「な、なによいきなり!?」
「前回は私を呼ばずに二人だけであんなことやそんなこと・・・」
「人聞き悪い!そういうことは冗談でも言われたくないわ!!」
「そ、そこまで力強く否定しなくても・・・」
「この件は韓国半万年の歴史に対する挑戦と受け取りましたよ?断固として、謝罪と賠償を要求します!」
「そんなこと言われても前回のネタに韓国は登場しなかったし、今回もしないし、そもそもお前はインド人のはずだし・・・」
「細かい事はケンチャナヨです。だいたい韓流属性がないと私が活躍できないと考えている事自体が間違いなのです」
「これまでのやり取りだけでも韓流属性満載だけどね」
「とにかく今回は私も横槍を入れます!第3回のネタはなんですか!?はいさっさとしる!」
「横槍って・・・まあいいけどよ」
「確か、医療崩壊の原因のひとつに医療訴訟、特に福島県立大野病院事件ってのがあるのよね。ほんとは第1回のヒキにしてたんだけど、第2回ではやれなかったのよね〜」
「余計な事は言わなくていい。まあ今回は大野事件を紹介する。
ところで改めて言っておくが、作者は医療関係者じゃない。医学部卒ではないし医学を勉強した事もない。そんな人間が医療訴訟のことを扱おうってんだが、このテーマで書く以上は医学的なことも少しは書かなくちゃいけなくなるわけだ。
なので今回は特に、内容が必ずしも正しいとは限らないからな。読む人間自身がソースを確認してリテラシーを重視するのは世界史コンテンツの鉄則だが、今回は特に気をつけてくれ。ついでに言うと作者は弁護士でもなければ司法書士でもないし、法律を勉強した事もないから、そっちの方でも要注意だ」
「ムチャクチャに不安ね」
「まあ基本的に、知ってる事しか書かないつもりだからな・・・それなりにソースには当たるつもりだが、分からない事があるからと言ってこっちに質問されてもぐぐる程度しかできないから、専門的なことに興味があれば専門家のブログを見るなりしてくれ」
「活発な活躍を見せている医療ブログは結構ありますね。有名どころでは、新小児科医のつぶやきとか、医療崩壊ネタは深く手広く扱ってるニダ」
「そういえば前回の最後に、医療崩壊の原因についていっぱい挙げてたわよね〜。過重労働、政策の失敗、マスコミ報道、トンデモ医療訴訟、モンスターペイシェントの増加・・・ってこれ全部やるつもり?」
「どれも重要だしな・・・まあこれは所詮作者が思いつくものだけだし、きっと本職の医師たちはもっと色々思いつくに違いないから、目立つのはこのあたりとしておこう。紹介については、いくつかはいっぺんにやるかもしれないけどな。しかし実はここで一つ追加したい」
「えっ何?」
「インターネット、特にブログの発達だ」
「な・・・なによそれ・・・」
「医療崩壊の原因はいくつも挙げたが、そもそもそれらは最近始まったことじゃないんだ。程度の差はあって、ここ数年でやたら酷くなったものもあるが、大なり小なり全て昔からあったことだ」
「前回の医師不足のテキストでも、「充分な数の医師がいたことは未だかつて無い」とありましたね」
「よく読んでるわね」
「予習はバッチリニダ」
「けど、医療崩壊ってのが話題になりだしたのはここ数年の話よね。どういうことかしら?」
「ちょっとだけ余談を言っておくが、確かに医療崩壊が世の中に知られだしたのは最近のことだ。が、このままでは危ないぞ!?と警告を発してた医師はもうずっと前からいた。新聞もテレビも雑誌もどこも誰も取り上げなかったから一般の話題に上らなかっただけだ。医療崩壊の原因を医療者に押し付ける人もいるが、筋違いだと強く言っておこう。そういうことをすれば崩壊をますます加速させるだけだ。
話を戻すが、例えば過重労働なんかは昔からあったが、それでも過去には話題になっていなかったのは、「過重労働して当たり前」と医師たちみんなが思い込んでたからだ」
「思い込んでた・・・集団催眠みたいね」
「まさしくそれに近い。洗脳と表現する人もいる。以前よくあった医療批判に、「医者の世界は閉鎖的で、世間知らずだ」ってのがあった。そしてその批判は、ある意味で正しかった。
