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[減刑する理由が無い]
>数多くの奇怪な発言

狂人の振りをして責任能力が無い様に見せようとしているだけなのかも知れません。
奇怪な発言があったから精神年齢は幼いのだろう、という推測までは賛成ですが、精神年齢が幼いから減刑すべきだ、という結論には反対です。精神年齢は罪の軽重に関係有りません。


>精神科医でもないのに野田氏の精神鑑定になんくせをつけている

専門家で無い人間が専門家に意見する事がおかしいという理屈は一理有りますが、この理屈からすると裁判官でも法律の専門家でも無いあなたが判決になんくせをつけるのはおかしくありませんか。


>家庭の事情などの背景を考慮すると

家庭に問題が有った事は確かでしょうが、家庭内暴力と母親の自殺と父親の再婚とが、被告人の減刑を必須とする程の影響であったとは思えません。減刑とはそんな理由で下されてしまうものなのでしょうか。
04/28 22:09 By:釣本直紀 URL
[人を教える立場から去ってください]
あなたは、家族を殺されたことがあるのか?
その気持ちもわからずして、知った様なことを言わないで欲しい。
子供を0.5人という時点で、人として失格だ。
そんな人間が人を教える立場になんかいて欲しくない。

自分の欲望だけで、人を殺せば命をもって償うしかないと思う。
『命は尊いもの』などということは、5・6歳で判ること。
18歳の少年だということが何の意味がある。
反省するなどというのは当たり前のこと。
それと罪を償うことは別のこと。
なぜ被害者を中心に裁判を進めてはいけないのか。
被害者の報復感情を法のもとに、被害者の納得いく結果を
出すことがなぜいけない。

あなたは基本的に人を見下しているんだと思う。そして自分は優れている
と勘違いしている。
もう一度、3歳から人生をやり直した方がいい。
そして、まっとうな人間に育って欲しい。

あなたのもとで学んでいる学生達がかわいそうだ。
学生達のために一刻も早く去った方がいい。



04/26 11:47 By:kanyu URL
[]
私も「前科」にはならずに釈放されてますが,何回か公安の刑事のお世話になりましたよ.留学の帰りには伊丹空港で手錠をかけられ,都島の拘置所で臭いメシも食いました.ただ,幸いなことに,祖父がもと警察官僚だったため,数日間公安の刑事や検察官を相手に知能ゲームと黙秘権を繰り返したあと,祖父の電話番号を渡したら,さすがに検察官は硬直(笑) その場で私は釈放となりました.祖父には何で帰国したんだと後で怒られましたけどね.そういう意味では nob さんと違って,国家の特権を利用して釈放となった訳ですから,こういうコネや知識がない人は簡単に冤罪へと持ち込まれるだろうなと考えたりもします.刑事や検察官は一生懸命に私を洗脳しようと努力されてましたけど,知能の差でこっちの勝ち(笑)


はじめまして。
上記を読んで、加害者の元少年がなぜこのような事件を起こしてしまったのか、分かる気がしました。
筆者が公安に拘束され、何がしかの疑いがかかったというのは事実であり、
また、疑いのかかる行動を好んで選び取ったのも筆者ご自身です。その行動の背後にどのような理由があったのかは私には分かりません。
ですが、その経験をなさった時点でご自身の行動のどこが社会との間にずれを生じさせ、個人の拘束という国家権力を発動させるにいたったのかを理解し、ご自身の身中にある悪を是正をされるべきでした。これを反省といいます。
筆者からすれば、知能ゲーム、ですが、検察官からすれば、公務(仕事)、です。
お身内に立派な方がいらっしゃるようですが、あなたが立派ではない。
あなた個人が信用され釈放にいたったわけでは無いのです。お身内の方の社会的職業的地位が信用されたのです。つまりは、筆者は社会に拘束されまた、社会に守られたのです。この帰属する日本社会からの恩恵を受けて、なお、自分は特権利得者だ、とするのはあまりに悪ずれに感じられます。

私は加害者の事がどうにかして理解したい思いでしたが、こちらに訪れて理解できないままで良いと思いました。
私の祖母は更生保護婦人会におりました。
04/26 02:09 By:sakuragi URL
[う”〜ん、軽すぎる]
軽すぎるのは、被告に与えられた刑罰ではなく、あなたの意見(?、というより、独り言ですね。)准教授とも呼ばれる方であれば、もっと研究し、深くヒアリングして意見を公表すべきです。あなたの私的ブログとはいえ、大学の准教授なのですから。・・・と思う、とか、評論家さんを呼び捨てはいかん!ですよ。品位が感じられないし、呼び捨てにしている限り、あなたには相手に対する”思いやり”を感じない。”思いやり”を感じさせない=”愛”から語っていない、ということです。青山学院大学って、そういう大学ですか!?
さまざまな意見をブログ上で語るのは結構。しかし、”愛情”から語ることができなければ、あなたに敬意は払えないし、戯言としか心に響かない。この事件を語るには、人のことは言えませんが、修行が必要なのかも知れませんよ。
少なくとも、”相手”の立場を認めるくらいの精神性を身に付けた上で、大見得切りましょうよ。ちょっと、あなた情けないです、人として。
04/25 23:37 By:渡邊 URL
[]
瀬尾佳美さんのことを、きちがい、と言っているのはおかしな話だと思います。あくまで事実を客観的にとらえて、何が正しいのか、どちらに社会が向かっていくべきなのかを考えるべきだと思います。

