今年も相変わりませず、狛犬でお楽しみ下さいい。 |
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(佐賀県杵島郡白石町・水神のご利益を喜ぶ獅子) |
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本人コメント: 左:代々木八幡。なんと凛として堂々としているのでしょう!素晴らしい立ち方です。 この狛犬達は交通量が多い山手通りを長年に渡り見下ろしていまして、まるで、変わりゆく東京の風景を見守っているようでした。(東京都渋谷区代々木) 右:渋川八幡宮。遠くから見ると小柄で可愛いのかな?と思い、近づいてみるとなかなか立派な顔つきでした。(群馬県渋川市入沢甲) |
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狛太郎のひとこと:代々木八幡宮の創建は建暦2(1212)年で、鎌倉開府20年の年にあたります。狛犬は恐らく当時の彫刻作品をモデルに造られたものでしょう。鎌倉彫刻らしい雄渾な雰囲気を伝えており、胸を反らせて睥睨する姿に威圧感があります。渋川八幡宮の創建はやはり鎌倉時代の建長年間です。鶴岡八幡宮を勧請しました。城主、武将の崇敬が厚かったといいます。狛犬はアウンとも出雲式に近い姿勢です。顔立ちは江戸風ですが、全体としては地域的特色があるように見受けられます。体つきが丸っこくて、可愛い感じです。 | ||
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まだ小学校に上がる前から、境内で虫取りをしたりかくれんぼをしていた懐かしい場所です。先日わん子しぇんしぇい&ケパサさんと訪れた折、忘れていた想い出が記憶の底から急激に甦り、少し動揺したのを憶えています。 (北九州市八幡東区諏訪) |
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狛太郎のひとこと:古里の神社って、いいものですね。当社は鎌倉開府直後の建久5(1194)年、下野国の上野介重業(のち麻生氏)が宇都宮から勧請し、領内の総廟としました。1300坪近い境内には3対の狛犬がいます。うち二つは石工・吉永鑄の作品で、写真は拝殿前にある大正13(1924)年のものです。迫力のある顔立ちや肥満気味の体つきなど、デフォルメの利いたかなり独特の作風を誇ります。吉永石工は売れっ子だったらしく、同区春の町の豊山神社の狛犬も手がけています。(3つもの作品が確認できる石工は少ないのです) | ||
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本人コメント: 私の田舎に、「天神社貴船宮」という古い神社があり、そこで写したものです。サイトで説明されている出雲式だと思うのですが、向かい合う二体のポーズが違っているのが面白いと思ったので。神社は600年ほど前に建立され、最近になって屋根裏か多くの絵馬などが発見されて話題になったそうです。 (福岡県嘉穂郡嘉穂町牛隈・倒立と起立のアウン) |
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狛太郎のひとこと:初めまして。これは出雲式ではなく、北九州一帯によく見られる倒立と起立の一対ですね。形式名は分かりませんが動きのある造形です。ちなみに、貴船神社の祭神は高おかみの神といい、雨乞いに霊験のある神です。「おかみ」とは、雨かんむりに「口」を三つ横に並べ、その下に「龍」というすごい字です。いかにも効き目がありそうですね。 《参考:伊豆神社》 |
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本人コメント: 左:添付の写真は「宮崎青島神社」のワンコです。見上げるほどの位置に鎮座奉る姿は、 今にも飛び掛かってきそうな勢いでした。 右:青島神社の本殿の右に入る道があり、そこを行くと元宮と言う所に奉ってあるワンコです。 このワンコは見た目カワイく、まるで磁器のような感じでした。上薬で色を付けているよう ですよ。多分、焼き物じゃないでしょうか?(宮崎県宮崎市青島町) |
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狛太郎のひとこと:宮崎の狛犬画像は持っていませんでしたので、興味深く拝見しました。 左はおっしゃるとおりアウンともジャンプしそうな勢いです。これも出雲式に似ていますが、出雲式の場合は後脚を完全に伸展して静止の姿勢ですから、やはり別種です。 右は磁器の狛犬です。塑造らしいタッチがもう少し欲しいところですが、何と言っても顔が無性に可愛いのでよしとしましょう。 |
