで、オジサンといっしょに世界四大宗教のうち、ユダヤ教、キリスト教およびイスラム教を勉強しましょう!きっと皆さんが英語を使ってコミュニケーションを取る時や、タイム、ニューズウィークなどを読むときの理解に役に立つと思います。

なお、オジサンはキリスト教徒でもイスラム教徒でもなく、また宗教学者でもありません。「オジサンの言ってることは、教会の牧師さんが言っていることと違う!」と、抗議されてもオジサン困っちゃいます。オジサンは正式な宗教学を学んでおらず、独学で聖書を読み、宗教本を読んできただけですので、素人の域を出ておりません。オジサンの個人的な解釈ですので、正当な教義と違っているところが多々あると思います。そこのところはご容赦していただくとして、あくまでも参考程度までにしていただきたと思います。

秋からのブログではこの宗教をテーマに10~15回くらいの投稿記事を書こうと思っています。また今回は英語ブログランキングに載せません。前回は一週間に一回でしたが、今回は不定期にします。読者の皆様には気長にお付き合いいただけますようにお願いいたします。

前置きがまたまた長くなってしまいましたが、涼しくなったらお会いしましょう。

じゃね、バイバイ。

オジサンお薦めの本)

聖書

聖書協会が出版している、口語英語で書かれた読みやすいバイブルです。この聖書の特徴は各章の要約が冒頭に書かれていることです。聖書は日本語で読むよりもこの英語版で読むほうがずっと楽です。中学3年生程度の英語力があれば理解できるほど、平易な文章と単語で書かれています。

平易な文章で書いてあるとは言え、一般の我々が聖書を通読するのは骨の折れる作業です。なぜかというと、系譜が非常に複雑で混乱するからです。最初から細かく読んでいくと何がなんだかわからなくなっちゃいます。そこで枝葉末節は思い切って省き、ざっくりと幹の部分だけをすばやく読みましょう。そうすることによって聖書による神と人間の関係がより深く理解できます。どの部分が太い幹かは秋からのブログで明らかにしますね。

2007年4月 8日 (日)

最後の授業

今から35年以上前になるが、オジサンが通っていた中学校に、河合先生という男性の数学の教諭がおられた。

この先生は数学だけでなく、とても博学な方でいろいろなことを学んでいる人であった。英語の腕前も相当なもののようで、一度夏休みにハワイ大学の数学のセミナーなどにも参加したことがあった。当時はまだ英語のしゃべれる人は少なく、英語のできる数学の先生ということで、学校内では有名であった。

河合先生の授業は、順次生徒に質問をしながら生徒の理解度を確認して、授業を進めるというスタイルを取っていた。

いまでも1年生の最初のころに受けた授業は印象的でよく覚えている。最初の授業では席順ごとに名前の書いてある名簿をみながら、それぞれの生徒の名前を呼んで質問をしていったのであるが、次の授業の時はこの名簿を見ずに生徒の顔を見て、ひとりひとりの名前を呼んで質問しだしたのである。これには驚いた。当時はひとクラス50人弱の時代だ。なんと短期間にクラス全員の顔と名前を覚えていたのである。どのようにして覚えたのかはわからないが、生徒からすると先生に名前を覚えてもらえるというのは、「自分を見ていてくれる」という気持ちが持てて嬉しいものである。

しかもあとになってわかったのであるが、河合先生は1年生の8クラス全部を受け持っており、すべてのクラスで同じように、2回目の授業では生徒全員の顔と名前を覚えていたというのだ。もともと記憶力がよいのか、あるいは家に名簿を持って帰って、必死に覚えたのか、いまだに不思議である。

河合先生はとても教え方が上手だった。

我々生徒たちが飽きることのないように、ところどころにユーモアやジョークを織り交ぜ、数学の面白さを教えてくれた。わからない生徒がいると、授業が終わったあとでも、懇切丁寧に教えてくれる先生だった。

河合先生はどちらかというと、熱血教師タイプというよりも、温和な性格で飄々(ひょうひょう)とした感じの人で、あまり喜怒哀楽を表に出さない人であったが、生徒の信望も厚く人気のある先生であった。

オジサンが通った中学校では、先生たちは同じ学年を1年から3年まで教える方式を取っていたので、我々はこの河合先生から3年生になるまでずっと数学を教わり続けた。

3年生も終わりに近づき、それぞれが高校受験も終了し、卒業式まであと一週間を残すだけとなった。

大変だった高校受験も終わり、生徒たちそれぞれがほぼ希望の高校に合格して、やっと受験地獄から自由になった開放感に浸っていた。先生たちも生徒たちの心情を察してか、「高校受験をよくがんばった」ということで、最後の週の授業は、生徒たちがのんびりと過ごせるように、自習の時間にしてくれたりしていた。

最後の週のそれぞれの学科の授業もほとんどがそのように雑談と自習で終わり、残すはいよいよ最後の数学の授業だけとなった。

いつも生徒たちのことに気をかけてくれる河合先生だから、我々生徒たちは当然、河合先生から、「君たち、よくがんばったな」というやさしい声をかけられて、最後の授業も自習でのんびり時間が過ごせるものと思っていた。

ところが、河合先生は教室に入ってきて、起立と礼を終えたあとで、「はい、○○ページを開いて…」、と普通に授業を始めようとしたのである。

「えっ、普通に勉強するの!?!?」という感じだった。

我々生徒たちの不満がいっせいに爆発した。「河合先生、それはないぜ!」、「僕たちは高校受験でがんばったんだから、自習にしてくださいよ」等々、ブーイングが飛び交った。

その時だった。

雷光一閃

「ばか者!学問に終わりはない!」

まるで雷が落ちたかのような怒号が教室に響き渡った。

教室は一瞬にしてシーンと静まりかえってしまった。河合先生のあまりの怒気の強さに、我々生徒たちは圧倒されてしまった。

我々が河合先生にこのように大きな声で怒鳴られたのは、この時が最初で最後であった。いつも飄々として、喜怒哀楽を出さない先生のどこにこのような激しさがあったのか。

度肝を抜かれた我々に先生はこう言われた。

「君たちは学ぶことができる。これはとても幸せなことなのですよ。」

そして先生は「聞け、わだつみの声」という、先の第二次世界大戦で学業を想い半ばで終え、戦地に向かっていかなければならなかった学生たちの話をはじめた。それらの学生たちの多くは時間を惜しむかのように、出征する前日まで勉強したそうである。そして学徒出陣をした人たちの多くは日本に帰ってこれなかった。

「君たちは今できるのに、なぜ学ぼうとしないのか。」、河合先生は言われた。

そして、河合先生は静かな声で、「はい、○○ページを開いて、」と、何事もなかったように、いつもと変わらずに数学の授業を始めた。

以前、「5ドル紙幣の偉人」という投稿記事でも述べたことがあるが、何万言を費やしても相手に通じないこともあれば、短い言葉でもこころに響くことがある。このときがそうだった。

「学問に終わりはない」

この言葉は我々生徒たちの心に響いた。

この時の授業で、その後の人生観に影響をうけた生徒はオジサンだけではないと思う。それほどインパクトのある授業だった。

数学の最後の授業をふつうどおりに終え、起立・礼を済ませて教室を去っていく河合先生の後ろ姿にカッコよさを感じたのはオジサンだけではないと思う。

思うに、我々人間は常に学び続け、問い続けて行かなければならない存在なのである。知識が広がるたびに、我々の魂も高められていくのだろうと思う。

このことを教えてくださった河合先生には、いまでも感謝している。

以前、リウマチばあちゃんさんが、「英語のゴール」という投稿記事でこのように語っておられた。

英語学習のゴールなどない。つねに勉強をする過程があるのみ。

みなさん、このリウマチばあちゃんさんの学びつづける姿勢、我々も見習って学び続けて行こうではありませんか。

あとがき)

9ヶ月という長いようで短い期間でしたが、みなさんの応援でここまでこれました。ありがとうございました。

英語を読むことの楽しさ、ロングマンの使い方をお伝えしたくて始めたブログですが、オジサンのメッセージは届きましたでしょうか?

このブログは2週間放置したのちに、ブログランキングより削除します。

皆さんお身体に気をつけて、またいつかお会いしましょう。

それじゃ、最後のお別れのクリックをお願いします。バイバイ。

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2007年4月 1日 (日)

「ロングマン」の使い方・その6

言葉というものは生き物である。

言葉は時代とともに変化していく。ある言葉は「死語」となり、人々の忘却のかなたへ消えていくかと思えば、別の言葉が新しく生まれ人々の間で使われるようになっていく。また意味が以前と異なって使われるようになる言葉もたくさんあるだろう。

だから辞書は常に新しい言葉を載せているものを使いたい。

ところが英和辞典にはいまだに大昔に使われていた「シーラカンス」のような言葉が金科玉条のように大切に使われているものが多いのである(オジサンの過去ログ・ロングマンの使い方その2参照)。その点、ロングマンは常に新しく刷新する努力をしている辞書だ。オジサンは3~4年に一回買い換えてきたのでよくわかるのであるが、買い換えるたびに使いやすくなっているのである。5年前に買ったロングマンには、すでに米国大統領のブッシュが例文に載っていたくらいだ。

だからオジサンはロングマンを自信を持って皆さんにお薦めできるのである。

ところで、皆さんの中でロングマンをすでに使っている人もいると思うので、車のディーラーではないが、お使いのロングマンが最新のものか、それとも買い替えの時期が来ているかを診断しよう。

買い替えの基準は一言でいうと、「if ~」 と 「to not」 の表現が使われているか否かで判断できる。

この二つの表現は今から5年ほど前に全面的改訂が行われた際に、取り入れられた表現である。

読者の皆さんの中で、ロングマンをお持ちの方がいれば、doubt、refuse、meander、occupy という単語を調べていただけるだろうか。以下のように表現してあれば、5年以内のものなので、その間にところどころ若干の修正的な改訂は行われているが、ほぼ最新版と思ってよい。

doubt = to not trust or have confidence in someone:

refuse = to not give or allow someone something that they want, especially when they asked for it officially:

meander = if a river, stream, road etc. meanders, it has a lot of curves in it:

occupy = if something occupies you or your time, you are busy doing it:

5年以上前の古いバージョンであれば、以下のように 「if ~」 と 「to not」 の表現が使われずに語の定義が書かれている。

doubt = to be uncertain about; not trust or have confidence in:

refuse = to state one's strong unwillingness to accept:

meander = (of rivers and streams) to flow slowly, with many turns:

occupy = to cause to spend time (doing something); keep busy:

ちなみに上記の表現は今から20年以上前のロングマンの初版に表されているものである。このような表現を使っているロングマンは「ロングマン・歴史資料館」に展示するとして、新しいバージョンを購入されることをお薦めする。なぜかというと、5年前の改訂は単に、「if ~」 と 「to not」 という表現を導入したということではなく、全面的な書き直しが行われ、語の定義や例文がこれまで以上に充実し、いままでとは比較にならないくらい学習者にとって使いやすくなったからである。

ところで、5年前の大改訂の象徴となった 「if ~」 と 「to not」 の表現であるが、皆さん、ちょっと違和感を覚えないだろうか?

オジサンと同様に、不定詞で 「to not」 というのはおかしいと思われる読者は多いのではないか。

オジサンが学生だったころ、不定詞の否定は 「to」 の前に 「not」 を置くと習った。

たとえば、I've decided to be a candidate for the mayor. 「私は市長に立候補する決心をした」 の否定は、I've decided not to be a candidate for the mayor. 「私は市長に立候補しない決心をした」と、to-不定詞の前に not を置かなければならないと教わった。言葉というのは生き物なので、オジサンが学校を卒業してから、文法が変わったのかと思って、念のため娘の「FOREST」という文法書を持ってきて調べてみた。

やはり「FOREST」にも、不定詞の否定は「to」の前に「not」を置くと書いてあった。

つまり I've decided to be a candidate for the mayor. の否定は、I've decided not to be a candidate for the mayor. でなければならず、ロングマンが使うような I've decided to not be a candidate for the mayor. は、文法的に間違いということになってしまう。

天下のロングマンがこのような文法的間違いを犯すことに納得できず、何年か前にオジサンはイギリスにあるロングマン本社へ、この不定詞の件について問い合わせをしてみた。するとロングマン本社からすぐに回答がきた。

その回答の内容に驚いた。

不定詞の否定は、確かに18世紀ころまでは、「to」の前に「not」を置くことが文法的に正しいとされてきたが、現在では意味を伝えやすい語呂とスタイル(文体)に応じて不定詞を分離することができるというのである。(日本の英語の先生が聞いたら、びっくりしてひっくり返っちゃいそうになるような話だ!)

これを分離不定詞 (split infinitive) の用法という。

分離不定詞(split infinitive)とは、not のような副詞 を to と原形動詞の間に挿入するものである。

英語はラテン語から派生してきた言語であるが、ラテン語では本来不定詞は一語で表現されており、物理的に分離することができなかったので、長いこと英語においても分離してはならない決まりになっていたそうである。少なくとも18世紀ころまでは不定詞の分離は文法上の間違いであるとされてきた。ところが、英語の場合は、不定詞の用法は to と動詞の原形で表せるため、物理的に分離することが可能であるため、現在は多くの人たちが、文体や言葉の調子に合わせて自由に不定詞を分離しているそうである。

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1.文体による分離不定詞の例

ロングマン本社の説明によると、過去30年でもっとも有名な文体による分離不定詞の例は、「スタートレック」という物語の最初に流れるナレーションだそうだ。オジサンは「スタートレック」を見たことがないので知らないのであるが、ドラマの最初にこのようなナレーションが読まれるようである。

Space… The final frontier…

These are the voyages of the Starship Enterprise.

Its continuing mission:

To explore strange new worlds…

To seek out new life; new civilisations…

To boldly go where no one has gone before!

たしかに、To boldly go を Boldly to go としてしまうと、それまでの文体が To で始まっているので、統一性がなくなってしまい、聞いていてもテンポが悪く聞こえそうだ。

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2.意味上の語呂による分離不定詞の例

今回のオジサンの質問に対し、ロングマン本社ではコンピュータで一億八千万語を調べ、not による分離不定詞の例を300件見つけたそうだ(本当に親切な人たちだ!)。そのうちの一つをつかって語呂による分離不定詞の用法をこのように説明してくれた。

The biggest thing for me is to not worry about where I'm going to be…

ロングマンの説明だと、to not worrynot to worry にすると、話し言葉の場合に意味が伝えにくいので、多くの人たちは to のあとに not を持ってくるというのである。

実を言うとオジサンは当時この部分をあまりよく理解できなかった。なぜかというと、オジサンは The biggest thing for me is to not worry と The biggest thing for me is not to worry の2つの文章を口に出して発音してみても、同じように意味を伝えられるように感じたからである。特別に後者を発音して意味を伝えにくいとは思わなかった。ところが、今年になって英語の虎さんのブログを見て、自分が本当の英語のリズムで読んでいなかったことを知った。

英語にはそれだけで意味をなす内容語(名詞、動詞、形容詞、副詞、疑問詞)と文法的関係を示すだけの機能語(冠詞、代名詞、前置詞、助動詞、関係代名詞)の二つがある。

そして基本的には内容語は強くゆっくりと、機能語は弱くすばやく発音されるのである。そして機能語はどれだけの分量があろうが、内容語と内容語の間のわずか0.6秒に押し縮めて発音されるという法則がある。英語という言語はこの強弱と緩急のリズム法則でなりたっている言葉なのである。オジサンは英検1級を取っていながら、これまで英語という言語を本当に理解していなかったようだ。

たしかにこの英語本来のリズム法則で、The biggest thing for me is to not worry と The biggest thing for me is not to worry の二つを読んでみると、前者の方が心配しないということを強調しやすいことがわかった。

not to worry では、内容語(not) と内容語(worry) の間に弱く発音する機能語(to) が入るために、読みにくいし、「心配しないこと」という意味を強調しにくい。それまでのオジサンは内容語と機能語の法則を知らずに、一本調子で発音していたために二つの文章が同じに感じていたのだ。

話を内容語・機能語から本題へもどそう。

このように、現在の英語では、不定詞の否定は文体と意味を伝えやすい語呂によって、不定詞を分離できるということがお分かりになったと思う。

そして、ロングマンでは、5年前の大改訂の際に、動詞の説明は to から始まるように統一したいという文体上の理由で、分離不定詞を取り入れたのである。

参考までにオジサンとロングマンの間の、メールのやり取りをあとがきのあとに載せておくので、興味のある方は読んでくだされ。なお、このメールのやり取りで、ロングマン側は forgo の定義の仕方が統一性をもっていないことに気付き、その後一部の修正を加えた。5年前の大改訂では、forgo = to decide to not do or have something となっていたが、オジサンとのメール交換のあとで出版されたロングマンでは、forgo = to not do or have something と、若干の修正をしていた。もし皆さんの持っているロングマンで、forgo の語の定義文で to decide が削除されていれば、もっとも最新版といえる。この点もロングマンの最新版かどうかの審査基準に付け加えておこう。

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冒頭、「言葉は生き物である」と述べたが、文法もしかり。

我々が習っている文法は、明治時代や大正時代に英語の大先生が、シェークスピアなどの戯曲や文学書をもとに文法を研究して作られたものである。それを土台にいろいろな参考書が作られ、我々はそれらから文法を学んできたのであるが、

この不定詞の否定の考え方も、現在の英語ではシーラカンスになっていたのである。

ただし、オジサンが分離不定詞は文法的に正しいといっても、皆さんはこれまで通りに学校の試験や大学受験ではかならず、不定詞の否定は to の前に not を置いてほしい。英和辞典と同様に、それらの文法は昔の英語の大先生が決めたもので、権威主義を重んじる現在の日本の英語教育界では、文法のルールを修正をするには相当な時間がかかるからである。

教育のバックグラウンドを持たないオジサンが「不定詞の分離不可の考え方はシーラカンスだ!」て叫んでも、残念ながらなんにも変わらない。

読者の皆さんの中で勉強をして、将来大学の教授や助教授になられる方がいれば、ぜひロングマンの手引書やこれらのシーラカンス文法を現実に則したものに変えていっていただきたい。それを期待しながら、オジサンのロングマンの使い方の講義を今回をもって終わりにしたいと思う。

あとがき)

お疲れさまでした。

オジサンのブログは来週(4月8日)をもって終了させていただきます。

ロングマンの使い方と読むことの楽しさをお伝えしようとはじめたブログですが、当初は3ヶ月くらいで終えるつもりでした。ところが皆さんに面白いといっていただけたのを励みにして9ヶ月もつづけることができました。ほんとうにありがとうございました。

最初は書く文章が長いので、読者の方々に敬遠されるのではないかと不安に思っていましたが、予想に反して多くの方々に定期的に読んでいただけたことがとても嬉しいです。また、一週間に一回という更新でありながら、常にブログランキングの10位前後にいられたのは、毎日応援のクリックをしていただいた方々がいらっしゃったからだと思います。とても励みになりました。この点も感謝しております。

来週の最終回は、オジサンが学生時代に受けた授業で、終生忘れることができない授業がありました。そのお話をさせていただきます。

それじゃ、最後の最後までお付き合いを!

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オジサンお勧め英英辞典

ロングマン現代アメリカ英語辞典

オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

ロングマン現代英英辞典

オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

オジサンとロングマンのメール

オジサンからの質問)

Dear Sirs,

I have been using Longman Dictionary for more than 20 years. And I know very well now that Longman is the best tool for learning English.

But I have one question about your usage of infinitive in the dictionary. In the English grammar we've learned in school, we were taught to put the word 'not' in front of to-infinitive when you make a negative sentence. For example, here is one sentence, "I decided to be a candidate for the mayor." And when you want to change this affirmative sentence to negative one, you can only put the word 'not' in front of to-infinitive, so that the whole sentence would be: "I decided not to be a candidate for the mayor." According to your usage of negative to-infinitive in the dictionary, however, you put the word 'not' after 'to'. Let me show you some examples from the dictionary. Please look up the word 'doubt' and 'forgo' in Longman Advanced American Dictionary. It teaches us the meaning in the following way;

'doubt' = to not trust or have confidence in someone:

'forgo' = to decide to not do or have something:

I have read hundreds of paperbacks and magazines so far. But I have never come across such a negaive infinitive usage except the ones in Longman Dictionary. Please advise me why you take such a negative usage.

I would like to introduce your dictionary to as many people as possible. In order to do it, I need your help.

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ロングマン本社からの回答)

The question revolves aroung the use of a split infinitive. Grammarians in the 18th century decided that as Latin never split an infinitive, it must be wrong in English too. But of course, a Latin infinitive was a single word and there was no real mechanism to do this, whereas the infinitive marker in English makes splitting the infinitive a simple matter. Grammarians today tend to see this as a question of style than rule. If it sounds all right, it's acceptable. If it sounds cumbersome or inelegant, then it is best avoided.

The most famous split infinitive of the last 30 years is at the beginning of Star Trek, as the opening credits roll, and the narrator says:

  Space... The final frontier...

  These are the voyages of the Starship Enterprise.

   Its continuing mission:

   To explore strange new worlds...

   To seek out new life; new civilisations...

  To boldly go where no one has gone before!

This Star Trek example is a perfectly functional, communicative way of expressing the thought, and most people find it unexceptional now.

And there are even instances where it is very difficult not to split an infinitive (or even to not split an infinitive...), for instance the sentence

    Student numbers are expected to more than double over the next ten years.

would be very difficult to rewrite without starting all over again.

Splitting the infinitive with not is a little less common. Nevertheless, we have over 300 occurrences on the computors I'm looking at (of 180million words), which in general terms means that it happens with some regularity, so I am surprised you have never come across it before. We have examples such as:

   The biggest thing for me is to not worry about where I'm going to be...

   I have patiently abided by our agreement to not speak with the press.

   I tried to recover, to not cry in front of Mr. Lewis as tears ran down may cheeks.

   My advice to him is to not pay too much attension to it...

   We tend to not bother going back to the client...

   She appears to not be quite as well educated as she says she is

In many of these cases, I think the word order is chosen in order to allow for a more meaningful intonation pattern - in the first example, you can put stress on both not and worry, forging a stronger link between them, whereas to say not to worry involves an unstressed syllable coming between the two. And even though most of these are written examples, people are increasingly influenced by speech patterns in the way they write and punctuate their English these days.

But to get to the point about our dictionary entries: we tend to defince verbs with a clausing beginning with to. When the definition involves a negative, we have a choice of starting the definition with not to... or to not... The compiler, in the case of definition of doubt decided that the initial to was a good marker, instantly setting out that this is a verb definition, and adding not after rather that before the to.

However, I agree with you about the definition of forgo, where it would be probably be more elegant to say "to decide not to do or have something" - this would convey the meaning without losing any of the intended focus.

以上

2007年3月25日 (日)

「ロングマン」の使い方・その5

1.基礎体力と基本練習の大切さ

オジサンは高校生時代にバレーボールのセッターをやっていた。

中学生のころは陸上選手(走り幅跳び)だったが、高校に入学してからバレー部に入った。オジサンが入部したバレー部は某都立高校であったが、毎年関東大会などに出場するほどの地元ではちょっと知られた名門のチームであった。

当時はアニメ・「ミュンヘンへの道」で有名な松平監督率いる全日本男子バレーボールが全盛期で、大古、森田、横田、猫田といったスター選手にあこがれてバレー部に入部する生徒が多かった。オジサンもまたその一人であった。他の新入部員と同様に名門のバレー部に入って、大古や森田のように華麗なコンビネーションプレーや豪快なアタックをすることを夢見ていた。

ところが、我々新入部員の期待に反して、入部してから毎日やらされることは、体力トレーニング、アンダーパス、オーバーパスといった基本の練習ばかり。

先輩たちは試合形式の練習で面白そうなのであるが、我々1年生はくる日もくる日もランニング、腹筋、腕立て、縄跳びといった基礎体力トレーニングとアンダーやオーバーのパスといった基本練習しかさせてもらえなかった。半年もすると30人いた1年生部員は体力トレーニングのつらさと基本練習の単調さに耐えられず、一人、二人と辞めていき、1年生の終わり頃には、最初に入った人数の三分の一の部員しか残らなかった。

ようやく2年生になって初めて試合形式の練習をさせてもらった日のことは忘れられない。正直に言って自分たちのバレーの上手さに驚いた。初めてチームを組んで試合をしたのであるが、りっぱに試合になるのである。

サーブレシーブからトス、アタックにいたるまでスムーズにおこなえるのである。複雑なコンビネーションはまだできないが、試合が進むにつれて、平行トスやクイックなどの簡単なコンビネーションもできるようになってきた。

初めてチームを組んだにもかかわらず、これだけのプレーができるのは、体力トレーニングと基本(アンダーパス、オーバーパス)練習があったからなのである。

皆さんの中には学生時代に球技大会などで、バレーボールをした経験がないだろうか。打ち気にはやるチームほど試合にならずに負けてしまうものだ。どんなに優れたアタッカーがいたとしても、基本のアンダーやオーバーのパスが正確にできなければ、試合をしても負けてしまう。

つまりボールを思ったところにコントロールできて初めて試合になるのである。残った部員たちははじめて基本の大切さを痛感したのだった。

特にオジサンはセッターであったのでわかるのであるが、試合中にコンビネーションプレーをするためには、オーバーパスができるだけではだめで、360度の周りを見ながらトスをあげる「余裕」が必要なのである。味方の選手がどこにいて、敵のブロッカーがどこにいるかを知っていなければ、試合を有利に運ぶことができない。

この「余裕」はどこからくるかというと、365日の毎日の基礎体力トレーニングと基本動作(オーバーパス、アンダーパス)練習から生まれるのである。一回、二回程度の正確なトスができるくらいでは役に立たない。トスはボールを見ていなくとも、無意識のうちに手の中に入れて、正確に思ったとおりのところへ出せるくらいになっていなければ、試合中にコンビネーション・プレーは出来ないのである。

この基礎体力と基本動作はすべてのスポーツに当てはまると思う。

野球でいえば、走りこみとキャッチボールおよび素振りだ。「世界の王」といわれたソフトバンクの王監督は、現役時代は練習したあとに宿舎にもどっても、部屋でもくもくと素振りをしていたという。徹底した基礎練習の結果が、あのホームラン大記録なのである。また剣道でいえばやはり走りこみと素振り、およびすり足。一流の剣道家はこの基本を当たり前のように毎日やっている。その他のスポーツにおいても、一流の選手はそのスポーツ独自に要求される基礎体力(ボディビルディング)と基本動作練習を怠らない。

この基礎体力トレーニングと徹底した基本動作トレーニングがあって初めて、試合中の「余裕」が生じ、面から小手というような複合技(コンビネーション・プレー)ができるのである。

なぜ本日はこのようなスポーツの話を最初にしたかというと、英語の書物を読むということを試合にたとえた場合、それに必要となる基礎体力と基本動作のトレーニングがあると思うからなのである。

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2.本当の読むということ

英語でいう基礎体力と基本動作がなんであるのかを述べる前に、ここで「英語を読む」ということについてまずお話したい。

以前オジサンのブログの投稿記事「本当の読むということ」で、英文を読むとはどういうことかということをお話したことがある。

本当の英語を読むとは、日本人が日本語の書物を読むように、あるいは英米人が英語の書物を読むように、日本人が英語の書物を読んで理解することでなければならない。

初心者のうちは日本語を介して書かれた英語の内容を把握せざるを得ないが、英語を読むということは、あくまで英語を英語のまま理解することを目標とするべきである。そうでなければいつまでも英語を本当に読むということにはならない。

ここで多くの英語学習者が勘違いをしてしまうことがある。

それは英文を直読即解できれば、英語を本当に読んでいると思い込んでしまうことである。

英文の直読即解ができただけでは英語を本当に読んでいることにはならないのである。

例をあげて示そう。

以下は以前紹介した "Working with Emotional Intelligence" のThe New Yardstck という冒頭の章である。

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The New Yardstick

     The rules for work are changing. We're being judged by a new yardsticks: not just by how smart we are, or by our training and expertise, but also by how we handle ourselves and each other. This yardstick is increasingly applied in choosing who will be hired and who will not, who will be let go and who retained, who passed over and who promoted.

     The new rules predict who is mostly to become a star performer and who is most prone to derailing. And, no matter what field we work in currently, they measure the traits that are crucial to our marketability for future jobs.

     These rules have little to do with what we were told was important in school; academic abilities are largely irrelevant to this standard. The new measure takes for granted having enough intellectual ability and technical know-how to do our jobs; it focuses instead on personal qualities, such as initiative and empathy, adaptability and persuasiveness.

     This is no passing fad, nor just the management nostrum of the moment. The data that argue for taking it seriously are based on studies of tens of thousands of working people, in calling of every kind. The research distills with unprecedented precision which qualities which human abilities make up the greater part of the ingredients for excellence at work - most especially for leadership.

     If you work in a large organaization, even now you are probably being educated in terms of these capabilities, though you may not know it. If you are applying for a job, you are likely to be scrutinized through this lens, though, again, no one will tell you so explicitely. Whatever your job, understanding how to cultivate these capabilities can be essential for success in your career.

     If you are part of a management team, you need to consider whether your organaization fosters these competencies or discourages them. To the degree your organaizational climate nourishes these competencies, your organization will be more effective and productive. You will maximize your group's intelligence, the synergistic interaction of every person's best talents.

     If you work for a small organaization or for yourself, your ability to perform at peak depends to a very great extent on your having these abilities - though almost certainly you were never taught in school. Even so, your career will depend, to a greater or lesser extent, on how well you have mastered these capacities.

     In a time with no guarantees of job security, when the very concept of a "job" is rapidly being replaced by "portable skills," these are prime qualities that make and keep us employable. Talked about loosely for decades under a variety of names, from "character" and "personality" to "soft skills" and "competencies," there is at last a more precise understanding of these human talents, and new name for them: emotional intelligence.

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まず最初の一文目から見てみよう。

The rules for work are changing.(仕事のルールが変わりつつある)

この一文だけでは、英検2級レベルの人でも直読即解は可能である。英検3級クラスでも英語のまま理解することは可能かもしれない。

つづいて第二文目はどうか。

We're being judged by a new yardstick:(私たちは新しいものさしによって評価されつつある)

これもおそらく英語のまま理解することは楽勝であろう。

そのあとの一文はどうであろうか。

:not just how smart we are, or by our training and expertise, but also how well we handle ourselves and each other. (たとえば、私たちがどれくらい頭が良いかとか、私たちの受けた訓練や技術知識だけでなく、私たちが自分自身も含めてお互いをどのように扱うかということによって評価されつつあるのだ)

日本語に訳すとむつかしく見えてしまうが、この一文も英語のまま内容を理解することはさほどむつかしくないであろう。このように、ボキャブラリーに問題がないと仮定した場合、一文一文を英語のまま理解することはさほどむつかしいことではない。

ところがこの第一段落全体としてみた場合はどうであろうか。

     The rules for work are changing. We're being judged by a new yardsticks: not just by how smart we are, or by our training and expertise, but also by how we handle ourselves and each other. This yardstick is increasingly applied in choosing who will be hired and who will not, who will be let go and who retained, who passed over and who promoted.

この第一段落を英語のまま読んで、要点が頭の中に残る人は案外少ないのではないかと思う。

ましてやこの The New Yardstick という章全体を英米人と同じスピードで読んで、英米人と同等あるいはそれ以上の理解度で 内容を適切に把握できる人はさらに少なくなるだろう。英検1級保持者でも、青葉マーク付きの人であれば、かなりむつかしいと思う。

英語の一文一文を英語のまま理解できても、それだけでは文章全体を理解することはできない。

つまり直読即解は「本当に読むこと」の必要な条件ではあるが、それだけでは十分ではないのである。

よく英語の上級者にあることであるが、ざっと英語のまま読んだあとに、「はて、一体何が書いてあったんだっけ?」ということがおきる。読んでいるときは、一文一文英語のまま理解できたのに、文章全体を理解することができないのである。

英語の一文一文は直読即解ができるのに、文章全体になると、適切に内容を把握できないのはなぜか。

それは、文章を「本当に読む」ということが、直読即解の複合的要素から成り立っているからなのである。

Aという一文を読んだ場合にそれが記憶として残り、Bという一文を読んだときに、それらの内容が関連付けられて、段落ごとのエッセンスを捕らえなければならない。またCという段落の内容が記憶に残り、D,E,F…という段落ごとの内容と関連づけられなければ、文章全体の内容を把握できないのである。

つまり、「本当に読むこと」とは、直読即解のコンビネーションなのである。

冒頭、スポーツの基礎体力と基本動作の話をしたのは、以下のことを言いたかったからなのである。

英語の書物を読むということを試合にたとえると、基礎体力は語彙(ボキャブラリー)であり、基本動作は一文一文の直読即解なのである。一文一文の直読即解ができても、基礎体力がなく、基本動作がしっかりと身についていないと、周りを見る「余裕」がなく、コンビネーション・プレー(内容の関連づけ)は出来ないのである。

この周りを見る「余裕」は、基礎体力増強(ボキャブラリー・ビルディング)と基本動作(短文の直読直解)の徹底的練習から生まれるのである。

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3.ボキャビル・リーディング・ノートの作成

繰り返すが、 "Working with Emotional Intelligence"のような書物を、英米人と同等のスピードで読み、かつ彼らと同等あるいはそれ以上の理解度で内容を把握するためには、徹底した基礎体力トレーニング(ボキャブラリー・ビルディング)と基本動作(短文の直読直解)のトレーニングが必要である。

この体力増強(ボキャビル)と基本動作(短文の直読直解)練習を一度に可能にするのがロングマンを使って作成したボキャビル・リーディング・ノート(通称:ボキャリ・ノート)である。

このボキャリ・ノートは単なる語彙を増やすための英単語帳ではない。ボキャリ・ノートは語彙を増やすと同時に、このノートを使って徹底的に「短文を読む」訓練をするためのものである。

まず、ボキャリ・ノートの作り方を"Working with Emotional Intelligence"を例にとって説明しよう。

たとえば、読者が最初の段落で太字部分の英単語がわからなかったとする。

     The rules for work are changing. We're being judged by a new yardsticks: not just by how smart we are, or by our training and expertise, but also by how we handle ourselves and each other. This yardstick is increasingly applied in choosing who will be hired and who will not, who will be let go and who retained, who passed over and who promoted.

当然わからない語、あるいは語句に出くわした場合、ロングマンでディファイニングをおこなって読み進めていくのであるが、読み終わったあとで、ボキャリ・ノートを作ってほしい。

ボキャリ・ノートには以下のように記入する。

語の定義: let somebody go = a fraise meaning "to dismiss someone from their job," used to avoid saying this directly:

語の例文: We've had to let three people go this month.

語の定義: retain = to keep something or continue to have something:

語の例文: The town has retained much of its country charm.

語の定義: pass over = if you pass over someone for a job, you give the job to someone else who is younger or lower in the organization than they are:

本文の抜粋: This yardstick is increasingly applied in choosing who will be hired and who will not, who will be let go and who retained, who passed over and who promoted.

多少時間がかかるが、毎日少しずつでも、新しい英単語のロングマンの語の定義と例文、および本文からの抜粋文をこのボキャリ・ノートに書き込んでいってほしい。抜粋文はできれば、その単語の入っている文の前後の文も書き込んでおくと、さらに効果的だ。

ここでひとつ注意しておきたいことは、このボキャリ・ノートには日本語をいっさい書き込まないこと。その理由はあとで述べる。

つぎにこのボキャリ・ノートをどのように使うかを説明しよう。

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3.ボキャリ・ノートはリーディング道場だ!

日本の英語教育では、リスニングやライティングの訓練をするが、なぜかリーディングの訓練の重要さを強調しない。苦労して辞書を使い、構文を解析して英文解釈をしたあとは、すぐに次の章やセクションに移ってしまう。理解できた文章を使って黙読をするという訓練をしないのである。これではいつまでたっても英米人と同じように「本当に読む」ということができない。

一度理解できた英文をもとに「読む(黙読)」訓練をすることによって初めて周りを見る「余裕」ができ、英米人と同じように英語を「本当に読む」ということが可能になるのである。

作ったボキャリ・ノートを使って、一日1回は読む(黙読)訓練をしよう。

まず、昨日できたディファイニングができるかどうか確認しよう。

ボキャリ・ノートを使ってディファイニングをしていると、昨日よりももっと適した訳語が浮かぶことが多い。だから日本語による書き込みをしてはならない。言葉というのは広がりを持って捕らえることが大切だ。日本語を書き込むと思考が固定されてしまい、同時に言葉が持っている意味の広がりを失ってしまう。

語の定義: let somebody go = a fraise meaning "to dismiss someone from their job," used to avoid saying this directly:

語の例文: We've had to let three people go this month.

let go は、直接的表現を避けるための「辞めさせる」という表現だ。「クビ」という表現はきつい言葉なので、婉曲表現だということがわかる。読むときはブロック・リーディングで読もう (ブロック・リーディングについては、オジサンの過去ログ・「ブロックリーディングのすすめ」を参照)。 ブロックリーディングをするときは、ブロックごとに指差し読みをしよう(指差し読みに関しては、オジサンの過去ログ「とてつもないオモチャ」を参照)。

英検2級レベルであれば、ブロックリーディングの部分訳・スパン小が手ごろだ。上級者であれば、プロック・リーディングの即解・スパン大に挑戦してみよう。本文の抜粋も同様にそれぞれのレベルに応じて、それぞれのブロック・リーディングを試してみよう。

記入した箇所は、6日間は見続けよう。そしてそれ以降は見ない。新しい部分が毎日書き込まれているので、新たに書き込まれた単語や例文に集中しよう。単語を覚えるコツは、「来るものは拒まず、去るものは追わず」だ。

このように一日1回はボキャリ・ノートを使って、基礎体力トレーニングと基本動作のトレーニングをしよう。

ボキャリ・ノートはいわばリーディング道場である。オジサンは毎朝30分かけて、この道場で朝稽古をした。毎朝の筋力トレーニングと何千回何万回という素振りがリーディングの達人になる道だ。

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4.ディファイニングとボキャリ・ノートはロングマンという車の両輪だ!

