「官製銀行」の責任の所在2008年05月01日 「民間に任せたら、こんな結果になっちゃった」。経営難が続く新銀行東京を立ち上げた最高責任者、石原都知事の他人事のような言い訳だ。 まるで経営者が民間出身だからダメだった、と言わんばかりだ。「私が社長をしていれば、もっと大きな銀行にしていた」とも言い切った。 民間の中小企業経営は命がけだ。企業が破綻(はたん)して、一体どれだけの人が己の命を絶ったのだろうか。 石原知事に問いたい。民間ではなく官僚に任せていたら、新銀行はここまで追い込まれなかったのかと。 血液製剤によるエイズ、C型肝炎の感染を見逃し「無責任体質」を問われたのは厚生労働省だった。社会保険庁が国民を欺いた「宙に浮いた年金」も、国土交通省が耐震偽装を放置しながら、逆方向にふれ建築確認の過剰な厳格化による「官製不況」を起こしたのも、すべて官僚任せの結果だ。 問題は出自ではなくて、責任の所在を明らかにしないことだろう。1千億円もの出資をした先が破綻をすれば、経営者ばかりでなく、出資を決めたトップの責任も問われる。 我が国の地方自治体の長、すなわち都知事や県知事は首相と違って、選挙民による直接選挙で選ばれた首長だ。地域においては大統領と同じような強い権限を持つ。だからといって、知事の独断専行や言いたい放題が許されるわけではない。 融資する中小企業に対する「目利き」の力もないのに、無担保無保証の融資をしてきた新銀行東京。1千億円と同様、都民の血税である追加出資の400億円が露と消えるのも時間の問題だ。だが、迷走を重ねる「官製銀行」を生んだ責任は、消えてなくなりはしない。(樹) PR情報 |
ここから広告です 広告終わり ここから広告です 広告終わり 株価検索どらく
鮮明フル画面
一覧企画特集
特集
朝日新聞社から |