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本人コメント: 正月に見つけて来ました。ルートは鳥栖市基里地区から端間を通り、県道14号線を大刀洗へと向かうルートです。この辺りは神社がかなり多く存在しています。 最初は@天満神社ですが、ここは本殿がなく、お参りするところは公民館になってました。 そこから数百b先にあるのがA「大中臣神社」です。将軍藤という藤棚が有名なようです。 次は大刀洗の古飯にあるB「諏訪神社」。で、敷地にある小屋に変なプレートが・・ 昭和28年の洪水の時の水位を示すプレートでした。 最後は下高橋の交差点にある「高橋城跡」。多分C「竈門神社」と呼ぶみたいです。 (@鳥栖市基里町A小郡市福童B小郡市古飯C三井郡大刀洗町) |
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狛太郎のひとこと:R14は狛犬街道と名付けたいくらいですね。これは非常に興味深い連写です。よく見て下さい。足位置がクローズドで共通しています。体つきや顔立ちも同種だとすぐに分かります。つまり、いずれも紛れもない鳥栖・筑後タイプです。@Aはこのタイプとしての完成形を示しています。Cは明らかに古拙で、このタイプの祖形ではないでしょうか。完成度はA@BCの順に高いと感じます。流派の歴史を見るようで、面白い作品となりました。 | ||
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アゴのラインが、今は亡き柳家金語樓氏のようですが、眉のあたりは西郷どんのようです。スミマセン、ミーハーなたとえで・・。 (福岡市西区姪の浜3) 狛太郎のひとこと:当社は天平15(743)年の創建と伝える古社で、旧唐津街道に面して鎮座します。祭神は住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)といい、有史以前の海人族が奉じて全国に展開したと言われる海神です。柳家金語樓を知る人も次第に少なくなりつつありますが、確かにアゴのあたりに面影があるようです。しかしこの狛犬は、何と言っても目がすごいですね。体つきはオーソドックスで、どちらかというと華奢な感じなのに、だんごを張り付けたようなギョロ目に思わず笑ってしまいます。 |
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本人のコメント: 近くの福岡県護国神社の狛犬を写してきました。これが普通なのか珍しいのかすらわかりませんが、@北側の参道鳥居前に一対、A社殿鳥居前に一対、Bはたまた西側の参道鳥居前にも一対と狛犬達がいました。 木製の鳥居としては日本最大、また社殿前の境内の広さは日本最大、と地元の人から聞きました。 いずれも真偽は不明。(福岡市中央区六本松) |
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狛太郎のひとこと:福岡県出身の戦没者を祀ります。明治元(1868)年に国主黒田長知が、奥羽・佐賀両役の戦没者を那珂郡馬出村に祠を建てて祀ったのが始まりです。その後幾つかの合祀を経て今日に至っています。狛犬はAを参考として@Bが造られたことが明らかです。また@は鎌倉時代彫刻の雰囲気を伝えています。すなわちこの一連の写真からは、このタイプの歴史が感じられるのです。《参考:生き別れの兄弟》 | ||
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本人のコメント:天神西通りの南側突き当たりにある若宮神社です。昔は薬院町と呼んでいたようです。表は人通りが多いんですが、神社に立ち寄る方は見かけませんでした。ここは表と奥に、2体ずつの狛犬が確認できました。なんだか豊かな表情に見えるのは、オイラだけでしょうか? | ||
狛太郎のひとこと:若宮というのは親神に対する子神を意味していて、八幡宮(応神天皇)の若宮なら仁徳天皇を祀る神社ということになりますが、由緒書きによると当社の祭神は豊玉姫です。豊玉姫は海神の娘で、神話に名高い山幸彦の夫人でもあります。その山幸彦は日向に天孫降臨を果たしたニニギノミコトの嫡子なので、その意味で若宮というのかも知れません。参拝者が少ないということですが、左のアの足元にはたくさんのおみくじが結んであり、それなりに大事にされているのではないでしょうか。 | ||
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本人のコメント:明けましておめでとうございます。てんもりです。本年もよろしくお願い申しあげます。年末に四国に出張しましたので、3個所の神社で撮影してきました。 あらためて見ると、個性があっておもしろいです。 |