オジサンはこれまで20年間ロングマンを使って、ペーパーバックを750冊~800冊くらい読んできた。その間にロングマンを5冊使いつぶした。最初は使いにくかったロングマンであったが、使っていくうちに自分なりの工夫などを加えていった結果、

ディファイニングとボキャリ・ノートの作成こそがロングマンを効果的に活用する最良の方法であるという結論にいたった。

これ以外にもいろいろなロングマンの使い方があると思うが、オジサンのロングマン活用法を是非皆さんの学習の参考にしていただければ幸いである。

あとがき)

お疲れ様でした。

ロングマンに関して、ほぼオジサンのノウハウを出し切った感じがします。来週はロングマンの分離不定詞の用法について、若干の補足をしておきたいと思います。もうちょっと続きますので最後までお付き合いをお願いします。

来週の投稿予定は4月1日です。(2月にこのブログは終了すると宣言しながら、話したいことがありすぎてずるずると4月に入っちゃいましたね。)

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オジサンお勧め英英辞典

ロングマン現代アメリカ英語辞典

オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

ロングマン現代英英辞典

オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

2007年3月18日 (日)

「ロングマン」の使い方・その4

先週の投稿記事で、ロングマンの真髄はディファイニングにあるとお話した。その効果の一つとして、「思考力」、「想像力」を伸ばすことができるとお伝えした。

今回の投稿記事では、ディファイニングの分析効果についてお話をしたいとおもう。

その前にちょっと以下のなぞなぞを解いてもらえるだろうか。

以下の人物を当ててほしい。

A選手) 元プロ野球選手/千葉県出身/血液型:B/身長:179cm/野手/右投右打/六大学野球で活躍/立教大出身/現役時代は読売ジャイアンツ在籍/あだ名:ミスター/現役時代の背番号は3番/通算本塁打:418本/巨人軍名誉監督

B選手) 元プロ野球選手/東京都出身/血液型:O/身長:176cm/最初は投手、後に野手/左投左打/高校野球で活躍/早稲田実業出身/現役時代は読売ジャイアンツ在籍/あだ名:怪物/現役時代の背番号1番/通算本塁打:868本/現ソフトバンク・ホークス監督

C選手) 元プロ野球選手/岡山県出身/血液型:O/身長:180cm/投手/右投右打/六大学で活躍/明治大学出身/現役時代は中日ドラゴンズ在籍/あだ名:燃える男/現役時代の背番号は22番/通算勝利:146勝/現アテネオリンピック監督

野球に詳しい人であれば、とっても簡単な問題。(詳しくない人でも簡単かな?)答えはA:長島茂男氏、B:王貞治氏、C:星野仙一氏、である。

最初のヒントの元プロ野球選手ではわからない。なぜかというと、元プロ野球選手はたくさんいるので特定できないからだ。ところが出身地、ポジション、出身校、所属チーム、あだ名、背番号、記録と追っているうちに、だんだんとその人物が特定されてくる。

我々は長島茂男氏、王貞治氏、星野仙一氏という人物をテレビを通じて知っている。

しかし、このようにしてデータを分析した形で表すと、あらためてその人物がよく見えてこないだろうか。

たとえば、オジサンは上記のデータを見て驚いたのは、王さんの身長が思ったほど高くないことだった。180cm以上の選手が当たり前、190cmの長身選手もゴロゴロいるプロ野球界で、「世界の王」と言われた王さんが案外小柄な人だったことに気付いた。現役中にみたライトスタンドへのホームランは力で持っていったものではない。タイミングとスイングのスピードなのだ。あのホームラン世界記録を達成するには相当な練習と忍耐が必要だったのだろと容易に推測がついた。

実はこれは先週からお話しているディファイニングも同じなのである。

ロングマンでは語の定義は、データの分析という形で示される。

ロングマンのユーザーはそれらのデータと例文から、その語にもっとも近い意味の日本語を見つけ出さなければならない。この作業がディファイニングである。その過程で英和辞典のように、単に「長島茂男」、「王貞治」という一言で示されるより、その単語の意味を深く知ることができるのである。

例をあげてみよう。

以下の英単語と英和辞典の訳語を見てほしい。(研究社:英和中辞典使用)

abandon = あきらめる

depart = 出発する

take off = 立ち去る

desert = 見捨てる

decamp = (こっそり)逃げる

vacate = 引き払う

quit = 辞める

たしかに、英和辞典に載っている出来合いの和訳だけでも、英文にでてきたそれらの単語の意味をつかむことはできるが、分析された形で説明されるロングマンの説明を見るとさらにその内容を深く知ることができる。

abandon = to leave a place, vehicle etc. permanently, especially because the situation makes it imposible for you to stay:

depart = to leave especially when you are starting a trip:

take off = to leave somewhere suddenly, especially without telling anyone:

desert = to leave someone alone and refuse to help or support them anymore:

decamp = to leave a place suddenly and usually secretly:

vacate = to leave a seat, room etc. so that someone else can use it:

quit = to leave a job, school etc. especially you are annoyed or unhappy:

上記の単語はなぞなぞの「元プロ野球選手」と同じように leave = 「その場をそのままにして去っていく」という共通部分をデータとして持っている。ロングマンのユーザーはそのあとに続くデータから、「長島茂男」、「王貞治」という具合にディファイニングをしていくのであるが、その過程でさらにより深くその人物(英単語)を読み取っていくことができるのである。

abandon は、その場にいられない状況下で乗り物などをそこに置いて立ち去っていくという意味だ。(なにか差し迫った状況があったのだろうか…)

depart は、その場を去っていくのであるが、特に旅にでるときに使うことがわかる。(旅立つというこは、長期間に及ぶのだろうか…)

take off は、誰にも知らせずに去ってくという意味だ。(何かいやなことでもあったのだろうか…)

desert は、ある人をひとりにして去っていくこと。しかもその後は助けたりしない。(何かそうしなければならない理由があるのだろうか…)

…等々、このように、ロングマンの分析データという形式の定義文と例文からディファイニングした場合、単に英和辞典で示される一語の日本語より、読んでいる文脈から内容をさらに深く理解することができるということがお分かりになったであろうか。

以前もお話したように、英語学習者であれば毎日10回~20回は英語の辞書を引くだろう。3年も経つと一万回以上引く計算になる。このようにロングマンで調べて分析された状態でその単語の意味を知る学習者と、英和辞典で「見捨てる、立ち去る」といった出来合いの日本語で意味を知ってきた学習者。数年で、読みの深さに差がでてくるのは当然のことである。

英単語が抽象性の高い高度なものになるほど、このロングマンのように分析されて形で説明を受けないと、その言葉がその文脈で使われている意味を正確に捉えることはむつかしくなってくる。

英検2級以上になったら是非、ロングマンをつかって徐々に英和辞典離れをしていくことをお薦めする。

あとがき)

お疲れ様でした。書きたいことはたくさんあるのですが、今週は時間がなかったので通常と比べるとボリュウームが少なかったですね。

来週はがんばってロングマンを使った英語の記憶法を詳細にわかりやすく紹介します。来週もぜひ読んでくださいね。

来週の投稿予定は3月25日(日)です。

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ロングマン現代アメリカ英語辞典

オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

ロングマン現代英英辞典

オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

2007年3月11日 (日)

「ロングマン」の使い方・その3

本日はオジサンがロングマンを使うようになったいきさつと、初期のロングマンの使用方法の失敗例、およびディファイニングの手法についてお話したい。

1.ロングマンとの出会い

オジサンは大学を卒業してから、20代は英語と全然関係のない仕事(消防士)をしていた。仕事にあまりなじめず、20代の終わりごろにその職を辞し、しばらく配送の仕事(トラックの運転手)をしたあとで、ある産業機器を製造している会社に就職した。最初は営業としてこの会社に入社したのであるが、たまたまそのころに、海外営業部という新しい部署が設立されることになったので、高校時代に英語が得意だったと履歴書に書いていたことがきっかけで、その海外営業部に配属にされることになった。

その部署では海外からの引き合いから、見積もり、契約、製品の輸出、資金の回収にいたるまで、当然英語で行わなければならない。ところが、高校時代に英語が得意科目だったというのは本当のことであったが、学校を卒業してから英語などに接する機会がなかったため、英文法はかろうじて覚えていたが、単語などはほとんど忘れていた。当時、ためしに英検3級の問題をやってみたところ child の複数形を問う問題の答えに、childs と答えてしまうほどボキャブラリーは惨憺たるものであった。

そのようなわけで、業務を円滑に遂行するために、とにかく英語を再度勉強して、英語のレベルをある程度まで高めようと決心した。しかし、すでに30歳を目前にしていたので、ちょっとあせっていた。だからどのような学習をすれば効率よく英語が習得できるかをいつも考えていた。

ある日のこと。通勤途上、電車の中吊り広告の一文に目がとまった。

        「英語で考える」

それはある英語学校の広告であった。

満員電車の中でその広告をよく読んでみると、その英語学校では「英語で考える」を実践するという。そのために、授業はすべて英語でおこない、校内では日本語使用禁止。学生同士であっても英語で話さなくてはならない。また辞書は英英辞典を使用するとのことであった。

つまりこの学校では、生活の中から日本語を一切排除し、英語でなにかを学ぶことにより、英語で考えることが可能となるという主張であった。

オジサンはこの考え方に非常に興味を惹かれた。

考えてみれば、我々日本人が日本語を覚えてくる過程は、日本語でいろいろなことを学習することにより、その結果として日本語を覚えてきたのである。赤ん坊や幼児のときは、母親や父親から日本語でいろいろな周りの事象を教わってきた。小学校に通うようになってからは、学校の先生たちから日本語でいろいろな学科を教わり、その過程で日本語を覚えてきたのである。けっして我々は中国語や韓国語で説明を受けて日本語を覚えてきたわけではない。

そうであればわからないことを英語で説明を受けて英語で覚えていくことがもっとも自然な語学学習方法なのだ、と当時のオジサンは思った。

この英語学校へ通うお金も時間もなかったので、少なくとも英英辞典を使って英語を学習しようと思った。そんなわけで早速、その日の会社帰りに本屋へよって英英辞典を探した。いまから20年前は英語学習者用英英辞典はロングマンしかなかったのでロングマンを購入した。(その後数年してから、コウビルド、オックスフォードの順で書店に登場したと記憶している。)これが最初のロングマンとの出会いだった。

2.ロングマン使用方法の初期の失敗

オジサンはさっそくロングマンを使って、「英語で考える」という学習法を取り入れた。

それはいっさいの日本語を排除し、何かを英語で学びながら、英語を覚えていくというものであった。

そしてロングマンを母親であり、また学校の先生として見立てていた。当時はかなりロングマンに入れ込んでおり、小さな子供が母親といっしょに寝る感覚で、ロングマンを抱いて寝たりしていた。おかげでうちの奥さんに、「あたしとロングマンとどっちが大切なの!」と、よく叱られたものだった。

なにかわからないことがあれば、母親であるロングマンに訊いてみる(辞書を調べる)。そうするとロングマンは英語でそれをやさしく教えてくれる。これこそ自然にそった真の語学の方法に思えた。たとえば、dog であれば、従来の dog → (英和辞典による日本語の)犬 → 認識、 という方法ではなく、 dog → (ロングマンの説明の)a very common animal with four legs that is often kept as a pet or used for guarding buildings → 認識、という方法で理解するようにした。

ペーパーバックや英字新聞を読むときに、極力日本語を排除し直読直解をこころがけ、わからない単語があればロングマンに尋ねて、英語で説明を受け、日本語にすることなく、そのまま英語のまま認識していく。

また、作成する英単語帳も「英語で考える」という方法を取り入れた。

通常皆さんが作る英単語帳は、英単語/日本語(または日本語による説明)、といった形式になると思うが、オジサンの作った英単語帳は、英単語/英語による説明、という形式のものであった。

たとえばまた dog を例に出して説明すると、単語帳(ノート)の左側は dog とし、右側には a very common animal with four legs that is often kept as a pet or used for guarding buildings と書く。そしてその単語を暗記するとき、日本語を排除して、直接右側の英語の説明を直読直解し、イメージとして認識するという方法を取った。

その結果はどうであったか。

英語でいう、memory nightmare あるいは understanding disaster というべきものであった。

半年間この「英語で考える」という学習方法を実践したが、なぜか記憶の定着率が極度に悪く、また本を読んでいても、短文レベルでは直読直解が可能であるのに、文章全体の理解ができないのである。

a dog や a cat のような単純な名詞であれば、「英語による説明 → イメージによる認識」が可能であるが、ある抽象的な概念を含んだ名詞や動詞は記憶することはむつかしく、また文章全体の理解度が悪いのである。

たとえば、2月26日のタイムの"CAN SHINZO ABE FIND HIS WAY?"という記事の冒頭の文章を例にとって話そう。

Yes, the economy is recovering, but Japan's new Prime Minister has been unable to allay fears that the country is in decline, threatened by everything from stagnant wages to an aging workforce to the rising power of China …

仮にこの allay という英単語を知らなかったとして、ロングマンで調べてみると、ロングマンにはこのように出ている。

allay = to make someone feel less afraid, worried etc.

allay のロングマンの説明を日本語を介さずに理解して、タイムの文章を直読直解することは可能であるが、全体の文章を読んだ後の理解度が悪いのである(少なくともロングマンを使い始めた当時は)。

また、この単語を暗記するために、単語帳に allay/to make someone feel less afraid, worried etc.: と書いて、誰かを安心させるようなイメージを心に描いて、日本語を排除して記憶しようとしても、記憶の定着率がよくないのである。はっきり言って半年間でこの方法で覚えた英単語の意味はほとんどがあいまいになってしまい、次にまた文章上で出会ったとしても、なんとなくわかるのであるが、明確に意味を思い出すことができなかった。

結局、半年間の「英語で考える」という学習をとおしてわかったことは、我々成人に達した者が、新しい単語を覚えるときは、日本語を介して理解しなければならないということであった。

allay の例であれば、allay → to make someone feel less afraid, worried etc. → 「『だれかの不安や心配』を軽減する」というように、一度日本語にして理解してから、文章を理解し、かつ暗記する場合もいったん日本語にしなければならないということである。

3.ディファイニングの発見

ロングマンを半年間使ってなにも効果が得られず、諦めてまた英和辞典にもどろうと思っていた時、あることに気が付いた。

ロングマンには、意味の説明のあとに必ず一つまたは二つの例文が載っているのである。

たとえば先ほどの allay を例にとると、「ロングマン現代アメリカ英語辞典」にはこのように出ている。

語の定義) allay = to make someone feel less afraid, worried etc.:

語の例文) The Secretary of State tried to allay the concerns of the Seoul government.

最初にロングマンを使い始めた頃、ロングマンの例文は、刺身のつまのようなもので、単なる飾り程度にしか考えていなかった。ところが、半年間ロングマンと格闘をしてきた後で、これらの例文を見たとき、まったく別の辞書を見たような気がした。

この時はじめて例文の重要性とロングマンを作った編集者の意図がわかったのである。

ロングマンの編集者は、我々にディファイニングをさせるために、語の定義と語の例文を載せているのである。

ディファイニング(defining)とは、語の意味づけ作業のことである。皆さんの使っている英和辞典は、英語の大先生がウエブスターやケンブリッジといった英英辞典を日本語にディファイニング(意味づけ)したものなのである。この大先生たちがやっていたように、ロングマンの語の定義と語の例文から、日本語の定義づけをするのである。

allay をふたたび例に取ると、まず語の定義を理解し、そして語の例文を見ながら allay に日本語の意味をつけるのである。「『ソウル政府の心配』を軽減する、払拭する」という日本語が浮かんでこないだろうか。これがディファイニングである。

ロングマンでいうディファイニングとは、語の定義をヒントに、語の例文の中に使われているその単語に、ピッタリの日本語訳をつけることをいう。

最初から、このディファイニングという方法を取られている、「英語を基礎からはじめましょう、3分英会話」のMojoさんや「楽しく過ごそう!英語と共に!」のFumikaさん、「外国人的日本生活」のあすくみさん、あるいは他の英英辞典を使っている読者方たちから見れば、「な~んだ、そんなこと」と思われるかもしれない。でもオジサンはこのディファイニングという方法に到達するのに実に6ヶ月もかかってしまったのである。

だから、オジサンにすると、このディファイニングの方法に気が付いたとうことは、まさしく「ゼロの発見」にも匹敵する出来事だった。

「どうせ日本語にして理解するのであれば、最初から英和辞典を使っても同じじゃん!」って声が聞こえそうであるが、それが同じではないのである。

ロングマンの真髄はこのディファイニングにあると言ってもよい。

ロングマンを使っている学習者は、英単語の意味を知るために、語の定義と語の例文から自らの力で定義づけという知的格闘をしなければならない。単語によっては数十分、あるいはそれ以上の長時間におよぶ思考をすることもある。前出のロングマン仲間であるFumikaさんは、strain の適訳を見つけるために長時間にわたり考えたと、その苦労をブログに書いていらした。

この考えるという行為が思考力を伸ばし、内容をより深く読みぬく読解力を可能にするのである。

考えてもみてほしい。

辞書というものは英語学習者であれば、最低一日10回くらいは引くだろう。多い人であれば20回~30回くらいは引くと思う。3年もすると1万回~2万回くらい引くと思う。英単語を辞書で調べるたびに、英和辞典で出来合いのディファイニングされた日本語を容易に知ることができた学習者と、かたやロングマンでその都度に知的格闘という修羅場をくぐりぬけてきた学習者。

その時点ですでに「勝負あった!」と、思わないだろうか。

英和辞典を使って学習した人とロングマンを使って学習した人では、数年で決定的に大きな差がでてくる。

ディファイニングには「思考力」を伸ばし、内容を深く読みとる「読解力」が身につくという以外にも、直読直解ができるようになる、語感が増す、各単語の微妙なニュアンスを知ることができる等、多くのメリットを学習者にもたらす。それについてはまた来週くわしくお話したいと思う。

最後にちょっとした思考力を伸ばすディファイニングをしてみよう。以下の語の定義をヒントに語の例文中の各単語に日本語の適訳をつけてみてほしい。

初級者の問題

語の定義) as long as = used to say that one thing can happen or be true if only another thing happens or is true:

語の例文) "You can go as long as you're home for dinner."

中級者の問題

語の定義) let alone = used to say that because one thing does not happen, is not true etc.,  another thing cannot possibly happen or be true:

語の例文) "I wouldn't work with my mom, let alone my whole family."

上級者の問題

語の定義) catch-22 = a situation in which you cannot do one thing until you do another thing, but you cannot do that until you have done the first thing, with the result that you can do neither:

語の例文) "It's a catch-22 - without experience you can't get a job, and without a job you can't get experience."

あとがき)

お疲れさまでした。

どうですか、ディファイニングをうまくできましたか?最初はなかなかすぐにできないかもしれませんが、がんばってやっているうちに、だんだんとコツがつかめてきます。重要なことは「考えること」なのです。未知の英単語を調べるたびに、「考えること」によって思考力や語感が高まり、行間まで読むことができる読解力がついてきます。

as long as は、昔の辞書には「~の限りにおいて」なんてでていましたが、本来の意味は条件づけなのです。「Aが起こる、または真実であるならば、Bも起きてもよい、または真実となる」ということです。例文の条件は、「夕飯に間に合うように帰宅していること」です。答えは、「~しているならば、または、~している条件において」ということです。日本語訳は「夕飯に帰宅しているならば、そとに出かけてもいいよ」となります。

ついでながら、as far as は「範囲のおよぶこと」を意味します。as far as I know であれば「私の知っている範囲において」ということです。昔の英和辞典ではas long as も as far as の両方とも、「~の限りにおいて」となっていますが、これでは明確な違いがわかりません。注意しましょう。

let alone は、否定の理由づけです。「Aが起こらないので、おそらくBも起こらない」ということです。答えは、「~することはないので~もない」です。日本語訳にすると、「母親といっしょに働くつもりはないので、家族全員と働くつもりもない。」です。

catch-22 は、日本語にはない概念の英単語です。ただし、無理に日本語訳をつけた方が記憶が定着します。オジサンは、catch-22 に「鶏が先か卵が先かのジレンマ」とディファイニング(意味づけ)しました。日本語訳は、「まったく鶏と卵のジレンマだね。経験がなければ仕事を得ることができないし、仕事をしなければ経験が得られないのだから」となります。catch-22 はほかにもいろいろなディファイニングができると思います。なお、catch-22 はたまに見かける単語ですが、なぜかオジサンの英和辞典には載っていませんでした。皆さんの英和辞典には載っているでしょうか?

それでは、来週の投稿予定は3月18日(日)です。

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ロングマン現代アメリカ英語辞典

オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

ロングマン現代英英辞典

オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

2007年3月 4日 (日)

「ロングマン」の使い方・その2

先週に引き続いて、英和辞典とロングマンの比較をしてみたい。

子供の頃に海外で生活したことがある「幸運な」人を除いて、一般的に我々は中学校に入学してから初めて英語を学んできた。その時からずっとなんの疑いを持たずに「英和辞典」を当たり前のように使ってきたため、英和辞典に書かれていることが絶対のものと考えるようになってしまった。

ところが「英和辞典」は必ずしも正しいとは限らないのである。

その理由は、① 必ずしも英語=日本語にならないものや、 ② 和訳された語に間違いや時代錯誤のものがあるためである。

1.英語=日本語にならないもの

前回の投稿で述べたように、英和辞典は英語の大先生がウェブスターやケンブリッジといった英英辞典をもとに、ひとつひとつの英単語を日本語で意味づけ(defining)したものであるが、ディファイニングするときにすべての意味を日本語のなかに盛り込むことができないことがある。なぜならば、英語=日本語にならない英単語が数多く存在するからだ。名詞などは比較的、英語=日本になるが、それ以外の品詞ではむしろ完全に英語=日本語にならないもののほうが多いといってよい。

たとえば前回お話した、anticipate もそのひとつだ。

ロングマンでは anticipate はこのように定義づけられている。

anticipate = to expect an event or situation to happen, and do something to prepare for it:

つまり、anticipate という動詞は、「ある事態が起こることを予測して、『それに対する手段を講ずる』」という意味の単語なのである。そして、英語の大先生がこれに日本語の意味づけをするときに、もっとも近い日本語の「予期する」という動詞をあてたのである。この大先生が単に「予測する」としないで、「予期する」と意味づけしたところに、この大先生の苦心の様子が汲み取れるが、英和辞典しか使わないユーザーには、どうしてもこの日本語の「予期する」のなかから、『 』の意味を読み取ることができないのである。

だから、We should anticipate the worst. という英語の意味は、単に最悪の事態を予期するとだけしか読み取れず、それに対して『なんらかの手を打て!』という言外の意味を汲み取れないのである。このように英和辞典では anticipate の本来の意味をつかむことはむつかしい。

abandon もそうだ。

英和辞典では「捨てる、あきらめる」とかいてあるが、ロングマンでは、abandon = to leave a place, vehicle etc. permanently, especially because the situation makes it impossible for you to stay: と書いてある。abandon は「『緊急な事態の下で』その場を去っていく」という意味の英単語なのである。やはり英和辞典ではこの『 』の意味が伝わりにくいのである。したがって小説などに以下の英文が出てきたときに、その違いが読み取れない。

A) The criminal abandoned the car on the street.

B) The criminal left the car on the street.

英和辞典では、どうしても(A)の文章からは、緊迫したハラハラ、ドキドキの臨場感は得ることがむつかしいのである。

このように日本語にしにくい英語というのは非常に多く存在する。みなさんのよく知っている単語をこんどロングマンで調べられることをお薦めする。英和辞典で表しきれなかった『 』をたくさん発見して、驚かれることは間違いない。

以下、英語=日本語にならないため、英和辞典では表しきれない『 』の例をいくつか挙げてみよう。

desperate

desperate という形容詞は、英和辞典では「必死の、自暴自棄の、命知らずの」とでている。オジサンは、英和辞典を使っていた学生のころ、「必死」と「自暴自棄」と「命知らず」は日本語としてはそれぞれ違った意味なのに、なぜひとつの形容詞にこれらの意味があるのか不思議だった。これもロングマンで意味を調べてすっきりした。ロングマンにはこのように出ている。

desperate = willing to do anything to change a very bad situation, and not caring about danger:

desperate という形容詞は、『悪い状況を変えるために、危険も顧みず、なんでもやっちゃう』って意味の単語なのである。したがって、He had no money left and was desperate.って文章が、「彼はお金がなくて、自暴自棄になっていた」という意味になることが納得いくのである。彼は、お金がない状況を変えるため、危険を顧みずに強盗でも引ったくりでもなんでもしてやるという気持ちになっているのである。まさしく「必死」だ!

recall

recall という動詞も日本語に適訳がない単語だ。英和辞典で recall を調べると、単に「思い出す」としか書いていないと思うが、ロングマンでは以下のように出ている。

recall = to deliberately remember a particular fact, event, or situation from the past, especially in order to tell someone about it:

recall という動詞は、「『人に話すために意識的に』なにかを思い出す」という意味の単語である。したがってロングマンを使えば、以下の文章の違いがわかる。

A) Celestina recalled that incident when she was with Cane in his apartment.

B) Celestina remembered that incident when she was with Cane in his apartment.

(A)はセレスティーナがケインといっしょにいるときに、彼女が彼にその出来事を話そうとして思い出したのであるが、(B)は単にセレスティーナがケインといっしょにいるときにふと思い出したのである。ひょっとしたら彼のタバコを吸う仕草かなにかで思い起こしたのかもしれない。recall と remember には、それだけの違いがある。

be familiar with

be familiar with は、英和辞典ではたいがい、「~に精通する」とのっている。オジサンはこのディファイニングはすばらしいと思う。本来の英語の意味がよく日本語に反映されているからだ。ところが、英和辞典だけを使っていると、以下の意味の違いがよくわからない。

Tom knows Tokyo very well. 「トムは東京を非常によく知っている。」

Tom is familiar with Tokyo. 「トムは東京に精通している。」

「非常によく知っている」と「精通している」はどこがどのように違うのか?ロングマンでは be familiar with は、以下のように説明されている。

be familiar with = to know something well because you  have seen it, read it, or used it many times before:

knows very well は単によく知っているということで、トムが東京をよく知っているのは、本で読んだからかもしれないし、また東京に住んでいたからかもしれない。とにかく理由は定かではないが、よく知っているということであるが、be familiar with は、「『過去の度重なる経験によって』よく知っている」ということなのである。したがって Tom is familiar with Tokyo. は、トムが東京になんども来ている経験をもとに、「よく知っている」といっているのである。

また仮にこの文章が、Tom is familiar with the machine. であれば、トムはその機械をカタログなどを読んでよく知っていたのではなく、「実際に過去において何度も機械を動かした経験がある」ので知っているということである。

英和辞典を作った大先生は、『この過去の経験をもとに』よく知っているというニュアンスを出すために、「~に精通している」と意味づけをしたのである。

ついでながら、ビジネスの世界で、外国からの顧客に、You are familiar with Japan と何かの機会に言えば、日本好きの外人であれば、殺し文句だ。覚えておこう!

以上ランダムに思いつくものを挙げてみたが、みなさんもロングマンを使い始めると、このように日本語になりにくい英語にたくさん出会うようになる。

そうすると、最初の使い始めのころは、不安になって英和辞典と見比べることが多いと思うので、いかに英和辞典の日本語訳が実際の英語の意味を伝えていないかがわかるだろう。(オジサンは20年間英和辞典をほとんど引かないので、逆にこの英英辞典と英和辞典の違いを、いまではわからなくなってしまった…)

2.時代錯誤のもの

英和辞典の中には、大昔の英語の大先生がディファイニングをしたものを、現在にいたるまで金科玉条のように守りつづけているものがある。オジサンはこれらの古臭い言葉を「シーラカンス語」と呼んでいる。以下思いつく「シーラカンス語」を挙げてみよう。

inspire = to encourage someone by making them feel confident and eager to achieve somthing great:

inspire は英和辞書によっては、「~を鼓舞する」と出ている。オジサンは50年生きてきて、実生活で「鼓舞する」なんて言葉をほとんど使ったことがない。いつの時代の言葉なのであろうか。もし会話で使ったら間違いなく相手から「コブ???」って聞き返されちゃうだろう。「励ます」とか「奮起させる」が適訳ではないだろうか。

refer to = to mention or speak about someone or something:

refer to は、ほとんどの英和辞書に、「~に言及する」と書かれているが、いったいこの訳語はどこからきたのだろうか。こんなむつかしい言い方はしない方がよい。「~について述べる」で十分!

nourish = to give a person, plant, or animal the food that is needed to live, grow, and stay healthy:

最近はずいぶん改善されたようであるが、オジサンが学生のころに使っていた英和辞典には、「~を滋養する」と書いてあった。いまどきの人は「滋養する」なんて言葉はほとんど使わないのではないかと思う。オジサン、滋養という言葉は、「滋養と強壮にリポビタンD!」の宣伝で聞くぐらいだ。そんなむつかしい言葉を使わずに、「~に栄養を与える」で良いのではないかと思う。

illustrate = to make the meaning of something clearler by giving examples:

illustrate は、たいていの英和辞典に「~を例証する」と書いてある。「例証する」なんて言葉は、いったい何人の人が実生活で使うだろうか。ちなみにオジサンは一度も使ったことはない。会社でこんな言葉を使ったら、同僚に「レイショ~?なにそれ」って言われちゃう。「例を挙げて~を説明する」でいいと思う。illustrate は、欧米ではそれほどビッグ・ワードではない。やさしく行こう!

attribute~to = to say that a situation, state, or event is caused by something:

オジサンが大学受験のころ、attribute を「~の結果を~に帰す」と哲学者のようにむつかしくして、この言葉を一生懸命に暗記していた。英和辞典では、なんでこんなにむつかしくして書いてあるのか不思議だ。「~は~が原因である」でいいのではないかと思う。あるいは「~は~のせいだ」で、その意味はすんなり通じる。

insight = a sudden clear understanding of something, especially something complicated:

insight は、ほとんどの辞書に「洞察」とか「見識眼」などと書いてある。厳密にはシーラカンスではないかもしれないが、オジサンの感覚からいうと、「ちょっとギョウギョウしくないか?」と思う。洞察とか見識眼なんてあまり日常生活で使わないからだ。insight は欧米ではよく使われる言葉なのだからもっと平易な、「ほんとうの理解」とか、「ひらめき」、なんて言葉にした方が良いと思う。最近でも、This book gives you an insight to real America. という宣伝文を見たが、「この本はあなたに本当のアメリカの見識眼を与えます」では重い!

以上、思いつくままに、英語=日本語にならないものや、古臭いシーラカンス語の例を挙げて、英和辞典とロングマンの違いを説明してきた。これらの例は氷山の一角で、本当の意味が伝わっていない言葉が英和辞典には非常に数多く存在するのである。

オジサンが20年まえにロングマンを使い始めたころ、「あれ、この『意味』をどうやって英和辞典では伝えているのだろう?」と疑問に思って英和辞典を調べると、ほとんどの場合、それらの『 』の意味は、英和辞典では伝えていないのである。そのうちに英和辞典で確認するのがバカバカしくなってしまい、英和辞典を引くのを辞めてしまった。

おそらく読者のみなさんも最初の頃は不安になって英和辞典で確認することがあると思うが、本当の意味が伝わっていない英語の単語が英和辞典にたくさん載っていることに驚かれることだろう。

来週は実際にロングマンで英語をどのように調べるかをお話しようと思う。本日は長くなったのでここまで。

あとがき)

お疲れ様でした。

来週はディファイニングの仕方と、ディファイニングによってロングマンのユーザーはどのようなメリット効果を得られるかをお話します。

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オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

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オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

2007年2月25日 (日)

「ロングマン」の使い方・その1

今週からまじめに(?)英語学習ブログらしく、英英辞典について書こうと思う。

読者の皆さんは、ロングマンという英英辞典をご存知だろうか。

ちょっと大きめの書店であれば、学習参考書コーナーにはたいてい英和辞典といっしょに置いてあると思う。使っている人はわかると思うが、この辞書はほんとうにすごい辞書である。ロングマンを使うと、英語学習の効果が飛躍的に上がるのである。オジサンは30歳から英語をやり直したのであるが、ロングマンがなければおそらく今の英語のレベルに達しなかったと思うほどだ。

ロングマンで学習すると、英和辞典で学習するより数倍の効果が上がると言っていい。

それにもかかわらず、ロングマンを使っている人は案外少ないような気がする。これはいったいどうしてなのだろうか?

図書館へ行くと自習室で多くの学生さんや社会人の方々が英語を勉強しているのを目にするが、よく見ると彼らが使っているのはほとんどが英和辞典だ。ロングマンどころか、他の英英辞典でさえ使っている学習者を見たことがない。娘が通っていた高校でも、英英辞典を使っている生徒はひとりもいなかったとのこと。

おそらくオジサンが考えるに、この理由は、①英英辞典は「上級者が使うもの」という迷信に近い誤解があることと、②英英辞典の使い方がわからない、ということではないかと思う。

①に関して述べると、たしかに、オジサンが学生時代だった30年前の英英辞典は大変にむつかしかった。当時はロングマンという英語学習者向け英英辞典は存在せず、英英辞典といえば、ウェブスター、ケンブリッジ、(旧)オックスフォードといった、ネイティブ・スピーカー向けの辞書しかなかった。これらの辞書は日本人が国語辞典を使うように、ネイティブ・スピーカーが知らない英単語を調べるときに使うもので、英語学習者が使うには非常に難解なものであった。おそらくその当時の英英辞典のむつかしさがそのまま、「英英辞典は上級者が使うもの」という印象として残ってしまったのだろう。しかし現在では、英語学習者向けに作られた英英辞典が出版されている。ロングマンもその一つだ。

ロングマンでは、単語の意味は基本2000語という簡単な英語で説明されており、これらの単語は高校2年までに学習するものである。したがって高校3年生以上であれば、十分に使えるものである。英検2級保持者であれば、だれでも使えるはずである。だから、「英英辞典は上級者が使うもの」という考えは、少なくともロングマンに限って言えば、迷信といって良いくらい誤った考えである。

ただし、オジサンは英英辞典が普及しない理由は②の方が大きいのではないかと思う。

学習参考書コーナーへ行っても、英英辞典の使い方に関する参考書が少ないのである。あったとしても、英和辞典との併用とか、英文を書くときに利用するといった部分的使い方を紹介するもので、英和辞典から英英辞典に完全に切り替えるような本格的使い方を紹介するものではない。

ロングマンを購入すると、「使い方の手引き」というのがついてくる。ロングマンの日本出版元が出している由緒正しい(?)ロングマンの使い方の小冊子である。版を改訂するごとに著者が替わるが、たいがいは大学教授や助教授、または●×▲言語研究所の所長といった偉い方たちによって書かれているものだ。

しかしながら、書いた著者の方々には申し訳ないが、この小冊子ではロングマンの構成や品詞の表し方などは理解できるが、肝心な使い方についてはさっぱりわからない。

オジサンは最初のころ、この小冊子を「穴が開くほど」読んでみた。ところが、ちっとも使い方がわからないのである。おかげさまでロングマンを使い始めた最初の半年間くらいは、まったく無意味な時間を過ごしてしまった。(この時の悲惨な経験は、次回のブログで紹介したい。)

ロングマンを使うユーザーからすると、知りたいことはもっと具体的なことなのだ。

たとえば、ロングマンで dog という名詞を調べると、a very common animal with four legs that is often kept as a pet or used for guarding building と説明してある。ユーザーとしては、それをイメージで理解するべきなのか、あるいは頭の中でいったん「犬」と日本語にして理解するべきなのか。また、それらの単語を覚えるときは、英単語帳をどのようにつくるべきか。dog/犬 と書くべきか、あるいは dog/a very common animal~と書くべきなのか。また、ロングマンで単語の意味を調べようとしたら、意味の説明文の中で、知らない単語が出てきた。再度ロングマンでその単語を調べるべきか。といった具体的なことを知りたいのである。

また、もっと重要なこととして、ロングマンを使うと、英和辞典を使用する場合とくらべ、どのような学習効果があるのかということが全然書かれていないのである。

ロングマンを使った場合の学習効果がなければ、ただの徒労に終わっちゃう。そんな苦労は誰もしたくない。はっきりと「●×▲□のような学習効果があります」と、書いてくれなければ、使うユーザーからすると、二の足を踏んじゃうのは当たり前なのだ。

もっとも英英辞典の使い方についての参考書がないとか、あるいはロングマンの使い方の手引きがわかりにくいということは、よく考えてみると当然のことなのかもしれない。

なぜかというと、ロングマンのような英語学習者向け英英辞典が登場したのは、いまから20数年前なのである。つまり、学習参考書や辞書の解説書を書いている英語学者や大学教授たちの学生時代には、ロングマンは存在していなかったのである。だから彼らは英英辞典を使って英語学習してきたわけではないので、ユーザーの立場から見た「使い方」のポイントがつかめないのは当たり前の話だと思う。

はっきり言って、英和辞典と英英辞典の使い方はまったく違うのである。自転車とバイクほどに違う。自転車の乗り方が上手だからといって、バイクに乗ったことがない人にバイクの乗り方の説明書を書かせているようなもので、もともとムチャな話なのだ。

ただし、20数年前に学生であり、オジサンと同じようにその頃からロングマンを使って英語学習をしてきた人がもしいれば、その人たちがようやく大学の助教授や教授になる時期になってきた。

おそらくここ数年のうちに、それらの新しい世代の人たちが英語学習者向け英英辞典やロングマンの使い方の参考書を書いてくれるだろう。そうすれば、英英辞典やロングマンを使う学生や学習者が多くなってくると思われる。そうなれば、日本人の英語のレベル(特に読解力)が飛躍的に伸びることは間違いない。

その時期がすぐ目の前に来ていると信じたいが、それまでは、とりあえずは僭越ながら、オジサンのブログを参考にしていただきたい。

オジサンの20年間のロングマンを使ってきた経験では、英英辞典を使うことによって以下の効果が得られる。

①読む理解度が高まる。②読むスピードが増す。③単語が覚えやすくなる。④書く英語の説得力が増す。⑤思考力が増す。

英英辞典というと、単に「英単語の微妙なニュアンスがわかる」と思っている人が多いのではないだろうか。ところが実際にロングマンを使って英文を読むと、ニュアンスがわかるなんていう程度じゃないことがわかると思う。

行間が読めるほど書かれている内容を深く理解できるのである。

皆さんには、以下の文章の違いがわかるだろうか。

A.Schools are predicting an increase in student test scores.

B.Schools are anticipating an increase in student test scores.

C.Tom left his car at the corner of the town.

D.Tom abandoned his car at the corner of the town.

英和辞典を使うと、Aは「学校側は生徒たちの得点が上がることを予測している」、Bは「学校側は生徒たちの得点が上がることを予期している」ということになる。予測も予期も似たような感じで、はっきりとこの文章の違いがわからない。ところがロングマンを使っている人にはこれらの単語の決定的な違いがわかるのである。

predict と anticipate は、ロングマンでは以下のように出ている。

predict = to say that something will happen before it happens:

anticipate = to expect an event or situation to happen, and do something to prepare for it:

anticipate という動詞は、「~を予測(または予期)する。『そしてそれに備えて何かをする』」という意味の単語なのである。つまり、Aでは単にテストの得点が高くなることを予測しているのであるが、Bはテストの得点が高くなるので、同時にたとえば合格点ラインを高くするとかいった、なんらかの対抗手段を取っていることがわかる。もちろん文脈を追っていけばそのようなアクションを学校側が取っていることがわかってくることこともあるが、anticipate が出てきた時点で、なんらかのアクションが取られていることがすぐにわかり、より書かれている内容を深く知ることができるのである。

同様に、abandon の定義は以下の通り。

abandon = to leave a place, vehicle etc. permanently, especially because the situation makes it impossible for you to stay:

abandon という単語は「『差し迫った状況のため』~を置いていく」という意味の動詞なのである。したがってロングマンで勉強してきた人たちは、小説などでこの文章を読んだだけで、トムは追っ手に追われているとか、警察の非常線などが張られているとかいった、緊迫したハラハラドキドキの状況で、トムが仕方なしに車を置いていったことがわかるのである。

小さなことであるが、このようにロングマンを使い、『 』のような日本語では表しにくい意味も含めて英単語を覚えていくことにより、書かれた英語の文章をより深く読み込むことができるようになってくるのである。とくに難易度の高い単語になるほど、日本語にはない概念が含まれてくるので、『 』部分の比重が大きくなってくる。タイム誌などは、ロングマンを使って読まないと、本当の内容を把握することは不可能ではないかと思うことがしばしばある。

そのようなわけで、オジサンは読者の皆さんに本当の読解力をつけるために、ロングマンの英英辞典を使って英語学習をしてほしいのである。

来週より何回かに分けて、ロングマンの使い方や英単語帳の作り方を徐々に説明していきたい。本日は長くなったのでこれまで。

あとがき)

お疲れ様でした。

オジサンが昨年の8月にこのブログを開いたもともとの理由は、①もっと読むことの重要性を皆さんに知って欲しい、ということと、②ロングマンをもっと世の中に広めたい、ということでした。

これまでかなり横道にそれたりしましたが、①については、本の紹介やときどきブログの中で、読むことの楽しさや重要性を述べてきました。ある程度、読者の皆さんに伝わったのではないかと思います。

ところが、②のロングマンについては、自分のブログで紹介せずに、FumikaさんMojoさんAskumiさんのブログを占拠(?)して、ロングマンの自論を展開するというはた迷惑な蛮行を何度か繰り返してきました。このブログも終盤を迎え、最後は自分のブログでしっかりロングマンで締めますので、三人様、これまでの失礼をお許しください。

なお、この3人の方のブログではときどきロングマンを使った学習法も紹介していますので、読者の皆さんはオジサンのブログ同様に参考にしていただきたいと思います。

さて、来週の投稿予定は3月4日(日)です。それじゃ、最後までお付き合いを。応援のクリックをお願いいたします。

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オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。この版を境に、ロングマンの語の定義の方法が大きくかわりました。If と to not(分離不定詞)の表現が使われるようになり、それまでと比較して非常に語の説明がわかりやすくなりました。これらの表現方法についても、今後のブログで説明していきます。 アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

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オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。この版も「現代アメリカ英語辞典」同様に If と to not の表現を採用されるようになり、語の定義のわかりやすさがさらにアップしました。

2007年2月18日 (日)

Fit for Life

オジサンが以前勤めていた会社の同僚で、ブレンダンというイギリス人がいた。

当時オジサンが勤めていた会社は、フィンランドに本社を置く外資のメーカーで、世界中に工場と販売拠点を持っていた。このブレンダンという人は、オーストラリアに常駐している技術者で、アジア地区の各支社の技術サポートをしている人だった。彼は定期的にアジア地区の販売拠点を回っていたので、日本にも2ヶ月に一度くらいの間隔でやってきて、オジサンといっしょに日本のユーザーや代理店を訪問し、プレゼンテーションなどを行っていた。

最初にこのブレンダンに会ったときの印象は、腹のちょっと出た、太りぎみの「オッサン」って感じだった。

ところが、日本に来るたびに少しずつ、「あれれっ?」という程度の少し印象が違ってきた。徐々に痩せてきたのである。痩せてきたというよりも、締まってきたと言った方が適切な表現かもしれない。健康的にハツラツとした感じの痩せ方なのである。

そして一年もするとモデルのようにすらりとした精悍な若者に変身してしまった。

ブレンダンは28歳という年齢にもかかわらず、最初のころは35歳くらいに老けて見えたが、この時になってはじめて20代のハンサムな若者であったのだということに気がついた。

ブレンダンにどのようにして痩せたのかを聞いたところ、ブレンダンはにっこり笑って、「もう、ぼくには必要がなくなったので、かいちゃんにあげるよ。」と、一冊の本をオジサンにくれた。

FIT FOR LIFE という本である。

日本ではあまり知られていない本であるが、欧米では結構知られたダイエットに関してのクラシック的な本らしい。ブレンダンは奥さんといっしょにこの本に書かれているダイエットを忠実に実行して、ウエイトを落とすことに成功したのである。彼の言葉によると、食事を楽しみながら無理なく体重が落とせるとのこと。

その当時、オジサンはオーバーウエイトに多少悩んでいたので、FIT FOR LIFE を読んで早速実行してみたところ、なるほど半年で8kg体重が減った。それ以来5年の歳月が経ったが、多少の増減はあるものの、体重は一定を保っており、しかもその間に一度だけ風邪を引いたが、それ以外は病気らしい病気をしていない。以前はすぐに風邪を引くし、咳をし出すと、半年くらい咳き込んでいた。ところが今はとても健康そのもので、今年の1月の定期健診もオールAだった。

ダイエットというのは、人それぞれに合ったものがあると思うので、かならずしもこの FIT FOR LIFE が最高のものだとは言えないが、読者のなかでダイエットに興味のある方がいらっしゃれば、参考になるかもしれないので、今回の投稿でこの本のエッセンスを以下に紹介したい。

FIT FOR LIFE では、めんどうなカロリー計算をすることはないし、食べる量についても制限はないが、以下の2つのルールを守らなければならない。

1.食べる時間帯

「私たちがもっとも食べてはいけない時間はいつだと思いますか?」

もしみなさんがこのような質問をされたらなんと答えるであろか。ほとんどの人が、夜中とか就寝前と答えるのではないだろうか。

ところが、この本によると、もっとも食べてはいけない時間は朝なのである。

これけっこう驚かれた方もいると思う。オジサンも驚いた。日本では朝は食べなければいけないという定説がある。亡くなったオジサンの母親も常々孫たちに、「学校に行く前はきちんと食べていきなさい。」と、小言のように言っていた。朝、食べないとお腹がすいて勉強に集中できないというのが理由だった。オジサンが朝は食べてはいけないなどと言ったら、おじいちゃんやおばあちゃんのような昔の人たちに叱られてしまいそうだ。

なぜ朝、食べてはいけないかというと、自然に反するからなのである。

著者のハーベイ・ダイアモンドという人は、大学院で「自然衛生学(Natural Hygiene)」という学問を学び、それに基づいたダイエット法を考案した。それが FIT FOR LIFE である。この自然衛生学というのはどのようなものかというと、人間も含めて動物には固有の適した食物があり、またその食物の摂取から消化、排泄にいたるサイクルがある。その自然に適した食物と新陳代謝のサイクルを守ることによって、身体の中を浄化し、健康をたもつことを目的とした学問である。

アフリカのサバンナに住む野生の動物で、朝起きていきなりバクバク餌を食べだす動物はいないのである。ほとんどの動物は午前中はゆったりと過ごし、午後から獲物を探しに行って、獲物を捕まえて食べ始めるのである。あるいは草食動物であれば、午後になって牧草などのある場所へ移動し、食べ始めるのである。そして就寝の間に消化するのである。

つまり午前中は排泄の時間帯なのである。

実は我が家ではうさこ(12匹)を飼っているのだが、彼らは午前中は確かに食べないようだ。読者の中で、「あれ?でも家(うち)のペットは朝も食べるぞ」って言われてもオジサン困っちゃうのだけど、それは人間と生活することによって自然の法則を忘れてしまっているのだと思う。もっとも最近のワンチャンやネコちゃんは、人間と同じように三度三度食べるせいかはわからないが、高血圧、糖尿病で苦しむペットたちが多く、動物病院は繁盛しているとか。

話は逸れてしまったが、自然衛生学に従えば、

我々哺乳類である人間は、昼と夜にしっかり食べ、夜寝ている間に消化し、朝は食事を抜いて排泄にあてる。これがもっとも自然の新陳代謝のサイクルなのである。

ただし、ダイヤモンド氏によれば、人間は自然の動物と違って午前中ゆったりとしてはいられないので、多少のエネルギーの補充は必要とのこと。それゆえ、朝は天然100パーセントのフルーツジュースを飲むことを勧めている。また、どうしても空腹が我慢できない場合は、りんごやバナナなどのフルーツを取ることを勧めている。(なぜフルーツなのかはあとで述べる。)

話はまたまた逸れてしまうが、日野原重明さんというお医者さんをご存知だろうか。聖路加病院の病院長で現在95歳の方である。数々の医療改革を進めてきた方で、老いてもなお精力的に執筆活動や講演をこなし、忙しい毎日を過ごしている。お正月にこの日野原さんの出演していた新春特別番組を見た。この番組の中で、日野原さんの予定帳には5年先までスケジュールがびっしり書かれているが、いまの医療改革を実現しようとすると、10年はかかるので、スケジュール帳を105歳分まで購入しようかどうか迷っているとおっしゃられていた。95歳という高齢にもかかわらず、ますます元気で、まさしく理想的な老いかたをされている方である。

この日野原さんがこの番組で、毎日の食事について語られていたことが印象的だった。朝は野菜や果物のジュースだけで済まし、昼はビスケットと紅茶、そして夜はしっかりと食事をするということであった。「夜たくさん食べて胃がもたれませんか?」という質問に、「一般に動物は夜食べて寝ます。寝るときには、哺乳類は胃を下にして寝ます。うつぶせに寝ればもたれることはありません」とおっしゃられていた。まさしく FIT FOR LIFE を絵に描いた生活であると関心した。

2.食べる物の組み合わせ

哺乳類にはそれぞれの種によって適した食物というのがある。

たとえば野生のキリンやシマ馬は草食類なので植物の葉や茎などを食べる。ライオンやトラなどは肉食なので、獲物となる動物をつかまえてその肉を食べる。リスなどのげっ歯類は木の実。イルカやクジラなどは魚介類である。これらの哺乳類は胃の中で作り出される消化液がその食べる食物に適したものなのである。だから草食動物が肉類を食べると消化不良を起こすし、ライオンやトラに「肉ばかり食べてるとバランスが悪いから!」といって、野菜を食べさせたら体調不良を起こして病気になっちゃうのである。

つまり、種によって適したものを食べないと、消化不良を起こし、体内に老廃物がたまり、健康を害することになるのである。

それでは我々人間に適した食物はなにか?

