婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2008年04月30日
本籍と現住所が違うと
 外来は助産師さんに任せている水曜日。病棟も割と落ち着いている。連休明けだが午前中くらいは時間が作れそうな雰囲気だ。しかも高気圧が居座って今日も好天の予報が出た。
 思わず今日の午前中も山スキー出動してやろうかと思ったりする。しかしそれは幾らなんでも家族と仕事が許さない。

 足の筋肉はまだ動いてくれる気はするが、ちと自重せよとささやく声も聞こえる。というわけでさすがに3日連続山スキー出動は止めた。とはいえ平日午前中のフリータイムはやはり貴重(自分の努力と工作で作った時間だけどね・・)だ。
 そこで以前より用事のあった名古屋市港区役所に、今日は午前中に速攻日帰りしてくる事とした。病院は遅刻させていただく。

 高山側も名古屋側も高速が延び、携帯電話が普及したため、そういう事が可能な時代になった事は嬉しい。ただ消費するガソリンと振りまく二酸化炭素の量は気になる。
 役所往復するためだけの高速代とガソリン代も勿体無い気もする。しかしそこはETC通勤割引と、今日までは安いガソリンを使っちゃえという気持ちが働いた。
 温暖化問題を訴えながら、ガソリンを一時的に安くしたり高速を使わせたりする政府の策は全く持ってよく分からんと思う。

 さてさて今日役所に行ったのは、都合で戸籍抄本と印鑑証明が必要になったからだ。
 僕は高山に来て既に10年を越えたが、未だに本籍は名古屋に置いたままである。

 これは当初高山に赴任した時は、これほど高山在住が長くなると思ってなかったという事もあるし、性格的にこの手の戸籍登録業務が好きでないという事もある。だから僕は未だに名古屋ナンバーの車に乗っている。現状の制度では、戸籍や自動車ナンバーなんて無駄だと内心僕は思っているのだ。

 今日も混んでる区役所で、印鑑証明は現住所の役所で貰ってくださいとお役人さんに言われちとムッとした。
 現住所のほかに本籍所在地を役所登録する必要も分からないが、それぞれで貰える証明書類の種類が違うのはもっと良く分からない。
 世の中にはこの他に、ほとんど機能していない住民基本台帳というのもあるが、官僚は結局上手い事やって、公務員の仕事と国民の手間を増やしてるだけじゃないか。

 今時はネットで事を済ます時代だ。銀行だってネットで事がほとんど済む。その方が能率良いし、環境にも優しい。多分安全でもあるだろう。
 にもかかわらず役所の証明書類は、あちこちに行かないと貰えないという制度が未だに残っている。
 GSで今日までは安いガソリンを入れながら、世の中無駄が多すぎる(特に行政で)と、ちと溜め息をついていたりする。
2008年04月29日
今日は山スキービックデイ
 高気圧が真上に来た祝日。優しい代務の先生も今日の夕方までは高山にいてくれる。
 日曜日に白山別山に登ったばかりのMisao先生も、寝不足を押して出動してくる。
 この数日間の好天で雪も適度に緩むだろうし、おそらくは山スキービックデイになりそうな日である。

 というわけで今日ももちろん山スキーだ。朝5時スタートでまだ一度も積雪期に登頂した事の無い笠が岳へ穴毛谷から往復を狙った。穴毛大滝を巻いた箇所からは、杓子平から六ノ沢の間の斜面をルートに選ぶ。
 緊張の雪壁登高から稜線に出て、首尾よく笠が岳を往復できた。中々の豪快急斜面も堪能できる。

 ちょうど僕等が頂上にいた時に、播隆平をすごい勢いで登ってくる単独スキーヤーがいた。急な滝がある五ノ沢を詰めてきたのだろう。登り方からしてただならぬ強者だと思う。
 滑降も早くて、ちょうど僕等が滑降終了しスキーを脱いでいる時にそのスキーヤーと合流した。古川のスーパー山スキーヤー☆さんだった。どおりでと納得する。

 ☆さんから聞くと、今日は笠から向かいの奥穂高周辺では、金沢のHayakawa先生パーティーがビックスキーに挑戦しているという。聞いてこれまた舌を巻く絶妙のルート取りだ。
 僕もいつかは彼らの様な強くて上手い山スキーが出来るようになりたい。一方下手に真似する事は、とてもできないなあという思いもある。

 山スキーは危険と隣り合わせである事も事実だ。しかしその危険の向こうには、他に比較しがたい爽快感がある。
 おそらく今日は多くの山スキーヤーが様々な豪快ルートに挑戦しているのだろう。僕もその一員である訳だが、やはり当たり前だが安全第一で、自分の能力の範囲内の山スキーをこれからも続けていこうと思う。

無風快晴の今日の笠が岳頂上。これからも幸運に守られて山に登りたい
 
2008年04月28日
テレマークは太陽が好き
 GWの中日の月曜日。本来なら朝から忙しく働いていなければならない日だ。しかし前々からのお願い工作?と、優しい代務の先生のお気持ちがシンクロして、今日も僕は休みを作る事が出来た。予約診察のみで固めた外来は代務の先生にお願いしてしまう。
 しかも今日の予報は晴れマークだ。何処に行こうかいろいろ考える。折角の連休だし、テント泊スキーも悪く無いだろう。

 とはいえ様々な思惑や事情が重なり、やはり山で泊まるのは止めにした。何時もの日帰りスキーで今日は西穂高に出かける。狙いは以前厳冬期に滑降して怖い思いをした、小鍋谷である。
 この時期ならきっと雪崩の危険も少なく、比較的すっきりと西穂高に登れるんじゃないかと考えた。

 朝5時に新穂高ロープウェーの中継駅がある、鍋平園地の登山者用駐車場からスタートする。予想通りすっきりしたラインで午前の早い時刻に頂上に立つ事が出来た。
 しかし斜面が西面を向いているため、雪面がなかなか緩んでくれない。傾斜もあるし僕の技術では滑落が心配だ。天気は良かったが時々曇が太陽にかかり、今ひとつ雪面を太陽が照らしてくれないのだ。

 一度はアイゼンをはいてスキーを担ぎ、独標に降りようとしたが、なかなか魅力的な斜面がド迫力で見えている。ここまで来たら何とか滑降したい。
 多分この時期一時間も直射日光が当たったら、雪面はかなり緩むだろう。ここは待つのが正解だ。西穂高の頂上直下で、約1時間太陽が照るのを待った。

 幸い太陽は顔を出してくれた。幸運をお日様に感謝する。それでも固めの斜面の滑降は僕にとって、かなり冷や冷やものだった。何とか無事に下れて良かった。ホッとする。
 ヒールフリーのテレマークスキーはどうしても、クラスト斜面に弱い。この時期3000mクラスから滑降しようと思えば、十分太陽が照る事が必要だと改めて思った。

今日の行程の地図です。緑は雪が無く歩いたところ


硬そうな斜面で、迷った跡が残る
 

緊張の大滑降でした
2008年04月27日
少年サッカーで始まるGW
 多くの山スキーヤーが出動しているであろうGW初日の日曜日。山はともかく下界の天気は上々だ。代務の先生にも来ていただいているし、僕も山に行く気は満々だった。
 とはいえ高山では、グラウンドの雪が溶けるこの時期、各種少年スポーツが本格的に始動する季節でも有る。次男、三男が所属している高山東少年サッカーチームでも、今日は大事な大会釜本杯がある。市内6チームが集まり、シーズンインの大会に挑む。

 特に今日は次男、三男共にAチームのレギュラーとなり、次男がバック、三男はトップを勤めるという。
 何時もチームの守備側に回る事が多かった兄弟達の中で、今日はトップを務める三男に親としての期待が大いに集まったりする。
 サッカーでは守備も攻撃も共にとても大事な訳だが、やはり子供が点を入れるところを見たいと思うのが親心だろう。

 というわけで今日は僕も山には行かず、そちらの方のお手伝いに参上させていただいた。
 さて例年シーズン始めは調子の良くない東小チームだが、今日はとんとん拍子に勝ち進む、首尾よく決勝に進んだ。決勝はなかなかの強敵だ。果たしてその結果は。