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狛太郎のひとこと:和銅6(713)年に大三島(越智郡大三島町)の別宮として勧請されたといいます。その後、河野水軍で有名な河野氏の崇敬を受けました。伊豆の三島大社との関連にも興味深いものがあります。さて、狛犬は@蹲踞の一対とA出雲式の一対です。ドングリまなこで睨んでいますが、ちょっと首をかしげる感じが可愛いですね。開口角が小さく、口端が切れ上がっているので、微笑んでいるようにも見えます。(愛媛県今治市別宮町) | ||
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狛太郎のひとこと:大宝3(703)年に鎮座と伝える古社です。空海が別当職(管理者)を務めたとあり、歴代天皇や室町将軍の崇敬も篤かったといいます。@は玉取りですが、顔立ちや体格は精悍なのに、巨大な玉にしがみつくような姿勢が微笑ましく感じられます。Aは色合いから備前焼系統と想像されます。石とも金属とも異なる独特の風合いが焼き物の魅力です。(香川県観音寺市八幡町) | ||
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本人のコメント:若ヨメとドライブをしている途中で神社があったので、パチリしました。どちらも1b級の大きさで、いわゆる筑後系だと思います。それと古い方のウンの頭に角があったのには驚きました。これは一般的なことなんでしょうか?人間の世界にも角の生えたヨメさんは沢山いますが、狛犬の世界も同様とは世も末ですね(笑) (福岡県久留米市田主丸町石垣) | ||
狛太郎のひとこと:和銅2(709)年の創祀とあり、かなりの古社です。藩主有馬氏の祈願所でした。狛犬は確かに筑後タイプで、@が大正9(1920)年、Aが文化5(1808)年だそうです。さすがに狛弟子だけあって、行き届いた観察です。A→@への進化は、省略的な螺旋渦から緻密な経巻渦への変化に表れています。次に角については、狛犬本来の形態を表しているのです。そもそも狛犬とは一角獣(ユニコーン)であり、天子に諫言する賢い動物と考えられていたからです。江戸時代以降、どちらも同じ形(獅子形)になっていったのです。 | ||
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田んぼの中にぽつ〜んと神社があって、ほんと昔から変わらない風景みたいな感じで癒されました。太陽と影とのコントラスト(ほんと鎮守の森って感じ)、木々のざわめき、これぞ神社!わんこもこれぞわんこ!って感じがしました〜。わんこを作った人ってさぁ、やっぱ人間でさぁ、頭の中にある人を想像したりして作っているのかなぁ。わんこを見るたびこんな人いるよなぁ。。って思うもん。 (佐賀市鍋島町八戸) |
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狛太郎のひとこと:毎日お疲れさまです。狛犬の可愛い姿を見て、体と心の疲れを癒してください。当社の祭神は水を司る龍神です。一帯は当時、広大な水田地帯だったはずですから、水はかけがえのない天の恵みだったのです。ところで、狛犬はその責務上(神殿の守護)なるべく恐い顔が望ましいはずですが、なぜか大抵はそれとは裏腹な結果になっています。 特に当社の狛犬は小柄なこともあって、やや人を見上げるような姿勢になっているため、じゃれついて来そうな感じさえしますよね。 |
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で、今日は福岡〜佐賀の境に位置する雷山観音の狛犬を撮ってきました。えらく立派な面構え&作りに感心しきり、でした。 (福岡県前原市大字雷山中の坊) |
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狛太郎のひとこと:雷山は、佐賀県と福岡県を分かつ標高955bの霊峰で、山頂と中腹に雷神社が鎮座します。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、火雷(ほのいかづち)神などです。県天然記念物の樹齢900年の杉と銀杏が名物です。狛犬はおっしゃるとおり、均整のとれた端正な体つきですね。人相もいいし、髪も豊かです。耳が横に張り出していますが、欠け易いので尾や髪でもこのような尖端部はあまり作りません。デザイン優先の珍しい造形といえます。 | ||
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