ご存知のように、我々人間はサル科の動物である。そして種によっては、昆虫などのたんぱく質を取るものもあるが、一般的にサルの主食は果実(フルーツ)である。

したがって人間にもっとも適した食べ物は果実(フルーツ)ということになる。

ダイヤモンド氏によると、果実を食べた場合、胃に入ってから消化されて腸の中へ送り込まれる時間はわずか20分で、短時間で消化され、排泄もスムーズに行われるという。(肉類の場合は4~5時間消化にかかる。)これほど完全な食べ物はないそうである。だから朝、食事を抜いて、どうしても空腹で何かを食べたいのであれば、リンゴやバナナなどの果実を取ることを勧めている。食べてすぐに消化されるので、午前中の排泄に間に合うというわけだ。

フルーツというと、どうしてもデザートという感じがあるが、もともと我々はサル科の動物であることを考えた場合、果実(フルーツ)は食物のひとつとして考えるべきなのである。

ただし、他のサルと違って人間には食べ物にかんして決定的に異なることがある。

それは、人間だけが果実や野菜、木の実はもとより、肉類や魚介類を食べられるということである。

不思議なことに、人間だけが食べ物の種類に応じてそれに適した胃液が分泌されるのである。これは進化の過程で、それらの食物を消化する酵素を持ったからであると思われる。

デスモンド・モリスという動物学者がかつて「裸のサル」という本の中で、「この地球上で数百種類のサルがいるが、身体が毛におおわれていない種類は一種類だけである。それは人間という種のサルである」と述べ、いかに人間が他のサル科の動物と相違するかということを身体的かつ社会行動の側面から説明している。このあらゆるものが食べられるということも他のサルと相違する大きな要素である。

ただし、人間の場合、食べるということが文化の一部であることを考えた場合、果物だけで生活していくことは非常な困難をともなうので、ダイヤモンド氏はこれら肉類や魚介類を食べる際の組み合わせによる食事を提案している。

野菜、果物、木の実はどのような種類の胃液でも消化されるが、肉類、魚介類、炭水化物はそれぞれ別個の胃液が分泌される。

したがって、野菜や果物は副菜として付け合せに使い、肉類、魚介類、炭水化物は同時に取らないように勧めている。たとえば、ステーキにサラダとか、魚介類の鍋物に野菜とか、ポテトフライにサラダといった組み合わせにする。

最悪の組み合わせは、肉類に炭水化物の組み合わせである。

たとえば、ステーキにポテト。肉類を消化する胃液は酸化系で、炭水化物を消化する胃液はアルカリ系である。この両者を一度に胃の中へ入れると、酸化系とアルカリ系の2種類の胃液が同時に分泌されるため、お互いが中和しあってしまい、胃の内容物が完全に消化されず腸の中へ送り込まれ、そこで発酵して(腐って)しまい、ガスなどが発生し、完全に排泄されずに体内に老廃物として残ってしまうのである。

このように、ただしく食べ物を組み合わせて、完全に胃の内容物を消化し、スムーズな排泄を促進することによって、老廃物の沈殿をさけ、身体の中を浄化し、健康を維持していく理論が FIT FOR LIFE の基本的な考え方である。

ご興味のある方は、購入して詳細を読んでいただけるだろうか。この本には FIT FOR LIFE 式のレシピなども載っており、わかりやすい内容になっている。

今回の投稿の場を借りて、ちょっと狂牛病についてお話したい。これはオジサンの私見であって、なんら実証がなされたわけではないので、参考程度に聞いてほしい。

一般的には狂牛病の原因は、病原菌に汚染された牛や羊の骨のくずを飼育された牛が食べたために起こったものといわれている。米国から牛肉を輸入する際には全頭検査を義務づけるか、あるいはサンプリング検査にするかで、ずいぶん日米の間でもめたが、オジサンは問題はそこにあるのではないと思っている。もともと飼育牛に牛の骨を食べさせること自体が問題だと思うのだ。

自然の世界では、種の保存のために進化の段階で、いろいろなプログラムが我々の身体のなかにインプットされる。以前お話したストレスなども種の保存のために、自然が我々の身体の中に組み込んだプログラムである。そして種を守るために、飢餓状態でもやってはならないことがある。それは「共食い」である。人間に限らず生まれた子供を命がけで親の動物は守ろうとする。飢餓状態であっても子供には食べさせようとするのが、哺乳動物の本能だ。弱い子供から食べちゃうようではすぐに種が滅ぶ。だから自然は「共食い」に対してそれをさせない何らかのプログラムを作っているような気がするのである。

こんな話を聞いたことがある。昔アフリカでは人食いの風習があったが、そのような地方にはある風土病があった。それは突然、歩行困難になりそのうちに言語障害や記憶障害が出てきて、死にいたる病である。いわば狂牛病に良く似た症状なのである。オジサン思うに、これは共食いを防止するための自然の摂理のような気がするのである。

我々は牛や豚の肉を食べるが、以前は屠殺された家畜の食べられない部分(骨、内臓等)は産業廃棄物として処分されていた。そのため膨大な処分費用がかかっていたのである。そこで畜産農家が考えたのは、これらの産業廃棄物をリサイクルすることであった。つまりそれらの内臓や骨を再加工して家畜に食べさせることである。ところが、もともと牛は草食の動物であり、牛に牛の骨や内臓を食べさせること自体が自然の摂理に反しているようにオジサンには思える。

狂牛病は「共食い」の飼育をさせていることが原因ではないのだろか。そうであるならば、全頭検査かサンプリングかを議論する前に、「共食い」飼育を全面禁止するべきなのではないかと思うのである。

なお、以前米国でアルツハイマーが多いのは遺伝が原因だと思われていたが、最近は肉食との関係が指摘されている。これらもオジサンが思うに、「共食い」が影響していると思う。牛と人間では同種の動物ではないが、哺乳類という広い枠で見た場合、同じ草食系なのである。過剰な肉類の摂取が自然の摂理に反するために引き起こされるのではないのだろか。肉類の取りすぎには気をつけたいものである。

あとがき)

お疲れ様でした。

正直に告白しますと、先週から FIT FOR LIFE の本を捜していたのですが、見つかりませんでした。3年前に実家に引っ越してくるときに、内容が陳腐でツンドクになってしまったペーパーバックを相当数処分しました。おそらくその時に、間違えて捨ててしまったようなのです。(ブレンダン、ゴメンね!) したがって、今回は紹介本の読み直しができなかったので、ほとんど記憶の中をさぐって投稿記事を書きました。そんなわけで、ほんとうはレシピなども紹介したかったのですができませんでした。これ以上知りたい方はすみませんが、図書館で借りるか本をお取り寄せ下さい。

さて、英語学習ブログに参加していながら、英語学習について語らない変なブログでしたが、来週からロングマンについてお話いたします。最後はしっかり英語学習記事で締めますのでよろしくお願いいたします。最後までお付き合いを!

来週の投稿予定は2月25日(日)です。それじゃ、応援のクリックをお願いします。ばいばい!

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オジサンお薦めの本

Fit For Life

自然衛生学に基づいたダイエット法です。カロリー制限や食べる量についての制限はありませんが、食べる時間帯と食べる組み合わせを守ることによって、健康的に体重を無理なく落としていくことができます。英検2級レベルです。

The Naked Ape

地球上に百数種類あるサル科の動物で、身体を毛が覆っていないのは人間だけである。著者はこの「裸のサル」がいかに他のサルたちと違っているかを、身体的、社会行動的側面から明らかにしていく。文化人類学上の古典ともいえる作品です。英検準1級レベルです。

Perfect Digestion

今回は紙面の都合上紹介できなかったのですが、インドには古来より、アーユルベーダ(Ayurveda)という食に関しての哲学的健康法がある。ディーパック・チョップラというお医者さんがこのインド古来の食事と健康の考え方をわかりやすく説明してくれる。なお、このチョップラ医師は博学で経済予測などもおこなっている。1990年代初頭の株価大暴落を見事に予測したことで有名。英検2級レベルです。

2007年2月11日 (日)

悟り

いまからもう100年以上前のことであるが、スイスのチューリッヒ特許庁に、一人の青年が勤めていた。

この青年はちょっと変わっていた。いや、大いに変わっていた。

この青年は小さいころから人があまり気にしないような問題、たとえば、空間とはなにか、光とはなにか、時間とはなにかということに不思議さを感じていた。

たとえば、宇宙空間はどこまで続いているのだろうかとか、50キロで走行する車に乗って、50キロの車を追いかけると止まって見えるので、光速のロケットで光を追いかけていったら、光は止まって見えるのだろうかということをずっと考えていた。

そこでこの青年は物理学者になってそれらの疑問を解き明かしたいと思い、地元の工科大学へ進学した。

ところが、その情熱にもかかわらず、数学はまあまあ人並以上であったが、肝心の大学での物理学の成績があまり良くなかった。しかも、普段の言動がちょっと人より変わっていたために、大学の教授によく思われず、卒業後大学院に残って研究を続けることができなかった。

そのため物理学者になる夢を断たれてしまった。

そんなわけで、遊んでばかりいられないので、父親の紹介で地元の特許庁に就職したわけである。ところが、子供の頃からの空間、光、時間、重力についての好奇心を捨て切れなかった。

それで独学でこの問題を研究していこうと決心した。

大学院で実際の実験ができないので、しかたなく頭の中で実験をすることにした。

たとえばガラス貼りのエレベータを自由落下させた場合、中にいる人はどのようになるだろうかとか、走っている列車から同時に上がった二つの花火を見たらどのように見えるかといったことを頭に浮かべて、お金や実験室のいらない実験を続けた。

この日も特許庁で仕事をしながら、頭の中でこの「思考実験」なるものを繰り返していた。そしてある真理が見えた。ずっと追っていた疑問が解けた嬉しさと興奮のあまり、人が周りにいるのにもかかわらず、つい叫んでしまった。

「空間は曲がっている!」

周りにいた同僚たちはさほど驚かなかった。実はこの青年が叫ぶのはこれが初めてではなかったからだ。以前にも突然、「光を光のスピードで追いかけても、光は観察者から光のスピードで離れていく」とか、「時間は絶対的なのもではなく相対的なもので、観察者によって進む時間は異なる」といった、分けのわからないことを口にしていた。だからこの日も、「またか…」といった程度で、気ちがいではないが、「ちょっと頭のおかしいヤツ」と周りの同僚たちは彼をあざけり笑っていた。当時の物理学の常識では空間や時間は絶対的なもので、空間が曲がることなどないし、時間は常に一定に進むと思われていたのである。

それから幾星霜…。90年以上の歳月が経ったある年、アフリカで皆既日食が観測された。

皆既日食は2年に一度くらいの周期で地球上のどこかで見られるもので、さほどめずらしいことではないが、この年の皆既日食は地球から見て、太陽のちょうど裏側に金星が位置するめずらしいものであった。そして物理学上の歴史となる日の目撃者となるため多くの科学者がアフリカに集結し、刻一刻と近づくその瞬間をかたずを飲んで待っていた。そして日食がはじまった。

月が太陽を徐々に食いはじめ、やがて完全に太陽を覆って真っ暗となった。

その時真っ黒な太陽のとなりに、見えるはずのない金星がはっきりと見えたのである。

太陽の重力によって空間が歪められ、金星の光が曲がって地球に届いたのである。特許庁の青年はすでに亡くなっていたが、

彼の主張した空間が曲がるという事実が初めて肉眼で確かめられた瞬間であった。

この年さらに別の実験が行われた。この特許庁の青年は、「光速で移動するロケットの中では時間がゆっくり進む」と予言していた。これを実証すべく、2つの原子時計を同時に動かし、ひとつを地上におき、もう一つを音速ジェット機に搭載して数時間飛行をしたあとに比べてみる実験をしてみた。光速のロケットと音速のジェット機では、新幹線と亀ほどのスピードの違いがあるが、その結果数万分の1秒という単位で、ジェット機に搭載した原子時計に遅れが生ずることが確認できたのである。時間は絶対的なものではなく、相対的なものであることが証明されたのである。

この年、あらためて世界中の人々は、この特許庁に勤めていた青年の偉大さを思い知らされたのであった。

すでに読者の皆さんにはこの特許庁の青年が誰であるかはお分かりだと思う。そう、彼は「現代物理学の父」といわれる、若き日のアルバート・アインシュタインである。

アインシュタインは特許庁に勤めながら、1905年に今の物理学の基礎となった「特殊相対性理論」や「光量子仮説」など数々の論文を発表した。いまの物理学史ではこの1905年は「奇跡の年」と言われている。しかし、これらの論文を発表したが、すぐに「アインシュタインはすごい!」とはならなかった。当時の物理学はニュートンの物理理論を基盤としていたので、ニュートンの物理学を根底からくつがえすアインシュタインの理論はなかなか理解されなかったのである。彼の物理理論が評価されるようになるにはさらに十数年の歳月が必要だった。

アインシュタインというと「天才中の大天才」と思われているが、オジサンはそう思わない。

なぜかというと、アインシュタインの伝記などをしらべると、学生時代の彼の成績はずば抜けてすごいものではない。数学はできたがそれ以外の物理や化学はせいぜい平均以上という程度である。大学在学中の成績もぱっとしなかったため、大学院に残ることができなかったのである。当時、彼よりもずっと優秀な学生たちが彼の通った「チューリッヒ工科大学」にたくさんいたのだ。たしかにアインシュタインはある面では「天才」であるが、我々が通常思っているような、頭脳明晰な神童とよばれるような「天才」ではなかったのである。

それではなぜアインシュタインは彼よりも優秀な学生たちに比べて、大きな業績を残すことができたのだろうか。

それには二つの要因があると思う。

ひとつは、アインシュタインが子供の頃に持った好奇心を大人になってからも持ち続けることができたこと。そしてもうひとつは、既成概念に囚われなかったことである。

この二点こそがアインシュタインをアインシュタインにしえた理由である。

子を持った親であれば、だれでも経験することであるが、こどもはなんにでも興味を持つ。「あれなーに?」、「なんで?」、「どーして?」といって、親を質問攻めにしてくる。ところが大人になるにしたがって、社会の煩雑なことにこころを囚われ、いつしか好奇心を失っていく。社会が持っている既成概念を受け入れ、その枠の外にあるものは、アブノーマルなものとして排除していくようになる。

ところが科学の進歩は、アインシュタインのような、少年のようなこころを持ち、社会の既成概念に囚われなかった人たちによってなされてきたのである。

コペルニクスにしても、ガリレオにしても、こどものころからの好奇心を持ち続け、既成概念を守ろうとする社会の圧力に屈せず、新しい発見や理論を打ち立ててきた人たちなのである。

オジサンがなぜこのようなことをくどくど話しているかというと、読者の皆さんにもアインシュタインとおなじように「子供のような心」で、既成概念に囚われずに今回オジサンが話そうと思っていることを見てほしいからなのだ。

「臨死体験」が体験した人たちに及ぼす影響を考察する場合、どうしても宗教にまで言及しなければならない。これまで科学と宗教は別個のものとして扱うのが社会の既成概念であった。オジサンが宗教の話をすると、「あっ、オジサンは○○教の信者だったんだ」とか、「オカルト愛好家」として排除されてしまうかもしれない。

しかし、この「臨死体験」はこれまでの宗教と科学の垣根を越えて、いったい我々人間とはどのような存在であるのか、ということを考察する絶好の機会を提供しているような気がするのである。

前回同様に今回も前置きが相当長くなってしまった(反省…汗…)。今回もかなりの長文のブログになると思われるので、読者の方々においては覚悟をしていただきたい。(もし一回で読みきれなければ、二日に分けて読んでいただけるだろうか。)それでは今回のテーマである「臨死体験」が体験者に及ぼす精神的な影響を見ていこう。

コネクチカット大学の心理学教授でケネス・リングという人が、臨死体験者のその後の精神的変化について調査をし、「Heading Toward OMEGA(オメガに向かって)」という著書でその結果を書いている。

ケネス・リング教授はさまざまな面から、臨死体験者がどのような心理的変化が生じたかを調べたが、そのなかでいくつかの注目しておきたいものをまず紹介しよう。

宗教観の変化についての調査

リング教授は臨死体験をした人と、死にかかったが臨死体験をしなかった人のそれぞれ約100名に以下の項目について、臨死体験または死にかかった前と後で変化があったかどうかを質問をした。

1.すべての宗教の本質は核心的な部分はみな同じだ。

2.どのような宗教を信じているかにかかわりなく全ての人に同じ死後の世界がある。

3.教会の礼拝に行くことより、個人的に心の中で神に祈ることのほうがずっと大切だ。

4.神はあなたの内面にいる。

5.全人類を包み込む普遍的な宗教が確立されればとても素晴らしいことだと思う。

結果は以下(数値はイエスと答えた人のパーセントを示す)。

1.臨死体験した人 85、 臨死体験しなかった人 40

2.臨死体験した人 91、 臨死体験しなかった人 53

3.臨死体験した人 85、 臨死体験しなかった人 70

4.臨死体験した人 94、 臨死体験しなかった人 60

5.臨死体験した人 79、 臨死体験しなかった人 46

この数字を見れば一目瞭然であるが、臨死体験をした人は既成宗教から普遍的宗教に宗教観が変わっているのである。

この調査の対象となった人たちはアメリカ人である。国民の7割がファンダメンタリスト(原理主義者)のキリスト教徒であり、ほとんどの人が日曜にはかならず教会へ行く人たちであることを考慮すると、この数値は驚くべきものである。この調査の対象となった人たちのコメントがあるのでここでいくつか紹介したい。かれらのコメントに宗教観を変えた心情がうかがえる。

「教会には絶対に行こうとは思いません。教会の教えは、私が臨死体験で学んだことのアンチテーゼです」 / 「体験後、私は教会に行かないようになりましたが、より深い宗教心を持つようになったと思います」 / 「体験以来、自分のすぐ近くに神様がいるのを感じます。ほら、すぐそこにいらっしゃるんです」 / 「神様は私の一部です。神様は私のもっとも本質的な部分です」 / 「体験前、私は無心論者でした。神というのは、人間のイマジネーションが作り出したものだと思っていました。しかし今では、神が存在することを確信しています。存在するものの全てに、神のエッセンスが内在しているのです。」 / 「神というのは、ものすごく巨大なエネルギー源のようなものだと思います。それがこの世界の核にあり、我々人間はその核から離れたアトムのようなものです。」

彼らのコメントに神の遍在感、神との合一感、一切は一つであるという全一感がよく表されていると思う。じつはこの神との合一感あるいは自分は神の一部であるという感覚は、ここで調査を受けた臨死体験者だけでなく、他の多くのアメリカの臨死体験者が語る感覚である。アメリカ人がキリスト教徒であるから「神」を使った表現になるのであるが、仏教徒の多い日本では、同じ現象であるがまた違った表現になる。それについてはあとで述べるので、この「合一感」を記憶しておいてほしい。

物質欲に対する変化の調査

以下の点について、臨死体験者に体験前と後では変化があったかを質問した。

「生活の物質的面に対する関心」 : 減少 73.1% 増加 0%

「人生において物質的成功をおさめることに対する関心」 : 減少 50% 増加 0%

「生活水準を上げたいという欲求」 : 減少 39.4% 増加 19.2%

人生に対する意識変化の調査

どうように、以下の点について、臨死体験者に体験前と後では変化があったかを質問した。

「毎日の生活のごく普通のできごとの一つ一つが素晴らしいものに感じられる」 : 減少 0% 増加 88.5%

「自然の美しさをより感じるようになった」 : 減少 0% 増加 88.8%

リング教授の調査結果からわかったことは、臨死体験をした人たちは、これまでの人生観を大きく変え、物質的欲求から離れ、人生をよりポジティブに受け入れる態度に変わっているということである。

臨死体験とは、単にお花畑の世界を見たとか、死んだ人に会ったという現象だけではなく、体験者の内面から根本的に良い方向へ変えてしまう現象なのである。

この点においていくつかの体験者の声を拾ってみよう。

「毎日毎日、一つ一つの瞬間を最大限の喜びをもって生きています。私の人生は、臨死体験後、はるかに豊かなものになりました」 / 「体験前は、私は物質的欲望だけで生きていました。しかし体験後は、この地上で所有するものに対してはまったく関心がなくなりました。欲望もなくなりました。いまでは明日のことなどまったく思いわずらっていません。神様がどうにかしてくれるだろうと思っています」 / 「物質的な富とか財産に関する関心は消えて、スピリチュアルな理解力がもっと欲しいとか、世界をもっとよくしたいといった欲求に完全にとってかわられました」 / 「他人にいい印象を与えたいとか、有名になりたいという気持ちがなくなり、他人を理解し困っている人を助けたいと思うようになりました」

臨死体験を研究している人たちの体験例を合計すると、おそらく数千件あるのではないかと思うが、一つとしてネガティブに人生観を変えてしまった例がないのである。

「どうせいずれはまた死ぬのだから、他人のことなどおかまいなく、生きてる間はやりたいことをやっちゃおう」なんてことを不届きに思ってしまう輩(やから)が出てきてもよさそうなものであるが、そういった例はまったくのゼロなのである。これはいったいどうゆうことなのだろうか。体験者たちの深い内面までの人生観の変化は、単に「九死に一生を得たから、生の大切さを認識した」程度の理由では説明がつかないように思われる。

実はこの臨死体験というテーマで過去3週間話してきたが、オジサンがもっとも読者の皆さんにお伝えしたかったのはこの部分なのである。

なぜ多くの臨死体験者が人生観をより良い方向へ深く変えてしまうのか。

そこには我々人間の本質を見ることができるカギがあると思うのである。

そのオジサンが考えた理由をお伝えする前に、臨死体験者が「死」について体験後どのように考えているかをもう少し見てみよう。

臨死体験者に、「あなたは死ぬことを恐れていますか」と質問をしてみたところ、全員が「死を恐れなくなった」と答えている。「死ぬことが怖くて怖くて仕様がない」と答えた体験者はこれまたゼロである。

確かに、臨死体験中に気持ちの良いお花畑や、心安らかな光の存在にであって、しかもそれらが実在する「死後の世界」であると信じている人たちにとっては、「死」は単なる通過点であり、「死」は恐れるものではないのはわかる。ところが、臨死体験者すべてが臨死中に見た光景を実在する「死後の世界」であると信じているわけではない。オジサンの同僚であった木原さんは、花の咲く野原を歩き、祖母に出会ったが、オジサンにはあれは夢であったと語っていた。木原さんはどちらかというと無神論者で、神様や天国や地獄といったものを信じていない。死んだら無になると思っている。ところが彼はやはり「あんな風に死ねるのなら、死ぬのは怖くなくなった」と言っていた。そして他の臨死体験者同様、「自分のやるべきことは仕事を通して社会に貢献することだということがわかった」といって、神がかり的でダイナミックな営業をしていた。

また、臨死中に体験する内容は圧倒的にハッピーなものが多いが、まれに「地獄」や「まっ暗闇」を体験したという人たちもいる。しかしそれらの人たちでさえ、「死ぬのは怖くなくなった」といっているのである。立花隆さんの「臨死体験」から、いくつかの例を挙げてみよう。

川崎市の39歳の男性の例 : この男性は木原さんと同様に、交通事故で頭蓋骨骨折、くも膜下血種、脳挫傷、両下肢打撲で、三週間意識不明の重体だった。

「三週間の意識不明のうちでその体験がどこで起きたのかわかりませんが、一種の臨死体験と思われるものを経験しました。私のは川も出ませんし、お花畑もありません。仏や神様の姿もなければ、明るい光もありません。ただ、ただ暗いのです。暗い中に自分がいます。しかしその闇は閉じた闇ではありませんでした。心はやすらかで一切の苦のない開かれた世界でした。私はそんな死の世界をかいま見てから、死ぬことを恐れなくなりました。」

東京都目黒区の78歳の男性 : この男性は十八歳のときに腸チフスを患い、高熱が一ヶ月間つづいた後、肺炎を併発し、意識不明となり、医者は家族にもう駄目ですと宣告していた。体験はそのときに起きた。まず、ベッドの上で、病院の壁面や天井から伸びてくる無数の糸のようなもので全身を縛り上げられ、ぎゅうぎゅう引っ張られて、筆舌につくせない苦しみを味わうという幻覚を持った。次いで、今度は突然、暗い鉱道のようなところに引き込まれて、そこをずっと歩いていった。すると向こうのほうから二年前に死んだ姉が、鉱員が使うようながん燈をぶら下げて、「チーちゃん、チーちゃん(男性の名前)」と叫びながら近づいてきた。不思議なことに、画面全体はモノクロなのに、がん燈の先だけは赤く光っていた。この男性は、これは多分、地獄を垣間見た体験だろうと解釈している。しかし、それで死の恐怖を抱くようになったかというとそうではない。「あの世に行くと亡くなった家族が迎えに来てくれるから、会いたい人にも会うことができるし、死ぬ前はひどく苦しいけれども、意識を失って死に入れば、なにも苦しいことはないので、死をすこしも恐れることはなくなりました」

このように、臨死体験は、単に「お花畑を歩いた」、「死んだ肉親に会えた」、「人生をパノラマのように振り返った」、「やすらかな光の存在に会えた」といった現象だけではない。臨死体験によって、体験者は死を恐れなくなり、特定の宗教観はなくなり、人によってその度合いはさまざまであるが、ほとんど全員といって言いように、臨死体験者はその後の人生を積極的に生きて、豊かなものにしようとするのである。

臨死体験者たちの人生観を大きく変えてしまう要因はなんであるのか。

単に「死に際して再度生きるチャンスを与えられたのだから、今度は大切に生きよう!」といった程度の理由では説明がつかないように思う。もしこの程度の理由であれば、逆に「せっかくのチャンスだから、人の迷惑を考えずにやりたい放題やっちゃおう!」と考える体験者たちが出てきてもおかしくないからだ。なぜ、体験者は良い方向へ人生観を変え、ポジティブに生きていこうとするのか。

オジサン、この要因は仏教でいう「悟り」だと思うのだ。

「悟り」と言うと、かなり宗教色の濃い話になってくるので、読者の中には「オジサンは何かの宗派か?」と警戒しちゃう人もいるかもしれない。ご安心あれ。オジサンはどこのセクトの広告塔でもない。お正月は神道の神社におまいりし、彼岸には仏教のお寺に墓参りし、キリスト教のクリスマスには家族でお祝いしちゃう、ごくごく典型的日本人のあいまいな宗教観しか持っていない。だから特定の宗教の押し売りをするつもりは微塵もない。

ただし、オジサンは見聞を広めるために宗教本などもときどき読んでいた。特に仏教に関しては、オジサンは以前勤めていた会社の仕事でよくインドに出張していたので、帰りの飛行機に乗るときに、空港の書店でインドの宗教本を買って暇つぶしに機内で読んでいた。インドの仏教は日本の仏教とは大きく違う。インドの仏教は瞑想による修行なのである。そしてその悟りを得る過程が、臨死体験と非常に似ていることに何年か前に気がついた。

ここで簡単にインドの仏教の考え方を紹介しよう。

仏教の開祖であるゴータマ・シダールタ(釈迦)は、今から2500年くらい前に瞑想によって人間の内側を探求していった人である。意識、無意識の世界を奥深くまで掘り下げて、その世界を人々にわかりやすく説明した。心理学の世界にノーベル賞があるならば、釈迦に100個くらいノーベル賞をあげても良いくらいだ。フロイトもユングも精神医学界の巨人といわれるが、人間の意識の世界を深く探求して明らかにした偉大さにおいては釈迦の足元にもおよばない。

無意識という言葉があるが、意識が無いという意味ではない。

我々が感知できないだけで、無意識には意識があるのである。そしてこの知覚できない意識(無意識)の世界は我々が知覚できる意識の世界よりずっと広く、深く何層もの構造になっている。たとえば我々の心臓は動いているが、我々が感知できないだけで、これらも無意識によって動かされている。ヨガの修行者によっては、深く意識のなかに入っていって心臓を止めることができるようになるという。

そして釈迦は人間の持っている無意識も含めた意識の世界をまわりの人々に説いて回ったのである。釈迦が亡くなったあと、弟子たちが集まって釈迦の教えを忘れないように書き留めて残した。それを「孫悟空」で有名な中国の三蔵法師のような人たちがインドに行って、翻訳して持ち帰ったものがお経である。もし機会があれば本屋などの宗教コーナーへ行ってお経を見てみるとよい。それらの本に書かれている解説や解釈を読まずに、直接お経の漢文を眺めてみよう。じつにお経というのは人間の意識の世界について述べているということがわかる。お経に関する知識がない人ほど偏見がないので、素直にこのことに気がつくはずだ。かえっていろいろな宗派のお経の解釈を知っている人はこのことに気がつかないかもしない。

インド仏教の人間はどのような存在であるかをわかりやすくするために、あえてディフォルメして説明したい。インド仏教では人間は以下の要素で成り立っているとしている。

AWARENESS (意識)

EGO (我)

BODY (身体)

MIND (心または頭脳)

AWARENESS、BODY、MINDは実態のあるものであるが、EGOは実態のないものである。EGOはMIND(こころ)の働きがあるところに幻のように現れるもので、たとえるならば鏡の像のようなものである。そしてすべての人間の苦しみはこのEGOからくるものであると釈迦は説く。人々を苦しみから解放するために、釈迦はひとりひとりに、「あなた自身は本来はAWARENESSなのであるが、それに気が付いていない。EGOがあなたになりすまして、美しさと醜さ、多い少ない、偉い偉くないといった判断をくだしている。これがねたみ、憎しみ、悲しみにつながっていくのである。だからみなさんはEGOを取り払い、自分自身のAWARENESSに気付かなければならない」と説いてインド中を歩きまわった。

EGO と AWARENESSはどのようなものかというと、バグワン・シー・ラジャニシュというインドの瞑想家の説明がわかりやすいと思う。バグワン氏はこのように説明した。「EGOはあまりにも存在感が強烈で、太陽のようなものである。日中は我々はこのちっぽけな地球という星しか見えていないが、太陽が沈むと空にはたくさんの星が見えはじめ、我々はこの広大な宇宙の一部であることがわかる。この広大な宇宙がAWARENESSの世界である。」

元始仏教ではこのAWARENESSは共通のもので、すべてにいきわたっているという。これもわかりにくいので、ある禅の本に書いてあったものを引用する。

「一人一人の意識は海の表面にできるさざ波のようなものである。Aというさざ波はBというさざ波とはまったく別個と思っているが、じつは深い海という意識の底ではつながっているのである。」

すべての人の意識がつながっているといわれても、「ハイ、そうですか」と、我々一般人はなかなか信じられないと思う。

オジサンはこんな経験がある。まだこどもが幼稚園に入る前であったが、近くの有名な流れるプールに遊びにいったことがあった。こどもがトイレに行くと言う。「一人で行けるから」というので、行かせたのであるが、しばらくしてわが子が溺れている光景が目に浮かんだのである。それはサブリミナリのように映画になにか別の映像が一瞬映し出された感じだった。とっさにトイレ方向に走っていったら、わが子がトイレ前の腰つかり場で、背が届かず溺れかかっていたのである。これなどは意識がつながっている例のひとつかもしれない。

立花隆さんの「臨死体験」に水晶玉の実験のことが書かれていた。ジプシーの占い師は水晶玉を使って未来を占う。水晶玉を見ていると、占う人の未来の光景が見えるという。一般的にこれはインチキだと思われている。ところが透明なものを見つめていると何かの映像が見えるというのはポピュラーな現象なのだそうだ。以前紹介した life after life の著者・ムーディがボランティアを使って実験したところ、二人に一人は何かを見ることがわかった。立花隆さんは半信半疑で占いショップで水晶玉(実際はガラス玉)を買ってきて覗いたところ、受精卵が出てきてそれが大きくなっていくところが見えたそうである。なぜ受精卵なのかわからないが、ムーディの言ったとおりたしかに映像がくっきりと見えたという。

ムーディによると、これを同時に二人でおこなうと、相手のこころの中にある映像がでてくるというのである。ムーディはある女子学生と水晶玉を見ていたところ、その女子学生が茶色の服を着た修道士が頭蓋骨を前に空想にふけっているところが見えたと言った。その描写するところを聞いたところ、驚いたことにそれは、それはムーディが前日買い求めたエル・グレコの画集にのっていた絵で、ムーディがそれに感銘を受けて、しばらくじっと見ていた絵だったという。これなども意識がつながっている例であろうか。

話が横道にそれてしまったので本題にもどそう。

元始仏教では、EGOを消しさり、自分自身のAWARENESSに気付いたときが、悟りである。

悟りに到達した人は、ブッダ(仏陀)という称号をもらう。このブッダという言葉はサンスクリット語で「目覚めた者」という意味である。口でいうと簡単であるがこれが相当むつかしい。EGOというのはMIND(心または頭脳)の働くところに鏡にうつる虚像のようなものであるから、MIND(こころ)の働きを止めればEGOは消え去り、AWARENESSを見ることができるのである。ところがこの NO MIND(無心)という状態を作り出すのは至難のわざである。皆さんもやってみるとわかるが、なにも考えないということはほとんど不可能である。30分部屋でくつろぎながら何も考えないようにしても、いろいろな思いが浮かんでくる。流れる雲のように次から次へと流れてくるのである。

日本の仏教で元始仏教に近いのは禅宗である。禅のお坊さんは座禅を組み、瞑想をしてこの「無心」の状態を作り出そうとするが、何年も何十年も座禅を組むがこの悟りの境地に達することができるのはわずかの人しかいない。それだけ悟りに達するのはむつかしいのである。

インドではEGOを取り払うために荒行をおこなうものもいる。釈迦がそうだった。釈迦が悟りに達した状況はこのようなものだった。釈迦は断食と木喰(木の皮などを食べること)という行を繰り返し、ミイラ状態でほとんど死の淵まで自分自身を持っていき、EGOを消し去ったのである。そしてある日菩提樹の下で突然悟りを開きブッダとなった。

お気づきの読者もいると思うが、これはほとんど臨死体験に近いのである。

さきほど出てきた瞑想の大家・バグワン氏によると、人間の死ぬ時は、「心」の働きが止まり、EGOが消え去っていく、それによって欲望や憎しみ、恨みといったいっさいのものが脱落していく。それはあたかも空を覆っていたEGOという雲が消え去り、そこに広大な青空という意識の世界が見えてきたようなものであるという。あるいはEGOという太陽が沈んでいき、星のきらめく広大な宇宙という意識の世界が見えてきたようなものであるという。人が死ぬと「仏」になるというのはこういう意味なのかもしれない。人はすべて死ぬときに心の働きが止まり、EGOが消え去り、仏陀になるのだと思う。

つまり「臨死体験」とは、意識せずに偶然にも悟りの境地に達してしまう現象でもあるのだ。

悟りの境地に達する度合いは体験者によってさまざまであるが、なんらかの境地に達した結果が、前述のリングの調査結果だと思うのである。また、リングの調査結果にあった神との合一感は、この共通の意識である AWARENESS に触れたということだと思う。アメリカ人は70パーセントが敬虔なクリスチャンであるので、このような解釈になるのだと思う。アリストテレスは意識を神とみなし、このように言った。「神は石の中で眠り、動物の中で動き、人間の中で思索する」と。

今回、臨死体験を通じて悟りの境地をお話したが、オジサンは読者の皆さんも悟りの境地に達するべきだと主張するつもりはない。ましてや臨死体験をするべきだなんてことも言っていない。

今回の投稿の目的は、皆さんに我々人間とはなにか、人間の存在の本質はなにか、そして人間が持つ可能性のすばらしさとはなにかを知ってもらいたいということであった。

そして少しでもそれがわかっていただければ、今回長々と書いてしまったが、苦労した甲斐があったと思う。

最後に、この悟りの境地をよく表している臨死体験例を二つ紹介して、今回の投稿を終わらせることにしたい。

まずは、以前ユングが臨死中に体外離脱をして宇宙空間から青い地球を見たことを紹介した。これはそのあとの記述である。

「しばらくの間、じっとその地球を眺めてから、私は向きをかえて、インド洋を背にして立った。視野のなかに、新しいなにかが入ってきた。ほんの少し離れた空間に、隕石のような真っ黒の石塊がみえたのである。それはほぼ私の家ほどの大きさか、あるいはそれよりも少し大きい石塊であり、宇宙空間に漂っていた。」

ユングが宇宙空間で出あった黒い大きな石塊は、その中がくり抜かれて、ヒンズー教のような礼拝堂になっていた。その中にユングは入っていく。

「私が岩の入り口に通じる階段に近づいたときに、不思議なことが起こった。私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもの、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、脱落していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものもいくらかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてがまるでいま私とともにあるような実感であった。それらは私とともにあり、私がそれらのものだといえるかもしれない。いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っていた。私は私自身の歴史の上に成り立っていると強く感じた。これこそが私なのだ。『私は存在したもの、成就したものの束である』」

このようにして、ユングは臨死体験を通じて、人間存在の本質を洞察するにいたる。そして、後年、無意識の世界をずっと深くさぐっていくと、そこには共通の意識があるという結論に達するのである。

二例目は、毛利さんという脳卒中で臨死体験したお医者さんのその後の人生観の変化の例である。

毛利さんがそれに気がついたのは、病院を退院して三ヶ月目のある朝、顔を洗っているときだった。ふと頭の中に、

「死ぬる時節には死ぬがよく候」

ということばが浮かんできた。良寛のことばだったなと思い出した。そういえば、良寛の掛け軸を持っていたなと、久しぶりに押入れから取り出してかけて見た。

そこには、良寛の次のような詩が書かれていた。

今日乞食逢驟雨(今日乞食して驟雨に逢い)

暫時廻避古祠中(暫時廻避す古祠の中)

可笑一囊与一鉢(笑うべし一囊と一鉢と)

生涯瀟灑破家風(生涯瀟灑たり破家の風)

「きょう托鉢してにわか雨に出会い、しばし古いほこらのなかで雨宿りした。いや素晴らしい、頭陀袋ひとつと鉢ひとつのさばさばしたこの生きざまは。一切の執着を断って無一物になりきったこの生きざまは」

という意味の詩だが、毛利さんはこれを読んでいて、しみじみ「わかるなあ」と良寛に感動した。そして、

「いつ死んでもいい。身軽に死ねる」

という気持ちになった。良寛のように、生への執着が完全に自分から消えていることを発見したのだという。

あとがき)

ふ~っ、おつかれさまでした。前回も相当長かったですが、今回はそれを上回っていましたね。最後まで読んでいただきありがとうございます。

重いテーマが続きましたので、来週はあっさりとダイエットに関する本をご紹介いたします。来週の投稿予定は2月18日(日)です。

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オジサンお薦めの本

A Brief History of Time

アインシュタインの一般相対性理論の方程式を解くと、宇宙は膨張と収縮をくりかえすことが導きだされるという。車椅子の物理学者として有名なホーキング博士が一般読者のために、ビッグバンに始まる宇宙の誕生からどのように発展していくかをやさしく書き下ろした本……と言いたいところだが、かなり難解。細かく理解しようとすると、行き詰ってしまう。この際、ざっくりと「うわべ読み」で、エッセンスだけをつかもう!英検準1級レベル向けです。

Heading toward OMEGA

コネクチカット大学のケネス・リング教授は臨死体験者のその後を追った。臨死体験者は人生観を変えるだけでなく、多くの人たちが超能力を身につけるという。オジサンの同僚だった木原さんもまた臨死体験によって不思議な能力をつけていた。リング教授はこれは人間の進化を示すものであると考えていたようだ。OMEGAとは、その進化の収束するものという意味である。英語は英検2級レベルです。邦訳本では、原題と似ても似つかない「霊界探訪」というタイトルで出版されている。翻訳者は俳優の丹波哲郎さんである。

