魔法少女プリティーサミーの天野美紗緒の誕生日です。
BPSの美紗緒の誕生日はいつなんでしょうか。
そもそもが、プリサミが無ければBPSの部屋に美紗緒が来ることは無かったわけで。
そういうわけで、本当に終わります。
次は…二期が始まったらでしょうか。
こればっかりは私には何の力も無いので、祈るばかりです。
皆さん、これからもバトルプログラマーの白瀬 慧を応援してください。
ありがとうございました。
本当はもっと例のアニメに絡めるつもりでした。けど難しいですね。
一応、ファンがなりきって作ってみた日記サイトの体裁のつもりでしたので、
ネットで拾えるねた以上の内容は入れませんでした。
てゆか、ほんとにこれを書いてる人って、モデルの人なんでしょうかね。
まあ、信じるも信じないも、みなさん次第です。
それと思い知らされたのは、結構自分が堅物だなということです。
融通が利かない、というより、機転が利かないに近いですか。
柔らかいギャグが出てこないんですね。すぐまじめに返しちゃう。
後、本気かどうか知らないですが、この日記を楽しみにしているという発言があること。
どういうところが面白いのか、本気でなぞです。
後で読み返すと、自分でも何を書いてるのかわからないところも有りますし。
あ、書いてたことはほとんど調べ物無しで書いてます。だから間違いも結構あるはずです。
とにかく放映終了、DVD発売までを目標に毎日更新で日記をつけてきたわけですが、
つらかったです。ねたが無くて。
結局、自分が知ってることや興味のあることを書き連ねることで
何とか埋めていったわけですが、それでもなかなかねたが出てきませんでした。
それといくつかネタを封印してました。政治関係も言いたいこととかあるわけなんですが、
それだと好き嫌いがあるだろうな、とか、私自身も偏ってる部分が有るもので、
そういう話は止めたわけです。
あと、愚痴やネガティブな内容もやめました。そんなの書いても読む人が楽しいとは思いませんでしたから。
というわけで、今日でおしまいということにします。
いやあ、DVD出たみたいですね。
みんな買いましたか。
僕は白瀬 慧と名乗ってこの日記を書いてます。
さて、僕は匿名なんでしょうか。
ある程度のプロフィールは書いてますが(さてどこでしょう笑)
実社会での肩書きもその連絡先も秘匿しています。
某アニメの関係者かどうかの根拠すら示してません。
要するに、僕も匿名なんです。
さて皆さんは、僕が何者であれ、今まで日記に書いてきたことを
正しいと思いますでしょうか。
非常に遠い天体、クエーサーなどは赤方偏移を使って距離を測る。
これは、宇宙が膨張しているという仮説に従ったものだ。
光も波なのでドップラー効果を起こし、速い速度で遠ざかっていると
赤いほうの色に周波数がずれる。つまり波長が長くなる。
最近になって精密な宇宙の年齢がわかり、それに伴って
膨張の速度もかなり正確さを増したはずだ。
原理的にはこれで距離を測ることは出来るのだが、
まだなにぶん仮説の段階なので、将来は数値が書き換えられるかもしれない。
って昨日じゃないか。
地球の自転軸が傾いている面と太陽が垂直になる日。
地球の自転軸は擂粉木運動をしているので春分の日は毎年ずれている。
地球の公転周期と自転周期は割り切れない関係にあるので、
春分のような特定の時点は、日付の上ではたまに前後する。
だが太陽暦は季節と日付を同期させるためのものなので、
その基準は春分点なのだ。
太陽暦が出来てからもう数千年が経つが、
その間にも、春分点はずれてしまっている。
だから占星術の星座と誕生日の太陽の位置も、一つくらいずれている。
非常に遠い銀河などの距離はどうするのか。
今度はある種の超新星を使う。
今月1日に書いた、白色わい星の超新星がそれだ。
これは超新星爆発を起こす重さが決まっているため、
厳密に明るさが決まってしまう。
そして規模が大きいため、遠くからでも観測できる。
これを利用して距離を測る。もちろんこの種の超新星が見つからないと距離を測れないが、
大体一年の間に百個くらいの銀河系に一回は起こるので、
かなり観測できる機会は多い。
インターネットは良く考えたらすごい。
ほとんどタイムラグ無く、世界中のデータを直接手に入れられる。
世界の裏側にあるマシンと直接つなぐことも出来る。
携帯電話でアメリカにあるマシンを爆破するのはちょっと難しいとは思うが。
けどもしかしたら、相手を洗脳するくらいのことは出来たりして。
今はデータの漏洩やウイルスの感染が問題だけど、
人そのものに対する脅威が現れるかも。すでに有るようにも思うけど。
僕は電車通勤だ。総武線を使っている。
ここの電車は黄色だけれど、これは実は山手線からのお下がりなのだそうだ。
国鉄の通勤用車両に色がついたのは101系電車からで、
それは最初に山手線用に作られて、その色が黄色だったとか。
後に山手線に103系電車が導入されたときに、そのお下がりが総武線に来たのだそうだ。
103系電車は今の山手線の色の黄緑色が最初の色で、山手線の色はそれ以来らしい。
各線ごとに色分けするのはその頃から始まったのだそうだ。
星の色と明るさにはかなり相関があるが、それでも厳密ではない。
いろいろと調べてみると、ある種の周期的に明るさの変わる変光星に
その周期と明るさに強い相関があることがわかった。
だからそういう変光星を探して、その明るさを調べることで、
その付近にある星の距離を推定することができるようになった。
これで、比較的近傍の銀河系の距離を測っている。
けど、所詮は恒星一個の光だ。非常に遠いものは見えないし、恒星一個を分けることも出来ない。
さて、まだ続くかも。
光の速さとその波長は目のような機構によって
細かい解像度を得るのに適している。
また、適度に分子を励起するエネルギーをもつため、
分子レベルで光を感知することができる。
音は気体を媒体にするため、幕のような機構で捕らえることができる。
しかし波長が長いため、細かな解像度を持たない。
目は周波数分解能を大まかにしか持たないし、
耳は周波数分解能を細かく持っている。
特性の違いが感覚器官にも違いをもたらしている。
統計は嘘をつかない。
けど統計にだまされる人は多い。
いや、だますようなものは統計ではない。統計まがいだ。
統計まがいと統計との違いは、そのデータの収集法にあるといって良い。
偏りの無いサンプルを使ったか、恣意的なデータの選別はしなかったか、
そもそもデータをとる手法が正しいのか。
それらをクリアしたものだけが統計だ。
そこを押さえれば、統計にだまされることは、まず無い。
遠い恒星までの距離はどうやって測るのか。
恒星はさまざまな大きさのものが有るが、
調べてみると大体色と明るさに相関があることがわかってきた。
それで、色で明るさを大体推測して、目で見える明るさと比べて距離を決める。
けれど、これはかなりあいまいだ。だから他に基準を設けて測るほうが多い。
人が太陽系以外の場所に移住するとき、
別に太陽系に居る人そのものが出て行く必要は無い。
あるSFでは、ナノマシンを飛ばして移住地に複製を作る方法が出ていた。
別のでは遺伝子コードを宇宙に送信し、
受信した文明に複製されるというものがあった。
僕はできるなら自分の足で他の星に立ってみたい。
けど、無理だろうから、自分の同朋をその地に立たせてみたい。
耳はさまざまな周波数の音を聞くことができる。
これを目と比べてみよう。
目は白熱電球のような連続光の白と、
赤、青、緑の三色の輝線が混合した白との区別がつかない。
耳はホワイトノイズ(白色雑音)と複数の周波数が含まれた音を区別できる。
その代わり耳は目に比べて解像度が低い。
これはこの二種類の波が人のサイズに及ぼす効果が違うからだ。
恒星までの距離を測るのはいろいろな方法がある。
近い恒星は、地球の公転による視差を用いて図る。要するに三角測量だ。
これは地球の公転半径がわかったため、かなり正確に距離を出せる。
けど遠いと視差も小さすぎて観測が難しい。