医局制度の威力が強かった時代、外部の医師との情報交換すらも今ほど活発ではなく、医師になった以上は教授の命令に従い、僻地の病院にも派遣されたりなどして奉公するのが当然と思い込まされてたんだ」
「ふ〜ん」
「医局批判はいろいろな方面から根強かったですね。たしかマンガ「ブラックジャックによろしく」にもあったと思いますが、ちなみにブラよろは医師たちの間では評価が極めて低い医療マンガの代表格ニダ」
「しかし厚労省やマスコミからの度重なる批判を受けて医局制度は権力を失った。教授の言うことなど、実は聞かなくてもいいということがばれてしまった。研修医たちはスーパーローテートという新しい臨床研修制度になり様々な病院や診療科の情報を集めて、ハイリスクな病院や診療科には進まなくなった。僻地医療や特定の診療科は医局制度とともに崩壊したともいわれていて、今では医局制度は「悪い点はあったが、いい点もあった」と再評価されている」
「で、ネットやブログの発達ってどういうことよ・・・」
「わからないか?今まで閉鎖的といわれていた医療業界だったが、ブログの発達・・・医師たちが個人のブログで情報を発信するようになって、いきなりオープンになっちゃったんだ」
「様々な医師同士が交流した結果、「アイゴー!もしかして俺たちって、とんでもねえ環境で働かされてるんじゃないか?よその業界はこれほど酷くないらしいニダよ」と疑問を抱いた、あるいはすでに抱いていた人たちが活発な議論を始めました。
もともと全員が医学部卒という、理系最高峰のすごく優秀な人たちの集まりです。あっという間に法令の解析なども進み、労働基準法や厚労省の各種通達などなど微に入り細にうがったソースが山のように集まって、正当な労働環境がどのようなものかが知れ渡りました」
「洗脳が解けちまったんだな。はっきりいって、ネットの発達なくしてはこれもなかった。少なくとも、これほど急速に進むことはなかっただろう」
「そういうことね。だったらなんとなく分かるわ」
「ただ前回も言ったが、医師たちが我侭を言うのが悪いんだとかにはならない。問題は、正当な労働環境を整えようとするととたんに崩壊してしまうような仕組みにしちまった政府のほうだ。正当な労働環境は与えられて当たり前だ」
「・・・なかなか医療訴訟の話にならないニダ」
「おっと、そうだった。前置きを長々としちまったが、医療系ブログのメインコンテンツの一つが医療訴訟の分析だ。はっきり言ってこの方面で医療ブログが果たした役割は相当大きい。というわけでやっとの話だが、福島県立大野病院事件のことを解説しよう。
2004年の12月17日、福島県立大野病院で妊婦が帝王切開手術中に亡くなり、医療ミスと判断されて業務上過失致死及び医師法21条(異常死届け出の義務)として2006年2月18日、執刀医のK医師を逮捕した。
当時の報道はこのあたり」
「へぇ〜ミスで人を死亡させたなら逮捕もありえるんじゃないの?何でこの事件がそんなに話題になってるのかしら?」
「実は報道の一番初期には、産婦人科以外の医師たちもさして関心は高くなかった。ところがとあるベテラン産婦人科医が、自身のブログでこの件についてのエントリを書き、それを読んだ医師たちはまさに驚愕した。医学的に見て、この医師は何のミスも犯していなかったし、むしろ奇跡的といえるほどにうまくやっていたことがわかったからだ」
作者ブログでお弟子様よりご指摘を頂きました。事件報道直後から2ちゃんねるではかなり話題に上っていたようで、「当時すでに「僻地医療の自爆燃料を語る」スレも11まで進んでましたしね」と言う情報を頂いています。お詫びして訂正いたします。
○ この医師に癒着胎盤の治療経験は無かった。
● これほどの大量出血を伴う癒着胎盤は、産婦人科医が一生のうちに一度遭遇するかどうか。産科の最前線で10年バリバリ活動していても、遭遇していないという医師も数多い。
○ 事前に充分な検査をしていれば、癒着胎盤であることはわかったはず。
● 癒着胎盤は帝王切開中に胎盤を剥がそうと試みて、剥がれ難い事が分かって初めて判明する。事前の検査などで確認することはまず不可能。
