楊等はフランスの指揮官の二人の首を持ち 香港へと向かった。 楊は「朗報をお待ちください。必ず良い知らせを北京より持ってまいります。」と言った。 劉永福は「お前の叔父上には悪いことをした。」と言った。 楊は楊著恩のことを思い浮かべると幾分悲しかったが 劉を悲しませまいと「私なら平気です。叔父上もベトナムや真のために命をかけることができて 天国では誇りに思っていると思います。」と言った。 劉永福は「それでは後の事はすまないがよろしく頼む。」と言うと悲しそうな顔をした。 黄飛鴻も「じゃあな 元気でな。」と言うと手を振りながら分かれた。 彼らはフランス軍を打ち負かしたもののどことなく哀しい別れをした。 楊は楊著恩の骨灰を壷の中に入れて彼らの元を去った。
そして黒旗軍と黒天会もまた互いに別れを惜しんだ。 彼等の友情は固い物であった。
さて趙白狼は蘭と令を治療していた。 趙白狼は「蘭は瀕死の状態だ。 動かす事は出来ない。先に清に帰っていてくれ。」と楊に言った。 令は「俺は蘭が心配だから後から帰るよ、楊兄貴。」と楊に言った。。 楊は「ああ 蘭を見守ってくれ お前しか蘭は頼る者がいない。」と言った。 蘭は未だに意識が戻らないでいた。 令と東トルキスタン育ちのおおきな白い狼は共に玉蘭を看護した。 令を覚えている大きな白い狼はまるで人語を解するように令の言うことをよく守った。 そして楊は趙白狼に向かって「蘭の事 よろしく頼みます。」と頭を下げて頼んだ。 趙白狼は「ああ 最善を尽くす。」と言った。 服部半蔵は横から出てきて「これは西洋の薬です よろしければお使いください。」と言いながら薬を手渡した。 趙白狼は「かたじけない。」と言うと十三代目服部半蔵から西洋の塗り薬と飲み薬を受け取った。 令らは狼らと共にハノイに玉蘭の意識が戻るまで残留した。
楊等は令と一部の紅天会の連れのものを残して別れを告げると香港へとむかった。 武器も一部は黒旗軍とベトナム軍に提供したままで帰途についたので幾分馬車は軽かった。 特に弾丸などはほとんど置いて来たのだった。
楊は「今回はフランス指揮官の首を取り 他の人間の殺害は最小限に抑えたな。」と半分喜んでいた。 だが叔父と蘭が負傷したのでその喜びも少し哀愁を帯びていた。 服部半蔵は「全くだ 楊兄者 今回はうまく言ったな。」と喜んで答えた。 黒天会は「だけど本当に土組の技には本当に驚かされたよ。すごいですね。 半蔵殿。と日本の忍者特殊部隊を賛美した。」 楊は頷きながら「全くだ 君等がいなければ苦戦は間逃れなかったよ」と言った。 第十三代目服部半蔵は「いや 蘭の痺れ薬の出来がよかったんだよ。」と蘭を褒めた。 土組は心配そうに「蘭さんが無事に帰って来れればいいけど。」と言った。 楊等も「確かに、、。死なないでほしい。」と天を仰いだ。 普段は平気で馬鹿とか罵り合っているが、本当は蘭に好意を抱いていたのだった。 全員押し黙った。 蘭は紅天会尾を率いて 食事を作ったり 洗濯などをしてくれて どれほど 黒天会や土組が助かったのかわからない。 彼らは軍艦で歌う彼女等を見てどれだけ心が癒されたのかわからない。 全ての戦場の兵士が癒されていた。 その紅天会の本来戦闘の最前線に加わるはずの無い蘭が意識不明の重態と言う事は 彼らにとっては哀しい事実であった。
彼らは香港で石炭や木炭の燃料や食料などを仕入れると 急いで上海へと急いだ。 彼らはこの勝利をいち早く天津の李鴻章に知らせたかったのだ。
令は欄の看病に当たっていた。 劉永福も黄飛鴻も彼女の安否を心配していた。 彼女の痺れ薬のおかげで 負傷者は多かったが 死者は最小限に抑えられ おまけに司令官の首を二つも取ったのだ。 黒旗軍も蘭を心配していた。
白狼の巨大な白い狼は自治は銃弾を受けていたが あまり被害は無かった。 外に防弾用の鋼糸の服を着せていた事も原因の一つだが この狼は白狼と共に少林寺の槍刀不入法を鍛錬していたのだった。 その毛もまるで針金のように硬かった。
