「水からの伝言」、これが本当に伝えたかったことは何だったのだろう?
あり得ない!こんなな話を信じるなんて、あり得ない!
「水からの伝言」の話はニセ科学だ!トンデモ話との認定は常識だ!

「水」に「ありがとう」などの良い言葉を見せると美しい氷結結晶を作り、
「ばかやろう」などの悪い言葉を見せると、水は結晶を作れない。(信じるなんて、アリエネーーー!)w
(参考ページ・URL:「水からの伝言」を信じないでください http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/#1)



そうだ、信じる奴はアンポンタン(笑)

しかしさ、あんたたち勘違いしてない?

「ありがとう」の方ばかり問題にしてさ。
もう片方の「ばかやろう」はどうよ?

「ばかやろう」を言うと大変なことになると、いってるように見えないか?
「悪意に満ちた批判」というのも同じようなものだ。

この「悪意」を隠して、批判に名を借りて、内心ワクワクしながら行動したのは誰だ!
流行の言葉で言えば、「名ばかり批判」(爆)

こいつを利用して日頃の恨みを果たそうとした奴は誰だ!
で、恨みって何だ? フン、ちっぽけな「ねたみ」ってヤツでないの?

「水からの伝言」と「呪術」は関係ありそうだ。(参考URL:事象の地平線「呪術は人には効く 」http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9025)

「呪術」だと知ってか知らずか、利用したのだろう!
ぶいっちゃんを貶めるために・・・
ちっぽけな「ねたみ」の心を満足させるために・・・

ぶいっちゃんには確かに効果満点だった。うれしいか?
しかし、こんなことわざも知っているだろう! 「人を呪わば穴二つ(ひとを のろわば あな ふたつ)」
自分の入る穴も、ちゃんと掘っておいたのだろうな。(笑)


夜な夜な、ワラ人形に五寸釘を打ち付けていたのは、いったい誰なんだ!?
呪文は唱えていたのか?名前だけの連呼か?





ズバリこれは「伝言」だったのではなかろうか?
一人称としての「水」→“から”語る言い伝えたいこと→「伝言」( メッセージ)

擬人化された「水」が語る伝言、それは水=私(人間)に「ありがとう」という言葉を贈ってくださるときれいな姿や素直な気持ちになります。
が、「ばかやろう」などの言葉を浴びせられれば、醜くそして穢れた姿に変わり果ててしまいます。決して馬鹿野郎などの言葉を私に投げかけないでください。

「水」というものを「人間」に置き換えてみるとわかるだろう。「ありがとう」といわれると、心穏やかに警戒心も解け人々は「和」の方向へと進むが、「馬鹿野郎」とか相手を「誹謗中傷・罵倒」する言葉を投げかけられると、反発から憎悪の気持ちが芽生え、対抗上批判の応酬となり、やがては互いに斃れて崩れ落ちてしまう。すなわち人間の品位も保てなくなり、個人ばかりでなく集団はバラバラに分裂してしまう。

「ありがとう」の言葉を紙に書いて「水」に見せると・・・

これを聞いて、「水」でも若しかしたらそういうことって有るかもしれないね?と感じた人たちは、どちらかといえば日頃から「ありがとう」などの人に対して感謝の気持ちがある人と、いうことだったのではないだろうか?

「ありがとう」の言葉に過敏に反応し嫌悪感さえ抱く人たちが存在していることは、以前に記事として書いた。そのような人たちがいることを認識した上で、人生を歩まなくてはならないと気付かされた。

この世の中にはそんなにひどい人はいないと信じていた。運が良かったのか悪かったのかだが格別な“アラシ”コメントももらわなかった。唯一キレてコメント禁止処置を取ったのは誰あろう彼女とその応援コメントを入れた人だけだといっていたような気がする。
少し酔った勢いで相手のブログへコメントを残した。本人もそれは失敗だったと悔やんでいる。私も頭に血がのぼればやりかねない。しかし本当に大きなしくじりだった。