臨死体験

今回は水晶玉の話などがでたので、ひょっとしたら立花隆さんって怪しい人と思っている読者がいるかもしれないので、ちょっと立花さんを紹介したい。若い人は知らないかもしれないが、30年前に日本の首領(ドン)と呼ばれたパワフルな政治家がいた。田中角栄という人だ。30年も経つと記憶があいまいになってしまい、多くの人に田中角栄が首相の座を降りた理由を聞くと、7~8割が「ロッキード事件」をあげる。たしかにロッキードは田中角栄の政治生命を絶ってしまったが、首相の座を降りたのはロッキードではない。文芸春秋という雑誌に掲載された「田中角栄研究、人脈と金脈」という記事で取り上げられた信濃川河川敷の不動産取引の疑惑がきっかけで、責任をとって首相を辞任したのである。書いたのは若き日の立花隆さんである。日本の最高権力者を命がけで引きずりおろしたのである。立花さんは硬派中の硬派のルポライターである。ご安心を。

仏教聖典

読者の家がどこかのお寺の檀家になっていれば、この本は家のどこかにあるのではないかと思う。たいがいはお寺から配られているはず。ほとんどの人が読んでいないと思うが、まじめに読むとけっこうおもしろい。こんな記述がある。仏性(awareness)とはなにかというと、EGOという泥を掻き分けていくと、泥の中からキラリと光る宝石がでてくる。仏性とはそのようなものであるとか。ここでオジサンが話した意識という観点から読んでいくと非常にわかりやすい。

The Book of The Secrets

著者のバグワンはインドの瞑想の大家である。意識の世界とはなにかをわかりやすく読者に教えてくれる。英語も2級レベルでスラスラ読めるほど、平易な言葉で書かれている。ただし、とっても危険な本でもある。読んでいると引き込まれそうな気になるのはオジサンだけではないと思う。催眠術にかかりやすい人は辞めたほうが無難。それだけに、読むことができれば、得る知識は大きい。慎重に読まれることを希望する。なお、バグワンは1970年代から80年代にかけて、アメリカ政府がイランのホメイニ氏と並び、もっとも恐れた宗教指導者の一人である。1990年に突然他界したが、アメリカ政府に関係する機関に毒殺されたといううわさもあるほど。

Kundalini for The New Age

今回紙面上の都合でヨガについては省略したが、ヨガにはクンダリーニという悟りの境地がある。クンダリーニの最終段階では、臨死体験と同様にまばゆい光を見るという。この本は著者がインド人であれば誰でも知っているヨガの大家・ゴピ・クリシュナがクンダリーニを得たときの体験を紹介している。立花隆さんも臨死体験者の多くが超能力を身につけるのは、クンダリーニ覚醒によって引き起おこされたことが原因ではないかという仮説を立てている。英検2級レベルで読めます。

2007年2月 4日 (日)

休稿のお知らせと補足

読者のみなさーん、すみませんが今度の日曜日(2月4日)は、家の都合で一日外出してしまうため、投稿記事を書く時間がないので、お休みさせていただきます。楽しみにしていただいた方がおられましたら、期待にそえず申し訳ありません。次回の投稿予定は2月11日(日)です。懲りずにぜひ再度訪問いただけますでしょうか。

ところで、この場をちょっとお借りして、先週の投稿記事の補足をさせて下さい。

先週の投稿で、「臨死体験」はほとんどが脳内現象で説明ができると書きましたが、読み返してみて、ちょっと強く書きすぎたかなと思いました。あたかも「臨死体験」は脳の中で作られる幻影であると、読者の皆さんに誤った印象を与えてしまったのではないかと危惧しております。

「臨死体験」とは現実なるものと非現実なるものの混在です。

周りの音や声が聞こえる、体外離脱して周りの情景を見た。ここまでは、どの臨死体験者も現実的です。ユング教授やサリバンさんだけでなく、体外離脱をして見た情景が現実と一致したということが証明できた例はたくさんあります。おそらくこれらの実例から、なんらかの意識主体なるものが、身体の外部から見たのだと思わざるを得ません。ところが、次の段階に進むと、到底我々現実の世界に住むものからすると信じられないような光景が展開されるのです。

体外離脱して、1500キロ上空から見た地球の光景を理路整然と描写したユング教授でさえ、そのあとは地球を背にして180度振り向くと、そこには家よりもちょっと大きい隕石のようなものが浮いていたそうです。そしてその隕石には入り口があって、そこから入っていくと中にはなぜかヒンズー教の寺院があったのです。そこでユング教授はいろいろな体験をしますが、まるでSFの世界のような話です。

体外離脱をして、天井から見た手術の様子をあれだけ正確に言い当てたサリバンさんにいたっては、さらに荒唐無稽な話になります。手術を見ていてあきてしまったサリバンさんは別の部屋に行くと、そこには大鎌を持った骸骨の姿をした死神がいて、サリバンさんを追っかけまわします。その後、サリバンさんが別の部屋に逃げ込むと、その部屋の壁にヒビが入り、そこから光が差し込んできて、子供のころに死に別れた母親が現れます。そしてサリバンさんが知りたかったことをその母親からすべて教わるのです。とても荒唐無稽な夢としか言えません。

このように「現実」と「非現実」の奇妙なアンバランスの現象が「臨死体験」なのです。

そしてこの「非現実」の世界を現実の世界に生きる我々が説明しようとすると、どうしても臨死状態にある患者の脳の中で起こる幻像であるという説が出てきます。しかし、実際の患者の頭を割って脳を調べたわけではありません。あくまでも推測のレベルです。

臨死体験をした患者は、ほとんどが「お花畑」や「光の世界」を実在する世界だと主張します。彼らの言い分は、夢と実在する世界は明らかに違うといいます。たしかに私たちが夢を見るとき、その時は夢とわかりませんが、朝起きると昨夜見たのは夢だとわかります。彼らも同様に「夢」と「実在する世界」を判別できるというのです。臨死を体験した人しかわからないような実感というのがそこにはあるのかもしれません。

また、脳内モルヒネ説については、「死後の生」を主張する人たちは、もし「お花畑」や「やすらかな幸福感」がモルヒネの効果であるのなら、目覚めたあとでもその効果は持続するはずなのに、ほとんどの臨死患者はこの世にもどってきたときに激痛に苦しむと反論します。たしかに脳の中で作られるモルヒネが幸福感や安らぎをもたらすのであれば、目覚めたあとも「いい気持ち」が続いているはずです。オジサンの同僚だった木原さんも、花の咲く野原を歩いているときは、とても気持ちがよかったのに、集中治療室で目がさめたら地獄のような痛みが襲ってきたといっていました。

彼らが臨死中に見た光景が、実在する世界なのか、あるいは単なる幻影なのか、その真実がわかるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

次回は「死後の生」があるかどうかという検証から離れて、「臨死体験」が体験者にどのような心理的、肉体的な影響を与えるかにスポットをあててみたいと思います。多くの臨死体験者はその後の人生観を変えています。この心境の変化を追いかけていくと、じつは人間とはいったい何なのか、我々の持つ意識とはどのようなものなのかといった、人間の存在の本質まで迫ることができるような気がします。今回、家の都合でお話できませんが、次回(2月11日)はオジサンのこれまでの読書体験を通して、いろいろな角度からこのテーマを考察してみたいと思います。

来週もぜひ読んで下さいね。

久々のベストテン入りに気を良くしています。

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2007年1月28日 (日)

臨死体験

先週の投稿のあとに、「基礎英語、3分英会話」のMojoさんから、「臨死(Near-Death)は死(Death)ではないので、死者が臨死体験者と同様の意識を持っているかどうかわからないのではないか」という趣旨のご指摘をいただいた。とても良い意見で考察すべき点だと思うので、本日はここからお話したいと思う。

まず死者に意識があるかどうかを述べる前に、いつの時点で「死」を迎えたかを判断する基準をあきらかにしたい。けっこう「死」の基準を定めるのはむつかしい。

臓器移植のための日本の「脳死」の判定基準は、無呼吸、無反射、無反応、平坦脳波としている。しかし一般の我々からすると、やはり「死」は心臓が止まった時ではないだろうか。誰しもが臨終の場面というと、神妙な顔をした医者が患者の脈を取り、「ご臨終です」と告げ、家族がワッと泣き出すシーンを思い出すのではないだろうか。古来より心肺停止した時が一般に「死」と受け止められてきた。

ところが「死」というのは瞬間ではなくプロセスなのである。

心肺停止したとしても、厳密に言うと身体の各細胞はまだ「生きて」いる。それらの生きている細胞は心肺停止した状態では酸素が供給されないので、いずれ死んでいくのであるが一様ではない。たとえば髪や爪などは酸欠状態でも長時間生き続けるので、臨終を迎えても、しばらくの間は伸び続ける。逆に脳細胞は酸素不足にもっとも弱いので最初に死んでいく。一般的に5分~15分くらいで脳細胞は死んでいくのであるが、脈を取ってもわからないような心臓細動というものがあると、一定の微小血流というのがあるので、30分くらいは脳細胞は生きていることもある。

このように、患者が生き返るかそのまま逝ってしまうかは別にして、我々一般人が患者に「死」が訪れたと思った時点と、実際に患者の脳が死んでいくプロセスには時間的なギャップが存在する。したがって個人差があるが、我々が死んだとおもっている死者の脳の中では、臨終から5分ないし30分くらいの間に、臨死体験者と同様に「何らかの」意識があり、壮大なドラマが展開されている可能性があるのである。ある調査によると、臨終を迎えた患者の脳は酸欠によって刺激され、一時的に活性化するという。

もう一つ、臨終患者が臨死体験者と同質のドラマを見ているだろうことをうかがわせるものに、臨終時体験というものがある。これは簡単に言うと「死」の実況中継である。

患者の中には臨終に際して、自分の見ている「光景」を話ながら死んでいく人たちが数多くいる。

ここで2~3の臨終時体験例を立花隆さんの著書「臨死体験」から紹介する。

神奈川県相模原市の女性(47歳):

「私が中学生のとき、祖母が自宅で亡くなりました。亡くなるとき、息子や娘(私からすると叔父、叔母にあたる)がまわりを取りかこんでいました。祖母の意識が弱まると、”おばあちゃん、しっかりするのよ”と声をかけていました。何度かこういうことを繰り返していると、祖母が目を開けて、”もう呼ばないでおくれ。白い蝶がたくさん飛んでいて、花もたくさん咲いている。そこへ行こうとすると、お前たちが呼ぶから、また戻ってきてしまった。もう呼ばないでおくれ”と息もたえだえに言いました。叔母たちは、”天国へ行くんだね”といって、呼びかけをやめました。まもなく祖母は臨終になりました。」

大阪市吹田市の女性:

「私の姉は6歳で病死したのですが、最後の言葉は、『お母ちゃん、捕まえていて。穴へ落ちる、落ちる、捕まえていてー』といって死んだそうです。母は私にそのことを言い、人間は死ぬとき、穴に吸い込まれるようになるらしいと申しておりました」

埼玉県新座市の女性:

「父が死の間際にこのようなことをしゃべったそうです。『いまとてもきれいな花畑が見える。川があって、舟が待っているんだよ。そして誰々が迎えにきているんだよ』 その”誰々”というのは亡くなった身内の人です。私はそれ以来、死後の世界はお花がいっぱい咲いているきれいな場所だと信じています」

こうして見ると、臨終者の体験と臨死体験はほぼ同質のものと考えてよいのではないかと思われる。

ただし、これはまだ死んでいない前に話していることなので、実際に臨終を迎えたあとに、臨死体験者の見る光景を実際に見ているかを確実に知る方法はないが、これらの状況から臨終を迎えたあとにも、ほぼ同様に何らかの光景を見ているであろうと推測されるのである。

余談になるが、チベット仏教では「バルド・テドル」というお経がある

チベットではどこかの家で誰かが臨終を迎えると、すぐにお坊さんが出向いていってこのお経を唱えるならわしになっている。これは臨終を迎えたばかりの人に対して「いまあなたには死が訪れようとしている」という語りかけから始まるお経で、死者が戸惑わないように、死後にどのようなことが起こるかをあらかじめ知らせるのが目的のお経である。臨終直後の死者には意識があるという前提でお経を唱えるところが興味深い。しかもこのお経は臨死体験者が書いたものかと思うほど内容が一致する部分が多いのである。

さて、前置きが長くなってしまったが、本日の投稿のお話をしよう。

多くの臨終者がおそらく見るであろう、あるいは臨死体験者が見た「死後の世界」が実際に存在する世界なのかどうかを検証したい。

その前に簡単に臨死体験のコア部分を復習しよう。

一般的な臨死体験のパターンは以下のとおりである。

死の宣告を受ける→周りの声や音が聞こえる→体外離脱をして、自分の身体や周囲を見る→暗いトンネルに吸い込まれ高速で移動する→人生を走馬灯のように回顧する→花が咲き、蝶が舞う美しい世界に出る。同時に至福の恍惚感を得る。→何らかの障壁(川や壁、敷居など)に出くわす→死んだ肉親などに出会う→まばゆい光の存在と出会う

臨死体験者は必ずしも上記のすべてを時系列的に体験するわけではない。人によっては体外離脱だけ経験するものがいれば、最初から美しい花畑で死んだ肉親と会う場合もある。ただし大概の人は川などの障壁に出合って、引き返してくる。最終の光の世界に入っていく例は少ない。

実はこれらの臨死体験のほとんどは、脳内現象として説明できるものなのである。

冒頭に説明したように、心肺停止したとしも脳自身は生きているのである。したがって周りの声や音が聞こえたとしてもなんら不思議なことではない。オジサンの以前勤めていた会社の同僚だった木原さんも、病院に着いたときに周りの声や音がよく聞こえたといっている。「もう死んでいる」という医者と看護婦の会話も聞こえたと言っていた。そしてこのあと起こる体外離脱もこれらの周りの音や声などを聞いていて、それに応じた幻覚を作りだしていることも考えられる。よく寝ていて外部の音を聞いていてそれが夢に出てくることがあるが、そのようなことは起こりうることである。

なぜ、死に際して人は、お花畑や蝶が舞うような美しい光景を見るかについては、ホルモンとの関係が考えられている。

最近特に注目されているのは、「脳内モルヒネ」の存在である。

以前オジサンの投稿記事「生きるための制御ボタン」でストレスについて書いた。ちょっと思い出してほしい。現代社会では人類最大の敵となってしまったストレスであるが、実はストレスは四万年もの長きあいだ人類を守ってきてくれた大切な機能であったのである。森のなかでばったりと猛獣に出くわしてしまった時に、我々のご先祖はストレス(恐怖)を感じる。その瞬間、身体の中の臓器からさまざまなホルモンが放出される。それらのホルモンの中で、エンドルフィンというものがあった。このホルモンは脳のなかで作られるもので、自然の痛み止めである。これは猛獣と戦うときに傷を負っても激痛を感じなくするか、あるいはその猛獣から一目散で逃げるときに、息切れの苦しさを緩和する目的のものであった。

このエンドルフィンというホルモンの化学組成はモルヒネとほぼ同じものである。

エンドルフィンにはアルファ、ベータ、ガンマの3種類があり、ベータ・エンドルフィンはモルヒネの10倍の効果があるといわれている。そしてこのモルヒネは、痛みの緩和だけでなく、大量に投与すると快感中枢を刺激するために「なんともいえない」いい気持ちになってしまうのである。世の中にはストレス中毒と呼ばれる人たちがいる。自らストレスのある場所に身を置くのが好きな人たちだ。皆さんの職場でもそんな人がいないだろうか。あたかもストレスを自ら与えて喜んでいる人たち。端から見ていると理解できないのであるが、その人たちはこれらのエンドルフィンがもたらす快感がここちよいのである。SMのマゾなどもこの類だと思われる。

そして、人にとって「死」を目前にするということは最大の危機であり、大きなストレスを感じるはずである。したがって死んでいく患者あるいは臨死の状態にある患者の脳内で大量のエンドルフィンが放出されていることは容易にわかることである。

しかも新陳代謝が低下しているので、消費されないエンドルフィンが脳内に蓄積され、痛みを止めることはもちろん、快感中枢を刺激していることは容易に推測される。

これが臨死体験を通して痛みや恐怖を感じず、お花畑や蝶が舞う野原の光景を見たり、また言いようのない幸福感ややすらぎを感じる原因と考えられる。

ほとんどの人は死ぬとそれまで苦悶の表情をしていたのが、安らかな表情に変わるという。オジサンの母親も末期ガンで苦しんだが、死に顔は微笑みすら浮かべているように見えた。これらもエンドルフィンの効果と思われる。オカルト映画「リング」のように苦悶の表情をしたまま死ぬ人は現実にはいないのである。

死んだ肉親に会うということも、誰でも亡くなると「あの世」や「天国」へ行ったと小さいときから聞いているので、それらの記憶が三途の川とセットになって出てくると考えられる。またまばゆい光の存在と出会うというのは、おそらく瞳孔が開いた瞬間だろうと思われる。How We Die という本によると、ほとんどの人は目を開けたまま死ぬそうである。ドラマで目を閉じた瞬間にガクっと劇的に死ぬことは稀である。目を開けたままなので、最後の臨終の瞬間にいい気持ちの中で瞳孔が開き、大量の光が入ってくるので、神とも言える光の存在に出会ったということになるのであろう。

このように臨死体験は、脳内現象でほとんどすべてが説明つくものなのである。

ただしどうしてもひとつだけ脳内現象では説明がつかないことがある。

それは体外離脱している間に見た光景が、客観的事実と一致する場合だ。

臨死体験者の中には、体外離脱して、家に帰ったり、病室を動きまわったりしたあとに、それらの見たことを話すが、それらが客観的に事実と一致する場合がある。

臨死体験者が見た光景は、実際に存在する「死後の世界」であると主張する人たちは、この体外離脱を根拠として、魂の存在を主張している。魂が肉体から離れたのだと主張する。たしかに意識主体というものが肉体から抜け出て見てきたのだとしか思えないケースがいくつもあるのである。

今度はこれらのケースでいくつか有名なものを同様に立花隆さんの「臨死体験」から紹介する。

最初はカール・グスタフ・ユングという精神科医の臨死状態での体外離脱の例である。

C.G.ユングという人を知らない方がいるかもしれないが、フロイトと双璧をなす精神医学界の巨人と言われている人である。ユング自身科学者であるので、臨死状態の体外離脱の情景描写は非常に論理的である。「臨死体験」に載っているものを簡単に以下にまとめてみた。

1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄(せんもう)状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思い込んでいた。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途方もないことが私の身に起こりはじめていたのである。

私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。

脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。

私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。

地球の大部分は着色されており、ところどころに燻(いぶし)銀のような濃緑の斑点をつけていた……

このユングの体外離脱の記述が書かれたのが現代であれば、なんら特筆すべきことはない。

現代人ならば誰でも地球は宇宙空間に浮かぶ美しい青い星であることを知っているし、一度や二度は宇宙から取った地球の写真をみているからだ。

ところがこの体外離脱が書かれているユングの自叙伝は、1961年に旧ソ連邦のユーリ・ガガーリン大佐が宇宙飛行に成功するずっと以前に出版されているのである。

ガガーリンが宇宙に出て、第一声が有名な「地球は青かった」であるが、全世界はその事実に驚いた。なぜならそれまでだれも宇宙から地球を見たことがなかったので、我々の住む星が青く光っているなんてことを知らなかったからなのである。しかもガガーリンが宇宙飛行をした高度は300キロであるが、ユングの記述はそれよりもはるか上空の1500キロからみた地球の情景と正確に一致するのである。なぜユングは地球が宇宙空間に浮かぶ美しい青い星であることを知り、また1500キロ上空からの地球の姿を正確に描写し得たのか?

2例目はアメリカのコネクチカット州で運送業をしているアラン・サリバンさんの体外離脱のケースである。

この話は1991年にNHKスペシャル「臨死体験」で放映されたものである。このときの視聴率は16パーセントで、日本人のやく二千万人がみた計算になるという。したがって読者のなかでもこの話を覚えている人がいるかもしれない。

立花隆さんは体外離脱の検証を伝聞ではなく直接できる事例をさがしていたところ、ようやく出会えたのがアラン・サリバンさん(59歳)だった。

サリバンさんは三年前に、心筋梗塞の発作を起こしてハートフォードの救急病院に運ばれ緊急手術を受けた。そのとき体外離脱をして、自分が手術されるところを天井のほうから見ていたという。

サリバンさんはそのとき見たことを今でも覚えているが、それが本当に自分の手術の様子と客観的に合致しているかどうか、自分を手術した医師に会ってためしてみたいとかねがね思っていた。

早速、病院に連絡をとってみると、相手の医師からOKがでたので、立花さんとNHK取材班はサリバンさんに同行することになった。偶然にも、その医者は、高田さんという日本人医師だった。高田さんは、若いときにアメリカに医学の勉強に渡り、そのまま現地で医者になり、すでに20年以上その病院で心臓外科医をしていた。

サリバンさんが高田医師に会うのは、退院後はじめてであった。退院後も、何度か検査のために病院へ通ったが、診察をするのは心臓内科の担当医だったからだ。

サリバンさんは、それまで手術というものを受けたことがなかったので、手術室に関する予備知識といえば、TVドラマの手術室の場面くらいしかなかった。

そしてサリバンさんは、救急車でかつぎこまれて、検査後手術室に運び込まれ、あっという間に麻酔をかけられたので、手術室の中を観察しているひまもなかった。だから、サリバンさんが手術室の様子を見たのは、体外離脱してからとしか考えられないのである。

「わたしがまず何よりびっくりしたのは、たくさんの人がわたしを取り囲んでいたことです。五人くらいいたと思います。そして、そのうちの二人が、熱心にわたしの脚を手術していました。わたしは、悪いところは心臓だとばかり思っていたので、これにはびっくりしました。高田先生は、わたしの頭の方にいました。その両脇に医者と看護婦が一人ずつついて、先生以外に全部で五人いました。」

高田医師に聞くと、これはその通りであった。サリバンさんの心臓は冠動脈が動脈硬化を起こし心筋梗塞をもたらしていたので、脚の血管を切って、冠動脈のバイパスを作る必要があった。脚のところにいた二人の医師は、その作業をしていたのである。

「上から見ると、わたしの目のところが、何かよくわからないもので覆われていました。あれはいったい何だったのですか。」

高田医師によると、患者の目を誤って傷つけることがないように、患者の目の上に卵型のアイパッチをのせ、それをテープで固定してしまうのだという。だからたとえ患者が手術中に意識を取り戻して目を開いたとしても、患者は何も見えないのである。

このあと番組では、サリバンさんがその場で自分自身の手術を見ていたと思わざるを得ないような、高田医師がどのような医療メガネをかけていたか、医療スタッフはどのようなブーツを履いていたか、高田医師の手術中の癖のある動作等を言い当てたのである。それらがすべて事実と一致していたので、手術をしていた高田医師の驚いていた表情が印象的であった。そして最後にサリバンさんは体外離脱して天井から見た実際の手術の様子を語りだした。

「わたしの胸が切り開かれ、心臓が見えていました。こういう大手術のときに血が大量に流れるのかと思っていたら、ほとんど流れていないのでびっくりしました。そして、心臓は血で赤いのかと思ったら、白っぽい紫色で血の気がぜんぜんないのにも驚かされました。心臓はまだ開かれた胸の中にとどまっているように見えましたが、その下に鏡があるように見えました。」

サリバンさんのこの手術の様子は、鏡に心臓がのっていたというくだり以外は、みんな事実と合致しているのである。

血液の循環は、人工心肺装置につながれて、そちらで行われているので、手術中の心臓にはぜんぜん血液がきていない。だから、白っぽい紫色をしているのである。

結局、鏡のくだり以外は、医学知識のないサリバンさんが語った手術室の状況から実際の手術の様子までは、事実と一致したのである。体外離脱の現実的説明として、患者がおぼろげに見た様子が、脳内で再構築され、体外離脱したと思い込んでしまうという説があるが、サリバンさんの場合はそれも不可能であった。なぜならば、アイパッチをつけられていたので見ることができなかったからである。

これの奇妙な客観的な事実との一致はどのように考えれば良いのだろうか。臨死体験者が言うように、なんらかの意識主体が、身体から抜け出して、それらの情景を見たのであろうか。

なお、このサリバンさんの体外離脱には後日談がある。

このNHKの「臨死体験」がテレビ放映されたあとに、大阪市の心臓外科医から一通の手紙がNHKに届いた。その手紙によると、心臓バイパス手術をする方法のひとつに、アイス・スラッシュという特殊なシャーベット状の氷を心臓のまわりに敷き詰めておこなうものがあるという。これを天井から見ると、きらきらと輝いているので、医学知識のない人は鏡の上に心臓が載っているように思うだろう、という内容であった。番組制作スタッフが高田医師に電話で手術方法を問い合わせたところ、サリバンさんの手術はこのアイス・スラッシュ法でおこなわれたということであった。

つまり、サリバンさんは100パーセント完全に手術の様子を言い当てていたのである。

臨死体験は単なる脳内現象なのか、あるいは臨死体験は「死後の生」の存在の証明であるのか。いまだに両者の論戦は続いている。臨死体験には両義性がつねにつきまとい、はっきりと証明できないでいる。どちらに軍配をあげるかは、読者の判断にゆだねたいと思う。

なお、英語学習ブログでありながら、英語学習に関係ないことを長々と書いてしまったが、大変恐縮であるが、来週もう一度「臨死体験」について書かせていただきたい。「臨死体験」という現象は単に、「お花や蝶を見た」、「死後の世界を見た」、「亡くなった肉親と会った」ということに終わらない。より重要なのは「臨死体験」が体験者のその後の考え方にどのような影響を与えたかなのだ。実はオジサンが「臨死体験」でもっともお伝えしたかった部分はそこなのである。

そしてこの部分を突き詰めていくと、我々人間存在の本質に迫ることができるのである。

あとがき)

いつもながーい文章のブログといわれますが、今回はその4倍ちかく書いてしまいました。いったい何人の人が最後まで読んでくださったかわかりませんが、最後まで読んでいただいた読者の方にはすなおに感謝したいと思います。

「臨死体験」というのは、英語と関係なく誰でも興味を持つことではないかと思います。オジサンが英検1級の2次試験を受けたときの試験官もそうでした。

オジサンの英検1級2次試験で、テーマとして「臓器移植」が出題されたとき、この「臨死体験」を組み入れてスピーチしたところ、試験官がオジサンの話に貼りついちゃったのを思い出します。2次試験の試験官だったボブさんという外人は、スピーチ後の質疑応答でいろんなことを聞いてきました。おそらく通常の受験者より相当長い時間が質疑応答に使われたという記憶があります。わたしが退席するとき、ボブさんの顔には「もっと臨死体験について聞きたい!」と、ありありと書いてありました。

オジサンの英検1級2次試験の状況は「話す内容を持っているか」を参照下さい。

http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2006/week34/index.html

来週の投稿予定は2月4日ですが、出張等が予定されているので、ひょっとしたらその翌週(2月11日)になるかもしれません。

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オジサンお薦めの本

臨死体験

「臨死体験」については、この二冊を読めば十分かなというほど充実した内容の本です。この本を読んで、人生観が変わる人がけっこういるのではないかと思います。図書館にもおいてあると思いますので、ぜひ読んでみてください。

MAN AND HIS SYMBOLS

ユングが晩年に一般読者向けに「やさしく」書いた心理学書。記号や絵から人間の無意識を解明していく。「やさしく」書いたとはいえ、かなり難解。英検準1級以上でないと読むのに骨が折れるかも。上級者はぜひ一度は「知の巨人」に挑戦してみてはいかがか。

The Interpritation of Dreams

ユングと双璧をなす精神分析の大家・フロイト。夢診断は精神分析の古典になっている。かなり難解。英検準1級以上向け。ぜひ一度はフロイトにチャレンジして、「うわべ」読みでエッセンスをつかもう!

The Tibetan Book of The Dead

チベットに古来からある「バルド・テドル」というお経を英訳した本である。このお経は死が迫った患者に、死後どのようなことが起こるかをさとすものである。患者の心肺が停止しても、死者は声が聞こえることを前提にして、このお経が読まれる。前出のユング教授の監修つきである。英語のレベルは準1級以上が必要です。

Return From Death

先週ご紹介するのを忘れました。立花隆さんの本を除けば、「臨死体験」についての本では、マーゴット女史の本が一番わかりやすいです。英検2級の人なら十分に読める内容です。余談ですが、マーゴット女史に読書感想文を送ったら返事がきました。そのなかで、カール・ベッカーという京都大学の教授への紹介状をもらいました。残念ながら仕事の関係で京都まで行けなかったので会うことができませんでした。その後、立花隆さんの「臨死体験」を読んで、カール・ベッカーという人が日本では臨死体験の権威であることを知りました。

2007年1月21日 (日)

夢か現実か?

今から20年以上前であるが、当時オジサンが勤めていた会社の同僚に木原さん(仮名)という酒飲み友達がいた。

小柄で陽気な性格の人だった。木原さんの実際の年は40代の後半であったが、見た目は60歳くらいの初老の老人に見えた(なぜ実際より年を取って見えたかは、あとで理由を述べる)。それ以外は別段変わって見える人ではなかった。

ところが、この人は非常に変わった経験の持ち主だった。

実は木原さんは過去に一度死んだことがある人なのだ。

彼はむかし某テレビ局に所属する専属のカメラマンだった。木原さんがある日の深夜、自分が運転する車で取材現場へ移動中、カーブをにさしかかったところで、対向車線をオーバーしてきたトラックと正面衝突をしてしまった。

木原さんが乗っていた車は大破。全身打撲でほとんど即死状態だったという。

搬送先の病院で死亡が確認された。

ところが遺体安置室に運ばれて行く途中、顔にかけていた白布が血で染まるのを不思議に思った当時インターンだった小林さん(仮名)というお医者さんが、念のため脈を取ったところ、ふたたび心臓が動き始めたのがわかったので、急いで集中治療室へ運ばれたそうである。

身体の左半分を強打し、顔から腰にいたるまで骨という骨が砕けた。集中治療室で意識を取り戻したあとは、手術とリハビリの繰り返しの日々がはじまった。社会復帰するまでに1年以上かかったという。あまりにもリハビリがつらかったので一年間で髪の毛が真っ白になり、いっぺんに歳を取ってしまったという。彼が40代にして初老の老人に見えたのはこのためだ。

木原さんは話好きであったが、このときの事故についてはあまり語りたがらなかった。ところがある日のこと、飲みに行ったときにこんなことを言った。

「かいちゃん、人間だれでも死んだら終わりと思うだろう。オレも以前はそう思っていた。ところが死んでも意識というものが残っているんだよね。」

陽気な酒の席で、酒のつまみにはならない、ちょっと「ぞっ」とするような話だが、内容をくわしく聞いてみた。

木原さんの死んだときの経験はこんなものだった。

病院に運ばれたときに、周りの声や音が非常によく聞こえたという。

「もうだめだ」とか、「死んでいる」と言った内容の医者と看護婦の会話が聞こえたという。看護婦が手術道具を床に落としたのだろうか、「キーン」という金属音が室内に響いたが、その音が耳障りでよく覚えているとのこと。

そのうちに木原さんは手術室の片隅に立っていて、診察台の上に横たわる自分と、その周りを取り囲む医者や看護婦たちを見ていたそうだ。

そしていつの間にか、野原を歩いていた。

野原は花がいたるところで咲いており、とても気持ちがよかった。なぜか幼稚園くらいの子供になっていた。歩いていると川に出くわした。川の向こうを見ると大きな野球場の観客スタンドのようなものがあり、そこに大勢の人たちがいた。なぜかその中に亡くなった祖母がいるのがわかったそうだ。そのおばあちゃんが「こっちにきちゃいけない、戻りなさい」というのが聞こえた。その声が強い口調であったので、川を渡りたかったが引き返したところで、病院のベッドの上で目が覚めたそうだ。

当時、オジサンは「死」というものは単に「生」の終わりであり、死んだ人の意識は完全に消滅すると思っていた。だから木原さんの話は作り話とまでは言わないまでも、生き返ったあと意識が朦朧としたなかでの夢程度にしか思わなかった。

ところが、後年ある1冊の本を読んで驚いた。

Life after Life という本である。

この本はすでに1975年にアメリカで出版されていたもので、書いたのはレイモンド・ムーディという救急病院に勤めていた医者である。

近年救急医療の蘇生技術は大きく発達し、それまで救えなかったような患者を救えるようになった。

これによって心肺停止の状態で運ばれてくる患者が蘇生する件数が昔と比べて飛躍的に増えた。それらの患者の中には、心肺停止状態や死線をさまよっている間に「夢」のようなものを見る人たちがいる。今わの際に見る「死後の世界」と言っても良いかもしれない。

通常、医者という人たちは理論的なタイプが多いので、患者のそのような「夢」をまともに取り上げることはない。ところが若き医師ムーディは面白いことに気が付いた。それは蘇生患者の話をよく聞くと、いくつかの共通するパーターンがあるということだった。

そこで自分が手がけた患者だけでなく、数百例の蘇生患者のインタビューを行い、統計を取って分類し、Life after Life という本にして発表した。

簡単にそれらの分類を紹介すると以下のとおり。

・Audible Sounds or Voices : 周りの音や声がはっきりと聞こえる。

・Out of Body : 身体から抜け出る。

・Tunnel Experience : 暗いトンネルを抜ける。人によっては遠くに光を見る。

・Life Review : 走馬灯のように人生を回顧する。

・Beautiful Landscape : 花が咲き、蝶が舞う美しい景色を見る。

・Feeling of peace : 幸福を感じる。

・Encountering the deceased : 亡くなった人と出会う。

・Barrier : 向こうの世界とこちらの世界を隔てる障壁に出会う。日本では圧倒的に川が多い。アメリカでは家に入る際の敷居(threshold)や門など。インドでは壁が多い。大概の人はここで引き返してくる。

・Light Beings : 障壁を越えて行くと光の存在と出会う。人によってそれはキリストであったり、クリシュナ神であったり、仏陀であったりする。

この本は単に蘇生患者の見た「夢」を、統計を取って分類しただけの内容であり、それらの患者が語る「死後の世界」が実在するかどうかを実証したわけではなかった。

ところがこの本は世界中にセンセーションを巻き起こした。

なぜかと言うと、それまで「死後の世界」というのは、宗教の世界か伝承による昔話、あるいは「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」のようなオカルトの世界でしか語られたことしかなったのである。たとえ「統計による分類」という簡単な手法であっても、科学的に「死後の世界」がまじめに取り上げられたのはこれがはじめてであったからだ。

このムーディの Life after Life によって、今まで漠然と人伝てに聞いたあの世の「三途の川」や「お花の咲く野原」や「死んだ人と出会う」といったことが、実は誰でもが死に際して見る、人類普遍の現象であることがはっきりとしたのである。

冒頭お話した木原さんの見た世界は、実は木原さんだけでなく、今このブログを読んでいる読者も含め、我々が死に際して見る光景なのである。

この本は宗教界も含め多方面に精神的衝撃を与えた。

前回お話したキューブラー・ロスもすっかり「死」の見方を変えてしまった。日本では Life after Life はまだ知られていなかったが、小数の人たちが注目しだした。「田中角栄研究」や「宇宙からの帰還」で有名な立花隆さんが「死」をテーマに研究しだした。ちょっとオカルトがかっていたが、昨年なくなった「霊界男」の丹波哲郎さんもこのころ影響を受けた一人だ。

オジサンがこの Life after Life を読んだのは1988年だったが、その4年後に「NHKスペシャル」という番組で「臨死体験」が紹介された。これがきっかけで日本でも一時期、「臨死体験」ブームが起き、各民放でも特番を設けて「臨死体験」が放映された。おそらく国民の半分くらいがこれらの番組のいずれかを見たので、このブログの読者の中でも臨死体験についてご存知の方が多くいると思う。

我々がいずれ見るであろうこれらの「今わの際の光景」は、果たして単なる「夢」なのか、それとも「現実」の世界なのか。来週は臨死体験についていくつかの本を紹介しながら、検証を続けたいと思う。

あとがき)

オジサンの母親は3年前にガンで亡くなりました。死ぬ10日前くらいから病室の壁にたくさんのきれいな白い蝶が留まっており、それらが時々いっせいに飛び立ち、「人生の出口はこちらでーす」と話しかけてくると言っていました。なぜ人は死ぬ間際に、美しいお花や蝶などを見るのでしょうか?来週はその点も含めてお話したいと思います。

英語学習ブログランキングに参加していながら、ちっとも英語学習について書かない「変な」ブログですが、もうちょっとで終わりますので最後までお付き合いを!

来週の投稿は1月28日(日)です。

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オジサンお薦めの本

Life after Life

「臨死体験」の古典となっている本です。この本の登場によって人類が持ち続けてきた「死」のイメージが大きく変わったと思います。書かれている英語の文体は難しくありません。英検3級レベルの人でも十分に読めます。

Reflection on Life after Life

Life after Life が思わぬ反響を呼び、著者が再度単なる分類だけでなく、臨死体験に関して科学的な検証を続けています。これも非常にわかりやすい英文で書かれています。英検3級レベルで十分読めます。

The Light Beyond

著者はさらに「臨死体験」がその後の体験者にどのような精神的影響を与えるか、各宗教は「臨死体験」をどのようにとらえているかということを、「臨死体験」をめぐる別の観点から考察しています。

Saved by The Light

1975年9月17日、サウス・キャロライナで、著者のブリンクリーは電話中に家に落ちた雷で感電死したが、その後蘇生した。この事故は地元の新聞で報じられた。その後著者は死後の世界で見てきたことを語りだした。これもとても読みやすい英文で書かれています。

2007年1月14日 (日)

100パーセント確実なこと

経済学の大家・ジョン・ガルブレイス教授はかつて、「不確実性の時代」という著書の中で、「人間の活動において確実なことはなにひとつない」、と喝破された…

…が、少なくともひとつだけ確実なことがある。

それは、「死」というものがすべての人に訪れるという事実だ。

人類がこの地球上に出現してから4万年と言われており、その間に何百臆あるいは何千臆という無数の人々がこの地上に生まれたが、その中で誰一人として「死」をまぬがれた者はいないのである。ロスチャイルドやロックフェラーのように富がどんなにあろうと、あるいはアレキサンダー大王やチンギスカンのように権力がいかに強かろうが、彼らもまた「死」を免れることはできなかった。

「死」というものは富や地位と関係なくすべての人々に平等にやってくるのである。

これほど確実なことはない。

にもかかわらず、多くの人々は「死」というものを直視しようとしない。

世の中を見回しても、街中を歩いても、TVを見ても、あたかも「死」というものが存在しないかのように見える。「死」について語る人はよほど特殊な状況に置かれている人たちで、一般の人々は「死」について考えたがらない。いつかは必ず訪れるものであるが、できるだけ「死」の現実から離れて、忘れていたいと思っている。

その理由は、「死」への恐怖である。

だれにでも無意識の中に、「自分だけは特別だ、自分は死ぬことはない」という思い込みに近い願望があり、自分が他者と同じように死ぬ運命にあるという事実を受け入れられないからである。だから自分が死んで、自分の意識がこの世から消滅してしまうと考えるだけで底知れぬ恐怖を感ずるのである。

だから人々は「死」について語りたがらないし、また「死」という現実から目をそむけたがるのである。

ところが、驚いたことに「死」から目を背ける傾向というのは、我々一般人だけでなく、医療の世界にもあったのである。

少なくとも1960年代後半までは、アメリカの医学界ではこの傾向があった。医療スタッフはもちろん医師でさえ、末期ガンや末期の筋ジストロフィー患者に近づこうとしない。患者が末期になったとたんに、診断や処置は事務的になり、極力患者との会話を持たないようにし、患者からできるだけ遠ざかろうとする態度があったのだ。そのような患者から目をそむければ、自分の病院では忌むべき「死」というものは存在し得ないというかのような態度で末期の患者に最小限度で接していた。このようにアメリカの病院内では「死」というものを表に出すことは一種のタブーとされていた時代だったのである。だから1960年代の後半までは患者ははっきりとした告知も受けず、不安と恐怖と寂しさの中で離れの集中治療室で孤独に死んでいくことが多かった。

こんな「死」に対する医学界の閉鎖的な体質に異を唱える勇気ある女性医師が現れた。

エリザベス・キューブラー・ロスというスイス生まれの女性精神科医である。

彼女は、「死」というものを公にしたがらない病院側の批判に屈することなく、200人の末期患者と対話をし、彼らがどのような精神状態であり、何を求めているかを調査した。そしてその調査結果を1969年に一冊の本にまとめ出版した。

"On Death and Dying" という本である。

この本が発売された当初は、医学関係者からブーイングを浴びて彼女は総スカンをくらったが、世界各国のマスコミが注目し、徐々にであるが支持を集め、今ではこの本は世界中のターミナルケアのバイブルと呼ばれるまでになった。日本でも「死の瞬間」という邦題で出版されている。

今回の投稿では、このキューブラー・ロス博士の "On Death and Dying" を中心に、誰にでもいつかは必ずやってくる「死」というテーマでお話したい。

まずはターミナルケアの世界で今や常識となっている、キューブラー・ロスの「死にいたる5段階」説から説明しよう。

この本の中でロス博士はインタビューをした末期患者のほとんどが、告知を受けずとも自分の生きていられる時間は短いということを悟っていると述べている。そしてそれらのインタビュー内容を分析し、死に至る患者の精神状態は以下の5つの段階を経ることを明らかにした。

第1段階 : 否認と孤立(Denial and Isolation)

自分が死に直面していることを認めようとしない。「そんなばかな!」、「そんなことはあり得ない!」、「これは事実ではない。」、「あの医者はヤブだから、これはなにかの間違いだ!」という感じで、事実を否定しようとする。

第2段階 : 怒り(Anger)

自分が死に直面していることが事実だと理解すると、次の段階は怒りである。「なんでオレなんだ!」、「世の中には悪いやつがいるのに、なんで善良なオレが死ななきゃならないんだ!」、「周りの子たちは元気なのに、なんで私がガンにならなければならないの!」という憤りで胸がいっぱいになり、その怒りを周りにもぶつける。

第3段階 : 取引(Bargaining)

次の段階では少しでも死を先に延ばそうと、神と取引をしようとする。「せめて子供が成人するまで生かしてください」、「この仕事を完成させてください」といった風に。

第4段階 : 抑うつ(Depression)

神との取引もダメだとわかると、抑うつ状態におちいる。

第5段階 : 受容(Acceptance)

そして最後にはじめて死を静かに受け入れようという「受容」の時期がおとずれる。

ロス博士によると、上記のすべての段階にある末期患者の共通の悩みは、肉体の苦痛と「死」への恐怖にくわえて、孤独感や疎外感であるという。だから医師や医療スタッフはそれらの患者から目をそむけず、「死」というものを直視して患者と接し、肉体と同様に心の痛みを緩和して、すべての末期患者が第5段階へ到達できるように手助けするべきだと主張する。

ロス博士は、診断はサイエンスであるが、対話を含めたケアはアートであると言う。

現代医学の医療器械の進歩により、以前は「名医」しかできなかったような診断が、どのような医師にも可能となったが、患者の接し方というソフトの部分が発達しておらず、精神面での医療が未発達であるという。ケアは医療器械やコンピュータではできない。唯一人間だけが可能である。

「死」というテーマは医師にとって知っておかなければならない重要なものであるのにかかわらず、1960年代まで医学生たちは、医学の知識やコンピュータから打ち出されるデータの扱いのみを学び、「死」というものを習ってこなかった。そこでロス博士はコロラド大学で精神科の助教授をしている頃に、学校内で自発的参加のセミナーを設け、末期患者と学生たちをなるべく多くの機会に会わせることに努力した。

私たち一般人は末期患者というのは自分の「死」を語りたがらないと思いがちであるが、実は末期患者の多くは、残された日々を有意義に使いたいと思っている人が多い。ロス博士が末期患者に学生たちのセミナーへの協力を求めると、身体の調子がよければ、大概の患者たちは快く承諾してくれたという。

彼女が設けた最初のセミナーはこんな風であったという。

白血病であと1年くらいしか生きられないリンダという16歳の少女にセミナーの参加をしてもらった。リンダが車椅子で教室に現れると、学生たちは末期患者を前にしたことがなかったので緊張のため寡黙になってしまった。そこでロス博士は学生の中から6人を選抜してリンダに質問させたところ、「症状はどうですか」とか「痛みはありますか」といった当たり障りのない質問ばかりしかしない。ロス博士は割って入り、リンダに聞いた。「リンダ、あなたが話したいと思っているのは、こんなことなの?」 するとリンダは、「いいえ、わたしが話したいのは、まだ16歳だというのに、あと1年しか生きられないと宣告された女の子の気持ちです」と、きっぱりと答えた。そのあとは、ロス博士が学生たちに代わって次々と質問をした。はじめて白血病と宣告されたときはどのような気持ちであったか。迫りくる「死」をどう受けとめているか。家族や友人たちは、彼女にどのような態度をとっているのか。いま彼女がいちばん望んでいることは、どういうことなのか。一つ一つの質問にリンダは率直に自分の心の内を語り、セミナーに参加していた学生たちはその一言一言に涙を流して感動したという。

学生の多くは最初は面白半分にセミナーに参加するが、セミナーが始まるとほとんどの学生たちは死にゆく患者を目の当たりにして、興味本位のうわついた気持ちは消えて真剣になり、末期患者から真摯に多くのものを学ぶようになるという。のちに学校を卒業して医者になったものたちの多くが、このセミナーに参加することにより、単に診断して治療を決定するだけでなく、末期患者への心のケアの重要性をより認識するようになったと感想を述べている。

このセミナーは学生たちの評判を集め、のちにコロラド大学では、末期患者との対話の授業は必須となったということである。

もともとこの  "On Death and Dying" という本は、「『死』というものを直視して、末期患者のケアをせよ!」という、キューブラー・ロスの医療関係者へ向けたメッセージであった。しかし、我々の周りの肉親もひょっとしたら末期のガンになるかもしれない。あるいは不幸にして読者もなるかもしれない。

この本はそのような時に、末期の患者がどのようなことを求めているかを知るための大変参考になる本である。

ご興味のある方は有名な本であるので図書館で借りられると思うので、読んでみたらいかがであろうか。

あとがき)

新年早々、お屠蘇(とそ)気分もまだ覚めやらぬ時に、今回の「死」というテーマは相当に重かったでしょうか?実はこのテーマでブログを書くかどうか悩みました。「死」は誰にでも関係するものでありながら、誰も考えたくないテーマだからです。できることなら避けて通りたいのが当然です。

ただし「死」の問題は「その時」が来たときに考えるのでは遅いことがありますので、あえて今回のブログで取り上げました。今回のブログが「死」というものを考えるひとつのきっかけになればと思いました。

なお、長くなって申し訳ありませんが、ホスピスについて語らせてください。

ホスピス病院の始まりは、イギリスのセシリー・ソンダースという女性医師が、1960年代の後半、ほぼキューブラー・ロスと同時期に緩和治療を目的とした病院を設立したのが第一号です。このホスピスはロス博士の「死を直視して、末期患者のケアを!」という医学界への呼びかけとあいまって、世界的な広がりを見せました。

ところが日本では、このホスピス病棟は数に限りがあります。入院するのに4~5ヶ月待たなければなりません。つまり末期になった時では遅い場合があります。だから前もって「死」というものを視野にいれて医者や家族と普段から打ち合わせておくことが必要になります。

私の母は3年前にガンで亡くなりました。「死」というものを前提に前もって話し合いをもっていなかったので、ホスピスに入る時期をのがしてしまいました。市立病院にずっと入院していましたが、末期のガンの苦痛はひどく、病院側へモルヒネの量を増やすように頼んだのですが、モルヒネの量を増やすと死期が早まるということでなかなか投与しようとしないのです。彼らは、「ここは延命治療が目的の病院だから」と事務的な返事ばかり。母は5日間ほど苦しんで亡くなりました。亡くなったときは悲しさより、母がやっと苦しさから開放されて、「ほっと」したというのが本音です。

ロス博士は、末期患者のケアはまず痛みを取ることを第一としています。痛みを取って、初めて心のケアをし、患者に尊厳ある死を迎えさせることを主張しています。日本ではこのような「尊厳ある死」を迎えるのはとてもむつかしく、テレビドラマで見るような家族にお別れを告げて、安らかに逝くというのはほど遠い現実です。人生最後の大切にしたい時であるのに残念なことです。

最後に、「安楽死」についてひとこと。

わたしの母を看た医師たちとは逆に、日本では毎年のように苦痛に苛む末期患者の最後を「お手伝い」して、殺人罪に問われ犯罪者となり、医師の資格を剥奪されてしまう「心やさしい」お医者さんが何人かいます。みなさんはこの問題についてどのようにお考えでしょうか?

