2008年03月31日
「医師失格」の小さな反響(14) :政治評論家・本澤二郎
<北口弁護士に御礼>
夢をよく見るようになって大分経つ。以前なら目を覚ました瞬間に忘れてしまうのだが、最近は夢に登場する人物を覚えている。仕事柄、政治家だったりする。小泉純一郎氏や小沢一郎氏などもそんなひとりだ。
夢をよく見るようになって大分経つ。以前なら目を覚ました瞬間に忘れてしまうのだが、最近は夢に登場する人物を覚えている。仕事柄、政治家だったりする。小泉純一郎氏や小沢一郎氏などもそんなひとりだ。
しかし、今朝のはまだ出会ったこともない医療弁護の第一人者である北口弁護士である。夢に現れた北口さんは、勇気の固まりのような庶民派で偉丈夫然としていた。「いいことをすれば、そのうちいいことがあるさ」などと筆者が生意気な言い草をしたあたりで夢の幕が下りた。北口さんとは、民主党の正義・庶民派の河村代議士の紹介である。せいぜいメールでやりとりするくらいの関係だが、拙著「医師失格」を読んでくれたあと、示談でけりをつけた筆者の対応に「惜しかった」と残念がった。実を言うと、この示談処理も弁護士の指示に従っただけであるのだが、確かに指摘されるように裁判で決着つけていれば、東大医学部の掃き溜めのような帝京大学医学部のドブ掃除ができたであろう。医療改革の手助けができた可能性はある。
それにしても、どうしてこんな夢をみたのか、というと、ちゃんとした理由がある。先日、宮城県の薬投与ミスで夫を亡くした伊藤さんから「とても親切にしてもらっている。お礼を申し上げてください」というようなFAXが届いていた。彼女は3年もの裁判で身も心も疲れ果てている。それも依頼した弁護士が必ずしも万全ではない。加害者が有利な状況にあり、そのことが余計に苦しみを増長させている。
とうとう思い余って北口弁護士に資料を送付したのだ。こうした決断だけでも、庶民にとって大変なことである。普通の弁護士なら多忙を口実に分厚い訴訟資料など読んでくれない。筆者の依頼弁護士にも同じことが言えたのだから。幸い、この「小さな反響」を読んでくれており、伊藤さんの事情を知っていたのであろうが、なんと問題の根幹まで指摘する文書まで作成してくれたのだ。伊藤さんは感動して筆者のもとにまで、わざわざ一報してくれたのである。これが夢の原因なのだった。
<Oさんの一報>
「医師失格」執筆動機のひとつは、時事通信の名物記者だった長沼さんが、筆者と同じような運命で苦悩した名古屋の稲垣夫妻が書いた小論を「読むように」と手渡されたからである。稲垣さんは、息子の医療事故を執筆して、そのことを各方面に訴える運動に励んでいた。立派な方である。
最近、長沼さんが「友人のO君がこんなメールを寄こしたので」といって連絡してきた。
というのも、正文の脳に迷い込んだ菌は「虫歯の可能性が強い」と、ここでも書いたのだが、それを読んだOさんは「15年前になるが、職場にいた28歳の女性が虫歯で亡くなった。虫歯はこわい」と知らせてきたのである。
Oさんの話では、彼女はとても忙しい職場にいた。そのため虫歯の治療をいい加減に放置していた。結果、虫歯から菌が脊椎の奥に入り込んで、手遅れの状態で将来ある公務員人生を奪われてしまった、というのである。
正文の虫歯治療に来てくれている歯科医は「肺にはいることもある」と指摘していた。何を言いたいのかというと、虫歯の治療をおろそかにしてはならない、ということである。虫歯のこわさを正文のことで初めて気付いた父親が、筆者なのである。
若くして母親をガンで失った友人から「あなたは病気がどういうものかを知らなすぎる」とよくしかられたものである。
<病気は精神・人間を変える>
病気は人間を変える。精神を変える。これは事実である。人格さえも。白状すると、友人が定期検診でガンを宣告された。途端にいつもと態度が変わり、連絡さえなくなってしまった。いま、どうしているのか。いらつくばかりだが、いかんともしがたい。
筆者もこの3月、自治体の検診を受けた。これまで肺ガンの検診を受けた経験がない。考えなくても、東京や道路上の大気汚染はすごい。以前は他人のたばこの煙を大量に吸わされてきた。最近、肺ガンによる死亡が増大している。検診する理由はいくらでもある。
レントゲンをとると、予想外なことに「影がある」といわれた。いやな予感がする。それから落ち着かない妙な気分に追い込まれてゆく。精神の安定を欠くのであろう。まだ、肺ガンが確定したわけではないのに「肺ガンだと死ぬのか」と思いつめたりする。この先、正文はどうなるのか。よたよたしている高血圧の妻では、面倒を見ることなどできないだろう。不安は新たな不安へと拡大してゆくのである。そうこうするうちに「5人の専門医がレントゲン写真を検討したところ、精密検査を受けるといいといっているが。CTを撮りますか」と伝えてきた。
NOとはいえない。いよいよお陀仏か、と自分で覚悟を決めようとする。こんな場合、誰にもいわないで秘密にしたほうがいい、と今では思うが、その場面では、どうせおしまいなのであれば、早く知らせて周囲に覚悟させたほうがいいのではないか。そう判断して妻にはレントゲンのこと、CTによる精密検査のことを知らせた。
落ち着かない日々が続く。言葉では表現できない深刻な精神状態である。レントゲンから10日あまりだろうか、CTの結果が判明した。なんでもなかった、に安堵した。一転、気分爽快である。