ところが決勝は緊迫の守備戦となる


結局0−0でPK戦となった。2番手の希太、首尾よくゴール


勝負が5人でつかず、8番手の集登。何とかゴール。もし外していたら負けていた


取ったら取り返すのPK戦が一巡して、もう一度希太が蹴る。何と13番手


これが決勝ゴールとなりました


優勝おめでとう勝負強い希太クン。親も子も楽しみました
2008年04月25日
山から都会へも行きます
 GW過ぎまでの分娩を全て計画的にこなした関係で、夜にはほぼ毎日自由に時間が取れる身となった。これでしばらく夜に呼ばれる事は無いだろうと思うと、それだけで心に翼が生えたかの様な自由な気分になる。
 ちょうど昨日夜は名古屋で製剤メーカー主催の学術報告会がある。というわけで昨日は仕事を少し早引きして車で名古屋まで出かけた。もちろんついでに登山用品店巡りとか各種ショッピングも楽しむ。

 夜は友人と話し合いをしながら、高級食材満載の中華料理を頂いた。鱶鰭とか鮑とか伊勢海老とか滋養とコラーゲン一杯の食事を堪能し、これで山の紫外線で散々痛んだ皮膚も少し若返るんじゃないかと思ったりする。

 最初から名古屋で飲みながら夕食を食べるつもりだったので、昨日はその日の内に高山まで戻れなくなるのは分かっていた。
 こういう時の役得で夜はマリオットホテルの高層階の部屋に宿泊もさせていただく。部屋の窓から見える名古屋の夜景は目が覚めるほど美しかった。カメラを持っていかなかったを悔やんだりする。

 さてもちろん今日も朝から外来があるし、各種業務も有る。
 当然ゆっくりは出来ず、朝5時半にルームサービスの朝食を食べてからホテルをチェックアウトし、ちょうど外来の始まる8時半寸前に高山まで戻った。これも高速道路が高山まで伸びたお陰で出来る事だ。僕が高山に赴任した10年前とは天と地の差だ。

 僕がいない間、病院ではいろいろ大変だった様だが、僕は何も知らないまま、知らぬが仏で楽しく都会の贅沢を満喫できた。

 仕事の合間に山に行く暮らしも好きだが、仕事の合間に都会の雰囲気を満喫するのも悪くない。
 世の中にはいろいろ不幸な人や苦しんでいる人が多い。それは長年の産婦人科医暮らしで僕は身に沁みている。
 幸せと不幸は何時も隣り合わせにあるのかもしれないが、僕は何時も寸での所で不運を上手く避けている。山の上から遠くを見たり、高層ビルから夜景を見たりすると、僕はなんて恵まれて幸運なんだろうと、心底思えてくるのだ。
2008年04月23日
今日の山と仕事報告
 何も無ければペーパーワークのみで済む水曜日。4月と5月は集団検診やドックも入れないようにしてある。仕事を右に左に避ける事で、昼過ぎまでは時間が出来そうだ。
 春に3日の晴天無しと言うが、その格言も外れてくれた。お山は晴れてくれそうだ。

 というわけで今日も山スキーに出動だ。とはいえ早起きにはちと失敗。すっかり明るくなってから家を出る。努力家の3男が僕より早く起き、机に向かって既に黙々と勉強していた。
 その後姿を見ながらお父さんは、少し後ろめたい気持ちで山スキーに出かけるのであった。

 昼過ぎには病院に戻っていたいので、この時期近場の定番急斜面として、マイアスキー場から継子岳に向かった。スキー場は既に営業終了している。
 ところがスキー場トップを過ぎ樹林帯を登っていた時に、例によって病院から連絡が入った。分娩入院の連絡だ。GW過ぎまでの分娩は全て予定誘発を済ませていたのだが、予定日より大分早く陣痛が来てしまうとどうにもならない。

 どうすべきか迷うが、状況を総合的に判断し、継子岳頂上から予定ルートの滑降は割愛する。その代わりに隣の峰から直接落ちる東面シュートを速攻で滑り降りた。これまた中々に豪快滑降だった。
 温泉で汗を大急ぎで流し、病院に急行。
 その後は分娩、急患診察、救急処置、各種説明、そして貯まったペーパーワークと今もまだ延々と仕事は続いている。
 
 今日もまた良く遊び、良く働きの一日になりそうだ。もちろん大変な一日だが、僕はこれで満足だ。
 早起きして、毎朝親の知らない時間に勉強していた3男の姿を思い出せば、僕の日々の大変さなんて、どおって事は無いと思う。

継子岳の写真。赤線ラインを滑降した。予定では青線ラインを滑るつもりでしたが・・・


短い時間で豪快滑降を楽しめた
2008年04月22日
雪少なければゲートを開けて
 山で遊んでばかりなのがいけないのだが、赤谷山から直接病院に戻ると昨日もたくさんの残業業務が待っていた。各種業務を済ませてから、子供お迎えに間に合わせるように帰宅。昨夜は久しぶりに何回も夜中にかけて問い合わせ電話が入った。
 ただ分娩業務は無いから夜はきちんと眠れた。
 
 遊んでばかりのしわ寄せで、今日も朝から忙しい。秒単位外来に手術や処置、午後診、病棟と息もつかせぬ時間が続いた。僕は山に行こうが行くまいが、何時も時間に追われている。

 さてさて一日中秒単位分単位で暮らしている人間としては、昨日や一昨日の様にしっかり除雪されているのに関わらず、ゲートが閉じているが故に、アプローチで自転車を漕がなければならないというのはたまらないなあと思う。
 道のゲートさえ空いていれば一昨日は桂湖の先まで、昨日は馬場島まで車で入れたはずだ。そうすれば時間が一時間以上節約されて、その分一日の生活に余裕が持てる。

 もっともそんな愚痴を書くのならば、山に行かなければ良い訳で、これはやはり自己矛盾という事になるのだろうか。
 自転車漕いで、山スキーをして、仕事もして、その他私用公用の用事もしていると、身体にちいと響く。
 最近夜中の仕事が無いから良いものも、これで夜中も仕事していたら、今頃は背中や肩がぎしぎしと痛み、心が折れてしまってるかもしれない。

 来週になればGWになって、これらのゲートの多くも開くだろう。しかしちょうどその頃には中程度の標高の山ではスキーの最適シーズンが過ぎてしまう。世の中上手くいかないものだ。
 要するにもう2週間ぐらい早く道路のゲートを開けてもらえば、各種山域入山もずっと楽になる。そうすれば山スキーの楽しみも更に増える。

 やっぱり山の雪はここ10年で随分と減ったと思う。山に雪が減った分、所轄にはゲートオープンの時期も前倒ししてくれれば良いと思うが、それは山スキーヤの単なるエゴなのだろうか。

チャオから濁河温泉へのゲートでは2時間ロス


桂湖のゲートでは、時間切れ(すなわち実力不足)で笈ヶ岳に届かず


昨日の剣青少年研修センターのゲート。剣岳への道を閉ざしているのかなあ
2008年04月21日
全く持って無理してますか
 今日は月曜日で通常なら忙しい一日になるはずだ。ところがどういう訳かGW前と言うのに珍しく手術が入ってない。しかも天気も良い。
 これ幸いと優しい代務の先にが今日午前中の外来の代理をお願いしてしまった。
 せっかくの山スキーハイシーズンの好天だ。今日も懲りない僕は山スキーに行くのだ。とはいえもちろん仕事があるし入院患者さんも多いので、夕方までには必ず病院にいないといけない。

 というわけで今日は剣青少年研修センターからぶなぐら谷経由で赤谷山を往復してきた。赤谷山の山スキーは近年の寡雪で旬のシーズンが短い。この時期を逃せば次の山スキーのチャンスは何時になるか分からないという思いもあった。
 午前2時半に起床し、5時に青少年センターを自転車でスタート、11時に登頂し、1時半に下山、次いで温泉経由で4時半に病院に戻り、先ほどやっと仕事が一段落した。

