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Edie Sedgwick / イーディ・セジウィック [ 1943 - 1971 ]

1943年4月20日、カリフォルニア州サンタバーバラ生まれ。
8人兄弟の7番目。
本名イーデス・ミンターン・セジウィック。

父は牧場を経営するフランシス・ミンターン・セジウィック
サージェントの絵に
母アリスの父は、「サザン・パシフィック鉄道」の社長で、
住民よりマンハッタンを手に入れた「オランダ西インド会社」の子孫にあたる。
名家
 

  9歳 牧場から石油が出てさらに広大な牧場に移る。
  13歳 寄宿学校に入るが拒食症で出戻る。
  15歳 別の学校に入り、19歳のとき精神病院に入院。
  20歳 妊娠、中絶し、美術学校に入る。
  21歳 兄(三男)が自殺、22歳で兄(長男)が事故死。
'64年   ニューヨークへ モデルに
'65年   「ガール・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。
    アンディ・ウォーホルと出会い、4か月で11本のウォーホル映画に出演。
    '65年3月頃から'66年2月までのおよそ1年間、ファクトリーに。
    63-65 TIME LIFE VOGUEの表紙
  23歳 ウォーホールと離れ、ボブ・ディランとつきあうが破局。
  25歳 実家に戻るものの精神病院へ。
'71年 28歳 病院で知り合ったマイケル・ポストと結婚。
11月15日結婚した4ヶ月後、睡眠中に窒息死。
上流階級からポップアートのミューズになった希有の人。

アンディー・ウォーホルのファクトリーに出入りするようになり、
ベイビー・ジェーン・ホルツァーに代わってウォーホルの大スターになったと同時に、
いちやくマンハッタン・ナイトライフの女王となる。

そのときのイーディの印象を、当時、『ヴォーグ』こそが自分の全意識だったというパティ・スミスは「しめた、これだと思った」と言っている。「輝く知性とスピードはこういうふうに一緒になればいいんだ」ということが、イーディの黒のレオタードとラフなボートネックのセーターのポーズを見て、すぐにわかったという。

『ヴォーグ』の名編集長、ダイアナ・ヴリーランドは、
22歳になったばかりのイーディを「ユースカルチャー」と名付けている。

あたりかまわず人を罵ったボブ・ディランも、悪魔のようなジム・モリソンも、どうやらイーディだけにはぞっこん。
ディランは"Blonde On Blonde"を捧げる。

共演したベイビー・ジェーンは「いつも彼女を待ってばかりいたわ。とてもルーズで美しくてパーフェクトでアメイジング!」と彼女を語っている。
「VOGUE」のユースクエイカー特集をくまれたりするが、ドラッグに溺れに溺れ、
ウォーホルに散々利用され(だって'68年の雑誌のインタビューでイーディーはどうしてるか聞かれたとき、
そんな子知らないって言い放ったんだよ)

アンディー・ウォーホルのファクトリーの一員。モデルとして「VOGUE」「ELLE」の表紙を飾る。
良家の才女だった彼女の人生は 
実の父への嫌悪感から拒食症にかかり精神を病み その後の人生も波瀾にみちたものだった
ウォーホルとの仲も短期間しか続かなかったと言われている
ヴォーグ誌のモデル契約もドラッグが原因で打ち切られ 精神病院の入退院を繰り返し。

アイドル1号 ベビー・ジェーン・ホルツァー
アイドル3号 ニコ
アイドル4号 ヴィヴァ

 
 
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