白い巨大な狼はフランス軍の残した馬を丸まる食べていた。 馬ほどの狼であるから 食べるときには食べた。 この白い巨大な狼であれば 虎やライオンでさえ丸呑みできるであろう。
令は欄の頭に冷やしたタオルを当て 蘭の手を握っていた。 令「頼むから 死なないでくれよ 蘭。 お前の意識が戻ったら 結婚しよう。俺は生涯 お前以外の女は持ちたくないんだ。 頼むから 死なないでくれ 蘭。」
令は白狼らと共に必死に蘭の看病に当たった。 白狼は山に薬草を取り 薬をせんじていた。
この敗戦の報告を受けてフランスのジュール=フェリー内閣は強硬になり 前年フランス,清両国がヴェトナムの独立を承認して結んだ上海協定を破棄し,陸海軍を増派するのであった。。
////////////////////////////////////////参考///////////////////////////////////////////////////////////// 1883年 明治海軍は拡張計画に基づき巡洋艦三隻の建造を計画、英国に「浪速」「高千穂」が、 仏国に「畝傍」が発注された。 1886年(明治19年) 8月竣工、同年10月18日に日本への回航されることとなり、飯牟礼俊住 海軍大尉以下の八名が回航員として乗り組み、仏側は76名の操艦員が乗り組んだ。 12月 3日、最後の寄港地シンガポールを横浜に向けて出港したが、入港予定の13 日になっても到着せず、その後の捜索でも遂に同艦を発見することは出来なかった。 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/nan-unebi.htm ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// そして何時の間にかベトナムも寝返りを打ち始めるのだった。
さて日本で金玉均と朴泳孝が悩んでいた。 日本政府があまりにも冷たくなっていたのだ。
福沢諭吉や稲垣退助はおかしいと感じていた。 彼らはその理由をさぐった。 その原因はなんと日本人自身にあったのだった。 井上外相が必要以上に彼らに冷たく接していたのだった。
話を李氏朝鮮に飛ばす。 李氏朝鮮では清国が派遣したドイツ人メレンドルフが閔妃一族と会議を開いていた。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// Germans in Korea prior to 1910 http://maincc.hufs.ac.kr/~kneider/ //////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
閔妃は怒っていた。 閔妃「あの金玉均は必ず失脚させなければ。」 メレンドルフ「確かに 道路の事についても我々を除外しようとしましたしな。」 外国人が閔妃に傾くのは大院君の排他的なそれまでの行動から自然な流れだった。
あの時金玉均が道路建設を持ち出した時 閔妃一族もその利権に手を出そうとしたが 金玉均は激しく反発した。これを帳の向こうで聞いていた閔妃は怒った。 ともかく 閔妃はどんな利権にも絡んで起きたかったのだ。
閔妃「あの生意気な小僧を陥れる準備は出来ておるかえ?」 メレンドルフ「お任せください。」
閔妃も金玉均が高宗に認められている事を知っていたので下手に手出しは出来なかった。
メレンドルフは清の出してきた顧問であり、正直 メレンドルフも金玉均が五月蝿かった。 彼も彼なりの改革を朝鮮でしたかったのだ。 そこで日本大使館へと足を運んだ。 日本大使館には花房に代わり竹添進一郎が着任をしていた。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// http://www1.odn.ne.jp/ohyano-kankou/01kankou/takezoe.htm 竹添進一郎は漢文で李鴻章を感激させ琉球事件を解決させた。 その功績を認められ 朝鮮の大使に任命されていた。 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