○ 無理に子宮を摘出しようとして、大量出血を招いた。
● 子宮を摘出することは出血を止めるための唯一の方法。ちなみにこのときの出血は、じんわり滲み出てくるようなものではなく、数分の間に20リットルを超えるような勢いでまさに血の海。
作者ブログで七誌様よりご指摘を頂きました。数分の間に20リットルは間違いです。正確には、約1時間半の間に総出血量約12リットルでした。お詫びして訂正いたします。ちなみに一般的な帝王切開では輸血は1リットルしか用意しないのが普通だそうで、それと比べて12リットルがいかに多いかは想像できると思います。
※さらに追記。「紫色の顔の友達を助けたい」ブログ様の速報 大野病院初公判傍聴記より、検察の冒頭陳述から抜粋。
・ 14時26分手術開始子宮Uの字切開
・ 14時37分女児娩出 子宮切開部ペアンで止血
・ 14時38分用手的剥離 左手で臍帯引っ張り右手で用手剥離
・ 用意に三本の指で剥離していたところがっちり癒着した部分
・ 指を三本二本一本としたが指は入らないので癒着胎盤と診断
・ 14時40分クーパーで剥離開始(使用されたクーパーの写真モニターに提示)
・ この時点での出血は羊水含めて2000ml
・ 広範囲のわき出るような出血増加
・ 16時10分総出血量12085ml
・ 19時01分 剥離による出血による失血死
○ むしろすぐに子宮を摘出すべきだった。
● そもそも妊婦本人は術前に、子宮を温存することを希望していた。子宮摘出をするともう子供は産めなくなる。勝手に摘出も出来ず本来は家族の同意も必要。そして目の前に広がるのは突然の大出血、血圧降下、母体や胎児の生命の危機・・・これだけ難しい状況の中、数十秒のうちに判断を下すのはきわめて難しい。後からは何とでも言える。
○ 輸血を事前に準備していなかったのが悪い。
● 普通は帝王切開にそれほど大量の輸血は準備しない。通常必要になる程度の輸血は当然準備されていた。数万に一つのごく稀な事例のために大量の輸血を用意しておくのは無駄だし、この病院にそんな余裕は無かった。血液センターに緊急要請しても届くまで30分はかかる。
○ すぐに他所の大病院に搬送すればよかった。
● 帝王切開中に搬送などできるわけが無い。少なくとも出血は止めて縫合まで終わらせないと移動できない。出血が続けばわずか1〜2分で母体は出血性ショックに陥り、絶体絶命。
「要するに、報道では癒着胎盤と簡単に書いているが、これは実はいかに百戦錬磨の医師であっても救命は難しい、致命的な症状だったということだ。ましてやK医師は一人医長、つまり当時の県立大野病院ただ一人の産婦人科医師として全ての出産に携わり、毎日の激務を一手にこなしていたが、それでも遭遇した事は無かった。
挙げた例は一部だが、このブログエントリが出来てから多くの医師たちが様々な角度からあらゆる検討をし、結果としてK医師にはどこからどう見ても落ち度は無かったことが分かった。むしろ胎児を救えたことが奇跡だといわれた。
作者ブログで田舎の消化器外科医様からご指摘を頂きました。胎児を取り出した後に胎盤を剥がそうと試み、その結果癒着胎盤が発覚して・・・と言う流れなので、胎児を救えたことは奇跡ではありません。たぶん2,3回後に紹介するであろう奈良大淀事件の事例と混同していたようです。お詫びして訂正いたします。
この事件は、真面目に一生懸命、最善の努力をしていても、結果さえ悪かったら逮捕され、社会的に抹殺されるってことを示しちまったんだ。そして日本全国の産婦人科医たちのモチベーションに回復不可能なほどの打撃を与えた。」
「・・・結果が悪かったら罰があってもしょうがないんじゃないの?」
「そう考える人は大前提を忘れています。人は必ず死ぬのです。もしも医療ミスが無ければ、病気は必ず治るのですか?」
「う、それは・・・」
「例えば、時速100キロの自動車にはねられて意識不明の重態、てな患者が救急車で運ばれてきて、治療の甲斐なく死亡した場合、それは医療ミスなのか?