少々の誤差でえらく距離が違ってしまって使い物にならないのだ。
コンピューターをいじっていると、大きな数を使うことが多い。
日本ではそういう数には、万とか億とかの単位を使う。
コンピューターはアメリカ発祥なので、そちらの単位を使う。
それらは古代ヨーロッパ発祥の単位を使う。キロとかメガとかだ。
日本の単位の起源は中国だ。大きな数になるとインド起源のものになる。
というか仏教用語か。
それらの単位は一万進法だけど、小さな単位のほうは十進法のままだ。
大きな単位の名前は、「とにかく想像できない」といった名前がつく。
小さなほうは、「小さい」とか「無い」とか言う意味のが多い。
気配を感じられるのは、耳という器官が思っている以上の情報を受け取っているからだろう。
耳は位相の違いを感じられないという実験結果がある。
しかし、左右の耳の間の位相の違いは感じることができる。
音の波長は人のサイズと比べてあまり変わらない長さなので、
位相の差で方向を知ることができる。
プログラマーたるもの、ちょっとはデジタル回路の基礎くらいは知っておくべきかなと。
FF(フリップフロップ)くらいまで知っていると、何かと便利だと思う。
あと、バッファとか電源の配線の方法とかパスコンとか。
今、デジタル回路って電源電圧がいろいろあるせいで、
違う電圧のチップ間のインターフェイスがややこしい。
それでも、おーぷんこれくた、とか、すれっしょるど、とか、らっちあっぷ、とかの意味を
知っているだけでもそれなりにインターフェイスできるようになる。
僕達はあたりまえのように距離にメートルなどの単位を使っているけれども、
そのような長さも興味深い。
メートル法は地球を測量してその四千万分の一を単位にした。
日本の尺という単位は、ひじの長さだ。フィートは足のかかとからつま先の長さ。
どちらも大体三十センチで、もしかするとそのくらいの長さが使い勝手がいいのかもしれない。
聞くところによると、地球から太陽までの距離は最近まで厳密にはわかってなかったらしい。
他の惑星までレーザーで距離を測ってやっと決まったのだそうだ。
他の恒星までの距離はそんな方法では無理だ。ではどうするのだろうか。以下続いたりするかも。
星と星との間は非常に広い。太陽系に一番近い星でさえ4.3光年有る。
もし、太陽系外に人類の住める星が有ったとしても、
移住するのにはものすごい時間とエネルギーが必要だ。
SFにはいろいろな方法が登場する。
しかし現実的な方法を考えると、生きている人間がそのまま移住するのは非常に難しい。
それでも一番わかりやすいのがそういう方法だ。
何世代もかけて人類の子孫を移住させるのだ。
僕が最初に思い出すのはハインラインの「宇宙の孤児」のバンガード号だ。
音はかなりの情報量を持っている。
目を閉じていても、人は気配を感じることができる。
音が出てないものでも、それが音を反射したり吸収したりする性質を元に、
大体の位置を感じることができる。耳の穴は二つしかないのにだ。
なぜだろうか。
中性子の塊が最後ではない。それがさらにつぶれてしまうこともある。
それがブラックホールだ。
これは一般相対性理論で予言されたものだが、
実際にあるとは長い間考えられていなかった。
最近では恒星起源のものとか、銀河の中心にあるとされる。
ブラックホールには事象の地平線があって、その中のことは外側からは全くわからない。
だからその中はどうなってるか知らない、と言うのが今のところの物理学の限界だ。
これが星の最後の究極の形だ。けど三本しか毛が無いと言われる。
毛、とは性質のこと。質量、回転、電気の三つだけ。
なんと温度も質量で決まってしまうのだそうだ。
今日は耳の日。
中国では奇数が縁起のいい数字とされて、奇数月の同じ数字が並ぶ日を節句にした。
桃の節句もそれの一つ。正月や端午の節句、七夕もそれ。九月九日の重陽の節句は菊の節句とも言うらしい。
というわけで、四月四日がオカマの日になるわけではない。
男性の低い声の場合、その基底周波数が可聴域の下のこともある。
なのにその音程もちゃんと聞き取れている。
実は人は音程を、周波数ではなくてピッチ(波形の繰返し周期)で聞いているらしい。
声が低い人は一度自分の声の波形を見てみて欲しい。
数えるほどしか波形が繰り返されないのを見てびっくりするだろう。
実は有る程度異常の圧力をかけると、パウリの排他則も崩壊してしまう。
これをチャンドラセカール限界と言う。
中性子星はこの限界を超えたもので、電子が陽子の中に入り込んでしまって
中性子になってしまうと言うものだ。
中性子星は恒星が超新星爆発を起こしたあとにできるものと、
白色わい星が回りの質量を吸い込んで限界を超えたときにできるものがある。
後者の場合も超新星爆発が起きる。
今世紀初めてのうるう年。
2,000年の時にはえらく大騒ぎしたが、今年は通常のうるう年だ。
(Year%4==0)&&(!(Year%100==0)||(Year%400==0))
現在のこの条件はかなり精度がいい。
そういえば、昔の為政者は暦を作るのが仕事だし権威だった。
農作物は暦を目安にして作る。その暦をうまく作るのがいい政府だった。
天変地異が政府を批判しているといわれるのは、多分このことも関係している。
空気の振動。われわれはそれを耳という器官で感じ取る。
人は音を周期を持ったものとして受け取る。それが音の高さだ。
下は大体百Hzくらいから上は二万Hzくらいまでが可聴域とされる。
実際にはそれより上も下も聞こえている。
位相も聞こえないといわれているが、実際にはいろんな形で聞こえている。
聞こえない音も情報になる。
ただいま二万アクセス行った模様。
この前見たら19191だったりして、結構キリ番自分で取っていたりする秘密。
恒星の超新星爆発は、つぶれる途中の恒星の核がこの排他則の壁にぶつかった反動で
星自体が吹き飛ばされた状態だ。
核反応が終わってしまい、際限なくつぶれつづけた星の中心部が
いきなりそれ以上つぶれらないよー、という状態になる。
で、がつんとぶつかるのだ。あまりにぶつかり方が激しくて
星の外側の物質を思いっきりふっ飛ばしてしまう。
結局星は自重でつぶれてしまう。
しかし限度がある。パウリの排他則と言うものだ。
これは同じ場所にある、ある種の量子は同じ状態を取らないというものだ。
状態には限りがあるので同じ位置をしめられる量子の数は限られる。
これが原子が隙間だらけなのに物質がある程度の大きさを取れる理由でもある。
このためにいくらぎゅうぎゅう詰にしても、
ある程度の大きさまでしかつぶれない。
その状態が白色わい星だ。
太陽くらいの星になると、鉄まで反応が進む。
鉄から先はどんな恒星でも反応できない。
実は鉄が一番核のエネルギーが少ない。
そこまで来ると、完全に燃料が尽きる。核融合は停止する。
そうすると原子間の反発力がなくなって縮こまってしまう。
これから先が劇的だ。
一昨日の続き
燃料が尽きると、核融合によるエネルギーで作られていた原子間の反発力が減る。
そうするとより圧縮されることになる。それでさらに厳しい条件の核融合が可能になる。
水素が尽きた恒星はヘリウムを燃料にするが、熱量が大きいため恒星の外側が膨らんでしまう。
こうなるとかえって表面の温度が下がる。これが赤色巨星だ。
ある程度の軽い星だとこの先の反応が起きなくなり、そのまま静かに冷えてしまう。
人は何で歌うのだろう。
音程をつけて。リズムをつけて。
音程やリズムをつけて鳴く動物はたくさんいるけど、
人は聴き、歌い、楽しむ。
そして、歌ほど情動と密接なものは、他に見当たらない。
物理学的には、周波数遷移がしっかりした音に過ぎないのに、
ダイレクトに感情と結びついてしまう。
恒星は非常に安定した核融合炉だ。
核融合の条件はその質量によって作り出されている。
さて、核融合の燃料が尽きたらどうなるか。
恒星のメインの燃料は水素だ。それから作られたヘリウムもその次の燃料となる。