彼が北京在住に旧知の仲となったのがこのメレンドルフであった。 メレンドルフは彼を通じて金玉均を陥れようとしたのだった。 竹添は金玉均を全く知らなかったので メレンドルフの甘言につい引っかかってしまった。 後でそのことを後悔することになるのだが。
金玉均を批判する手紙を時の外務大臣 井上にあてて送ってしまったのだった。
何も知らない井上外相は金玉均を相手にしなかった。 300万円という金額の大きさもさることながら デフレも手伝い 金玉均と朴泳孝は門前払いとなってしまったのだ。
この事情を誰かが調べればよかったのだが いろいろあって誰も井上外相と竹添の関係に 気付く者はいなかった。 金玉均はただただ いろいろな方面に足を運び頭を下げるしか手立ては無かった。
さて朝鮮ではその頃 よからぬ動きがあった。 メレンドルフと閔妃が新しい貨幣を作りそれを市場に流通させていたのだ。 そのために市場はインフレになり 経済は混乱していた。 しかし 閔妃は貨幣を使うだけで元手入らず 天下を我が物としていたが 民衆の苦しみはだんだん募っていた。
さて朝鮮半島に袁世凱と黄空悟と馬美紀は再び着任していた。
馬建常とメレンドルフが朝鮮半島を仕切る中 彼らはそれを見守っていた。 馬建常と美紀は親戚であった。 馬建常「おい 美紀。お前の活躍のおかげで大院君も逃す事もなくうまく捕まえられた。 これはその褒美だよと金子を渡した。」 馬美紀「有難う叔父様。叔父様だって 袁世凱と一緒にいろいろと工作をしてくれていたでしょう。 本当に袁世凱は感謝していたわよ。」 馬建常「袁世凱はなかなか切れる奴だな。お前とは仲間なのか?」 馬美紀「ええ そうよ。私 時々彼に武術を教えているのよ。」 馬建常「之は頼もしいな。お前のような者がいて 私も安心して馬家を見守る事が出来るな。」 馬美紀「ところで 本当にここには何も無いわね。」 馬建常「本当にそうだ。それどころか借金だけがある。早く開拓をしなければならないな。」 馬美紀「そうね もう どうせだから 日本人に開拓させれば?」 馬建常「いやいや それはいかんよ。 なんせ この李氏朝鮮は我が国の属国だからな。」 美紀「じゃあ 私達は大きな顔が出来るのね。」 建常「ほどほどにしておけよ。外国人とも事を荒立てるな。」 美紀「叔父様がいるからまた朝鮮に着たけど もう飽きてきたわ 何も無いんですもの。早く北京や上海に戻りたいわ。」
何も無い朝鮮。 二階建てを立てることさえ許さず 道路も整備されていなかった李氏朝鮮では 致し方の無い事であった。 これは丁度 イギリスの赤旗法とドイツ自動車産業の隆盛と似ているところがあった。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 、カール・フリードリヒ・ベンツは1877年から2ストロークの定置用のガソリンエンジンの開発に取り掛かり 1879年にそれを完成させた。 //////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
既に西洋では文明化はガソリン自動車へと変換しつつあった。 だが 朝鮮半島では馬車や人力車ですらままならない時代であった。
天木はそんな中 李氏朝鮮人を買い取り 自分の商売を手伝わせて 自立の道を手伝っていた。 また西洋人の教会設立にも力を貸した。
だが東学党や保守派はそんな彼らを快く思ってはいなかった。
ソウルでは次から次へとレンガの建物が増え始めていた。 始めは日本人が作っていたが 清国 アメリカ が加わり その他のヨーロッパ人も どんどん二階建て以上のレンガの建物を作り始めたのだった。