 今日一日だけでもかなり内容充実、緊張と努力のバラエティーに富んだ一日だ。昨日の笈ヶ岳に引き続き、自分でもなんでこんなにがんばってるんだろうと思う。年による焦りのせいか、雪不足による焦りのせいかか、はたまた山スキーの魅力のせいか僕にも良く分からない。
 人間体調にはそれぞれ波があるわけだが、山からこの時期何か特別な力を貰ってるのかもしれないと思えたりもする。

今日の剣岳


充実大滑降だった
2008年04月20日
今日は笈ヶ岳に負けてきました
 昨日土曜日はどう見ても山スキーに不適な天気と思えた。
 せっかく代務の先生もみえているが、スキー出動はせず一日家族サービスで過ごす。ちょうど高山もぼちぼちと桜の見ごろ迎えており、花見がてらの散歩も出来た。

 今日日曜日は天気が回復してきそうだ。
 何処に行くかさんざん迷ったが、きっと自分が一番行きたいと思うところに行くのが正解だろう。というわけで今日は、藪漕ぎ覚悟で飛騨側からの笈ヶ岳登山に挑戦してきた。笈ヶ岳は白山北麓の山の中でも、色々な意味で登頂が困難とされている山だ。

 朝5時スタートで桂湖ゲートからMTBで漕ぎ出す。取り付き地点の尾上峠まで自転車で上がれたのは良かったが、それから先の藪漕ぎで消耗した。標高が上がると細い稜線となり、雪が崩れてる個所では突破に苦労する。危険も無い訳ではない。
 そんなこんなで時間がかかる。先はまだ長いし苦労しそうだ。

 これはいかんだろうと、行程半ばだったが標高1300m地点で引き返す事を決めた。まだ時刻は10時前だった。
 帰りが暗くなる事を覚悟すれば頂上まで辿り着けたかもしれなかったが、今夜は自分が子供達に夕食を食べさせる必要もある。あまりゆっくり帰る訳には行かない。

 結果的にはスピードと技術不足が途中敗退の最大の原因だろう。もう2週間早く取り付いていれば雪の量も十分でもっと早く行動できたかもしれない。
 とはいうものの今日の登山は気持ち的には偵察半分だった。あまり記録の見ない飛騨側からの笈ヶ岳スキー登山だから頂上までたどり着けれ無くてもそれ程の後悔は無い。
 山深い雰囲気を味わえたのも良かったし、今回は笈ヶ岳頂上へのラインが何とか見出せそうだとして、偵察のみでOKとしよう。

 この手のルートは季節限定で、一年の内におそらく1〜2週間しかスキー登山適期が無い。次にいつ登りに来れるかは、分からないがそれまでのお楽しみ秘蔵ルートとして、心の中にそっとしまっておこうと思っていたりする。

笈ヶ岳はやっぱり遠い


快適スキーの場所は多くなかった
2008年04月18日
研修先は何処が良いのか?考えてみよう
 今日は久しぶりに様々な患者さんで外来も混んだ。午後には各種雑用ややや手間のかかる手術があり、4月に入ってから最も忙しい一日となった。
 とは言うものの、分娩制限の関係で夜中の呼び出しは無い。夜中にしっかり寝れるのならば、昼間忙しくても気持ちに余裕は持てる。お陰で手術もスムーズに終了した。

 さて昨日今日と2日間限定で、僕の産婦人科に名古屋の中京病院から2年目の研修医先生が臨時で研修に見えた。
 雰囲気とっても大人しい先生で、何で高山にまでわざわざ臨時で研修に来たのと聞いたら、中京病院での研修をこれから先も続けていくか迷っていると言う。詳しい話は聞けなかったが、研修医とはいえ人間だから、当然様々な悩み事はあるだろう。

 なお中京病院は名古屋南部を代表する大病院だ。ベッド数も医師数も久美愛病院の約3倍ある。産婦人科医の人数も5人はいる。
 しかし中でも驚くのは現在そこに在籍している研修医の人数で、何と今現在30人もいると言う。
 一方久美愛病院はその全医師数が約30人だ。中京病院は研修医だけで久美愛病院と同じ人数の医師がいるとなる。

 久美愛病院は小さな田舎の総合病院で、一応研修指定病院となっている。しかしわざわざ高山で研修を受けようと言う医学部卒業生の人数は少なく、研修医先生の人数は2年に1人くらいしかいない。
 つまり単純に考えると中京病院は、久美愛病院の規模は3倍で研修医の人数は60倍という事になる。この間には明らかなDiscrepancyが存在する。

 何でこんな事態になったかと言うと、原因はもちろん悪名高い新臨床研修医制度だろう。医学部卒業生が自ら研修先を選べるので、一部人気の高い都会の大病院に研修医先生が集中してしまう様になったのだ。

 さてさて僕はここで思う。幾ら都会の大病院とはいえ、30人の中に混じって、素人もどきの新米医師が十分な研修できるだろうか。
 積極的でそれなりに優秀な人はそういう中でもいろいろ学べるだろうが、内気な人はきっと自然淘汰されてしまうに違いない。僕は昨日今日と見えた研修医先生の雰囲気を見て、ちと悪いがこの新米先生は研修先を間違えたなと思った。

 医療は実学であり、実地の経験が大事だ。経験を少しでも積むにはその他大勢に埋もれてしまってはいけない。つまり内気で大人しい新米医師は、大病院の大人数の中で研修を受けるは止めた方が良いと僕は思う。

 さて聞いた話では、今日本の新規就職者の3人に1人は数年以内に転職すると言う。きっとその内の何割かはフリーターとなり、またその何割かはワーキングプアとなり、また更にその何割かはネットカフェ難民となるのだろう。
 もちろんまさか医学部卒業生がそうなるとは思えない。しかし医師もその他大勢に流される事無く、自分の進路はしっかり自分で決めないといけない。良い子でいつづけるだけでは駄目なのだ。

 今でもきっと多くの医学部卒業生が、多分周りに流されて、自分にとって好ましくない都会の大病院で研修を受けているに違いない。中にはその中で何となく自然淘汰されてしまう若い方もいるだろう。
 今も昔も、社会の厳しさに適応できない方はどの世界にもいるわけだが、この新臨床研修医制度は地方の医師不足のみならず、それ以外の弊害もまたあちこちに放ってると思えたりする。
2008年04月17日
飛騨の治安は大丈夫?
 4月に入って以来落ち着いた日々が続いている。その最大の原因はもちろん4月、5月の一時的分娩数制限だ。その他にたまたま手術適応で受診される方が先月少なかった事もあるだろう。

 それともう一つ看過できないのが、世の中に医師不足の現実が浸透してきたという事もあると思う。
 昨年くらいまでは、決まって午後7時から9時の時間帯で、誰彼かの妊婦さんが救急外来をほぼ毎日受診していた。その主訴は出血、腹痛、発熱が殆どだ。ところが今年に入り、その夜間帯の急患受診がパタリと無くなった。

 その理由は明らかに妊婦さんの自主的受診抑制によるものだと僕は思っている。日々のニュースでこれほど医療のコンビニ化が問題になれば、妊婦さんも気楽に救急を受診できなくなったのだろう。
 これは個人的には有難い事象だが、一方今までの連日の夕刻呼び出しはいったいなんだったのだろうという、少し釈然としない気持ちも有ったりする。

 さてさて話はがらりと変わり、病院の身近な職員の家に空き巣が入り、?十万円の大金が盗まれたという事を今朝聞いた。何でもお年寄りの家をつけ狙った犯行らしい。
 今はそれほどでないが、飛騨地域には家に鍵をかけない習慣の家が多い。また人の家に入る時も、ノックや呼び鈴を鳴らさないでそのままドアを開ける習慣がある。