ただ、ヘリウムの核融合の条件は水素よりも厳しい。
面白いことに、星はその重さによって、厳しい条件の核融合も起こせるようになる。
人が最後に獲得した色は赤だったらしい。ちなみに最初は緑。
血液の色が赤なので、赤は危険を感じさせる。
だが、赤を見ることを獲得したのは別の理由らしい。
何でも、祖先のサルが好物だった食べ物が
赤い色がついたものの方が食べやすかったかららしい。
見分けるために獲得したのだそうだ。
赤い色、といっても緑に比べてなので、黄色になるわけだが。
いくつかのパラメーターをランダムに変更して、
その中の最適値を残し、それを種にして次のパラメータを決める。
この淘汰によるDNAの適応に似た方法をGAという。
必ずしも一番最適な解に辿り着くとは限らないけど、
うまく使えば実用的な時間でそれなりに使える解を求めることができる。
その過程を見るのも楽しい。
趣味のプログラマは昔からいたし、その中にはすごいものを作る人たちもいた。
そういう人たちは、作った結果よりも、作る過程を楽しんでいたんじゃなかろうか。
結果からのリターンを想像するのも楽しい。それが実際には得られなくても。
物を買うときも、買った時より買うまで迷っている間が楽しいように。
この気持ちを忘れて、結果だけを評価するようになったら、
それは大人になったと言うことかもしれないけど、
人としてつまらないのではないだろうか。
作る過程を楽しめる人と、仲良くしたい。
ブログ、というものが流行っているそうだ。
もともと海外で日記サイトのことをそう言ってたと思ってたのだけど、
なんか日記とは微妙に違うものらしい。
僕もやってみようかな。
けど定義をみてたら、この日記もblogなのかも、とか…
名前ネタ。
武将の系図を見ていると、一つの家ではみんなが同じ字を使っていることに気がつく。
もちろん例外も有る。徳川将軍家はみんな家の字を使うけど、養子などで使ってない人もいる。
この字を通字という。織田家、甲州武田家の信、後北条家、足利一族の氏、
薩摩島津の久、毛利の元、土佐山内の豊、伊達の宗など。
分家には分家ごとに通字がある場合もある。尾張徳川は義、紀州と水戸は頼が通字だ。
これは一族である証であり、団結の元でもある。もともとは先祖に因んだ名前を使う慣習が
次第に権威化したものらしい。
烏帽子親から一字をもらうのも家の間の関係を重視したものだ。
ちなみに、中国や朝鮮では同じ字を使うのは不敬とされるため、
一族ごとに代毎に字を変える。兄弟は同じ字を使う。
これは形が違うだけで名前によって一族意識を養うための同じ風習と言えないか。
昆虫は四色の色が見えるそうだ。
それがどんな色なのか想像すると…想像できない。
もし、人の目に新たな色を見れるような変更をしても、
脳みその方が受け付けない。
僕は常々思っているけど、そのような感覚と意識はつながっているんじゃないのか。
違う色が見えるようになったら、意識も違うものになってしまうんじゃないのか。
命令のフェッチはm-RNA、デコードはリボソームとt-RNA、
たんぱく質は命令の実行。
これらが細胞と言う化学装置の中で並列動作されている。
スレッド調整に似た機構すらある。
だが、誰がプログラムを書いたのだろうか。
何億年と言う時間の中で、トライアンドエラーを繰り返しつつ、
自動的にプログラムが編まれて来た、と思われる。
しかし、誰がそのプロセスを始めたのか。それはいまだに謎だ。
DNAを計算に使った人がいる。
計算というか、ある数学の問題を解いたのだ。
DNAは鍵と錠のように合わさったところだけ結合させることができる。
だから、鍵に工夫をして、巡回サラリーマン問題を解くことができた。
はっきり言って、ブルートフォースである。
数撃ちゃ当たるって感じに数秒で解いてしまった。
けれど、答えを取り出すのに何時間もかかったと言う。
人は赤、青、緑の色を感じる。
哺乳類でこれだけの色をみれるのは例外に当たるらしい。
哺乳類の祖先は、恐竜に生活圏を独占されていたため
夜行性のまま何億年という時をすごした。そのため色を見れなくなった。
恐竜の絶滅の後、昼の世界に進出した哺乳類は色を取り戻すのに長い時をかけた。
ちなみに鳥は恐竜の血を継いだので、元から色を見る事ができる。
なんと二千六百年前の正月一日が太陽暦で今日らしい。
根拠は日本書紀だ。千三百年程前の本だ。
なんとも壮大な話ではないか。
DNAは生物の設計図と言われる。DNAは四種類の塩基の組み合わせで情報を表現している。
三つの塩基を組にして、二十種類のアミノ酸を表現している。さらに開始信号やストップ信号もある。
まるでプログラムだ。
細胞はDNAを読み取り、たんぱく質を作ると言う作業を繰り返している。
DNAがプログラムコードならば、たんぱく質はルーチン、またはモジュールにあたる。
細胞に作られたたんぱく質はそれ自体がDNAの読み取りに関わり、
それでフィードバックループを作っている。
細胞で作られたたんぱく質は、コンピューターの各部分にあたる。
入力、出力、メモリ、そしてCPUまでも全てそれに当たるたんぱく質があるようなものだ。
登場はPC-9801より早い。そして日本でも売られていたがさまざまな理由でPC-9801に負けてしまった。
だが交代劇はWindowsとともに始まった。
GUIの広がりとともにキャラクタベースでは必要なかった解像度が求められた。
漢字のせいでPC-9801は当時のIBM機よりも高解像度を必要としてのだが、VGAで解像度を追い越された。
OSの共通化により、同じソフトが使えるため、
日本ローカルのアーキテクチャにこだわる必要が無くなった。
互換機による多様性と廉価競争で、このときIBM PCはPC-9801より安く早いものが存在していた。
高速化によって漢字キャラクタジェネレータの優位性も無くなった。
動物、緑色植物、菌類、褐藻、紅藻、繊毛動物、珪藻、ミドリムシ類を近いものから分けるとどうなるのだろうか。
昔なら、(動物、繊毛動物|ミドリムシ|緑色植物、菌類、褐藻、珪藻、紅藻)(ミドリムシが中間)となってたが、
今では、((((動物、菌類)、緑色植物)、紅藻)、(褐藻、珪藻)、繊毛動物)、ミドリムシ(括弧でくくったものが近い仲間)
となっているらしい。
こう変わったのは、主に原生動物に関する研究かららしいが、
特に、DNAの解析によってこれらの分類が支持されているそうだ。
もう、植物であるかどうかは系統を決める大きな要因ではなくなっている。
今のPCはIBMのアーキテクチャだ。だけど日本にはかつて独自のPCがあり、
それがシェアを独占していた。PC-9801だ。
これは実はIBMのPCと中身が良く似ている。最初の機種が発表された時期の
ほとんどの16bit機はみな良く似通っていた。
今現在、それらの姿は無くなった。
PC-9801が全盛期だった頃、IBMのPC互換機はグラフィックでPC-9801に負けていた。
そしてキャラクタジェネレーターがPC-9801は日本語ネイティブのものだった。
ではなぜ今はこうなってしまったのだろうか。
僕が子供の頃の百科事典には、原生動物のミドリムシは動物と植物の間の生物とかかれていた。
生物の系統樹は大きく動物と植物に分かれ、菌類は植物の側にあった。
現在ではこんなに単純ではない。そもそも植物と動物の分け方が間違っているらしい。
今はミドリムシは動物とも植物とも違う、全く違う生物に分類されている。
機種名がコードネームのようなこのシリーズは
だが日本のパソコンの代名詞のようなものだった。
PC-8001から発展したこのシリーズは高性能なグラフィック性能が売りになった。
16bitのPC-9801シリーズが日本のパソコンの主流になったのも、
このシリーズとの互換性を重視したためだと言われている。
このシリーズとともにPC-8001の後継機種も出ていたが、あまりこれといった印象は無い。
当時はコンセプトを多数用意する方法は、あまり営業的にいい結果が出てなかったように思う。