ソウルは次第に様相を変え始めてきたのだった。
と同時に閔妃とメレンドルフの新通貨発行 および乱用はそれまでの李氏朝鮮の人々の財貨の 価値の提言を意味する物であり人々の不満は増長し始めるのであった
おまけに日本や西洋からの衣類の輸入はそれまでの李氏朝鮮の手芸品工芸者の生活を脅かし始め 李氏朝鮮では苦しむ物が増え始めるのであった。
天木はどんどん 金一元は洪水火などにレンガの家やレストランや衣料品店などを作らせて 李氏朝鮮で商売を拡張していった。
だがそれと同時に清の人々やアメリカ人も商売を始めていた。
これを見ていた開化派の若者は いまこそ 李氏朝鮮を改革しようと新聞の発行や学校建設 や教会の建設などに力をいれて 人材の育成に努めようとした。
道の整備もそれに伴い道の整備も少しづつではあるが、馬車が通れるように行われ始めるのだった。
竹添は天木などの店で食事をしたり 交流を深めていたが そこには影丸などの旧知がいなかった。 つまり 金玉均との接点が日本人を通しても無かった。 天木とは初対面でもあり 外交官として当然の事として高宗への報告やいろいろな交渉 そして清大使館への訪問などを仕事として優先していた。
そこで旧知の人間と再会したのだからメレンドルフの言う事には道理があると思って 井上外相にも金玉均をなじる手紙を出した。
だが 天木のレストランで天木らと開化と話すうちに それが勘違いである事がだんだん理解できるようになった。
天木「金玉均や朴泳孝はいい人ですよ。今は日本へ出かけていますが 日本では福沢諭吉先生にも 面識があるようですし 日本にも朝鮮の人間を留学させたりしています。」 竹添「福沢諭吉先生と面識がある?本当なのか?」 竹添はあの大ベストセラーの学問の勧めを知らぬわけではなかったので少々戸惑った。 竹添はこの李氏朝鮮で金や朴に冷たくしていたからだった。
また開化派の人間や盧や白雲なども彼を説き伏せたので彼の心もだんだんと変化しつつあった。 竹添は本国に戻り 対処法を論議しなければ 自分の一存では事を決めかねられないと思い始めた。
また天木は袁世凱の大院君逮捕と彼が大院君を説き伏せた事を話した。 竹添「そのような事があったのか、、。」 竹添うなってしまった。
さて日本では李氏朝鮮に金玉均と朴泳孝が留学させて日本で学んでいる有志や朝鮮半島から逃げて来た有志が 集い極秘の会議を開いていた。 彼ら開化派は李氏朝鮮の若者を福沢諭吉の慶応義塾や日本陸軍の学校で学ばせていたのであった。
日本陸軍で学んでいる人間はクーデターを進言して 閔妃を打つことを提案した。 「もう これ以上 祖国の衰退を見たくは無い。金兄貴 朴兄貴 閔妃を打ちましょう! 俺達の手で李氏朝鮮の未来を切り開くんだ!」 彼らは明治政府の事を思い出していた。 彼らは李氏朝鮮を近代化させるためにクーデターを起こし 彼ら自身が李氏朝鮮を近代化させる 道筋を提案した。 だが 高宗に深く信頼されている金玉均と朴泳孝は少し考えると言った。 「少し 考えさせてくれ まだ俺達は高宗殿下の信頼が厚い。なんとかして武力でなく 賢明な政治で改革を行いたいんだ。」 崔らも「俺等も参加する!」と言ったが さすがにまだ朝鮮半島では彼らを清と閔妃の一族が捜索していた。 彼ら崔が朝鮮に今帰れば、事をなす前に発覚する恐れがあったので 金玉均「あなたがたはまだこの日本で天機を待ってください。時がくれば知らせます」と言われると 崔「ああ わかった 必要な時はいつでも呼んでくれ。」と言った。
金玉均と朴泳孝はその後もなんども井上外相との面会を申し込んだが断られ 天を仰いだ。
そんな彼らを日本では板垣退助や同郷の友の後藤象二郎が助けた。 前は欧米に出ていていたが 今回は板垣退助と共に金玉均を助けた。 後藤は福沢の紹介で彼らと知り合った。 彼らは金玉均らを援助し フランスにも助力を求めた。
もう居ても立ってもいられない後藤は伊藤博文と連絡を取ったが伊藤博文も仕事に遊びに忙しく 後藤の話を上の空で聞いていた。そして井上外相を叱り飛ばした。
