1945年8月9日の御前会議で、日本政府は「国体護持」(天皇制を護ること)を条件に日本軍の降伏を認めることを、秘密裏に決定する。
(しかし、表向き(国民向け)の徹底抗戦(本土決戦、一億玉砕)の、方針は微塵も変更されることは無かった。)
敗戦を自覚していた日本政府は、ソ連との日ソ中立条約を頼みに、ソ連を仲介した連合国との外交交渉に働きかけ、絶対に無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)ではなく、国体の保護(天皇制の保護)を条件とした『有条件降伏』に何とか上手くならないかと、この時点(ヒロシマ、ナガサキの原爆投下)でも世界情勢を自分に都合よく考えていた。
しかし、この時すでに連合国側は、ヤルタ会談(1945(昭和20)年2月)においては、ドイツ降伏(5月7日、ベルリン陥落は5月2日、降伏文書署名は5月9日)後3ヶ月以内でのソ連軍の対日参戦が決定されていた。
そして、1945年4月には、1941年締結の日ソ中立条約の不延長を日本政府に通告してくる。
対日参戦の為に、ドイツ軍降伏以降はヨーロッパ戦線のソ連軍を、シベリア鉄道をフル稼働させて着々と極東に集結させていた。
とうとう8月9日(条件付敗戦を決めた御前会議当日)深夜、ソ連は連合国との約束どうり日ソ中立条約を破棄して、対日参戦を宣言する。
ソ連軍の進攻が開始される。
日本としては最期の頼みの綱のソ連に参戦されて、万事休す。
天皇制の維持で、ダラダラと連合国側と条件交渉している場合ではなくなった。
27年前のニコライ2世皇帝一家処刑事件は、彼等にとっては忘れてしまえるほど昔の話ではない。
1918年におこったロマノフ王朝の最期を知っていれば、ソ連軍参戦ほど恐ろしいことは無かった。
やむなく無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を受け入れることが8月13日に決定される。
サイパン陥落(1944年7月)以降、日本の敗戦は、誰が見ても決定的で避けられなかったが、その絶対不回避の事実を、唯の一人も認める(理解する)政治家も軍人も日本にはいなかった。
この最期の一年間で、粗すべての日本の都市が焼け野原となり、数百万人以上の日本人が死亡する。
始めるのは簡単だが、一度始めた戦争はそう簡単には終わらない。
8月14日は無条件降伏(ポツダム宣言の受諾)を戦勝国(連合国側)に通告した記念日である。(敗戦記念日)
8月15日は日本軍の統帥権を持つ裕仁大元帥が、大日本帝国の降伏を国民(臣民)に発表した記念日であろう。(帝国の敗戦認定日)
9月2日のミズリー号での署名は、日本帝国軍の降伏文書への署名 とも考えられる。
9月2日は日本軍降伏記念日。
サンフランシスコ講和条約を1951年9月8日、日本側の吉田茂首席全権大使が署名、 衆議院 参議院の両院が締結を承認、内閣が条約を批准 して1952年4月28日に発効した。
戦争が正式に終わるためには講和(平和)条約を、戦争当事国同士で結ぶことが絶対条件となる。
それなら終戦記念日は4月28日 である。
(しかし、戦争当事国で有るソ連も中国もこの平和条約には参加していない。中国とは其の後平和条約を結ぶが、ロシア(旧ソ連)や北朝鮮との平和条約は無く、両国との戦争状態は法的には完全終結していない事になる。)
外国の例では半世紀前に終わっている朝鮮戦争は当時者が停戦協定しか結んでいない為、法的には戦争中といえる不安定な状態で米朝二国間協議による平和条約(講和条約)の締結が待たれる。
戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるためには途轍もない時間と途方も無い労力を必要とする。
『屈辱の日』
日本本土の人々には殆ど記憶に無い4月28日は、当時沖縄県在住の日本人、百万人の人々にとっては、屈辱の日として決して忘れられない日として心に刻まれている。
普天間や名護の問題も、この日が関係しています。
外国(今風の言い方なら異教徒)の軍隊に占領されて主権を放棄した記念日でもある。
今日本本土では軍政は7年間だったので、沖縄県の一般の市民が、軍事占領下に長年生きなければならなかった事実を、済んでしまった他人事として忘れ去られようとしている。
普天間や名護の問題は、決して普天間や名護だけの問題ではない。沖縄の問題は、決して沖縄だけの問題ではない。
日本人全体にとっても4月28日は決して忘れるべきでないでしょう。
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琉球はもともと軍事力というものを持っていなかったから,中国や台湾と平和裏に交易ができたという歴史を持っている.その平和を破壊したのが薩摩藩である.王族は「華族」として残したものの,琉球国としての独立は崩され「沖縄県」として,日本国の洗脳を最も激しく受けることとなる.未だに保守派の人々が「それに触れたくない」のは薩摩の恐ろしさを身を持って体験しているからではないかと思う.
