総目次 旧約聖書とモーセ五書/旧約成立年表/列王名表/エレミヤ年表/トップ頁
43、エレミヤ書4、(26章〜35章、受難記1)―――――――――――――新しい契約
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前回の25章で、第一人称(わたしエレミヤ)で記述した、いわゆる「エレミヤの託宣」は終わります。26章以降は、第三人称記述で、弟子バルクによるといわれる「受難記」、エレミヤの政治的活動が逸話的に記されます。
受難記の前半(35章迄)は、エレミヤの言動と諸事件。後半(37章以降)は、王との関わり、エルサレム陥落と敗戦処理が書かれています。
エレミヤの神殿説教(26章)―神殿侮辱罪
ヨヤキム王の治世の始めに、神殿で行われたエレミヤの説教(7章と同じ)の波紋が再記されます。ユダ王国の存立の基礎であり、信仰の中心であるエルサレム神殿が崩壊するという、エレミヤの発言は、神殿侮辱罪として当局の怒りを買い、殺されそうになります。
しかし幸いなことに、エレミヤを支持する高官と長老が、昔の預言者ミカの前例(ミカ3・12−シオンは耕されて畑となり/エルサレムは石塚に変わり/神殿の山は木の生い茂る丘となる)と)があることを取り上げて、助け船を出してくれたので、危うく助かります。
全く同じように神殿崩壊を預言した、もう一人の預言者ウリヤはエジプトに逃亡しますが、捕らえられ引き戻されて、ヨヤキム王に斬殺されます(19・20〜24)。エレミヤは、支持者のおかげで、殺されなかったとあります。祭司と預言者(王権派)と高官・長老(民とすべての者の代表)との間に対立があることがうかがえます。
軛のデモと預言者ハナンヤとの抗争(27章、28章)――バビロン政策を巡って
ゼデキヤ王の治世の始めです。ヨヤキン王は、第一次バビロン捕囚の人質としてバビロンに連れ去られたので、代りに擁立されたゼデキヤ王の祝賀のため諸国の表敬使節団がきました。
その大勢の前で、神託を受けたエレミヤは、バビロンへの服属を象徴する軛(くびき)の横木と綱を作って、自分の首にはめてデモをします(イザヤがかってやったように、イザヤ20章)。バビロンへの服属を勧告して、周辺諸国の反バビロン同盟結成の動きを警告したのです。
27:11
しかし、首を差し出してバビロンの王の軛を負い、彼に仕えるならば、わたしはその国民を国土に残す、と主は言われる。そして耕作をさせ、そこに住まわせる。と。
エジプトの力を頼り、バビロンの支配に抵抗しようとする勢力と対決するエレミヤの決意表明です。エレミヤはあくまで、バビロンへの服属が神の意志だと信じていました。
一方、預言者ハンヤは神殿の前で主の言葉として、全く反対のことを預言します(28章)。バビロンへの服属を拒否し反乱すれば、その桎梏(軛)は打ち砕かれる。今の第一次補囚は、2年で終わり、接収された神殿祭具も戻ってくる。またヨヤキン王(エコンヤ)と、補囚民も帰還する、というバビロン反抗と独立を煽動した愛国的な神託です(28・3〜4)。
それに対して、
28:6 預言者エレミヤは言った。「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように。どうか主があなたの預言の言葉を実現し、主の神殿の祭具と捕囚の民すべてをバビロンからこの場所に戻してくださるように。
28:7
だが、わたしがあなたと民すべての耳に告げるこの言葉をよく聞け。
28:8
あなたやわたしに先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。28:9 平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる。」
すると、抵抗独立派の預言者ハナンヤはエレミヤのはめていた軛を取り外し、粉々に砕きます。「そこで、預言者エレミヤは立ち去った」(28・11b)と、熱狂者とあえて、声高に争わないエレミヤの冷静な姿(※1)があります。
「預言者ハナンヤは、その年の7月に死んだ。」(28・17)とあります。
エレミヤの手紙(29章※2)―補囚民への慰めと反バビロン派
バビロンに捕えられたエコンヤたち第一次補囚民との文通は自由であったようです。望郷の思いの捕囚者に、エレミヤは慰めの言葉を送ります。主に信頼し、敵地バビロンで家庭を持ち、腰を落ち着けて暮らせといいます。
29:5 家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。
29:6 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。
29:7 わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。
早く帰りたいと、焦って軽挙盲動を戒め、そちらの預言者の幻想に惑わされるなと戒めます。そして、補囚は長引くが、70年で終わると安心させます(29・10)。
しかし、補囚地の反バビロン派は、偽りの預言をして補囚民に不安を与え、またエルサレム残留の親エジプト派と連絡をとり、バビロンに対する反乱・蜂起などを画策します(24章「良いいちじくと悪いいちじく」と関係あり)。エレミヤの親バビロン的行動を封じようとします。その動きに対するエレミヤの反撃が、シェマヤに対する審判(29・24〜32)です。
補囚地バビロンにいる預言者シェマヤが、エルサレムにいる祭司と残留者に手紙を送り、エレミヤは手紙でこちらの補囚民に干渉しているとして、エレミヤを拘留するよう求めます。その手紙を見せられたエレミヤはシェマヤを偽預言者として断罪する神託を告げます(29・30〜32)。
回復の預言(30章〜31章25)――北イスラエルの復権
主がエレミヤに臨んだ言葉として、ヤコブの災いと救いが述べられ、来るべき繁栄が約束されます(30:10〜19、後代の書き込み、※3ともいわれる)。そして