福沢諭吉も稲垣退助も後藤象二郎もその他の日本人も出来るだけの事はしていたのであった。
そして彼らはうまく交渉が進まずに失意のうちに日本を後にする。
金玉均 朴泳孝は日本の支援者や 在日朝鮮人と手を振りながらわかれるのであった。
一方 楊等は上海に凱旋していた。
既に香港に寄港していた時に 香港から上海や北京には勝利を打電をしていた。
/////////////////////////////////////////////////////////////////// 1871年に香港上海間海底電線敷設 /////////////////////////////////////////////////////////////////////
上海は彼らの勝利に沸いた。 彼らは天津に向かう途中で上海で燃料の石炭や木炭や食料を補給していた。 彼らは英雄だった。上海からもこの勝利はすぐに長谷を通して天津に打電された。 そして日本の新聞も劉永福を評価し 賛美した。 日ノ本等らや日本陸海軍も改めて影丸5人衆の服部半蔵の力を再認識すると共に黒旗軍や黒天会の 力を思い知った。
彼らは西洋の軍に勝利したのだ! 負けが続いていたアジアの勝利に東洋人は沸いた。 李鴻章も驚愕した。 まさかあの若者が本当にフランスの将軍の首を取って帰国するとは 夢にも思っていなかった。 服部半蔵 服部半蔵や楊は青川や黒蘭に会いに行った。 途中で「黒旗軍!黒天会!万歳!」と歓迎を受けた。 黒蘭「楊兄さん おめでとう!上海はあなた達の話題でで持ちきりよ!」 青川「さすが 服部半蔵殿だけある!影丸殿も北京で喜んでいますよ。」 彼らはわいわい話し合った。 長谷「??ところで 蘭と令の姿が見えないが どこかに道草でもしているのか?」 楊と服部は顔を見合わせて 下を向いた。 黒蘭「??? どうしたの?まさか?死んだとか言わないでしょうね?」 楊はなんと答えていいかわからず 返答に窮していた。 黒蘭「楊兄さん アヘンの事は許したはずでしょう? まさか姉さんに一番危険な事をさせて殺したんじゃないわよね? もしそうなら 幾ら楊兄さんでも許さない!!!!」 黒蘭は楊の肩を握り激しく揺さぶった。 黒蘭のイメージ像 楊は小さな声で「すまない。」と言うと悲しそうにうつむいた 黒蘭は急に大声で泣き始めた。 「蘭ねえさーん。なんでなんで?嘘だ言ってよ?楊兄さん。」 楊「本当にすまない。俺は蘭を連れて行くべきではなかった。」と言うと 土下座をした。 「このとおりだ 許してくれ。」と謝罪した。 黒蘭は蘭が死んだ物と思い その場で崩れ 地面を叩きながら泣いた。 それを聞いていた紅天会も一転して 泣き始めた。 「蘭ねーさん。」と口々に叫び泣き始めた。 服部半蔵「皆 聞いてくれ 蘭はまだ死んだと決まったわけではない。」 黒蘭は目を輝かせて「本当?」と聞いてきた。 服部半蔵「ああ だが瀕死の重態で まだベトナムにいる。」 黒蘭はまた泣いた。 楊「 すまない 黒蘭 紅天会の同志 俺はこれからこのフランス軍の将軍を 李鴻章大臣に届け次第 ベトナムにまた行く。 若し 蘭が死んでいたのなら この首を君等に差し出そう。」 と剣を抜き 自分の首に当てた。 「天地天明に誓う。だから今は許してくれ。」と言った。 黒蘭「楊兄さん あなたが死んでも 蘭ねえさんが死んでいたら もう生きては帰れないのよ。」 楊はここに至り 剣を鞘に治めて 下に顔を下げた。
紅天会のメンバーが泣くので孤児達も泣いた。 林黒児ら子度数人は楊に向かって 「蘭お姉ちゃんを返せ-。」と叩いた。 楊は体は全く痛くなかったが心が痛かった。 長谷は「およし。」と子供等を楊から引き離すと林黒児は長谷の懐で泣いた。
上海は喜びに包まれていたが 楊らは悲しみに包まれるのであった。
