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2008-04-26

「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(3)

 まだブックマークが増え続けているので、まだやります。

 しかし、こんなに大勢の人がわたしの書いたものを見にきてくれたのは史上初。ブックマーカーじゃない人も含めて、ありがとうございます。

2008年04月26日 polynity 宗教, 無神論, 無宗教 宗教を否定するのでも無批判に受容するのでもなくて、純粋に何らかの目的のための手段だと考えて望ましい宗教を設計する、というのが合理的な選択だと思うのだが。http://www.monotheism.jp/sutra/religion.htm

 『サイファ』とか… スピシン主義もあったね。(と、常連以外には意味不明のことを書いてみる。)

2008年04月26日 nofrills USA, religion, war on terror, fundamentalist, tolerance, language, 言語 USのfundamental atheism(原理主義的無神論)について。「用語」だったのかということと(UKメディアだけ読んでるとそこがわからなかった)、宗教の否定=非宗教ではなく反宗教(宗教を信じる奴は馬鹿、的な)という現れ方。要再読

 「原理主義的無神論」は「用語」というか単に比喩的な言い方でしょう。もともと「キリスト教原理主義」は自称ですが、イスラム教では「原理主義」という言い方はしないようですし… それから、もちろん「非宗教」の意味で atheist の人だって大勢いると思いますよ。ただ、そういう人はおそらく無神論者の集会に出たり本を書いたりする動機を持たないので、結果的に目立つのは「新しい無神論者」たちなのです。

2008年04月26日 nennpa アメリカ, 信仰 「かれらのほとんどはキリスト教を信仰する家庭・共同体の出身」/[science]タグなんか、死んでもつけてやるもんか

 はは、そりゃ科学の話じゃないですもん。

2008年04月26日 YKazu 難しいこといってるが、宗教やってる奴は思考力のないアホ。

 宗教やってる奴は思考力のないアホかもしれないですが、宗教やっていない奴も思考力のないアホだらけだったりします。

2008年04月26日 Icebox 宗教 いちいち集会するもんなのか?

 わたしがこの団体の集まりに参加するのは、知的な話題について比較的「相手を不愉快にさせるのではないか」という心配をせずに意見を交わすことができるからです。集会といっても、最初に5分から10分ほど連絡事項とかイベント案内とかがあって、あとはコーヒー飲みながら周囲の人とおしゃべりするだけですし。

2008年04月26日 Wafer アメリカのことを何でわざわざ日本語で書いてるの?それも人の記事をコピペしただけ。英語でおk。

 英語でいいなら、なんでこの人はわざわざ日本語の記事でアメリカのことを読んでいるんでしょうか。っていうか、この記事どこか別のところにコピペされてましたか?(αシノドスからの転載というのを、他人の記事をコピペしたと誤解したのかな?)

2008年04月27日 cakeismine おそらく日本人のほとんどが宗教心のない「無神論者」だろう。でも米国では、無神論は中世の「地動説」なみの扱いらしい。そんな国が・・・どうなんだろ。

 つい最近も、あるイリノイ州議会議員民主党員)がヒアリングで発言した無神論者に向かって「あなたが神様になんの不満を持っているのか知らないけど、わたしたちイリノイ州民は神様に祝福されるのを楽しみにしているんだからね。あなたの思想はこの州にとって危険思想であり、子どもたちに対する脅威でしかありません」みたいな発言していました。

 あと、わたしの家に郵便物を届けに来る配達人が、わたしのハウスメイトに向かって延々と5分間くらいキリスト教の布教をしようとしたので、ハウスメイトが郵便局に電話して「公務員が勤務中に布教していいのか」と苦情を言ったところ、郵便局の苦情処理係の人から「あんた何、無神論者か何か?」と吐き捨てるように言われたそうです(彼女は別に無神論者ではないんですが)。

 こういう社会だからこそ、無神論者であることを堂々と主張する「新しい無神論者」の出現は重要だったわけです。

2008年04月27日 rairairou 宗教, アメリカ, 心理, 海外, 社会, 科学 日本には空気を神として従わぬものを排斥する空気教と、血液型真理を教義として他人とのコミュニケーションを行う血液型教があるので案外無神論者は少ない。

 空気教の掟はモーゼの十戒より厳しそうです。

2008年04月27日 uzusayuu 主張には賛同しないが、無神論者のコミュニティについての記述は興味深い

 ありがとうございます。

2008年04月27日 numberarmytheboots 宗教, 思想, 無神論 論理的、科学的であること=正しいこと・それ以外の宗教=間違いにしてしまったら、俺たちの宗教=善・やつらの宗教=悪と何が違うのかがわからなくなる。