 これはもちろん治安が良く、皆知り合いばかりの田舎だから成り立つ習慣だ。しかし良く考えてみれば本当に飛騨は治安が良いのだろうか。
 ちと振り返ってみれば、結構身近に物騒な事は少なくない様な気もする。
 つい最近では飛騨大鍾乳洞の金塊強奪事件があったし、数年前には丹生川の山林で死体遺棄事件もあった。
 人口を考えれば、こういった大事件?の頻度は決して少なくないと言うのが僕の印象だ。これは治安とは関係ないかもしれないが、人口の割りに自殺の件数も多い気もする。

 平和でのどかな習慣は悪い訳ではない。今や都会の新しい家では様々な種類の鍵がついているのが普通で、セキュリティー会社の需要も増える一方だと聞いた事もある。セキュリティー関係にコストのかかる社会は、不便で住みづらいものだ。
 高速が伸びて都会と繋がり、飛騨ではこれから更に犯罪も増えるのだろうか。
 大鍾乳洞の金塊はばらばらになり小さくなって戻ってきたらしいが、僕は元々無用心な人間なので、周囲の治安の事も少し気になっていたりはする。
2008年04月16日
何もここまでと言う思いもあります
 しばらく検診や分娩も無い見込みで、入院患者さんの人数も少ない。
 水曜定例の書類業務も今週は比較的枚数が少ないという情報が事務さんより入った。と言う事は平日の水曜日でも午前中くらいは自由時間が取れそうだ。

 という訳で今朝は早起きして、濁河温泉から草木谷経由で御岳の摩利支天峰を往復してきた。午前中の比較的短時間で3000m近いピークを往復できたから、それは満足だ。
 ただその内容は決して素晴らしいものではなかった。まず朝一番でチャオスキー場まで行ったら、チャオから濁河温泉までの道が夜間通行禁止(オープンは午前8時半)になっていた。
 仕方なく鈴蘭経由で大遠回りして濁河温泉に向かったが、出発時刻は予定より大分遅くなってしまう。

 しかも草木谷の上部はクラストしていて、シール歩行で冷や冷やものの登高となった。飛騨頂上から摩利支天までの稜線アイゼン歩行は楽しかったが、天気は今ひとつで景色を楽しむにはやや暗い雰囲気だ。
 また肝心の草木谷滑降も雪面があまり緩まなかったので、僕のスキー技術ではデラバージュの連続となり、決して快適という感じでは無かった。時々デブリも出てくるし、スキーのエッジも今日一日で大分磨り減ったろう。
 下部ではそれなりに滑降を楽しめたが、もともとそれほど広い谷とはいえないので、豪快大滑降とはならない。

 幸い病院は落ち着いていて助かった。
 温泉経由で午後2時に病院到着し、その後の書類や病棟業務も数時間で先ほど一段落した。
 しかしこんな思いをしてまで、無理に平日スキーに行く事は無かったかなあという気持ちも有る。

 と思って今メールを見たら、メーリングリストで知った顔?の数人が平日から山スキーに行きまくっている情報が流れていた。
 この時期狂った?ように山スキーに行きまくる人は、決して僕だけじゃないんだなあと、改めて自分の行為を合理化して考えていたりする。

何か寂しい摩利支点頂上


雷鳥さんも振り向いてくれないの?


斜面は硬くてデブリ多し
2008年04月15日
この季節の高山は
 昨日今日と春の高山祭りが行われている。例年春の祭りは天気の良くない事が多いのだが、今年は好天に恵まれ、今の所カラクリ奉納も無事行われてるらしい。
 ただ今年の高山祭りは月、火で行われるため観光客の入りは少ないという。春の高山祭りに色を添える桜もまだ3分咲きだ。

 観光業界の方にとっては、祭りは土日にして、できれば桜前線とも合致させたいに違いない。
 この辺は数百年来の伝統行事という事できちんとしてると思う。高山の重要産業とも言える観光業界に、安易に迎合しない姿勢は、評価できるだろう。

 ただ江戸時代には曜日と言う概念は無かったろうが、今は地元の方も僕にも普通平日は平日の仕事がある。
 夜に行われる夜祭りこそ、仕事が終わってから見にいけるが、なかなか昼の高山祭りは地元の人でも見に行けないのが現実だ。
 だから僕も高山に来てかれこれ10年になるが、過去に昼の高山祭りを見た事は一度しかない。昼間は何時も僕は仕事があるのだ。

 しかし今年は今のところ分娩制限が著効して特に仕事少なめだ。
 ラジオによるとカラクリ奉納は午後2時だ。天気も良いし1時半からの処置、3時からの午後診との間の僅かな時間にちゃかっとカラクリを見に行こうかと思っていたりする。

 今更だがこの時期の高山は美しい。ヨーロッパの都市にも似たローカルな味わいがあると思う。
 肌にシミが出来やすい人は紫外線に要注意だか、今日も仕事の合間の散歩1時間で随分と豊かな気持ちになる事が出来た。

宮川の桜はまだ3分咲き


銭湯マニア垂涎、中橋湯


花蕎麦や雲ことごとく乗鞍へ


月並みですが、カラクリです
2008年04月14日
親も子供も・・・
 この週末もは能天気な僕は山スキーに没頭していたが、子供達は子供達で重要な戦いが幾つか在ったらしい。
 長男はこの土日が部活サッカーの春季大会で、県大会を目指しがんばっていたと言う。上位進出を期待しての戦いだったらしいが、2敗1分けであえなく予選敗退となる。
 一方三男は市内小学校選抜チームに選ばれるための選考会があった。そちらは首尾よく選抜に選ばれていた。

 この選抜チームは過去にサッカーをやっている長男、次男も挑戦していたが、共に最後の段階で選抜から落ちていた。だからどうと言う訳ではないが、3人目にして兄弟で始めて選抜チームに選ばれたとなる。なおこの高山選抜チームは去年はJビレッジで開かれる全国大会にまで出場している強豪だ。

 意外に奥の深い小学生サッカーの世界で、三男は兄弟期待の星となった。しかし他の2人の気持ちは少し複雑かもしれないと思ったりする。
 まあ人生山あり谷ありだ。そんなこんなで、昨晩は長男のお慰めと三男のお祝いを兼ね、定番?くるくる寿司に行き夕食とする。帰りには子供達愛読の少年漫画(メジャーと言う何故か野球漫画)とアイスも買ってあげた。

 高山では雪が溶けると共に、各種少年スポーツの季節がやってきた。家ではこれから子供達の各種送迎や段取り手伝いが大変だと釘を刺される。
 山と仕事ばかりで子供達の面倒をほとんど見ない僕としては、ちと肩身が狭い。くるくる寿司とアイスクリームで家族奉公ご勘弁として貰えないかと思っても、どうやらそれは問屋が卸さない雰囲気を感じていたりする。
2008年04月13日
やっぱりスキーは早いね
 土曜日の不覚?を取り返すべき、今日日曜日は遠出をしてロングルートの山スキーに挑戦してきた。
 この時期最高のスキーが約束されているだろう焼山北面台地だ。天気予報では午後から曇りだから、早め早めの行動を心がけ、スタートも午前4時半とする。

 ロングルートだから時間がかかるかと思っていたが、春の雪のコンディションは良く、火口縁から焼山頂上も往復し、昼過ぎには車のところまで戻っていた。
 登りのラインをちと間違えたり、火口縁からの滑り出しは固めの雪に緊張したけど、豪快な山スキーの一日を存分に楽しむ事が出来る。天気も良かったし今日も幸運に守られていた。

 意外に早く高山にも戻れたし、やはりこの時期スキーは最速かつ最高だなと改めて思う。

ここはやっぱりスキー天国


楽しい一日でした

 
2008年04月12日
飲みすぎには注意
 金曜夜には病棟の新人歓迎会があった。病棟看護師さんらの取り計らいで何故か男(つまり医者と言う事)で呼ばれたのは僕一人という状況の飲み会だ。
 久美愛病院の産婦人科病棟は内科との混合病棟で、内科の医師も多数出入りしている。にもかかわらず何故か男(しつこいけど医師はという事)は僕だけ限定で呼ばれたのでした。