特化したものより、汎用性のあるものの方が売れていたように思う。
富士通は印象に残るパソコンをどの時代にも出していたように思う。
FM-8からFM-7へ。FM-7はコストパフォーマンスに優れていたマシンで
人気もあった。その後いくつかの後継機種を経て、
当時としては最高の発色数を誇ったFM-77シリーズへと発展する。
その後富士通はマルチメディアをうたったTOWNSを世に送り出し、
そのユーザーには多くのハッカーが居り、パソコン通信でその腕を競い合った。
現在の富士通のPCはその勢いをなくしたのだろうか。
独自アーキテクチャから撤退してから、
ユーザーがこの会社のマシンにこだわるようなことがあっただろうか。
このシリーズの誕生はかなり早く、
最も初期のパソコンとも言える。
最後にはS1という機種が出たが、メモリ空間の広さとグラフィックの速さを売りにしていたと思う。
このシリーズは他のライバル達ほどは目立たなかったが、
8bitパソコンの最初と最後を飾ったシリーズなのではないか。
パソコンとテレビをいっしょにしたコンセプトを聞いたとき、
最初は性能良く無くてとにかく作ってみました、みたいなものを予想した。
実際にはスペックも性能もコストパフォーマンスも当時としてはかなり良いものだった。
クリーンコンピューターの思想をMZから受け継ぎ、
ユーザーはOSレベルからハックしようとしていた。
一斉を風靡したシリーズとなり、後継機種が何機種も出たが基本構造は踏襲されていた。
このマシンの延長線にX68000シリーズがある。
E.E.スミスというSF界に金字塔を打ち立てた作家の作品の中に、
「理論は所詮理論に過ぎない。これは観測された事実じゃないか」と言った意味の台詞がある。
(宇宙のスカイラークから)
実はこれは自然科学そのものをあらわした台詞だ。
理論は現象を説明するためのものにすぎないのだから、
現象によって否定された理論は廃棄しなければならない。
彼自身、化学を専攻していたので、そのような考え方を持っていたのに不思議は無い。
彼の時代には科学のパラダイムがドラスティックに変わったので、
それを目撃したことも関係するのだろう。
東芝のパソコン。今はノートブックなどで東芝はよく売れているが、
パソピアはかなり地味だった。
そして、広告は…触れちゃいけませんか?
中学校のとき、友人がとあるPCを買った。
次の週にその後継機種が出た。
さて、MZ-1200はMZ-80K/Cシリーズだと記憶している。
このあと、MZ-700がでて、MZ-1500に続いたはずだ。
MZ-700からはディスプレイが別になった。
大学時代に、いまだにMZ-700がメインマシンだと言っている奴が居た。
そいつは普通に16bit機を使っていたが。
NHKはなにかと商品名を隠すが、かつてマイコン講座と言う番組で、
機種Xと呼ばれたPCがある。
この機種は後に日本のパソコン市場を席巻したシリーズの祖先と言えるものだった。
この機種で私の大学時代の先輩のことを思い出す。
先輩はこの機種のユーザーだった。と言うより、この機種のユーザー会の会員だった。
私が大学に在学中も、しばしばその会合に行っていたようだった。
何より、その息の長さに感嘆した。
シャープのX68000と言う機種は、回路図が公開されていたこともあって、
いろいろいじられたマシンだ。
改造中に壊れたマシンで、シャープのサービスセンターがかなり迷惑したらしい。
当初の意欲的なスペックもあって、かなりディープな層の羨望の的だった。
僕は買おうと思っていたけど結局一度も手に入れていない。
今も、このマシンで腕を磨いたハッカーたちが活躍している。
秋月と言うと秋葉原の部品屋が真っ先に思い浮かぶ。
あそこはいろいろなキットを売っているけれど、
実はいろいろと癖があって面白い。
かなり中級以上向けだったりする。ちゃんと作ろうとすると、ある程度の機材は必要だろう。
プロもあそこのものを結構利用している。
天童よしみの「操橋」という歌があるが、
これはとある県立女子高に実在する小さな橋を歌ったものだ。
この学校にはみさお幼稚園と言う付属の幼稚園がある。
僕はこの学校の近くの家から七キロ先の”男子校”に自転車通学していた。
寒い
日本には四季がある、と言うが熱帯以外はどこにでも四つの季節がある。
まあ、「暖かい」「寒い」「とんでもなく寒い」「寒い」と言うのが四季というのかどうか。
地球には四季があるからいろいろな生物も一年を一つの周期にしている。
他の星に移住する時代が来たら、この周期も変わるのだろうか。
いくつか著作権を認められない場合がある。
単なる事実の表記、法律の表記、政府による広報などがそれにあたるそうだ。
また、引用以外にも著作物のコピーが認められる場合がいくつかある。
個人利用のコピーなどがそれにあたる。あと、教育用途の場合にもそういう場合がある。
いずれにしろ、著作権は表現をみんなが役立つように利用するためにある。
どうすれば一番みんなが幸せになるか、よく考えなければ。
著作物に関する権利は著作者がまず持つべきだし、
けれど社会が表現を利用できないと意味がない。
社会への貢献を無視した、変な運用がなし崩しで行われている場合もありえる。
疑問があれば法律を調べるといい。おかしいと思う声がより有効な使い方を探る原動力になる。
科学者が残した仕事の中には、彼らの本意でなかった、しかし優れた仕事がある。
熱力学の父カルノーはもともと、今は否定されている熱素説を説明するためにカルノーサイクルを考え出した。
その結果は熱力学第二法則を生み出し、化学反応やエンジンの原理の礎を築くことになった。
アインシュタインは量子力学の不可解さを攻撃する問題を突きつけたけど、
結局はその不可解さのほうが実験で正しいと確認されてしまった。
アインシュタインは量子力学の最大の攻撃者として有名だが、実は量子力学の成立に最も貢献した人でもある。
光速不変の原理を見つけたマイケルソンの実験も、もともとはエーテルの実在を検証するはずのものだった。
このように、研究者の思い通りに結果が出なかったり、その結果が不朽の理論として残ってしまうこともある。
これが自然科学の面白いところだろう。
元の著作者に無断でできる著作物の二次使用の方法がある。
引用がそれにあたる。これは言論活動の健全性を担保するための制度だ。
作品に対する評論や批判、紹介は、その作品を評価するために必要だし、
またその評価を多くの人が検討するためにも公開されていることが必要になる。
そのときに元の作品の一部を使用したほうが解説や紹介が簡単になることは言うまでもない。
そのため、引用と言う形で作品の部分を利用することが認められている。
(状況によるが全体の利用が認められることもある)
引用は原著作者に連絡を入れる必要がない。これは、否定的な評論の場合でも、
元の権利者によってそれを制限されないためだ。
ただし名誉毀損などにあたる場合には、著作権法ではなく別の法律で制限される。
引用にはいくつかの制限があるが、基本的には解説や感想、自説の主張などが主な内容になっていれば、
その形態はあまり気にする必要はない。ただし引用元の明示やどの部分が引用であるか、
誰の作品であるかを明示しておく必要がある。
パロディなど二次創作は引用ではないので気をつけなければならない。
実は僕の誕生日が近い。もうこの歳になると祝う気にもなれないけど。
我が家では父の誕生日が私の誕生日の翌日で、
両親の結婚記念日が私の誕生日の前日なので、
家族の記念日が三つ続いている。
日にちを気にすると、友人の誕生日もかなり近いのがいたりするのに気がつく。
皆さんは適当に選んだ二人の誕生日が同じ確率をご存知だろうか?実はかなり大きい。
適当な人数の中に同じ誕生日の人がいる確率となると、もっと大きくなる。
頭の体操になるので考えてみてほしい。これは実はセキュリティにも関係する問題なのだ。
版権ものの同人誌などは、現在においては、
