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2008年04月29日(火曜日)付

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民主党―「野党の仕事」が問われる

 「先生、野党の仕事って何ですか」

 「何が何でもそのときの政権を倒す。政策も何もない。とにかく政権を倒すことが野党の仕事だ」

 与謝野馨・前官房長官が話題の近著「堂々たる政治」の中で紹介している中曽根元首相とのやりとりだ。

 自民党は93年の総選挙で敗北し、細川政権のもとで初めての野党暮らしを経験することになった。何をすればいいのか。困り果てた与謝野氏が、かつて秘書として仕えた中曽根氏に教えを請うたのだという。

 民主党はいま、まさに「野党の仕事」に取り組んでいる。福田政権を衆院の解散・総選挙に追い込むため、いつ参院に首相の問責決議案を提出するか、タイミングを計っている。

 決議が可決されても、首相はおいそれと解散や総辞職に応じる気配はない。もともと衆院での内閣不信任と違って、問責決議に法的な強制力はない。2割台の内閣支持率しかないのだから、与党としてはできるだけ総選挙を先送りしたいところだ。

 衆院山口2区の補欠選挙で、民主党への追い風ははっきりした。これを背にどう政権を追い詰めるか、慎重に策を練るのは当然のことだろう。

 「政権を倒す」といっても、かつての55年体制の時代とは意味が違う。当時は野党の攻勢がうまくいったとしても首相が入れ替わり、別の自民党政権が生まれるだけだった。いまは総選挙を経て、野党への政権交代がありうる時代なのだ。

 そこで野党が果たすべき仕事とは、どのようなものなのか。

 何が何でも政権を倒す。この中曽根氏の指摘はわかる。政権交代可能な政治システムを日本に築きたいという政治改革の流れからすれば、単なる権力闘争を超える意義がある。

 そのためには日銀総裁人事に不同意を連発したように、理屈を超えた強引さもありうるかもしれない。問責決議をぶつけ、国会を全面ストップさせるというのも同様だ。要は、それが国民の理解を得られるかにかかっている。

 同時に、政権を委ねるにふさわしい政党として、有権者に信頼されなければ総選挙での勝利はおぼつかない。対案を出すにとどまらず、現実の政策を変えさせる粘りと実行力も要る。

 たとえば、暫定税率などでの妥協は難しいにしても、道路予算の無駄を切り詰めさせる努力は続けるべきだ。

 「お年寄りいじめ」と批判している後期高齢者医療制度にしても、廃止を言うだけではだめだ。どんな制度ならより公平で持続可能なのか、対案を示す必要がある。

 「政権打倒も、政策も」というのは決して贅沢(ぜいたく)な注文ではない。それを巧みにこなしてこそ、政権をうかがう野党第1党なのではないか。

刑事責任能力―裁判員に分かる鑑定を

 茨城県土浦市で無差別に2人を殺し、7人にけがを負わせた一連の殺傷事件で、逮捕された無職の男性が精神鑑定を受けることになった。

 普通の人に理解しがたい事件が増えるにつれ、精神鑑定で刑事責任能力を争うケースが多くなっている。

 折も折、医師がそろって精神障害と鑑定した三橋歌織被告に対し、東京地裁は刑事責任能力を認め、殺人罪などで懲役15年の判決を言い渡した。

 被告は暴力を振るう夫を自宅で殺し、遺体を切断して捨てた。その犯行の異常さが世間の耳目を引いた。ところが、裁判になると、短期精神病性障害と鑑定されたため、刑事責任能力があるかどうかが焦点になった。

 精神の病などで善悪の判断ができない場合には、責任能力なしとして、罪を問わない。自分をコントロールできない人を罰することはできないという法の考え方からだ。

 善悪の判断ができていたかどうか。その見極めは難しい。今回も裁判官は悩み抜いただろうが、来年から始まる裁判員制度では法律に素人の市民も厳しい判断を迫られる。

 今回の事件では、検察側と弁護側が申請した2人の鑑定医は「被告はもうろうとした状態で幻覚や幻聴が起きていた」で一致していた。

 鑑定は信用できる。だが、被告は幻覚などによって殺害を指示されたのではなく、犯行は被告の人格がもたらしたものだ。犯行を隠すこともしていた。それが判決の論理だった。

 鑑定はあくまで参考意見であり、犯行のありさまや動機などを総合的に検討し、最後に判断するのは裁判官だ。判決はそうも述べている。

 判決が鑑定結果と異なるのは納得がいかないという人もいるだろうが、鑑定だけに頼れないのも事実だ。

 今回の裁判は裁判員制度をにらんで、鑑定の説明の仕方に工夫をこらした。これまでの専門用語による分厚い鑑定書ではなく、法廷での口頭による説明を鑑定の結果とした。また鑑定医ごとに質問するのではなく、2人いっしょに出廷させた。

 最高裁は先週、別の事件で次のような判断を示した。「専門家である精神科医の意見は、公正さや能力に疑いがあるといった事情がない限り、十分に尊重すべきだ」

 これも裁判員制度に向けて、専門家の意見を軽視しないようクギを刺したといえる。そうなると、裁判員に鑑定結果を正確に理解してもらうことがますます必要になってくる。

 責任能力があるかどうかを鑑定するのは難しいし、それを素人に説明するのも簡単ではない。

 裁判所は今回の説明方法をモデルケースにして、さらにわかりやすい鑑定を心がけてもらいたい。

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