今回のブログが皆さんが普段考えないようなことを考えるきっかけとなれば幸いです。(Euthanasia, Organ Transplant, Brain Death 等、生と死にまつわる問題は、英検1級でも扱われやすいテーマです。私が1級2次試験を受けたときは、出題されたテーマは臓器移植でした。オジサンの英検1級2次試験に興味のある方は、オジサンのブログ「話す内容を持っているか」を参照ください。)

http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2006/08/post_93a2.html

引き続き来週も「死」をテーマとしてお話します。

1975年に「死」についてある1冊の本がアメリカで出版されました。おそらくこの本は、人類がずっと持ち続けてきた「死」の考え方を根底から覆すほどの衝撃的な内容のものでした。今回ブログで紹介しました「死」に関しての第一人者、キューブラー・ロスでさえ、この本が出版されてから、「死」についての見方を180度変えてしまったほどインパクトのある本でした。次回はこの本を中心にいろいろな本の紹介をするつもりです。

来週の投稿は1月21日(日)です。もうちょっとこのブログは続きます。最後までお付き合いください。

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オジサンお薦めの本

"On Death and Dying"

ホスピス運動の精神的支柱となった本です。緩和治療のバイブルと言われている本です。英語のレベルは難しくありません。英検2級レベルの人なら十分読める内容です。

「死の瞬間」

"On Death and Dying"の日本語訳版です。邦題の「死の瞬間」は、ロス博士の「死」というものの捕らえ方を正確に表現していません。この本の中でロス博士は「死」とは「生」が終局にむかう「過程」であると述べています。出版社側の意図的な誤訳と思われますが、先日念のため図書館で「うわべ」読みしたところ、内容は原文を忠実に伝えていますのでご安心を。

"How We Die"

この本はイエール大学の教授が書いたもので、AIDS、ガン、心臓発作、アルツハイマー等でどのように人は死んでいくかということを克明に記述したものである。いかにここから「尊厳ある死」を迎えるかということを考えさせられる本である。多少学術書に近いので、英検準1級レベル以上の人でないとちょっとむつかしいかもしれない。

「脳死」

脳死と聞くと、たいがいの人は「脳が死んじゃっている」と思いがちであるが、脳死患者の脳は実は死んでいないのである。自発呼吸はできないが、心臓が動いているということは、少なくとも脳幹は生きているということである。「脳死」は臓器移植をしやすいように、仮に「死」とつけただけで、臓器のドナーたちは生物学上は生きているのである。脳幹は喜び、悲しみ、怒り、恐怖といった「感情」をつかさどる脳の一部分であるが、臓器移植のドナーたちは、実際は「生きた」まま麻酔もかけられずに「心臓」チーム、「肝臓」チーム、「腎臓」チーム、「角膜」チームに次々と臓器を摘出されていく。臓器摘出のとき、はたして「脳死患者」には本当に痛みや意識がないのだろうか?脳幹が生きているということは、脳死患者は意識レベルは低いが、夢うつつの状態ではないのか?この本の中で立花隆さんは実際の臓器移植現場を正確に伝えている。手術室に入るドナーは今にも目が覚めそうにみえるが、出てくるときには体中ボコボコの穴だらけで、先ほど入っていったドナーと同一の人物とは思えないほどの悲惨さだという。

テレビなどで臓器移植は美化されているが、まずは現実を知った後に、自分自身の賛否を決めるべきであると思う。

2007年1月 7日 (日)

とてつもない「おもちゃ」

前回、小説以外の本を「どのように読むべきか」というテーマでお話したが、今回はその補足をしたい。

1)目次を活用する

日本人は読書法を学校で習わないので、目次は単なる本の「アクセサリー」程度にしか考えていない人が多いと思う。読むときにほとんどの人が目次を使っていないのではないだろうか。

実は目次はとっても大切なものなのである。

小説以外の本を書く時に、「つれづれなるがままに」って感じで吉田兼好みたいに第1章から書き始める作者はまずいない。彼らが本を書くときに最初に何から書くかというと目次なのである。目次はこれから作者が読者に伝えたいことをどのようにしたら効率よく伝えらるかという設計図のようなものである。だから目次を作るのに何ヶ月もかけたりする作者もいるほどなのだ。そして出来上がった目次にしたがって、作者は忠実に1章から書いていくのである。

こんなエッセンスが凝縮されている目次を使わない手はない。

読者からすると目次はいわばルートマップのようなものである。

読書はそのルートマップをたよりに森の中へ入って行き、作者が歩いた道をたどりながら作者が落としていったいろいろな人生の指針となる宝を拾って歩く探検のようなものである。だから作者が歩いた軌跡から外れないように、つねにルートマップを確認しながら森の道を歩き続けていかなければならない。

2)難しい本ほど浅く読む

"How to Read A Book"では試し読み(inspectional reading)として、2つの方法を紹介している。ひとつは前回お話したスキミング(systematic skimming)、もうひとつはうわべ読み(superficial reading)である。

念のため、前回のスキミングの復習をしよう。スキミングとは以下の手順で行う。

タイトルを見る→背表紙の書評を読む→帯があればその広告文を読む→「序論」または「本書の目的」を読む→目次を見て論旨の展開を予測する→各章のサブタイトルを見る→パラパラとページをめくって重要そうな章のさわりを読む

これだけでかなりの本の内容がざっくりと要約できてしまうが、"How to Read A Book"では、さらに難しい本は、うわべ読みをすることを奨励している。

皆さんも経験があると思うが、難しい内容の本を何度も読み返したけど結局よく内容が掴めなかったという経験がないだろうか。じつは難しい本は最初にじっくりと読んではいけないのである。最初にじっくり読むとなにがなんだかわかんなくなっちゃうからだ。"How to Read A Book"では、「難しい本ほど浅く読め」と書いてある。

浅く読むためのこのうわべ読みには基本的なルールはない。

日本で言われる斜め読みに近いかもしれない。オジサンはこんな風にして読んでいる。スキミングの結果、重要な章がいくつか検討がついたら、その章の最初の段落と最後の段落は全部読むとして、その間の各段落は、最初の1行ないし2行だけ読んで、あとは飛ばす。これだけでかなりの内容が掴めるのである。読者の皆さんも試しにやってみてほしい。じっくり読んだときにはわからなかったことが、ざっと読むと不思議なことにエッセンスが見えてくることに驚かれると思う。

重要なことは100パーセント理解しようとしないこと。

エッセンスをつかむことに集中することである。"How to Read A Book"では、理解できない部分があったとしても立ち止まらず、どんどん先をよんでいくことを薦めている。確かにオジサンの経験でも、わからなくとも先を読み進めていくと、後からわかるってことがよくあった。

オジサンは難しい本でなくても、うわべ読みはかならずやっている。そうすると中にはかなりの内容がつかめて、それ以上詳細に読まなくってもいい本がでてきたりするからだ。

"How to Read A Book"では、うわべ読みのときに時間制限を設けることを薦めている。

オジサンの経験からも時間制限を自ら設けると集中力が増し、理解度もアップすることがわかった。1時間にするか2時間にするかはその本の内容によって読者で決めてほしい。あまり長いと集中力がつづかない。せいぜいマックス3時間くらいだろか。

3)同じスピードで読まない

多くの人が本を読むときスピードというものを考えていないのではないだろうか。実はオジサンもこの本に出会うまで、スピードというものを意識せずに読書をしていた。だからほとんど全体を通して一定のスピードで読んでいたと思う。

"How to Read A Book"では、異なるスピードで本を読むことを薦めている。

読む価値のある部分はゆっくりと読むが、読む価値のないところに時間をかけるのは Waste of Time であると述べている。スピードに強弱をつけて読めということだ。

なお、おもしろいことに、"How to Read A Book"では、速読法には否定的である。無理に速く読むと理解度が落ちるということが理由だ。でも、オジサンから言うと、この試し読みをすると理解度が増すが、時間がそれまでよりも短縮されるので、一種の速読法だと思うのだが…。

4)本に書き込みをする

オジサンはもともと本に書き込みをするタイプの人であったので、本にマーキングをするのは全然抵抗がないが、世の中には本に書き込みをすることをためらう人がいるようだ。"How to Read A Book"では、書店で本を購入しても買った人のものになっていないと述べている。購入した本をマーキングしながら読んで理解して、初めてその本の所有者になると説いている。マーキングには横線、左右余白の縦線、○、☆等いろいろ組み合わせて、各自のマーキングシステムを作ることを薦めている。

オジサンはマーキング以外に、重要な章は余白に一言で表せる要約を書き込んだ。こうすると、翌日続けて読むときに、前日まで読んだ内容がすぐに思い出せるので、内容を理解するのに役立つ。

5)読むときに指を使う

"How to Read A Book"では、読書レベルの低い初心者が本を読む際の障害として regression(退行)を挙げている。読んでいて再度同じ行を読んでしまうことだ。これを防ぐために指差し読みまたは定規をあてることを推奨している。オジサンは読むときに指差し読みを実行している。指をワン・ブロックごとに送って読んでいくと、読みやすいし、なぜか心が落ち着いて精神が集中できるのである。オジサンは読書のときの人差し指を「ゴールドフィンガー」と呼んでいる。

6)同じ系列の本を数冊読む

"How to Read A Book"では、syntopical reading として、同じ系列の本を数冊読むことを薦めている。これはまったく同じ種類の本でなくても良い。たとえば小説の「風と共に去りぬ」を読んだら、南北戦争に関する歴史書を読むといったようなものでも良い。同系列の内容の本を読むことによってさらに理解が増すとのこと。(『風と共に去りぬ』が出てくるあたりに、How to Read A Book が Living Classic と言われることを実感する…。)

以上2週にわたって、小説以外の本を読む場合の How to Read A Book のエッセンスをオジサン流のまとめ方でお伝えした。

オジサンがこの読書法を知ったのは今から十数年前だ。それまでアルンビン・トフラーの「未来の衝撃」や「第三の波」などのような400ページ前後の本を読むのに1ヶ月くらいかかっていたが、この読書法を知ってからは、1週間くらいで読めるようになった。しかも理解度が増しているのである。

だからなにかすごい「おもちゃ」を与えられた子供のように、嬉しくてはしゃいだものだった。

覚えたてのころはこの読書法を使うのが楽しくて、バンバン本を読んだ記憶がある。

読者の皆さんもぜひこの読書法という「おもちゃ」で、知的遊びをされてみることをお薦めする。

あとがき)

新年あけましておめでとうございます。

新年早々長ったらしいブログを最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

この読書法に付け加えて、オジサンは英英辞典を使うこともお薦めします。このブログは2月ころに終わるつもりですので、最終回に英英辞典の使い方について書きますね。それまでもうちょっとお付き合い下さい。

来週は医療の世界のタブーに挑戦した勇気ある女性医師の本を紹介します。この本は1969年に出版されたもので、出版当時は医学界で異端者扱いされましたが、世界の世論が彼女の主張を支持し、いまではターミナルケアのバイブルとまで言われるようになった本です。

来週の投稿は1月14日(日)です。

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How to Read A Book

オジサンお薦めの英英辞典

ロングマン現代英英辞典

ロングマン現代アメリカ英語辞典

2006年12月31日 (日)

本はどのように読むべきか

不思議なことに日本では、学校の授業でどのように本を読むかということを教えない。

少なくともオジサンが学生のころには読書法を教える授業はなかった。今の学校でも本の読み方なる学科はないと思う。オジサンの娘が私立中学や高校に通っていたときに、そのような学科のことを聞いたことがないからだ。

本にはいろいろな種類がある。

娯楽のための雑誌、情報を得るための資料集、ストーリーを楽しむための小説、その他、歴史、サイエンス、社会科学、時事に関する書物等。これらの書物は、当然内容も違い、読む目的も違うので、おのずから読み方が変わってくるべきものである。それらの読み方に関して学校で教えないというのはなんとも奇妙なことである。最近の若者の活字離れを嘆く前に、正しい読書法を教える必要があるのではないだろうか。

アメリカでは日本と違い、高校や大学を通じて読書法を教えている。

だからアメリカでは読書法に関していろいろな書物が出版されているが、その中でももっとも有名な本を今回の投稿で紹介したい。

How to Read A Book というタイトルの本である。

この本は1940年に出版されたものであるが、出版されて以来70年近くずっとアメリカ国民に読み続けられている本である。読書法に関してのロングセラー本となっており、アメリカではこの本は「生きているクラシック(living classic)」とも呼ばれているほどである。

この How to Read A Book では、実務書、文学、演劇、詩や、歴史、科学、哲学、社会科学などに関する本の具体的な読み方が述べられており、多くのアメリカの学生たちがこの本によってこれまで、「本はどのように読むべきか」を学んできたのである。

今回の投稿では紙面の都合上、これらすべてを紹介できないので、小説などのようなストーリーを楽しむ以外の本(たとえば実務書や歴史、哲学、サイエンス、時事等に関する本など)にのみ焦点を絞って、どのように読むべきかを紹介したい。

前回、および前々回に紹介した "Emotional Intelligence" や "The Joy of Stress" のような小説以外の本を読むときに、もっともやってはいけない読み方というのがある。

それは、最初の1ページ目から丹念に読んでいくことである。

「えっ!最初から読んじゃいけないの?!?!」って驚かれる読者が多いのではないだろうか。

そうなのである。日本では学校できちんと読書法を教えないので、最初の1ページ目から読み出しちゃう人が多いのは当然だと思う。とくに日本人は生真面目な人が多いから、この傾向が強いと思う。しかし、このような読み方だと、時間もかかるし、読み終わったあとに、「はて、何が書かれていたんだっけ?」なんてことになっちゃうことが多い。これではエッセンスを要約して他の人に伝えることもできないし、体系的に記憶に残ることが少ない。苦労は多くて益になることが少ないと言える。

これらの本は、ミステリーやサスペンスなどの小説ではないので、ハラハラドキドキって感じでストーリーを楽しむものでない。だから1ページ目から丹念に読む必要もないし、またそのような読み方をするべきではない。

これらの本は啓蒙が目的であって、娯楽が目的ではない。したがって作者の意図することを的確に捉えることがまず重要である。

そのためには、今から読もうとしている本が何について書かれている本か、その内容を伝えるために作者はどのように伝えようとしているのかといった本の構成、骨格をあらかじめ知ることがより重要なのである。

そのためにどうするか?

この How to Read A Book では、これらの本の目的および作者の伝えたいこと、伝え方(本の骨格)をあらかじめ知るために、「スキミング(sikmming)」という方法を提唱している。

スキミングという言葉は多くの読者は初めて聞く言葉ではないだろうか。

スキミングとはどのようなものかを知ってもらるために、ここでは一旦英語から離れて、日本語で書かれた本を対象としてお話しよう。

たとえば今読者が一冊の日本語でかかれた本を渡されて、オジサンがこのような質問をしたら、皆さんはどのようにこの本を読まれるだろうか。

「10分以内にこの本を読んで、内容を述べなさい。」

このような質問をされた時に、1ページ目から丹念に読み始めちゃう人はいないと思う。10分以内という時間制限を設けたときに、丹念に読むことは物理的に不可能だからだ。だとすれば大概の人はまず、本のタイトルを見ると思う。本のタイトルからある程度の書かれている内容を予測するだろう。

そのあとに背表紙に書かれている本の書評を読むのではないだろうか。

また帯が巻かれていれば、帯に書いてあるその本の広告記事を読むだろう。

そのあとは、おそらく最初にでてくる、「本書の目的」とか、あるいは「序論」のようなページを丹念に読むだろう。

ある程度、作者が伝えようとする意図がわかったあとで、目次を見て、作者が伝えようとする内容がどのような順序で述べられていくかを調べるのではないだろうか。

そのあとは、パラパラとページをめくって、各章のタイトルを見て、副タイトルがあればそれを読む。まだ時間が余っていれば、各章のなかでもっとも重要だと思われる章を読むだろう。時間がなければ、その章の最初の段落を丹念に読んで、そのあとから続く各段落の1行目あるいは2行目だけを読んで、最後の段落を丹念に読んで、その章に書かれている内容を推測するであろう。

このようにすれば、日本語の本であれば10分以内であっても、大まかな内容をオジサンに話すことができるであろう。

これがスキミングである

皆さんが実際にこのスキミングをやってみるとわかることであるが、これだけでその本に書かれていることが、「ざっくり」と要約できてしまうことに驚かれると思う。

そして、この「ざっくり」と要約できるということが重要なのである。

それはその本の骨組みを読み取ったということである。「木」一本一本を見ずに、それらの「木」がどのような「森」の中に生息しているかを見たのである。

最初から細かなところを読んでいくと、読み終わったあとで「???」ってことになり、徒労に終わっちゃうことが多い。逆に全体が見渡せたあとで、各章を丹念に読んでいくと、それぞれの章の繋がりが理解でき、記憶が定着しやすいのである。その本を読み終わったあとで、人にその内容を伝える場合に、エッセンスを要約して話すことができるのである。

英語でペーパーバックを読む場合は、10分間でスキミングするというわけにいかないが、あまり長い時間をかけるとかえって「ざっくり」と内容をつかめなくなる。1時間くらいが妥当だと思う。英語のレベルによってスキミングの深さに相違がでてくるが、スキミングをすることによってそのあとの読書が非常に楽になる。

だから読者の皆さんには、小説以外の本を読む前は、まずこのスキミングをしていただきたいのである。

また、この How to Read A Book には、文学書、数学書、戯曲、詩などの幅広いジャンルの書物の読み方を紹介しており、ぜひ興味のある方は図書館で借りるかまたは購入されて研究されてはいかがだろうか。

なお、オジサンはこれまでペーパーバックを750冊前後くらい読んできた。そのうちの半分近くはこのような小説以外の本だったと思う。その経験からスキミング以外にもいくつかの読むコツがあるので来週の投稿でそれらをお話したいと思う。

本日は話が長くなり(いつものこと?)、「紅白」が見られなくなるといけないので、このあたりで止めることにする。

あとがき)

お疲れ様でした。大晦日のお忙しいところ読んでいてありがとうございます。また今年オジサンのブログを愛読していただいた皆さんありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

来年は1月7日(日)に投稿予定です。次回も「本をいかにして読むか」というテーマでお話する予定です。それでは、良いお年を!

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オジサンお勧めの本

How to Read A Book

2006年12月24日 (日)

生きるための「制御ボタン」

世の中にはわかっているようで、実際にはわかっていないものって案外多いのではないだろうか?

以前取り上げた「民主主義」なんていうのもそうだった。知っているつもりでも、突然、「民主主義て一言で説明すると何?」って尋ねられたら、結構戸惑っちゃう。(詳細は当方ブログの「徘徊する怪物」を参照)

http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2006/11/post_9407.html

あるいは「ナショナリズム」もそうだ。わかっているようでいざ人に説明しようとするとうまく説明できないことが多い。(詳細は当方ブログの「5ドル紙幣の偉人」を参照)

http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2006/11/post_e8e9.html

よく人々が口にするストレスもそのうちのひとつではないだろうか。

ストレスの話しを今日では聞かない日がないと言っていいくらいだ。この悪玉の権化のように言われるストレスだが、「じゃ、ストレスっていったい何?」って訊かれたらすぐに答えられる人って案外すくないのではないだろうか。そこで今日はだれでもが興味のあるストレスを非常にわかりやすく説明した一冊の本をご紹介したい。

"The Joy of Stress" というタイトルの本である。

オジサンいろいろなストレスに関する本を読んだが、この "The Joy of Stress" ほどわかりやすく、ストレスとは何か、あるいはストレスとどのように付き合っていくかを説明した本はない。1980年代に書かれた本であるが古さを感じさせない。ストレスに関してはこの本が一押しだ。

ストレスの正体は一言でいうと「恐怖」である。

もうちょっと正確にいうと、「恐怖」にともなって我々の身体の中で起こる、さまざまな生理現象のことである。その代表的なものは、皆さんも聞いたことがあると思うが、アドレナリンなんてホルモン。そのほかにもいろいろなホルモンがストレスにともなって我々の身体のなかに作られるのである。

ところが実はこれらのストレスは我々人類が生存するためには不可欠なものだったということは意外と知られていないのではないだろうか。

まずこのことを簡単に説明しよう。

我々のご先祖さまが文明を持つ前のずっと昔、まだジャングルに住んでいたときの話し。ひとりのご先祖さまが密林の中へ狩に行って、トラのような猛獣とばったり遭遇してしまった。こんなときどうなるか。当然彼は「恐怖」を覚える。その瞬間、この恐怖が引き金となっていっせいに身体のいろいろな臓器からさまざまなホルモンが血液中に放出されるのである。たとえばさきほど言ったアドレナリンというホルモンは肝臓で作られて、血液中に放出される。このアドレナリンはどのようなものかというと、一種の油のようなものだと思ってよいと思う。コレステロールなどを含む高脂肪のホルモンだ。

なぜこのようなホルモンが我々の身体の中で作られるかというと、そこには人類の長い飢餓との戦いと進化の歴史が関係している。

人類がこの地球上に現れてから四万年と言われている。アルビン・トフラーという社会科学者が、「未来の衝撃」という本の中で述べているのであるが、一世代の平均寿命を60年として計算すると、最初の人類であるアダムとイブから数えて我々は800世代目の人類になるのだそうだ。今でこそ「飽食の時代」といって、多くの人が「ジム」通いをしたり、あるいはさまざまなダイエットなどをして一生懸命痩せようと努力しているけど、実はこの「飽食の時代」は人類の歴史からすると非常に稀なことなのである。

人類は650世代までジャングルの洞窟に住んでおり、ずっと飢えてきたのである。

651世代目あたりから農耕技術を覚え、ようやく文明と呼べるような社会を作り上げた。しかしそれでも程度の差はあれ、799世代目までいつも飢餓という災難に何度もあってきた。そしてようやく我々の800世代目にして十分に食べられるようになったのである。

この飢えている状態が通常である中で、生死を分ける危機的な状況に直面した時、我々人類は生存するためにストレスという生理現象を身体の中に無意識に作り出した。つまりストレスとは進化の結果なのである。ばったりと密林で猛獣と出くわしたとき、ご先祖さまの血液中にアドレナリンが放出されるが、それらはその猛獣と格闘するか、あるいはその猛獣から一目散に逃げるためのエネルギー源として使われるものであったのである。現代のようにたくさん食べて栄養を身体の中に蓄えておける時代ではなかったので、我々のご先祖さまは生きるためにこのように簡易的な栄養源を自ら身体の中で作り出す必要があったのだ。だからストレスを別名、"Fight or Flight" Response とも言う。

ところが現代ではどうか。

たとえば、会社のオフィスで上司に叱られたとしよう。この時に皆さんの身体の中でアドレナリンが血液中にいっせいに放出される。本来、このエネルギー源はその上司と取っ組み合いの格闘をするか、あるいは一目散にダッとドアから逃げ出すために使われるものなのである。ところが現代社会ではそんなことをしたら、警察のブタ箱へ入れられちゃうか、あるいは精神病院へ送られちゃう。だから「へへへ」なんて薄笑いを浮かべて、頭でもポリポリ掻いて我慢するっきゃない。

そうするとどうなるか?

その高脂肪のエネルギー源は「使用」されることなく、皆さんの血液中に残ったまま、いつまでも血管の中をグルグルと回り続けることになる。そしていずれ血管内の壁に付着して動脈硬化や高血圧の原因となって行くのである。これがストレスが我々に害をおよぼす過程である。

だからストレスを解消するためによくお酒を飲みに行ったりする人がいるけど、かえって逆効果。カラオケも多少のエネルギー源の消耗になるかもしれないけど、あまり効果はない。けっきょく休日にでも長い距離を散歩をしたり、ジョギングをしたりしてストレスによるエネルギー源を燃焼させるしかないのである。

ストレスにともなってアドレナリンのほかにもさまざまなホルモンが血液中に放出される。

たとえばエンドルフィンなんていうホルモンが我々の脳で作り出されて、血液中に放出される。これは痛みを感じさせない作用を持つ。自然の「モルヒネ」みたいなものだ。皆さんも経験したことがあると思うが、ラグビーなどのような激しいスポーツの試合のあとに、「あれ?こんなとこ擦りむいていたんだ!」なんて気付くことがないだろうか。試合中は多少の怪我をしても痛みを感じないことがある。これはエンドルフィンというホルモンの作用による。猛獣との格闘の際に怪我をしても痛みを感じさせないために、このようなホルモンが身体の中に放出されるのである。

このようにストレスによって我々の身体のなかでさまざまな生理現象が起こるが、現代においてもっとも深刻なことは、我々の免疫機能が低下することである。

皆さんもよく経験することだと思うが、たとえば、人前でスピーチをするときに、緊張のあまり一瞬あたまが空白になって、話がしどろもどろになっちゃうことがないだろうか。あるいは緊張のあまり胃が痛くなっちゃうってことも。これらもすべてストレスによる生理現象である。これは体中の臓器が生死を分ける状況下で、"Fight or Flight" に全神経を集中するために、生死を分けるような活動以外の臓器の機能を停止または低下させるために生じる現象である。このような状況下では考えることも、胃の消化活動も必要ない。だから脳が思考を停止するので話しが支離滅裂になったり、胃が消化活動を止めるので消化不良のため胃痛を覚えたりするのである。

そして問題は、本来の臓器が行っていた免疫機能も停止してしまうため、ずっと長いことストレス下にあると、病気などに感染しやすくなってしまうことである。

もっとも怖いのは癌が発生しやすくなることである。

オジサンの知っているお医者さんはストレスと癌の関係を調べていて、ストレスの種類(たとえば、人間関係なのかあるいは金銭上なのか)によって、癌の発生部位までわかるということだ。ストレスと癌の因果関係は明らかだ。

この "The Joy of Stress" では、ストレスとはいったい何かということをわかりやすく説明し、現代人がどのようにストレスと上手に付き合っていくかという具体的な方法を述べている。

ひとつの方法としてストレスの「制御ボタン」を持つことを提案している。

ストレスの「制御ボタン」とはどのようなものかを説明するために、この本のなかでこんな実験を紹介している。

ある二つの事務処理グループがある。大きな騒音の中である一定の事務作業をさせるのであるが、ひとつのグループにはその騒音をシャットする窓があり、窓を閉めることによって騒音を消すことができる。もう一方のグループにはそのような窓がなく、常に騒音の中で作業をしなければならない。

この実験の結果はどうなったか。

当然、騒音をシャットできるグループの方がストレスによる機能低下がないので、作業効率が高い。

ところが、面白いことに、こちらのグループでは窓を閉めずに作業させても、「制御ボタン」があるというだけで、作業効率が高いことがわかった。

つまりなんらかの「制御ボタン」を持っていれば、それだけでストレスがあまり加わらないということなのである。

したがって、この本では人生のあらゆる場面においても、この「制御ボタン」を持つことが重要であるということを述べている。

この "The Joy of Stress" の中で、どのように「制御ボタン」を持つか、あるいは「制御ボタン」を持てない状況ではどのようにするかという具体的な方法を提案している。

いろいろとこの本について内容を紹介したいがだいぶ長くなってしまったので、この先は興味のある方は、この本を購入または図書館などを利用して読んでみてほしい。

あとがき)

ふ~っ、お疲れ様でした。師走の忙しいところ最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

来週は、オジサンの読書法も含めて、本はどのように読むべきかという話題を取り上げた一冊の本をご紹介します。

次回の投稿予定は12月31日(日)です。大晦日なのでみんな読んでくれるかとっても心配です…。

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オジサンおすすめの本

The Joy of Stress

オジサンが読んだストレスに関する本の中ではこれが一押し。挿絵が挿入されていてとてもわかりやすい。英検2級レベルの人でも十分に読める内容です。

Future Shock

社会科学者のトフラー氏のデビュー作です。

人類が地球上に現れたのは約四万年前。平均寿命を60歳とすると我々現代人は800世代目の人類である。最初の人類であるアダムとイブから人類は加速度的に文明を発展させてきた。人類は650世代目まで洞窟で住んでいた。651世代目で農耕を覚え、はじめて定住社会を作った。730世代目に人類は象形文字を発明した。794世代目でようやく印刷技術が普及して、紙という手段で次の世代へ知識を伝えることができるようになった。798世代目で人類は第二の火ともいえる電気を発見した。799世代にして人類は空を飛べるようになった。そして今、800世代目にしてあらゆるものが可能になった。宇宙への進出、原子力、コンピュータの普及、携帯電話 etc.etc.…。800世代目の我々が使用する1年間の資源エネルギー量はそれまでの798世代目までが使用した全エネルギー量を超えてしまうという。このように加速度的に文明を進歩させる人類の未来にはどのような衝撃が待ち受けているのか?

1970年代に書かれた本ですが、古さを感じさせません。興味のある方は読んでみてください。英検2級レベルの人ではかなりきついかもしれません。準1級以上のレベルの方におすすめです。

The Third Wave

1980年代に書かれたトフラー氏の代表作。第一の波は農耕技術。これによって人類は文明社会を作った。第二の波は産業革命。これによって人類社会は大きく変化した。そしてコンピュータの登場によって人類社会は産業革命以来の大変革を迎えようとしている。我々は今どのような社会を目撃しようとしているのか。文化人類学上の金字塔ともいえる作品です。同じく英検準1級以上の人におすすめの本です。

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2006年12月17日 (日)

ロングマン

先週と先々週の2回に分けて、"Emotional Intelligence" についてお話したが、今回は簡単に、EQ5項目のひとつである Empathy について説明を加えておきたい。

"Empathy" という言葉は、多くの読者の方たちはあまり聞きなれない言葉かもしれない。しかし、この言葉は別に Big Word でもなんでもない。もし皆さんの周りにアメリカ人かイギリス人の友人がいれば聞いてみるとわかると思うが、欧米では "Empathy" は一般的に常識として知られている言葉である。

オジサンが高校時代に使っていた某大手出版社の英和辞典で "Empathy" を引くと、「感情移入」という奇怪な訳語が出てくる。最近の英和辞典は多少進歩しているだろうから、もうちょっとマシな訳語が載っているかもしれないが、おそらくこの "Empathy" にピッタリの訳語が出ていないはずだ。なぜかというと、"Empathy" という言葉は日本語にない概念だからである。

英英辞典のロングマンを引くと、"Emapthy" の意味は以下のように説明されている。

Empathy = The ability to understand other people's feelings and problems :

"Empathy" とは、「他人の感情および問題を理解する能力」のことである。

よく日本でも、「相手の立場になって考える」ことの重要性が語られることがある。オジサンが子供のころによくこの言葉を母親から言われたものだ。ところが日本ではこの「相手の立場になって考える」という行為が、ひとつの「能力(ability)」としてとらえる概念がないので、"Empathy" に相当する日本語が存在しないのである。

おそらく英和辞典を編集していた人が困っちゃって、心理学書にでも出ていた "Empathy" の特殊な用例に「感情移入」という言葉が使われていたので、そのまま英和辞典に載せちゃったというところだと思う。

この "Empathy" は、「相手の立場になって考える」ということも含むが、ずばり相手の感情を読み取る能力も含む。

相手の態度や仕草や顔の表情から、相手が喜んでいるのか、悲しんでいるのか、あるいは怒っているのかを読み取る能力のことである。オジサンが以前勤めていた外資の会社では、人材開発部に多額の投資をして "EQ" を研究していた。全世界の従業員を対象に1時間から1時間半くらいの心理学テストのようなものを実施したが、その中に写真の中に写っている人物が怒っているのか、笑っているのか、悲しんでいるのかを問う問題もあった。音の出ない単なる写真を見て、喜怒哀楽を判断するのは意外と難しい。直観力が大きく影響する。おそらくこの "Empathy" の "EQ"値を測ってデータを取っていたものと思われる。

オジサンの経験から、"Empathy" というものを意識するだけで、"EQ"値が上がるような気がする。

オジサンはお客のところへいったとき、相手の仕草、目の動き、タバコの吸い方からある程度相手の心理が読めるようになってきた。価格や契約条件の交渉のときなどに相手の本心がわかるので結構役に立つ。またクレームなども相手の立場になって理解するように心がけると、行き詰った問題などに解決策などを発見しやすくなってきた。仕事だけでなく一般的な生活にも役立つので、読者の皆さんも、"Empathy" にかぎらず、この EQ5項目を勉強されて実践することをお勧めしたい。

ところで、この機会に辞書というものについて少しお話したい。

一般的な人たちは中学生になったときに英語を授業で習ってきたわけだけど、勉強する際にはなんの疑問も持たずに「英和辞典」を使ってきたと思う。

この「英和辞典」というのはどのようにして作られたかというと、ウエブスターとか旧オックスフォードといった外国人向けに作られた英英辞典をもとに、むかしの日本人の英語の大先生が、ひとつひとつの英単語に関して、「定義づけ(defining)」という作業をして、日本語にしたものなのである。

ところが、英語の中には、"Empathy" のような日本語にはない概念を含んだ言葉があり、どうしても英和辞典では本当の意味がわからないものが多数存在する。

おそらく皆さんが英語の本を読んでいて、意味のわからない文章に出くわすことがあると思う。そんなとき、「自分の英語の力が足りないからだ…」なんて思ってあきらめていないだろうか。実は「英和辞典」の日本語の意味が間違っていたり、間違っていなくとも十分でないためにそのようなことが起きている可能性がある。特に、タイム誌などでは抽象性の高い単語や言い回しが多いので、「英和辞典」では完全に理解することは難しい。

また、大正時代あたりの英語の大先生がディファイニングしたものがいまだに使われていたりするシーラカンス語も多い。

たとえば、"inspire" という語なんかは、オジサンが30年前に使っていた英和辞書には、「~を鼓舞する」と出ていた。

いまどきの日本人で「鼓舞する」なんて古めかしい言葉を使う人がいったい何人いるだろうか。 "inspire" という語は欧米では Big Word ではない。一般的に使われる言葉だ。ロングマンでは以下のように説明している。

inspire = to encourage someone by making them feel confident and eager to achieve something :

上記の説明でおわかりのように、「~元気付ける」とか「~励ます」で十分だ。「鼓舞する」という言葉は、おそらく富国強兵の時代に英語の大先生がディファイニングしたものだろうが、オジサンの高校のときの英和辞典ではそれを金科玉条のように載せ続けていた。まったく 「英和辞典」出版社の怠慢としか言いようがない。

もうちょっとこのシーラカンス語を挙げてみよう。

オジサンの30年前の辞書には、"refer to" は、「~に言及する」とあった。

この訳語のためにいかに多くの学生たちや英語の先生たちが苦しんだことか。無理やり 「~に言及する」と訳語を入れるために、ヘンテコな日本語訳がたくさんできちゃった。ロングマンでは以下のように出ている。

refer to = to mention or speak about someone or something :

ご覧のとおり、とってもシンプル。「~について述べる」 または、「~について話す」で十分。「~に言及する」なんてギョウギョウしい日本語を使うべきではない。おそらく英語の大先生がウエブスターなんかをディファイニングした大正時代あたりの英語では「~に言及する」なんて意味があったのかもしれないが、言葉は生きている。時代の変遷とともに意味が変わってしまったのだ。

"nourish" なんて動詞も、「~を滋養する」なんてむっつかしい言葉が載っていた。

いまどき「~を滋養する」なんて言葉はほとんどの日本人が使わないだろう。オジサンこの言葉を聞くのは、「滋養と強壮にリポビタンD!」の宣伝くらいだ。「~に栄養を与える」でいい。

以上はオジサンが学生の頃に使っていた英和辞典に載っていたシーラカンス語だ。(この英和辞典は多くの高校の英語の先生方たちが絶賛していた辞書で、いわば受験生のバイブルであった。たぶんオジサンと同世代の読者は知っている有名な辞書だ。)

このようなシーラカンス語や本来の英語の意味を伝えていない単語は枚挙に暇がないくらいである。いちいち挙げていたら明日になっちゃうのでこの辺にしておこう。とにかく英和辞典には、このように日本語にない概念の英単語の意味を無理やり日本語に載せているものや、多少は改善されているかもしれないが、ギョウギョウしいシーラカンス語がいっぱい載っていると思われる。英和辞典を使うとこのようなヘンチョコな日本語に振り回されてしまう。

したがって英語の書物を読む場合、英和辞典ではどうしても限界がある。

だから英和辞典から英英辞典に切り替えるべきである。

オジサンは20年間ロングマンを使ってきた。

いままでに5冊のロングマンを使いつぶした。だいたい4~5年使うとボロボロになるので、そのたびに買い換えてきたのでわかるのであるが、ロングマンは常に版を刷新している。5冊目のロングマンはいまから4年くらい前に買ったものだが、驚くなかれ、例文にブッシュ大統領が出てくるものがある。また20年前に購入したロングマンと現在のロングマンでは語の説明のわかりやすさにおいて雲泥の差がある。20年間に格段に進歩している。英和辞典の怠慢にくらべロングマンは常に新しくする努力をしているのだ。

英語学習者用の英英辞典にはロングマンのほかに、コウビルドやオックスフォードなどがあるが、オジサンはロングマンをお勧めしたい。理由については、ロングマン仲間のあすくみさんのブログの英英辞典比較記事を参照願いたい。

http://japaneselife.blog49.fc2.com/blog-category-6.html

また、実際の英文を読む際のロングマン使用例としては、やはりロングマン仲間の Fumikaさんのブログを参照されたし。

http://fuik1007.at.webry.info/200611/article_9.html

いずれオジサンのブログでももっとくわしくロングマンの使い方と、英英辞典を使ったボキャブラリーの増やし方を説明する予定。

本日は相当長くなってしまった(いつものこと?)ので、ここで終わりたいと思う。

あとがき)

お疲れ様でした!