著作権所有者のお目こぼしによってある程度の流通が黙認されているに過ぎない。
だからといって、この権利をあまり杓子定規に使用すると、
ファン活動が冷め切ってしまいかねない。
二次創作物であっても、コピーでない限り創作による表現は存在している。
二次創作物が無断のものであり違法であっても、
その創作部分には著作権が存在するという判決も実際にあるそうだ。
二次創作を主にする同人活動などの動きを好意的に受け止め、
創作物の再使用を積極的に認めようと考える人たちも居る。
彼らは、もとの著作者に対して、二次使用を最初から許した体系を作り、
それを利用してほしいと主張しているようだ。これはCopyrightの部分的な放棄という形になるらしい。
当然だが、版権を持っている人が同意しなければこの体系を使うことはできない。
ちょっと割り込みます。
一昨日、B型肝炎のキャリアになった責任が予防接種にあるとして、
行政に対し、患者に賠償金を払えという判決が出ました。
私は、B型肝炎のキャリア(無症状感染者)でした。現在もその影響があります。
B型肝炎は体液感染で、免疫機能が不完全な小児期に感染するとキャリアになります。
そのため、キャリアになるのは出産時に母親から感染するときがほとんどだそうです。
私の親族には感染者(過去に感染していた者も)は私以外に一人もいません。
ですから、私もこの件の様に予防接種による感染である疑いがあります。
同様の人はかなりの数に登ると思われます。
B型肝炎は慢性肝炎からガンになったり、劇症肝炎を起こすなど深刻な事態もある病気です。
私は人事で無いので関心を持ってますが、もっと周知されるべき問題だと考えてます。
これを読まれる皆さんは、どうお考えになりますでしょうか。
誰かの作品を気に入って、それの派生品を作りたいと考えたとする。
日本ではこれは二次創作という形になって、
元の作品の著作者は二次創作の作品に対しても著作権を持つことになっている。
つまり、それを出版する権利も、それをやめさせる権利も持っていることになる。
二次著作者は、Copyrightをすべて持っているわけではない。
だから二次著作物には、無断でCopyright All rights reserved.(著作権はすべて保持しています)とは表記できないし、
それはもとの著作者の権利を侵害していることになってしまう。
そもそもが翻案権を侵害しているのだけれど。
著作権法違反の一部は親告罪だ。親告罪は、権利を侵害された人が自ら訴える以外の方法で罪を問うことはできない。
なぜなら部外者は、著作権を保持する人が著作権を行使するのかどうか判断できないから。
他人が横からしゃしゃり出て、「おまえは著作権を侵害しているぞ」というのは、
実は著作権を持っている人の、著作権を行使する/しない権利を横取りしていることになってしまう。
侵害の可能性を助言するのはかまわない。著作権を持ってる人に通告するのも別に良い。
けど、かってに犯罪者呼ばわりすることはできない。権利者が許せばそれは犯罪ではないのだから。
知的所有権はみな同じような構図になっている。これら権利は権利者以外は公的機関すら手を出せないし
手を出せないように法律が作られている。
追加。著作権法のほとんどの部分が親告罪だが、偽造やコピープロテクトの解除など、
特定の権利者に対する侵害に限らない部分は親告罪ではない。
著作人格権というのは、著作を公開すること、改変をされないこと、名前の表記の仕方を決められることなど。
日本では著者名の表記は必ずしも必要ない。著者名がなくても偽名でも書いた人に権利があるとされている。
また、この権利は他人に譲渡することができない。放棄もできない。
この権利があるために、日本では厳密な意味でPDS(著作権を放棄したソフトウェア)は作れないとも言われている。
この権利は、著作者が誰であるか、著作物が正しい形か、を法律が保証するためにある。
別の面から言うと、著作物を誰かに勝手に盗まれないようにする権利だ。
ちなみに著作を改変する権利も著作権の中にはあり、それは譲渡可能だ。
著作物を出版するときなどは、必ずしも著者その人が印刷して流通させるわけではないから、
出版社に対して販売権を譲渡することになる。その見返りを受け取る権利が著者にはある。
一般的に著作物に対するライセンスとはこれのことを意味する。
日本では出版者の側にもかなり厳しい制限があるようで、
出版するまでの期間を決められているとか。
また、原稿をもっていたとしても、それを出版する権利は出版権を持つ人にあるので
盗んで手に入れた原稿を元にして出版することはできない。
原稿の所有権と著作権は別の権利なのだ。
この権利のように著作権の中には他人に譲渡ができるものもある。
ちょっと著作権について考えてみる。僕は専門家じゃなくて単なるプログラマーなので全部正しいとは思わないように。
結構な間違いがあると思うので、詳しくは自分で調べてみて。実際に法的措置が必要なときには専門家に相談するように。
著作権はもともと、印刷術が発達する時代に著作者への見返りがないために作られたものらしい。
それがいろいろな変遷を経て、今では著作者が行った表現に対して、著作者が持つ権利になった。
今僕がここで書いているこんな文章でも、ちゃんと著作権があるし、それは僕がもっている。
日本ではその中の著作人格権は放棄できないことになっている。ただし行使をしないと言う表明はかまわない。
ちなみに僕はこのページに対しては人格権を行使する時にはするつもりです。
著作権で保護される内容は、著作物そのものというわけではなくて、
著作物に存在する「表現」だ。これは子供の落書きであっても、単なるメモでも保護されるとされている。
ただし、それが保護するに足る「表現」であるかどうかは、最終的には裁判で決定されることになる。
続く。
「慧」の名前。普通はけいとかさとしとか読ませる。
あきらなのはそういう読みが漢和辞典にあったから。
さとしという読みの漢字は結構な数がある。それぞれに微妙に意味が違う。
敏は動きがすばやい、慧は頭の回りが速い、覚は理解が早い。基本的に早いと言う意味だけど
微妙に違う。
ひろしだと弘はひろめる、宏はひろげる、広はひろいなど。
みな、そのような微妙に意味合いを気にする
その昔、エースのジョーという役があった。
宍戸錠氏がやっていたやつだ。
彼のほっぺたはプルプルしているので有名だったが、
あれは整形でシリコンを入れていたとか。二枚目の顔を悪役にあうようにしたとか。
以前それを取ったと言う話を聞いたけど今はどうなっているのだろうか。
たまに仕事が楽になると、プログラムを手入れする。
モジュールを使いまわしている間にいろんなものがついたり
いらなくなったりして、まるでさび付いたように使い勝手が悪くなる。
環境が変わって冗長な処理が必要なくなったりもするし、
それと新しく勉強して、うまい方法があった場合に、それを取り込んだりする。
僕のプログラムの方針は、なるべくエレガントに、シンプルに、わかりやすく。
でも、絶えずメンテをしていないとひどいモジュールが残ってしまう。
習志野の地名は新しいらしい。明治天皇の命名とか本に書いていた気がする。
ところで町名の習志野は習志野市にはない。なぜか船橋市にある。
習志野市内には東習志野という地名はあるのだが。
アメリカ合衆国はその発足から民主制なので、
アメリカが王制だったことはない。
南アメリカだと、ブラジルは一時期帝政を取っていた。
今でもブラジル皇帝だと主張する一族がいる。
このページのアドレス。
寝耳に水−>猫耳に水−>猫耳に蚯蚓−>猫耳にミミズクというたわいない遊び。
耳に水を入れるのは脳死判定にも使われる。
それほど脳にびびんと来るのだ。
不思議とどこにでもある名前に関するタブーがある。
本名を避けると言うものだ。日本でも諱を言うのを避けるために、
通称や受領名で呼び合うようになった。諱は忌み名とも言い、言うのを避けるものだった。
中国は字で呼び合う。
