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砂川裁判:密談文書 「司法の独立、どこへ」 元被告、怒りあらわ

 ◇1審裁判官「面識あるの当然」

 60年安保闘争へと続く米軍基地を舞台とした砂川闘争での基地侵入事件(砂川事件)の判決をめぐり、駐日米大使と、最高裁長官、外相が接触を重ねていたことが米国の外交文書で明らかになった。文面からは、安保体制への影響を最小限に抑えようとの米国側の狙いが浮かぶ。当時の被告は「司法の独立はどうなるのか」と怒り、元裁判官は「司法行政のトップが大使と話すことはありえる」と長官を擁護した。【井崎憲、武本光政】

 7人いた事件の被告のうち当時学生としてデモに参加していた土屋源太郎さん(73)は「外国の大使に長官がなぜ審理見通しを語らなければならないのか。けしからん話だ」と批判した。

 裁判では、大使からの「アドバイス」もあり、政府は最高裁に跳躍上告。60年の日米安保条約改定に間に合わせるように、59年12月に最高裁が判決を出し、無罪や米軍駐留の違憲判断はくつがえった。「3審を受ける権利を踏みにじられたと思うと悔しい」と話した。

 上告審弁護団の一人で、元参院議員(共産)の内藤功弁護士(77)は「危惧(きぐ)はしていたが、実際にここまでやっているのかと驚いた」と述べ、「今後も安保条約や自衛隊の絡む訴訟は監視しないといけない」と話した。

 1審判決で陪席裁判官だった松本一郎独協大名誉教授(77)は「大使がかなりショックを受けて、慌てふためいていた感じがする。初めて聞く話で、興味深い」と述べた。一方で田中耕太郎・最高裁長官と大使との接触については「最高裁長官は司法行政の長というポスト。米国大使とは当然面識があっただろうし、仮に大使が電話をしてきたとして、『話をしません』とは言えないだろう」と冷静に受け止めた。

 米大使と密談したとされる田中長官は、内務官僚や文相を経て50年から10年間、第2代長官を務めた。55年にあった裁判所長らの会合では「ジャーナリズムその他一般社会の方面からくる各種の圧迫に毅然(きぜん)としなければならない」と訓示し、話題となった。74年に死去。

 1審東京地裁の判決を出した伊達秋雄裁判長は退官後、「外務省機密漏えい事件」の弁護団長などを務め94年に死去している。

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 ■大使が最高裁長官と密談したことを示す文書の全文■

 (日本語訳)最高裁は4月22日、最高検察庁による砂川事件の東京地裁判決上告趣意書の提出期限を6月15日に設定した。これに対し、弁護側はその立場を示す答弁書を提出することになる。

 外務省当局者が我々に知らせてきたところによると、上訴についての大法廷での審議は、恐らく7月半ばに開始されるだろう。とはいえ、現段階では決定のタイミングを推測するのは無理である。内密の話し合いで担当裁判長の田中は大使に、本件には優先権が与えられているが、日本の手続きでは審議が始まったあと、決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかると語った。 マッカーサー

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 ■砂川事件を巡る動き(<>内部分は今回文書で明らかになった)

51年 9月 8日 日米安保条約締結

57年 7月 8日 米軍立川基地の拡張反対派が基地内に立ち入る

    9月22日 警視庁が反対派23人を刑事特別法違反容疑で逮捕(後に7人が起訴)

59年 3月30日 東京地裁が違憲判断し7人に無罪判決

      31日 <マッカーサー大使が藤山外相に最高裁への跳躍上告を勧める>

    4月 3日 検察側が跳躍上告

      24日 <大使が、田中耕太郎・最高裁長官との密談を米国務長官に電報で報告>

   12月16日 最高裁が合憲判断で差し戻し

60年 1月19日 新安保条約締結

    7月 7日 東京地裁で差し戻し審開始

61年 3月27日 東京地裁が合憲判断で7人に有罪判決

63年12月25日 最高裁が上告棄却を決定。有罪確定

77年11月30日 米軍立川基地が横田に移転し、日本に全面返還

毎日新聞 2008年4月30日 東京朝刊

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