北京でその一方を受けた影丸も喜んだ。彼らはこの功績により階級が上がる。 影丸もこの後 大尉になるのである。 福島安正や柴なども共にこの快挙に密かに喜んだ。 特に福島はこの時に軽い嫉妬心を覚え、薩摩に負けてなるものかとこの後大冒険をする。 しかし 元々特殊部隊に属していたので 民間で任務についている間は あまりその階級について固執する事は無かった。
だが 彼は服部半蔵の成果に喜んだ。 半蔵は詳細を改めて東京と北京に打電していた。 影丸は政局が動くと感じていた。 川上操六 この報告を受けた川上参謀次長もにや笑いをする。彼は自らも世界各地を回ると共に 中国における諜報活動をこの後活発化させるのであった。 実際におそらくこれは清では西洋勢に対する戦いで近年では久しぶりの勝利なのでは ないのだろうか? これまでは内乱続きで 内乱を鎮圧するのにも多大な力を割いてきて イギリスに幾たびも敗北していたのだから。
北京に残留していた黄天会やその他の漢人の秘密結社の人間は喜びにわいた。 「俺達は弱くは無いんだ!俺達は強いんだ!」 影丸と彼らは手を取り合い勝利を喜んだ。
影丸ら 日本の諜報員はすぐにこれらの事を印刷機に印刷させて 漢人の手に渡し 新聞として売りさばいた。
それは飛ぶように売れた。 人々は迫害されて異国の地で戦う天地会の黒旗軍と劉永福のことを始めて知り歓喜した。 自信喪失。それが今の清の状態であった。 それが自信を回復しつつあったのだ。 爆竹はならされ 町じゅうがお祝い騒ぎだった。 人々はすぐにこの黒旗軍と劉永福の話を酒のつまみにして話し始めた。
西太后もこの事件を知り驚いた。 それより李鴻章がこの勝利に驚愕した。 彼は楊を殺すつもりでいたが この勝利に考えを改めた。 上海で女真粛月に重症を負わせた事といい 銃で武装している事を垣間見ても もし戦えば 彼の軍勢にも甚大なる損害が出来るのは明らかだった。 おまけに今や彼らは黒旗軍と劉永福を助けた英雄である。 下手に手を出せば 民衆をも敵に回すのは明らかであった。
李鴻章は袁世凱の友の黄空悟が楊の義兄弟である事を知っていたので 朝鮮半島に派遣している 黄空悟と黄天会の帰還を命じた。 彼らを利用して楊を自らの淮軍に取り入れる決断をしたのである。
李鴻章と漢人の革命家と影丸とは祝宴の席を開いていた。 影丸「どうです?俺の推薦した楊と服部半蔵は事をうまく運んだでしょう?」 李鴻章は苦笑した いつ お前が楊を推薦したのか?と内心思っていたが聞き流し だが彼はこう答えた。「いやはや 私としたことが身近にいた英雄を見損なっていたとは。」 漢人A「ところで 天地会の劉永福の罪は許されて 職は与えられるのでしょうか?」 李鴻章「劉はあの反乱で数多くの清の軍人を殺してはいる物のさすがに考え直す必要があるな。 もうあれから何十年も過ぎている。私から罪を許してもらうように西太后様に進言するとしよう。 彼は清の将軍として迎えられるべきだろう。」 漢人らは喜び 叫んだ「やったー。」「よかった よかった。」 彼らは各自に李鴻章に酒を振るまった。 李鴻章らもあの当時は部下を殺され彼らを憎んでいたが 天地会にしてもそれは同じ事であった。 今更 憎しみあっても何の解決にもなりはしなかった。
さて その頃 鄭の船は天津に入港していた。 鄭らはこの騒ぎを何事かと思い 食堂で事の成り行きを聞いた。 そして李燕は驚いた。 楊がフランス軍の将校の首を二つ 上海に持ち帰ったことを聞くと感激して 何老師や超老師に聞かせた。 彼らは涙した。「お前の弟子が ここまでしてくれるとは。我等の仇をうち この国の仇まで うってくれるとは。」 鄭も思わず感動した。「楊さんはこの北京にも来るのでしょう?私も早くこの国の英雄に会いたい。」と言った 李燕もおもわず笑った。 何老師「お前の弟子がここまでやったのだから わしもこの使命を全うせねばなるまい。 これには国の運命が掛かっている。」
実際にそうだった。もし何老師が西太后暗殺に成功していれば 清が日本と戦う事も また無残に日本に敗れる事も無かったのだが。
