「なんであれ、そこに実際に行った奴にはかなわないんだよ」
これは、20年以上前、朝のニュース番組でテレビレポーターの仕事を始めたときに、プロデューサーから言われた言葉です。
3分間のレポートをするために、前日まで東奔西走、いったいどうすれば番組が面白くなるか、迫り来る時間と闘いながら、ディレクターと共に話し合った時間は、今になって貴重だったなあと思います。
歴史的瞬間に現場で立ち会う興奮。
つくば万博、電電公社の民営化、松田聖子さんの結婚式、わが母校が準決勝に進出した甲子園……。
プロデューサーは続けて言いました。
「百の説明をされるより『行って来たんですけどね』の一言にはかなわないからな。落語家なんだから、いつまでも現場主義でいろよ」
この言葉を肝に銘じて、話題の場所へ体を持っていくようにしたおかげで、落語のマクラも増えました。
こんなことを思い出したのは、長野市にある北野文芸座で年に一度続けてきた独演会が、偶然にも聖火リレーの前日だったものですから。
日々のスケジュールはアバウトにしか把握していないので、このことに気付いたのが前々日。
日帰りの予定を急きょ、前日から一泊しようと、ホテルに問い合わせても当然満室。
頼み込んで、劇場の楽屋に泊めてもらいました。
翌朝6時、大集団の歓声で起こされました。
楽屋の窓の下を通る道をはさむ両側の歩道は、すでに真っ赤な中国とチベットの国旗で埋め尽くされていました。
そこここで「フリー チベット!」と叫ぶ人たち、在日中国人の「中国加油!」(中国頑張れ)の大声。
人が同じ目的のもとに団体になると実に不気味。でも、旅館の前を掃除していた、私の知り合いの女将さんには日本語で「おはようございます」ときちんとあいさつしていったそうで、「一人一人は礼儀正しいのね」と。
劇場前、幅10メートルを横切った聖火をしかと見ることができました。目にも鮮やかなオレンジ色。この焔(ほのお)のために門前町が集団に圧倒されていました。
中国人には祭典、反対派にはデモ、警察には国家の威信、長野市民にとっては混乱、さまざまな要素が入り混じった、なんとも言えない空気。
言葉にならぬ現場の空気を胸に、新幹線に飛び乗り帰京の途についたのでした。
毎日新聞 2008年5月2日 地方版