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断腸の記

2008年04月28日 18時38分26秒 | Weblog



▼作家、永井荷風の著名な日記に、断腸亭日乗がある。
 荷風の、何ものにも侵されぬ不羈(ふき)の生きかたと、強靱な文学を深く尊敬しているが、真似るつもりは、さらさらない。

 しかし、この頃のぼくの朝夕に名を付けるのなら、それは「断腸の日々」と呼ぶほかはない。
 朝に夕に、断腸の思いが、胸を噛む。
 おのれの非力、祖国の命運、世界の弱者、少数者の不条理、それらへの無念の思いが、かつてない鋭さで、こころに刺さり、また刺さる。

 空は、われらに青いか。
 子々孫々にも、青いか。
 いや、大陸より吹きつく黄砂や煙霧に侵されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 海は、われらに青いか。
 子々孫々にも青いか。
 いや、半島から流さるる樹脂や核の吐瀉物に冒されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 もはや、ただひとつの国にて清くあろうとしても、それはできはしない。
 チベットのひとよ、ウイグルのひとよ、拉致されたままの同胞、はらからよ、われらと魂で結べ。







▼なんだかすこし、悲痛な書き出しになりすぎてしまった。
 ほんとうは、この世にかりそめに在る日々を、もっと楽に書きとめていきたいし、ブログというやつは、ただ一人で書きとめるだけじゃなくて、広く遠いひとびととも自然に交信する。

 しかし、ぼくが、ささやかなりに携わっている仕事、あるいは責任を数えてみたら、55あった。
 したがって、ほんのちょこっと、書きとめるだけです。
最近のある一週間について、書いてみます。
 忘れられない日もありました。


▽4月19日土曜

 未明4時ごろ、大阪の定宿ホテルで、どうにか目を覚ます。
 ゆうべの就寝は、午前2時過ぎだったかな、就寝というより、パソコンの前でがっくり首を垂れていただけだ。

 眼をしょぼつかせながら、電子メールのうち、これはどうしても急がねばならないというものを選び、返信を書いてゆく。
 ほかのメールは無念の思いでいったん見送る。

 朝8時20分ごろ、ほかの部屋に泊まっていた、独研(独立総合研究所)の秘書が迎えにやってくる。
 その元気な顔に、ずいぶんと励まされる。
 ぼくは朝風呂にほんの短時間ながら浸かって、血を身体にめぐらせ、それなりに戦う態勢になっている。

 8時50分ごろ、関西テレビに入る。
 簡潔な打ち合わせを経て、生放送のスタジオへ。

 きょうは、日本の仏教界から初めてチベット抑圧に抗議する良心の声をあげた、書寫山圓教寺(書写山円教寺)の大樹玄承師が、ダライラマ法王の側近であったペマ・ギャルポさんと接点ができて、大樹師の訴えがチベットの人々に伝わっていくことから、つたない話を起こした。

 ほんらいの目的に集中し、ほんらいの志に生きて、死ぬ。
 いつものように胸のうちで、そう唱える。
 テレビ局のスタジオでの、ほんらいの目的は、ただ視聴者、国民に伝えるべきを伝えることだけだ。
 おのれがうまくやれるか、どうのこうのは、もちろん気になっていいが、目的じゃない。

 昼近くに、生放送が終わり、そのまま伊丹空港へ。
 午後2時すぎに羽田空港へ着く。
 きょうはテレビ朝日で「TVタックル」の収録があるので、空港から直接、テレ朝に行くのがいいのだけれど、このごろの心身の疲労を考ると、どうしても、どれほど短時間でも一度、自宅に帰りたい。

 空港から、海と富士山のみえる自宅へ。
 ほんの10分ほどひとりで寛いで、それなりにリフレッシュする。
 午後3時45分ごろ、テレビ朝日に入る。

 ぶったまと同じく、とても簡潔な打ち合わせがある。
 きょうは全編、中国問題ということで、日本にいる中国の学者とジャーナリストも出演される。
 顔馴染みのディレクターが、ちょっこっとぼくの待機室(楽屋)に顔を出して、「このごろは、なかなか外交問題をやれなくて。実に、あれ以来ですよ」と言う。
 昨年12月だったか、「日本人よ、拉致問題を忘れるな」というテーマで収録したとき以来、という意味だ。
 それでも、やるだけ、エライ。

