◇3年前まで男性…今は痛みを知る女性 苦しむ人を励ましたい--椿姫彩菜さん(23)
巻き髪にナチュラルメーク、ポイントにかわいいピアスも忘れない。ファッション誌のモデル、椿姫彩菜さんは3年前まで「男性」としての日々を送っていた。生まれたときから体以外は女性だったといい、「やっと心と体が一致した今、世の中の偏見や意識を変えられたら」と願う。東京・渋谷のおしゃれなカフェで話を聞いた。【武蔵大・福島苗、写真は十文字女子大・新井裕子】
◇母「私の子に変わりはない」
椿姫さんは今春、青山学院大に復学したが、以前と違うのは体も戸籍も女性になって、それが学校にも認められたこと。「以前は見た目は女なのに身体測定では男扱い。距離を置く友達もいて、自分ってなんだろうって悩みました」
個性的なファッション誌「小悪魔ageha」で巻き髪、メークを披露する。芸名はオペラの椿姫からとったという。「ニューハーフというとお笑いや色もの扱いが多かったけれど、今は女性として女性誌に出させてもらい、とてもうれしい」
「自分の性」を初めて意識したのは小学校低学年のころだったという。夢がセーラームーンになることだった椿姫さんには、自分のランドセルが黒いことが理解できなかった。3年生で私立男子校に転校、嫌々、男子の制服を着用しなければならなかった。
中学に入ると薄く化粧し、大きめのセーターで体のラインを消し髪も長くした。「校則違反だ」と息巻く教師もいたが、髪は女の命とかばってくれた女性教師や友人がいた。校則違反をしている分頑張ろうと、勉強やピアノ部部長などに懸命に取り組んだ。
大学に入ると男性として扱われ、再び苦しんだ。見た目は女性の椿姫さんとどう接していいかわからず距離を置く友人もいた。派遣のバイト先では男とわかった途端に力仕事にまわされたり、あざ笑われることもあった。
3年前、戸籍の変更を認める法律(性同一性障害者特例法)の施行を聞き、両親に「戸籍を変えて女性として生きたい」と訴えたが、強く反対された。戸籍は変えたいが迷惑はかけられない、悩みに悩んだ末、家を出た。大学は休学にした。
家を出てさまざまな人と知り合った。「何も悪いことはしていない」と言い切るニューハーフに勇気をもらった。成人式後の同窓会で振り袖の椿姫さんを白い目で見ない友達に元気をもらった。自信を持てずに生きてきた椿姫さんは、体も女性になることを決意した。
ホルモン治療をへて性別適合手術を受けた。痛くも不安もなかった。自分の体が心と一致した喜びがわき上がってきた。「体に腫瘍(しゅよう)があったら、手術で取り除かなければいけない。そういった感覚だった。一刻も早く元の体に戻りたかった」
この後、2年ぶりに両親と会った。「健康に産んでくれた体にメスを入れてごめんね」と泣きながら謝ると、母親は「男でも女でもあなたはあなた、私の子供に変わりはない」と抱きしめてくれた。そして椿姫さんが女性に生まれていたらつけるはずだった名前をもらい、戸籍を変更した。第二の人生が始まった。
約2000人に1人いるとされる性同一性障害者。自殺者が多いだけでなく、自殺を考えたことのある人が6、7割はいるという。その原因が世間の冷たい目だ。「一番覚えているのが性同一性障害を取り上げたニュース番組。キャスターの嫌悪を感じているような反応に、周囲からおかしいという反応が一切なかった」と椿姫さん。法律や政策に頼るのではなく、人々の意識を変えていきたいと思う。「私がメディアに出ることで苦しんでいる人に勇気を与えられればうれしい」
子供は産みたいが、それは不可能。「母にはなれないが一生女として生きていける。だからいつまでもきれいでいたい。外見だけでなく動作や振る舞いも常に女性らしくいたい」と話す。
いまフランス語の勉強に精をだしている。フランス語教師だった母の影響で幼いころから慣れ親しんできた。「以前は悩んで勉強が手につかなかったけれど、今は勉強したい気持ちでいっぱい」
将来はフランス語を生かし、日仏をつなぐ親善大使になりたいという夢を持つ。「昔があったから今の頑張れる自分がある」とほほ笑む彼女に、性別を超えた人間的な魅力を感じた。人は痛みを知るから優しくなれる。
==============
■人物略歴
◇つばき・あやな
埼玉県生まれ。青山学院大2年。趣味はフランス語、ピアノ、ゲーム。身長165センチ。ブログはhttp://my.peps.jp/tsubakiayana
毎日新聞 2007年7月27日 東京夕刊