オジサン最初にこのブログを立ち上げたとき、本を読むことの重要性と英英辞典の使い方を10回くらいに分けてお話しようと思っていました。だから最初は3ヶ月くらいで終わろうと思っていたのですが、話し好きの癖が出て、英語学習とはあまり関係ない文化の違いだの、アメリカの歴史などの話しに脱線しちゃいました。お勧め本の紹介記事が終わったら、最終回に英英辞典についてちゃんとお話しますね。それまでもうちょっとお付き合いください。

来週は知ってるようで結構知らないストレスについて書いた本を紹介します。

次回の投稿予定は12月24日(日)です。

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オジサンお勧め英英辞典

ロングマン現代アメリカ英語辞典

オジサンが4~5年まえに5冊目に購入したロングマン。アメリカ英語に特化しており、タイム誌などを読むには必需品です。

ロングマン現代英英辞典

オジサンが最近購入したロングマン。英語、米語を幅広く載せており、英米人の小説などを読まれる方に最適です。

2006年12月10日 (日)

人生の達人

Anyone can become angry - that is easy. But to be angry with the right person,  to the right degree, at the right time, for the right purpose, and in the right way - this is not easy.

ARISTOTLE from The Nicomachean Ethics

前回の投稿の続きを話そう。

"Emotional Intelligence" の著者、ゴールマン博士は、スタンフォード大学心理学チームの実験結果から、人間の成功の可能性を測る尺度として、IQに代わる別の尺度があるのではないかと思うようになった。そこでフォーチュン誌にランクされる500社で成功を治めているマネージャー、スーパーセールスマン、エンジニアを対象に数千人規模の大々的な心理学調査を実施した。

その結果、成功する人たちには共通の資質があることがわかった。それは自己と他者の感情を適切に処理する能力があるということであった。

考えてみればこれは当たり前のことなのかもしれない。

無人島でたったひとりで暮らしているロビンソンクルーソのような人を除けば、人間が社会で生活していくためには人と交わっていかざるを得ない。そしてそれらの人たちは、アリストテレスが言ったように「感情の動物」なのである。

だから我々が家庭、学校、会社をふくめた人生において成功するかどうかは、自己および他者の感情をいかに適切に処理できるかという一点にかかっていると言っていいだろう。

ゴールマン博士はこれらの感情を処理する能力をさらに分析して、以下の五つのEQ項目を挙げた。

SELF-AWARENESS/SELF-REGULATION/MOTIVATION/EMPATHY/SOCIAL-SKILL

ゴールマン博士は上記のEQ項目の度合いが大きければ大きいほど人生で成功すると述べている。

皆さんのまわりで人望が厚く、リーダー格の人っていないだろうか。その人がグループの中に入ってくると、ぱっと明るくなったりする。そういう人をつぶさに観察するとわかることだが、自己および他者の感情をじつに上手に扱っているのがわかる。

世の中にはカリスマ性を持った人というのがいるが、そういう人たちは例外なくこのEQ5項目に関して飛びぬけた能力の持ち主だ。

オジサン一度だけカリスマ性のある人物といっしょに仕事をしたことがあった。オジサンが以前勤めていた外資の日本支社のマネージャーだった人だ。

カリスマ性を持った人は実に感情表現が豊かだ。しかもそれらの喜怒哀楽がこの時しかないという絶妙のタイミングで表現されるのが特徴だ。

このマネージャーに叱られても、その叱る時期、叱り方などがTPOを得ているので、思わず「ごもっとも!」って感じで納得してしまう。反感を持つことはまずなかった。また、新規顧客の開拓に成功すると、我が事のように本気でいっしょに喜んでくれる。本当にこの人のためなら、「夜中まで働いちゃおう!」って気になってしまうほどの人だった。「男が男に惚れちゃう」って気持ちがこの時はじめてわかった(ただし、オジサンはホモではありませぬぞ、念のため)。オジサンも含め十数人のスタッフたちはこのマネージャーを中心に一枚岩となり、日本での業績をグングン伸ばしていった。この人といっしょに働いていて我々スタッフは仕事に生きがいを感じることができたし、感動することも多かった。

このマネージャーは、残念ながらあまりに有能だったため、彼の上司だったアジア地区の統括責任者に妬まれて解雇されてしまった。しかしEQに長けた人はまさに人生の達人である。このような逆境にも負けず、半年間就職活動を続け、この人はまた別の外資の会社へ行ってマネージャーになり現在成功を収めている。

田中角栄なんて人もこのEQに長けた人だったのではないだろうか。

彼の政治における功罪はいろいろあろうが、死してなお田中角栄を尊敬して止まない人たちが多いのは、単に金銭的なつながり以上のものがあったからだと思う。それは田中角栄の人間的魅力である。田中角栄が史上最年少で通産大臣になったとき、通産省のエリート官僚たち(ほとんど東大法卒)は、尋常小学校しか卒業していない田中角栄をバカにしていた。ところが半年もしないうちに、彼ら全員が田中角栄に心服してしまった。田中角栄は感情の扱いが巧みだったからだ。彼は結婚式は代理を送っても、知り合いの身内に不幸があったときは、必ず自ら弔問に訪れたという。ここら辺にも田中角栄の他者に対する感情の細やかな扱いが感じられる。歴史的業績も含め田中角栄は稀有の政治家であった。田中角栄に限らず、ジョージ・ワシントン、劉備玄徳、西郷隆盛、といった歴史上の偉人たちもEQに長けた人たちだったのだろうと思う。

カリスマ性を持つまでは行かなくとも、これらのEQ能力がある程度備わっていれば、人間関係も円滑に行くのである。

そしてここが重要。

ゴールマン博士はこれらのEQの能力は努力することによって伸ばすことができると主張している。

実を言うとオジサンはこの "Emotional Intelligence" を機会あるごとに何度も読み返している。

仕事に行き詰った時とか、人間関係に悩んだ時とか。そうすると不思議なことに、そのたびに新たな解決の糸口なりヒントが得られるのである。この "Emotional Intelligence" という本に出会えたおかげで、オジサンは仕事上の営業がこれまで以上に自信を持ってできるようになり、より多くの業績もあげることができるようになった。

本というものはいろいろなタイプがある。

娯楽で一度読めばそれでゴミ箱にポイしちゃうような雑誌から、情報などを得る目的の参考書、最初から最後までを読んでストーリーを楽しんだり感動したりする小説の類。そして、この "Emotional Intelligence" のように、辞書を片手にじっくりと考えながら、作者と対話をし、なんども繰り返し読む必要のある本。このような本から得られる知識というものは、時間が経つにつれ、読者の心の中で徐々に熟成されていく。そしてまた読む。そうすることによってその知識がいずれ血となり肉となって内在化されて行くのである。

この "Emotional Intelligence" は、ビジネスに限らず、人間が生活していくあらゆる分野に関連している。

子育て中のお母さん、人間関係で悩んでいる人、これから就職しようとしている人、結婚を考えている人 親子関係で悩んでいる人、等々…。これらの人たちが "Emotional Intelligence" を読むと、おそらくオジサンと違った観点から読むので、また別の指針なり人生のヒントを得るに違いない。

この "Emotional Intelligence" という本は、人生の指針やヒントといった宝石がいたるところにちりばめられている宝島である。読者の皆さんもぜひこの宝島へあなた自身の宝探しの旅へ出られたらいかがであろか。

"Emotional Intelligence" は皆さんの生き方を根本から変えてしまうほどの内容のある本である。

あとがき)

読者のみなさ~ん、長い文章を読んでお疲れ様でした!

ゴールマン博士はEQに関して2冊の本を書いています。

1990年代の前半に出版した "Emotional Intelligence" と 1990年代の後半に出版した "Working with Emotional Intelligence" です。前者は最初、教育界向けに書かれた本です。どちらかというと学術書に近く、多少の読みづらさがあるかもしれません。この "Emotional Intelligence" が出版されて、その反響が大きく、特にビジネス界からの問い合わせが殺到したため、ゴールマン博士が一般の人たち向けにわかりやすく書き直したのが "Working with Emotional Intelligence" です。

もし、みなさんの中で小説以外のペーパーバックしか読んだことがなく、ちょっと自信のないという方は "Working wtih Emotional Intelligence" から入っていくことをお勧めします。またペーパーバックも読んだことがない方でも、辞書を片手に十分読んでいけるレベルの文章ですので安心してください。時間をかけて考えながら、じっくりと読んでいく価値のある本です。

来週は "Emotional Intelligence" で言い残したことを簡単に付け加えたいと思います。

来週の投稿は12月17日(日)を予定しています。

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オジサンのお勧め本

"Emotional Intelligence"

"Working with Emotional Intelligence"

2006年12月 3日 (日)

新しい「ものさし」

日本ではIQ(知能指数)の人気は依然として高い。

テレビではIQを引用したクイズ番組なんかが大人気。IQサプリ、平成教育委員会 etc.etc.…また、IQを高めるための「幼児教育」本の売り上げも絶好調。だから日本人はIQの信奉者であるといってもよいかも。

もともとIQ(intelligence quotient)とは、知能のレベルを数値にあらわすことを目的にアメリカで開発されたものである。その歴史は結構古く、第一次世界大戦中にアメリカ兵の知的レベルを測るためにIQテストを実施したという記述もあるくらい。

その本家本元のアメリカではIQは現在どのように考えられているか。

実は現在のアメリカでは、IQはほとんど「死語」になっている。アメリカではだ~れもIQなんて相手にしていないのである。

もとからアメリカ人はIQなんて信じていなかったってわけじゃない。それどころか、アメリカ人ほど強烈なIQ信奉者はいなかったのである。アメリカ社会はIQ社会だったと言って良い。日本なんて比較にならないほどだった。

アメリカでは1980年代まで、IQは人の「将来の成功の可能性を測る尺度(Yardstick)」として強く信じられていたのである。だれもそのことを疑う者はいなかった。

特に企業では、頭脳労働者を採用する際にはこのIQ値を重視していた。アメリカの多くの企業はハーバードやマサッチューセッツなんて有名な大学のMBA(経営学の資格)を取った人を競って求めたのである。有名大学のMBAは高いIQ値を証明していたからだ。

オジサンも1980年代にアメリカの会社へ訪問すると、若いマネージャー(部長、社長クラス)が出てきたりしてビックリしたものだ。彼らはMBAを取得しており、学校を卒業して企業に入るとすぐにマネージャーのポストにつくのである。

ところが、そんなIQ万能の社会だったアメリカであるが、1990年代に入って様相が一変した。

誰もIQを信用しなくなった。IQは過去の遺物(things of the past)とばかりに、だれも見向きもしなくなってしまったのである。

その理由はある一冊の本が世に出たからである。

この本がきっかけとなって、多くのアメリカ人は人間の「知性」というものについて根本から考え方を変えてしまった。

そのきっかけとなったのは、"Emotional Intelligence"という本である。

書いたのは Daniel Goleman という心理学者だ。

ゴールマン博士はこの本の中で、スタンフォード大学で行われたある心理学の実験結果を発表した。

この実験は信じられないような未曾有の実験だった。おそらく今後ともこれほどの大掛かりな心理学実験は行われないだろうと言われている。

スタンフォード大学では1960年に無作為に選んだ4歳の子供たちを集め、IQテストはもとよりいろいろな心理学上の実験を行った。そして、なんとその子供たちをその後も30年以上追いかけて調査を続けたのである。

その結果、多くのことがわかったが、IQに関してはこんなことがわかった。

IQの数値と社会に出てからの「成功の度合い」には、ほとんど相関関係は見られなかったということである。

学生時代に高いIQ値を示した人でも、社会に出て成功した人もいれば、クスリや酒に溺れ、貧困の生活をしている人もいた。また、IQ値が低い人でも成功をおさめた人もいれば、そうでない人もいたのである。

つまり、スタンフォード大学の心理学チームは、30年以上の歳月をかけて、IQは「将来の成功の可能性を測る尺度(Yardstick)」とはならないことを明確に証明したのである。

アメリカ人はとても合理的な国民である。このようなはっきりとした結果がでると、半世紀以上信用してきたIQをピッタリと使わなくなってしまった。「こんな無用なものはいらない!」って感じで、さっさとIQを「知識のゴミ箱」へポイしちゃった。だから現在はアメリカでIQを口にするのは障害者を治療する医者くらいで、IQが人々の話題になることはまったくなくなってしまったのである。

このスタンフォード大学の実験は、これだけで終わらなかった。

ゴールマン博士は、この本のなかでもっとすごい実験結果を発表した。

それは「マシュマロと子供たち」という実験の結果である。

これはどのような実験かというと、4歳のこどもを数人づつ部屋へ入れ、各子供たちの前へマシュマロ1個を載せたお皿を置き、「今マシュマロを食べてもいいけど、先生はこれから用事で出かけるね。もし帰ってくるまで待っていられたら、ご褒美にもう一個マシュマロをあげるね」という条件付けをするものである。

4歳の子供にとってマシュマロを前にして待つ時間というのはとても長く感じられるものであることは容易に察しがつくであろう。我慢ができずにマシュマロを食べてしまった子供もいたが、我慢して食べずにがんばり、見事にもう一個ゲットした子供もいた。

そしてゴールマン博士はこの「マシュマロと子供たち」に参加した子供たちの30数年後の結果も発表した。

その結果は驚くべきものであった。

我慢をして2個目のマシュマロをゲットした子供たちはその後の人生で、例外なく全員が成功していたのである。

この「マシュマロと子供たち」の実験結果は、特に教育界に衝撃を与えた。

ともすれば、我々は「幼児教育」はその子のためになるってことで、小さいときから英語や算数などの詰め込み教育をしがちであるが、子供にとってもっとも大切なことは我慢をさせさせることなのである。むかしから言われるようにしつけということかもしれない。我慢をして目標を達成する喜びを知っている子供は、その後の人生においても、目標は「マシュマロもう一個ゲット!」から、「大学入試」、「売り上げ目標達成」、「新しい起業」等にに変わっていくが、マシュマロの時と同様に同じことができるのである。フロイト先生は幼児体験こそが人格を形成するといったがまさにそのとおり。三つ子の魂百までというではないか。んっ、この場合は四つ子の魂か…?

ゴールマン博士はスタンフォード大学の実験から、人の「将来の可能性を測る尺度(Yardstick)」はIQとは別にあるのではないかと考えるようになった。

そして、AT&T、Pepsico、IBMといった大企業のあらゆる業種で成功をおさめているマネージャー、スーパーセールスマン、エンジニアといった人たち数千人を調べてみた。その結果、成功する人たちにはある共通した部分があることに気がついた。

それは、ビジネスの世界で成功している人たちは、全員が自己および他人の感情(Emotion)を適切に処理できる能力を持っているということである。

これはよく考えると当たり前のことなのかもしれない。

アリストテレスは「人間は感情の動物である」と言ったが、ある調査によると我々人間の日常生活の97パーセントは感情で支配されているという。そして我々がビジネスでも人生においても成功するかどうかというのは、自分自身も含め、このような感情を持った人間といかにしてうまくつきあって行けるかということにかかっていると言っていい。

たとえばビジネスの世界ではクレームはつきものだ。怒ってどなりこんできた顧客に対し、相手が間違っていることを理論的に説明したとしても、「あっ、そうか、な~るほど!」って納得してくれる顧客はほとんどいないのである。相手は理論的に動くコンピュータではない。感情で動く人間なのである。理論的に相手が間違っていることを喝破しても、ほとんどは火に油の状態になっちゃう。腕のいいセールスマンならまず相手の立場になって話を聞き、顧客の怒りがある程度おさまってから、会社側の事情を説明するであろう。

読者の皆さんも経験がないだろうか。相手の方が正しいのは頭ではわかっていても、理路整然と説明されると、かえって反抗したくなっちゃうってこと。しまいには「あいつは理屈っぽい!」って切り捨てちゃったりする。

ゴールマン博士はIQではなく、将来の成功の可能性を測る「新しい尺度(Yardstick)」としてEQ(感情指数)というものを提唱した。以下の6項目のレベルが高ければ、ビジネスでも人生でも成功する可能性が高いとしている。

SELF-AWARENESS/SELF-REGULATION/MOTIVATION/EMPATHY/SOCIAL-SKILL

そしてここが重要。

ゴールマン博士はこの「新しい尺度(EQ)」はIQと違い、訓練によって伸ばすことができると主張している。

ここからが、実は大切なところなのであるが、ちょっと長くなってしまったので、この続きは次回の投稿にしたい。

あとがき)

読者のみなさ~ん、いつもご愛読ありがとうございます。みなさんの中で興味があって上記の本を購入される希望の方がいらっしゃれば、来週まで待って下さい。EQに関してもう一冊ご紹介したい本があります。どちらにするかは来週決めてください。

そんなわけで来週もEQの続きをお話します。それじゃ、応援のクリックをよろしくお願いします。ばいばい。

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追伸)

コンピュータ音痴のオジサンですが、今日一日かけて本の写真を貼り付ける技術をようやくマスターしました。疲れた~。でも超うれしい!参考にしてね!

追伸の追伸)

そうそう皆さんにご紹介したいブログがあります。

オジサン前にAFNのラジオ番組 "Focus On The Family"を聴くと、本当のアメリカがわかるとお話したことがありますよね。じつはもうひとつ聴いていた番組があります。それは「ドクター・ローラの人生相談」です。この番組は「家族の焦点」どうように、一般のアメリカ人が主体です。文化的背景が違うので彼らの悩みは日本人の感覚からは多少ズレが生じますが、かえってそのために等身大のアメリカを知ることができます。そしてこのあいだ、この番組のマニュスクリプトを提供しているブログを偶然発見しました。

http://blog.goo.ne.jp/godrlaurago/e/721b467f0d904b02b0ed54dbb88d39f7

ドクター・ローラの明快な発言は人生の指針になります。ぜひ参考にしてみて下さい。ドクター・ローラの人生相談はAFNの日曜日午後6時にやっています。初めてドクター・ローラの番組を聴く人はその圧倒的なパワーに驚かれると思います。

追伸の追伸の追伸)

ラクーンぽんさんへ。

安部総理の本を買いました。まだ繁忙期で今はなかなか時間をとってじっくりと考えながら読めませんが、いずれ感想をこのブログで書きますね。

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2006年11月26日 (日)

文章に説得力をつけよ!

"Your letter is so persuasive, I'm excited about your products!"(君の手紙は非常に説得力があるな!君の会社の製品に興味を持ったよ。)

今から12~3年ほど前にアメリカのボイラーメーカーの社長からもらったファックスメールの最初に書かれていた1文である。当時、オジサンが勤めていた会社では産業用の特殊ガラスを製造しており、アメリカのボイラー製造メーカーへ売り込みをかけていた。上記のメールはオジサンが出した手紙に対しての返事がきたものであった。「話す」英語はほめられたことがあったが、「書いた」英語の文章をほめられたのはこのときが初めてであった。

日本語でもそうであるが、「あなたは日本語をしゃべるのが上手だ。」と言われるよりも、「あなたの書く日本語の文章は説得力あるね」と言われたほうがうれしいもの。英語の場合はなおさらだ。オジサン結構おだてられると、木にでも電柱にでも登っちゃう方なので、このときのことは非常にうれしくて良く覚えている。

おもしろいことにこの時を境にして、外国人から書いた英語の文章を誉められることが多くなってきた。

また、当時お付き合いしていた日本の大手プラントメーカーゼネコンの社内で、「納入業者の中ですごい英語使いがいる」ということがうわさになり、時折海外との折衝する英文レターの代筆も頼まれるようにもなってきた。

自慢話じみたことを言って恐縮であるが、オジサンが言いたいのは、どのようにすれば説得力のある文章が書けるようになるかということ。もうちょっと付き合ってほしい。

思うにこの時を境にと言ったが、じつはこのころからオジサンの中でもあるひとつの変化が現れてきた。

外国の顧客と交渉するレターを書く時や、売り込みの営業をかけるレターを書くとき、それまでは、起承転結を考えて、文章を推敲して、結構苦労して書いていた。ところが、この時期から、ある説得の方向性が決まると、不思議に日本語を意識せずに英文がまるでメロディのように頭の中に浮かんできて、それを書き留めるという感じで文章が書けるようになってきた。

これができるようになった要因はいろいろあるが、大きなものは読書だと思う。

このころペーパーバックの通算読書数が500冊を超えていた。おそらくある一定量を超えると誰でもこのようになるのだと思う。

日本語の文章でも、上手な人は例外なく読書家が多い。自我自賛で恐縮であるが、英語でも同じだと思う。

だから、なんども繰り返して耳に(目?)にタコができているかも知れないが、

語学の基本は読むことである。

「読む」という行為は、「聞く」、「書く」、「話す」という他の3つの行為と有機的に関連しているのだ。

それともう1つ言わせてもらえると、書く英文に説得力をつけるには、タイム誌を読むと役立つ。

残念ながら、初心者にはタイム誌は勧められないが、英検2級取得者やそれ以上を目指す人はある程度タイム誌が読めるはずだ。タイムのカバーストーリーの論旨の展開は非常に参考になると思う。タイム誌のカバーストーリーの最初のパラグラフは、読者をぐっとひきつける出だしになっているものが多い。あのテクニックをマスターすると良いだろう。

ビジネスレターでもスピーチでも、最初の数行または最初の20秒のトークで相手を惹きつけられれば、交渉ごとは半ば成就したようなものだ。英検1級の2次試験にも役立つと思う。

オジサンは一時期タイムのカバーストーリーで気に入ったものは写し取って何度も「読み流し」をした。

以前、「英語の聞き流し」学習を薦めたことがあるが、「タイム誌の読み流し」も、英文の説得力をつけるのに効果がある。一度辞書等で丹念に読んだら、あとは気楽に音読でも黙読でも良いから何度も読む。ポイントは暗記をすることではなく、ストーリーの展開をメロディーを聞く感じで、体感すること。こうすることによって、起承転結を考えずとも書くときに自然に説得力のあるストーリー展開が出来てくる。

ぜひお試しあれ。

あとがき)

読者のみなさ~ん、いつもご愛読ありがとうございます。

来週は数回に分けてラクーンぽんさんにお約束した本のご紹介をさせていただこうかと思っています。

オジサン30歳からこれまで年間40冊~50冊くらいくペーパーバックを読んできましたので、おそらく700冊から800冊くらいの間の数のペーパーバックを読んだと思います(書斎の本棚にはいま500冊くらいありますが、処分してしまったものもあり、また図書館なども利用していたので正確な数は不明)。

ほとんどジャンルを決めずに手当たりしだい読んできました。シドニーシェルダンの大衆小説から自然科学、フロイトなどの心理学書、ウェールズ等の世界史、果ては宗教本まで。系統的に読んできたわけでないので、ほとんど雑学的になってしまい知識の深さがありません。まとまりのあるお話しができるかどうか自信はありませんが、そのなかで面白かったものを何冊か紹介させていただきます。

まず第一回目は、1990年台前半に出版された本で、おそらく多くのアメリカ国民の知性というものに対する考え方を180度変えてしまったベストセラーを紹介します。この本の登場によって欧米企業の雇用の際の採用基準が大きく変わってしまったとも言われています。外資を目指す方は必見です!

来週の投稿は12月3日(日)を予定していますが、繁忙期のため遅れた場合はご容赦を。

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2006年11月19日 (日)

徘徊する怪物

アメリカ人は民主主義がだーい好き。民主主義の国であることに誇りを持っている。

アメリカの歴代の大統領の演説でも「ディモークラシィ」の言葉を聴かない時はないと言っていいくらい。大統領の演説はまさに「ディモークラシィ」のオンパレードだ。

彼らが「ディモークラシィ」を口にするとき、そこに誇り、畏敬の念、意気込みといったものを感じるのはオジサンだけだろうか。イラク問題に関して、ブッシュが「ディモークラシィを守るための戦い」と言うのと、安部総理が「民主主義を守る戦い」と言うときの「ディモークラシィ(民主主義)」の重みの違いをつい感じてしまうのだ。

アメリカ人と日本人の考え方の違いということをテーマにこれまで何週かにわたってお話してきたが、この「民主主義(democracy)」という言葉も水風呂とサウナくらいの温度差を感じる言葉である。

今回はこの「民主主義(democracy)」という言葉を通してアメリカ人と日本人のメンタリティの違いを見てみたい。

まずは「民主主義(democracy)」のおさらいをしよう。

「民主主義(democracy)とは一言でいうと何でしょうか?」

こんな質問を日本人にしたらなんて答えるだろうか。

オジサンも含めて普段から民主主義なんてあんまり考えたことがない人が多いので、けっこう戸惑っちゃうのではないだろうか。国民主権で、選挙があって、国民の代表者が国会で首相を任命して、言いたいことが言えて…etc.etc.

いずれも間違いではないと思うが、オジサンの知っている範囲内でアメリカ人に聞いてみたところ、さすがアメリカは民主主義のお手本の国、たいがいの人は明快にこう答えてくれた。

「民主主義(democracy)とは三権分立(separation of powers)のことである」と。

三権分立って聞くと、あっ、そうそう倫理社会で習ったあれね!って思い出すと思う。権力を司法、立法、行政の三つにわける方法である。(今は倫理社会なんて言わないかな?ただの社会科?)

我々はこの「三権分立(separation of powers)」を倫理社会なんかで簡単に習ってきたわけだけど、実はここにいたるまでには、人類の長い「権力(power)」との壮絶な戦いの歴史があったのだ。近代民主主義の歩みは権力との戦いであったといってもよい。

「怪物が人々を食い殺そうとヨーロッパ大陸を徘徊している」

と、言ったのは17世紀のイギリスの思想家トーマス・ホッブズという人。彼は「権力(power)」を聖書のヨブ記(Job)に出てくるリヴァイアサンという巨大な怪物にたとえた。

たしかに、権力が一人の人間に集中すると、あるとき突然に怪物のように暴れまわることがある。

近年の例でいえば、ヒトラー。

もともとヒトラーは若いころは画家志望の青年で、動物を殺生することを嫌い、ベジタリアンになったほどの心のやさしい性格だった。そんな彼がひとたび権力を握ったとたんに、人が変わったかのようにバッサバッサと人を殺し始めた。殺されたユダヤ人は700万人と言われている。日本人はヒトラーというとユダヤ人だけ殺したと思っている人がいるけど、ポーランド人やスラブ人、エホバの証人なんて人たちも数百万人規模で強制収容所で殺しているのである。たしか映画にもなったことがある Sophie's Choice という小説では、ナチスの収容所所長(ヒムラー)がポーランド人女性(Sophie)に彼女の二人の子供のうちどちらか一人をこれからガス室へ送るが、どっちの子供をガス室へ送り、どっちの子供を助けるかなんて残酷な選択をさせる場面がでてくる。一説ではヒトラーに殺された人は全部で1000万から1100万人くらいとか。東京都の全人口の約8割以上に当たる規模だ。

ヒトラーほどではないが、スターリンやポルポトも数百万人規模で人々を虐殺している。スターリンもポルポトも、権力の座にすわる前は、仲間から「素朴でやさしくて人望のある人」と、すこぶる評判の良い人たちであったのである。そんな彼らがひとたび権力を握ったとたんにバッサバッサと人を殺し始めたのである。あたかも悪魔が乗り移ったかのような所業…

まさしく権力とは魔物。怪物である。

こんなおそろしい怪物(権力)を野放しにしていたのではいくつ命があっても足りないってことで、長い間人類はこの怪物をどのように鎖でがんじがらめに縛り付けるかという方法を探してきた。

そしてたどり着いたのが、権力を三つに分散しようということだった。

いわゆる我々が学生時代に倫理社会で習った「抑制と均衡(check and balance)」という方法である。

最初にこの方法に気がついたのは18世紀のフランスの思想家・モンテスキューという人。

「法の精神」って本のなかでこの方法を提案した。

ただし彼の考えた三権分立は、立法権は国民が持つが、行政権と司法権は王様と貴族が持つという不完全なものであった。

この三権分立を完全なものにすることによって人類史上はじめて権力という怪物を鎖でがんじがらめに縛り付けることに成功した人は、アメリカ合衆国の建国の父・ジョージ・ワシントンである。

ジョージ・ワシントンは独立戦争後に憲法制定会議議長として当時の知識人を集め、いかにこの恐ろしい怪物を封じ込めるかに苦心惨憺した。そしてついに国民による完全な三権分立のシステムを憲法に盛り込み、現在のアメリカ合衆国の民主主義を完成させたのである。

もしジョージ・ワシントンがこの世に生き返ったら、ワシントンに100個くらいのノーベル平和賞をあげちゃってもいいくらいだ。それほどの価値がある歴史的偉業だった。モンテスキューにもアイデア賞ということで奮発してノーベル平和賞を10個くらいあげてもいいかも。

…と、民主主義とはなにかということをオジサン風にアレンジして簡単に説明してきたが、これからが本番。

アメリカ人と日本人は民主主義(democracy)に対してどんな感覚を持っているか。

かの有名なフロイト先生によると、幼児体験こそが人格形成を決定付けるとか。小さいときに体験したことは、無意識のうちにその人の考え方や行動を規定する。三つ子の魂百までと言うではないか。

国家および国民も同じではないだろうか。

民主主義国家が形成されるときの初期の体験がその後の国家および国民の気質に大きく影響を与えると思う。

アメリカ合衆国が民主主義国家となった1778年ころの歴史的体験と、日本が民主主義国家となった戦後の歴史的体験が、それぞれの国の民主主義に対する考え方に大きく影響を与えている。

ご存知のようにアメリカ13州はイギリスと戦争をして、独立を勝ち取った。

当時のアメリカ人の考え方をよく表しているのは、トーマス・ジェファーソン(のちの第3代大統領)の起草した「独立宣言書」だと思う。

この宣言書には、人間は本来自由であり、主権は国民にあるとしている。

そして、ここが重要。

この権利を侵すものに対して国民は武力をもって戦う権利があると宣言している。

つまり、彼らの感覚からすると、民主主義というのは戦いによって勝ち取り、かつ守らなければならないものであるという感じが強い。

片や、日本はというと、日本は海に囲まれている国だったので、元寇を除けば外から攻められるということがなかった。豊富秀吉の朝鮮遠征、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争、すべて日本から仕掛けた戦争だった。そして太平洋戦争ではアメリカにボコボコにやられちゃった。戦後、進駐軍が入ってきて民主的な憲法を作らされて今日に至っている。

日本の場合は与えられた民主主義なのである。自分で勝ち取ったものではない。

この戦中および戦後の体験から日本は自ら外に出て悪いことをしなければ、平和でいつまでも民主主義が続くという意識ができてしまった。

日本国憲法の前文(平和の願い)と9条(戦争放棄)はこの感覚をよく表している。

この民主主義に対する感覚の違いは大きいと思う。

アメリカ人がもっとも恐れることは、民主主義(democracy)が存続しないことなのだ。彼らは本気でこのことを心配している。

逆に今の日本人でアメリカ人のように民主主義が永続するかどうかを危惧している人って少ないと思う。

もちろん十人十色でいろんな人がいるから100パーセントではないが、オジサンの知っている範囲のアメリカ人に、「あなたは民主主義を守るために命をかけて戦うか?」と、質問してみた。すると彼らは例外なく真顔になって、「もちろん!」と答えた。

もし同じ質問を日本人の友人に尋ねたらおそらく、「どうしたんだそんな変なことを聞いて?最近仕事が忙しくって、ストレスが相当たまっているのか?」って心配されちゃうと思う…。

なぜ、今回の投稿で「民主主義(democracy)」の問題を取り上げたかというと、アメリカ人の世界観がわかるからだ。

彼らが今一番恐れる国は、民主主義の反対の国なのである。つまり権力が一人の個人、ひとつの党、一人の宗教指導者に集中している国である。彼らからするとそういう国は、あたかも怪物が放し飼いになっている不気味さがあるようだ。

だから我々日本人からすると、そういった独裁国家(dictatorial regime)または宗教国家(theocratic nation)に対する彼らの対応が、ときどき過剰反応に見えたりするのである。

イギリスと日本を除いて世界中が反対したにもかかわらず、アメリカ国内でイラク侵攻を強行したブッシュの国民の支持率が80パーセント以上あった理由はここにある。イラクがフセインの独裁政権だったからだ。たしかにその後の混乱があり、支持率は低下、ラムズフェルドは首をちょん切られた。しかし、3000人近くの戦死者を出しているにもかかわらず、ブッシュは弾劾裁判にかけられたわけではない。それはアメリカ国民が民主主義は戦って守るものという感覚を持っているからだ。もしこれが日本であれば、アメリカの100分の1の犠牲者であったとしても内閣は総辞職になっていたことだろう。日本国民はそれを許さなかったに違いない。

オジサンは決してアメリカに同調しているわけでも擁護しているわけでもない。また日本の平和主義を否定しているわけではないことを理解してほしい。このブログは英語ブログであって政治の意見を述べるブログではない。読者の皆さんには彼らと日本人の民主主義の考え方の違いからアメリカ人の世界観を知ってほしいので、今回あえて「民主主義(democracy)」なんて、英語ブログとはちょっと離れたテーマに取り組んだしだい。

「相手を知り、己を知れば百戦あやうからず」のたとえとおり、相手と交渉するとき彼らの考え方を知っておくことは有効である。また、タイム誌などを読んでいてもアメリカ人の行動がより深く理解することができると思う。

ご参考になれば幸いである。

あとがき)

読者のみなさ~ん、毎度長~いブログを読んでありがとうございます。今回は投稿がいつもより遅れてすみません。仕事が繁忙期になってきたので、昨日は夜遅く帰ってきたので疲れちゃっていつものように記事を書けませんでした。

アメリカ人と日本人についてここ数週間書いてきましたが、ある程度ディフォルメしてますので、そこのところはご容赦くださいね。「俺だって民主主義は危惧している!」とか、「私のアメリカ人のカレシに聞いたら、民主主義のために戦わないで私といっしょに山に逃げると言ってたわよ!」、なんて投書いただいてもオジサン困っちゃいますから…。

来週の投稿は11月26日(日)を予定していますが、出張が予定されているので、ひょっとしたら遅れるかもしれませんのでご了解ください。

最近歴史ブログみたいになっているので、来週は英語の話題に戻そうと思っています。説得力のある英語の文章を書くコツのようなものをお伝えしようと思っています。

それじゃ、寒くなってきたので風邪に気をつけてね。

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2006年11月12日 (日)

5ドル紙幣の偉人

アメリカ人は大統領好き。

公共の施設や乗り物に大統領の名前をつけちゃうくらい。ケネディ空港、首都ワシントン、空母アイゼンハワー等々。映画も大統領が主人公のものが多い。JFK、インディペンデンス・デイ、エアーフォース・ワン、ディープ・インパクト、アメリカン・プレジデント等々…。

これ日本じゃ考えられない。

「安部さん通り」、「小泉純一郎・国際空港」、「空母・森喜朗」なんてピンとこない。宮沢喜一さんや鈴木善幸さんが主人公の映画なんて、観に行こうという気にならない…。

なぜそれほどアメリカ人は大統領が好きなのか。

それは彼らが大統領に理想的なリーダー像を見るからだ。大統領は彼らの憧れなのである。だから歴代の大統領は「強いリーダーシップ」を発揮しようとする。大統領はアメリカ人のヒーローであり続けなければならない宿命にあるのである。

それに対し、日本の首相はいわば「村長(むらおさ)」とか、「村の庄屋」に近い。みんなの意見の調整役みたいなもの。「和」を崩さずに物事を進めていくことが望まれる。ヒーローになる必要はないのだ。

このようにアメリカ人は大統領が大好きなのであるが、

歴代の大統領の中でも特に人気があるのが、初代大統領ジョージ・ワシントンと16代大統領エイブラハム・リンカーンである。

なぜワシントンとリンカーンが他の歴代の大統領よりアメリカ人から尊敬されているかというと、彼らの歴史的業績が突出しているからなのである。

この二人はそれぞれ1ドル紙幣と5ドル紙幣の肖像画にもなっているほど。(アメリカでは歴史上の業績が大きいほど小額紙幣の肖像画となる。)

ジョージ・ワシントンのすごすぎる歴史的偉業は前回の投稿でお話した。

それではエイブラハム・リンカーンの偉大な歴史的業績とはなにか?

