■2008/04/26 (土)
080426 浮草 |
うなじの毛先がチクチクと痛い。髪を切るのは、いつも四月だ。
ミッシェル・ウェルベックの小説が原作の映画『素粒子』に出演していた、ドイツ人女優マルティナ・ゲデックの全体的な雰囲気からあの髪型がいいなと思っていたが、それではわかりにくすぎるので、美容院では米倉涼子のようなボブ、ということになったはずだったが、帰りの銀座線のドアのガラスに映るのはどちらかというと藤野真紀子な感じであった。
それでも薄化粧でボーダーのシャツが、いつになく自分をラフにさせた。
ようやくシートに座れると、急な眠気がおそってきて、うつらうつらする。
髪を切る理由が必要だろうか。
植物園に行こうと思っていたが、雨が降り出したので、やめた。
さいごに直接話をしたかったが、かなわなかった。
*
リュカちゃんからメールが来る。
女の人生なんて浮き草よ
カオルちゃんもそろそろ小説でも書いてみてはいかがでしょうか
最後の一文に、苦笑した。
その手があったか。
*
台所のシンクで、写真を焼いた。
さよなら、バニラちゃん。
いつの日か、あなたはわたしを忘れてしまう。
■2008/04/16 (水)
080416 ターニャ |
先日、漫画『のだめカンタービレ』#20を買って読んだ。
何度もくりかえし読む漫画は、そう多くない。
登場人物の中でも、とりわけロシア人留学生のターニャが好きだ。傲慢で自意識過剰で自己顕示欲が強くて素直じゃないところが、ずいぶんと共感してしまう。
あまり真面目な学生ではなかったが、色っぽいピアノの演奏が持ち味だったターニャは、フランスでの学生生活は最後だと、意を決して挑戦したコンクール。そこでシューマンの『クライスレリアーナ』を情熱的に演奏し、「きっと世界中が泣いたはず!」と自信満々だった彼女だったが、結果は、あえなく敗退してしまう。
それに対して、峰くんのガールフレンドであり、ドイツに留学していた清良はバイオリン部門でファイナルまで残った。本選での彼女の演奏を聴きながら、感極まって峰くんが泣いている。音楽のために恋人と離れてひとり海外に留学し、本選に残る実力を持った清良の演奏する姿をターニャも目の当たりにする。
2年も恋人と離れて 頑張ってきた人・・・
わたしはどうしてもっと時間を大事にしなかったのか
今更悔やんだって仕方ないけど
わたしだってまだやれると思うもの
ターニャが自分のいままでを振り返って、あらためて悔やむシーン。
わたしはここでどうしても泣けてしまう。その理由は分かってる。今まで自分は何をやっていたのだろうと、振り返らずにはいられない。働いて稼いで、それを消費しているだけなのではないか。
人生は、何の目的によって昇華させるべきなのだろう?
■2008/04/15 (火)
080415 ペダル |
カチリと音がして、足が固定されるビンディング・ペダル。乗ってしまえば走り続けるしかない自転車。そろそろ紫外線が本格的に気にかかる、でも大丈夫、耳の後ろまで、日焼け止めを塗ったから。モダンな配色が気に入っている、ひるがえるピエール・カルダンのスカーフも、首周りの防御。
もっと身軽に、ペダルをこぎたい、信号よ、止めないで。東京タワーでさえ、わたしの風景になる。ゆずってくれた車には、片手で会釈。速そうなロードバイクのメッセンジャーは、お先にどうぞ。今日のお昼は、日比谷公園でお弁当を食べよう。
もっと、身軽になりたい。
歩道から顔を出す、菜の花が揺れる。
黄色い季節だ。
■2008/04/14 (月)
080414 歯車 |
いろんなひとが出てきたようだ、今まで思っていたことを、言おうとしていた誰かに口にしていた。わたしはずいぶんと感情的だった。
眠っているときの夢は、世俗の願望を調整する役割だと聞いたことがある。かなわぬ相手への満たされぬ欲求。いまさっき起こっていたことだったのに、それは本当じゃなかったことを知る絶望。だから、目が覚めたときは、いつも、せつない。
朦朧とした気分のまま電車に乗り、ひとつ前の駅で降りてしまう。せわしない足取りの人々、誰も知るひとはいない、わたしが知らない顔ぶれ。この時間にこの改札を通ることは殆どないのに、なんの感慨も無く、コツコツと歩く。ヒールの靴の上にのった脛が緊張して、だんだんと硬くなっていく。視界が暗くなり、酸欠のようだ。
ゆるいカットソーに、やわな素材のプリーツスカート。月曜日なのに。ぱりっとアイロンのかかったシャツに、タイトスカートで行こうと思っていたのに。
着席するなり、電話、また電話。3時半までに回答してください。これはライフ・ワークでなく、ライス・ワーク。芥川龍之介じゃなくても、わたしの目の前に歯車が回っているのが見える。