医療ミスが無くても人が死ぬことはある。罪を憎んで人を憎まずって言葉があるが、憎むべきは病であって医師じゃない。」
「ソースは忘れましたが、児童の一部は人は死んでも生き返ると信じてるようですからね」
「大野病院事件のポイントはもう一つ、刑事事件になったことだ。民事訴訟なら他にもとんでもない訴訟はいくつもあるが、何も悪いことはしてないのに逮捕されて犯罪者扱いに報道されたことが本当に衝撃的だったんだ。もっとも司法制度としては、逮捕起訴されても刑事訴訟で有罪にさえならなけりゃいいんだが、世間一般的には逮捕された瞬間に有罪扱いだ。日本の刑事事件の有罪率は異様に高いからな」
「で、この件はどう進んでるの?」
「2008年4月23日現在の情報だが、今年の3月21日に第13回公判、検察による論告求刑が行われた。5月16日に弁護側の最終弁論だ。
過去12回の公判の中で行われた、検察と被告弁護人とのやりとりはかなり熱く、必見だ。ロハス・メディカルブログの川口恭氏の記事や、周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページに詳しい」
「もちょっと具体的に」
「検察はK医師のことを重大犯罪を犯した極悪人扱いだ。そして、俺は医師側にかなり感情移入しているからバイアスが入っている可能性がある事を一応断っておくが、検察側の主張は全くドシロウトのトンデモだ。内容以外の部分では揚げ足取りや、わざとストレスを与えて失言を誘ったりと典型的な訴訟戦術・・・検察は自分たちの面子を守ること以外に、誇りやプライド、地域への影響などの興味はないようだ。
何しろ初公判では、証拠として提出した産科医療の専門書を拒否し、自分たちが相談を求めたのは単なる婦人科(産科ではない)に過ぎないというおそろしさで、しかも起訴状を読むに当たって「臍帯」を「ジンタイ」と読む驚くべきお粗末さ。これで訴訟が出来る(しかも、まかり間違えば勝つかもしれない)なら、どんな屁理屈でも訴訟に出来る。検察って楽な商売だな」
「で論告求刑までは終わったのよね。求刑内容は?」
「・・・禁固一年、罰金10万円。」
「はあっ!?」
「たった、といっては失礼だが、わざわざ逮捕拘留までして、公判ではあれだけ極悪人扱いして、そして求刑がこれとは驚きだ。はっきり言って、今からでも裁判を中止すればいいと思うが、面子が邪魔をするんだろうな」
「ちなみに福島地検は逮捕後の起訴に当たって、「経験も無いのに、いちかばちかでやってもらっては困る」という有名な言葉を残しています」
「いちかばちかでやってもらったら困るってのは、直感的には理解できるけど?」
「医療行為・・・特に重症な症状に対する治療はしばしば、本質的に、いちかばちかだ。さっきも言ったように、100%治る治療など存在しないからだ。
99%成功する見込みがある治療でも、100人に一人は失敗しちまう。ましてや場合によっては成功率50%や、それ以下の方法でもやらざるを得ない」
「50%〜怖いわね」
「一般的なバクチの場合は50%が怖ければ降りればいいだけの話だが、医療の場合は降りたら患者が確実に死ぬんだよ。50%の治療を回避したら、待ってるのは100%の死なんだ。50%でもやるだろう」
「ああ、そっか!」
「テレビドラマやマンガなんかでは、0.01%の成功率しかない賭けに挑んで、奇跡的にうまくいくパターンが多い。しかし現実には、90%の成功率の場合でも10に1つは失敗する。果たして大野事件の場合、救命できる確率はどれくらいあったのかなあ・・・まあ5%は無かったろうな。
だが福島地検は、いちかばちかでやっては困ると言って、医師を逮捕した。その結果なにが起こったか・・・医師たちは、治療に参加しないことにした。つまり産婦人科医は退職者が急増した。産婦人科医を続けている限り、いつ癒着胎盤に当たって逮捕されるか、訴訟を起こされて数千万から億単位の賠償を請求されるか分からんからな」
