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| ■ 市民から高まる反戦の声 |
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力と報復の論理がまかりとおる世界に反発して、平和を求める人々の声も世界中で強まっています。イラク戦争が起きたころ、戦争に反対するデモが計画されると、情報はインターネットなどを通じてまたたく間に共有されました。そして反戦のデモには、世界中で1000万人が参加。これまでにない地球規模での反戦行動となりました。
攻撃自体は止められなかったものの、フランスやドイツでは圧倒的な世論に支持されて、政府は攻撃反対をつらぬきました。またスペインでは、政府がイラクから軍隊を引き揚げる決定をしました。市民の行動が、政治を大きく動かしました。 |
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『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方―エコとピースのオルタナティブ』
田中優著 (合同出版)
今の経済や社会のしくみをどう変えていけば戦争や環境破壊をなくせるのか、そのために私たち1人1人に何が出来るのかを紹介しています。 |
| 『戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法』 (合同出版) |
| 『非戦』 坂本龍一編 (幻冬舎) |
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| ■ 地雷禁止国際キャンペーン |
もう一つ、市民が国際政治を動かした象徴的な出来事として、「地雷禁止国際キャンペーン」があります。世界には7000万個の地雷が埋められていて、このため毎日数十人が亡くなっています。地雷は戦争が終わったあとも無差別に人々を殺傷し続けるのです。「地雷禁止国際キャンペーン」は、「地雷を廃絶しよう」と言う目的でアメリカとドイツで始まり、世界90カ国以上、1000のNGO(非政府組織)が参加するネットワークに拡大しました。そして1997年には対人地雷禁止条約の締結を成功させ、ノーベル平和賞を受賞したのです。市民が一致団結し、国際的な問題の解決に力を合わせて取り組んだことが実を結びました。
キャンペーンの中心人物でアメリカ人のジョディ・ウィリアムズさんは、「地球市民」という意識が大切だとした上で、「もし本当に望むのなら、私たちは世界を変えることが出来ます。そのためには何かを行なう必要があります。平和のために素晴らしいことを語っているだけでは、充分ではないのです。実践することが私たちの権利であり、責任なのです。」と話しています。 |
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| 『地雷ではなく花をください』 (自由國民社) |
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| ■ 戦争を放棄した日本 |

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第二次世界大戦後の60年間で、一度も戦争をしなかった国は、スイスやアイスランド、ブータンなど、数えるほどしかありません。そして、日本もその一つです。
過去に悲惨な戦争を起こして周辺の国々を苦しめ、さらに世界で唯一、広島と長崎に原子爆弾を落とされた日本は、その反省と悲しみから、戦後、憲法で戦争を放棄しました。「力と報復の論理」によらずに平和な世界をつくろうと決意したのです。 |
日本国憲法の第9条には、次のように書かれています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
平和憲法の考え方は国連憲章に近いものです。世界では他にも、フィリピンやハンガリーなどが憲法で戦争を放棄しているほか、中南米のコスタリカが憲法で軍隊を持つことを禁止しています。またカンボジアやパラオでは憲法に核兵器廃絶をうたっています。 |
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『日本という国』 小熊英二著 (理論社)
近代日本のはじまりから学歴社会の成立、戦後のアメリカやアジアとの関係、そして憲法や自衛隊の海外派遣まで、今の日本を考えるうえで欠かせない基礎知識をやさしく提示している。 |
| 『高校生からわかる 日本国憲法の論点』 伊藤真著 (トランスビュー) |
| 『映画日本国憲法読本』 (フォイル) |
| 『平和をつくる教育―「軍隊をすてた国」コスタリカの子どもたち』 早乙女愛著 (岩波ブックレット) |
| 『戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在』 藤原帰一著 (講談社現代新書) |
| 『みんなの9条』「マガジン9条」編集部編 (集英社新書) |
| 『憲法九条を世界遺産に』 太田光・中沢新一著 (集英社新書) |
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| ■ 戦争するのはヒトの本能? |
「ヒトには闘争本能があるから、戦争はなくならないよ」などと絶望的に語る人がいます。本当にそうでしょうか。
1986年、ユネスコの呼びかけで世界の科学者が集まり、「暴力に関するセビリア声明」を発表しました。そこでは、戦争や暴力は人間の「本能」ではなく、それらは文化的・社会的に引き起こされるものであること、人間という種の生存にとってむしろ「協力」することが重要であり続けてきたことを指摘しています。そして、「「戦争は人の心の中ではじまる」のと同じように、平和も人の心の中ではじまる。戦争を発明した人間という種は、平和を発明することもできる。責任は各人の肩にかかっている」と結んでいます。
「戦争」という、同じ種の生きものを集団的・組織的に殺す行動はヒト以外の動物には見られないものです。ライオンは草食動物を襲いますが、それは食物連鎖のルールに従って食べて生きのびるために必要な範囲でするのであって、食べるためでもないのに殺すことはありません。
考古学者によると、狩猟採集の社会では本格的な戦争は見られず、農耕が始まってから戦争が起きるようになりました。富をたくわえ土地を所有するようになって貧富の差が生まれ、さらに社会を支配する立場の者が出てくるようになってからのことです。日本列島でも、狩猟採集の生活を主としていた縄文時代には戦争はなかったとされています。大陸から稲作をする人たちが渡ってきて弥生時代になると、集落のまわりに外敵を防ぐ壕などが見られるようになるのです(吉野ヶ里遺跡など)。
またその後も、戦国時代には戦争が続きましたが、江戸時代のように250年も戦争しなかった時代もありました。江戸時代は武家社会でしたが、幕府は鉄砲をきびしく規制する「軍縮」を進め、海外に侵略することもありませんでした。しかし明治維新後は軍事力を強化して「大国」をめざし、海外に勢力をのばそうとして何度も戦争を引き起こすようになります。これを見ても、戦争が起きるかどうかは社会のあり方によって変わることがわかります。
そして、科学技術の発達が戦争をひどく悲惨なものにしてしまいました。弓矢や刀から鉄砲、大砲、機関銃、戦闘機、核兵器と、一度にたくさんの人を殺せる技術が発達し、そうした兵器を作る産業がビジネスとして成長してきたのです。そのため、戦争で亡くなる人の数は17世紀は600万人だったのが、18世紀700万人、19世紀2000万人、20世紀は1億人以上に達したといわれています。しかも、兵士ではない民間人の死者の割合が増えているのです。
人類は「国」というものを作ってたがいに争ってきました。現在は軍事技術が高度に発達し、世界には全人類を十数回殺せるだけの核兵器があります。一方でグローバル化が進んで各国は深く結びつきあうようになり、国境を越えて友達をつくることも当たり前になっています。また地球環境問題のように、地球上の人類は運命をともにしていることも明らかになってきています。21世紀は、自分の「国」の利害だけを考えるのではなく人類全体の未来を考え、おたがいに助けあってこの文明を破壊せずにうまく続けていくことが大切なのです。 |
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『人はなぜ戦うのか―考古学からみた戦争』 松木武彦著 (講談社選書メチエ)
縄文時代にはなかった戦争が、弥生時代、「先進文化」として到来した。戦争発展のメカニズムに迫る。 |
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