(cache) kitombo.com | 三神たけるのお伽秦氏 | 2002年2月18日
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三神たけるのお伽秦氏
「くわばら」

三神たける
2月18日

 恐ろしい天災に、落雷がある。遠くでも、雷が落ちると、すさまじい轟音がする。これ が近くだと、実に恐ろしい。ピカッと光った同時に、バーンと破裂するような爆音が響き 渡る。しかも、平地ではなく、山の中だったりすと、ホントに肝を冷やす。かつて、自宅 のすぐ近くに落雷があったときは、家全体が地震のように揺れたのを覚えている。
 現代人にとっても恐ろしいのだから、昔の人なら、なおさらだ。世界中、雷は神様が引 き起こすものと相場が決まっている。例えば、ギリシア神話の主神ゼウスはイカヅチを放 つことで有名だ。
 日本でも、雷を引き起こすのは雷神とされた。火雷神、別雷命、雷公、建御雷之男神な ど、雷を名にもつ神は多い。
 だが、日本史を通じて、もっとも有名な雷神といえば、それは天神、すなわち怨霊とな った菅原道真だろう。策略に嵌められ、九州に左遷された後、激しい怨念を抱いたまま死 んだ菅原道真は、その激しい怒りを雷という形でぶつけた。930年、宮中の清涼殿に大 きな落雷があった。陰陽師が占った結果、怨霊・菅原道真の仕業とわかった。菅原道真を 陥れた人々は戦慄し、怨霊を祀ることで祟りを鎮めようとした。これが北野天満宮の始ま りである。
 興味深いのは、このころ、人々が空でゴロゴロと音がすると、落雷を避けるために、「 くわばらくわばら」と唱えた。これは雷除けのまじないとして、『徒然草』などの平安時 代の文学にしばしば登場する。
 でも、なぜ「くわばらくわばら」が落雷除けのまじないなのか。
 菅原道真の姓である菅原を音読みすれば、カンバラ。カンバラが訛って、クワンバラと なり、やがてクワバラになった。と、いうのは、少し無理か。
 実は、この「くわばら」、漢字を当てると「桑原」である。そう、桑畑のことなのだ。 よって、意味からするなら、「くわばた」でもかまわない。
 由来は、中国神話にある。中国の民間信仰では、雷はけっして桑畑に落ちないという。 よって、くわばらくわばらと唱えれば、落雷はないと考えられたらしい。
 では、なぜ桑畑には落雷しないのか。その理由は、桑が特別な樹であるからにほかなら ない。中国神話では、東の海の果てに巨大な桑が2本生えており、これを扶桑と呼んでい る。われわれが見る太陽は、この扶桑を伝って、天空に昇っていく。いわば扶桑は太陽の 象徴でもある。一方、雷は雷雨であり、晴天をもたらす太陽とは対極にある。いわば雷に とって、扶桑、すなわち桑は大敵なのである。ゆえに、桑畑だけには、落雷できないとい うことらしい。
 だが、この神話、どこか『旧約聖書』の「創世記」に出てくるエデンの園に似ている。 エデンの園には、2本の樹が生えており、それぞれ「知識の樹」と「生命の樹」といった 。エデンの園は楽園であり、神の光に満ちていた。
中国神話の扶桑とは「知識の樹」と「生命の樹」のことではないのか。ユダヤ教神秘主 義カッバーラ(カバラ)では、奥義を「生命の樹」として表現する。象徴としての「生命 の樹」の図形は三本柱から成っているが、扶桑の「桑」という文字には、「又」が3つ含 まれている。そして、「生命の樹」の象徴図形では、ジグザグの雷光が描かれることもあ るのだ。
 さらに、日本語で、桑原=クワバラとは、カバラ=カッバーラに通じる。中国の扶桑神 話とカッバーラが同根であることを知っていた人間が掛詞として、呪文「くわばらくわば ら」を広めたとは考えられないだろうか。
 犯人は、秦氏である。
 秦氏の秦は機織の機=ハタであるといわれるように、秦氏は古来、養蚕業を生業として きた殖産豪族である。養蚕は、ご存知のように蚕を飼う。蚕の食料は桑の葉である。つま り、古代の桑畑のほとんどは秦氏の管理下にあったと推測できる。
 そして、もうひとつ。陰陽道である。古代の呪術は、ほとんど陰陽道から来ている。陰 陽道は大陸から伝来した呪術体系で、それらを担っていたのは渡来人、もっといえば秦氏 だったのだ。
 菅原道真の怨霊を占ったのも、陰陽師である。陰陽師とは表の呼び名であって、裏の呼 び名は漢波羅という。漢波羅とはカンバラで、その語源はカッバーラにある。
 先ほど、菅原道真の菅原をカンバラと音読みしたが、ひょっとすると、これは暗号で、 菅原道真自身、優秀な陰陽師、すなわち漢波羅だった可能性もある。
 と、このように呪文「くわばら」を仕掛けたのは、秦氏だったとみて、ほぼ間違いない 。日本人は知らず知らず、秦氏の呪術を口にしていたというわけである。
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