那覇で世界遺産の首里城を見た。琉球王が執務した書院の「鎖之間(さすのま)」で休息する。300円の茶菓子セットを注文して庭を眺めた。
女官姿の職員が琉球菓子の解説をしてくれた。和菓子と中国菓子とビスケットのような南蛮菓子が混じる。ジャスミンの香りのする「さんぴん茶」は、中国茶の「香片(シャンピェン)」だ。琉球王国は、東アジアと東南アジアを結ぶ物流の中継点だった。
琉球王は、中国皇帝から冊封され、保護国となることで朝貢貿易の権利を得ていた。正殿には、清の康熙(こうき)帝からもらった「琉球国王之印」の複製が展示されている。ラクダの鈕(ちゅう)(取っ手)がついた金メッキの銀印である。説明文には、元朝がチベットに与えた印がモデルで、だからチベットと琉球は同ランクだとあった。
確かに、腹ばいのラクダの鈕は、元の皇帝がチベットのサキャ寺座主に与えた「白蘭王」の印にそっくりだ。だが、清朝がダライ・ラマやパンチェン・ラマに与えた印の鈕は獅子だ。みな金印だった。銀印の琉球よりチベットの方が格上ではないだろうか。
清の皇帝に朝貢国の使節が拝謁(はいえつ)する時は、朝鮮、琉球、安南(ベトナム)、緬甸(めんでん)(ミャンマー)の順だったという。朝鮮王の印は亀の鈕の金印、安南は琉球と同じラクダの銀印だ。朝貢回数では琉球が最多だが、印材は朝鮮が格上だ。
沖縄県立博物館に行ってみた。「琉球処分」のコーナーで最後の琉球王・尚泰王を演じたビデオ劇が流れていた。「嘆(なぎ)くなよ臣下、命(ぬち)どぅ宝」と言う場面だった。王国は滅びたが、嘆くな、命は宝、粗末にするな……。
明治政府は琉球に処分官を送り、清国との冊封関係を解消させた。軍事力を背景に王国を解体し、沖縄県として日本に併合した。尚泰王は侯爵にして東京居住を命じた。
中国共産党はチベットに4万の人民解放軍を送り、17カ条協定を突きつけた。チベット解放を宣言し、中国に併合した。ダライ・ラマは全国人民代表大会の副委員長、パンチェン・ラマは常務委員にして、北京に呼んだ。
琉球処分とよく似た「チベット処分」だったが、ダライ・ラマがインドに亡命し、未完のままだ。最近のダライ・ラマは、チベット人に暴力をいましめている。「命どぅ宝」と言う尚泰王のようだ。中国に、併合されるチベットへの思いやりがあれば「処分」はもっと早く終わるだろうに。(専門編集委員)
毎日新聞 2008年5月1日 東京夕刊
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