私なら行かない。相手の土俵では相撲を取らない。招待されたことがあったが丁寧にお断りした。ホームとビジターやアウェーは違うのだ。喧嘩は自分に有利なところでやらねばならない。単身乗り込むのはカッコいいけどそれは映画や小説などの世界の話であって、現実は何処に落とし穴が掘ってあるのか、屏風の陰に相手の助っ人が隠れているのかわからない。
これから後にも書くわけだが、相手は名代の曲者だったのだ。(これぐらいは言わせてもらうが、いいよねぶいっちゃん^^)

今年の正月早々に起きたいわゆる政治ブログと呼ばれる集団?内で起きた「水からの伝言」をめぐる対立を思い返してみると、この「水伝」はどのように言い繕うとも、科学的な思考を持って言うなら「ニセ科学」といわれるものである。ということから、「若しかしたら」「冗談のようだけど」「でもいい話のような・・・」と感じる人たちを、「トンデモな話を簡単に信じる人たち」とそれこそ“簡単”に一括りにして片付け攻撃した。
それは、ただ単に「科学的な思考」であるというだけが考え方の根拠となっている。私自身も科学的に観れば、水が「ありがとう」の言葉によって、あるいは紙に書いて「水」に見せても、「水」に何の変化も起きないだろうことは容易にわかる。そんなことは当たり前の話として受け取っている。その上で、「たとえ話」として許されても良いのでは?との受け取りでもあった。

また付け加えておくと、「たとえ話」として「水伝」を引用したからといって、大騒ぎをして批判を繰り返すほどのことも無かろうと思っていた。事実、引用した当人(ぶいっちゃん)は「結構批判の多い話なのだった、水伝は・・・」と後から反省し、いっそ否定的な見方も書き加えようかと「迷いながらも、そのままにした」ことが、記事を書いてから2年後に突然「悪意を持った」ある人物と、それを応援し、何とか貶めようと画策していた人物たちによって「人を貶める作戦」が実行に移された。

これを実行に移した張本人の人物は、自分の「裏ブログ」というか、表の発言と違った裏ブログをもっていて、そこでの発言を読むとつくづく世の中にはこのような人物も現実として存在するのだと考えさせられる。私はURLまでは紹介しないがタイトルは書いておこう。「みつかったのかしら」である。これはグーグルの検索で「ところが旧悪を批判されて」とキーワードを入れればたどり着ける。
ここの発言から推測されるのは過去にもある運動組織で「嫌われていた」らしいということだ。おそらくは自分から見た見方のみを何処までも主張し、決して反省の無いところがそういう結果を招いていたのではないかと私は想像する。普通は人を批判するにしても、相手の発言から自分の方にも若干の反省点があるかもと思ったりするものだと思う。ところが「私は悪いと思ったことを指摘しただけだ。それがどうしてそんなに非難されることなのか、わからないわ~」との態度だ。そのような人物に「水からの伝言」はうってつけの材料だった。科学的にはどのようなことをしても証明できない「水伝」で人を攻撃すれば「100%反論は難しい」だろうと思ったのだろう。これは実に賢い思い付きであった。相手を攻撃するには絶好の武器を手に入れたというものだ。

実際最初のうちに若干の反撃に遭い防戦状態になったことはあったが、しつこく「ニセ科学」の観点を主張することによって「論理のみがこの世に一番大事なこと」と主張する人たちを味方に引き入れた。彼らは「“情”によって結びつく人たち」を嫌悪するところが共通するところでもあった。どのように思考がふらつくことがあっても、「科学によって証明されていないことを支持することは出来ない」というところに舞い戻ってしまう人たちだ。気を取り直して、「論理を重んずる人々」と自分たちをその枠に閉じ込め仲間を囲い込むことにした。しかし論理だけで人間社会は出来ていない。仲間として結びついているのさえ感情が役割を果たしている。そう、好きだとか嫌いだとかの類のものが全く無しでは人間は互いと結び付けない。その見落としの結果、ある事柄での意見対立が感情を伴ったものとなったとき、論理だけでは対処できなくなり、正しいと自分が主張することはあくまでも引くことが出来ないから、結局はどちらかが去ることでしか解決が出来なかったのである。まことに不幸な出来事が起きてしまったのである。

