「バイトに行きたくないな。また、怒られたらどうしよう」。娘役の女性が語りかけると、母親役は「バイトに行きたくないのね」と答える。次いで「不安を感じているのかな?」。娘役の言葉を受け止めつつ、その気持ちを推測して言葉を返すやりとりが続く。
東京・新宿にある東京女子医大病院付属女性生涯健康センターで開かれている「ケアスキル講座」。摂食障害で通院している患者の家族を対象に、病への知識を深め、回復に導くケアのノウハウを学んでもらおうと、臨床心理士の小原千郷(ちさと)さんが06年に始めた。
摂食障害から回復するには、身近な家族の理解と協力が欠かせない。だが、症状に戸惑ったり、接し方が分からず悩む親は多い。攻撃的になったり、怒りっぽくなる症状があることから、口論にもなりがちだ。
小原さんは約5年間、同病院の患者の親の会に携わってきた。わが子の力になりたいと願いながら、知識不足のせいで空回りする親を数多く見てきた経験から「ケアをするには技術が必要」と言う。「コミュニケーションのとり方を少し変えるだけで改善する。身近な家族が良い相談役になれると、患者は安心し回復につながる」
講座は最大6人までの少人数で、内容は、上手なほめ方▽話の聞き方▽メッセージの伝え方の計3回。隔週で開かれ、参加者は2人1組で交互に娘役と母親役を演じるロールプレーなどを通じ、効果的な会話の仕方を学ぶ。
話を聞く時は真剣に耳を傾け、患者の気持ちを理解するよう努める。相づちやおうむ返しで共感を示すことが大切で、反論やアドバイスは禁物だ。
例えば、親がつい口にしてしまう「まだガリガリなのに」「ちゃんと食べなさい」などの言葉。小原さんは「体重や体形、食べ物に関する論理的な議論は無駄だし、かえって有害」と説明する。摂食障害者は、体重や体形に極端にこだわる傾向が強いため、親が正論を訴えても平行線のままで口論になるケースが多いからだ。
家族の心配を実感したいと、患者が無意識にこの話題を持ち出すこともある。「体重や食べ物のことを言い出したら、何か不安があるというサインかも」と小原さん。「心配事でもあるの?」と尋ねるか、取り合わないことが望ましいという。
小原さんは「受け止めてもらっていると感じれば、患者は安心する。アドバイスを与えないことで、自分で解決しようとする気持ちを引き出す効果もあります」と話す。
*
受講した家族に話を聞いた。講座で得たスキルを家で実践した千葉県の主婦(47)は「私が体重のことを一切口にしなくなると、娘が自発的にご飯を食べるようになった」と安堵(あんど)の笑みを浮かべた。大学生の長女は06年末から拒食症になり、体重が25キロも激減。「少しでも良くなってほしくて、一方的に意見を押しつけていたのかもしれない」と反省したという。「今後、体重が増える過程で出てくる恐れがある、うつや引きこもりなどの症状にも、対処していく心構えができた」
東京都杉並区の主婦(55)も、次女が5年前から摂食障害になり、出席日数が足りずに大学を中退した。どう社会に戻ればいいのか思い悩む次女の姿に心を痛め、自身も不安に押しつぶされそうだった時に講座のことを知った。「娘との距離の取り方が分からなかったが、受講してから、娘の気持ちを理解して話を聞けるようになった」と晴れやかな表情で語る。「病気についてもよく分かり、きっと大丈夫だと前向きな気持ちになれた」
小原さんは「本人に寄り添い、応援団になってあげることが大切。弱っている時に頼れるのも、本気で助けたいと思ってくれるのも家族だけだからこそ、そのサポートは強力だ」とアドバイスする。【川久保美紀】=つづく
東京女子医大病院では、回復した患者にアンケートを実施中だ。「家族がしてくれたことで回復に役立ったことは」との問いに、これまで寄せられた回答は「愛情。それを確認する期間が闘病中だった」「必ず治ると信じさせてくれた」「干渉せず見守ってくれた」「どんなにやせて醜くなっても、精神的に混乱しても、付き合ってくれたし、世間の目から隠そうとしなかった。どんな自分でも信じてくれた」--など。
一方、「家族にされて嫌だったこと」については「食事内容、体形、体重について気にされたり、注意された」「現実がつらくてこの病気になったのに『わがまま』と言われて傷ついた」「『すべて食べればうまくいく』と言われた」「病人、障害がある、普通の子とは違うといった態度や言葉」--などの回答が寄せられた。
毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊
4月30日 | 摂食障害と向き合う:/5 親が子の応援団に |
4月29日 | 摂食障害と向き合う:/4 親ら、共に悩み・学ぶ |
4月24日 | 摂食障害と向き合う:/3 社会復帰へ支え合い |
4月23日 | 摂食障害と向き合う:/2 体への影響深刻 |
4月22日 | 摂食障害と向き合う:/1 限界まで食べ、吐く |