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ペトログラフは語りかける 世界を驚愕させた日本のペトログリフ群 工事中 工事中

ペトログラフは語りかける

日本の考古学は世界的水準から見てどの程度の高さにあるのだろうか? 土器の編年などについては精緻をきわめ、各地の遺跡からの出土物の収集・整理の点では部外者が目を見張るほどの成果があがっているかに見える。しかし、欧米諸国と比較した場合、その研究対象と関心の範囲は局限された現状にあると言わざるえないのではなかろうか。遺蹟の発掘調査の場合、欧米ならば天文学・生物学・地質学から言語学・民族学などあらゆる関連部門の学者が参加し、古代文化の復元という視点から多面的・総合的に共同調査をしており、学際的に討論を重ねることが当然とされている。そこには、学者間の「縄張り意識」は完全に排除されているのに対し、日本では権威あるとされる考古学専門家の発する「鶴の一声」で物事を判定しようという傾向が強いようである。

古代人が岩や粘土板に刻んだ文字の努力は、十九世紀初頭以来急速に発展し、多くの古代文字の解読が可能になっている。そして文明の発祥以前の岩石に描かれた図形や記号−−−ペトログリフ−−−がもつ意味についての研究は、アメリカやオーストラリアの岩石芸術会や岩刻画学会を中心として、国際岩刻画学会連合(IFRAO)が組織され、過去三〇年に渡って共同の研究が行われている。ところが、日本ではこの種の研究はようやく一九八〇年代になって吉田信啓氏らによって始められたばかりである。

世界におけるペトログラフ研究の過程で判明したことは、六五〇〇年前のシュメールで始まった文化は南北アメリカから日本を含む広大な環太平洋地域に伝播しており、コロンブスが「新大陸」を発見する遥か以前に、シュメール人だけではなくヌミディア・イベリア・シナイ・フェニキア人なども「新大陸」にペトログラフを違しているという。

それはさておき、吉田氏が収集した資料によると、日本でも数百個のペトログラフが発見されている。これらの資料の写真を携えて吉田氏はアメリカに渡り、「日本で発見されたペトログラフの九九%はシュメール文字として解読できる」という意見を発表し、国際会議でその研究成果の承認をかちえている。吉田氏によると、日本の岩石に刻まれた記号の写真をみた欧米人たちは、最初は異口同音に「これはヨーロッパのどこかで撮影したものですか?」と尋ね、それが日本のものだと知るとこぞって驚異の瞳を輝かしたという。

日本のペトログラフ研究の日は浅いが、吉田氏の調査によると、彦島のペトログラフは、ハワイで発見されたものと完全に同じ系統の文字であり、その淵源は西アジアの古代シュメールとつながるという。このように日本にもペトログラフがあるという厳然たる事実は、なんとしても尊重されなくてはならないであろう。そして、この文字の研究により、<FONT Color="red" >カナダやアメリカのいわゆるインディアンもまた超古代には日本と同じ文化の系統に属していたことが証明されたという。

「異端から学ぶ古代史」より


世界を驚愕させた日本のペトログリフ群

@日本のペトログリフ

ここに重大事態が持ち上がっているのである。

それは、世界中を驚愕させることになった、日本のペトログリフ群なのである。これにさほど注目もせず、驚かないのは日本人ばかりなのだ。

つまり、十部族問題を裏打ちするに足る考古学的証拠が、平成になって平成になって続々と出そろってきたのである。

バブル景気の最中、徹底的な開発競争が展開された中で、多くの思いがけない遺跡が次々と発見された。吉野ヶ里、三内丸山などなど、多くのものが報道されており、日本史の序章が大幅に書き換えられてきた。

ところが、ここで紹介しようとするのは、そうしたものよりさらに重大な意味合いを持つもの。それは、ペトログリフである。(ペトログラフともいう)

ペトログリフというのは、岩に刻まれた古代の文字や絵をいうものであるが、かなり以前から日本の所々に不思議な文字を刻んだ岩があるといわれ、少数の人々が研究してきた。これが、全国的にネットワークが組まれ、組織的系統的になされるようになって、その相貌がいよいよ明らかになってきたのである。この発掘指導、啓蒙にあたってきた団体が「日本ペトログラフ協会」という組織。彼らの発掘、発見は重要である。

