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パンダ:リンリンさようなら 悲しみの「上野」

パンダ舎には「リンリン」の遺影が飾られ、祭壇に花を手向ける少年の姿も見られた=上野動物園で2008年4月30日午後0時3分、北村隆夫撮影
パンダ舎には「リンリン」の遺影が飾られ、祭壇に花を手向ける少年の姿も見られた=上野動物園で2008年4月30日午後0時3分、北村隆夫撮影
リンリンが死んだことについて会見する小宮上野動物園園長(右)ら=東京都台東区の上野動物園で2008年4月30日午前11時2分、北村隆夫撮影
リンリンが死んだことについて会見する小宮上野動物園園長(右)ら=東京都台東区の上野動物園で2008年4月30日午前11時2分、北村隆夫撮影

 さようなら、リンリン--。唯一の「日本のパンダ」として親しまれていた上野動物園のジャイアントパンダ、リンリン(雄、22歳7カ月)が30日、高齢のためこの世を去った。日中友好の「親善大使」として2頭が上野に来園してから37年目。かつて最大で5頭がいた上野動物園から、ついにパンダの姿が消えた。大型連休で訪れた子どもたちは寂しさを抑えながら「ありがとう」と冥福を祈った。【酒井祥宏、市川明代、神澤龍二】

 上野動物園によると、世界で登録されている雄のジャイアントパンダ104頭の中で5番目に高齢だった。05年にパートナーのシュアンシュアンがメキシコに帰国してからは1頭で飼育されていた。

 小宮輝之園長は記者会見で「(メキシコへの渡航など)世界で一番飛行機に乗ったジャイアントパンダではないか。苦労をかけた。苦しんだ様子はなく安らかだった。冥福を祈りたい」と話した。解剖の結果、腹には37リットルの水がたまっており、橋崎文隆・動物病院係長は「よく持ちこたえてくれた」と話した。

 00年から7年間、飼育を担当した元飼育員、佐川義明さん(61)は「おとなしいけど人懐っこく、子どもたちに人気があった。年齢とともに気弱になり、元気がなくなっていった」と振り返る。一番の思い出は、01年に人工授精のためメキシコに行ったこと。おりの中で不安そうにウロウロする姿が今も目に浮かぶという。最後に姿を見たのは3日前。食欲がないと聞いていたため、様子を見に行くと、やつれた姿が目に止まった。「大丈夫か?」。声をかけてもこちらは向かなかった。「覚悟は出来ていたが、もっと生きて欲しかった」と残念がった。

 リンリンのパンダ舎前には30日朝、死んだことを知らせる看板が立てかけられ、リンリンを見に訪れた家族連れらが足を止め、がっかりした表情を見せた。おりの中にはリンリンの遺影とともに花やササがささげられ、献花台も設けられた。

 パンダ舎前で両手を合わせていた埼玉県川口市の小学校1年、猿田創一郎(6)君は「体調が悪いのを新聞で見て、元気になってほしいと思っていたのに、かわいそう」と表情を曇らせた。長野県上田市から家族4人で訪れた武舎美沙子さん(30)は「パンダが見られるかなと思って来たら亡くなって残念」と話し、二男玲人ちゃん(2)も「パンダが大好きだったのに」と悲しそうに話した。

 リンリンが死んだため、国内でジャイアントパンダを飼育しているのは神戸市立王子動物園(2頭)と和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド(6頭)の2カ所だけになった。

毎日新聞 2008年4月30日 12時41分(最終更新 4月30日 14時52分)

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