 うーん、何度も書いてますが、そう安易に相対化するのも良くないと思うんですよね。前述のとおりドーキンスの無神論は絶対ではないですし… 似ている点は確かにあると思いますが。


 さらに、「ブクマコメントに一斉お応え」へのブクマコメントにもお応えしちゃおう。コメントは、以下の二カ所から抜粋。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/macska/20080425/p1

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/macska/20080426/p1

2008年04月26日 takanofumio religion, はてブ やあ、ちゃんとこういうリアクションがあるとありがたいなあ。

 そう思うのでしたら、コメント欄に書いてくれたらありがたいなぁ。

2008年04月26日 CrowClaw 凪の民, weblog 私は「宗教か科学か」だったら断然宗教なので、「どっちもどっち」な相対化のつもりであのコメントを書いたのではないですよ。主張の是非はともかく個人的な好みだけで言うなら、ドーキンスもソーカルも嫌いです。

 すみませんでした。該当部分、追記しておきました。

2008年04月26日 polynity 宗教, 無神論, 無宗教 『神は妄想である』は、神の存在を否定する書物としてよりもむしろ、有神論者たちの所業を告発する書物として傑出していると私は思っております。

 たしかに。あと、カトリックの天使の種類や役割をあれこれ書いている部分とか、笑えますよね。

2008年04月26日 Midas 市場「原理」に任せた方が米国経済の回復は速いVS債務保証や銀行の国営化が何故「国家社会主義」なのか?みたいな論争は既に起きてる(前世紀の科学VS宗教と似た構図)。戦いに負けるとは敵の言語を話すことである

 なんだかよく分かりません…

2008年04月27日 banraidou 宗教 あ、言及されてらあ。私はドーキンスvsグールドならグールド派だけれど、それ以上に両派が対立する理由がないと思っている人。しかし、当のドーキンスがグールドの態度をかなり強烈に批判してるんだよなぁ。

 ドーキンス、強烈ですよねぇ。あの破壊力が魅力なんですが、無神論者がみなかれほど頭が良いわけではないので、バカがあの真似をしてしまうと手が付けられません。えっ、オマエモナーって?

2008年04月26日 takopons コメントしました, 宗教, オカルト 「新しい無神論者」は、唯物論の発展系なのかもしれない。物質の霊=アーリマンに心を支配された現代人にとって、唯物論は親しみやすいものだから。

 本家ブログの過去エントリ「わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由」でトマス・ソーウェルの「束縛的価値観/非束縛的価値観」という区別を紹介していますが、だいたい保守主義者は前者、進歩主義者(唯物論を含む)は後者の価値観を強く持っています。もちろん例外もあって、ネオコン的なものは保守でありながら後者に近い価値観を強く抱えていて、「新しい無神論者」もそれに近い立場にあるとわたしは捉えています。

2008年04月27日 banraidou 宗教 真摯な態度の方にこういうこと言うのは気が引けるのだけど、グールドの方の本、誤読している可能性はありませんか?

 大アリですねー。ただドーキンスのグールド批判はかなり説得力があると思うのですが… ちょっと後になるかもしれませんが(わたしの目の前には、常に10冊以上「これから読む本」が積み上がっているのです)、また読んでみます。


 ほかにもコメントをしてくださった方がいますが、またあとで。

takoponstakopons 2008/04/28 03:53 「わたしは左翼であるのかないのか、あるいは経済学をこのブログで取り上げる理由」を拝読しました。私は、いきなり誰かのことを右とか左とか決めつけて話を進めるポジション・トークに興味がないので、いや、興味がないと言うより、相反する二面性は誰でも持っていると思うので殊更に一面だけ取り上げてもしょーないよなーと思ってます。(でも、簡単のためにレッテル貼りをやってしまいがちではあります。怠惰な悪魔の誘惑によって。)

