岸信介元首相がCIAのスパイだったとしても、韓国の朴正煕元大統領と何の関係があるのかと不思議に思う人が少なくなかろうが、実はこの両人、日本の傀儡国家・満州国と米CIAをキーワードに、切っても切れない関係にある。
ともに満州人脈につながり、それが故にCIAに徹底的に利用され、1965年の日韓条約へとつながっていくのである。
写真は満州軍官学校第二期予科生徒卒業式の恩賜賞品伝達式を伝える満州日報(1942年3月23日)の記事で、敬礼をしているのが首席で卒業した高木正雄(朴正煕)である。
岸は東条内閣の商工大臣として入閣し、その場にいないが、本来なら恩賜賞を与える主席団の中心に陣取っている立場であった。
朴正煕はその後日本陸士に入学し、満州軍中尉で日本敗戦を迎える。その後、韓国軍に入隊し、紆余曲折を経て1961年に軍事クーデターを起こして全権を掌握するが、満州軍官学校時代からの人脈がものを言った。
さらに、日本との関係正常化をめざす中で、岸をはじめとする満州人脈とのつながりが復活していくが、その間に立ったのが米CIAであった。
岸と朴は年齢は親子ほど離れるが、人生観、処世観に共通点が多い。ともに没落した名門の辛酸を舐め、上昇志向が強く、勉学で身を立てようと一心不乱に努力した。
岸にとって旧敵国の米国に忠誠を誓わせられるのは、屈辱であったが、死を目前に「生かしてやるから協力しろ」と言われれば、他に選択肢はなかった。変節と言えばその通りだが、与えられた条件下で最善を尽くし、身を立てる逞しさがあったと見れないこともない。
朴も同様であった。
反日のハン(恨)を飲み込みながら親日派となって身を立て、解放後の韓国軍粛清運動で南朝鮮労働党の秘密党員であったことが発覚し、死刑を免れない状況下で「生かして欲しい」と涙し、転向を誓った。
我々はすぐ、裏切りとか偏向とかすぐ声を荒げたくなるが、そこには安易に生きている凡人の想像の域を超える世界があった。
話はややずれるが、『灰の遺産 CIAの歴史』で岸がCIAのスパイであったことを知って、脳裏にフラッシュバックされたのが朴であった。
私は「韓国近代化の礎を築いた」と位置付けて『朴正煕 韓国を強国に変えた男』を著したが、親日派、共産党員、反共、民族派と変節を重ねる朴の軌跡を同一の人格として再構成するのは至難の業であった。朴が様々は批判を浴び、最も信頼した側近・金載圭中央情報部長からも理解されず暗殺されたのはそのためだが、岸の変節に共通点を感じたのである。
彼らには、イデオロギーや感傷を超えた現実主義があった。
死か生かと、厳しい選択を迫られた当時の具体的な歴史状況を踏まえないと、理解し難しいことである。
朴正煕はCIAのスパイではなかったが、軍事クーデターの背後にCIAがいたことは間違いない。日韓の反共同盟化を画策していたCIAは、反共だが反日でもある李承晩に手を焼き、旧親日派の朴正煕に排除させたのである。
そうして、岸、椎名悦三郎、瀬島龍三、笹川良一、児玉誉士夫、伊東正義、鮎川義介(日産コンツェルン総帥)、十河信二(国鉄総裁)ら旧関東軍、満鉄調査部に連なる満州人脈を動かし、日韓条約締結へと突き進む。
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コメント(33)
スパイは衝撃的ですが、岸や朴のおかげで日本も韓国も今日の経済的繁栄があるのです。現在の価値基準で一方的に断罪するのは無理があると思います。弱い面があってこそ人間ですね。
2007/10/15(月) 午後 5:52 [ 読者A ]
文世光と彼をオルグした総聯の関係はどう説明するのかと
2007/10/15(月) 午後 7:28 [ で ]
枝葉末節の問題だよ。
2007/10/15(月) 午後 7:52 [ 野次馬 ]
朴正煕は心理的に英雄主義、名誉出世慾の強い人間である。理念のない現実主義者と見るべき。CIAと朴はお互い利用し合った。
2007/10/16(火) 午前 9:26 [ johnkim10053 ]
で、とか、その他生齧りの知識を振り回す”頭の不自由や人”たちが時々出没しますね。
岸をオルグしたアメリカ人でも先ずは探してはどうですか?