いまだに去っていった物言わぬ人物に対して自分の主張がどのように正しかったか、そして去っていった人物が「無責任だった」と非難すことでいつまでも正当性を主張している。正に冷酷・残酷という言葉がふさわしい。死者とまではいわないが、黙した者まで打つのは如何かと思われる。

さて、「ありがとう」の言葉を大事にするゆえに「水からの伝言」をついうっかり「たとえ話」として引用してしまった人が、「非をいつまでも認めない」といって攻撃されるなど、およそこの時代にあってよいのだろうか?うっかりやってしまったとか過失と思われる行為も謝罪が必要なほど重大な事柄であったのであろうか?少なくとも読者の方には謝罪したのだが、それが「どっちを向いて謝罪している!?意味がない!」とまた非難される事柄であったのだろうか?



はっきり言って何様だと思っているのだ!お前たちが不快に感じる根拠など何処をどのように探したら見つかるというのだ!

論理的な考察だと?笑わせるんでないよ。ただ単に「科学的に証明されてないものは、科学と呼べないニセ科学である」というだけのことだろう!

引用した人が、科学的にもありうるような発言をしたとでも言うのか?そもそも科学の話として扱ってはいないだろう。違うか!?

唯ね、公開されたブログ上での発言はもう少しウイキなどで調べてから慎重である方がいいのではないか?との指摘は、私もその通りだなと思うし本人も思ったことだと思う。
それにしても、「水からの伝言」に関しては私自身が瀬戸さんのところで亀さん(PSJ渋谷研究所X)や技術開発者さんと出会わなければ「水伝FAQ」も知らなかったのだが、はっきり言ってこれだけ長期間ぐだぐだやっている割には「水からの伝言が何故いけないかという方向には行っていない。
どれほど多くの方が真剣に話し合っているのか、私は知って驚いた。
黒猫亭(黒猫亭日乗)さんのところも、読んでいてなるほどなあ~と思わされた。

結局は水伝のことは何も伝えようとせずに、自分の目的が達せられればよいと受け取られても仕方あるまい。

私の発言の、「私のしたことは正しいのじゃ~!ギャー!!!」と言っておられることは良く分かりました。 ・・・について3ヶ月以上にもわたって食いついてきていた理由は、それが図星であり、痛いところを突かれたとでも感じたのかね?


ここで瀬戸さんのところで出会った技術開発者さんの言葉を紹介しよう。
コメント欄での紹介。

こんにちは、せとともこさん。ニケさん、よろしくお願いします。

なんて言いますか、「行きすぎ」という視点は、「行きすぎを止めるのは正義」という部分にも成り立つ訳です。

変なたとえ話になりますが「そんなこと信じているなんてバッカじゃないの~」なんて言い方とかそう言われるような社会風潮とかについてもあるわけです。人が何か気の迷いで不合理な話を信じた時に、こういう言われ方というのは、まあ、楽しくは無いわけですね。だから、「どこが違うのかをきちんと言ってあげなさい、馬鹿なんて人格否定をするような言い方はやめなさい」なんて事に正義があるみたいに感じてしまうわけです。でもね、人間という不合理な存在は、「バッカじゃないの~」と言われる方が、理路整然と否定されるよりも「馬鹿にされるのは嫌だから、もう少し慎重になろう」という意識を起こしやすいものなんですね。なんていうか、「麻原なにがしは座禅したまま宙に浮く」なんて話を「バッカじゃないの~」とする風潮が薄れることで、最終的に地下鉄サリン事件にまでつながっている面があるわけですよ。

もちろん、人が何かを信じたからと言って人格まで否定すべきではないのだけど、それが行きすぎ無い範囲で「バッカじゃないの~」という「人を嗤う、人に嗤われる」という風潮を持つことは社会にとって必ずしも悪くはないのではないかと考えたりしているわけです。


投稿 技術開発者 | 2008.02.05 08:42

それに対して私

こんにちは~^^

せとさん、技術開発者さん、お世話になります。
もう少しこの場を借りて、引きずってきたものを書くことになるのかもしれませんね。
せとさんからの了解が得られるかどうかのお返事をお待ちしています

