かつての俺は、ひねくれているというか、天の邪鬼というか
、まぁ今でも「変わっている」と人からよく言われることもあ
るが、とにかくまぁ、おかしかったのは今に始まったのではな
く、昔から俺はおかしな奴だった。
ある時、俺の友人の一人が俺の為に、西麻布の店をわざわざ
予約してくれて、誕生日パーティーを企画してくれたのだが、
何かそういうことをされると、俺はどうも逃げ出したくなる性
分で、その日もまんまと俺はバックレてしまった。
どうやら誕生日の主役である俺抜きで、あまり盛り上がらな
い中で、誕生日をしたそうであり、後日、その友人に会うと、
その男は怒り心頭で俺にこう言った。
「冗談になっていない!」と。
まぁ確かに彼の通りであり、今では本当に悪いと思っている
。
その男は、俺にはサッパリ理解できない音楽をこよなく愛し
、今も夢を追い続けている。
俺は夢というものについて、よく考えることがあるし、その
一方で、「俺にはが無い」という寂しい言葉さえも、俺はよく
耳にする。
しかし俺はそうした方々に是非とも話したいことがある。
それは「夢」というものは、決して神様や女神様が現れて、
俺達にプレゼントしてくれるものなどではない、ということだ
。
苦労は誰でもするが、しかしその苦労の上に、さらに努力を
行っていくからこそ、いつしか俺たちは夢というものは描けて
いくのである。
何にも一切努力せずに、たとえば「○○に成る」という夢を
持って、いくらそれを人に語ったところで、それではその夢の
実現に向けて近付いていくことがない為に、残念なことに、い
つしかその夢が描けなくなってしまうことさえあるだろう。
つまり努力を行い、自分の中で少しでもその夢に近付いてい
くことができるからこそ、その夢を描き続けることができるの
だと、俺は考えているわけだ。
たとえ今は夢が無くとも、自分が少しでも得意な分野があっ
たのならば、それが音楽であろうと、絵であろうとも、人と接
するということであろうと、事務的なことであろうと、子供の
面倒を見るということであろうと、体を動かすということであ
ろうと、何であろうとも、そのことに関して何らかの努力を行
っいくからこそ、自然と夢がおぼろげながらも描ける様になっ
てきて、次第に明確化していくのである。
夢は自身の努力こそが創造し、そして維持するのだ。
事実、この俺がそうだった。
俺は、「言葉を書きたい」ということに何か心惹かれるもの
はあったものの、何を書いたら良いのかサッパリ分からず、と
にかく書く勉強をした。
本も読めば、人と触れ合い、実際に何枚も書き続けた。
つまらない小説や原作を書いて、出版社に断られたことなど
数知れない。
しかし、たとえそうした失敗を何年も繰り返そうとも、情熱
を持って何度も挑戦し続けるうちに、いつしか俺は自分の本当
に書きたいものが見つかってきた。
まさしくエジソンの言う様に、「失敗がその方法では駄目だ
」ということを、俺に教えてくれたのである。
この様に、努力を続けるからこそ、人は夢を描くということ
ができるのだ。
そして俺たち人間という生き物は、心の生き物である以上、
夢を失った時、老いていくのである。
年齢を重ねるから人は老いるのではない。
夢を失い、失望し、絶望した時、人は希望という名の生きる
力を失って、老いていくのだ。
つまり俺たち人間の中には、齢八十を過ぎる若い方もいれば
、二十歳で老いている者さえも現実にいるのだ。
夢の中には、夫婦仲良く暮らすという、毎日叶う夢もあるだ
ろうし、また何かの職業に就きたいという、数年、数十年越し
の夢もあるだろう。
それがどんな夢であろうとも、人は夢を描き続けるからこそ
、希望という若さを持って、人生を力強く生き抜いていくこと
ができるのだ。
しかし、夢というものは叶うこともあれば、あるいは破れる
こともある。
残念ながら、夢には確かに終焉が訪れるのだ。
たとえば、ある二人の役者が、何かの役を演じることを夢に
して、そしてこれまで血のにじむ努力をしてきたとしても、そ
の役には一人しかなれない為に、どちらかはその夢を叶えて、
そしてどちらかはその夢が破れてしまうわけだ。
この様に、確かに夢には終焉が訪れるのである。
しかし、「夢が叶った」といつまでも喜び続けていたり、あ
るいは「夢が破れた」といつまでも落ち込み続けていても、新
たな夢は始まらず、再び努力を行っていくからこそ、また何か
の夢が描けていくのである。
それはその後、役者を続けていくか、それとも別の人生を選
ぶか、それは別にしても、次の努力が、次の夢を描かせるので
ある。
こうしたことを踏まえた時、「俺たち人間とは、自らを老い
込んでいくこともできれば、自らを若くしていくこともできる
、そんな生き物である」と、俺はそう考えている。
そしてそれを分けるのは、「自分がどれだけ努力するか?」
これに掛かっているのだと、俺は信じて疑わない。
だからつまり俺たちは、自らを追い込んではならず、その為
に努力し続けることが大切であるのだと思うのだ。
「夢が無い」「夢が見つからない」もしもそう嘆くのならば、
そう嘆く前に、是非とも自分の何か関心のある分野、興味のあ
る分野において、小さなことからでも構わないから、何らかの
努力をしてみるべきだと、俺は想う。
苦労は誰もがするものであるけれども、苦労のみならず、努
力をもしていけば必ずや人は夢を見いだし、希望という生きる
力を手にすることができるはずだ。
自分の誕生日パーティーからばっくれることと、友人の結婚
式で泥酔すること、どちらが冗談になっていないか、その判断
は任せるとしても、まぁどちらも共に、俺からすれば良き思い
出だ。
また今度、静かな店で飲もう。