2008年04月24日

「医師失格」の小さな反響(15):政治評論家 本澤二郎

<虫歯治療>
 正文の虫歯治療が4月19日にいったん完了した。週一度、近くの真面目そうなK歯科医が往診してくれたのだ。通常人間であれば、医師が「口を開けて」といえば受診者は子供でも指示に従うのだが、彼にはそうした機能・能力を喪失させられている。だから、無事に終わるまで家族は、ハラハラドキドキの連続であった。しかし、腕のいい歯科医と優しそうな歯科衛生士の努力で見事に乗り切ることができた。感謝したい。7月ごろに、また往診してくれるという。それにしても、睡眠不足や栄養バランスを欠いたりして、体力が落ちているときにバイ菌は容赦なく襲い掛かる、という事実を知らなかった愚か人間にも困ったものである。


 虫歯とて油断大敵である。ただし、これの治療にも腕のいい歯科医を見つけることが大事なのだ。たまたま知り合いの大病院の院長に、医師採用の基準を尋ねると「それはいろいろな医師がいます。採用は甘くない。とはいえ、採用期限とか採用科などの制約を受けていて、思い通りの医師を採用できるとは限りません」という返事をもらった。いい医師との出会いは、医師でも容易ではないのである。
 「医師は皆立派な人たちだ」と10年前までそう決め付けてきたジャーナリストは、その無知に改めてあきれるばかりである。いざという場合、患者の病院・担当医師の選択は、きわめて重要なのである。
<宮城の裁判官>
 数日前に宮城県の伊藤さんがFAXを寄こした。夫を病院の投薬ミスで失った彼女は、現在も裁判で苦しみの日々を送っている。
 「医療界・司法界の摩訶不思議な、欺瞞に満ちた世界に翻弄され、そこに葬られそうです」という感きわまって、なす術を失ったような文面が、冒頭につづられていた。被害者の正当な訴えを受け止めない病院・裁判官によって、夫を奪われた妻までもが人生を奪われる様子がひしひしと伝わってくる。
 「証拠保全したカルテが証拠として扱わない裁判官。主人の死は原因不明で葬られてしまうようです」とも。「多くの医師・看護師が医薬品の過量といっているのに、何ゆえ宮城県ガンセンターだけが通常の使われ方だと主張し、それを裁判官が認めるのか」といって泣く。
 日本人であれば何人も公正な裁判を、良心に従ってくれている裁判官によって受けられる。憲法が約束している。むろん、日本政府も。それなのに現実は違うものなのか。そういえば4月21日、日本記者クラブで会見した日弁連の宮崎誠会長は「最近は裁判官が判決次第でも左遷されなくなった」と語っていた。ということは、お上に不都合な判決を出す裁判官は左遷されるという不文律が、ずっと裁判所内に存在しているのである。それは今後も変わらないだろう。
 目覚めた法曹人の代表は名古屋高裁の裁判官である。イラク派兵に当たり前すぎる憲法違反の判断を下した。彼は政治の暴走を食い止めようと正義の判決を出しのだ。もっとも退官前の最後っ屁との尾ひれもつくが、それでもっても判決の価値が下がるわけではない。圧力団体の日本医師会・自治体の宮城県に屈しない裁判官もいるはずであるが、伊藤裁判を担当している裁判官はごくありふれた人物なのか。左遷を嫌う出世志向派なのか。
 彼女は「政治家にこうした裁判の現実を知ってもらいたい。(北口弁護士の友人である)河村先生に聞いてもらえないでしょうか」とも訴えていた。確かに司法への監視が必要なのだ。政治が変わらないと正義の判決ができないというのでは、あまりにも情けない日本であろうか。
<カルテ>
 カルテというと、医療過誤裁判において決め手となる証拠である。よく問題になるのは、このカルテを改ざんする事例である。罪や責任を逃れるために、医師や病院が診療内容を都合よく書き変えてしまう。犯罪行為であるが、証人が現れないとなかなか立証が困難である。それをよいことに、これが日常茶飯事に行われていると指摘する弁護士もいる。
 伊藤さんの場合は、カルテを証拠にしようとしない。こんなことがあっていいのであろうか。事実であれば、まことにけしからん裁判である。
 正文が一時、帝京と関係する小さな病院に入院していたときのことだが、そこのベテラン看護師が「ここでは胃カメラの検査を資格のない私がさせられていた」という衝撃的な話を打ち明けてきたことがある。当時は息子のことで頭がいっぱいで、それを取材する余裕がなかったのだが、人間の命を扱う医療機関でもおかしなことが大っぴらに行われているのであろう。医療機関の現場を知らない裁判官が伊藤事件を担当しているのであろうか。
 伊藤さんの夫の場合は、担当医が自宅の電話で過量投薬を当番看護師に指示するだけで、患者を診ようとしなかった。これだけでも過失責任を問われて当然だろうが、伊藤さんは筆者同様に刑事告訴しなかった。
 正文の場合、入院当初のカルテがなかった。裁判所の命令で証拠保全したにもかかわらず、である。院長に問い詰めると「現在はカルテを作るように各医師に指示している」といういい加減な回答が返ってきた。
 どっこい、カルテを教授の机の上で見たと証言してくれた善良な医師が現れた。病院と医師がカルテを隠匿したのである。これも犯罪であろう。悪質である。
 しかし、伊藤さんのケースはカルテがあっても裁判官が、それを信用せずに却下したという。こんなふざけた訴訟指揮が許されていいのだろうか。まさか定年後、宮城県の永久顧問弁護士になるのではないだろうに。ひどい裁判官である。
<医師不足?>
 最近、医師に関係するマスコミの報道が目立つ。医師が少ない。それでいて多忙のきわみ、だというのである。小児科医や産婦人科医が少ないという。
 そうであるならば、医師をどんどん増やせばいい。なぜ増やそうとしないのか。政治を自在に動かせる医師会である。「もっと増やせ」と運動すればいいのだが、そういった動きをしているということを聞かない。逆に「増やすな」と指示しているのではないのか。
 弁護士は大量に増やしているのだが、仕事がなくて困っているという話が多く耳に届く。
 しかし、医師の仕事は人の命と直接関係している。あぶれるくらいのほうが市民はありがたい。増やせ、と訴えたい。むろん、多少とも医師の懐具合は悪くなるが、開業医が倒産したということを聞いたことがない。それよりもベンツ・別荘・めかけという3悪イメージが、今もまとわりついている。「赤髭」といわれるような医師が少ないどころか、いない。
 いつもいうのだが、これは医師に限らないが、人間性が基本だ。医師も弁護士・裁判官も人間性がなければ、人々に幸運をもたらすことは出来ないだろう。政治家・官僚も、である。人間の心を持った医師を生み出す責任が政府・自治体にある。
 医療被害者の運動は、このことに重心を向けるべきであろう。人間の心さえあれば、過誤を認めて謝罪する。それを公表して二度目の失敗をなくす。小学生でもわかるこれが、医療改革の基本である。そうすれば、おかしな裁判も少なくなる。医療事件・事故も少なくなるであろう。第二、第三の伊藤さんのような悲劇を作らないで済むのである。      2008年4月22日記

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