ネオコンと「新しい無神論者」が近い立場にある、という見方は面白いです。新しい価値観、新しい観念。「新しい無神論者」の掲げる理想とは、いったい何でしょうか?おそらく、「神が存在しないことが証明されること。神の不在の立証」が理想ではないだろうと思いますけど。
でわでわ。

macskamacska 2008/04/28 06:05 「新しい無神論者」のとりあえずの要求は世俗主義の徹底(政教分離、内心の自由、宗教の特権廃止)でしょうが、長期的には理性による社会運営を理想としていると思います。それが「人々がみな神の不在を受け入れること」を必要とするかどうかは、意見が分かれそうですが。
 「神の不在証明」は論理的にありえませんし、そもそも信仰とは信じるに足る証拠のないものを信じることなので無意味ですね。

takoponstakopons 2008/04/30 02:24 >長期的には理性による社会運営を理想としていると思います。

なるほど。実現困難な理想ですね。個人または集団の持つ人間の感情を理性でコントロールできるか?が課題になりそうです。
もし、神が人間を創ったのだとしたら、創造主の存在を否定できる思考能力≒理性まで人間に与えてしまったことは果たして正しかったのでしょうか?それとも想定内だったのでしょうか。まあ、神のみぞ知る、ですけど。

>そもそも信仰とは信じるに足る証拠のないものを信じることなので無意味ですね。

貨幣制度も信仰だと思います。国家の発行する紙切れを信頼するか?つまり、国を信じるか?という話なので。
でわでわ。

macskamacska 2008/04/30 05:38 信仰という言葉をそういう意味で使うなら、それはドーキンスらの用法を逸脱します。国家の発効する紙切れがその他のものと交換可能であることは経験に基づいて信頼することができますし、たとえば極度のインフレや国家崩壊などでその信頼が成り立たなくなると交換機能に支障を来すようになります。貨幣そのものに制度に依存しない価値があると思っているならそれは信仰でしょうが、大抵の人はそれが社会的・政治的な制度によって支えられていることくらい理解しているでしょう。

takoponstakopons 2008/04/30 12:46 >国家の発効する紙切れがその他のものと交換可能であることは経験に基づいて信頼することができます

他のものと交換する際は、その相手も紙切れを信頼している、という前提が必要です。

>貨幣そのものに制度に依存しない価値があると思っているならそれは信仰でしょうが、

未開の地へ行ったら紙切れは通用しないのだ、ってことは実際に未開の地へ行ってみないと気づかないでしょうから、貨幣制度の国でずっと暮らしていたら「それが社会的・政治的な制度によって支えられていること」を実感しにくくなります。

>大抵の人はそれが社会的・政治的な制度によって支えられていることくらい理解しているでしょう。

お金が当たり前すぎて、表層意識で仕組み(国家と貨幣制度)は理解しているけれど、無意識下では紙切れのことを「貨幣そのものに制度に依存しない価値がある」と信じて疑わない部分があって、そうした経済観念が人間の心に根深く入り込んでしまっている状態こそが信仰だと思います。

macskaさんは、
・経験に基づいて信頼することができるから、貨幣制度は信仰ではない。
・信じるに足る証拠がないから、神(宗教)は信仰である。
と、おっしゃりたいのでしょうか?

私は、「国に実体はない」と思っていて、誰かが地面に線を引いて「ここは俺たちの領土である」と宣言し、周囲の人たちもそれを認めたから「国という概念」が生まれたのであって、理論上の国そのものに物理的実体はないでしょう。
貨幣制度は国家への信頼であり、国家は「国という概念」の共有で成り立っています。
国も神も「実体がない」という点においては一緒ぢゃないですか?との観点から、私は「貨幣制度も信仰だと思います」と言ったのです。

無神論者にとって、神は「信ずるに値しないもの」に映っていて、経済は「信用できるもの」となっているだろうと思うので、問題は「信頼感を失ってしまった神」のほうにあるのかもしれません。
でわでわ。

macskamacska 2008/04/30 13:47 えーとですね。

ドーキンスの言う「信仰」というのは、根拠のないものを無理矢理信じ込むことです。「信頼感がない」みたいなあやふやなものではありません。

わたしたちが貨幣を信用するのは、現実に貨幣を持っていればさまざまなモノと交換することが可能な社会にわたしたちが住んでいるからです。それが可能であるためには、さまざまな社会的制度が維持されうまく運営されていることが必須であることは、誰でも少し考えれば分かることでしょう。

国家に実体がないとも言いますが、現実の国家は国土や国民を持ち、政府や軍隊などさまざまな組織を抱えています。そうした実体を持つからこそ、国家は実権を行使できるのです。あなたがただどこかに線を引いて「ここは俺たちの領土である」と宣言したからといって、それだけで実権を行使することはできません。