ま、お返事待ちする前に、なんと言うか、折角書き始めたので少しだけ!(いつも“少しだけ”といいながら・・笑)

実のところ今回の水伝騒動においては、技術開発者さんの意見と同じような結論ではあります。

>なんて言いますか、「行きすぎ」という視点は、「行きすぎを止めるのは正義」という部分にも成り立つ訳です。

まさにそのとおりでして、その視点からの発言が無ければ、加熱しっぱなしで魔女狩りにも似たようなことになりかねませんでした。ですからその「正義」については私も認識しています。もちろんその「正義」は批判される側の「行きすぎ」に対しても共通に存在しているものだとの認識も持っています。それだけに皆さんが各自軸足をどちらに置くかで対立の構図になったように思います。
でも私は、皆さんが大人なので、「今は一方のひとつの視点から対立する片側にいる人」も、いずれは相手の主張にも歩み寄って自然に落ち着くところに落ち着くだろうとの予想をしていました。で、結局は皆さんのおかげで、正月から始まった「政治ブログでの水伝騒動」はほぼ終わりを告げたと思っています。
しかし私には残念なことが残っていますがこれは言わないほうが良いのでしょうね^^

技術開発者さんの、ひとつ前の投稿で
>「心が動きすぎる事による悪」
にもそのとおりだと思います。私にも結局はそれがあったと思います。ただ残念なのは・・・(まだ言ってるwww)^^

>もちろん、人が何かを信じたからと言って人格まで否定すべきではな
>いのだけど、それが行きすぎ無い範囲で「バッカじゃないの~」という
>「人を嗤う、人に嗤われる」という風潮を持つことは社会にとって必ずし
>も悪くはないのではないかと考えたりしているわけです。

そのとおりだと思います。「必ずしも悪くはない」のです。むしろ健全ということでしょうね^^
人格否定については、「人は論に詰まると人格否定に走りやすい」とは見ていて、人格否定を始めた方がいると、「あ、この人は追い詰められたな?」と見ています。
ただ、小人はこのことに気付かないでしょうね。(と、人格否定をしてしまう、私。)w
いずれにせよ「水伝批判」の難しさは、批判する側が「批判対象をしっかり見極められる人物かどうか?」なのであって、ただ闇雲に「こいつもだ!こいつもだ!」と子供のようにはしゃぎまわっているようでは、今回のように「私も半ば当事者」で無かったならなかなか参戦しなかったでしょう。
その点において、技術開発者さんには敬意を表明するしだいです。

人格否定をしないで、筋道を立てて問題の解決を図る能力が私には無いことを自覚していますので、そちらまで出向くことが無かったのを幸いと感じています。
ちなみに「嘲り笑う」ことはどちらかというと好きなほうですが、それは出来る限り「権力者・支配者」に対して行いたいと思っています。

「水伝」の危険性とは、同じように生活する大衆に対して「互いに傷つけ合う道具」となるものだと認識しました。もしまた私の近くに騒動が起きたときは、技術開発者さんの姿勢を思い出し、それに沿った意見を述べることとします。

本当にありがとうございました。ではこれにて~^^

投稿 ニケ | 2008.02.05 13:42


全文引用だからお疲れだとは思いますが、いわゆる馬鹿なことを言う人に対してそれを笑うというのはある意味健全な社会だということだ。
私はそれを否定はしていません。

私の友人たちと三重県の湯ノ山温泉へ行ったときのこと、時々おかしなことを言う定年退職していた先輩が、山の休憩所で空を眺め私に話しかけてきました。

「おい、わしはいつも不思議に思っていることがあるのだが、どう思うかな?このことは」といって話し出した内容は

「流れていく雲のうち、わしがにらみつけると、そのうちに消えてなくなってしまうのだわ
どちらかというと、小さい雲の方がいいのだがね。わっはっは~。」

(な、何なんだ!本気で言っているのか?)と思いながらも、「うん、雲はいつも同じ形でいるわけではないよね。見えるのは水滴だし風の動きなどで拡散すれば見えなくなることも当然だよね」