それはさておき、ブログ主が指摘する満州人脈と戦後日本への視線は、宮崎正義しかり、非常に重要だと賛意を表したい。
2007/10/16(火) 午後 6:27 [ urikiri ]
そういえば、漫画のゴルゴ13において、アフリカのある新興国の大統領選において、アメリカの多国籍資本が自分たちに都合が良い候補を様々な手法を通じて当選させようとする、と言う内容があったが、既に日本においてはそれが実行されていたわけだ!!あの漫画って戦後日本の指導層に対するカリカチュアだったのね(笑)
2007/10/16(火) 午後 6:31 [ urikiri ]
質問を質問で返すのは”頭の不自由や人”たちのすることだと思うが
>urikiriサンとやら。興奮して自分のレスに答えを出すのは
見てて痛々しいからちょっと控えてくれないか。落ち着いてくれ。
そして漫画と現実を混同するのは”頭の不自由や人”たちの
することだから。これからは自分のノートにでも、な。
2007/10/16(火) 午後 10:15 [ 鉄人 ]
引揚げ者は大変な思いをされたそうですが、中国からの帰国者の悲惨さは、「軍から捨てられた」と表現されるようにひどいものだったそうですね。
岸ら満州指導部の、民衆を打ち捨てて帰国した罪を知りながら黙認している人は多いと思いますが。
戦争の犯罪人と思しき人物が戦後活躍、長生きしているのはおかしいですけれどそれが日本の現実なのが、なんとも・・・
安倍氏が狂ったのもそうした祟りなんですかね。
2007/10/16(火) 午後 10:58 [ 八厘 ]
金の為です。この両人が手を組んだのも、所詮は利権つながりです。
たびたび世評に浮かんでは消える日韓癒着や許永中のような
ブローカーの暗躍も全てはこの2人が始まりです。南の保守派の
親玉の全斗煥や金鐘泌が死ねばもっとどす黒い話もボロボロこぼれて
くるでしょうね。そうなった時のこの国の連中の慌てふためく顔が
今から楽しみではあります。
2007/10/18(木) 午前 6:05 [ 鉄人 ]
瀬島龍三少佐が米大統領→天皇あて親電配達を遅らせた
昭和16年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れた原因の一端を示すとみられる史料が、防衛省防衛研究所に保管されていることが分かった。
史料は、昭和11年8月から20年までの軍関係の動きについて、戦後、防衛庁(現防衛省)が関係者から聴取した「防諜(ぼうちよう)に関する回想聴取録」。
それによると、昭和16年12月の開戦前、陸軍参謀本部通信課員だった戸村盛雄少佐(当時)が昭和37年3月、防衛庁の事情聴取に対し、大統領の親電をめぐる経緯について「7日午前11時ごろ、参本(陸軍参謀本部)の廊下で瀬島(少佐)とバッタリ会った」と証言。
続けて戸村少佐は「瀬島から『南方軍の船団が飛行機に発見されてこれをおとした』と聞いて、これが開戦の第一発であると思って、瀬島とも一緒に考えて親電を遅らせた」と証言していた。
これは、日本の船団がマレー半島沖で英軍の哨戒飛行艇に発見されたため、護衛していた旧日本軍の戦闘機が撃墜した事実を指す。
2007/11/24(土) 午前 7:33 [ 情報屋 ]