 というわけで金曜夜の飲み会は、女25人に男一人という非常に恵まれ?た飲み会であった。ある意味産婦人科医ならではの冥利に尽きるとも言える。とはいえ当然こういう状況だと飲まない訳にはいかない。
 しかも更に20代ばかりの若手看護師集団に引き連れられ、2次会でカラオケに行き、また散々飲んで歌ってしまう。
 
 年を考えると、ほとんど僕は看護師さんらのダブルスコアだ。本来なら無理は出来ない。しかし男ならこういう時にがんばらないといつがんばるというのだろうか、という状況でもあった。

 土曜日の天気は晴れマークであった。当然山スキーにはもってこいだ。車にはあらかじめスキーも積んでいた。
 しかし金曜夜は深夜まで飲みすぎとなり、とても土曜は早起きできなかった。
 僕と同じ状況になったほとんどの男は、多分同じ顛末を迎えるんじゃなかろうかとは思うが、そんなこんなで今日は一日二日酔い気味で過ごす事となったのでした。
2008年04月11日
IndipendenceとAutonomy
 昨日の日記で仕事が楽だなんて書いていたからだろうか、日記を書いてる最中に近所の開業医さんから緊急帝王切開の手伝い依頼電話が入った。
 昨年もそうだったが、僕が分娩制限をしている春の一時期、開業医さんの所では分娩数がかなり増えているはずだ。

 僕が分娩をきちん全て受け付けていれば、この緊急手術も僕のところで行われていた可能性がある。
 となるとこういう事は人道的にも仁義的にも2重に断れない事なので、ここはきちんと開業医さんの都合に合わせ出動した。

 開業医さんからの帰りには、図書館とゲオとドラッグストアと100円ショップと安売り酒屋さんに寄って、各種買い物と雑用も済ませた。分娩制限のお陰で夜中にはきちんと眠れる。
 4月に入ってから外来も比較的空いてくれている。今日の外来も午前中には終了したので、日記をさっさと書いて早引きしようなんて考えている。

 さて僕は色々な意味、色々な面で病院内でちょっと特別扱いされてる面がある。
 特別扱いされる理由は、もちろん僕の業務が大変で特別だからだ。代わりがいないという事もあるだろう。平日は毎日産直だし、昼間も人並み以上に働いている。それを裏付けるだけの売り上げももちろん上げている。

 しかし仕事があまりに楽だとこの特別扱いの裏づけが無くなる。分娩が無ければ毎日産直と言う錦の御旗も降ろさなければならないだろう。その点あまり楽だとこの日記に書くのは、逆に自分の首を絞める事になるなあと思ったりする。

 さてさてそう言えば昨日ニュースで、ダライラマが東京で記者会見して「私は中国からの独立を求めているのでは無い。完全な自治を求めているのだ」と話しているのを見た。独立と自治がどう違うのか、僕には良く理解できない。
 しかし中国とチベットの間には様々なレベルで非常に複雑な利害の衝突がある。きっと水面下では非常にシビアな駆け引きが行われているのだろう。

 そう思うと何だか久美愛の産婦人科と病院との間の関係も微妙にチベットと中国との関係に似ている気もする。僕も独立まで無くても、病院に対して完全な自治を求めてみようか??
 しかしこの手のロジックは周囲に理解される事が大事だ。ダライラマの説得力有るロジックを僕も学んでおこうかなあなんて、昨日のダライラマのインタビューを見て思ったりする。
2008年04月10日
寝不足で無い寝不足日記
 4月に入ってから分娩制限が著効して、夜中の呼び出しがほとんど無くなった。数少ない分娩も昼間に誘発分娩とする事で全て問題なく対応できている。
 つまりきちんと夜には寝れているので、ここのところは全く寝不足は無い。

 今日は外来も午前中に終わり、午後早い時間に病棟回診も済んだ。平和で楽な日だ。もちろん色々な事はあるのだが、ここに書けない事ばかりだったりする。
 手術件数も多くないし、楽に規則正しく生活できるのは有難い。しかしその陰で他の地元産科医の睡眠時間が削られている訳だから、申し訳ないと思う。

 せっかく多くの方に迷惑をかけて分娩を一時的に減らしてるのだから、その分時間を有意義に過ごしたい。
 僕の場合一番良いのは山スキーに出かける事だろう。しかし外来もあれば入院患者さんもいる。分娩だってゼロではない。幾らなんでも平日からスキーには行けない。

 僕は忙しく働いている方が多分性分に合うに違いない。だらだら過ごすのは嫌いだ。外は雨だから、山の雪はどんどん溶けているし何だか焦りのみ感じたりする。
 今はたまった書類やPCのデータを整理して過ごしている。今日はできたら早く帰宅して読書やDVD鑑賞でもしようかと思うが、たまにはこういう日もあって良いだろう。
2008年04月09日
常に少しづつ上手くなりたい
 晴れの予報の水曜日。4月と5月の水曜日は検診業務を無しにしてもらってるので、分娩や流産が入らなければペーパーワークのみで済ませれる可能性がある。書類の量も集中してやろうと思えば数時間で終わらせられる程度だ。
 そこで密かに午前中だけでもどこか近場で山スキーしてやろうと計画のみは練った。

 しかし産科と言うのは計画通りに事が進まないのが普通だ。どうしても昨日から残った分娩があり病院を離れられない。
 何時もながらの急患さん受診もある。ここは泣く泣く山スキー出動はあきらめ、仕事に専念する事とした。
 分娩は昼過ぎに問題無く済んだのでまあ良しとしよう。お産と言うのは当人にとって人生最大のイベントの一つだ。一方僕の山スキーは山に雪さえあれば、何時でも行ける(これが実際はそう上手くいかんけどね)。

 さてここで何時もの様に話は変わり、馬術でオリンピック最高齢出場を決めた67歳の法華津寛氏の貴社会見が今朝のワイドショーで流れていた。ニュースによると、法華津氏は東京オリンピック出場後実業家として成功し、更に会社社長の定年退職後、一念発起馬術に専念、東京オリンピック以来44年ぶりの馬術出場を決めたらしい。
 もちろん誰にでもできる事で無い。僕も大いに見習いたい生き様だと思う。

 その記者会見で法華津氏は、「常に少しずつ上手くなっていった事」により、継続して馬術を続けるモチベーションを得たと語っていた。67歳になっても上手くなっていくというのは、馬術というスポーツならではの事なのだろう。

 さてその話を聞いて僕は思わずテレマークスキーの事を思い出した。テレマークは難しいスキーだと思う。基本的にクロスカントリーから出たスキーで、斜面が次々と変化する山岳で使うにはちと向かないスキーだ。
 にもかかわらず、どういう訳か僕を含めてテレマークスキーを山で使う人は少なくない。アルペンからテレマークに移行する山スキーヤーも少なからずいる(その逆の方ももちろんいますが)。何で好き好んで不向きなテレマークを山でやるのだろう。

 僕は法華津氏の話を聞いてふと思い当たった事があった。多分それはテレマークスキーが不安定で難しい分、続けていれば少しずつでも上手くなっていくという実感を得られからじゃないだろうか。
 また共に不確実で情緒的なところが、感覚的に馬術とテレマークは似ている気もする。アルペンスキーが自転車だとしたら、テレマークスキーは馬なのだ。

 この辺はちと無理なこじつけかもしれない。しかし確かに僕も毎年テレマークスキーが上手くなっていて、そしてその為に何時までもテレマークスキーを止められない。
 多分アルペンスキーヤーにとってはパートナーがテレマークで滑るのはあまり嬉しい事で無いに違いない。テレマークはシリアスな場面でどうしてもアルペンに対してハンディキャップが有る。
 その問題をクリアできる程、僕が素晴らしくテレマークがうまくなる日は来るのだろうか。法華津氏の様にその時が67歳で来るのなら、そこまでテレマークを続けれれば幸せな人生なのだろうと思う。

これは20年前のインドヒマラヤのキャラバン中の写真。馬になめられない事が大事だった
2008年04月08日
聖火リレーは障害物競走
 昨夜はとある理由の出血多量の方がいて、血圧が下がるという連絡が入ったためやや落ち着かない夜となった。
 しかしここは長年の修行で睡眠の質と量はしっかり確保する。今朝は医局会もあり何時もより少し早めに出動した。予想通り出血は収まっていてまずはホッとする。