今でもみんな綽名で呼び合うのはその風習が続いているから。
西洋人もみんなニックネームで呼び合う。これも同じ。
英語で言うとWORK。物理でも同じ。
仕事によって人は評価されるのだろう。
いつか、本当の仕事をしてみたい。
世に名前を残すような。
今日戻ってきます。
明日から仕事だ。今はアイデアを実現することで頭がいっぱい。
こんなに意気が上がるのは久しぶり。
結局、この正月は実家そばのいろんなところを親に案内された。
そのいろんなところで、親族とかその同級生とかが関係していた。
政治家までいるし…
昔は大晦日は徹夜してたので、一年で最初に寝るのは元日の夜だったらしいです。
で、それで見る夢が初夢。
一富士二鷹三茄子。これって静岡の名産だとか何とか。
徳川家康が隠居所にした駿府にちなんだとか何とか。
元旦は元日の夜明け。
確か昔は元旦から新年だったはず。
で、年も一つここでとるわけです。
今年はどんな年になるでしょうか。
とりあえず、今やってる仕事を成功させたいな。
今日帰省します。
こっちだとTVKが見れるんだけど、帰ってくるのは四日だからなあ。
皆さんにとって今年はどんな年でしたか。
世界はあいも変わらず激動を続けてますが、
私の近くは平穏でした。それがいいですよね。
というわけで行ってきます
化学のほうでは、主に有機化学で、高級とは炭素の数が多いことを意味する。
高級脂肪酸とは、炭素数が多い脂肪酸のことだ。ステアリン酸など融点が高いものが多い。
低級脂肪酸は酢酸など。別にそのものが高価だとか安価だとかとは関係ない。
エタノール、メタノールは低級アルコール。当然高級アルコールもある。
アルコールは一般に低級のほうが毒性が高い。
級という言葉はジャンルによって違いある。
中国では姓、氏、字、名がある。
姓と氏の区別は戦国時代あたりまではあったけど、その後は見かけない。
字は日本では通称がそれに当たる。
西洋ではミドルネームが発達している。また、貴族などは家名の断絶を避けるために
複姓というのがある。
姓、というか家の名前が無い民族もある。
姓は歴史的に比較的後になってできるもののようだ。
本を読むのは好きだ。部屋の中は文庫本であふれている。
もし、働かなくて生きていけるなら、ずっと本を読んでいたい。
好きなのは海外SF。そして歴史小説。科学啓蒙書。
雑誌はほとんど立ち読み。
いつか、郷土史を読み漁る生活をしたいと思っている。
苦手だ。僕は語学がほとんど駄目。
大学でもお情けで単位をもらったくらい。
理屈で文を構成するのが苦手と言うか嫌いと言うのが言い訳の一つ。
そもそも日本語の文すら苦手なのに外国語ができるわけが無い。
それでも、読むのならいくらか。ヒアリングはぜんぜん。
名前と言うのは調べてみると面白い。
今の日本は、苗字と名しかない。むかしは名前にいろいろな部分があった。
姓(かばね)、氏(うじ)、苗字、通称、受領名、官途名、諱(いみな)、号。
白瀬 慧、では白瀬が苗字、慧が諱に当たる。僕のこれはハンドルだけど。
太郎とか一郎みたいなのが通称に当たる。権兵衛などは官途名。
上総介とか、今の名前にはほとんど無いけどこれが受領名。
姓は本来は源平藤橘などの家柄を意味する。今は姓、氏、苗字、名字は皆同じ物を指す。
号はいわばペンネーム。
そもそもキリストの生まれた日はわかっていない。
生まれたときにはただの子供だったし、それに二千年も前の話だ。
現在、クリスマスとして祝っているのは、もともとヨーロッパの冬至の祭りらしい。
それにいろいろな伝説などを混ぜ合わせて、現在のものになっているとか。
サンタクロースの赤い服は某清涼飲料水の宣伝でそうなったと言う話もあるそうだ。
プログラムの場合、高級プログラムのほうが低級プログラムより簡単だ。
と言っても場合によりけりだけど。一般的にはそういわれる。
この場合、高級、低級は人に近いか、コンピューターに近いかをあらわしている。
低級のほうがコンピューターに近いため、人が書くのが難しくなる。
けど、やってることは単純なので、その点では簡単とも言える。
高級のほうが人に近い。けれど、言語の解釈やらデータの処理やらで
それこそ高級な処理が必要になって難しい場合もある。
基本的に、高級のほうがプログラムを簡単にする目的なのだが
それを実現するための処理が難しくなる。
プログラマーという人種を考えるに、
「サボるためには労力をいとわない」の一言に尽きると思う。
もともと「ハッカー」のhackにはやっつけ仕事の意味があるらしい。
すばらしい仕事をした人が謙遜に「たいしたこと無いよ」と言っている意味もある。
それと、ちょっとした作業ですごく有用な効果があった、と言う意味もあるらしい。
面倒くさがり屋が仕事をやりたくないから仕事をがんばる。
それが優れたプログラマの本性らしい。
親族同士の結婚は日本でも田舎ではそんなに珍しいことではない。
私の実家は田舎なので、結構そんな雰囲気がある。
というか、私の両親は血がつながっては無いものの遠縁同士の結婚だった。
父の従兄弟が母の従兄弟、という関係なのだ。
聞いたところでは、やはり家柄というのが関係しているらしい。
本百姓の子孫はそれどうし、小作の子孫はそれどうし、という古い関係がいまだにあるという。
その上、地縁を重視するので自然とみんな親戚同士になってしまう。
実は親がかなり転勤をした。住んだ土地は片手で数えられないくらい。
これには良い面もあるし、悪い面もある。
その土地土地に愛着をもてるようになるけど、その理解は少ない。
僕の出身は四国だけど、実はあまりその知識がない。
甲子園の季節になると困る。どこを応援するのか困る。
冬の星空は明るい星が多くてきれいだ。
全天で一番明るいシリウス、特徴的な鼓型のオリオン、
平安の世に「星は」と言われた、しし座の昴。
ふたご座のカストル、ポルックス。シリウスとプロキオン、ベテルギウスの冬の大三角。
そしてこの付近には散光星団も多い。オリオン大星雲、馬頭星雲、バラ星雲など。
肉眼で一等星達の競演を眺めるのもよし、双眼鏡で星雲を眺めるのもよし、
カメラで美しい夜空を撮るもよし。
僕と同じ世代の人で、学生時代からコンピューターを使っていた人だと
パソコンを学校のカリキュラムで習うことが無かった人も多いだろう。
当然だが、僕たちは独学でそれを勉強した。
今から思えば、その頃のパソコンは勉強に最適だったかもしれない。
プログラムもブラックボックスが少なく見通しがつきやすかったし、
ハードをばらしても、汎用のロジックが多くてわかりやすかった。
だけど、学校の先生はそのパソコンをおもちゃとみなしていた。
今はそのおもちゃを一生懸命勉強しなければならなくなっている。先生達も。
けど、それこそおもちゃだったからハッカー達は夢中になった。
もういい年なので、親からはせっつかれている。
けど、する時間が無い。
抱きつく形の枕。実は人が何かに抱きつく形で横になるのは
最も安心できるポーズのひとつだ。
そういうわけで、結構世界的にみてもポピュラーなものらしい。
ちなみに、ダッチワイフもこの系統。
もうオフセットは締め切りが終わっている頃でしょうか。
僕はあんまり穂茂系なのは苦手なので、そっちは勘弁してください。
匿名で適当にbps本を漁るので探さないでください。
ちなみに二日目は仕事があるので行けません。
子供はかわいい。女の子に限らず、人間にも限らず。
たぶん哺乳類にそういう感情に必要な意味があるのだろう。
鳥にもあるのかもしれない。
ある種の魚にも自分の子供を世話する習性のあるものがある。
彼らもかわいいと思っているのだろうか。
口笛からリコーダー、尺八など、皆原理は同じ。
気流の流れを開口部に当て、そこに乱流を起こして音を出す。
最初に笛のように音がなる事を見つけた人は不思議に思ったに違いない。
実は完全に整った気流の場合は音が鳴らない。
人の呼気は肺の複雑な形などにより、かなり乱れがある。
それをきっかけにして、大きな乱流を作り、笛の共振によって特定の高さの音を増幅する。