この証言が事実なら、瀬島氏は旧日本軍がすでに、米国と同盟関係にあった英国と開戦したという事実誤認から陸軍の規定に従い、親電の配達を遅らせたことに関与していた可能性がでてくる。
大統領親電の内容は日本側に一見、和平を呼びかけながら日本軍の仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だった。
日本政府は昭和16年、真珠湾攻撃の約30分前の米東部時間12月7日午後1時(日本時間12月8日午前3時)に米国に最後通告を手渡す予定だったが、分割打電した最後の14部について在米日本大使館でのタイプ清書が間に合わず、野村吉三郎、来栖三郎両大使がハル米国務長官に最後通告を手渡したのは、真珠湾攻撃から1時間近くたった、午後2時20分(同午前4時20分)だった。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071124/edc0711240021000-n1.htm
2007/11/24(土) 午前 7:35 [ 情報屋 ]
赤尾先生が言われたとおり、自民党政権が続く限り、日本はアメリカの従属国です。
スパイが作った売国政党にいつまでも日本を任せることは出来ません。
2008/1/24(木) 午後 10:37 [ 愛国党 ]
死か生かと、厳しい選択を迫られた当時の具体的な歴史状況ーー
この状況は【岸信介に限りません!】
しかも、生き残った後の統治体制もまた【犯罪者の隠滅】に終始。
公人として生命を惜しんだのではなく、調子モン【個人】岸信介の命乞いに他なりませんでしたね。
地上戦では、情報の届かない【離島】の一般の【少女や女性】らが、
先陣訓を読まされ、手榴弾まで渡され、生きて辱めを受けること無く【死になさい】と、
中野学校や中央の軍隊から申し渡され、実際にその通りに、多くの若い命を落してゆきました。
これは、私が2006年に、実際にザマミで、集団自決生存者に出遭い、
直接聞いた話です。
▼同じ条件下にある、しかも命令を下した側:リーダーとも呼ばれるべき岸信介が、
このザマはありませんね!まことにみっとなき、国民の恥とする事態です。
2008/4/3(木) 午前 10:05
私は21世紀のこの平時に、国の恣意的権力により、私の自由は迫害され
生命の危険にさらされつづけます。
例え相手が、小泉純一郎であろうとも、防衛省であろうとも、
私に降り掛かった災難は、私自身が振り払うしかありません。
私は、アメリカの国防省がなすことか?日本の防衛省がなすことか?
確認のため、沖縄へ06ー07年の1年間滞在し、基地を回り、各機関を回り調査しました。
琉球大学海洋地質学の聴講生になり、県民と毎日出会い、時にはディスカッションして来ました。
この実体験と、防衛技術の被害実体験とに、鑑みましても、岸信介とその自民党が、
本気で外交を為し、本気で国民の安全と国益を考えたとは、まったきに考えられません!
2008/4/3(木) 午前 10:33
私も2001年から、
まさに▼【「死か生か」と厳しい選択を毎日強引に迫られて来ました】
生命の危険を免れたとしも、身体へ、遠隔操作により電流を流され続け、
歩行困難、社会不参加になった時期があります。
科学時代の現在、遠隔操作でどれほどまでのことが【出来得る】か、ご存知ですか?