主なものをあげてみよう。

A神武天皇、船出の岩にもペトログリフ

平成元年、宮崎県日向市の美美津海岸。後、神武天皇となった磐余彦が船出した場所の「神武天皇船出の磐」といわれてきた岩から、シュメール古拙文字もしくはシナイ文字と判断される文字が見つかった。土地の神官が、昔からその岩には、三柱の神様が刻まれていると言い伝えてきた岩であった。

また、この美美津市の石庭から、シュメールのウル、ウルク王朝にゆかりのある「七支樹」の岩刻が発見されている。

神武天皇が東征するにあたり、その途中に、宇佐津彦、宇佐津媛の出迎えをうけ、宇佐で大饗宴を開いたことは『記紀』の中に記されているが、この宇佐には多くの古代遺跡が残されている。この一帯の安心院の百穴遺跡、宇佐川源流などからシュメール・バビロニア系統の文字、女神像などが発見され、また、百穴を見下ろす山々には、なんと九〇〇本の環状列石が近年まであって、それに楔形文字が刻まれていたことが確認されている。

太宰府天満宮は、菅原道真が中央での藤原氏との抗争に敗れて、太宰府長官として着任したことで有名であるが、この太宰府天満宮の裏山で、平成二年、シュメール系統の「七支樹」が発見された。この太宰府の地域には、古くから帰化人や渡来人の跡が知られていて、道真は、自らの遺骸をここに埋葬するように言い残したという。

このような岩刻文字の発見例は挙げればそれこそ切りがないので、割愛せざるを得ないわけだが、もう一つ、山陰本線の下関から北に向かった沖合の島、角島には、これぞシュメールの紛れもない証拠というべき独特の積み石の「シュメール兼神殿」が発見されている。これは地元の人には昔からある当たり前の構造物で、古くから風や波で壊れたところの補修をするときには、わざわざ福岡県の宗像から海女たちを呼び、海中のだれも触っていない岩を引き揚げて長くこれを守ってきたものだという。

B神官もびっくり仰天の岩刻文字

ところで、なぜ日本ではこれほども容易に、こうした岩刻文字が発見できるからといえば、発見される場所が多くは神社などの聖域とされてきた場所だからである。つまり、なんのことはない、日本で、岩刻古代文字を探そうとすれば、神社を探せばいいのだ。極論すればそうなる。神社や聖域とされてきたところには、かなりの確率で、岩刻文字が秘められていることが多いことが分かったのである。
 
     彦島のペトログラフ             ハワイのペトログラフ

関東のある有名な神社で、それまで決して入ってはならないという神域の山に入り、ご神体とされてきた岩を掃除した神官が、突然真っ青になって人払いをし、その岩を幕で覆ってしまったという話が伝わっている。

吉野ヶ里の遺跡についても、当局がシュメール文字の部分を隠したのではないかという指摘もなされている。

日本列島の中で長く聖域とされてきたところからは、これらを忠実にお祭りしてきた祭主や神官自身がびっくり仰天するような岩刻文字が表に現れることが多い、ということである。

C古代シュメール・バビロニア起源の楔形文字

こうして日本列島から、シュメール、フェニキア系の岩刻文字が続々と発見された。これらの文字が、古代シュメール・バビロニア起源の楔形文字であることは、綿密な国際的比較考証によって確認済みである。

世界最古の文字文明は、もちろん、メソポタミアで始められた楔形文字であること、時は紀元前三千五百年頃で、これを担ったのがシュメール民族であることは常識である。前二千年頃、このシュメール民族の造り上げた諸都市は、セム系のアッカドに倒され、その文化は文字と共にアッシリア、バビロニアへと拡散し引き継がれていくことになる。

バビロニア最大の遺産というべきハムラビ法典も、征服者ハムラビ大王に引き継がれて行ったシュメールの知識人たちが楔形文字で書いたものである。

時代が下がると、このシュメールの楔形文字から様々なバリエーションが生まれ、アルファベットも開発され、ユダヤのアラム語、ヘブライ語や交易の記載に便利なフェニキア文字や、ギリシァ文字もこの流れから生まれたこともご承知の通りである。