それは、奴隷を解放したことである……

と、言うのは日本人的考え方。

アメリカ人はそのように見ていない。

確かに奴隷解放宣言は人道的観点から高く評価されるべきことであるが、リンカーンの歴史的業績がそれだけであったなら、偉大なる「建国の父」、ジョージ・ワシントンと肩を並べることはなかったであろう。

エイブラハム・リンカーンの偉大な業績とは、

類まれなリーダーシップと勇気ある大英断によってアメリカ合衆国の分裂を防いだことである。

そして、ここがポイント。

リンカーンの偉大な業績は、国民意識(nationalism)を高め、アメリカ合衆国を真の国民国家としたことである。

残念ながら、このように述べても、多くの読者には、リンカーンのこの偉業がどれほどのものなのかピンっとこないかもしれない。なぜかと言うと、我々日本人は長いこと単一民族社会(homogeneous society)に住んできたから、国家というものの大切さと脆(もろ)さを認識していないからだ。多くの日本人が国家というものが空気のごとくいつまでもそこにあるという感覚をもっている。

リンカーンの偉大な歴史的業績を理解するためには、どうしても、国民意識(nationalism)の重要性と国家というものの脆(もろ)さを説明しなければならない。

国民意識(nationalism)とは、「自分はその国の国民である」と、いう帰属意識のことである。自分は日本人である。自分は韓国人である。自分はインド人であるという意識である。

ナショナリズムについて話すというと、「おっ、オジサンは右翼だったんだ!」と、思われちゃうかもしれないけど、オジサンの知っている限りでは、国民意識(nationalism)を軽視している国は日本だけである。

オジサンはこれまで仕事で20ヵ国以上を訪問してきたが、どの国も国民意識(nationalism)を高めるために一生懸命だ。卒業式やスポーツイベントのときなどは国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前。ソウルオリンピック前の韓国であったが、面白半分にオジサン一度ポルノ映画を観に行ったことがあった。映画が始まる前にスクリーンに突然、韓国の国旗が写され、観客が一斉に立ち上がって国歌を歌い始めたのだ。これには驚いたのなんのって。ポルノを観ようと映画館に行ったが意気消沈してしまった。(いまから20年以上前のことで今はさすがにポルノの前に国歌斉唱はないと思うが…)

とにかく、国家はことあるごとにあの手この手で国民意識(nationalism)を高めようと努力する。

なぜかと言うと、国民意識(nationalism)は国家を形成するひとつの大きな要因だからである。

特に多民族社会(heterogeneous society)では、国民意識(nationalism)は国家存続を左右する重要な基盤である。

国民意識(nationalism)が欠如するとどのようなことが起きるか。

国家というのは案外脆(もろ)いものなのである。

多くの人が1990年代のソ連崩壊やユーゴスラビア、チョコスロバキアが分裂したことを記憶していると思う。

旧ソ連邦では、そこに暮らしていた人たちは「自分はソ連人である」と、思っていなかった。ほとんどの人たちが、自分はロシア人である、自分はウクライナ人である、自分はリトアニア人であると思っていた。だーれも「自分はソ連人である」と、思っていなかった。だから、ペレストロイカでクレムリンのにらみが緩んだ途端に、あっという間に国家が崩壊してしまった。旧ユーゴスラビアや旧チェコスロバキアも同じ。だーれも自分がユーゴスラビア人やチョコスロバキア人であると思っていなかった。ソ連が崩壊したらユーゴスラビアもチョコスロバキアもたちまち分裂して混乱を生じてしまった。

現在のイラクの混乱も同じ。今のイラクの人たちの帰属意識はシーア派やスンニ派といった宗教やクルド人といった民族にある。「自分はイラク人」であるという国民意識(naionalism)が希薄。アメリカが手を引いたら、いずれ国民議会が解散して、それぞれの宗派や人種に分裂してしまうことは火を見るより明らか。テロリストの目的もそこにある。ディモクラシーは雲散霧消し、いくつかの独裁的な宗教国家(theocratic nation)が出現することになるだろう。これでは元の木阿弥(back to square one)だ。そこに引くに引けないアメリカの苦悩がある…

このように、国民意識(nationalism)が希薄だと、多民族国家(heterogeneous nation)は、なにかの拍子にあっというまに分裂してしまうという危険にさらされている。

アメリカ合衆国も同じだった。

1787年にジョージ・ワシントンによって憲法が制定されアメリカ合衆国が誕生したが、国民意識(nationalism)は非常に希薄であった。多くの人たちは自分たちの住んでいる州や人種、宗教に帰属意識があった。自分はバージニア州人である、自分はコロラド州人である、自分はクエーカー人である、自分はカトリック人であるという感じで、

自分たちはアメリカ人であるという帰属意識がなかった。

そしてアメリカ合衆国が建国されてから70年も経つと、多くの移民が移入してきて、さまざまな人種や宗教の異なる人たちによる多民族国家となっていた。また、北部と南部で発達した産業も異なり、利害の対立も大きくなってきた。北部では工業が発達していったので、海外からの安価な製品が入らないように保護貿易を求めた。また、労働の質を高めるために労働市場の自由化が不可欠で、奴隷制は足かせになっていた。逆に南部では奴隷制をベースに大農場で安価な農産物を作っていたので、奴隷制の存続と自由貿易を求めていた。そんな利害対立があって南部では独立の気運が徐々に高まっていったのである。

そんなころにリンカーンは第16代大統領になった。

リンカーンが大統領になると同時に、南部諸州では別の大統領を作り、独立を図ったのである。これに対しリンカーンは当初粘り強く独立を思いとどませるために交渉をした。交渉の過程では南部諸州が独立を思いとどまるならば、奴隷制は存続させるとまでの譲歩をしているのである。リンカーン自身はそれほど奴隷制廃止に固執していなかった。リンカーンにとって重要なことはアメリカ合衆国を存続させることだったのである。

最終的に話し合いで収まらず、リンカーンは南部諸州を武力で制圧することを決断した。

リンカーンの政治的センスのすぐれたところは、単なる南部諸州との交渉カードであった奴隷制廃止を、人道的な問題として前面に押し出し、いち早く西部諸州や外国の支援を取り付けたことにある。一進一退の攻防であったが、このリンカーンの外交センスの良さが最後の南北戦争の勝利の決め手となった。

エイブラハム・リンカーンの戦争を起こしても分裂を避けるという大英断がなければ今のアメリカ合衆国はなかったのである。

そしてここが重要。

戦争が終わり、リンカーンは多くの兵士が命を落とした戦闘の地ゲティスバーグで、集まったおおぜいの人々を前にあの有名な演説をおこなった。

言葉というものは不思議なものである。

何万言を語りつくしても通じないこともあれば、短くても心に響く言葉というものがある。

このときのリンカーンの言葉がそうであった。

わずか2分足らずのスピーチであったが、リンカーンの「デモクラシーとは国民の国民による国民のための政治である」という言葉に人々は強く心を打たれたのである。

この国民(people)とは、北部の州の人も南部の州の人も、白い人も黒い人も、クリスチャン教徒もイスラム教徒も、みーんな平等にアメリカ国民であるとの宣言であった。

このとき初めて人々の心の中に、「自分たちはアメリカ国民である」と、いう国民意識(nationalism)が芽生えたのである。

62万人の戦死者をだすという、つらい陣痛をともなったが、アメリカ合衆国が名実ともに国民国家として生まれた瞬間であった。

ジョージ・ワシントンが建国した民主主義の国が、エイブラハム・リンカーンによって初めて真の国家として完成されたのである。

だから、アメリカ人はエイブラハム・リンカーンを「第二の建国の父」と呼び尊敬しているのである。

このように、この二人の偉大な大統領はアメリカ人の考え方や行動に大きく影響を与えている。「和」を重んじる日本人と「個」を優先し、強いリーダーシップを発揮しようとするアメリカ人。日米の考え方の違いが鮮明になってきたかと思う。

あとがき)

読者のみなさーん、毎回長~いブログを読んでいただきありがとうございます。

アメリカ人の尊敬する歴史上の二人の人物を通して、アメリカ人の理想とするリーダー像がお分かりになりましたでしょうか。

来週はまだなにを書こうか決めていないのですが、漠然とアメリカ人の世界観に関するものを書きたいと思っています。来週の投稿は、11月19日(日)です。

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2006年11月 5日 (日)

アメリカン・ヒーロー

日本人に、「歴史上もっとも尊敬する人物を二人挙げなさい」と、質問したら、どのような人物を挙げるであろうか。

おそらく多くのさまざまな歴史上の人物が挙げられるだろうと思う。

戦国時代が好きな人であれば、織田信長、豊富秀吉、あるいは徳川家康のいずれかだろう。幕末に関心のあるひとであれば、勝海舟、西郷隆盛あるいは坂本竜馬か。NHKの大河ドラマも影響を与えるだろう。今は山内一豊かもしれない。また年代によっても違うだろう。とにかくさまざまな歴史上の人物が挙げられるに違いない。

ところが、おなじ質問をアメリカ人にしたらどうだろうか。

これがとってもシンプルな回答が帰ってくる。年代に関係なく多くのアメリカ人はおなじ二人の人物を挙げるはず。それは、

ジョージ・ワシントンとエイブラハム・リンカーンである。

アメリカ人にとってこの二人の歴史上の人物は、それほどまでに偉大なのである。

先々週からアメリカの「個を優先する」文化を通してアメリカ人を見てきたが、彼らがワシントンとリンカーンといった歴史上の人物をどのように見ているかを知ることによって、さらにアメリカ人の気質がわかってくる。

まずは、ジョージ・ワシントンから。

我々日本人はジョージ・ワシントンという歴史上の人物をどの程度知っているだろうか。おそらく多くの日本人が知っているジョージ・ワシントンは、アメリカ合衆国の初代大統領で、子供のころ「桜の木」を折ってしまったことを父親に隠さずに話した正直者ってことくらいじゃないだろうか。特に我々は初代大統領という政治家のイメージをジョージ・ワシントンにもっている。

ところが、多くのアメリカ人が持つジョージ・ワシントン像は我々日本人が持っているものとは大いに違う。

彼らの持っているジョージ・ワシントン像は、政治家になる前の軍人としてのジョージ・ワシントンである。

彼らがジョージ・ワシントンを尊敬して止まない理由は、ジョージ・ワシントンが大統領になる前に成し遂げた歴史的業績があまりにも偉大だからなのである。

それでは、初代大統領になる前にジョージ・ワシントンは何を成し遂げたのか。

それはまず第一に、アメリカ独立戦争においてアメリカ13州を勝利に導いたことである。

我々日本人は高校の歴史の授業で、「イギリスの植民地だったアメリカ13州が独立を宣言してイギリスとの独立戦争を起こし、それに勝利してアメリカは独立した」っと、あっさりと習ったわけだけど、実はよーく考えると、これってとってもすごいことなのだ。

当時のイギリスは今のイギリスではない。「超」がいくつもついちゃうくらいの超大国。七つの海を支配し、世界中のいたるところに植民地を持つ「大帝国」だったのである。イギリスが支配していた植民地の総面積は、地球上の全陸地面積の四分の一にも達するほどだった。だから別名、「太陽のけっして沈まない帝国」とまで呼ばれていたほどの大国だったのである。

片や、アメリカ13州はまだ国にもなっていないいわば寄せ集めの植民地にすぎなかった。大英帝国から見れば、ちょっと遠くにある13個の「村」が竹やりを持って、軍隊を持つ「国家」に宣戦布告をしてきたって感じだったのである。

当時のまともな人たちは、そんなアメリカ13州が大英帝国に勝てるはずがないと思っていた。すくなくとも大英帝国の人たちはみんなそう思っていた。ちょっとお灸をすえてやるか程度にしか考えていなかった。

ところが予想に反してアメリカ13州は大英帝国に勝っちゃったのである。

幕下力士が横綱に勝ってしまったなんてレベルじゃない。小学生が朝青龍を投げ飛ばしちゃったくらいの大番狂わせだったのである。

ありえないことが起きた時、人々はそれを奇跡という。

まさにこのアメリカ独立戦争の勝利は歴史上の奇跡であった。

そして、この奇跡を起こした人が、アメリカ13州の陸軍総司令官だったジョージ・ワシントンなのである。

ジョージ・ワシントンのすごさは、戦術の天才的な才能もあったが、それ以上に人を惹きつける力にあった。アメリカ13州が大英帝国に勝利した理由は、大英帝国がアメリカ13州をなめてかかったということもあるし、また最後にフランスやスペインが援護してくれたこともある。しかし最大の理由は、バラバラだった寄せ集めの烏合の州(…衆?)だった13州が、ジョージ・ワシントンを中心にまとまったからなのである。

生まれながらにして、人を魅了する力を持った人っているものである。三国志の劉備玄徳とか、幕末の西郷隆盛なんていう人は、自然に多くの人たちがその人物の周りに集まってきてまとまっちゃう。ジョージ・ワシントンもそんな多くの人が惹きつけられてしまうカリスマ性のある人物だった。

このジョージ・ワシントンの偉業はこれだけに止(とど)まらなかった。

アメリカ13州を英国との独立戦争において勝利に導いただけでも、歴史上の偉大な業績であるのに、このジョージ・ワシントンはこの後、さらにすごいことをやってのけた。

ジョージ・ワシントンは独立戦争に勝利したあと、大陸議会に権限を返し、さっさと軍人の職を辞して生まれ故郷であるバージニア州の片田舎に帰っちゃったのである。

もちろんジョージ・ワシントンは、「イギリスに勝ったのにボーナスが少ない!ええい、こんな軍隊辞めてやる!」なんて感じで、辞表をたたきつけてトラバーユしたわけではない。

一見不可解に見えるこのジョージ・ワシントンの行動…。

実はこの時、アメリカ合衆国は建国直後にして最大の危機を迎えていたのである。

彼は辞めることによってその危機を回避した。彼のこの迅速な行動がなかったら今のアメリカ合衆国はなかったかもしれないと言ってもいいだろう。

おそらく読者のみなさんはまだ何のことだかわからないと思うので解説を加える。

戦争というのは人を狂気にさせる。冷静な判断が出来なくなるのである。とくに戦争に勝ったときが一番危ない。

大英帝国に勝ったアメリカ13州の人々は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、狂気乱舞(きょうきらんぶ)の手のつけられない状態。国民の全員が勝利の美酒に酔い浮かれていた。「神様、仏様、ワシントン様!」なんて感じで、総司令官だったジョージ・ワシントンの人気がうなぎ登り。アメリカ国民のほとんどがこのままワシントンが自分たちのリーダーであり続けることを強く望んだのである。

このような状況の下でジョージ・ワシントンただ一人が冷静だった。

ジョージ・ワシントンはすべての国民が一人の人間に熱狂するときの怖さを良く知っていた。

独裁制に陥りやすいのである。

現に、この十数年後に起きたフランス革命では、やはり天才的な一人の若い軍人が出現し、周りの国と戦争を起こし連戦連勝。国民の圧倒的な人気の後ろ盾で、皇帝にまで登りつめた。ナポレオン・ボナパルトである。近年ではヒトラーやスターリンが戦勝ムードに乗じて国民の圧倒的な人気を背景に独裁者になっている。

ワシントンもその気になればいとも簡単にワシントン王朝を作れたはず。国民がそう望んでいたのだから。しかしワシントンはそうしなかった。ワシントンの願望はあくまで完全な民主主義国家を作ることにあったのである。だから国民の熱を冷ますために官職を辞し、しばらく田舎に引っ込んじゃったのである。星一徹が「野球の鬼」ならば、ジョージ・ワシントンはまさに「民主主義の鬼」であった。「なにがなんでも民主主義の国家を作ってみせる!」という執念のようなものを感じませぬか。

こうしてアメリカはジョージ・ワシントンによって二度も救われたのである。

ワシントンはその後国民の気持ちが落ち着いたころにまた中央に戻り、憲法制定議会の議長として、ハミルトン、ジェファーソン、フランクリンといった識者を集め民主主義的な憲法の策定に着手した。

そして1878年、アメリカ議会において、アメリカ合衆国憲法が採択され、ジョージ・ワシントンの下で人類史上はじめて完全な民主主義国家が誕生したのである。

現在の民主主義の国、アメリカ合衆国はこのようにしてジョージ・ワシントンひとりの強い信念とリーダーシップによって作られたものと言っても過言ではない。

ジョージ・ワシントンはアメリカ合衆国のまさしく「建国の父」なのである。

アメリカ人は民主主義が大好きな国民。民主主義国家であることに誇りを持っている国民。そんなアメリカ人がジョージ・ワシントンを尊敬してやまない理由がおわかりになったと思う。

アメリカ合衆国憲法が制定され、ワシントンは国民選挙によってアメリカ合衆国の初代大統領となり、大統領職を2期務めた。国民はワシントンの3期目の出馬を望んだが、彼はこれを辞退した。その時の言葉が、「一人の人間が権力の座に長く居続けることは民主主義にとって良いことではない」であった。

どこぞの国の権力にしがみついている将軍様に、ワシントンのつめの垢でも煎じて飲ませたいものだ…。

大統領の座をおりてから3年後、ジョージ・ワシントンはアメリカ合衆国の民主主義が健全に機能するのを見とどけ、安心したかのようにひっそりとこの世を去った。

ちなみに、アメリカ合衆国大統領は、第二次世界大戦中の3期連続のルーズベルトの例外を除き、再選されたとしてもみんな2期までだった。1951年に3期大統領をしてはいけないという法律(修正22条)ができたが、それまでは歴代の大統領は自ら3期目の出馬を辞退してきたのある。ジョージ・ワシントンの「一人の人間が長く権力の座にいることは民主主義にとって好ましくない」という教えを歴代の大統領が二百年近く延々と守り続けてきたからなのである。

だいぶ長くなっちゃったからリンカーンの話は来週にして、ワシントンについて最後に言っておきたいことは以下。

アメリカ人にとってジョージ・ワシントンは憧れの人。彼らは学校で民主主義の大切さとワシントンの偉大な歴史的業績を教えられてきた。彼らにとってジョージ・ワシントンは小さいころからのアメリカン・ヒーローなのである。

かれらの心の奥深くにいつもアメリカン・ヒーローであるジョージ・ワシントンの理想像があり、彼らの行動に無意識のうちに影響をおよぼしているということがポイント。

特に国家を指導する大統領や部下を指導する会社のトップにこの傾向が強い。少しでもジョージ・ワシントンに近づこうと、意識的または無意識的に強いリーダーシップを発揮したがるのである。

「和」を重んじる日本のトップと「強いリーダーシップ」を発揮しようとするアメリカのトップの違いがさらに鮮明になったかと思う。

アメリカ人とコミュニケーションを取るとき、この理想とするリーダー像の違いをお互いに認識することが重要である。

あとがき)

読者のみなさーん、いつもご愛読ありがとうざいます。

いや~、今回も長い!いったい何人の人が最後まで読んでくれたかな???

とっても心配です…。

でも、異文化間のコミュニケーションをとる場合、言葉の技術と同様に、相手の国の考え方、習慣、歴史、宗教といった文化を知っておくことは重要です。読み続けていただける人が一人でもいれば、もうちょっと書き続けますからね!

来週は16代アメリカ大統領リンカーンについてお話します。今度の投稿は11月12日(日)です。

日増しに朝夕、寒くなってきたので風邪を引かないようにね。

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2006年10月29日 (日)

空気で動く日本人?

・ 

日本人は空気の流れで動く。

あたかも雲がフワフワと風に流されていくがごとく…。

こんなことを言ったら、読者の皆さんは、「なんのこっちゃ?」と、思われるかもしれない。でもこれ、オジサンが20年間海外と仕事をしてきてずっと思ってきたことなのである。

皆さんの日常を見回してみると、結構周りの雰囲気とか空気で流されちゃうということがないだろうか。

たとえば、会社の同僚たちと昼飯を食べに行くときとかはどうだろうか。4~5人くらいでお昼に外に出た。さて何を食べに行こうかということを決めるとき、誰かが「4丁目の角にできた今度の中華屋、けっこうボリュームがあってうまいらしいスよ!」、なんて言ったら、流れが中華を食べる雰囲気になっている。みんなの足がなんとなくその店の方向に向き始めた。ところが、自分は昨日の昼はラーメンだったんで和食を食いたいが、ここで「和食にしよう!」と言いづらい、どうしようか…、まっいいか、ここまで来ちゃったんだ、今日も中華にしよう! なんて感じで流されちゃう。

オジサンがこれまでアメリカの会社へ行ったときの経験から言うと、彼らにはその場の雰囲気や空気で流されるということはない。昼に食事に出るときは、仕事上の話しがある場合を除き、めいめいが食べたい料理のレストランに行ってしまう。たまたまイタリヤ料理や中華料理といった同じ系統のものが食べたければいっしょに行くだけである。

こんな些細な日常のなかでも、「和」を大切にする日本人と「個の確立」を優先するアメリカ人の教育上の違いが出てくる。

ボストンの近くのミドルボローというところへ出張したときのこと。

パートナーのビルさんが会社が終わったあとに私と彼の同僚の数人を誘って、近くのパブに飲みに連れて行ってくれたことがあった。最初はみんなで私の歓迎を祝してカンパイはしたのであるが、時間がたつとみんなそれぞれバラバラに帰っちゃうのだ。ちょっと驚いた。日本ではこのようなことはまずないだろう。何かの理由がないかぎり、途中で、「それじゃ!」って言って帰っちゃたら、「あいつなんか面白くないことがあったのかな???」なんて、いっしょに飲んでいた同僚が心配しちゃうかも。日本では何時までと決めなくても、周りの雰囲気を見て、「さーそれじゃ、そろそろお開きにしようか」という、あうんの呼吸を感じ取って全員で席を立つのが普通だからだ。あたかもお相撲さんの呼吸を合わせて「はっけヨイ!」と土俵を立ち上がるといった感じだ。

ここで注目すべきことは、一人のリーダーが必ずしも意思決定しているのではなく、なんとなくその場の雰囲気でみんなが動くということがポイント。

じつは日本の会社の組織もそんな感じで意思決定することが多い。

「稟議」という社内制度がある。

複数の上司たちに発案の許可を取ってまわるシステムである。さすがに最近は感覚が欧米的な若い人たちが会社を興しているから、稟議制度を設けている会社は少なくなってきているようだけど、日本の製造業などではいまだにこのシステムを採用しているところが多い。アメリカではこのような制度はまずない。一人の責任者が承認すれば、すぐに ”GO!” だ。アメリカ人からすると、みんなで承認する稟議制度は、「責任の放棄」のように思えるだろうし、「日本人は意志薄弱の集まりか!」と思うアメリカ人もいるのではないだろうか。

この稟議制度は、会社組織のコンセンサスというか、社内の雰囲気、「和」を大切にしている表れである。

社内の雰囲気が決まれば最終的に社長の承認となる。これが従来の日本の会社の意思決定プロセスである。アメリカでは意思決定はトップーダウン方式で行われるが、日本では社長または会長は表面上は最高権力者であるが、すべてを自らの判断で決定しているわけでない。日本の会社では意思決定に関して二重規範(DOUBLE STADARD)があることをよく覚えいていてほしい。

この社内のコンセンサスを求める、あるいは社内の雰囲気を大切にするという意思決定のプロセスは、日本企業の強さのひみつでもある。

このようなプロセスを取ることによって、モチベーションが高まり、愛社精神が強まり、生産性や製品の品質などが高まるのだ。アメリカで生まれたTQCが日本で根付いた大きな理由はここにある。みんなが会社の意思決定に参加しているという意識がなければ、だれがTQCなどという面倒なことをするだろうか。アメリカではTQCが発達しなかったのは当然のことなのである。

そして、アメリカ人と日本人が、それぞれの意思決定のプロセスの違いを理解していないと、誤解を生じてしまうことになる。

かつてアメリカの特殊ガラスメーカーのセールスマネージャーが、オジサンの勤めていた会社へガラスの素材を売り込みに来た。

品質もよく、コスト的にも魅力があったので、社長と会って話しがトントン拍子ですすんだが、最後の段階でなかなか社長が注文の決定をしないのである。品質もよく、コストも競争力がある、そして納入の打ち合わせもした。それなのに何故か社長は、「前向きに検討します」と言ったきり、最終の判断を下さない。彼にはその理由がわからない。その後何回かこのセールスマネージャーは日本に来たが、最後は「シット!」と言ったかどうかはわからないが、相当怒って帰っちゃた。

社長は海外から輸入することの社内への影響をためらっていたのだ。

このような場合、このセールスマネジャーがまず最初に工場へ行って、製品の説明や納入方法を説明して根回しをするべきだったのだ。そうすることによって社内の雰囲気がなんとなく海外から輸入しようかという感じになる。そうすれば社長も決定がしやすかったはず。もっともアメリカでは根回しというものがないので彼がそれに気付かないのは当然だったが…。

じつは国家レベルでもこのような誤解が生まれる可能性がある。

1970年、アメリカの大統領はニクソン。この時、ニクソンは非常に困っていた。

何に困っていたかというと、当時日本の輸出の主力製品であった繊維が大量にアメリカになだれ込み、アメリカ国内の繊維業界を直撃していた。ニクソンは業界関係者から「なんとかしてくれ!」と、泣きつかれていたのだが、自由貿易を提唱する自由主義の国アメリカとしては、死んでも名目上「輸入規制」はできない。アメリカが保護貿易政策を取ったらアメリカでなくなっちゃうからだ。

そこで、ニクソン、日本に来たときにそっと内緒で、日本の首相に耳打ちした。

「アメリカへの繊維輸出を自主規制してくれないか?」

時の日本の首相は佐藤栄作。

佐藤栄作はかーるく、

「前向きに検討しましょう」と、言っちゃった。

当然、日本の行政の最高権力者が、「前向きに検討」するということは、自主規制をしてくれるものだと受け取り、「やった!」と、いう感じでニクソン大喜びで意気揚々とアメリカへ帰った。

ところが、その後も一向にアメリカへ入ってくる日本からの繊維量は減る様子はない。それどころかどんどんと増えてきた。

そしてついに、「だまされた!」と、ニクソン怒りだしちゃった。

ニクソンは「日本の首相はウソつきである!」とまで公言し、日米間で経済戦争が勃発しそうな一触即発の状態にまで発展してしまった。

この険悪な状況を救ったのは当時通産大臣であった田中角栄である。彼が火消し役として日本の繊維業界やアメリカ高官を走り回って事なきを得たのである。

しかし、「日本はウソをつく国だ!」ということで、その後もアメリカの日本への不信感はつよく、信頼を回復するのに何年もかかってしまった…。

日本の行政の最高責任者といえども、ひとりでなんでも決定することができないことをニクソンは理解しておくべきだったと思う。日本には意思決定にかんして二重規範(DOUBLE STANDARD)が存在するのだ。日本では自主規制をする国内的雰囲気になってからでないと首相は決定できない。このような場合は大統領の特使を、繊維業界や通産省に影響力のある田中角栄あたりに送って、最初に根回しをするべきだったと思う。

このように、「和」を大切にする日本人と「個」を優先するアメリカ人が、それぞれの考え方の違いを理解してコミュニケーションを取らないと、誤解を招きかねない。

オジサンは読者のみなさんにもう一度、前回投稿した日米の教育の違いをみなおしてほしいのである。

あとがき)

読者のみなさ~ん!いつも長~いブログですみません。今回はいったい何人の人に最後まで読んでいただいたのかな?ちょっと心配です。

来週はアメリカ人のメンタリティに迫りたいと思います。アメリカ人のメンタリティを語る上で、ある二人の歴史上の人物を欠かすことができません。次回はこの二人の人物にスポットライトを当てようと思っています。

来週もぜひ読んで下さいね。次回の投稿は11月5日(日)です。

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2006年10月22日 (日)

日米の教育の違いに注目!

AFN放送に "FOCUS ON THE FAMILY" という長寿のラジオ番組がある。

オジサンが30歳から英語を再度勉強をはじめた今から20年前は、まだCNN放送やBBC放送はケーブルテレビ契約が必要で、よほどのお金持ちじゃなければ見れなかった。そんなわけで、お金のかからない生外人の英語を手っ取り早く聞く方法は駐留米軍の軍事放送FEN(現AFN)を聞くことであった。そのなかで "FOCUS ON THE FAMILY" はオジサンがよく聞いていた番組のひとつだ。

我々はアメリカ人というと、ニューヨークとかロスアンゼルスのような大都会にいる颯爽としたビジネスマンやセレブの人たちを連想しがちであるが、実はアメリカの全人口の7割は田舎でくらしている敬虔かつ素朴なクリスチャンたちである。この "FOCUS ON THE FAMILY" は、そのような人たちが作っているトーク番組で、毎週アメリカの一般的な家庭で話題となるような病気、教育、思春期の問題、子育ての悩み、就職問題等が話し合われる。CNNやBBCのようなエンターテイメント性はないが、一般的なアメリカ人の本当の日常生活を知ることができる貴重な番組ではないかと思う。

オジサンはこの "FOCUS ON THE FAMILY" を最初のころは聞き取れなかったので、カセットテープに録音してウォークマンでバックグランドミュージックみたいな感じで聞いていた。そのうちにペーパーバックスの読書量が増えてくると、徐々にではあるが聞き取れるようになり、内容が理解できるようになってきた。

聞き取れるようになってくると妙なことに気がついた。

話されている内容が日本人の感覚とズレるのである。

オジサンは30歳になるまで外国人と付き合ったことがなかったので、文化の違いというものに無頓着であった。彼らとの違いは言葉と肌の色と食べ物くらいの違いだと思っていた。ところがなにからなにまで考え方が違うということをこの "FOCUS ON THE FAMILY" から学んだ。だから一種のカルチャーショックを受けた。

特に教育についての考え方が大きく違う。

日本では、子供を育てる上で何がもっとも大切かと小さい子を持つ親に質問したら、たぶん「協調性」とか、「みんなと仲良くできること」とか、「他人に対するやさしさ」なんてことが、上位を占めるのではないかと思う。

アメリカ人の親は子供を育てる上で何を重要と考えるか。

統計を取ったわけではないので正確ではないかもしれないが、オジサンがこの "FOCUS ON THE FAMILY" を聞いていた限りにおいては、アメリカ人の親たちが大切なことと考えていることは、

"SELF-RESPECT" と "INDEPENDENCE" 、「自尊心」と「独立心」である。

日本では子供が幼稚園に入園してまず親が心配することは、「うちの子はみんなと仲良くできるかしら?」、じゃないかな。日本ではみんなと仲良くすることがいいことで、「自尊心」や「独立心」を心配する親は少ないと思う。むしろ日本の社会では、「自尊心」の強い人や「プライド」の高い人、他人と同じことができない人は嫌われる傾向にあるのではないだろうか。

アメリカ人は逆に子供が小さいときから、この「自尊心」と「独立心」を植えつけよとする。

もし自分の子供が他人と同じことばかりしようとすると、アメリカ人の親は自分の子供は意志薄弱なのではないかと本気で心配するのだ。 "FOCUS ON THE FAMILY" では、こういった心配事の相談が多い。日本ではこんなことを心配する親はまずいないだろう。

なんでも、アメリカではディベートという授業があるそうだ。

あるテーマについて意見を戦わせ合い優劣を決めるゲームのようなものらしい。子供のころから自己主張ができるようにとの訓練であろうか。もし日本の小学校で子供たちがディベートをしていたら、「コラコラ、みんな仲良くしなくっちゃダメじゃないか!」、なんて先生が間に割って入ってきそうだ。

これは何かで読んだ話しであるが、少年たちが野球をしていて打ったボールがお隣のガラス窓を割ってしまった。

日本であれば親が子供とその家に行って子どもといっしょに親も謝るであろう。日本人は子供の責任は親の責任と感じるからだ。ところが、アメリカでは子供といっしょにその家に行ったとしても、謝るのは子供だけである。親は謝らない。子供と親は別個の存在であると考えているからだ。ガラスを割ったのは子供なので、それは子供とガラスを割られた家の人の間の問題である。ただし、子供には支払い能力がないので、支払いの打ち合わせをするために親は子供に付いて行くだけである。

オジサン、ボストンに行く飛行機の中で似たような状況に出くわしたことがある。

空港で小さなアメリカ人の子供が騒いでいた。近くでそれを見ていた大人のアメリカ人がその子供の手をつかんで叱ったのであるが、その子供の親もすぐそばにいたがなにも言わない。その大人と子供の関係であって、親は関係ないというような知らん顔。こんなことまず日本ではないだろう。もし自分の子供が騒いでいて、ほかの人に注意されたら、まず親が謝っちゃうのではないだろうか。

アメリカでは独立心を育てるために、このように子供のころから1人の確立された個人として扱う。

おそらくこの日米の教育の違いは、それぞれの国の歴史的な背景から来ているのだと思う。

日本では同じ民族がずっと住んでいたために、同じ考え方、風習、価値観を持っているので、お互いが意見を主張しなくても相手が何を言おうとしているのかわかってしまう。このような社会では、「個」を主張するよりも「和」を大切にするようになってくる。

逆に、イギリスからの独立戦争で自由を勝ち取ったアメリカは、その精神からまず「個の確立」、「独立心」を重要なことと考える。

オジサンが今回なぜこのような教育の違いを話したかというと、この教育の違いがアメリカと日本の違いを決定的にしており、この違いを徹底的に肝に銘じておくことがアメリカ人とコミュニケーションを取る上で重要であると思うからだ。

飛鳥の昔から「和をもって尊しとなす」という思想で育ってきた日本人と、血で血を洗う戦いの末に勝ち取った「自由と独立」の重要性を教え込まれてきたアメリカ人…。

「三つ子の魂百まで」のことわざとおり、そのような決定的に違った教育のバックグラウンドをもったアメリカ人と日本人が大人に成長してそれぞれの国をつくっている。

したがって、幼稚園の子供の社会から大人の社会まで、街の小さな売店から大企業まで、日常の家庭の規則から法律や政治にいたるまで、この考え方の違いがそれぞれの社会の隅々まで行き渡っていのである。

オジサンが昔勤めていた会社の上司であった部長さんは、「アメリカ人も日本人も同じ人間だ。話せばわかる!」と、よく言っていたが、オジサンこの言葉によく苦労させられた。同じ人間であっても、お互いの考え方の違いを理解していないと、交渉がうまく進まないのだ。場合によっては誤解を生じることもある。

オジサンの経験から、読者の皆さんには、この日米の教育の違いをよく覚えていてほしいのである。

あとがき)

読者のみなさ~ん、毎度毎度、長~い文章を読んでいただいてありがとうございます。

「個の確立」を優先するアメリカと「和」を重んじる日本の教育の相違は、時によっては誤解を生じる原因になることがあります。来週はどのような誤解が生じるかをお話したいと思います。もうちょっとお付き合いください。次回の投稿は10月29日(日)です。

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2006年10月15日 (日)

発想方法の違いに着目せよ!

うちの奥さんに付き合って、TOEICの模擬問題をやってみた。

そのなかで、写真を見ながら読まれる英文が正しいかどうかを回答するという正誤問題があった。以下はそのうちの2問。

1問目。写真には橋の上で渋滞している多くの自動車が写っている。読まれた英文は、"There are lots of カーズ on the bridge." であった。オジサン正しいと思ったのでマルにした。

2問目。写真には釣りをしている少年と、釣った魚が草むらに置いてある情景が写っている。読まれた英文は、 "There is a fish in the グラース." であった。オジサンはこれもマルにした。

答えはいずれもバツ。

読まれた英文はそれぞれ、 "There are lots of cards on the bridge." と "There is a fish in the glass." でした。

参りました。やっぱしオジサンにはTOEICは向いていないようです。

でも、負け惜しみに聞こえちゃうかもしれないけど、オジサンは仕事で20年以上ガラスを販売する海外営業をしてきたが、一度も glass と grass を聞き間違えたことはない。

なぜならオジサンは L と R の違いをはっきりと聞き取れないが、状況から常識的に推測できるからである。

海外へ行ってそれなりの信用のある会社の顧客と会ったとき、その顧客が "We wanna buy グラース from you." と言えば、間違いなく "We wanna buy glass from you (君の会社からガラスを購入したい)." なのだ。 "We wanna buy grass from you (お前のとこからマリファナを買いたい)なんて唐突に言う顧客はいない。逆に街中を歩いているときに、怪しげな若いアンチャンが近づいてきて、低い声で "You wanna buy グラース?" と聞いてきたら、これは grass のことなので、即座に "No, thank you!" と答える。

また、一問目の問題にしても、橋の上にカードが置いてあること自体非常に奇怪な出来事で、もしこれが現実の社会に起こったことであれば、トランプを積んだおもちゃ会社のダンプが橋の上で事故によりひっくり返ったとかの特殊な原因が必ずあるはずだから、それらの事情がわかっていれば、cars と cards の判断は推測できたはずだ。

だから l と r/rs と rds のような似通った発音の違いを聞き取れなくても、現実の社会においては全然問題はない。

それよりも実生活で多くの日本人が英語を使うときにトラブルになるのは、発想方法の違いによる問題ではないだろうか。

こんな話しを聞いたことがある。

ある日本人の女の子がニューヨークで腕輪を買ったところ、ホテルへ帰って着けてみたらちょっと大きかった。

そこで小さくしてもらおうと翌日腕輪を購入した店に行って、「ちょっとユルイんですけど…」と、いう気持ちで、"A little loose…" と言いながら店員に腕輪を渡したら、その店員はその腕輪をさらにちょっとだけ大きくしちゃった。

これ発想方法の違いによる意思の疎通ができなかった典型例である

歴史上日本は海に囲まれているため、共通の文化、風習、価値観をもった同一民族だけがずっと住んできた。こういう社会ではすべてを言わなくても相手の要求していることがわかるものである。日本国内で腕輪を店員に渡して、「ちょっとユルイんですけど…。」と言えば、店員は「ちょっと小さくしてほしい」のだと察してくれる。それどころか、「以心伝心」とか「あうんの呼吸」とか「腹芸」などといって、日本でははっきりとものを言わないで相手に真意を伝えることが美徳としてみなされるようになってしまった。

しかし、異民族が住んでいるアメリカのような国では、はっきりと自分の要求することを相手に言わなければ、わかってもらえない。ニューヨークでこの女の子ははっきりと「腕輪を小さくしてほしい」と言うべきであった。

"Please tighten it because it's a little loose for me."

自己の主張をはっきりと言わず、相手がこちらの要求を察してくれるだろうという日本人の典型的な考え方を、オジサンは「何となくわかってくれるだろう」症候群と呼んでいる。

この「何となくわかってくれるだろう」症候群は、我々日本人の潜在意識の深いところに根ざしており、無意識に外国人との意思疎通障害を起こす原因のひとつになっている。オジサンもこうして偉そうに書いているが、若い頃はこの考え方の違いがわからなかったので、この「何となくわかってくれるだろう」症候群に陥り、何度か海外とのビジネス上で苦い経験をしたことがある。

しかし、個人レベルでの意思の疎通ができなかったことによるトラブルは、主観的にみれば悲劇であるが、客観的に見ればまだ小さなことである。

これが考え方の相違を理解できないため、国家間での意思疎通ができないと大問題になってしまう可能性がある。

第二次世界大戦も終局を迎えつつあった1945年7月、アメリカ合衆国はマンハッタン計画により原子爆弾を完成させていた。

時の大統領はトルーマン。戦争終結のために原子爆弾の使用を迫る議会に対し、敬虔なクリスチャンであったトルーマンは人間への使用をためらっていた。彼は本当は原子爆弾を富士山のテッペンか北海道の原野へ数発落し、日本人を威嚇して戦争を終わらせようと思っていた。

同月米・英・中の三カ国はポツダム宣言を発し、日本政府に対し無条件降伏を迫った。

これに対し日本政府は、ポツダム宣言を「黙殺」すると発表した。

日本政府がポツダム宣言を「黙殺」したと聞いたトルーマン大統領は、その場で逆上したと言われている。日本人が最後の一人になるまで戦うぞというメッセージとして受け取り、恐怖にかられたのだ。

そして、ご存知のとおり、彼は原子爆弾の人間への使用を許可し、長崎と広島に投下され、数十万人が犠牲となった。

ポツダム宣言が7月に発せられたとき、すでにサイパン玉砕、沖縄本島陥落、そして連日の東京大空襲で、日本はヘロヘロ、ヨロヨロの状態であった。できることなら戦争を早く終わらせたかったのが本音。しかし、日本政府の最後の至上命令は「国体(天皇制)」を護持することであった。降伏をして戦争を終わりにしたいが「国体」を護持するためには、無条件降伏は受け入れられない。そこで連合国側にこの日本政府のつらい気持ちがわかってほしい、わかってくれるのではないかという淡い願いをこの「黙殺」という特殊な言葉に込めていたのだ。

この時、日本政府は「何となくわかってくれるだろう」症候群に陥っていた。

もし、欧米と日本人の考え方の相違をよく理解している日本人が一人でも政府の中にいて、

 「鈴木首相、連合国側へはこちらの要求事項をはっきりと伝えなければ理解してもらえません。国体を護持する条件でポツダム宣言を受け入れると連合国側へ伝えましましょう!」 と、 

進言すれば、歴史はまた違った方向へ進んでいたかもしれない。

たしかに、cars と cards、glass と grass の違いが聞き取れることは、完璧な英語を目指すということでは重要であるが、オジサンはこういった発想方法の違いを理解することもまたより重要だと思う。

なぜかオジサンが学生時代にはこのような発想方法の違いを教えてくれる先生も授業もなかった。いまの学校英語ではそのような授業があるのであろうか?

オジサン、英検1級をめざす人たちはバイリンガルになることだけを目標とするのではなく、このような考え方や文化の違いも理解できるバイカルチュラルにもなってほしい。

あとがき)

読者のみなさ~ん、いつも長~い文章を読んでいただいてありがとうございます。今回は特別長かったのでお疲れ様でした!

いろいろ偉そうなことを述べましたが、やっぱし負け惜しみです。オジサン、cards と cars の違いが聞き取れないとくやしい!むすめにこっそりと教えてもらうことにします…。

次回の投稿ですが、日米の文化や考え方の違いを知っておくとことは、真のコミュニケーションをとる際に重要だと思うので、来週もこのテーマでお話したいと思っております。来週の投稿は10月22日(日)です。

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2006年10月 8日 (日)

ボキャブラリーを増やすコツ

かつて、フランス人の学者でピエール・キューという人がいた。

この人、学者としてうだつが上がらなかったようで、ぱっとした業績もなくあまり世間に知られていない……

…が、ひとつだけ、人間の心理的および生理的現象に関して、おもしろい法則を発見をした。

それは、人には努力してどうにかなる分野と、努力してもどうにもならない分野があり、努力してどうにかなる分野は、努力をすればするほど効果がでるが、

努力してもどうにもならない分野は、思いつめると逆効果があらわれるというものだ。

ちょっとわかりにくいと思うので、例を挙げて説明しよう。

努力してどうにかなる分野とは、たとえば、腕力をつけたいなんていうこと。この場合は腕立て伏せをするとか、ダンベルの上げ下げをすることによって、筋力をつければ腕力は強くなる。努力をすればするほど効果が出る。あるいは、ジャンプ力をつけたいのであれば、縄跳びをすればするほど、ジャンプ力は伸びる。こういう分野は、努力すれば効果が出てくる。

努力してもどうにもならない分野とは、たとえば、眠りの分野。明日は大切な就職試験があるので十分に睡眠を取らなきゃ、なんて思って普段より早く床につくと、かえって眠れない。あせって眠ろう眠ろうと努力するけど、かえって逆に目が覚めてしまうこと。あるいは、「アガリ」の分野。人前でスピーチするのに、「あがる」まいと思うと、逆にあがっちゃって話がしどろもどろになってしまうこと。あるいは、赤ちゃんを強くほしいと思っている夫婦にはかえって子供が出来にくい。背が高くなりたいと思っている青少年は成長がとまってしまうことが多いこと。こういうことって思いつめるとうまくいかないが、あきらめちゃうと、かえって眠くなったり、あがらなくなったり、妊娠したり、身長が伸びたりする。

なぜこんな話をしたかと言うと、人間の記憶もどちらかというと、努力をしてもどうにもならない分野に含まれると思うからだ。

我々が英単語を覚えようとするとき、この「ピエール・キュー」の法則が知らず知らずに働いているような気がする。覚えようと強く思うと逆に覚えられないし、忘れまいと強く思うと逆に忘れてしまう。

みなさんはこんな経験がないだろうか。学生時代に一生懸命に英単語帳または英単語カードを作った。先生が単語だけでなく、例文も書いて文章の中で覚えると良いと言ったので、時間をかけてそのとおりの英単語帳を作り暗記に励んだ。試験の時にはなんとなく覚えていたが、数ヶ月してから見直したら、ほとんど忘れており、「ああ、オレってなんて頭が悪いんだ!」なんて、嘆いた経験。

なにもそれは皆さんの頭が悪いからではない。覚えようと努力したから忘れただけなのだ。これ自然の法則、ピエール・キューの法則である。

だから、オジサンはみなさんに言いたい。

英単語は一生懸命に覚えちゃダメだ!自然に覚えるべし!

英単語が自然に覚えられるかどうかは、頻度の問題である。

我々が普段使っている日本語の単語を覚えているのは、単語帳を作って一生懸命に覚えたわけではない。生まれ育ってくる過程で同じ単語に何度も出くわしてきたからなのだ。であるならば、英単語を自然に覚えるには、覚えようとする単語に出会う頻度をあげれば良いのである。

それにはたくさんの英文を読むことである。単語を懸命に覚えようとする時間があるならば、1ページでも多く英文を読むべきだ。

よく英検1級の問題には、難度の高い英語の語句が出題されると言われるが、英米の一般的な教養のある人たちからすればそれらはさほどむつかしい単語ではない。せいぜい「タイム誌」などで使われる「ちょっと気の利いた」知的な言葉程度である。もしも、英和辞典(オジサンの場合は英英辞典)を片手に、「タイム誌」を毎週表表紙から裏表紙まで目を通し、かつ、ペーパーバックスを年間50冊くらい読めれば、3年から4年もすると、それらの英語の語句は難易度の高い語句ではなくなる。英検1級の問題集を久しぶりに見て、「あれ、こんなに読みやすい文章の問題が出題されていたんだ!」って、驚くはずだ。だからなにも市販されている英検1級用の英単語集を買って必死に暗記する必要はない。というよりも、語彙を増やすためにはそんなことはしちゃいけない。

これまでなんども繰り返して耳に(目に?)タコができているかもしれないが、

語学の基本は読むことである。

ただし、英検2級青葉マークの方たちには、「タイム誌」はまだ勧められない。おそらく1ページ読むのに1時間近くかかるはずだ。それでは読んでいることにならない。暗号読解になってしまう。まずは読みやすい小説の類から読んでいって徐々にボキャブラリーを自然に増やしていこう。英字新聞もキヨスクで買って週に一回くらい読もう。「デイリーよみうり」がお勧めだ。

とにかく読んで読んで読みまくろう。それがボキャブラリーを増やすコツだ。

特に英検2級青葉マークの人たちは、「さあ、次は英検1級だ!」って張り切って英検1級の参考書や問題集に手を出すけど、そういう勉強をすると、重箱の隅をつっつくような文法問題や必要以上に複雑な構造の英文の解説などを読むのに時間がかかり、せいぜい1日2ページから3ページの英文しか読めない。それでは本当の英語の力はつかない。この時期は、しばし英検1級のことを忘れ、辞書(英和辞典でもOK)を片手に、少なくとも1日10ページ、できれば20ページくらいの英文を読んでほしい。1年もすると徐々に読むスピードが早くなってくる。3年もすると1日50ページから60ページくらい読めるようになってくる。その時こそ初めて英検1級のノウハウ本で試験の攻略法を研究するべきだ。それまではじっくりとペーパーバックスや「デイリーよみうり」などを楽しみながらたくさん読んで、本当の英語の力をつけよう!

英語をどんどん読んでいく過程で、たくさんの知らない英単語に出会うが、

来るものは拒まず、去るものは追わず

の気持ちで、出会った英単語を覚えられなくとも立ち止まることなく、先へどんどん進んでいこう!