私は【911テロ犯罪】が、日本の現政府や防衛省から流されたーーと言っても、決して過言ではない状況を幾度も体験して来ました。
その防衛技術により、小泉純一郎を憶い出させられました。
そして【電流他、室内へも遠隔操作により侵入】されつづけ、その意味と目的を、
沖縄から戻って来てのち、理解しました。
2008/4/3(木) 午前 10:45
もと首相【小泉純一郎】は【1964年ー66年】当時、
▼【浦賀/久里浜ゆき】【京浜急行線】始発品川駅へ、
▼【慶応の記章ではない】学帽をかぶり、
学生服姿で、毎朝8時5分ころ、
「ぼーっ」と立っていました。
これでは、朝から【帰宅方向!数年間も朝帰り!?】と云うことになりますね。
もと首相の小泉純一郎【22ー3歳】が決めた
▼1965年12月14日、品川で、
私【17ー8歳】と、もと首相の小泉純一郎【22ー3歳】は、
ともに初デートをしました。
その場で、私は、もと首相の小泉純一郎【22ー3歳】がかぶる学帽について、
▼ 【毎日かぶっている学帽の記章は、鮫洲の都立高専の記章に似ているけど、どこの?】と尋ねています。
▼しかし、小泉純一郎は、何も応えられず、じーっとうつむいたままでした。
2008/4/3(木) 午前 10:47
私と小泉純一郎は、初デート後【郵便】手紙(封書)を往還しています。
つまり、相互に連絡先を知っていました。
ところが、2度目は、私の恩師(担任ではない)を、陰でスパイのように探し出し、
その私の恩師の授業の一環である【登山】大菩薩峠へ同行していました。
私は不快感で一杯になり、彼とほとんど会話を交わしてはいません。
私の恩師(早稲田大学院卒/心理学専門)もまた、小泉純一郎と親しい間柄には見えず、ほとんど会話を交していませんでした。
帰宅途上、上野駅が近づいた車中で、突然にも私の恩師は私ヘ向い言いました。
▼【彼の名は小泉純一郎、慶応出】と。
この時の小泉純一郎は【23ー4歳】です。
小泉純一郎がかぶる学帽は慶応の記章ではなかった、と私は記憶します。
小泉純一郎四国訪問時期と同じ時期に、愛媛大学の享受であった、
私の恩師は急逝していました。
2008/4/3(木) 午前 10:51
抜き打ち成果なしの【ピョンヤン会談】は、当時の首相【小泉純一郎】が、
▼【年金未払い】を【国会で詰問された】挙げ句の
【誤摩化シ・国民ダマシ・逃げ切りサプライズ】でしたね。
当時の首相【小泉純一郎】は、国会答弁で、
▼【浪人時期がいつだったか、何年間だったか、そんなこと覚えてない!】と、
言いましたね
いかに記憶の悪い人間でも、斯様なことが、あるでしょうか?
高校卒業と大学入学時期が分れば、必然的にその間の浪人・未払い期間は出て来ます。
自らの口から言いたくはなかった!「いえ、言い出せなかった」と私は受け止めています。
抜き打ちピョンヤン会談で、 見事に【年金未払い】と、
▼ 当時、疑惑を持たれた【英国留学や慶応】= 【学歴詐称疑惑】もまた、
「闇に葬られた」ようでしたね。
おそらく家族すら知らない、小泉純一郎と自民党員の父親とのみが知る、
前代未聞の、裏口入学に非ぬ【裏口卒業】だったのでしょう。
無名の私が、長く狙われるという事態は、よほどの【詐欺犯罪】であったことを窺わせています。
2008/4/3(木) 午前 10:58
なぜ、岸信介は、世界周知の事実である【世界初のテロ国家】に指定されたことを
▼【国家機密】にしたのでしょうか?
▼この有効性とは何でしょうか?