 ただ計画通りに運ばない事も有る。今日の誘発の方は今の所どうもスムーズでないようだ。明日は仕事が少ない水曜日で、しかも快晴が予想されている。
 できれば午前中だけでも山に行こうかと密かに計画を練っていたが、それはあきらめざるおえない感じだ。まあ何事も焦ってはいけない。世の中いろいろあります。

 さてさて昨日のニュースで何と言っても興味深かったのは、パリやロンドンでの北京オリンピック聖火リレーがさしずめ障害物競走になったとコメントされていた事だ。
 ニュースでは有象無象?の人権団体がしきりにフリーチベットと各国語で叫んで聖火リレーを妨害していた。ヨーロッパ人はそんなにチベットの事が心配なのだなあと、改めて感慨深く思えたりする。

 と言うのは、かく言う僕も今を遡ること20数年前に、チベット旅行中に独立暴動と偶然出くわした事があるからだ。当時の中国は本当に面白く、若い僕を狂わせるのに十分な魅力に溢れていた。

 僕はまだ外国人がそれほど中国の辺境を旅できなかった1986年に、始めてシルクロードからパミール高原で登山と旅を楽しんだ。
 その86年と言うのは今から思えばどうも中国も時代の曲がり角に入る所だったと思う。社会主義から開放政策に政治が動き、中国人もチベット人もウイグル人も何処か自由な雰囲気だった。
 公安の目の届かない辺境地域はある意味無政府状態の如しで、何だか自由に何処にでも行けた気がする。多くの(それでも知れてますが)若い日本人や欧米人が人民元レートで自由気まま?に中国辺境を旅していた。

 僕はその魅力にすっかり取り付かれ、翌87年にもインドからネパール経由でチベットに入り。そこで偶然初回(多分)の現地チベット独立騒動に巻き込まれる事となる。その時の僕はラサ中心部のジョカン裏にある安宿で、何だか怪しい高揚感のかけらを確かに感じていた(もちろん僕は石を投げたりはしませんでしたが・・)。多分革命家というのはこの高揚感から離れられなくなった人の事を言うのだろう。
 なお翌年もその次の年も僕は中国に行った。北京で天安門事件が起きた時にはウイグル自治区のウルムチに滞在していた。良くそんなんで医者になれたと今でも少し思っていたりする。

 さて話は戻り、今回の人権団体の行動は決して実を結ばないと僕は思っている。それはヨーロッパ人の価値観とチベット一般民衆の価値観はあまりにかけ離れているからだ。多くのチベット人にとって自由や人権なんてどうでも良い事だろう。その言葉の意味さえ知らないかもしれない。

 僕がチベットで最も印象深く感じた事は、チベット仏教が生活と不可分になってるという事だ。
 ダライラマの写真を持っているとそれだけで当時のチベットではヒーローだった。そのダライラマがオリンピックを支持して、チベット独立をあきらめている以上、決してチベットの独立はありえない。
 いくらヨーロッパ人がチベット独立と騒ごうが、僕にはそれはヨーロッパ人が遠い世界の遠い出来事を、自己陶酔で楽しんでいるだけのようにしか思えない。

20年前のジョカン。暴動中でも人々は祈る
2008年04月07日
ガソリン代はちょっと安くても
 この週末は願っても無い好天に恵まれ、土曜日の妙法山、日曜日の唐松沢とそれは豪快な山スキーの週末を楽しむ事が出来た。
 とはいえ実は今週末は代わりの医者は高山まで来てくれていなかった。その点スキー以外にも仕事の事で、今週末はやきもきしながらのスキー行だった。

 しかし入院患者さんが落ち着いてくれていた事、分娩制限が効を奏していた事、また誘発分娩が全て計画通り上手くいってくれていたお陰で、僕は高山を比較的安心して離れる事が出来たのだ。もちろん毎朝高山を離れる前には、病棟に電話して落ち着いていることを確認してから高山を離れていた。

 それでも産婦人科というのは予想外の事が突発的に起こる科だ。高速道路を居眠り運転しているかの如くで、突然のアクシデントは何時でも起こりうる。しかし最近の情勢として、妊婦さんの時間外受診は数年前より格段に減少してくれている。ここは長年の勘で高山を離れてもきっと大丈夫と判断したのだった。

 そのためにはまず行動中は携帯電話の受診圏内にいないといけない。その点昨日の八方尾根周辺はすぐ隣に大きなスキー場があるため、常に携帯圏内である事は間違いなかった。
 実際に稜線登高中に問い合わせ電話が病院より入ったが、全て問題ない事ばかりだった。要するにこの週末は僕は幸せだった。

 さてさて話は変わり、この手の遠出山スキーで気になることの、もう一つはガソリンの消費だ。
 僕のイプサムは年代物の割に比較的燃費が良いが、それでもこの週末だけで僕は50リットル近いガソリンを消費した。きっと随分と多くの二酸化炭素も吐き出した事だろう。雪不足を毎年嘆いている以上、これはあまり良くない事だなあと思う。

 しかし一方国会空転?劇のお陰で、今はガソリンの値段は安くなっている。僕が普段使用している高山のセルフスタンドでは4月からガソリン代はリッター121円になった。多分大都市圏ではもっと安いのだろう。
 確かにガソリンが安くなるのは嬉しい。不必要な田舎の道路を作るくらいなら、ガソリン税が無い方が良いと僕は思う。
 しかしだからと言って、たくさんガソリンを使って良いという訳では無いだろう。京都議定書の二酸化炭素の削減目標は到底達成不可能な状況だとも言う。

 さてさて僕の記憶では、10数年前のアメリカのガソリン代はリッター50円以下だった。州により微妙に違うのだが、当時スタンドでガソリンを満タンにしても常に10ドル以下なのでびっくりした記憶がある。
 そんなに安いアメリカのガソリンでも、少し値上げしたらアメリカ政府が引っくり返る程の大騒ぎになるという。
 何事も程度問題だ。日本のガソリンがリッター150円から120円になったからと言って、それほど嬉しく思う事は無いのかもしれない。

 今や道路を作るより、福祉の充実の方が切迫した大問題であるというのは、誰もが思うところだ。
 福祉を充実させないと少子化にも歯止めはかからない。子供が少なくなった巡り巡って一番困るのが、今ガソリンを一番消費している世代である。
 道路特定財源なんて無くても良いから、その代わりに福祉特定財源をガソリン代から取って構わないと僕は思うのだが、それは不公平な考え方になるのだろうか。
2008年04月06日
急斜面ルンゼ系デビュー戦
 今日は操先生に尻を叩かれる感じで、豪快唐松岳不帰の主稜線から唐松沢への大滑降に挑戦してきた。予想以上の日本離れした素晴らしい景観の下、ヨーロッパアルプスの氷河もかくやと思わせる大滑降を存分に楽しむ。
 僕一人ではとても行けない所だ。今回も素晴らしいルートにいざなってくれたMisao先生には大感謝である。

 それにしても僕の従来のイメージでは、不帰の稜線からの滑降と言うのは、いわゆるエキストリームスキーの範疇に入るものだ。こういう所を滑るのは、一部限られたプロスキーヤークラスの世界の事だろうと今までは思っていたのだ。
 まさか自分にもそんな特別な場所を滑る機会が来るとは、つい最近までは想像すらできない状況だ。

 今回滑ったのは不帰の各ルンゼの中で最も易しいと思われるDルンゼである。実際の傾斜は見た目ほどではなかった事も確かだ。
 とはいえ僕はへっぴりテレマーカーだ。意外に広い雪面と、適度に緩んだコンディション、そして素晴らしい天気とパートナーに恵まれたからこそ滑降できたのは間違いない。

 まだまだ僕はスキーの技量が足りない。今回は幸運で滑れたのだと思う。しかしこの手の急斜面系もまた麻薬的な魅力がありそうだ。今後もこの手のスキーを続けれるかどうか。僕の今後の精進とモチベーションに懸かっているのだとは思う。