『歯車』を読んだのは、小学6年生。なぜ時期を覚えているのだろう、担任の教師が芥川に傾倒していたことを聞いたから、図書館の日本文学全集に手を伸ばした。まだ、早すぎた。あの頃のわたしには、まだ、歯車が見えなかった。
■2008/04/13 (日)
080413 台所 |
鶏手羽元に焼き目をつけ、酒、醤油、お酢、スライスしたニンニクと一緒に煮込む。月桂樹の葉も入れておく。蓋をして1時間ほど煮る。最後は蓋をとって煮詰めて、照りを出す。
ちょうどご飯が炊きあがる。米の減りが今までになく早い。1ヶ月で5kgなくなる勢いだ。一人分のはずなのに。
切り干し大根を水につけて戻す。ニンジンを千切り。油揚げの代わりに、ゴボウ入りの練り物を千切り。ゴマ油で炒め、だし汁で煮詰める。味がちょっと薄いかも。でも冷蔵庫で一晩おけば味がしみるだろう。
ほうれん草も茹でておいた。あとはそのままおひたしにしてもいいし、ベーコンとバターで炒めてもいい。
豚肉のロースも、味噌漬けにしておいた。いつでもご飯が食べられる。鶏もも肉もあるが、それは明日どうにかしよう。とりあえず食料は完備。
もう少し大きい冷蔵庫が欲しい気分だが、もうしばらくこれで辛抱しようか。ちょっと多めに作ると仕舞うのに難儀だが、このサイズでも全てのものを食べきれずに処分することだってあるのだから。
真面目にやってると、ずっと台所に立っている。作ったそばから洗い物が増えるので、ずっと皿と鍋を洗っているような気もする。やれやれ、わたしは決して料理が好きとは言わないだろう。ただ、自分の食べるための食事を作っているだけだ。
いくつかのアクセサリーを仕上げる。顧客に催促のメールを出す。材料費のレシートが山積みなのを横目に。いまだに事務処理は苦手だ。
雨は降っていないようだが、外に出る気分でもない。
■2008/04/12 (土)
080412 体力 |
今までと変わらない週末。ベランダの手すりに布団を干し、洗濯物をつるす。機種変した携帯が鳴ることは殆どない。そもそも携帯を持ち歩く習慣がない。財布だけ入れたショルダーバックを斜めがけにして、近所のスーパーに買い物。ドラッグストアに立ち寄り。基本的な食料品のラインナップを抱えながら、まっすぐ部屋に帰る。買ってきた食料品を下ごしらえして、夕方にはスポーツジム。いつものエアロバイクと筋トレ。腹筋は鍛えられ、腹もくびれたが、体脂肪はなかなか落ちない。会釈だけする、名前の知らない顔見知り。「また明日ね」と声をかけるのは、わたしが週末しか来ないのを知っている男性。悪い人じゃないけれど、めんどうくさい。そろそろ水泳に切り替えようかとガラス越しにプールを眺めながら、ピラティスの復習。わたしの身体は変わっただろうか、しかし使い道のない体力。もう少し、食事パターンを見直すべきかと自分だけのために、考える。
■2008/04/10 (木)
080410 気配 |
こんなことは今までなかった ぼくがあなたから離れてゆく
春なのに『秋の気配』だ。
オフコースの古い歌が、ずっと頭の中を流れている。
組織が少し変わり、誰かが出て行き、誰かが入ってくる。職場にはささやかな活気がたちこめている。停滞していた案件が膨らみはじめ、だんだんと忙しくなっていく。定時で帰れなくなり、予定がくるう。周囲の面倒くさい世間話につきあうこともやめた。
雨が続いていて、桜は完全に花びらを落とすだろう。
今週は自転車に乗れそうにない。
こんなことは今までなかった 別れの言葉をさがしている
かれの住む新しい部屋、気がすすまなかったのはその場所だった。その理由を言うことはない、その街では、昔の男が家族連れですれ違うのが怖いから? でもそれは今となっては、わたしを憂鬱にさせた本当の理由じゃないような気がする、わたしは疑問に思っている、今頃になって自分の人生に新たなる方向転換が必要なんじゃないかって、だんだんと、本気で思うようになってきた。
職場での昼休みは、ビルの中の別のフロアで過ごす。顔見知りのいない場所へ。わたしを知らない他の部署の人々に囲まれ、ひとりで持参した弁当を手短に食べる。残り時間で少し自分の勉強をする。誰とも話さない。
ぼくのせいいっぱいのやさしさを あなたは受けとめる筈もない
こんなことは今までなかった ぼくがあなたから離れてゆく
■2008/03/01 (土)
080301 乾燥 |
まるで宝塚劇場の前のような雰囲気だと思う。
中山可穂『サイゴン・タンゴ・カフェ』発売記念のサイン会。場所は有楽町、三省堂書店。スーツの男性が厳重な護衛をするように作家が現れ、店内に散らばる女性たちから、声にならない感嘆が沸き起こる。
ショートカットのさっぱりした金髪、フレームが太くモダンなデザインの赤い眼鏡がよく似合っている。藍色のシャツの上に茶色の革のジャケット。派手ではないが、洗練された服装だった。
