2008年4月30日(水)「しんぶん赤旗」

「米軍違憲」破棄へ米圧力

59年の砂川裁判 一審判決直後 解禁文書で判明

駐日大使 最高裁長官と密談


 安保条約にもとづく在日米軍の駐留を憲法違反とした一九五九年の砂川事件・伊達判決に対し、米駐日大使が当時の最高裁長官と「内密の話し合い」をもつなど、判決破棄へ圧力をかけていたことが米政府解禁文書で明らかになりました。国際問題研究者の新原昭治氏が今月、米国立公文書館で入手したもの。米軍駐留違憲判決に対する米側の衝撃ぶりと、干渉を無批判に受け入れる日本側の異常な対米従属ぶりが分かります。


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(写真)「主任裁判官・田中(CHIEF JUSTICE TANAKA)」との「内密の話し合い」を記した在京米大使館から米国務省への公電

 一九五九年三月三十日の砂川事件の一審判決(東京地裁)で伊達秋雄裁判長は、安保条約のもとで米軍が「極東」に出動することは、日本を直接関係のない戦争に巻き込むおそれがあり、また保持を禁じた「戦力」にあたるとして、米軍駐留は憲法前文、九条二項違反とする判決を出しました。解禁文書は判決当日から最高裁での弁論終了後の九月十九日まで、当時のマッカーサー米駐日大使から国務省あてを中心にした十四通の電報です。

 伊達判決の翌日には、米大使が藤山愛一郎外相に閣議前の早朝に秘密会談を申し入れ。当時進行中だった安保条約の改定交渉への影響や、東京・大阪など重要知事選前に「大衆の気持ちに混乱を引き起こしかねない」ことに強い懸念を表明しました。大使は「日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すこと」を求め、過去に一例しかなかった最高裁への「跳躍上告」を提案しました。日本政府は部内で検討していた経過もあり四月三日に跳躍上告しました。

 四月二十四日付では、米大使と当時の田中耕太郎最高裁長官との「内密の話し合い」を明記。田中長官は「本件には優先権が与えられているが…決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかる」との見通しを伝えています。

 最高裁は、当時三千件もの案件を抱えていましたが、砂川事件を最優先処理。電報の五日後には最高裁が弁護人を二十一人に制限するとの決定を下すなど、「迅速な決定」へ異常な訴訟指揮をとりました。最高裁は同年十二月十六日、一審判決を破棄、東京地裁に差し戻しました。

司法の独立 侵した

 砂川事件上告審で弁護団事務局長を務めた内藤功弁護士の話 一九五九年五月一日、団長の海野晋吉弁護士と一緒に、最高裁の斎藤悠輔裁判官と面会した。斎藤裁判官は「ジラード事件で米側が日本の裁判権を認めてくれた手前もあるので、この(砂川)事件は早くやらないといけない」と語った。きわめて異例である弁護人の人数制限も田中耕太郎最高裁長官と斎藤裁判官らがやったことだが、その裏で長官がじかに米駐日大使と「内密の話し合い」をしていたとは司法の独立からも由々しき事態だ。

 伊達判決から五十年近くたつが、日米安保条約はいよいよ「日本の防衛」と関係のない戦争に米軍が出動するためのものになっている。安保条約のもとでの米軍駐留が憲法前文と九条違反だとした伊達判決は過去のものという感じがしない。今回の文書発見が伊達判決再評価のきっかけになればと思う。


 砂川事件 一九五七年七月、東京都砂川町(現立川市)で米軍立川基地拡張に反対する労働組合員や学生などが基地内民有地の測量に抗議して敷地内に数メートル立ち入ったとして、二カ月後に逮捕。安保条約に基づく刑事特別法違反で起訴されたもの。一審では無罪、最高裁で破棄差し戻しされ、罰金刑に。しかし反対闘争の前に米側は基地拡張を断念、七七年立川基地は返還されました。

 跳躍上告 地方裁判所などの一審判決に対し、法律・命令・規則もしくは処分が憲法違反とした判断、あるいは地方公共団体の条例・規則が違法とした判断が不当であることを理由に、直接最高裁に上告すること(刑事訴訟規則第二五四条)。



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