30:21 ひとりの指導者が彼らの間から/治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので/彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて/わたしに近づくであろうか、と主は言われる。
と、北イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来ることが述べられます。
そして、特に北イスラエル(エフライム)に対する思い入れが語られます。
わたしはイスラエルの父となり/エフライムはわたしの長子となる。
31:20 エフライムはわたしのかけがえのない息子/喜びを与えてくれる子ではないか。彼を退けるたびに/わたしは更に、彼を深く心に留める。彼のゆえに、胸は高鳴り/わたしは彼を憐れまずにはいられないと/主は言われる。
しかも、何とその北イスラエルが、ユダを保護すると預言します。背いた女エフライム(北イスラエル)が男ユダを保護(※4)するというのです。
31:22 いつまでさまようのか/背き去った娘よ。主はこの地に新しいことを創造された。女が男を保護するであろう。
しかし、これは「楽しい夢だった」と。エレミヤのユーモアとされています。
31:26 ここで、わたしは目覚めて、見回した。それはわたしにとって、楽しい眠りであった。
先に滅んだ父祖の国、「背き去った娘」北イスラエルに対する熱い思いが語られます。エレミヤは北イスラエル部族出身(※5)だからでしょうか。
新しい契約(31章27〜37)―律法の破棄と更新
エレミヤは、申命記の因果応報論を否定し、自己責任を強調します。
31:29 その日には、人々はもはや言わない。「先祖が酸いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く」と。31:30 人は自分の罪のゆえに死ぬ。だれでも酸いぶどうを食べれば、自分の歯が浮く。
今の罰は祖先の罪のせいではない。自分自身の責任なのだと、自立/自律を説きます。
そして、シナイ契約と神殿信仰を超えた、新しい契約の到来を預言します。律法が不用とされる、600年後の新約の予告です。イエス・キリストによって、成就されるのです。
31:31 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
31:32 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
31:33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
31:34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
教えられた申命記律法(申命記11・18〜20※6、30章)をいくら守っても、駄目なものがある。人間の意志だけでは、どうにもならない。神の赦しと救いが、必要だとします。
もし、人間が全知全能であるなら、その罪のために神はイスラエルを拒否することがある。
31:37 主はこう言われる。もし、上においては、天が測られ/下においては、地の基が究められるなら/わたしがイスラエルのすべての子孫を/彼らのあらゆる行いのゆえに/拒むこともありえようと/主は言われる。
しかし、人間は全知全能ではない。従って、人間の不完全さによる罪を、神は赦さざるを得ないというのです。これが神の愛です。
言い換えれば、申命記律法を守っているから、自分は正しいというのは、傲慢だということです。これは、エレミヤが、申命記律法を信奉する頑なな預言者たちとの戦いで得た体験的信念です。
エレミヤ獄中で、故郷の畑を買う(32章)−絶望の中で希望を
エレミヤが獄中にいた時のことです。エルサレムが包囲され、落城を目前にした混乱期に、親戚に頼まれて故郷アナトトの畑を買います。
32:24 今や、この都を攻め落とそうとして、城攻めの土塁が築かれています。間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。
32:25 それにもかかわらず、主なる神よ、あなたはわたしに、『銀で畑を買い、証人を立てよ』と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです。」
今は、エルサレムの落城寸前で、土地を買うなどという時ではない。とても将来のことなど考えられない。しかし主の託宣は、必ず民は復興して、「この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る」(32・15)というのです。
エレミヤの祈りに(32・16〜25)答えて、神の復興の約束が宣言されます(32・26〜44)。
エルサレムの復興(33章)―ダビデ契約の更新
獄舎に繋がれていた時、臨んだ神託が記されています(後代申命記史家※7の挿入とされる)。ダビテ契約(サムエル下7・12〜16、※8)が再締結されるというのです。
33:15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。
33:21 わたしが、わが僕ダビデと結んだ契約が破棄され、ダビデの王位を継ぐ嫡子がなくなり、また、わたしに仕えるレビ人である祭司との契約が破棄されることもない。
33:22 わたしは数えきれない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす。
33:25 主はこう言われる。もし、わたしが昼と夜と結んだ契約が存在せず、また、わたしが天と地の定めを確立しなかったのなら、33:26 わたしはヤコブとわが僕ダビデの子孫を退け、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶことをやめるであろう。しかしわたしは、彼らの繁栄を回復し、彼らを憐れむ。」
エルサレムの奴隷の開放(34章)―バビロン軍包囲の中で。
