おやじの会特製の豚汁をふるまうメンバーら。「おいしい」とおかわりが続き、あっという間になくなった=東京都杉並区で2008年4月29日、稲田佳代撮影 |
東京都中野区立中野富士見中学2年の鹿川裕史君(当時13歳)が86年2月、同級生に担任教諭も加わったいじめを苦にして自殺したことを機に、地域の父親たちが結成した「おやじの会」が、今年度末で解散する。「陰湿ないじめのある中学」とレッテルを張られた学校、生徒たち、地域を守ろうと、活動は22年に及んだ。少子化で学校自体が統廃合されるための解散だが、父親たちが参加する地域の取り組みは全国へ波及した。
鹿川君は「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」との遺書を残して自ら命を絶った。教諭もいじめに加わっていたこともあり「廃校にしろ」と激しい批判が起きた。当時PTA会長だった矢口正行さん(66)は「学校は地域のつながりの核。学校を残したい」と周囲に呼び掛け、自殺の翌月に会を発足させた。その年の卒業式当日、学校から見えるビルの壁に「ガンバレ中野富士見中 おやじの会」と書いた手作りの看板を掲げた。初代会長の松本哲二さん(67)は「当時は、マスコミは学校のことを何も分かっていないと腹立たしかったが、自分もPTA活動をするまで母親任せで何も知らなかった。学校に父親がいなかった」と振り返る。
現在の会員は40〜60代の約30人。月1回の定例会は、ビールを片手に腹を割って話し合う。合言葉は「学校の方針に口を出さない」「女房、子供に迎合しない」「責任は自分たちで負う」。2月の餅つき、新緑の中を歩くグリーンウオーク、夏に夜通し歩くナイトウオークを定着させ、多くの生徒や親が楽しみにするようになった。当初あった「のんべえの会」と(揶揄やゆ)する声も、いつしか消えた。
4月29日、最後のグリーンウオーク。全校生徒の6割に当たる53人と親ら55人が参加。生徒たちは止めどなくしゃべり、歌い、おやじ特製の豚汁をおかわりし、後片付けを手伝った。同行した牧井直文校長は「赴任が決まった時『あの富士見中か』と一瞬戸惑った。でも区内で一番落ち着いた良い学校だった。おやじの会が学校や地域にどんな影響を与えたかは、子供たちを見てもらえば分かります」と話した。【稲田佳代】
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