2008/4/3(木) 午前 11:32
ーー岸にとって旧敵国の米国に忠誠を誓わせられるのは、屈辱であったが、
死を目前に「生かしてやるから協力しろ」と言われれば、
他に選択肢はなかった。
変節と言えばその通りだが、与えられた条件下で最善を尽くし、身を立てる
逞しさがあったと見れないこともない。ーー
▼本人不在の岸信介に、【屈辱】を感じる神経などないでしょう。
1936年:岸信介中国侵略。岸信介事実上の満州国統治者。
1941年【10月】:岸信介【満州人脈により東條英機内閣入閣】
▼ 1941年【12月8日】:パールハーバー奇襲攻撃、太平洋戦争勃発→世界戦争へ。
▼【岸信介、太平洋戦争の物資動員すべてを扱う】
▼1942年:【開戦中】に岸信介、米国大使ジョセフ・グルー(のちのCIAフロント)
を【ゴルフへ招待、ゴルフ三昧】
▼1955年:米ソ冷戦をおどしのタネにした国際的テロ犯岸信介は
CIAへ積極的に情報(ガセネタ)を流し【1回につき10億円】を
手にして【自民党結成】
▼自民党内へ【34ー5億円】バラマキ、岸信介首相就任。
2008/4/3(木) 午前 11:40
中国侵略者:満州国統治者:【物資動員のすべてを扱っていた岸信介】が、
先にさっさと国民を放り出し、
1942年の開戦中には、のちのCIAフロントとゴルフ三昧。
▼いつでも【どっちへ転んでもイイ】ような、適当な選択肢であったと見えますね。
この岸信介が、何に最善を尽くしたのか甚だ疑問です。
戦略など、端から何もなかった岸信介。
岸信介は逞しいどころか、命令を下せてみ、戦地には1日だっていられない、
【兵六玉の小心者】だったのでしょう。
だからこそ、姑息にも、世界周知の事実である【世界初のテロ国家日本】を、
自分のためだけに▼わざわざ【国家機密】にできたのでしょう。
今日も【国民だけが知らない】、もう1つの北朝鮮をつくれたのでしょう。
これこそ、世界諸国が、クジラや慰安婦問題で非難する【蛮族性】ではありませんか。
2008/4/3(木) 午後 0:05
世界初のテロ指定国日本を【国家機密】にし、世界周知の事実を【国民だけに知らせない!】
【もう1つの北朝鮮日本】をつくった【理由】は、
兵六玉の岸首相の座に、さらにキズがつき、お安くなりますから。
▼書き換え【民主主義者】の【国民ダマし】ですね。
臆病な【新し好きのごっこ戦争屋】の岸信介は、
▼【生かしてやるから協力しろ】と、
▼言わせる相手を、事前につくっておいたと考える方が妥当でしょう。
▼もう【次の逃げ場】を、早々に、自分の生命確保のために、予約し奔走していたのでしょう。
斯様に考える方が、自然ですね。
2008/4/3(木) 午後 0:11
戦争勃発のための準備段階は、本来【大変長い】【本気は強い】と、
私は考えます。【勝つか負けるか】の【二者択一】しかないのですから。
環太平洋市場獲得のために、
アメリカ・フエリモア大統領時代の【ペリー】は、
【1853−4年】の2年間をかけて、
▼日本の地質、植物分布、日本の起源、政治、宗教、芸術、科学他、
▼日本民族が如何なる場合、如何なる方法をとるのかをも、綿密に調べあげていました。
▼既に【沖縄は、日本の前線基地】として位置づけられ、
▼【ピューリタン的植民地化】の構想も練られていました。
ところが政策は、外需から内需拡大に移行する時期にあたり、ペリーの構想は完成を見ませんでした。
しかし、先の戦争では、ペリーの重要資料【国家機密】は生かされたと私は受け止めています。
ペリーの【日本遠征記】は、1997年に世界へ向けて公開されました。
▼【国家機密とは、斯様な次第であっていただきたきもの!】
2008/4/3(木) 午後 0:25
岸信介は、コダマヨシオとともに、
▼神道:神格化【イデオロギー】を、見事に利用しましたね。
米ソ冷戦時代を背景にして【岸信介命乞い】の【代償】は、日本を【原初帰り】させました。
▼日本は開国で【王政復古】、敗戦で【神格化の神道がえり】した国。
初めて核をもった、日本の戦勝国アメリカは、ペリーが日本を調査し、