何か、今のチベット独立運動を連想させる話ですね。
何故、今になってからチベット独立があたかも歴史的事実だった話になっているんでしょうか。?
これは実に不思議な話だ。
歴史を調べて見ても、チベットが独立国だった時代は無い。辛亥革命時に一度だけ独立宣言をしているのは事実だが、世界(国際社会)は誰も認めていない。
榎本 武揚の宣言したエゾ共和国に似た話で国際社会が認めたことは一度も無い。
日本の飛鳥時代以前に、チベットは既に唐の版図に組み入れられていたし、唐代以前は国家としての体裁を持っていなかった。
100年前の河口 慧海師がチベット入りした時、チベットの内側はチベット人が治めていたが国境警備はシナ兵が行なっていたと有る。
そういえば台湾は中国(清帝国)時代の琉球王国時代の歴史から、沖縄県ではなく、今でも琉球と呼んでいるらしい。
そういえば昔、台湾で売られていた中華民国の地図では、外蒙古(モンゴル)もパミール高原も中国の版図に入っていた。
何故か。ソ連軍は見てみぬ振りをしたのである。
これこそがスターリン主義の本質であり、一国社会主義、労働者国家無条件擁護の結末なのです。
ふいのソ連参戦は、毛沢東擁護、金日成側面支援、極東革命支持の戦略的決定でありましょう。
満州にいた日本移民団はひどい目にあいました。
そして一年後に、ほとんど同じ悲惨な過ちが起きる。同じポーランドの同じワルシャワで、同じような悲劇、一桁違いの規模で惨劇が繰り返された。
戦争前にはポーランド国内に人口比で八分の一のユダヤ人口を抱え、ワルシャワでは四分の一以上の人口比だった。ポーランド民族主義が盛り上がり、ユダヤ人がドイツ軍に敗れることを歓迎するポーランド人がいたんですよ。
一年後のワルシャワ蜂起はロンドンにあったポーランド亡命政府が主導したが、目的はソ連軍主導ではなく亡命政府の国内軍でドイツ軍に勝って主導権を握りたかった。
ソ連軍は国内軍(亡命政府)に勝たせたくなかった。
彼等には、湾岸戦争時に、アメリカ軍を信じて蜂起したクルド人やシーア派と同じ運命が待っていた。
アメリカ軍であれ、ソ連軍であれ、大国の軍隊が自国の利益以外の行動をすると考えるのは、甘すぎる考えです。
『ふいのソ連参戦』なんていう見方も、国際政治に対する甘すぎる考え方ですね。
帝国主義軍隊とプロレタリア独裁とプロレタリア世界革命を軍事をもって保障する赤軍とは、おのずとその役割が違うでしょう。同じであればソ連といえども社会主義国家とはいえない。
沖縄を見捨てたのは、アメリカと日本の帝国主義者の意見の一致と見るべきで、国際政治がどうのというブルジョワ学問とは相容れないと思いますが、どうでしょう。
旧約聖書時代のユダヤ人だって,実際にはエジプトやシリアやペルシアに囲まれた少数民族で,独立国として存在し得た時期は少ない.
近代のポーランドもそうで,ポーランドはカトリックの,北にぽつんと離れた飛び地.当然,ユダヤ人らもプロテスタントの迫害を逃れて集まってきます.中欧だとオーストリア(東ローマ帝国というのがドイツ語の正しい訳語)のウィーンもそう.ここにはユダヤ人をはじめ,様々な少数民族が結集し,多彩な文化を繰り広げていた.自国の利益になるからこそ,ハプスブルク家も大目に見ていた部分がある.
ソ連・ロシアの飛び地であるカリーニングラードも軍事的な役割以上に,かつてプロイセンと呼ばれていた北東ドイツに散らばっていたロシア人やユダヤ人を保護し職業を与える役割もあった.特にここは貿易港・漁港もあり,ロシア人の好物のニシンの缶詰工場が今でも多く操業している.ニシンは今が旬です.一度,ニシンの酢漬けのサンドイッチを食べてみて下さい.
あんまり「〜イズム」という言葉に囚われると,本質を見失いますよ.
共産党員の作った靴も、右翼国粋主義者の作った靴も、粗悪品は粗悪品で良品は良品です。
左翼国際主義であれ、右翼国粋主義であれ、社会主義であれ何であれ、『客観的事実』や『科学』より優先されるべき真実は有りません。
科学的知見より「〜イズム」「〜主義」が優先される社会とは、正教一致の宗教国家(神聖国家)に、限りなく近づいている、と言わざるおえない。
自分にとって、良いか悪いかの利害関係は立ち位置で変わりますが、正しいか、正しくないかの、客観的事実は、主義や政治的立ち位置では決りません。
>歴史を調べて見ても、チベットが独立国だった時代は無い。辛亥革命時に一度だけ独立宣言をしているのは事実だが、世界(国際社会)は誰も認めていない。
恐らく,台湾政府と米国の作り上げた妄想じゃないでしょうか.台湾は今は国民党政権で中国と接近する政策を取り始めてるけど,独立派が選挙で負けた時期とチベット自治区や四川省でのチベット人の叛乱がちょうど時期的にリンクしている.絶対に台湾省が中国に組み入れられたくない勢力にとっては,北京オリンピック潰しは格好のネタなんですね.