思えば、正文の誤診のときを「医師失格」にも書いたが、息子の脳ガン宣告にも驚愕させられた。地獄さながら、の精神状態であった。
正文のことと、今回の体験から言えることは、ガン宣告はやめるべきではないのか。当人と家族に対して、深刻な精神的な痛手を与えることになる。したり顔に「宣告すべし」という人間がいるのを承知しているが、ごくありふれた人間にとって想像を絶するほど辛い。本人に生きる望みを放棄させかねないため、よくなる治療もよくならないからである。
困難な病気の告知は、可能な限りしないほうが本人と家族に幸運をもたらすものである。体験者として断言したい。 2008年3月21日記
それにしても、どうしてこんな夢をみたのか、というと、ちゃんとした理由がある。先日、宮城県の薬投与ミスで夫を亡くした伊藤さんから「とても親切にしてもらっている。お礼を申し上げてください」というようなFAXが届いていた。彼女は3年もの裁判で身も心も疲れ果てている。それも依頼した弁護士が必ずしも万全ではない。加害者が有利な状況にあり、そのことが余計に苦しみを増長させている。
とうとう思い余って北口弁護士に資料を送付したのだ。こうした決断だけでも、庶民にとって大変なことである。普通の弁護士なら多忙を口実に分厚い訴訟資料など読んでくれない。筆者の依頼弁護士にも同じことが言えたのだから。幸い、この「小さな反響」を読んでくれており、伊藤さんの事情を知っていたのであろうが、なんと問題の根幹まで指摘する文書まで作成してくれたのだ。伊藤さんは感動して筆者のもとにまで、わざわざ一報してくれたのである。これが夢の原因なのだった。
<Oさんの一報>
「医師失格」執筆動機のひとつは、時事通信の名物記者だった長沼さんが、筆者と同じような運命で苦悩した名古屋の稲垣夫妻が書いた小論を「読むように」と手渡されたからである。稲垣さんは、息子の医療事故を執筆して、そのことを各方面に訴える運動に励んでいた。立派な方である。
最近、長沼さんが「友人のO君がこんなメールを寄こしたので」といって連絡してきた。
というのも、正文の脳に迷い込んだ菌は「虫歯の可能性が強い」と、ここでも書いたのだが、それを読んだOさんは「15年前になるが、職場にいた28歳の女性が虫歯で亡くなった。虫歯はこわい」と知らせてきたのである。
Oさんの話では、彼女はとても忙しい職場にいた。そのため虫歯の治療をいい加減に放置していた。結果、虫歯から菌が脊椎の奥に入り込んで、手遅れの状態で将来ある公務員人生を奪われてしまった、というのである。
正文の虫歯治療に来てくれている歯科医は「肺にはいることもある」と指摘していた。何を言いたいのかというと、虫歯の治療をおろそかにしてはならない、ということである。虫歯のこわさを正文のことで初めて気付いた父親が、筆者なのである。
若くして母親をガンで失った友人から「あなたは病気がどういうものかを知らなすぎる」とよくしかられたものである。
<病気は精神・人間を変える>
病気は人間を変える。精神を変える。これは事実である。人格さえも。白状すると、友人が定期検診でガンを宣告された。途端にいつもと態度が変わり、連絡さえなくなってしまった。いま、どうしているのか。いらつくばかりだが、いかんともしがたい。
筆者もこの3月、自治体の検診を受けた。これまで肺ガンの検診を受けた経験がない。考えなくても、東京や道路上の大気汚染はすごい。以前は他人のたばこの煙を大量に吸わされてきた。最近、肺ガンによる死亡が増大している。検診する理由はいくらでもある。
レントゲンをとると、予想外なことに「影がある」といわれた。いやな予感がする。それから落ち着かない妙な気分に追い込まれてゆく。精神の安定を欠くのであろう。まだ、肺ガンが確定したわけではないのに「肺ガンだと死ぬのか」と思いつめたりする。この先、正文はどうなるのか。よたよたしている高血圧の妻では、面倒を見ることなどできないだろう。不安は新たな不安へと拡大してゆくのである。そうこうするうちに「5人の専門医がレントゲン写真を検討したところ、精密検査を受けるといいといっているが。CTを撮りますか」と伝えてきた。
NOとはいえない。いよいよお陀仏か、と自分で覚悟を決めようとする。こんな場合、誰にもいわないで秘密にしたほうがいい、と今では思うが、その場面では、どうせおしまいなのであれば、早く知らせて周囲に覚悟させたほうがいいのではないか。そう判断して妻にはレントゲンのこと、CTによる精密検査のことを知らせた。
落ち着かない日々が続く。言葉では表現できない深刻な精神状態である。レントゲンから10日あまりだろうか、CTの結果が判明した。なんでもなかった、に安堵した。一転、気分爽快である。
思えば、正文の誤診のときを「医師失格」にも書いたが、息子の脳ガン宣告にも驚愕させられた。地獄さながら、の精神状態であった。
正文のことと、今回の体験から言えることは、ガン宣告はやめるべきではないのか。当人と家族に対して、深刻な精神的な痛手を与えることになる。したり顔に「宣告すべし」という人間がいるのを承知しているが、ごくありふれた人間にとって想像を絶するほど辛い。本人に生きる望みを放棄させかねないため、よくなる治療もよくならないからである。
困難な病気の告知は、可能な限りしないほうが本人と家族に幸運をもたらすものである。体験者として断言したい。 2008年3月21日記