「しかも仕事を続けていても、どんどん激務になるばかり・・・超ハイリスク・ローリターンがわかってきて、しかもモチベーションが折られた産科医の崩壊は早かったです」
「この事件を知る多くの人が、K医師の無罪を信じて支援している。産婦人科学会など多くの関係団体から、正式な抗議や声明がいくつも出ている。毎年2月18日には、小児科医のYosyan先生が声をかけて、福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医の無罪を信じ支援します、との声を上げている」
「死に遠いって?」
「産婦人科と、小児科だ。産婦人科は生命を誕生させる科だし、子供は死から遠く離れた存在だが、それでも不慮の事故、病気はある。これらの分野で患者が亡くなると、遺族の反発は他の科の比じゃない。訴訟も多くなるわけだ」
「なるほどね、わかってきたわ・・・で、この福島事件が冤罪事件みたいなものだってことは分かったんだけど、これを防ぐ手段みたいなものは考えられてるの?」
「一応、厚生労働省主導で医療事故調査委員会ってのが設立されようとしている」
「先日、第3次試案が発表され、パブコメを募集しています。
医療事故調ってのは、何らかの医療事故が起こった時にその原因究明をする第3者機関で、大野事件以来、設立が望まれていました。つまり今までは、医療に素人の警察や検察、裁判官にやられてた医療事件の調査をちゃんと医学を勉強した専門家に任せて、科学的に妥当な判断をしてもらいたいということです。」
「ところで一応念のために言っておくが、医師は逮捕されるのが嫌なんじゃない。不当に逮捕されることを批判してるんだ。医学的に見てミスと納得できるような事件に関して取り締まってもらうのは構わないんだが、医学に無知な人が妄想とトンデモで訴えてくることが問題なんだ」
「へ〜それだったらいいんじゃない?そういうのがまともに働けば、第2の大野事件は防げるかもしれないわね」
「まともに働けばな・・・」
「実際には事故調第3次試案にも、すごい批判が巻き起こっています。突っ込みどころはあまりに多すぎていちいち拾いきれないんですが、一番の難点は、刑事訴訟法との連携が全くなされていないことです」
「どういうことよ?」
「つまりだ。医療事故調がまともに働くということは、例えばある医療事故が起きた時に事故調の調査が入り「残念な結果となったが、医学的には対応はまともで十分だった」と判断された時は民事訴訟や特に刑事訴訟の対象から外してもらわなきゃならない。つまり刑事免責だ。専門家の判断で無実とされたのに、それでも逮捕されるんだったら事故調なんか何の意味も無いからな」
「そりゃそうよね」
「ところが、もともと厚生労働省に訴訟の手続きをどうこうするなんて権限があるはずも無い。事故調の設立に当たっては司法関係者も議論に加わったようだが、つまるところ刑事訴訟法を改正しないと免責のお墨付きなんかになりえない。せいぜい第3次試案で、「別紙3」という形で刑事手続との関係を補足説明し、「捜査機関は謙抑的に対応する」「刑事手続については、委員会の専門的な判断を尊重しつつ対応」などと書かれるにとどまった」
「要するに、「事故調の判断は尊重するが、それでもタイーホ」の可能性はあるってことです」
「なによそれ・・・意味ないじゃん」
「医療者たちは、きちんと真面目に仕事してれば、逮捕はされないというお墨付きが欲しいんだ。そうでない限り、ハイリスクな医療からは逃げざるを得ない。一生を棒に振っても自分を医療に捧げると思うような奇特な人はもういないしな」
「ちなみにアメリカの医療者たちは年収は高いのですが、医療訴訟対策の保険に入るために年収の1割ものお金を使っているそうです。さすが訴訟大国といえるでしょう」
「ふ、ふん、さすがの私ももうアメリカ型医療がいいとは言わないわよ」