バビロン遠征軍にエレサレムが包囲された落城寸前、ゼデキヤ王は食料不足で養えなくなった奴隷を解放する契約を民と結びます。これは善政として、神から誉められる託宣をエレミヤは告げます(34・15)。
しかし、一時バビロン軍が包囲を解いたので、危機が去ったと思ったゼデキヤ王は、再び奴隷たちを強制収容して、奴隷の身分に戻してしまいます。契約を破ったゼデキヤに宣告します。再びバビロン軍は来襲してきて、エルサレムは陥落し廃虚になるだろうと。
34:21 ユダの王ゼデキヤと貴族たちを敵の手に、命を奪おうとする者の手に、すなわち一時撤退したバビロンの王の軍隊の手に渡す。
34:22 わたしは命令を下す、と主は言われる。わたしは、彼らをこの都に呼び戻す。彼らはこの都を攻撃し、占領して火を放つであろう。わたしは、ユダの町々を、住む者のない廃虚とする。
レカブ人の忠誠(35章)
何故、ヨヤキム時代の、古いこの事件が挿入されているのか疑問ですが、バビロンの侵攻を避けて、エルサレムに避難していた砂漠の部族レカブ人たちに、エレミヤは酒食をもてなすよう、神託を受けた時のことが記されています。
しかし、レカブ人は、祖先の禁酒の掟を破ることは出来ないと断ります。エレミヤは、
35:16 レカブの子ヨナダブの一族が、父祖の命じた命令を固く守っているというのに、この民はわたしに従おうとしない。35:17 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、ユダとエルサレムの全住民に対して予告したとおり、あらゆる災いを送る。わたしが語ったのに彼らは聞かず、わたしが呼びかけたのに答えなかったからである。」
という神託を民に告げ、父祖の掟に従うレカブ人を賞揚しますが、神に従わないユダは罰を受けるといいます。
以上で、受難記前半を終わります。36章からの後半は、前半の26章と同じ事件との重複はありますが、王たちとの直接的関わりを記述し、いよいよ最後の破滅に向かいます。
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5、北イスラエル出身のエレミヤ
エレミヤは、祭司ヒルキヤの子で、ベニヤミン人とされる(1・1)。故郷アナトトは、旧北イスラエルの田舎で、祭司アビヤタルがソロモン王から追放された所(列王上2・26、27)で、父のヒルキヤは多分アビヤタルの子孫と思われる。したがって、ダビデ王朝に批判的であるのは当然といえる。エレミヤは、北の契約神学を引き継いだホセヤの系列で、伝承史的にも、神学的精神的にも北王国の世界に属している。だからでしょうか北イスラエルへの、思い入れが強い。
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6、申命記の掟―因果応報、11・18〜20、30・15〜20
11:18
あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、11:19 子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、11:20 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
30:15
見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。
30:16 わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。
30:17 もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、30:18 わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない。
30:19 わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、30:20 あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。
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7、申命記史家とエレミヤ書
エレミヤ書には、ダビデ王家の復興の書き込み部分があることから、申命記史家が編集したと言われる。エルサレム陥落の記事が39章と52章両方にあるが、ヨヤキン王解放の記事(52・31〜34)のある52章が、申命記史家の書き込みとされる。バルクがまとめた原エレミヤ書の、ダビデ王朝の廃絶記事に不満をもった申命記史家が修正の意図で、各所にダビデ王朝復興を書き入れたと思われる。
ダビデ王朝支持のイザヤは申命記史家には歓迎され、申命記史家の書いた列王記では、イザヤについては詳しいが、反対に王権無視の、エレミヤについては冷淡で少しも触れていない。一方、祭司が書いた歴代誌では、エレミヤを取り上げている(歴代下35・25、36・21)。エレミヤは、祭司グループには歓迎されたのである。またアブラハムが出てくるのは、エレミヤ書では、ここ(33・26)だけで、後代の書き込みであることが判る。もともとアブラハムは、南の伝承です。北の伝承では、ヤコブです。
※ 8、ダビデ契約―サムエル下7・12
主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
7:12 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
7:13 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。
7:15 わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。
7:16 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」