神の存在には根拠がまったくないですし、どのような証拠があればそれが間違っていたことを知ることができるのかまったく明らかではありません。それを貨幣制度と比べるのは、無理があります。

なお、貨幣が国家を必要としているというのは、現在の世界ではそういう仕組みになっているというだけで、普遍的な話ではありません。過去には国家ではなく民間が発行した貨幣が通用していた時代があります。要は、何ものかによって交換機能が保障されると信頼できれば、それで良いわけです。

takoponstakopons 2008/04/30 15:53 お返事ありがとうございます。

>誰でも少し考えれば分かることでしょう。

私は貨幣制度を否定してはいません。財布も通帳も持ってますし、AMEXも使ってます。

>神の存在には根拠がまったくないですし、

宗教や信仰は、根拠の有り無しに関係なく(論理的な根拠もなく、科学的な実証もできない可能性は高いですが)とにかく「信じるもの」です。macskaさんがどんなに「神の存在には根拠がまったくない」と説かれても、それで他人の信仰心が消えてなくなるワケではありません。もちろん、macskaさんの説明を聞いた人の中には「あー、確かに神様なんて本当はいないんだよなー。ようやく目が覚めたよ」と改心する人もいるでしょう。

>それを貨幣制度と比べるのは、無理があります。

私が何を言いたいか?というと、

・「神様など幻想に過ぎない。なぜなら現代科学で証明できないからだ」と指摘された時の信者の態度
・「貨幣など幻想に過ぎない。なぜなら国家も貨幣も概念の産物だからだ」と指摘された時の現代人の態度

この2つは、指摘者に対する否定の言葉が返ってくる点では同じですよね?指摘者に対する拒絶の姿勢が見られる点では一緒ですよね?ということです。

>わたしたちが貨幣を信用するのは、現実に貨幣を持っていればさまざまなモノと交換することが可能な社会にわたしたちが住んでいるからです。それが可能であるためには、さまざまな社会的制度が維持されうまく運営されていることが必須であることは、誰でも少し考えれば分かることでしょう。

宗教者たちが神様を信用するのは、現実に信仰を持っていればさまざまな苦難を克服することが可能な世界にわたしたちが住んでいるからです。それが可能であるためには、さまざまな宇宙的制度が維持されうまく運営されていることが必須であることは、誰でも少し考えれば分かることでしょう。

と、神を信ずる者から言われた場合、貨幣制度を信じる無神論者は「お金さえあればどんな苦難も克服できる。神などまったくあてにならない」と反論するのでしょうね。もはや、無神論者と言うより「貨幣信者」と呼んだほうが適していると思います。
でわでわ。

macskamacska 2008/04/30 23:37 > 宗教や信仰は、根拠の有り無しに関係なく(論理的な根拠もなく、科学
> 的な実証もできない可能性は高いですが)とにかく「信じるもの」です。

そう、貨幣制度は具体的な政治体勢や経済システムによって裏打ちされていて、わたしたちはそのシステムを信用することを通して貨幣を使って生活しているわけですが、信仰にはそのような裏打ちがなく、ただ信じるしかないものです。その点が違うと指摘しているのですよ。

> この2つは、指摘者に対する否定の言葉が返ってくる点では同じですよね?
> 指摘者に対する拒絶の姿勢が見られる点では一緒ですよね?ということです。

「神は幻想である」というのと、「貨幣は幻想である」という場合の「幻想である」の意味が違います。貨幣はそれが存在し、通用することは明らかなので、仮に「幻想である」と言ったとしても神の存在と同じ意味で「幻想えある」はずがありません。また、神の存在は「現代科学で証明できない」のではなく、証拠がまったく皆無なんですよ。

> 宗教者たちが神様を信用するのは、現実に信仰を持っていればさまざまな
> 苦難を克服することが可能な世界にわたしたちが住んでいるからです。

神が実在して、苦難の克服を手助けするために直接現実世界に手を出しているという主張であれば、科学的手法で検証すべきです。そうではなく、信仰することで精神的に苦難を克服することができるという意味であれば、必要なのは信仰だけであり、神が実在することを論理的に帰結できません。

> と、神を信ずる者から言われた場合、貨幣制度を信じる無神論者は「お金
> さえあればどんな苦難も克服できる。神などまったくあてにならない」と
> 反論するのでしょうね。

そんな人どこにもいないと思います。

というか、むしろ信仰は「克服できない困難」を受け入れ可能にするためにこそ意義があるとわたしは思っていますけど。

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