 午後4時半、収録を開始。
 チベット、東シナ海、胡錦涛国家主席の来日。
 今夜は、チベット人のためにも、ちゃんと声を出さねば、という思いがあった。
 収録はいつものように2時間たっぷり。
 これが編集されて、40数分だけ、放送される。
 タックルは、ちょっと見には生放送ぽいけど、実際には収録であることを番組はちっとも隠そうとはしていない。
 ほんのジョークで生放送の装いにしてるよ、という感じだ。それが、この長寿番組の隠し味のように思う。

 中国人のふたりと真正面から議論したつもりだった。
 収録が終わり、顔をひと洗いして、帰ろうとエレベーターへ。
 そのエレベーター近くで、中国のふたりのうちのおひとり、女性が、「青山さんが話をさせてくれなかった」とスタッフをかき口説いている、いや訴えているところに、偶然ばったり出くわした。

 ぼくは気にせず、エレベーターから「どうぞ」と言うが、女性は「もう、一緒になんか乗りたくない気分」とおっしゃる。
 そうですか、と行こうとすると、乗ってこられた。
 そして、まるで収録中のときのように強く、なにかをおっしゃる。
 ぼくはいつも、どんなに激しくやり合っても収録が終わればノーサイドと考えているから、ちょっとだけ意外に思う。
「心配なさらなくても、あなたの発言はちゃんと放送されますよ。ぼくの発言はいつも、大半カットされますから、あなたが心配することはありません。大丈夫です」と言う。

 まんま、本心をありのままに言った。
 すると女性は、「それが分かっていて、あんなに妨害されたのですか」

 妨害?
 まさか。
 あなたのように、どんどん話せるひとを、妨害したくてもできるもんじゃありません。
 …と思ったが、何かを答えるまえに、エレベーターはもう車寄せに着いた。
 当然ながらレディファーストで、先にクルマに乗られるよう勧めながら、中国のひとは実際たくましいなぁと内心で感嘆する。

 この収録分が放送されるのは、ずいぶんと先で9日間も先の28日だ。
 10日近くも経てば、情勢も変わる。
 現にこのあと、フランスが中国に実質的に屈服するという意外な事態にもなった。
 さて、どんな風に編集されるのか。
 ぼくの発言はあまり使われないけど、それはそれとして、編集ぶりはいつも天才的だ。まるで当日に収録が終わったばかり、湯気がほやほやという感じに編集されている。


▽4月20日日曜

 ほんとうは終日、原稿を書いていたかったが、朝10時から夕刻5時半ごろまで遠出をして、毎日新聞の編集委員らと会う。
 このひとは、ものすごくフェアなベテラン記者で、その風貌をみているだけで背筋が伸びる。
 毎日新聞とは、意見の違うことも多いけど、このひととはエネルギー問題などで共感が深い。

 帰宅してから、ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月21日月曜

 午後2時45分ごろ、防衛省に入る。
 午後3時15分から、2時間あまり、防衛省に国家公務員1種と2種で採用されたばかりの新人防衛官僚と、この祖国の護りについて講演し、ひとりひとり眼を見て対話する。
 必死の思いで話した。
 彼らの眼の輝きが、うれしかった。胸に沁みた。

 午後6時まえ、独研(独立総合研究所)の本社に戻る。
 午後6時半から、朝日新聞の幹部の夫妻と、夕食会。
 朝日新聞とは、中国にしても憲法にしても、考えは違う。しかし、ぼくは考えのまるで違う友だちが多い。
 この朝日の幹部はご夫婦とも、政治記者時代からの、ながぁい友情だ。
 日本の既得権益の解体などについて、突っ込んだ意見交換をする。


▽4月22日火曜

 午後、大阪に入り、近畿大学経済学部の客員教授としての授業をふたコマ、合計3時間、講義する。

 夜、関西テレビに入って、あすの報道番組「ANCHOR」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーのために打ち合わせ。
 この打ち合わせは、じっくりとおこなわれる、なかなかの難事業だ。
 しかし、この頃はメインキャスターのヤマヒロさんと、村西利恵ちゃんが、その日の生放送が終わってからすぐ、疲れた顔もみせずに明るく参加してくれるので、議論がぎゅっとコンパクトになって、やりやすい。ぼくの疲労感は、すこし減りつつある気がする。
 ほんとうは、毎日が極限勝負のメインキャスターこそ疲れているだろうに、こころの底で手を合わせる。