D人類文明史の根源にせまる。

ついでに、もうひとつ。なんでまたそんなことを、と思われるようなことを確認しておこう。

それは、こうした日本の国の中で見られるいわゆる岩刻文字のすべてが、必ずしも外来のメソポタミア起源であると言えないのではないか、という問題である。

ナニッ、それは決まっているじゃないか。こんなに証拠が出ているのだから、文字を持った民族が、外から入ってきて刻んだものに間違いない・・・・。

しかし、この問題はそう簡単に決着をつけるわけにはいかないのだ。事実、日本語とシュメール語ではあまりに類似点が多いし、日本の中の様々なものにユダヤの色合いが偲ばれるのは確かであろう。が、なんといっても、メソポタミアで、シュメール国家がセム系のアッカドによって倒され、世界に散ったのは、“高々”紀元前二〇〇〇年程度のことに過ぎないのだ。イスラエル、ユダヤの国が亡国に瀕したのに過ぎない。日本の縄文文化は日本列島が大陸から分離され始めた一万五千年の彼方から、この列島の中に巣立っているからだ。

そうも言えないことは山内丸山遺跡の発掘以来、もはや常識。この遺跡は紀元前五千年頃の祭祀の跡と見られるものであるがそこでは聖域とされるところがかなりの数認められ、岩石も祭られていた。すなわち、シュメール、フェニキア系の人々が到来するまえに、かなりはっきりした聖域、聖所とされる祭祀場が確率されており、その上に後来の人々が、改めて新たな神域の構造に造り上げたのではないか。このようなことも十分考えられることである。

人類の文化、文明の発祥問題に関しては常に同時発祥説、伝播説と両方の立場から問題となるわけだが、同じことが、このように何万年という時間スケールで考えた場合には、日本文明とメソポタミア文明の関係についても言えるのだ。

この問題は地球上の人類文明が果たしてどのように始められたかという、その根源に行き着く問題でもある。歴史の根底には幾重にも織り重ねられた秘密が重ねられていることは、もう数多く見てきていることでもある。

ともあれ、これまで見てきたように、日本列島にはシュメールと、ユダヤの流れは間違いなく流入していた。その証拠が、とくに平成に入って続々と確認されたのである。<br>

岩刻文字として、まさに岩が歴史を語り始めたのである。

E突如、世界の学会へ

これが、世界の研究組織の目を引かないはずがない。早速アメリカの学会の注目するところになり、発表のお膳立てが瞬く間に整えられた。その柱となったのが、アメリカ碑文学会の会長、バリー・フェル。

彼は『紀元前のアメリカ』と題する本で、コロンブス以前のアメリカ大陸には、ヨーロッパ人は誰も誰もいなかったという常識を覆したハーバード大学の名誉教授。彼にはノーベル賞を授与すべきと囁かれる海洋学、言語、碑文学の大家である。

彼が率いるアメリカ碑文学会は、その世界的ネットワークを駆使して集められることになった「岩刻文字」を中心に、年々、言語学、考古学、地質学、生物学、地理学、文化人類学などあらゆる学際分野を総動員する態勢を整えてきており、学会の主流の動きは、太古、いくつかの人種、すなわちモンゴロイド、ケルト、セム族などが、海洋を通じて地球規模の移動を自由に行っており、それにともない彼らの原始宗教や、文字も地球規模に拡散伝播され、事実上世界の文明は一つであったということの確認をするという方向に向かいつつあるという。

その彼があっという間に世界の檜舞台での講演の場をしつらえ、日本の岩刻文字は全世界に知られるようになったのである。

F色濃いCIAとユダヤの影

アメリカの碑文学の研究は七十年代に入ってからスタートしていたが、アフリカ、南米、太平洋、オセアニアなどの資料はかなりそろっていながら、ずーっと長い間、日本についての材料が欠けていた。そこに突然、日本の研究者が数百もの本物の岩刻文字を引っ提げて登場したものだから、びっくり仰天。よもや、案の定、まさかの驚愕の嘆声の中で、それらはまぎれもなくシュメール、フェニキア民族たちが残したものとみられる岩刻文字であることが確認されるにいたった。シュメール、フェニキア航海民族の足跡は地球儀上に数多くプロットされていたが、なぜか日本列島付近は不明だったのである。これが一度に埋まった。やっぱり!