>日本の飛鳥時代以前に、チベットは既に唐の版図に組み入れられていたし、唐代以前は国家としての体裁を持っていなかった。
というか,唐に組み入れられて,初めて行政組織を持ったと言っても良いでしょう.チベット仏教と呼んでる彼等の宗教も実際にはダライ・ラマを宗祖とする「ラマ」教であり,政教一致のもの.もともと高原で食料が採れないことが「生産力を増やすこと」から宗教へと人々を追いやっていた.人々は重税にあえぎ,共産党政府になってようやく中国本土からの食料援助が始まったが,中国人との所得格差は未だに2倍以上に達する.これが叛乱の直接的な原因でしょう.
>そういえば台湾は中国(清帝国)時代の琉球王国時代の歴史から、沖縄県ではなく、今でも琉球と呼んでいるらしい。
前にも書いたように,日本人つまり薩摩藩は侵略者でしたからね.奄美大島での重税も激しく,戦後幸いに鹿児島県として残ったものの,病院も医者もいない,そこで徳田虎雄が阪大医学部に進学し,特定医療法人徳洲会を作り,全国の僻地に病院を建て,鹿児島2区からたった一人の自由連合として衆院に出ました.今では働き過ぎで肝臓を病み,死期を待っているそうですが.< 紳士服のはるやまの社長が師と仰いでいるらしい
>そういえば昔、台湾で売られていた中華民国の地図では、外蒙古(モンゴル)もパミール高原も中国の版図に入っていた。
それは蒋介石がまだ生きてた頃のものじゃないでしょうか.モンゴルも葱嶺 (タジキスタンやアフガニスタン) まで俺のモノだ,というのは如何にも彼らしい(笑)
>そういえば台湾は中国(清帝国)時代の琉球王国時代の歴史から、沖縄県ではなく、今でも琉球と呼んでいるらしい。
確かに琉球方言は台湾語に似ていますね.やはり地理的に日本よりは台湾に近いことが原因じゃないかなと思ってしまったりします.台湾との旅行や通商もやはり那覇空港や那覇港が中心のようです.以前,モノレールが開通した時のビデオを見た時,モノレール駅の高い所から那覇市内を見ると,那覇港の広さに驚きました.(表向きには人口30万と思えない大都会で,隣の沖縄市(旧コザ市)とくっつくと中核市も夢じゃないです)
>チョッパーさん
満洲移民の話をするなら,ナチスの移民政策にも触れないと公平でないですよ.
どちらも実態は「貧しくて食えない人々に農業という職業を与えてメシを食わせる」という大言壮語がもとになっています.でも,一番悲惨だったのは満洲人やチェコ人など,移民先の原住民じゃないでしょうか.
私がドイツ語を習ったドイツ人もナチスの移民政策の犠牲者の一人でした.極貧の家庭に生まれた彼は兄と両親と共にチェコへ移民しナチスに与えられた農地で農民となりました.しかし,数年後,ドイツは敗戦となり,彼等は追い立てられるようにチェコからドイツへと帰りましたが,食うに困り,兄弟は修道院へと預けられたのだそうです.両親の顔を見たのは二人が神父になってから,とのこと.
移民とは良く言ったもので,実際には貧困と貧困とが国家権力によってぶつかり合った「一時の平和」に過ぎないのだと,そのドイツ人は教えてくれました.