そうすれば語彙も徐々に増えるし、本当の英語の力がつく。

これ、オジサンの経験から保証する。

あとがき)

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このブログでちょっと変わったオジサンの学習法とメッセージをお伝えしていますが、もうあと少しで終わります。それまでお付き合いくださいね。

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来週の投稿は10月15日(日)です。コミュニケーションの障害となる英語と日本語の発想方法の相違について述べる予定です。最近朝夕涼しくなってきたので風邪を引かないようにね。じゃ、バイバイ。

2006年10月 1日 (日)

英語のパワーをつけろ!


空手バカ一代・故大山倍達はかつてこう言った。

「技は力の中にあり!」

特攻隊の生き残りとして終戦を迎えた大山は、戦後まもなく真の空手道を追求するため単身山籠もりの修行を敢行した。山籠もりの修行中に人里恋しさに何度か下山をしようとするが、今では伝説となっている「片マユ剃り」を行って完全に世俗の欲を断ち切った。そして3年間の修行によって、「自然石」を素手で砕くほどの強靭な肉体を作りあげた。

下山後、大山は第一回「全日本空手道選手権大会」に出場、見事に優勝した。

大山が出場した当時の空手界は、「型の美しさ」や「技の切れ」を重要視しており、どの空手家たちも「型」や「技」のみを磨いていた。空手の大家といえば、「型」や「技」に精通し、それらを美しく演舞できる者たちであった。しかし、それらの当代きっての空手の大家たちは、荒削りではあるが大山の圧倒的なパワーの前にあっさりと粉砕されてしまった。

大山曰く、「力のない技は何の意味もない。力があってはじめて技が活きるのだ」と。

これってなんか英語にも通じるものがあるような気がする。

英語学習でいうパワーというのは、読書量だと思うのだ。

若い皆さんは知らないかもしれないが、NHKラジオ英会話の初代講師に松本亨という先生がいた。10年くらい前にお亡くなりになられたが、この松本亨先生は生涯で2000冊の英語の書物を読まれたという。もし仮に松本亨先生がよみがえりして、来年「英検1級」を受けるということになったら、果たして皆さんと同じように、「穴埋め問題」や「エッセイ問題」や「語彙増強」などの英検1級対策をするだろか?

おそらく先生は普段とおりに英語の書物を楽しんで読まれると思うのだ。

それでも松本先生はかーるく英検1級は受かっちゃうだろう。

なぜなら

先生の圧倒的な2000冊という読書量(パワー)は英検1級対策(技)を完全に超越してしまっているからだ。

英検1級対策をするなとはオジサンは言っているのではない。英検1級対策は有益だと思う。ただし、それらの知識はある程度の読書量があってはじめて活きるのだと思う。前回の投稿で、本を読むということはリスニングを上達させると述べたが、それだけではない。リーディングはスピーキングやライティングにも有機的に通じている。

つまり、語学の基本は読むことなのだ。

特に、英検2級の青葉マークの人たちには、安易に英検1級のノウハウ本に飛びつかず、まずペーパーバックスのような書物をじっくり読んでほしい。大山倍達が世俗から離れて3年間の山籠もりの修行をしたように、ノウハウ本から離れ英語の書物を読み、まず英語のパワーをつけるべきだ。

オジサンの30歳から始めた英語の拙い読書体験を述べると、最初の1年目はペーパーバックスを12冊しか読めなかったが、2年目は前年の2倍の24冊が読め、3年目は35冊、そして4年目に年間50冊のペーパーバックスが読めた。4年目に英検1級を受けたところ1次試験のみ通過できた。そう考えると、ペーパーバックスをバロメーターとしてとらえた場合、おそらく通算でペーパーバックス100冊前後の読書量が英検1級のボーダーラインかと思う。このあたりで「英検1級対策」をすれば、その技が活きてくるのではないだろうか。

ペーパーバックスの初心者はまず1冊読破しよう!

そうすれば自信がつく。本棚に1冊、1冊とカラフルな本がそろっていくごとに喜びを感じるようになるだろう。

まずは読みやすい小説から入るのが良いと思う。

オジサンは SIDNEY SHELDON、DEAN KOONTZ の作品はほぼ全作品読んだが、文句なく面白い。また文体もとてもきれいで英語学習者には読みやすい。女性であれば DANIELLE STEELの恋愛小説も良いと思う。全作品は読んでいないが、数冊読んだところ、構想が大きく感動的な作品を書いている。文体もきれいだ。

これらの作家の小説はペーパーバックスの初心者には格好の教材である。まずツンドクになることはないから安心だ。

逆に日本でも「キャリー」や「グリーンマイル」で人気のある STEPHEN KING は、ストーリーは面白いのだが、文体はあまりにくだけすぎていて、英検2級青葉マークの人にはちょっと読むのは厳しい。避けたほうが賢明だ。

これらの作家の作品のなかでもオジサンが特に気に入っている作品をあとがきののちに紹介するので参考にしてほしい。

あとがき)

読者のみなさーん、いつもご愛読ありがとうございます。

ペーパーバックスは一度ハマルと結構くせになりますよ。大切なことは最初につまずかないこと。あまりむつかしいものや、純文学ぽいのは避けて、気楽に読める小説から入った方がいいと思います。ぜひチャレンジしてみてください。

先週もお伝えしましたように、このブログは日記風のブログではないので、長くは続きません。続いてもあと数ヶ月です。短い時間により多くの方々にオジサンのちょっと変わった学習方法とオジサンの英語学習に関してのメッセージを伝えたいので、ご協力のクリックをお願いいたします。

来週の投稿は10月8日(日)です。次回は「英単語を増やすコツ」についてお話しようと思っています。それじゃ、バイバイ。

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オジサンおすすめのペーパーバックス

以下特にオジサンがおもしろいと思った12作品を紹介します。

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Sidney Sheldon

The Other Side of Midnight と The Memories of Midnight

上記は2部作なので The Other Side of Midnight から読むこと。

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Rage of Angels

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Bloodline

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Master of the Game

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Dean Koontz

From the Corner of His Eye

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Phantoms

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Wachers

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Icebound

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Intensity

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Danielle Steel

Granny Dan

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Once in a lifetime

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上記の作品はストーリーがおもしろく、かつ文体が平易なので、まずツンドクになることはないと思います。ここからみなさんのペーパーバックスの世界が広がることを期待しています。

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2006年9月24日 (日)

「聞き流し」英語学習のすすめ





いま、英語の世界ではシャドーイング流行(ばやり)だ。

リスニングの練習といえば、あちらこちらでシャドーイング、シャドーイングと聞く。まさにシャドーイング全盛時代。シャドーイングにあらずばリスニングにあらず、とまで思えちゃうくらい。なんでも子供用のシャドーイングまであるとか。そのうち女性用と男性用のシャドーイングもできるかも。オジサンの学生時代にはこのような学習方法はなかった。シャドーイングがあるなら、スパーリングもあるのかしらん。

オジサン試しにシャドーイングに挑戦してみた。

ア、アカン。全然ダメ!あたまが回らない、口がついていかない…。

どうやら50歳も過ぎると反射神経が衰えてしまい、ついていけません。降参です。どなたか子供用のシャドーイングがあるなら、ぜひ今度はオジサン用のシャドーイング学習法を作ってほしい!

オジサンの学生時代はカセット式のテープレコーダーがようやく市販され始めたばかりで、まだ英語の学習用カセットテープはとても高価なものであったため、めったに手に入らなかった。学校で先生がテーププレーヤーを回して、外国人の読む英語を流し、生徒たちが真似して発音するという練習がせいぜいだった。こんなことだから我々オジサン族はコテコテの日本人英語しか話せないのだと思う。


なんでも英語の聞き流しはよくないのだそうだ。

聞き流しは精神を集中していないので、リスニングの学習効果が低いとのこと。だからシャドーイングのような精神を集中するような学習方法が生まれたらしい。


でも、オジサンはあえて皆さんに、精神を集中しない気楽な「聞き流し」英語学習法もおすすめしたい。

「聞き流し」と言っても、テレビのコマーシャルでやっている「○×△□ラーニング」といった学習教材のことではない。AFN放送などを録音したそれこそスピードのある英語放送のテープを、暇を見つけてはバックグラウンドミュージックかわりに聞くことを言っている。

なんのためにかと言うと、


リスニングの効果をあげるというよりも、リーディングの効果を高めるためだ。

特にまだ初心者(英検2級青葉マークあたりの人)の段階での「聞き流し」学習法は効果的だ。

英語に限らずすべての言語には固有のリズムがある。今はあまりやらなくなったが、タモリの四カ国マージャンのギャグを見たことがあるかと思う。中国人、フランス人、イタリア人、ドイツ人の四人がマージャンをしているときの会話をパロディったギャグだが、言葉自体はメチャクチャだが、中国語らしく聞こえるし、フランス語らしく聞こえるでしょう。固有のリズムをうまく捉えているからなのだ。

英語固有のリズムを身につけると、先週の投稿でお話した「ブロック・リーディング」が徐々にしやすくなってくる。また、逆に「ブロック・リーディング」が上達してくると、今まで単なるバックグラウンド・ミュージックでしかなかったAFN放送が、徐々に聞き取れるようになってくる。

なぜかと言うと、


英語固有のリズムが身につくと、ブロック・リーディングする時に、そのリズムで英語の意味のかたまりを掴むようになるため、英語のリスニングも自然にそのリズムで意味のかたまりを捉えるようになってくるからだ。

この段階になると


読めば読むほど聞き取れるようになってくるし、聞けば聞くほど読めるようになるという相乗効果が現れてくる。

であるから、暇な時間を見つけては気楽に英語の「聞き流し」をして、自然な英語のリズムを体得してほしい。

コツは、「これから英語を林家菊蔵!」といった意気込みよりも、「なんとなく聞いている」くらいがいい。リラックスしている方が自然と英語のリズムが身体の中にしみ込んでくるからだ。

ウォークマン(今はこんな風に言わないのかな?iPod?)は非常に便利なツールだ。友達と待ち合わせの合間や、電車に乗っているとき、あるいは歩いている時(ただし自動車に注意)などの空いた時間を見つけては英語の「聞き流し」をしてみると、ブロック・リーディングが効果的におこなわれるようになる。

AFN(オジサンの時代はFENと言った)のおすすめ番組は、"ALL THINGS CONSIDERED"、"FOCUS ON THE FAMILY"、"MORNING EDITION"などである。録音してウォークマンで「聞き流す」ことをおすすめする。

なお、ひとつ注意しておかなければならないことがある。


このウォークマンの「聞き流し」学習法は過度にやらないことが肝心。

最後にオジサンの「聞き流し」学習法のやりすぎによる失敗談をお話して今回の投稿を終わりにしたい。

オジサンは30歳から英語の学習をやり直したのであるが、早く英語を覚えたいとちょっと焦っていた。


そこでこの「聞き流し」英語学習をする際に、自分の持っていたウォークマンに「大リーグボール養成ギブス」と名づけ、ウォークマンを常に耳につけて英語を聞くという固い決意をした。それが悲劇(?)の始まりだった。

会社で事務処理をするときと、お風呂にはいるとき以外は、営業に出たとき、通勤途中、食事をしているとき、トイレの中、そして寝ているときにも常にウォークマンで英語を聞いていた。土曜日や日曜日の休日はそれこそ24時間、この「大リーグボール養成ギブス」を身につけていた。


四ヶ月ほど経ったある日、会社のオフィスで仕事をしていたら突然、めまい、吐き気、不整脈が襲ってきた。

フラフラになって医者に行って診てもらったら、自律神経失調症とのこと。


英語の聞き過ぎで神経がボロボロになっちゃった…。

それ以降、ウォークマンの名前を「マイナーリーグボール養成ギブス」と変え、そこそこにきくことにした。でも、効果は絶大だった…。

みなさんも、この「聞き流し」学習はそこそこでやってください。

あとがき)

読者のみなさーん、いつもご愛読ありがとうございます。

先週はちょっとむつかしいことを長々と書いてしまったので、読者離れが起きるのではないかと心配しましたが、なんとかランキングも7位、8位をキープしているので安心しました。それにしても、自分で書いていてこんなことをいうのもなんですが、一週間にわずか一度の投稿にかかわらず、ベストテンの中にいることが不思議です。週に何度か訪問していただいてクリックしていただいている方がいらっしゃるのかしら???いずれにせよ、これも読者のみなさんのおかげと感謝しております。ありがとうございます!

このブログは日記風のブログではないので長くは続きません。続いたとしても、あと数ヶ月です。限られた時間でより多くの方たちにオジサンの一風変わった英語学習法と現在の英語学習についてのオジサンのメッセージを伝えたいので、すみませんがよろしくクリックのほどをお願いいたします。

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次回の更新は10月1日(日)です。

次回の投稿では、「英単語の増やし方のコツ」か、「英語の多読」のいずれかのテーマでお話しようと思っています。それじゃ、バラサ!(ちょっと古いかなーっ?)

2006年9月18日 (月)

ブロック・リーディングのすすめ




「逆さメガネ」の話しを聞いたことがあるだろか?



我々がものを見ることができるのは、眼球内の網膜に映し出される映像を視神経が脳に送って認識されるからである。実際は網膜に映し出される映像は、光が瞳のなかにある水晶体と呼ばれるレンズを通るため逆さ(倒立)の映像となる。ところが我々の脳のなかでその倒立の像を解釈しなおすので、我々は世の中を今のような正立の状態で見ることができるのである。ある時、ある科学者が逆さに見えるメガネをかけて正立の像を網膜に映したら世の中はどのように見えるだろかという実験をしたのだそうだ。この「逆さメガネ」をかけてみたところ、やっぱりというべきか、おかしなことにというべきか、世の中はすべて逆さに見えた。その後この科学者は生活の不便さを省みずにそのまま一ヶ月ほどメガネをかけ続けた。するとある日「逆さメガネ」をかけているにもかかわらず、また世の中は正立の状態にもどって見えたという。我々の脳の働きというのは実に不思議ですばらしいものだ。



なぜこのような話を最初にしたかというと、これから話す英語の読み方は、ある人にとってはとても受け入れられないような奇怪な読み方に思えるかもしれない。そのような場合に、この「逆さメガネ」の観点から考えてほしいからなのだ。どのような読み方であれ、それがいったん定着すると通常のような読み方に思えてくるのである。



さて前置きはこのくらいにして本題に取り掛かろう。



英語の本当の読みとはいかなるものかを知る良い方法は、まず我々日本人が日本語をどのように読んでいるかを知ることだと思う。



いままで当たり前のように読んでいた日本語ってどのようにあなたが読んでいるか考えたことがあるだろうか。一度つぶさに観察することをおすすめする。そこから真の英語を読むということが見えてくるはずだ。

我々が日本語の新聞や小説などを読む場合、一語一語読み落とすまいと注意して読んでいるわけではない。




どのように読んだりしているかというと、無意識のうちに意味のかたまり(ブロック)ごとに内容をとらえているのだ。



たとえば、冒頭の言葉、「逆さメガネの話を聞いたことがあるだろうか」は、

/逆さメガネの話を/聞いたことが/あるだろうか。/

というような斜線で挟まれた意味のかたまりごとに我々は内容をとらえている。



そして英米人が英語の文章を読む場合も、我々と同様に英語の意味のかたまり(ブロック)ごとに内容をとらえているのである。オジサンはこれを
ブロック・リーディングと呼んでいる。



先週の
“Sources of Intelligence” を例にあげると、欧米人は一文目をこんなブロックごとに読んでいるはずだ。

Some social scientists are starting to take a wider view of intelligence than as simple academic ability.



それでは我々のような日本で生まれ育った日本人が、上記のブロックごとに英語のまま理解できるかといえば、すぐにはできない。幾つかの段階のステップを踏みながら訓練をしてはじめてできるのである。



生後間もない赤ちゃんに歩き方の説明をして「さあ、歩いてみろ!」といっても歩けないようなもの。まずは「ハイハイ」を覚え、立ち上がるのを覚え、そのあとに伝え歩きをして、なんとかようやく歩くことができるようになるのだ。



我々が本当の意味で読めるようになるには、オジサンが思うに以下のステップを踏んでいくと思う。

段階A)部分訳のブロックリーディング(スパン小)

     ↓

段階B)部分訳のブロックリーディング(スパン大)

     ↓

段階C)即解のブロックリーディング(スパン小)

     ↓

段階D)即解のブロックリーディング(スパン大)

     ↓

    本当の読み



おそらく、英検1級保持者または英検
1級に手の届きかけている人たちは、上記のプロセスをオジサンと同じように「意識的」または「無意識的」にたどってきているのではないだろうか。

読者の方たちの英語のレベルはまちまちなので、段階Aから入らなければならない人もいれば、ほとんど段階Dのあたりから入れる人もいると思う。残念ながら全ての人のレベルに合わせることはできないので、ここでは英検2級一歩手前の人または英検2級保持者で青葉マークあたりの方たちを対象に話を進めようと思う。

“Sources of Intelligence” の一文目を初心者向けにスパンを小さくブロックごとに分けると以下のようになる。

/①Some social scientists/②are starting to take a wider view of intelligence than as simple academic ability.

これを頭から日本語の部分訳をして理解していくのだ。参考例として以下のような日本語になる。

/①社会学者たちの一部は/②始めている/③知性に関してより広い見方をすることを/④単なる学術的能力だけでなく/

ヘンテコな日本語かもしれないが意味をつかめると思う。



日本語と英語では発想方法も語順も違うので完全な日本語にして理解しようとすると、より多くの時間がかかり、また無駄な精神的エネルギーを消耗する。




以下の完全な日本語訳を見てもらいたい。

/①社会学者たちの一部は/④単なる学術的能力だけでなく/③知性に関してより広い見方をすることを/②始めている/

読みやすいけど、完全な日本語にして理解すると、時間もかかるし、精神的エネルギーを消耗するのである。なぜかというとブロックの並び替えをしなければならないからだ。

例をあげて説明しよう。

ブロックの順番だけを以下のように抜き出して並べてみると、

英語の原文         ① ② ③ ④

部分訳ブロックリーディング ① ② ③ ④

完全な日本語訳       ① ④ ③ ②

のようになる。

おわかりのように完全な日本語訳だとブロックの順番を並べ変えなくてはならない。一文一文ごとにこんな並べ替えをしていると疲れるだけ。ならばちょっと奇怪な日本語になるけど、頭から部分訳のブロックリーディングで読んでいったほうがメッチャ楽なのである。それに「逆さメガネ」で言ったように、この読み方に慣れるといずれ違和感がなくなり普通のように思えてくる。それまでがまんしてこの方法で読んでいってほしい。この部分訳もいずれ必要なくなり、ブロックごとに即解できるようになれば、本当の「読む」ということに限りなく近づくことができる。(ただし、即解ができても本当に読んでいるとは言えない。それについてはいずれ詳細をお話したい。「ロングマンの使い方・その5」参照)

それでは以下のように、”Sources of Intelligence” の冒頭の部分を意味ごとに区切ったので、ブロックリーディングで読んでみてほしい。



重要なポイントは、我々は翻訳家になるのではないので、きれいな日本語に訳す必要はないということだ。部分訳は内容を理解するための単なる道具として使ってほしい。



意味のかたまりが簡単であれば直読即解でよく、日本語に訳す必要はない。自分の実力に応じて臨機応変に読んでいこう。

Some social scientists are starting to take a wider view of intelligence than as simple academic ability.//They are trying to redefine itin terms of what it takes to lead a successful and happy life.//This change of approachis based on recent studieslike one made of Harvard University studentswho graduated in the 1940s.//In this studyit was foundthat students with highest intelligence test scores in collegewere not the most successful in their careers.// Nor did they have the greatest life satisfactionor the most happinesswith friendships, family and romantic relationships.




あとがき)

今回の投稿では、ブロックリーディングのエッセンスを説明いたしました。この方法で読みにくい読者は、まず、これまでの独自の読み方でいったん文章全体を理解して下さい。その後同じ文章をブロックリーディングで読むようにしてみて下さい。徐々に慣れていくと思います。実際には、ちょっと先の投稿になりますが、ボキャビル・リーディング・ノートという英単語帳を使った学習方法を紹介します。この方法で徹底的にブロックリーディングを訓練します。それまでは、一度文章全体を理解したあとに、ブロックリーディングを試みる方法で練習して下さい。

アドバーンスしている読者は、上記のような小さなスパンでは逆に読みにくいでしょうから、もっとブロックのスパンを広げて、即解と部分訳を織り交ぜながら読んでみて下さい。

ブロックリーディングの部分訳例がほしい方は下記へ連絡下さい。メールで送ります。

katsumi555@hotmail.co.jp

だんだん専門的な話になってきたので、みなさんがついて来てくれているかオジサンはとっても心配です。また、書面による説明には限界があり、細かなフォローができません。もし質問等があれば遠慮なくメールを下さい。個別にお答えいたします。なお、今回に関してだけでなく、英語一般についての質問にもわかる範囲でお答えしますからね。

追伸)読者のみなさ~ん

毎週たった一回のブログ更新でありながら、みなさんのご協力のおかげでブログ・ランキング登録2週目でベストテン入りすることができました。ほんとうにありがとうございます!今後ともオジサンの無手勝手流英語学習法を広く知ってもらいたいので、さらなる協力のクリックをお願いいたします。

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追伸の追伸)

「ばかは死ななきゃ治らない…」社内旅行でちょっと飲みすぎました。本日は多少二日酔いの中で書きましたので、ひょっとして誤字脱字がありましたらご容赦を!

追伸の追伸の追伸)

来週はブロックリーディングの効果をさらにあげるツールについてお話しいたします。次回の更新は9月24日(日)を予定しています。乞うご期待!バイ!

2006年9月10日 (日)

本当の「読む」ということ



柳田国男の民族学に共同幻想論というのがあるが、昭和30年代生まれの我々が高校時代に受けた英語の授業は、まさに教師も学生も共同の幻想をみているかのようであった。

我々が学生のころの英語の授業といえば、英文の読みを中心とした「READER」と文法の解説を主にした「GRAMMAR」の2つに分かれていた。「READER」の授業は先生がテキストに書かれた英語の文章を文法的に解説し、それらを生徒たちに完全な日本語の文章に訳させて内容を理解させるという手法を採っていた。あらかじめ決められた文法のルールにしたがって生徒が英語の文章を完全な日本語に訳せれば、教師も彼に良い評価を与えたし、また生徒自身も「オレって結構英語が読めるじゃ~ん」なんて思っていた。だからだれ一人こんな授業をおかしいと思わなかった。そしてだれもこんな疑問の声を発する者はいなかった。


「これって本当に読んでるの?」

考えてみれば簡単にわかること。我々日本人が日本語で書かれた新聞や小説などの文章を読むとき、別の言語に訳して理解するなんてまどろっこしいことはしていない。日本語の文章をそのまま目で追いかけて内容を理解している。英米人も然り。彼らが英語の文章を読むときは、中国語やスワヒリ語にでも訳して理解しているわけでない。英語の文章を目で追ってそのまま内容を理解しているのだ。


であれば、


日本人が英語を本当の意味で「読む」ということは、英米人が英語の文章を読むがごとく、日本人が英語の文章をそのまま理解するものでなければならない。



なにも三段論法を出すまでもなく、ごくごく当たり前の話しである。小学生にでもわかること。でもこんな簡単なことに当時だれも気が付かなかった。教師も学生も英語の文章を文法的に理解し日本語に訳せれば「読んでいる」と錯覚していた。まさに共同幻想……。集団催眠かカルトの世界ではないか。「
READER(読む人)」とは名ばかり。「TRANSLATER(翻訳者)」とでも授業の名前を変えるべきだったかも。

「READER」という代わりに「英文解釈」という言葉を使う先生もいた。まだこの方が的を得ているが、私に言わせてもらえれば文の構造も発想方法もまったく異なる言語を別の言語に変えて理解するなんて、きちがい的で精神的苦痛が伴うし、

まるで「暗号読解」だ。知的拷問である。


授業の名前を「READER」ではなく「DECODER」とするほうがもっとピッタリだ。

このような暗号読解方式では、いつまでたっても英語で書かれた小説やエッセイなどを読んで、ハラハラどきどきしたり、感動して涙を流すなんてことはできない。書かれた英語を理解して楽しむためには、本当の意味で英語を「読む」ことが必要だ。

たしかに初歩の段階では英語の構造を知るために日本語に訳すことは有効だったと思うが、


ある程度英語の文法的構造が理解できてきたら、教師は英語の授業で我々学生たちにどのようにすれば本当に読むことができるのかという指針を与えるべきだったと思う。

上記は我々オジサン族が学生時代に学んできた英語の授業だ。今は英語の教材も良くなってきているし、教師のレベルも当時から比べると高くなっているので、「読む」ということに関しての現在の英語の授業は改善されているかもしれない。私はアカデミックな世界にいたわけではないので、もしよろしければこの点について読者の方々に教えていただければ幸いである。

また皆さんが英文をどのように読まれるのかも興味深い。もし時間があれば今後のブログの参考にしたいので教えていただければありがたい。ここでちょっと実験をしてみよう。以下は私の娘が学生時代に使っていた「英検2級問題集」からの抜粋で、「Sources of Intelligence」という題の長文問題の導入部分である。使われている単語も平易なものばかりなので読みやすいと思うが、読者はどのように読むのだろうか。また読み終わるのにどれくらいの時間を要するだろうか。

Some social scientists are starting to take a wider view of intelligence than as simple academic ability. They are trying to redefine it in terms of what it takes to lead a successful and happy life. This change of approach is based on recent studies like one made of Harvard University students who graduated in the 1940s. In this study it was found that students with highest intelligence test scores in college were not the most successful in their careers. Nor did they have the greatest life satisfaction or the most happiness with friendships, family and romantic relationships.

ひとつひとつ丹念に訳しながら読んでいくのだろうか?あるいは英語の即解と日本語訳のチャンポン?レベルに応じていろいろな読み方があると思う。所要時間もさまざまだと思う。


私の場合は以下のように斜線ではさまれた部分を一つの意味の塊として内容をそのまま把握していく。日本語に訳すことはない。

Some social scientists are starting to take a wider view of intelligence// than as simple academic ability. //They are trying to redefine it// in terms of what it takes to lead a successful and happy life. //This change of approach is based on recent studies// like one made of Harvard University students who graduated in the 1940s. //In this study it was found that students with highest intelligence test scores in college// were not the most successful in their careers.// Nor did they have the greatest life satisfaction //or the most happiness with friendships, family and romantic relationships.

読み終わるのにだいたい30秒前後。一般的な英米人とほぼ同じように読んでいるのではないだろうか。手前味噌になって恐縮だが、私は英語の文章を本当の意味で「読んでいる」と言っていいかと思っている。

そしてこの真の意味で「読む」という行為は、いくつかのステップを踏んで意識的にトレーニングすればだれにでもできるようになる。

そのステップおよびトレーニングの仕方については次回に話したいと思う。

(読者のみなさ~ん、いつもご愛読ありがとうございます。このたび英語ブログランキングに参加しました。より多くの人たちにオジサンの英語学習方法を知ってほしいのでご協力のクリックをお願いします!なお、毎週日曜日に更新していますが、来週の土日は社内旅行のため18日(月)に更新します。飲みすぎには気をつけて行って来ますので、今後ともよろしくお願いします。)

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2006年9月 3日 (日)

語学の原点にもどれ!



前回の投稿でオジサン族の「英検1級合格の最善の方法」を述べると約束した。のっけから結論を言おう。


英検1級合格の最善の方法は、英検1級を忘れることである。


なんか禅問答のように思われるかもしれないが、このことを分かりやすくするために、もう一度私の合格体験記を少し述べさせてほしい。


娘が中学校にあがった年、ふだんは「空気」みたいなオヤジだが、ここで父親の存在感をしめし娘の尊敬のまなざしを一身に受けたいという、どこにでもいる一般的オヤジの不純(?)な気持ちで英検1級を受験する決心をした。私が42歳の時のことである。


じつは30歳代の半ばで一度英検1級を受けたことがあった。その時は1次試験に通過したが、2次試験で無残にも敗退。その後1次試験免除の期間は出張などが重なり2次試験を受験できず、いつしか英検1級の情熱は薄れ42歳にいたった。あの日から7~8年たっていたが、その間も英語の本は読み続けており、多少は英語も上達しているだろうから、合格するのではないかという期待感はあった。

久しぶりの英検1級の試験に慣れるため、本屋へ問題集を買いに行った時のこと。本屋で「英検1級全問題集」を手に取って、試しに長文問題を読んでみた。



「あれ?」と驚いた。


「メッチャ読みやすい!」


あまりにも平易な文章なので、一瞬間違えて英検2級の問題集を手に取ってしまったのかと思い、思わず表紙を見直したくらいだ。しかしそれは間違いなく「英検1級全問題集」だった。
オー・ヘンリーは「Seven Years Later」という短編小説の中で、「7年という歳月は人を別人にする」と言ったが、7~8年の間に私の英語は多少の上達どころか、別人のごとき進歩をとげていた。


30歳代の前半に英検1級の1次試験を受験した時は、超難解な長文や語句に悩まされやっとこ通過したという感じだったが、今回ははっきり言って余裕の通過だった。おなじ1次試験通過ではあったが、前回と今回の私の英語のレベルはかなり大きな開きがあったように思う。その年の8月の2次試験は緊急の出張があり、またしても受験断念を余儀なくされたが、今回は集中力を切らすことなくその次の11月にちゃんと受験し、前々回の投稿記事「話す内容をもっているか」で述べたように、帰国子女にビビリながらもなんとか2次試験を通過して1級合格することができた。


私は30歳から英語を学習しなおし、30歳代半ばと42歳の2回英検1級の試験を受けたわけだが、実は英語を学習する際に、試験直前の問題集以外は、英検に関しての学習参考書の類をいっさい使ったことがない。


と言うより、英検1級を意識して英語を勉強したことがないのだ。どのような学習をしてきたかというと、一言でいえば、英英辞典を片手に本を楽しんで読んできたということである。

私は「コンピュータこわ~い」オジサンなのであまりインターネットの世界を見たことがなかったのであるが、最近英検に関して、他の人のブログを見はじめた。そして私が感じたことは、

あまりにも多くの人たちが英語の技術のみに囚われすぎ、語学の本質を見失っているのではないかということだった。

英検の参考書や単語集などのノウハウ本に集中しすぎていると思うのだ。それらの参考書の類はけっして悪いといっているのではない。


ただ語学の原点は外国語を通じてさまざまなことを学ぶことにある。


基本はまず読むということなのだ。本などの書物を読み、知識を広げ、内容に感銘を受けたり、感動したりするべきなのである。言い換えれば、英語を通じて学ぶことにより人生を豊かにすることなのだ。我々が英語を学ぶ目的はけっして、居合い抜きのような速さで読まれる無味乾燥な英語の短文を聞き取ることでも、穴埋め問題を解くことでもない。ましてや拷問のごとき英単語集の丸暗記で苦しむことでもない。

だから私の主張は、まずは英検1級をしばし忘れて語学の原点に戻り、本などの書物を楽しみながら読もうではないかということだ。


そして、そのような語学の原点にもどった勉強をすれば、英検1級は追いかけずともおのずと向こうからやって来る。英検1級とはそういう試験なのだ。

ただし、オジサン英語学習法では読み方にいくつかの工夫がある。ひとつは直読直解にいたるように読むこと。そしてもうひとつは英英辞典を使うこと。とくに英英辞典は英語学習者には必需品だ。英英辞典を使うことによって書物の内容をより深く理解することができる。行間を読むという域にまで達することができるのだ。また英英辞典をベースにした単語帳を作ると、面白いようにボキャブラリーが増える。ただし、英英辞典は「両刃の剣」である。使い方を誤ると怪我をする。うかつに使ってはならない。使い方およびどのような英英辞典を選定するかについては追ってこのブログで紹介するので、ちょっと待ってほしい。

次回は直読直解も含めて、読むということは一体どういうことなのか、またどのように読むべきなのかをもう少し深く考えてみたいと思う。

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2006年8月27日 (日)

オジサン英語の進むべき道


娘がまだ中学3年生であった5年前のこと。うちの奥さんの古くからの友人でイギリス人のショーンが我が家へ遊びにきた。

彼は約3年毎にやって来る日本好きの外人だ。今回の訪問時に私は常々英単語の発音で疑問に思っていたことを彼にたずねてみた。

color collar という2つの単語は我々日本人にとって発音の違いを聞き分けるのがむつかしいが、あなた方英米人でも同様に聞き分けがむつかしいか?」

ご存知のように、日本語の母音はアイウエオの5種類しかないのに対し、英語の場合は数多くある。聞き慣れない日本人にとってそれらの類似した母音の発音は聞き取りにくいものである。[Λ]と[a]の母音はそのなかでも特に判別のつきにくいもののひとつであろう。ひょっとして英米人にとっても聞き取りにくいのではないかと、淡い期待を込めてこの質問をしてみたのだ。

彼の答えは期待に反して 「ノー」 であった。英米人にとって color と collar はまったく別の音に聞こえるので、聞き間違えることはまずないとのことであった。

さすが生(なま)外人。

ショーンに言わせると日本語の 「病院」 と 「美容院」 のようなものであるそうだ。彼は40歳から日本語を習い始めたが、何度聞いても 「ビョウイン」 と 「ビヨウイン」 は同じ音に聞こえるとのことであった。「『病院』と『美容院』を聞き間違える日本人はいないだろう?」と、ショーンは言った。なるほど、変に説得力のある説明に思わず納得してしまった。

そうこうするうちに、我々の会話にうちの奥さんと娘が参加してきた。そして遊びで発音のテストをやろうということになった。そこでざっと私の頭の中に浮かぶ以下の発音の紛らわしい英単語を書き出し、ショーンにテストしてもらった。

   color/collar    very/bury     bad/bat

   bed/bet        cough/cuff     cars/cards

   thing/sing     grass/glass     heart/hurt

   heard/hard   years/ears     lays/lathe

   bag/back      couch/coach  clew/crew

   thin/sin        moss/moth     thought/sought

   lice/rice       bed/bad          Korea/career

   luck/look      food/hood       month/months

テストのやり方は、ショーンに上記の紛らわしい対の単語のひとつだけを発音してもらい、どちらの単語を発音したのかを当てる方式を取った。

テスト結果はどうであったか。

私はかろうじて8割りの正解率だった。なんとか英検1級の面目を保てた気がした。英検2級半(1次のみ通過)の私の妻は正解率7割であった。最後に英検準2級の娘はどうであったか。娘の英語のレベルは妻より下であり、かつ彼女の知らないであろう単語も含まれていたので、正解率はせいぜい6割くらいかと思っていた。

 

ところが、

中学3年生の娘は全問正解であった。



全問正解どころかもっとすごいことに、彼女はショーンと同じように、 color と collar などの単語がまったく別の音に聞こえるとのことだ。

あたまがクラクラした。

よくよく娘の話を聞いてみると、当時娘は某私立中学へ通っていたのだが、その学校では中学1年から英語の授業に「英語音声学」というのがあって、生外人から徹底的に発音を矯正されるとのこと。だから[Λ]と[a] や [R]や[L]の違いは、まるで「病院」 と 「美容院」のごとく、自然に聞き分けられるようになったと言う。

私はその時まで、帰国子女は別にして、大多数の日本人は私と同じように、[Λ]と[a]、[R]と[L]等の紛らわしい発音の違いをはっきりと聞き取れないものと思い込んでいた。ところが今回のテストによって、私の認識はまったく間違っていたということを思い知らされた。世の中には娘のようにビミョーな英語の発音の違いを聞き取れる日本人が案外多数存在するのだ!!

まさに晴天の霹靂。

これまで中学生の娘に時々英語を教えてきた。その時、やけに娘の発音が外人ぽいなと思ってはいたが、個々の単語の発音の聞き取りは彼女のほうが数段上であったことにまったく気づかなかった……。

よく日本人の英語ができないのは学校の英語教育が悪いからだという批判があるが、そのような批判は今日の英語教育にはあてはまらないような気がする。

現在の中学、高校の英語の授業は我々の世代から比べると飛躍的に改善されており、また先生たちの英語の技量も確実に上がっているようだ。そのような恵まれた英語教育の下で、彼女たちのような中学生が日本中にぞくぞくと誕生している。これはすごいことだ。


後生おそるべし。

私のような昭和30年代生まれ、もしくはそれ以前のオジサン世代は、学生時代に英語の授業で「音声学」なるものはなかったし、また我々に英語を教えてくれた先生方の大半は本当の英語の発音を知らなかったと思う。彼らは戦争を体験している世代だけに、学生時代にまともな英語を学べる環境になかったのだから、当然といえば当然か。それに英語の授業をできる生外人もほとんどいなかった。生外人が英語の授業をするのに日本語がある程度話せなければならないが、我々の学生時代に日本語を話せる外人はなぜか関西弁のイーデスハンソンか、ディスクジョッキーのロイジェームスか、耳の動かせる変な外人のイーエッチエリックくらいしかいなかった。

ここまで私のブログを読んでくれた読者は、例外はあると思うが、おそらく大別して2つのグループに分かれていると思う。ひとつは私と同じように color/collar の違いを聞き取れないオジサングループ。もうひとつはいとも簡単に聞き取とることができる若い世代のグループだ。

もし、読者のなかに私と同じように color と collar の聞き分けができず、英語をある年代からあらたにはじめて資格を取ろうとされる方がいるのであれば、いろいろ異論はあろうが、あえて批判を恐れずに言おう。


オジサン族では私も含め、TOEICは残念ながら、高得点は望めないと思う。

なぜならば、TOEICは純粋な英語の技量を測るテストであり、単純な問題形式が多く、特にリスニング面ではこのような類似性のある発音の相違を問う問題が多く出題されるからだ。この部分では、帰国子女や音声学のような新しい英語教育を受けてきている若い世代には到底かなわない。

それでは我々オジサン族はどのような英語の道を歩くべきか。


それは英検1級である。

英検1級は、TOEIC と違い、論理性を求める試験である。書かれているものを読み理解する、書かれているものにかんして独自の意見を述べるといった形式の試験は、短に英語の技術だけではないので、我々オジサン族でも充分に到達可能だ。いやむしろこういった試験形式は人生経験を多く積んできている我々の方が有利な気もしてくる。

それでは我々オジサン族はその英検1級にどのようにアプローチするべきか。

次回、我々オジサン族が歩むべき英検1級合格の最善の方法を述べたいと思う。

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2006年8月20日 (日)

話す内容を持っているか


1999年11月のとある日曜日、私は英検1級の2次試験を受けるために、試験会場となっていた某私立大学にいた。

英検1級の2次試験は、ご存知の方もいると思うが、与えられたテーマについて英語で2分間の即興のスピーチをするものである。与えられるテーマは実際に面接を受けるまでわからない。面接室でテーマを与えられてからスピーチを始めるまでに1分間の考える時間が与えられる。わずか1分間で2分間スピーチの構成を組み立てるため、極度の集中力を必要とする。まさに一発勝負で、おそらく国内で行われる英語の試験では最難関のもののひとつであろう。

その2次試験を受けるため、面接試験室前で他の受験者たちと面接の順番を待っていた時のこと。

私の右となりに座っていた若い女性(大学生風)が、緊張をやわらげるためかやはり彼女の右となり座っていた若い女性と雑談を始めた。話しを聞いていると、どうやら彼女たちは帰国子女で海外生活が長く、一人の子にいたっては生まれてから16歳になるまでニューヨークで過ごし、就職を考えて日本の大学に通うために一時帰国しているのだそうだ。そのうち彼女たちは英語に切り替えて話し始めた。英語の方が日本語より話し易いという。英語を自然に使って話していた。まるで英語が母国語のように

戦慄を覚えた。

英検1級の過去のデータを調べると、1次試験の合格率は約1割強で、2次試験の合格率は1次試験通過者の約3割だ。つまり英検は競争試験で、2次試験では3人に1人しか合格しない。そして私はこのようなまったくネイティブスピーカーに近い受験生たちと2次試験を競わなければならないのだ!

まわりを見回すと私のような40歳をすぎたオジサンはいない。ほとんどが学生か20代の若者だ。みんな帰国子女のように見えてくる。かりに帰国子女でなくとも、わたしの学生時代とは大いに違い、豊富な英語教材を使って勉強し、豊富な英語経験をしてきているに違いない。英語ぺらぺらの彼らにくらべ、30歳から英語を再度始めた私は口がおもく、発音もコテコテの日本人英語なのだ。とても彼女たちのように流暢に英語が話せない。だから彼女たちに勝てるわけがない。自信を失いかけていた。

ただし私にも彼らに負けないものがふたつあった。

それは読書量人生経験である。

本から得られる情報は人生経験を通して自分の意見として形成される。30歳から英語を勉強しはじめた私は、ジャンルを問わず年間50冊の読書を自分に課してきた。この2次試験を受ける時点で、600冊以上の本を読破してきていたと思う。したがってどのようなテーマであれ聞き手が興味をもつような内容のスピーチをすることができる自信はあった。たとえそれがコテコテの日本人英語であっても

いよいよ私の面接の順番がきた。

面接室へ入ると、面接官が二人いて、一人は30歳代の大柄な外人(名前はボブさんといった)と年配の日本人だった。簡単な雑談ののちにテーマが書かれている紙を渡された。5つほどのテーマが書かれており、そのうちのひとつである「臓器移植の賛否」を選択した。これまでに立花隆氏の「脳死」、キューブラロス博士の「死の瞬間」やムーディの「かいま見た死後の世界」等、臓器移植や死の問題に関する本や新聞記事を読んでいたのでこのテーマを選択した。

2分間のスピーチの中で、私はあえて世論の流れとは逆の「臓器移植」の反対の立場をとりその理由を丁寧に話した。私のスピーチ中、ボブさんが身をグッと乗り出して興味を示したのがわかった。その時に2次試験は合格したと確信した。たしかに発音やイントネーションは大切だが、それ以上に重要なのは相手に話す内容があるかどうかだと思う。たとえネイティブスピーカーであっても、話す内容がお粗末では英検1級の2次試験は通過しないだろう。

その翌月の12月に英検1級の合格通知が届いた。

私は20歳代に消防士をしていたのでまったく英語とは無縁の生活をしており、30歳になってある産業機器メーカーへ転職をしたのを機に英語を再度勉強した。

今回の合格で 30歳から英語をやり直して、充分に英検1級レベルまで届くことができる ことを証明できた。

私と同様に社会にでてから再度英語をやり直す人が多くいると思われるので、私の英語の学習方法が参考になれば嬉しい。

現在会社勤めをしているので、今後週1回くらいを目安にこれまでの私の英語学習や英語経験を述べていきたいと思う。

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