左三角(唐松岳)頂上のすぐ右下コルから滑降した


迫力の大滑降でした
2008年04月05日
今日登った妙法山と、くるみ谷滑降の地図です。下りで青線谷筋を滑降


谷か尾根かどうするか
 晴天が予想される土曜日。病院は落ち着いているし当然山スキーに出動する。狙いは2週間前にMisao先生が登り、素敵な報告をネットにUPしていた妙法山だ。
 ついでに朝早く笈ヶ岳飛騨側もチェックしたが、そちらは桂湖のゲートが閉まっていたため、後日の楽しみに残しておく。

 さて今回の山スキーでは登りは尾根筋、下りは谷滑降を選択した。谷筋は雪崩の危険が無いわけではないが、先週の野谷荘司から白谷滑降の感じから、多分大丈夫だろうと考えたのだ。

 結果的にくるみ谷を稜線から標高1100m地点まで下った段階で、谷が狭まり水が少し出てきたため、そこから再び尾根に取り付き下部標高差350m程は尾根筋滑降とした。

 尾根を下るか谷を下るか、今日は両方を経験できてそれも楽しかった。ルート選択も間違ってなかったと思う。雪質は尾根上の方が良かったが、スキーの豪快さは谷滑降の方が勝った。

 谷を下降に使うと、おそらく尾根の数倍の速さで下る事が出来る。とはいえ谷筋滑降はどうしても雪崩の危険がある。どちらを下降に使うかはもちろん大いに迷うところだ。
 尾根上とはいえ雪崩の危険が無い訳ではない。今日のコンディションでは尾根滑降の方が滑落の危険も高いだろう。
 しかし単独だとどうしても雪崩が怖い。
 雪崩の恐怖を感じながらだと、スキーの爽快さは半減する。今日のルート選択が誤っていたとは思えないが、この手の滑降をする時は、パートナーがいる方が絶対に良いと確かに改めて思ってもいる。

くるみ谷上部はかなり広い


稜線直下。一気に標高を下げた


この谷のどれかを下ったのねー(多分左側)
2008年04月04日
山の記録は残しておきたい。有難うMisao先生
 気持ちの良い春の日差しが注ぐ金曜日となった。週明け寒波で増えた山の雪もこれで落ち着いてくれるだろう。
 しかし来週末に横浜で日本産婦人科学会があるため、この3週間は誰も代務に来てくれない寂しい週末となっている。これでもし分娩制限をしていなかったら、一月近く僕は病院から離れられない日が続く事になる。

 とはいえこの時期僕は分娩数を減らしている。代務の先生がいなくてもちょっとくらいなら遠出が出来るような態勢は作ってあるつもりだ。明日の週末も代務の先生はいないが、この分娩予約の状況なら山スキーに出かける事は多分なんとか出来るだろう。

 それにしても毎年4月に開かれるこの日本産婦人科学界は、ちと恨めしい学会だと思う。
 僕の様な地方で分娩砦を守らなければいけない前線産科医は、この産婦人科学会には参加できる事はまずないのだ。
 4月は山が最も輝く時期だし、高山も観光地として非常に美しい時期を迎える。桜も咲けば祭りも有る。

 僕としてはこの美しい時期に代務の先生に高山に来ていただき、その間僕は気持ちよく山スキーに出かけれれば言う事は無い。
 しかしこの学会の為にその希望は毎年決して適わない。勿体無いと思う。まあだから他人に迷惑をかけてまで分娩制限をしているの訳で、これ以上の恨み節を書くのは辞めにしよう。

 さてさて先ほど何時も満杯の僕の病院レターボックスを見たら、Misao先生から一枚のCDRが届いていた。
 中味は十石山北東尾根、乗鞍岳縦横断、先週の野谷荘司などの、素敵な写真と動画集だ。
 PCで早速その映像を見ると、何だかこの冬の様々なドラマが目の前に思い出されてきた。

 やはり山の記録は残しておきたい。もしこれらの写真や動画が無ければ、多分今の僕の記憶力では、ほとんどの山の景色や出来事がたちどころに忘却されてしまうに違いない。
 しかし映像があれば、その映像を基にして、芋づる式に他の記憶も思い出される。Misao先生の送ってくれたCDを見て、改めて自分は幸せで、幸運な人間だと思い至り、静かに感動している。

滑りはしょぼくても、楽しい思い出はある

 十石山北東尾根パウダーテレの動画へもGO

これもMisao先生の送ってくれた白谷滑降の動画へもGO

乗鞍岳大横断はすごかったなあ

 
2008年04月03日
新しいデジカメの出来映えは
 4月に入り新規ガン患者さんこそ少なくないが、分娩はほとんど無いので比較的楽な日が続いている。今日も朝から促進の方が一名みえたが、特記すべき事も無く経過してくれて助かった。
 このまま順調に4月の分娩予約の方が計画的に全て産まれてくれれば、GWまでは比較的楽できる。
 山にはまだ雪がしっかり残っているし、楽しい4月を過ごせそうでまずは嬉しい。

 さて一昨日にネット通販でほとんど衝動的に購入したオリンパスデジカメが昨晩届いた。山で使うために購入したコンパクトデジカメの中ではで実質5台目の機種だ。新しいデジカメを購入するたびに、デジカメの性能は進歩しかつ値段は下がってくれるが、今回も安くてよい買い物が出来た気がする。

 今まで購入したデジカメには様々なメーカーの色々な機種があった。
 時代と共に進歩している分野であり何ともいえないけど、3代目からはオリンパスデジカメの中から、評判の良いのを選んでネットで購入している。特に決めている訳ではないけど、オリンパスカメラの画質が値段の割りに比較的良い気はしているのだ(医療用カメラでもオリンパスが多分最大シェアだしね)。

 今回も価格ドットコムというサイトで、ユーザーレビューとか口コミとかを読み、かつ新製品が出て、年落ちで値段が下がったばかりのものを選んで買った。
 決め手はコンパクトデジカメの中では一眼並みに画質が良いという評判と、マクロ撮影ができる事、単3電池が使える事、及びメモリーカードの種類だろう。
 欠点は山で気軽に使うにはやや大き目て重い事だが、持った感じでは何とかなりそうな気がする。

 それほど高級な機種という訳ではないので、あまり高望みはできないが、今までの壊れかけたカメラと異なり新しいカメラだと撮影の楽しみもきっと増えるだろう。
 これでまた美しい山の写真を撮って、ネットにUPして、できれば引き伸ばして病院に飾ろうかと思っているが、果たしてどうなるだろうか。

560UZ:半年前に出た製品で3万円でした。これで綺麗な山の写真が撮れるかなあ


とりあえずこれは昨夜行ったとあるフランス料理店のフォアグラのマクロ撮影写真。
フォアグラと言っても安いコンビーフの様に見えたり(コンパクトデジカメだからこんなものか)。

僕が毎日こんなものを食べてるなんて事は決して無いので、これは念のため。 
2008年04月02日
除雪して欲しいところ、しなくても良いところ
 分娩制限のお陰でしばらくは救急で呼ばれる事は少なくすみそうだ。検診センターにも迷惑をかけて(何もここまで僕が仕事する必要は無いという話もありますが・・)、GW明けまでは婦人科集団検診は無しにしてある。
 という事は今日は純粋にペーパーワークのみで済むかもしれない。天気予報は晴れマークだ、午前中だけでもさらっっと何処かで山スキーして来ようかと少し企んだりする。

 しかしそういえば車検で愛車が無い。しかも早朝には予定日が大分先のはずの妊婦さんが予想外に陣発入院してきた。更に急患さんの受診も続けざまにある。世の中甘くは無い。今日もしっかり仕事に励むのがどうやら正解だ。
 そんなこんなで今日は比較的楽な仕事をだらだら続ける事となった。僕は能率良く動きたい人間だから、楽な一日でもそれを得したとは思えない。遊ぶ時はどんど遊び、仕事する時はしっかり働く。今日のようなどっちつかずの日はできれば避けたいと思ったりする。