杞憂し記した内容と、同じことを冒してしまった!と、私は受け止めています。
ーー日本はたびたび起きる地震に恐怖をいだき、目前の事実が見えず、迷信と妄想に走り易い。
したがって、科学的な思考や見解を為すには、大分長い時間が必要であろうーー
と記しています。
▼ペリーは自国の国益のみならず【日本の開国は日本民族にとっても】、
大変有意義な重大な科学的考察の方向を得られると、真実考えていたと、
彼の著書から、私は受け止めています。
2008/4/3(木) 午後 0:54
だからこそアメリカの教科書には、誇り高く、
【アメリカが日本の開国をサポートした】と、記されているのでしょう。
しかし現実には、日本を敗戦前へ戻らせていました。
しかも、アメリカのCIAの手で。
国益とは、相互にもたらせるものがなければ、近代・現代において【グローバル】とは
呼べぬでしょう。
岸信介・コダマヨシオ【CIAへ赤狩りガセネタ情報】提供についての私の見解↓
▼CIA<岸信介<昭和天皇<天皇家親戚伊勢神宮=宮内庁と防衛省が日本を神格化思想で牛耳る。
2008/4/3(木) 午後 1:07
治外法権の日本自衛隊基地化が、現実に進んでいます。
▼米軍基地へ自衛隊員ひとりでも加われば【日本自衛隊基地】と、入口プレートへも
何へでも、真っ先に表記せねばならない。(基地法令)
この総指揮は、必然的に【日本の首相と防衛相】となりますね。
国内に自衛隊員の加わらない米軍基地がいくつ残っていると思われますか。
沖縄へ残すほんの僅かな数でしょう。
自衛隊基地の前に、自衛隊員の他、警察官まで警備にあたっています。
馬鹿な話ですね。防衛する者らを警察官が防衛する国!
これで自衛隊員は「いざと云う時に戦えるのですか?」
自衛隊員にも「この基地法令」は知らされていませんでした。
正しくは、神格化【治外法権の日本自衛隊基地】が実態です。
これが、岸信介とコダマヨシオが建設したかった自衛隊のカタチです。
永年、日本の体制は【神格化思想】による【妄想】により統治されて来ました。
2008/4/3(木) 午後 1:20
天皇家(世界的テロ首謀者)へ【尊称】を使う【NHK他民放、報道機関】の妄想
1】今日も残る【鬼やらい・節分】は【地方の大王家】を破り、
新生【天皇家誕生】の
【神権交替】を、社会へ知らしめ、浸透させるための【象徴的な儀式】
・天照神から【天照大神】全国統一の神とし天皇家の皇祖、先祖の神とした。
・象徴化は、現実に存在せぬものを身の回りや名へ添付し、
神の子を強調し、国民を統制的マインドコントロールした原初。
・以来、伊勢神宮、天皇家の親縁が【天皇家のサポート】
・今日まで、新生児の宮参り、初節句、七五三、神前結婚、初詣、節分他、
政治と国民の日常生活の根底に【神格化思想】が存在。
2】死んで神になる神道【靖国神社】を、終戦記念日に首相閣僚らが参拝。
・靖国は全国に存在する招魂社のひとつ、
もともとは天皇に縁のある楠木正成を祀る。
・今日も靖国の年中最大行事は【大楠公祭】
・が、明治天皇の言葉を受け、格別の神社となる。
2008/4/3(木) 午後 1:35
気象庁が植物予報する桜【開花宣言!】
・国立遺伝子学研究所監修の出版物には、発刊以来今日まで、桜花序の形は
空想の図が記載されつづけている。
・観桜奨励の国。
その国内の【機関、及び植物学者】らは、日本に馴染み深い【梅・桜】についての研究・調査を、今日までなしていない。
発表もされていない。
気象庁が温暖化等の理由づけで、植物学者にも非ぬのに開花宣言するが、あくまでも気象庁職員の【目安】であって、科学的ではない。
4】年始に【伊勢神宮】を【首相・閣僚ら他、国会議員が参宮する。
5】▼象徴天皇が、内閣総理大臣、最高裁判所長官を任命。
・が、お飾りではない。
・天皇が国事行為拒否の場合、国政ストップ。
・天皇を強制したり罰する法令はありません。
▼昭和天皇逝去後「王政復古を最期まで希望していた」と、天皇の手帳から、
侍従が発表。
2008/4/3(木) 午後 1:43
安易に少女らを【集団自決】させた、岸信介の【処世観】とはいったい如何様なものだったのでしょうか?