那覇市の隣接自治体:浦添市・豊見城市・南風原町・西原町
隣接していません
この様な発言では、本当に自分の意見、主張に自信が有るなら、御自分の立場や名前を明らかにするべきでしょう。発言者の品位が問われますよ。
東大教授の発言であれ、おちこぼれ女子高生の発言であれ、正しい意見は正しく、間違いは間違いですし、有名大学の教授でも御馬鹿が沢山いるのは皆さんも、良く知っていることです。
Unknown氏は、kaetzchenさんの学歴詐称経歴詐称が大問題と、考えているようだが、当ブログでは、どなたであれ、学歴や経歴での、一切の差別はいたしておりません。
また、Kaetzchenさん本人もご自身の学歴については語っていませんし、私もそのようなことには何ら興味は有りません。
Kaetzchenさんのコメント内の記述ミスが、大問題とUnknown 氏は考え指摘しているようですが、ブログ管理者としては、個々の読者のコメント内容のミスに、一々干渉できないことぐらい常識ではないでしょうか。
コメントは、誰であれ、記事に関係する大きな記述ミスに大しては削除なり訂正なりをしていますが、些細なミスや意見の違いは、そのまま掲載しています。
そのまま掲載されているからといって、読者のコメントとブログ管理者の意見が一致しているわけでは有りません。
しかし、この様な人格攻撃、中傷誹謗と見られかねない個人攻撃紛いの匿名記事を放置するわけにはまいりません。(記述ミスの指摘とは明らかに違います)
この様な、ご自身の身分や経歴などを明らかにせずに、人格攻撃など、特定の個人相手に攻撃する態度では、誰からも信用されないでしょう。
この様な個人攻撃、人格攻撃紛いの自分の主張、意見に対して、みんなからの信用を得たいなら、今のような匿名ではなく、逆に名前や学歴経歴身分など、自分自身を明らかにする必要が有るでしょう。
匿名でのコメントは等は次回からは、即刻削除します。
私は最初からこういう下品かつ無知なネットゴキを想定して,あの記事を書きました.
那覇市と沖縄市との間にはどのような自治体が挟まっていますか? そう,モノレールで繋がるほどの,距離的にわずかな自治体が挟まっているだけです.
沖縄県は自治体内に米軍基地を抱えているという複雑な背景を持っているため,町村合併が進まないという事情を抱えています.だけど,国家権力が動けば無理矢理に合併させられてしまう可能性は高いです.昨今の米軍基地移転の問題なんか,その典型でしょう.
もうちょっと知能の高いコメントをお願いします.
県内では那覇市が隣の浦添市などと合併という問題が起こりましたが、那覇市が浦添市と一緒に管理している那覇港の問題でもうまくいかず合併は一部に留まっています。県としては那覇市と隣の浦添市周辺を合併させて中核都市形成を狙っていますがすすんでいません。
この様な細かいミスを指摘してくれる人達がいるからこそ、日本は世界一の「ものづくり大国」に成れたんですよ。ミスを指摘してくれる人を大事にしてください。
下品とか無知とか呼んでは失礼です。以後注意してください。無駄な論争の為の論争、喧嘩の為の喧嘩は感心しません。
そんな態度だから共同執筆者から嫌がらせ受けるようなはめに陥る。その点私なんか、喧嘩を買ったことはあっても売ったことは一度も有りません。
それはさておき,那覇市と浦添市との合併問題については沖縄県の Webページでも詳しく説明されています.中核市(都市じゃないです)としては那覇市単体でも十分になれると思うのですけどねぇ……(なぜか総務庁の Webページでは無視されてる).他の九州の県同様に,県庁所在地に人口が集中している所は同じなのですが…….筆が足りなかった所を沖縄県民さんが後で修正して頂いたのは感謝してます.ただ,これはミスではなくて補足でしょう.<ブログ主さん 沖縄県民さんが冷静に対処して頂いた事を感謝しております.
それはさておき,那覇市と浦添市との合併問題については沖縄県の Webページでも詳しく説明されています.中核市(都市じゃないです)としては那覇市単体でも十分になれると思うのですけどねぇ……(なぜか総務庁の Webページでは無視されてる).他の九州の県同様に,県庁所在地に人口が集中している所は同じなのですが…….筆が足りなかった所を沖縄県民さんが後で修正して頂いたのは感謝してます.ただ,これはミスではなくて補足でしょう.<ブログ主さん 沖縄県民さんが冷静に対処して頂いた事を感謝しております.
ネットゴキというのは私の造語で,よくネット右翼などと言われてる,コメント欄を悪口で埋め尽くす連中のことですけど,右翼の方々に迷惑ですので私は昔,実験動物に使ってたゴキブリの名前をつけてます.彼等も飼うと結構可愛いんですけどね(笑)
ちなみに komichi さんがネットゴキについて詳しい研究をされてますので,以下の url もお読みになると良いかと思います.
http://komichin.blog80.fc2.com/
P.S. 上のコメントの「総務庁」は「総務省」に格上げされてましたね.
「ペーリオンの上にオッサ山を投げ落とす」って、知ってますよね。
二人の巨人がオッサ山をオリンポス山の上に置き、ペーリオン山をその上に置き、天にのぼって神々と戦おうとし、海を山で埋めて陸地とし、陸地を海に変えようとした。
つまり喩えとして、とてつもなく複雑な大事業をおこなう、転じて些細なことに巨大なエネルギーを使うということです。ギリシャ神話ですが。
些細なことに巨大なエネルギーを使ってますかねぇ.そんなふうに見えるのかなぁ.確かに図体はでかいですね.生前の小田実氏ほどじゃないけれど.そいえば小田実の専門も古典ギリシア文学でした.