といったら

「いや、わしがにらみつけた雲だけは絶対に消える!消えないのもあるだろうけど、わしが睨みつけた雲は必ず消えるのだ!」

どうやら形が変わったり消えたりすることであっても、自分がにらみつけたものは、必ず消えるということをどうしても言いたいらしい。

そこへ別の友人が来て、「また変なこと言ってるな?そこでしばらく睨んでろよ」と笑いながら私を別の場所へ引っ張っていった。

しばらくして当人が、こちらの集まっているところへ来て、「3個消してやった!」と誇らしげに言ったとき、ついに皆は声を出して笑うことになってしまった。

馬鹿にしたといえば馬鹿にしたが、「トンデモなことを言えば笑われる」ということは自然なことでもある。

技術開発者さんは、それを健全だといったのだった。それはそれでよくわかるし、自分も馬鹿にした仲間なのだが今でもそんなに悔いは残っていない。

>でもね、人間という不合理な存在は、「バッカじゃないの~」と言われる方が、理路整然と否定されるよりも「馬鹿にされるのは嫌だから、もう少し慎重になろう」という意識を起こしやすいものなんですね。(by 技術開発者さん) 禿同!(笑)

ん?「健全」だと言ったのは、私だったのか?(笑)


呪術であるという観点から次を書きたい。

あまりに長すぎて、あとは次のエントリーとします。(書くことになるか、または書けるかは疑問もある)


追記:
ついにぶいっちゃんはやめると決めた。私もあと一つか二つかいて非公開にする。
一方の当事者が辞めたので、この騒動によってその為だけにブログを再開した私が書き続けることも無かろう。すなわち無意味になったということだろう。(笑)

ここにしばらくの間であるが、ぶいっちゃんの最近の数エントリーを貼っておく。

お知らせです

お礼の言葉 【1】

お礼の言葉 【2】

お礼の言葉 【3】

お礼の言葉 【バイバイ】


by pierrot_789 | 2008-04-27 08:45 | Comments(4)

Commented at 2008-04-27 22:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-04-28 00:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pierrot_789 at 2008-04-28 19:42
ニケです、こんばんは~^^
2008-04-27 22:16の鍵こめさん、今日はひとつだけ引用させていただきます。<(_ _)>

>もう少しだけ、表現が穏やかだとモアベター

そうですよねえ、相手の怒りに油を注ぐばかりではいけませんよね、反省。

ま、でもこれらは相手の裏ブログでの発言なので普通にURLで紹介しなければ皆さんはわからないかもです。
ちょっと行き過ぎに対して不感症になっていたのですね、みんなも。

あ、私の罵詈雑言は行き過ぎを通り越してます。ハイ!すみません。^^

今夜、最後のエントリーを上げてここは非公開にします。
その後どのように処理するかはじっくり考えます。

最後の記事も是非読んでください。一番最後に呪文を入れておきました。(爆)
やっぱり関係なかったかな?(ボソッ)笑

では~~~^^
Commented by pierrot_789 at 2008-04-28 19:59
あ、いえ、ご訪問いただけるだけで感謝しています。
2008-04-28 00:02の鍵コメさん、あと2日でここは閉じます。

この「水からの伝言」による批判はニセ科学の蔓延を憂う人たちの切実な気持ちから出てきたものだと知りました。ただ今回ぶいっちゃんを批判した人は、あまりにも軽い気持ちではなかったかと私は疑問を持っていました。
何人かのブロガーがブログを閉じたことを重く受け止め無くてはならないでしょう。
もちろん私にも大きな責任があります。そしてぶいっちゃんが他の理由とはいえ完全削除にしたことはこの騒動の一切の原因を消し去るとの決断だったと思います。
実に悔しいことですが、そうでもしなければいつまでもくすぶり続けるかもしれませんね。ついでに私も非公開にします。もちろん私が自分のCDに保存したあとはどうするかですが、人の目に触れることの無いようにします。

あなたさまからの発言では、私はお礼を言う以外何もありません。本当にありがとうございました。おかげで次の記事で、素直に失礼を詫びることが出来ました。またどこかでお会いできたときはよろしくお願いいたします。では~~~^^
名前 :
URL :
非公開コメント
削除用パスワード設定 :
< 前のページ 次のページ >