線の細い、小柄な人だ。ずいぶんと年上のはずなのに、顔だちそのものよりも、色白でなめらかな質感の肌に釘付けになる。写真撮影は禁止です、と何度もアナウンスが流れ、テーブルに大男が囲った。まるでテロを警戒する厳重さ。
目を輝かせて並ぶ女性の中には、デメルやゴディバの手土産を持参しているひともいる。作家の卓上に花は飾られていたが、さすがに花を持参しているひとは見当たらなかった。『花だけはくれるな』というエッセイを思い出した。
しかし先頭には、くたびれた風采の男性がぞろぞろと並んでいて、その状況は、気の毒な罰ゲームのようにも見えた。彼らはとても作家に思い入れがあるとは思えず、個人の宛名も書かれず、果たしてあれはサイン本を転売する業者なのだろうか。
安物のオーディオから流れるタンゴ、残念ながら音質が良くない。ピアソラなら自分の部屋で聴きたい。
雑誌コーナーがある1階のフロアは混雑していて、店員が整理券を確認した順番で希望者の名前を呼んでいる。
「名前を呼ばれるって、どうなんでしょうね」べつにやましいことはないのに、読者のプライバシーは意識されないのかと、ひとりごとのように口にすると、隣にいたフェミニンなお嬢さんが「長く読まれているんですか? わたしは3年前くらいから……」と甘い笑顔を向けてくる。何年前かなんて考えたことなかった。『白い薔薇の淵まで』を買った書店は赤坂だったことを思い出した。
「8年前くらい前ですかね」わたしは5秒考えて口にした。
「一番好きな本はなんですか?」
「“白い薔薇”ですね」
彼女は愛想よく同意し、わたしの覚えていない本のタイトルを挙げた。残念ながら、すべての作品を読んではいない。
目に入った作家の人差し指の爪は、わたしの小指の爪の半分ほどしかなく、深爪といえるほど短く切りそろえられていた。
サインと握手をしていただいた時、その手は冷たく乾燥していた。自分の体温が恥ずかしくなるほどに。
■2008/02/12 (火)
080212 ぐにゃり |
休み明けに会社に出てくれば席替えが決まっていた。わたしの席は、課長の近くの上座に決まっていた。金曜日にはカノ主査の昇進祝いがあったらしく、わたしがいないのをいいことに、おそらくその飲み会では、その座席に決めた課長への冷やかしと、カノ主査とミキちゃんの関係に注目といったところだろう。「イジさんは酔っぱらってゴキゲンでした」とクアちゃんが教えてくれたが、そんなことはどうでもいい。
エピちゃんがニッコリといつもの笑顔で手書きのメモをわたしに渡す。ディズニーの絵のメモ。
「最近ミキちゃんが元気ないから、ウヅキさんからも話しかけてあげてくださいな」
一瞬、エピちゃんの笑顔が、ぐにゃりと醜く見えた。わかってるくせに。どうしたんだろうね、とわたしも彼女に笑顔の仮面を向ける。
おそらく、カノ主査は、春には異動になってしまうのだろう。それをミキさんが知らないはずはなかった。その状況を、周囲の女の子たちが好奇心をもって見ていないはずはなかった。
昼食にはお弁当を作るようになってから、他の女の子と一緒に昼ご飯を食べなくなった。マユちゃん、エピちゃん、カエラちゃんとは世代が違うし、キユさんは気まぐれすぎるし、ひとりで過ごすほうが気楽だった。
女の子たちの噂話に参加しなくても、カノ主査がミキさんに仕事の話をしているとき、マユちゃんがギラギラと嫉妬の目で見ているのは、わたしだって分かっている。でもそんなこと口にしたってしょうがない。
鬱陶しい人間関係。
職場では仕事の話しかしない。
わたしはだんだんと、口数が少なくなっていく。
■2008/02/11 (月)
080211 百年の孤独 |
「お酒もあるのよ」と母親。父親は酒好きではなかったが、家に仕事仲間が集まると洋酒を開けた。
「お姉さんはワインしか飲まないって」と母親はこぼす。「ウイスキーだったら、わたしが飲むよ」と脚立を持ってきて、奥の戸棚を開けると、酒瓶が出るわ出るわ、オールド・パーなんて未開封が3本もある。おっと山崎12年、これはいただこう。シングルモルトなら大歓迎。スコッチもブランデーも。知らない名前のものもある。なぜか、焼酎さつま白波なんかも紛れている。父親が自分で買ったものではない、たぶん全てもらい物だろう。今年はお酒を買わなくていいみたい。あとで宅急便で送ってもらうものを、より分ける。
帰宅すると、バニラちゃんからメール。
ガルシア・マルケス『百年の孤独』を読んでいる、とか。
昔は殆ど小説に興味がなかったというのに、山奥の閑静な生活は、ずいぶんとかれを本に向かわせたようだった。
父親に会わせたら喜んだだろう。
はじめてそんなことを思った。
|