息の調整が大変で習得は比較的難しい楽器だが、
コントロールの幅は大きく、熟練すると豊富な表現ができる。
実は今、携帯機器を持ってない。ノートを持っていたけれどもPCカードスロットがやられて引退。
そろそろ新しいのがほしくなっている。長時間つかえて軽いものがほしい。
できればその場でコンパイルできるもののほうがいいけど、
単なる端末として使えるものでも良い。適当なサーバーがあれば。
今に残る家で、鎌倉以来の名家なんて数えるほどしかない。
そもそも本家が残っているところなんてまずない。
室町あたりからならないこともない。ただ、自称なんてことが大体だ。
戦国あたりからなら江戸時代を通じて残った家ならいくらかある。
今の名家は戦国の生き残りか、明治の元勲くらいになってしまう。
今の政治家も調べるとわかるけど、意外とそういう家柄ばっかりだ。
うちは室町の豪族の子孫を名乗る家が親戚にある。室町の頃は瀬戸内で明人を襲ってたとか。
私自身も明治にはそれなりの名士だった人が先祖にいる。けど今はただのプログラマだ。
ほとんど自炊してません。最近はコンビニ弁当があるので楽ですね。
それでも学生時代には少しはやってました。
ご飯が炊けるくらいですが。
やはり、料理のうまい人が同居してくれないかな、と思ったりするわけです。
紙はパルプでできている。これは要するに、木から作られたセルロースの繊維だ。
セルロースは、実は糖でできている。分子式を見ても澱粉と同じだ。
違いはモノマーの結合の仕方。モノマーは澱粉もセルロースもおなじブドウ糖だ。
現在、紙の原料はほとんど木だ。その伐採のために環境汚染も起きている。
その使い道がそこらのヲタクの○ナ○ーのためだったりすることもある。
現代社会では、いろいろな国が自国の通貨を持ち、それを流通させている。
それを国の間でやり取りするときに、両替するわけだが、
その時々によって通貨間の価値が変わる。
それを外国為替というわけなんだけど、これが変わる理由はかなり複雑らしい。
基本的には買う側と売る側で取引が成立したときに金額が成立する。
だから、ありえないけど全員が承知の上ならば、一気にとんでもない価格にすることもできる。
それがないという合意の上で市場でレートが決定される。
今の僕に縁のないもの。てゆかかわいい彼女が僕の目の前に現れたらなあ。
料理がうまければいうことないんだけど
家系というのに興味がある。歴史を読み解くためには、どうしても家族の関係がわからないと
その事態がよくわからないことがある。
日本の場合、有力な武士の家系は大体が源平藤橘のどれかということになっている。
でも、そもそもそれらの家柄ができた当時から、
誰がどこそこの一族というのはかなりあいまいだ。
また室町時代にもかなり混乱があり、戦国時代の有力武将のほとんどはどこの馬の骨とも知れない。
そんなことよりも、兄弟で戦うのに遠い親戚が味方だったりすることが結構あることに興味がある。
今も昔も財産は親戚関係で相続するものだから、そのあたりに争いがある。
そして、さまざなま戦争の原因が大体相続関係だったりする。
西洋なんて国一個を相続したりするからさらに大変だ。
ちなみに私(現実)の家系図はかなり単純です。相続もほぼ長子相続ですし。
コンピューターはある意味、人がもてる最良の奴隷かもしれない。
同じ作業を際限なくこなせる。力仕事から計算まで。
計算のほうの能力を追い求めたのがスーパーコンピューターだ。
とにかく決められた計算をさせる。人の命ずるままに。
彼らは文句を言わない。そしてもくもくと働きつづける。
その結果を用いて、人は何かをする。それがいいことか悪いことかは、人が決めること。
実はほとんど買ってない。即売会に行ったとしても友人たちのところを回るくらいで
あまり散財しない。特定のサークルに並んだということもない。
そういう半分商業化したような本にあまり興味がない。そういう本なら本屋で買うし。
個人が自分の作りたいものを作る、というところに同人誌のよさがあると思うから。
それがいかに下劣でつまらなくても、そういうものを作るということに意義がある。
実は僕の部屋には装飾が少ない。
ポスターもないし、置物もない。
テレビとデッキとコンピューターとDX-7。そしてごみと万年床。
まあ、一人暮らしだからね。
僕の声は音域が狭い。だからカラオケとかするときには曲を選ぶ。選んでないけど。
キーが合えば、それなりにうまいと思っている。
そういえば、声優さんなど専門でない人が歌った曲をCDにするときには
各音ごとにテイクをつなぎかえることもあるそうだ。音程も変えたりするらしい。
子供のころにエレクトーンをやっていた。ピアノとはタッチが違うので
ピアノは弾けない。そもそも今ではキーボードもまともにひけないけど。
ギターも遊んだことがある。Fが押せる、といえばわかる人にはどの程度かわかるでしょう。
そもそも手が小さいのでその手の楽器にはあまりむいていない。
演奏が苦手なのも、コンピューターに興味を持った動機でもある。
PCで演奏させることでうまくやれないか、と。
ウイルス性の発熱や呼吸器系の病状を特徴とする一連の病気の総称。
最近はウイルスの働きを抑える薬ができたとかで、
言ってみれば風邪につける薬がやっとできたという感じ。
それまでは対処療法と安静しか手がなかったわけだ。
まあ、ほとんどの風邪は自然治癒するからなんだけど。
てゆか、風邪ひいてたのよ。
あと一月で今年も終わり。皆様今年はどのような年だったでしょうか。
僕は、後半にいろいろとあったなー、という程度で普通の年でした。
このまま平穏に年を越せたらなと思ってます。
そういや帰省したら見合いしろっていわれるんだろうなぁ。あーあ。
昔、大学のサークル内で「40歳くらいにみえる」といわれた事がある。
容貌が、というのではなく、落ち着いてみえるかららしい。
まあ、激することはほとんどない。
興がのるとたまにはめをはずすこともあるけど。
決断が遅いのもそういわれる理由かもしれない。
自分ではいろんなことを考えているせいだと思っているけど。
健康のために、少し距離のある駅から歩いて帰宅することがある。
そのとき、Pure Enoughを脳内演奏しながら歩く。
リズムがいい感じでいい運動になる。美紗緒といっしょに歩くつもりで。
昔、Z80が主流だったころには、ダンプリストをそのまま使ってデバッグしていたらしい。
そういうことができた人がいたという話はよく聞く。今でも居るそうだ。
僕は早いころから8086マシンでやっていたので、そのようなめんどいことはできなかった。
けど、今でも仕事でアセンブラレベルでクロックを数えて最適化することがある。
そういう仕事は好きだし。
最近のCPUでも、ARMだとできるかもしれない。あれは結構単純な構造をしている。
PICだと場合によってはアセンブラを使うほうが面倒かもしれない。
まあ、当然、スパコン用の機械語をそのまま作るようなことは人間業ではない。
小さな衛星では大気圏に落とすとその摩擦で燃え尽きてしまう。
連ねて落とせば、先頭にあるものがショックウェーブである程度弾き飛ばすので
多分、後ろのものは長持ちするだろうと思われる。
編隊を組んで、自転車競技の団体戦のように先頭を入れ替えればもっと持つのではないか。
先頭のものと後続のものとは最終速度が違うので追いついてしまうだろうし。
一度、ビルだらけの都会で一年を過ごしたことがある。
その結果気が滅入って、今では田園風景が気楽に眺められるところにすむことにしている。
もともと田舎の出身だし。
実際、夏だとそういうところのほうが涼しい。それに音と匂いが違う。
一度だけ行ったことがある。ただのコスプレじゃん。
そういや、秋葉にある某メイド喫茶ではお客にビールをぶっ掛けたという事件があったそうで。
それがサービスだったりしたらいやだな。
録音スタジオの見学に行く予定。この連休はなんかスケジュールが詰まっている。
一度スタジオに行った時、音が響かないことに驚いた。
