12月8日大戦開戦の日であった。開戦特集で10日テレビで開戦の火ぶたを切った真珠湾攻撃の隊長であった淵田美津雄の生涯「伝道者となった真珠湾攻撃隊長」一その心の軌跡一を見た。
淵田はあの有名な「トラ トラ トラ 我 奇襲に成功せり」を打電し英雄となるが、敗戦後は農業の晴耕雨読の隠遁生活を行う。
米国への憎しみがなおもくすぶる中、一人の米国少女の話を聞く。「中国で日本人捕虜虐待のために日本軍に殺された牧師を父に持つ少女(マーガレット・コーベル)が、米国で日本人捕虜のために献身的に働いた。それは死刑のとき聖書を開いて祈って死んでいった父の意志を受け継ぐためであった」。少女はその時、父はキリストのように、自分を殺す日本人の罪を赦してくださいと祈ったのではないかと受け止め、自分も日本人の為に働くことを決心したという話である。
この話を転機に淵田は聖書を向き合い聖書を読むのであった。
彼は米国に渡り「私は罪を犯した。またあなた方米国人もヒロシマ・ナガサキで罪を犯した。共に悔い改めよう」と全米を伝道したのだった。
海軍の仲間には戦争で成果を挙げ、一転してそれゆえに有名な彼が、罪の許しを説くことを批判する者もいたが、淵田は「そう批判されてまでもキリストの愛と赦しを伝えたい」と語り、誤解されても言い訳をしなかった。
印象に残った彼の自伝の言葉。
「軍人として祖国のために戦った。それは当然だった。それにしても正義とはなにか。人間は正義を語ってならないのではないか」
「あの時あんなに一生懸命だったのに。戦争とは何か。勝っても負けてもただ虚しい」
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