認知症 監視に限界
|
塀の中で進む高齢化。体調の不調を訴える受刑者も多い。認知症とみられる症状の受刑者も増え、向き合う現場は深刻だ(写真と本文は関係ありません)=加古川市加古川町、加古川刑務所(撮影・宮路博志) |
西日本のある刑務所。畳敷きで便器があるだけの独居房で、七十代の男性受刑者がよつんばいになっていた。便器の下に敷かれたゴムマット。その上の何かを素手でかき集めては口に運ぶ。ごみを食べていた。
「やめるように言っても通じません」
淡々と職員が説明する間も、受刑者は何かにとりつかれたように手と口を動かし続けた。
この受刑者は、入所直後から異常な行動が目立ったが、いくら注意しても変化がなかった。大便を投げつけてくる日もあるという。認知症ではないかと思われている。
「排せつのできない高齢受刑者が増え、その度に私たちはかっぱと長靴とマスクの装備で掃除に追われて…」
服役作業が一切できないことを示す「作業不可」の札が張られた独居房の前で、職員はため息をついた。
■ ■
目につくものを口に入れたり、自分の便を他者に投げつけたりと攻撃的になる―。認知症の専門医で、大阪人間科学大の松本一生教授(老年精神医学)は「そうした行動は、一般的に認知症が進行した患者によくみられる」と指摘する。
認知症は通常、家族ら周囲のサポートや薬の服用などで進行を食い止めることができる。
松本教授は「放置すれば症状が悪化するだけでなく、免疫力の低下から感染症などで死に至るケースもある。認知症にみえて、血塊が脳を圧迫しているなど別の病気の可能性もある」と早期診断の必要性を強調する。
■ ■
初犯の受刑者を収容する加古川市の加古川刑務所でも、ここ数年で認知症とみられる高齢受刑者の増加が目立つ。
若手刑務官は今年、通常の服役作業ができない高齢受刑者を担当することになった。「おむつ交換や汚物の処理などに追われる日々に言葉を失った」と打ち明ける。
補助役の受刑者二人とともに約七十人を担当する。二十人ほどは集団生活ができず、その半数はおむつが必要という。
毎朝、起床の合図に反応しない受刑者を一人ずつ起こす。おむつシートをしていても汚れるふとんを一日に何度も片付ける。着替えや入浴時には介助が欠かせない。室内を徘徊(はいかい)する受刑者が転んで流血する事故が絶えず、頭を打つ可能性がある私物棚も撤去した。
「想像できないことばかり。でも、受刑者たちはほかに行くところがない」。そう自分に言い聞かせ受刑者の“介護”に明け暮れる。
専門家が「早期診断が何より肝心」と指摘する認知症。だが刑務所では、受刑者が認知症かどうかの診断を受けることはほとんどない。「治らない病気に、お金と時間をかけて『認知症』と診断して、どうなりますか」と刑務所の職員は口をそろえる。
全国の刑務所で二〇〇五年にアルツハイマー病と診断されたのは、わずか五人(法務省矯正統計年報)にすぎない。 |