さて北京に残されていた楊夫人と黒天会の婦人らや恋人は喜んだ。 彼女等は彼らの死を覚悟していたのだった。 彼女等は口々に「天にわたし達の祈りが届いたのよ」と叫び喜んだ。 そして影丸の新聞を配りまくった。
そんな戦勝ムードとは裏腹に袁世凱に連れてこられた大院君は檻の中で呆然としていた。 彼は李鴻章や外国人から尋問を受けていた。 そして時折 自らの罪を嘆き 檻を叩くのであった。
さて 朝鮮半島では黄天会の黄天会の黄空悟と馬美紀に北京への帰還命令が出ていた。 当然 李鴻章からである。 袁世凱「、、と言うわけだ 北京に帰還してくれとの事らしい。俺も詳細は知らないが どうやら 楊殿がフランス軍を打ち破った事が関係しているらしい。」 馬美紀は既にこの田舎の李氏朝鮮に飽きていたので 美紀「やったー。帰れる!帰れる!」とおおはしゃぎ。 ついでに朝鮮で唯一のお気に入りの安い洋服屋の盧の店に行き 好きな服を注文し 最期に天木の店で食事などを取った。 黄空悟「えっ?楊兄貴がフランス軍を破ったの?」と唖然としていた。 袁世凱も実はかなり驚いていた。 白雲も驚いた「なかなか楊もよくやるな。」 楊と白雲は5天会では残りの3天会の者より若干年上で 彼らの兄貴的な存在だった。 そして楊は北斗七星を刻んだ黒い柄の剣を操るのに対して 白雲は南斗六星を刻んだ白い柄の剣を操っていた。 そして白雲ら 白天会は白装束が多かった。 だが 彼らは非常に仲が良かった。 白雲は名声を求めるタイプで無いので素直に楊の活躍を喜んだ。 白雲「黄空悟よ 楊によろしく言っておいてくれ。」 黄空悟「ええ わかりました。」 しかし黄空悟は内心 複雑だった。
馬との食事でも顔色が冴えなかった。 黄空悟「5天会の党首はそれぞれ つわものぞろいだ。 楊の兄貴はフランス軍を打ち破り 蘭や令も一緒にフランス軍を破っているし 孤児院を経営している。 白雲の兄貴も袁世凱を捕まえる策を袁世凱と共に考えている。 馬美紀 お前だって袁世凱を捕まえるのに貢献している。 なのに この俺ときたら 長谷殿や李燕師父と共に奴隷の解放では足を打たれるどじを踏んでいるし 大院君を捕らえるときでも何の手柄も立てなかった。 全く穀潰しものだな。」
馬美紀「何に言っているの?あなたの剣術や点決や武術や医術は一流だわ。 そんなことを言っているとせっかくの料理が美味しくなくなるわよ 早く食べなさいよ。 あなたはこんな食事を私と食べられるだけ幸せと言う物だわ そしてもっと楽しい話をしましょうよ。」 黄空悟「ああ わるかった、謝るよ。」と二人で食事をとるのだった。 馬美紀「外を見てみなさい。皆 ひもじい思いをしているわ。 この朝鮮なんか人身売買が未だにあるのよ。あなたなんかそれにくらべたら ここでは貴族のような生活をしているじゃないの?それに不平をもらせば 神様から罰が当たるわよ。」 黄「それもそうだな。本当に感謝しないといけない。」 黄空悟は思い直し神仏に感謝しながら 食事を取るのであった。
その数日後 荷物をまとめると 彼らは仲間に手をふり 別れを告げながら 天津へと向かうのであった。
さて 鄭と李燕と何老師と超老師は北京についていた。 黒影は彼らに宿を提供し 資金を提供した。 そして紫禁城で盲目の按摩師を募集している事を知らせた。 何老師と超老師はそこに按摩師として働く事にした。 彼らは警護の兵や大臣や宦官などのマッサージをした。 そして西太后の按摩ができる時を待つのであった。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 翡翠美人 中国の西太后が愛用していたとされるものと同様のマッサージ器です。 この美顔器は天然翡翠でできています。 http://www.twl.co.jp/import/ /////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