 さて話は変わり、乗鞍スカイラインの除雪が始まったというニュースが昨夜テレビで報道されていた。平湯周辺はこの数日50cm強の積雪があったらしく、テレビニュースでも辺りは真っ白だ。つまり今日あたり四ッ岳北面なんてい行ったら、季節外れのパウダー大当たりという事になるだろう。

 さてこの乗鞍スカイラインは毎年この時期に除雪が始まり、5月15日に開通するというのが決まりとなっている。開通直後の乗鞍岳頂上周辺はかなり美味しいサマースキー(と言ってもサマーで無いですが)のパラダイスだ。雪の多い年ならかなり下まで滑る事もできる(バス会社はそういう事をして欲しくないみたいですが)。

 しかし数年前に乗鞍スカイラインがマイカー乗り入れ禁止となって以来、この早い時期からの除雪が本当に必要かどうか微妙になってきた。スカイラインのマイカー禁止は自然保護が目的だ。一方除雪車と言うのはまず旧式のディーゼルエンジン車で、いつも真っ黒の煙を多量に吐き出している。

 観光は地域の重要な産業だが、高いお金と二酸化炭素を撒き散らして、わざわざ早い時期からスカイラインを開通させる意義は本当にあるのだろうか。
 スカイラインの除雪費を何処が出しているか、詳しい事は知らないが、一般道路の様に税金から出ているのならば、ちと考え物だと僕は思う。

 さてさてその一方山スキーヤーである僕は、早く除雪をしていただきたい道路も他に幾つかある。白山周辺とか薬師岳周辺の道路で、どれほど除雪進んでいるか知りたい山スキーヤーは、僕も含めて多いだろう。
 里の雪が溶けたこの時期の除雪は、普段の生活とは異なる山奥での除雪が主となる。人里は慣れた箇所であまり意味の無い除雪がされている道路も実は少なく無いのではないか?(山スキーヤーにはちと別か・・)
 とにかく、どの道をどういう理由で優先的に除雪するのか、その辺も少し気にして良いと思っていたりはする。
2008年04月01日
システムから壊れていく
 今日も朝は分娩室からの呼び出し電話で始まった。とはいえ深夜出動にはならなかったので助かる。さくさく出動して何時もの様に仕事をこなす。この分娩で3月中の分娩予約の方は全て産まれてくれた。これからの2ヶ月間は昨夏から段取り準備しておいた分娩制限期間に入る予定だ。

 分娩件数は通常よりぐっと減るので、僕の業務も軽減される。一刻の猶予も許されないガン患者さんは多数見えるのだが、それでもはっきり言って普段より仕事は楽できるだろう。
 他院で分娩せざる終えなくなった妊婦さんと、及び担当産科ドクターには大変な迷惑をかける事になるわけだが、普段人並み以上に僕は働いているのでここは許していただきたい。

 話は変わり、厚生労働省から配偶者に届いた年金特別便なるものを昨日チェックした。配偶者の年金記録には名寄せが必要な怪しい部分があるらしい。
 そして案の定予想通りというか、配偶者の払った厚生年金掛け金が約6年間分まるっと欠如していた。その間配偶者が給与から払った年金額は100万円を軽く越えている。これは多分黙っていればそのまま闇に葬らさられるところだったのだろう。

 僕は様々な経緯から2年ほど妻子持ちで無職だった事がある。その間は申請免除という制度を利用した(後から清算して支払ったけどね)。また医者の常として何回か転勤もしている。妻もそれに伴い移動激しかったし、もちろん結婚で名前も変わった。
 社会保険庁がかなりいい加減な業務をしているというのは、前々から僕は多くの一般人同様気づいていたから、これらの中できっと何処かの年金記録が抜け落ちているんじゃないかと内心思っていた。そしてその予想はやはり当たっていたという訳だ。
 そんなこんなで昨夜は配偶者の20年?前の正確な履歴を調べるのに大騒ぎとなった。とにもかくにもこれで上手く訂正されれば良いがとは思う。

 さてこの年金制度というのが、少子高齢化の進んだ日本でこれから先どれだけ機能するのか疑問に思っている人はたくさんいるだろう
 おそらくそれは当の社会保険庁職員も同様だと思う。どの程度正しくて役立つかどうか良くわからん事務処理をさんざんやらされるのは辛いものだ。社会保険庁の仕事に対するコンプライアンスの低さもこの不確実な制度に問題があるに違いない。

 今回政府や国民から尻を散々叩かれて、死ぬ思いで社会保険庁の方は仕事しているに違いないだろうが、これだけ事務処理が穴だらけだったと世間に知られ、この年金制度は果たして本当に20年後も機能しているのだろうか大いに疑問だ。
 今回の年金騒動も全く無駄となって、多いなる無駄な仕事だけ残ったという事にならなければ良いがと思う。

 さてさてこの4月は様々な社会システムが変わる時期でもある。病院でも4月からDPC対象病院となり入院治療費が疾患毎にマルメで支払われる事となった。外来では安価な後発医薬品(いわゆるゾロ薬)への変更が実質患者さんの自由裁量となる。
 後期高齢者医療制度と言う新たな健康保険制度も始まるらしい。また4月から妊婦さんのミルク代は値上がり、ガソリン代は一時的だろうがなぜかちと下がった。

 これらの様々な変化の中で思う事は、社会の余裕がどんどん無くなっているという事だ。この原因は多分高齢化だろう。お年寄りばかり(産婦人科は例外で若い人が多いですが)の病院にいると、その事を日々痛感する。
 世の中の活力が減り、従来のシステムはどんどん機能しなくなる。こんな感じで社会というのは少しづつ壊れていくのだろうか。その行く末を自分が生きている内に見る事になるんじゃないかと、最近特に思っていたりする。
2008年03月31日
出会いと別れの季節は何かと忙しい季節でもある
 年度末で大忙しの部署も多いであろう3月31日だ。とはいえ今日は分娩も少なく外来も予約診察のみでそれほど混まなかったから、仕事の方は比較的楽な一日だった。
 しかしこういう時にはきちんと他のやることがあるので、もちろん暇な事は決して無い。

 特にこの時期は仕事以外の各種雑用が増えるものだ。
 今日も愛車の車検手続き、都合により生じた預貯金の整理、とある新築家屋の受け渡し行事から、自動車任意保険の手続き、個人で入っている医師賠償責任保険の手続き、老朽化著しい山スキー装備のチェック注文、山で使うコンタクトレンズ注文等をし、更には先ほど寄り道したネットで、老朽デジカメも新品に買い変える事を決め注文してしまった。
 また突然身近に届いた年金得別便の返事とか、各種マイナーな買い物とかいろいろやることだらけだ。

 これらの過程の中で何について書こうかと迷う。色々と突っ込みどころが満載すぎる事が多いのだ。まあいずれにせよこれらの雑用の多くは、ネットやメールで済む時代となって本当に良かったと思う。
 仕事をしながらこれらの事をいちいち出向いてこなしていたら、かなり大変だろう。何事も余計な業務は減らさないと肝心の自分の仕事が出来ない。
 保険だってネットで簡単に手続きできる方が、加入する方も引き受ける方も嬉しいに違いない。

 とはいえ幾つか時代遅れのものもある。郵便局はゆうちょ銀行として民営化されたのに、一部銀行をのぞき未だにネットで振込みや入金が出来ない。
 車検だって、今時ちと不合理なシステムんじゃないかと思う(手間はそれほどで無いけどね)。だいたい車の登録業務というのは税金の無駄使いもいいところだというのが僕の考えだ。車屋さんも車検があるお陰で、新車が売れると思っている面もきっとあるだろう。

 とにかく今時は誰もが忙しい時代だ。世の中の制度にもできるだけ無駄を省き、その余力をもっと育児や教育に振り向けなければならない(若い人には異性とのお付き合いも必要だしね)。
 車検や保険とか年金とか様々な手続き雑用をしながら、あんまりこの手の安全装置だらけの世の中もたまらんなあと思っていたりする。 
 
  これ以前の日記は削除しました。