雑音を減らし、反響を防ぐのが目的だ。
けど、スタジオによっては空調のせいでノイズが入るところもあるらしい。
そういうところは品質の関係で敬遠されたりするようだ。
今日は劇団の舞台を見に行くらしい。
友人から誘われたからだ。
舞台なんてほとんど見たことがなかったからどんなのか楽しみだ。
今日は母校の学園祭があって、OB招待のコンパがある。
無線のサークルなのだが、最近ではもっぱらロボットを作っている。
僕が居たころはCPUをTTLで組もうとしていた。
コンパ代のいくらかは部費の足しにしてもらうことになっている。
僕はHHK lite2を常用している。物の大きさ自体が小さいのと
指を動かす範囲が狭いからだ。
実は、片手用のキーボードを自作したいと思っている。
いや、一度は実際に作ってみた。ただ、工作がよくなくてすぐ壊れたけど。
僕の考えるものはポインティングデバイスと同時に使ってフルキー並みのキーが打てるものだ。
ポインティングデバイスも市販のものでは不十分だと思っている。
そういうアイデアはあるんだけどね。
僕は比較的低級プログラマーなので、メモリについては
具体的なアドレスを持った物理的なものというイメージがある。
今のPCではOSが仮想メモリという仕組みを使って、ソフトウェアからみえるアドレスと
ハードウェアから見えるアドレスが違ってみえるようになっている。
そもそも現在のそこらへんのOSのプログラムでは直接物理アドレスを指定するものが少ないのだが。
RAM 4k ROM 128kの小規模システムの開発ばっかりやってると物理アドレスしかないけど。
武器は好きでもあり嫌いでもある。
最近、ナイフマガジンとか言う雑誌をよく立ち読みしている。
機能を突き詰めた結果の造形美は好きだ。
しかし、武器はあまり使ってもらいたくない。
だって壊れるのいやだし
要するに液体の磁石。そういう変なものがある。
周りの磁力につれていろいろと性質が変化するらしい。
ごみの分別や宇宙服のパッキンに使われているらしい。
水ベースのものと有機溶剤ベースのものがあるとか。
萌えはそのルーツにいくつもの説があるが、
現在のネットで広まったものは、とある波動系BBSでのとある人物の発言が最初らしい。
だが、古くはイデオンのころからある言葉らしい。
英語ではbeyond cutenessとか訳されるらしい。
昔、さだまさしのセイヤングという番組で
「鶏の鶏冠を触るとうひょひょひょひょー」とかそういう投稿があった。
その後、肉球だの馬の口だのと投稿が続いたが、
思えばこれが、僕とぷにの出会いのような気がする。
コンデンサーなどにもいろんな種類がある。
表示はみんな何とかFだったりするわけだが、その材料や構造によって特性が違う。
たとえば大容量だったり、高周波特性がよかったり、振動に強かったり。
セラミックコンデンサは小型で大容量、そして周波数特性が良い。けど材料が振動に弱く容量が変化する。
スチロールコンデンサは容量はあまりないが振動に強い。周波数特性はよくない。
アルミ電解コンデンサは容量が大きい。だが極性を持ち漏れ電流があって周波数特性もよくない。
タンタルコンデンサは漏れ電流は少ない。破壊したときに激しく燃える。
そういうわけで用途によって使い分けが必要になる。
でんこもとこではない。
僕は電気回路は水路をイメージして理解している。
電圧は水面の高さ。抵抗は水がとおりづらいところ。
コンデンサーは池。コイルははずみ車のついた水車。
トランジスタはちょっと難しい。トランジスタの一種のFETはいくらかわかりやすい。
水門でその開き具合を別の水路の水かさでコントロールしているようなもの。
高周波もある程度はその比喩で理解しやすくなる。
最近は黒糖焼酎に凝っている。独特の香りがなんとなくフルーティーで美味い。
僕はワインが苦手だ。どうも翌日に残ってしまうし悪酔いする。
基本的に蒸留酒が好きだ。日本酒は吟醸なら呑める。というか呑みたい。呑ませて。
ちなみに一人では酔うほど飲むのは稀。
半田ごてを持っている。当然はんだ付けをするためだ。
持っているのは30Wの電気工作用。あまり容量が大きいと素子を壊してしまう。
僕はとりあえず簡単な回路ならアナログでも読める。高周波はぜんぜんだめ。
デジタルならロジックを組むのはあまりソフトと代わりがない。
半田は鉛と錫の合金で融点は180度くらい。学生のころにお湯の中でも融ける低融点合金の学生実験をしたことがある。
最近は鉛の環境への配慮から鉛を使わない半田が出てきた。
銀と錫の合金が主流だ。ただこれは融点が210度くらいだし、冷えたときになんかしわしわになる。
融けにくいしあんまり伸びないし熱くて難儀した。
やはりそれなりに便利な合金が使われ続けられていたようだ。
前の続き。PASCALなどに比べるとCは括弧でくくられているので直感的だし、キータイプの回数も少ない。
最近では関数名とかを長くするのが流行っているので(Win32 APIとかを見るといい)
かなりごちゃっとはしているけど。
ただ、Cはかつて「高級言語ではない」などといわれたように、少しとっつきにくいところもある。
よく言われるのがポインタの学習が困難だ、という部分だ。
Lは勘弁してくれ_| ̄|○ <TVKで藍青縁見てたやつ
はじめてこの日記からリンクしてみたり
なんかメイドな即売会があるとか
正統派はスカートが短くてはだめらしいです。鮮やかな色もだめみたい。
「こんなのメイドじゃないよ」とか言ってますよ。
あと、今日は衆議院の選挙です。最高裁の国民審査もあります。
有権者の皆さんは自らの意思を国政に反映させてください。
私も行きます。
豆腐って、子供のころはあんまり好きじゃなかった。
苦いし、あんまりおいしいとは思わなかったし。
けど、大人になると、あの中のうまみや風味を楽しめるようになった。
そういや、中国には豆腐を発酵させた調味料があるそうだ。
僕は納豆もだめな人間なので、多分それもだめだと思う。
やはり新鮮なほうがいいです。
この前の続き。記号をうまく使ったことによってCはぱっと見た目でのコードの見通しがよくなっている。
たとえば、構造的に似ているPascalと比べてみればわかるが、PascalだとCに比べて文字だらけである。
英語圏の人なら「始め」「終わり」という言葉が並んでいるわけなのでわかりやすいのだろうけど、
僕はそういう感覚があまり無いので、変な文字がごちゃごちゃしているという印象なのだ。
てゆか、メインマシンのHDDが不調になってしまった。
バックアップくらいは取っておくべきだなと。
僕はプログラマだ。仕事にはCやC++をよく使っている。
Cは現在よく広まっている言語で、その派生もさまざまある。
JAVAやPerl、C++やC#といった言語がCの文法を元にしている。
何でこんな風になったのかというと、
Cは他の言語に比べて括弧などの記号をうまく使っているからだといわれている。
藻前はコンパイラを超越してるんじゃないのかとか言わないよーに。たまには現実に帰るの!
今日は即売会。はぁはぁ
実はチョコレートは薬物なのだそうだ。しかも精神系の。
もともと、その効果があって人の食用とされたものらしい。
最初は儀式用に使われていたそうだ。たしかアメリカの先住民がそのように使っていたらしい。
といっても、そんなに目立った効果は無い。気分を明るくするので鬱には良いそうだ。
ちなみに犬とかにチョコをあげるのは駄目。代謝出来ないので中毒してしまって命にかかわることもあるそうだ。
今日から十一月。
英語の月の名前は、九月から先、数字と月の名前が会わなくてたまに混乱する。
二ヶ月ずれている。Novemberはもともと9の月の意味だ。
その理由に諸説ある。七月と八月が後から追加されたからというもの。
Julyはシーザー、Augustはアウグストスが自分を記念して月に追加したかららしい。
また、もともとの年末は今の二月であったという説もある。
その証拠に二月だけ短いし、うるう年に日が追加されるのも二月。