「善きサマリア人の法律ってのがある。急病人など、窮地に陥った人を助けるために無償で何か行動した時、ちゃんと誠実な行為をしたならばたとえ悪い結果が出ても責任は問われない、ってものだ。例えとしては、飛行機の機内で急病人が発生した時に「乗客の中にお医者様はいらっしゃいませんか!?」って場面が分かりやすいだろう」
「ああ、ドラマなんかでは見たことあるけどね」
「今現在、こんな場面に遭遇したら日本の医師はほとんどが手を上げない」
「えっ、なんで!?」
「日本には「善きサマリア人の法律」が無いからだ。昔はともかく最近の風潮では、例えさっきのような事例で手を上げて救命を試みて、結果が悪かった場合はすぐ訴訟になる。善意で挑んだ結果が何千万の慰謝料請求・・・まあ割に合わない。これに応じない医師を、少なくとも俺は責めることは出来ないな」
「事故調の問題点はほかにもあります・・・もっとも、あるというにはありすぎるほどあるんですが、もう一つ代表的なのは黙秘権との対応です」
「医療事故調と似たものに、例えば航空・鉄道事故調査委員会がある。飛行機事故などが起こった場合、その原因がどこにあったのか?を専門家を交えて調査するものだが、常識的にこの調査で得られた結果は訴訟手続きなどに流用されない」
「それはなぜ?」
「事故調ってのは、専門家が徹底的な原因究明を行って、次の事故を起こさないように努めるのが目的だからだ。だから、これは裁判の証拠なんかには使わないよとお墨付きを与えて、その代わり全ての原因を洗いざらい調べて今後に活かすんだ。これは日本だけでなく世界の常識だ。
ところが当事者にしてみれば、事故を起こした責任を認めて暴露することは自白行為だ。当然、悪意があってやったことなら責められるべきだが、当時は最善と思った行動が結果として悪かった場合、それを報告して責任を取らされたらもうやってられない」
「そうか、都合が悪いかもといって隠されたら、調査が全然進まなくなるのね」
「普通の犯罪と違ってこの手の事故は、最善の行動をとっても悪い結果が出ることはある。簡単に言えば行動責任を問うのはいいが結果責任は問わないでくれってことだな。
ところが医療事故調にこんな規定は無い。医療事故調で洗いざらい調べた結果をそのまま訴訟に持ち込まれたら、医療者はあからさまに不利だ。なのでそういう意味でもこの事故調は片手落ちだ」
「けど事実を調べた結果を訴訟に使われたくないっておかしいんじゃ・・・」
「いや、普通の訴訟だったら黙秘権ってのがあるだろう。もともと法廷では、自分に都合の悪いことは言わなくてもいいんだよ」
「医療事故調がこんな形で動き出したら、医師から黙秘権を奪うことになりかねません。黙秘権は基本的人権の一つですから、それを侵害する形で制度を組み立てるなんて考えられないことです。」
「医療事故調第3次試案にはこれら以外にも本当に多くの問題がある。医師たちは痛烈に批判していて、その模様は様々な医療ブログで読めるが、恐ろしいことに日本医師会はこの第3次案を呑んでいる・・・」
「なんでよ!!」
「はっきり言おう。医師会は政府に擦り寄るのが仕事だからだ。医師たちのことなど考えちゃいねぇし、医師のほうももう誰も医師会なんか当てにしてない。
しかし医師会といえば今でも一般的には、医師たちの代表と見なされてるからな。医師会の意向を一部医師たちが反対・・・なんて政府やマスコミたちにとって取り上げやすいお話だろ?まったくどうしようもねぇぜ」
「まあ医師以外にもいろんな方面からの批判もありますし、医療事故調がこのまま成立するかどうかもまだわかりませんけどね」
「そうだな・・・というわけで今回はここまでだ。次回は民事訴訟、特に加古川心筋梗塞訴訟のことをやろう」
「いやあ、リューシーが結構予習してきてたのが意外だったわ〜。なんか私一人だけKYみたい・・・」
「ふっ、次回はヴォルフさんも必要ありません!ウリナラが全部取り仕切るニダ〜」
「それだけは阻止しよう・・・」
ヴォルフ・フォン・シュナイダー
ルクス・F・フランクリン
リューシアナッサ・アンピトリーテ