ただ、大変失礼かもしれませんが、以下、瀬尾佳美さんがWeb上で発言した事実から、どのように瀬尾佳美さん自身が、事実と感情と想像をごっちゃにしているのか確認し、反面教師として考えていきたいと思います。

> 私は死刑廃止論者ではない。麻原なんかさっさと首絞めたらいいと思っている。だが、光市の事件に関しては死刑は重すぎるように思えてならない。犯人が少年だからだ。
> 国が死刑という形で犯す殺人には、熟慮が必要だと思うのである。最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。
> 20日の本村洋氏の意見陳述も、「死ね」という以外のメッセージは何もなく、同情はするが共感はしない。
> 差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう

たとえば、この方は、赤ちゃんだから0.5人分として評価するといっています。
リスク評価における統計的評価手法を誤って表現しているのでしょうが、はっきりいって0.5人を殺すというような事象は現実には存在しません。殺したか殺していないか、さらに殺した場合、刑法的には意図的か過失か、があるだけです。離散的な事象をどうあつかうかについては、物理学でならったはずではないのでしょうか。
(さらに言えば、人間の命を、少数以下を含めた数字で扱うこと自体が正しいことなのかどうかを考えるべきでしょう。4人殺したかどうかを少年でも死刑にする、しないという議論ははたしてまともな議論でしょうか?今回は被告の精神がどれだけ未熟だったか、ある程度成熟していたとすればどの程度の悪意があったのか、を検討すべきで、焦点がぼやけないようにそれ以外の議論を持ち込むべきではないのではないでしょうか?)

人間の命は赤ちゃんだからといって関係ありません。人を殺したのか、殺してないかのどちらかでしかない話でしょう。赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうかもしれないので、だからこそ、みんな大切にするんだと思います。

それから、最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦、と書かれていますが、これはちゃんとした調べに基づく証明された事実や推論される事実でもありません。もはや、妄想の領域です。最高裁判事になられるくらいですから、そのあたりの倫理観は当然持って叱るべきでしょう。この件に関して、最高裁判事として、名誉毀損で訴えればよろしかろうと思ってしまうくらいです。

それから本村さんは(憎しみに煮えくり返っているはずのなか)相当言葉を選んで発言されていましたよ。もちろん、怒りや憎しみが全く垣間見えなかったわけでもありませんが、それは遺族の立場からしかたないことです。さらに、もし、仮に直接的に「犯人に死んでほしい」、と発言されたとしても理解できます。そして、決して批判するようなことにはならないと思います。自分の恋人や子供、両親などを殺されれば、やはり相手も殺したくなるのが人間だと思います。

問題は、そのような被害者の気持ちと、犯人に対して適切な刑罰や社会への償い、更生の機会をどのように考えるかであると思います。遺族を感情的と批判しながら、著者自身が感情に流されていると思います。
あくまで感情を切り離して、精神的に未熟な少年・少女による犯罪をどのように考えるかについて、議論を展開されればよろしいと思います。少年・少女に死刑を科すべきではないというのは著者の考えであって、客観的事実でも、広く受け入れられている常識でもありません。ただし、社会としてこれからも深く考えていくべきものであります。

具体的事件を例に出してブログで自身の主張を展開されたことは、世の中の注目を集める目的が少なからずあったのでしょう。
ですがその論調は、被害者の感情を逆なでし、また、それに同情する人々をもあざけるようなもので、結局は自身が感情に流されているからと受け取れます。

本当に少年を死刑にしてよいのかどうか、さらに死刑にできるとするなら、その基準はどうあるべきかについて、もっと過去の事件を例に議論を展開されればよろいいと思います。

以上から、瀬尾佳美さんは事実と感情と想像をごっちゃにされていると結論づけされていただきます。
あとは皆さんが判断すればよろしかろうと思います。

それからリスク理論入門ですが、学者らしいタイトルをつけたかったのでしょうが、内容は学者のレベルではありません。タイトルに見合っていないということです。安全と便利のバランスは、リスク削減のコストは誰が負担すべきなのか、このあたりはリスク管理の専門家の間では常識のレベルであり、理論と呼べるようなたぐいのものではないと思います。
よって、この本のタイトルとしては、「ニュースにみるリスク管理の考え方」、くらいがちょうどよいレベルの本と思いました。
04/25 22:04 By:事実の観測→判断基準→結論 URL
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