パレスチナ問題と聖書の民 <第2回>
大塚裕司
聖書の民と「約束の地」
 パレスチナとはヘブライ語で「ペリシテ人の土地」という意味ですが、ペリシテ人は歴史的にはヘブライ人と前後してクレタ島あたりからカナン(パレスチナの古い呼び名)の地に入植して来た(BC1700頃)民族でパレスチナ人の祖先にあたります。またヘブライの語源である"Eber"とは「向こう側」の意味であり、これは「ユーフラテス川の向こう側」からやって来た人々と解されています。従ってペリシテ人が既に定住し文化を築いていたカナンの地に、放浪民族であるヘブライ人が入植をはじめたというのが歴史的事実のようです。またカナンの地とはヘブライ人にとっては「約束の地」と同義でありますので、この「土地を巡る争い」が神話に遡る根深いものであることが伺い知れます。

 参考までにヘブライ人にとっての「約束の地」の根拠は次の旧約聖書からの引用で明らかとなります。
そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。(「創世記」第12章7節)(アブラムとは神の命によりアブラハムに改名する前の名、ちなみにアブラハムとは「群集の父」を意味します)
神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。………またわたしは、カナンの地、すなわち彼ら(アブラハム、イサク、ヤコブ)がとどまった在住の地を彼らに与えるという契約を彼らに立てた。」(「出エジプト記」第6章2〜4節)

 旧約聖書には、アブラハムを中心とする流浪の物語が綴られていますが(「創世記」第11、12章)、これは長い間単なる神話であり歴史的事実ではないと信じられて来ました。しかし、1923年英の考古学者チャールズ・レオナルド・ウーリーが、アブラハム達がカナンの地へ行くために出発した都市ウルを発見し、続いて1934年仏の考古学者アンドレ・パロの手で、アブラハムの父親であるテラが葬られたとされるハラン(ユーフラテス川上流)の存在が確認されたのです。3600年の時を超えたこれらの考古学上の発見が、当時広がりつつあったシオニズム運動(イスラエル国家建設運動)推進の大きな力となったのは間違いないと思います。
(古代都市ウル、ハランは下図参照)


★イスラエル
 さてアブラハムは75歳のとき、神の命令に従いハランを出発してカナン地方へ向かい最後は死海の西側の都ヘブロンで亡くなります。アブラハムとその妻サラの間には、前述したようにアブラハムが100歳の時イサクが産まれますが、イサクもまたなかなか子供に恵まれませんでした。やがてイサクとその妻レベッカの間にはイサクが60歳の時、双子のエサウとヤコブが生まれます。出産の時ヤコブは兄のエサウの踵(かかと、ヘブライ語で「アーケーブ」)をつかんで産まれて来ましたが、それがヤコブという名前の由来とされています。さて旧約聖書には、ヤコブが神の使いと格闘し勝った話がのっています。

 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです」その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」(「創世記」第32章26節〜28節)
 イスラエルとは「神闘い給う」という意味ですが、実に民族の未来を予言する言葉であります。またアブラハム、イサク、ヤコブの物語は「族長物語」と呼ばれ、これは主なる神が「土地の約束」と「子孫の約束」をイスラエルの民と交わしたイスラエル民族の物語であり、この神話がユダヤ人の国をパレスチナの地に建てる礎となったのです。

★「出エジプト記」(エクソダス)
 ヤコブは4人の妻との間に12名の男子をもうけますが、この12人が「イスラエル12部族」の始祖となります。「創世記」第37章から50章は「ヨセフ年代記」と呼ばれヤコブの息子で彼とともにエジプトに渡り活躍したヨセフの物語で、「創世記」全体のほぼ4分の1を占め、トーマス・マンがこれを材料にとって「ヨセフとその兄弟たち」を書いています。この「ヨセフ年代記」を読むと分かりますが、イスラエル人達は一時「約束の地」カナン地方に住みますが、やがて起る飢饉の為に、既にエジプトでパロ(王)に宰相として抜擢され活躍していたヨセフのもとに身を寄せ、エジプトの地で子孫を増やして行きます。つまりエジプト人と共存共栄の道を歩んだわけであります。(このエジプト移住は、イスラエル人のうちヨセフ族を中心とする一部が移住したとする説もあります)

 さて、旧約聖書によるとヨセフのことを知らない新しい王(ファラオ)がエジプトに起ったと書かれています。(「出エジプト記」第1章8節)(ファラオは、カエサルがローマ皇帝に与えられた称号であるように、エジプト王の称号で、「大きな家」の意)そしてこの「ヨセフのことを知らない王」とはラーメス2世であるというのが現在の定説で、「出エジプト記」には次のような記述があります。

 彼(ラーメス2世)は民に言った。「見よ、イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」そこで彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。(「出エジプト記」第1章9節〜11節)

 ラーメス2世(前1290-1224)の名は、太陽神ラーの息子(メス)という意味で、当時のエジプトではファラオは神の生まれ変わりとして絶対的な権力を有していました。この時ファラオの王女に拾われ宮廷で育てられたのがモーセです。やがて彼は奴隷の扱いを受けるイスラエル人をエジプトから救い出す重要な使命を主なる神から授かることになります。
この物語は、「十戒(Ten Commandments)」として映画化され、モーセにはチャールトン・ヘストンがそしてラーメス2世にはユル・ブリンナーが扮しており実に興味深い映画です。この映画は、イスラエルが建国されて間もなく製作されています。紅海(実際には地中海の一部、Red Sea ではなく Sea of Reeds(葦の海))が裂けてモーセ達が海を渡り終えた後、これを追うエジプト軍が海に飲まれてしまうシーンは有名ですね。そしてイスラエルの民は40年間荒野をさまよった後、カナンの地にたどり着いたと聖書には書かれています。(つづく 平成14年2月22日)

注:参考にした文献は本連載の最終回に掲載します。
筆者のプロフィール:大塚裕司(おおつか・ゆうじ)昭和32年静岡県生まれ。学生時代より真理を求め、放浪生活、音楽活動の末、生長の家青年会の活動に参加。平成4年生長の家本部に奉職、同8年に本部講師。現在埼玉県さいたま市に妻と1男2女と住む。
★この論文を読まれた感想や質問などをお寄せ下さい。大塚裕司yujio1957@ybb.ne.jp
Back | Home | Next