【安易に生きている凡人】が、いったいどこに存在するのでしょうか?
中国で、戦略ナキ事実上の【満州統治者の岸信介】が、
動員した【士気が下がり乱れ乱暴を働く日本兵士】のために
作られた【先陣訓】の被害に遭遇した【沖縄戦の少女】らは、
【生かして呉れ】と、叫ぶこともできなかったのではないですか?
皆、何ぴとも、生きる生命の【義務を担って】生きているのではありませんか?
私は小泉純一郎について、記憶を封印して以来、両親にも兄弟にも友人にも、
1度も口外したことはありません。
しかも、私が犯罪を犯したのではありません。
小泉純一郎が1964−66年の間挙動不審な行動をとっていたのです。
それで、なぜ私が生命を狙われなくてはならないのですか!
斯様に馬鹿な話がありますか!
2008/4/3(木) 午後 2:18
国家に前提はありません。
リーダーのパーソナリテイーにより、国は運営され統治されます。
▼【首相】と【暴力団】との違いは、国民にその【暴力の正当性と公共性】を、
いかに説得でき得るか否かの違いでありましょう。
▼防衛省と、小泉純一郎と、安倍晋三と、各閣僚らの、恣意的権力により、
自由を迫害され、生命を脅かされつづけて来た私は【現政府:自民党】は、
▼【暴力団であると位置づけます】
本人不在・犯罪の責任転嫁は【岸信介】の体質であり、
自民党が継承して来た体質であり、
まさに小泉純一郎の体質であると、私は、実被害体験から指摘します。
自らの犯罪に脅え、常に犯罪者心理の妄想から、あらぬ防衛=攻撃をしかける
体質ですね。
私の祖父は、満州国で道路や橋を設計する仕事に従事していました。
父は、満州国の逓信省勤務でした。
父は【途中で放り出した岸信介】を【鬼畜】と呼んでいました。
2008/4/3(木) 午後 2:32
現在で云う、防衛省勤務の思想統制に従事した親戚から、
戦前、25年間アメリカ暮らしをしていた親戚から、
▼世界が周知であるところの【日本は世界初のテロ指定国】について、
私は、幼年時代に聞いていました。
岸信介が「変えるほどの節義」を持っていたとは、私には思えません。
岸信介に「想像の域を超える世界」があったーーとも私には思えません。
私の祖父は、ロシア戦争では連隊長でしが【兵士をさしおいて、先鋒を切り、
いの一番に戦死しました。
隊長として優秀とは言えぬかも知れません。
しかし、ひい祖父の資料館で資料を読み納得しました。
当時、ひい祖父の隊には【演習場がなく】、村民に山を譲って貰い、
兵士や村の者たちとともに、山を開拓し更地にし数年かかって、演習場を
完成させたと記されていました。
最期、与えられた条件下で最善を尽くした、ひい祖父のカタチです。
2008/4/3(木) 午後 2:41
岸信介が「身を立てる逞しさがあった」ーーなどと、私には、
ゆめゆめ買い被れません。
寧ろ【本人不在の小心者が自惚れるな!】と、私は岸へ言いましょう。
2008/4/3(木) 午後 2:41
国民統合の総意で、天皇を権能の「象徴」にした覚えはありません。
かねてより、周囲からも、聞いた覚えもありません。
私の身に起こる事態から、現実に終戦には至ってはいないと思われます。
▼憲法第1条の改正と、
私と国民の安全と平和のために、書き換え隠滅のない終戦を招致するために、
▼福田氏退陣!内閣総辞職→衆議院解散、政権交替を切に希望します。
2008/4/3(木) 午後 3:12