しかし 彼らがそこで見たものは西太后の優雅な暮らしとその反面の残虐な行為であった。
西太后は咸豊帝に寵愛されていた麗姫の手足を切り落とし、水瓶の中に首だけ出して入れていた。 彼らもそれを見ることがあった。 あまりにも残酷ゆえに恐ろしくもあり 趙老師はそれをたまたま見る機会があったが泣いた。 何老師は完全な盲目ゆえになぜ?趙老師が泣いているのかがわからない。 趙老師は思わず言った「目が見えぬゆえに良い事もある。また美人だからと言っても用心して生きていかねば このような苦しみに遭わなければならぬときも在るのだな。」 趙老師は泣いた。 趙老師は李燕に復讐ではなく人助けを命じていた。 孤児院は子供や負傷者や病人であふれていた。 戦乱で親を失った孤児も多かった。 そんな中で楊夫人や蘭や馬美紀はとても可愛く美しかった。 そして趙老師も孤児をなだめすかしていた。
あの手足の無い麗姫の姿を思い出すと彼女等を思い出し涙するのであった。 趙老師は彼女に食べ物を盛ってやっていった。 あまりに可哀相であったからである。
彼女の両親の事を思うと身が痙攣するのであった。
そして紫禁城の外で一人で彼女の運命を思うと泣き崩れる事もあった。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 西太后の陰湿さは終わる事がなく この後の日清戦争の時も 捕虜にした日本兵の目をくり抜き、鼻をもぎ、耳をちぎり、手足を切り落として殺したという話がある。 ///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
なんと言うことであろうか。あってはいけないことである。
趙老師はその水つぼの中の麗姫を見た。 可哀相に彼女は趙老師を見ると涙をぼろぼろこぼし「助けて 助けて。」と言った。 趙老師は肉と水を与えたが あの忌まわしい記憶は消えないでいた。 彼女はかつて清で一番美しく愛くるしかった。その面影は今もある。 しかし彼女には手足がなくもう食べる事以外何も出来なかった。 彼女の瞳には大きな涙が流れていた。
その話を何老師と楊夫人に話した。 何老師も楊夫人も泣いた。 悪夢であった。 何老師「西太后は非道と聞いていたが まさかそんな恐ろしい事になっているとは。」 楊夫人はその話を聞くとさすがに怯えた。 趙老師は楊夫人と同じように美しい麗姫の悲劇を話し続けた。 趙老師にはどうしても楊夫人や馬美紀や蘭らと彼女の姿が重なるのであった。 そう思うと殊更に哀しくなるのである。
楊夫人の背中も凍りついた。 楊夫人は趙老師が麗姫が助けて 助けてと言うところを言うに及ぶと 「いや。」 と言って泣き崩れ始めた。 趙老師はそんな楊夫人を慰めるのであった。 いや 実は趙老師が慰められていたのかもしれない。 彼はこの恐ろしい事実を自分の胸だけにしまう事が出来なかった。 だから話してしまったのだ。 何老師「許せない 人間ではない悪魔のすることだ。」 楊夫人「怖いわ。本当に悪魔だわ。」 趙老師もうなづく。出来れば今すぐに西太后を殺したかった。
彼女の両親が彼女を見ればおそらく気を失うであろう。 彼女は本当に愛らしかった。いかほど両親は彼女を宝物のように育てた事か。 それがこんなむごい姿になるとは。 悪魔以外にこんな事ができるとは思えなかった。
このような惨劇を見て更に暗殺の決意を何老師と趙老師は固めるのであった。 そしてフランスの怪盗紳士アルセー二 ルパンもこの北京城に潜り込んで彼らを支援していた。 配下(宦官や役人)のいる紫禁城でも彼らの暗殺を影ながらバックアップしていた。 1871年にドイツに敗れてアジアに新天地を求めてきた彼らに取って 何老師と趙老師は同類哀れむの対象であり大いに彼らの心と物質的な面両方を援助した。 ここでの彼の仮の姿は宣教師であったのだが、時として楊夫人と聖書の事で語り合いながら 彼はここでは慈善家としての側面を見せていたのだった。