まあ考えてみれば、あってもおかしくない地域であるが、こうも圧倒的な史料でドラマチックにさっそうと登場するとは・・・・・。

まさに、まさかの大円団。これで決まり。アメリカの学会、世界の学会はびっくりしたが、これで、ともあれ古代世界を股にかけた航海民族の足跡を確認できたことに安堵たーーー。

ところで国際会議に行くたびに、吉田氏の周りにはいつの間にか、ある独自な雰囲気をもつ包囲網ができ、それが国内においてもついて回っている、彼は書いている。

これは、重要な事柄なので、なるべく忠実に原文を記そう。

学会は年々規模、質ともに充実されていき、和気あいあい雰囲気のなかに開催されるのだが、そうした会合の際、必ずのようにいかにも特別諜報員という雰囲気の人物が親しげに傍らに寄り添って会話を傍聴している、という。

「欧米への旅行のたびに感じるのだが、ペトログラフ研究を始めて以来、私たちは常に巨大な防護網の中で保護されている。国内でもそうである。何か巨大なネットが私たちを大きく包んでいるのである。彼らは、平成三年六月のアメリカ文化学会で、ジミー・カーター元大統領あったときも側にいた。」

さらに、

「これは密かに私がこの種の学会に参加するたびに感じることであるが、一流の学者と私が話している側にスーッと鷲鼻のいかにもユダヤ系の人々が接近してくるし、学会の底流には『先史時代はシュメール民族の世界的展開があったことを確認する』という暗黙の学説が流れている。つまりは、古代世界はシュメール民族とその文明、宗教が主流であり、それらがアッカド民族に追われて崩壊し、シュメールの民と文化は世界に散ったという共通の認識になっている。」

ここで「シュメール民族」というのは、ケルト、ユダヤを包摂した海洋民族のことであり、この「ヘブライ民族」(シュメール系)が、日本民族の生成に重大な関心をもち、さらに日本古代国家の成立にも関与したーーーこういう可能性の含みをもった意味合いでの、古代の統一的な海洋文明の存在を確認し合うというのが、こうした学会の運営の基本コンセプトになっている、というのである。

これで、なぜ、彼らがCIAのスタッフを密着させるほどまで、日本のペトログリフ研究の動向に関心を向けているか想像できたのではあるまいか。

そう、そこには単なるアメリカの歴史をグローバルに見直すという表のキャッチフレーズだけでなく、いわゆる「ニュー・ワールド・オーダー」、「ワン・ワールド」、のムーブメントの背景がほの見えるのである。というより、この「力」が、かなり本腰を入れてこの学会の動向に注目していることが読みとれるのである。

二一世紀の世界史は「ニュー・ワールド・オーダー」、「ワン・ワールド」を支持するものとして書き替えられていなければならない。この「力」の根底にある目標については本書で述べてきたところである。

G深刻な「十部族」追求の目

そして、さらにもう一つ。これがこの問題の微妙な点であり、勘所なのであるが、この思想に見分け難いまでに深く絡み合いながら、連綿と追求され続けてきたあの問題。そう、ユダヤの失われた十部族の消息についての、並々ならぬ真摯な追究のの目が光っていることが感じられるのだ。

やっぱり十部族は日本に入れたのではないか。しかも、同じく杳として歴史に消えた先輩民族、シュメール民族とも分かちがたく混交するような形で。

前七〇〇年に歴史の彼方に消えたイスラエルの十部族は、アジアの東端の島、日本に入った。とすると、日本人が信じている紀元前六〇〇年という国家成立の紀元には、失われた十部族が深く絡んだのではないか。日本の歴史において、聖徳太子が示した秦族への特別な待遇のことなども先刻承知のこと。日本民族と国家の形成についても彼らは注意深く研究しながら、とくに岩刻文字の解釈がいかになされていくか、注視しているのだ。

日本の岩刻文字はなんといっても、神道の神社とされるところからメーンに出てきているのだ。
彼らは、日本から大量のシュメール、シナイ文字の岩刻文字が発表された時、一様にどっと驚き、どこからそんなに短期間に見つけ出すことができたのかという質問をしかけて、次の瞬間口をつぐんだ、という。それらの発見の多くが神懸かりの霊示に導かれてなされ、しかもその場所が、神道の神社や、“入らずの森”などという禁忌によって何千年という長い間隔離され、守られてきていた場所で発見されているのだということを耳にしたからである。

ジャングルをかき分けたり、人のいない岩山を登ったりして汗だくで探すほかない国とは違い、日本ではなんと、ほとんどのところは古来の神域として守られてきていたのである。

なんということだ!

これは、「ユダヤ」の中枢にもうすでに、当然に伝わっている・・・・・。


     三女神神社の日文

神字日文解 吉田信啓 著より