▽4月23日水曜

 定宿のホテルで未明4時半ごろに起床。
 携帯電話とeメールで取材、意見交換、情報の交換。

 朝7時17分ごろから、RKB毎日放送ラジオに、電話で生出演。
 イエメン沖で日本の原油タンカーが海賊に襲われた不可思議な事件が、東シナ海のガス田をめぐって中国とフェアな交渉を毅然とやらねばならないことに、実際は繋がっていることを話した。

 昼から1時間半ほど、ある公共事業体のトップらと昼食会。
 メタンハイドレートをきちんと探査する必然性などについて、意見を交換する。
 福田さんの先行きなど、政局についても自然に、深い話になる。

 いったんホテルに戻って、プールでひと泳ぎ。
 これで血を身体にめぐらせて、生放送に耐えられるようにする。

 午後4時まえ、関テレに入る。
 午後4時55分から、ANCHORの生放送が開始。
 コーナーでは、朝のラジオと同じく、タンカー襲撃事件から説き起こして、中国との対等な資源外交を国民が求めていくことについて話した。
 ラジオとテレビは、まったく根こそぎ違う。
 それに注意しながら、視聴者の心眼に残るようにしたいと願う。

 夜9時20分ごろ、羽田空港から自宅へ帰る。
 ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月24日木曜

 ほぼ寝ないまま、朝7時45分に自宅を出て、東京駅へ。
 東北新幹線で、あるエネルギー施設へ向かう。
 独研から、秘書室長、それに研究本部・社会科学部の研究員ふたりの計3人が同行する。

 車中で、「土曜日の長野聖火リレーの前に行われる、善光寺での法要になんとか参加できないか」と秘書室長に打診する。
 これは日程的に無理だと決まっていたが、法要はチベット民衆蜂起での犠牲者をチベット人、漢人を問わずに弔うという素晴らしい法要だ。
 これに参加する高辻哲洋師ら僧侶の行動に、ぼくは「賛同人」として賛意を表明している。

 もはや無理と分かっているのに打診された秘書室長は、嫌な顔ひとつせず、再検討や問い合わせを車中で開始してくれる。
 彼女はこのために、おちおち席に座っていることもできず、デッキで電話などをしている。こころのなかで深く感謝する。

 ぼくは座席で、原稿を書く。と言いながら、かなりの時間、眠りに落ちてしまっていた。
 秘書室長、申し訳ない。
 彼女はむしろ安心したのかも知れないけど。

 仙台駅で降りて、そこからかなりの長時間、高速と山道をタクシーで揺られ、エネルギー施設へ向かう。
 揺れる車中で、急ぎの原稿を仕上げてネットで送り、これからおのれがやる講演のレジュメを点検し、最後に10分ほど仮眠して、エネルギー施設に到着。

 エネルギー施設で、この国の自主エネルギーをどう護るかについて講演し、そのあと施設を実地検分し、研究員らとともに検証会に臨む。
 テロ対策を中心に、問題提起し、意見を交換する。

 夜、そのエネルギー施設のかたがたと懇談会。
 懇談会のまえに、秘書室長から「やはり長野行きは無理でしょう」という判断を告げられ、ぼくとしても了承する。
 仙台の近くで宿泊。
 終日、雨。夜っぴて、雨。


▽4月25日金曜

 未明に起きて、原稿執筆。
 窓の外は、まだ雨が降っている。
 子々孫々にとって、うたれてもよい清い雨でありますように。

 昼すぎ、仙台から東京駅に着き、独研の本社へ。
 夕刻、ことしも陸上自衛隊から研修生(佐官ふたり)を受け入れることについて、陸自幹部が来社され、じっくり打ち合わせ。

 夜、早くから決まっていた情報源とのアポイントメント。


▽4月26日土曜

 未明3時から4時にかけて、自分で車を運転してとにかく長野へ行く道が最後に残っていると考えるが、朝までに終えると約束を交わしている、独研社長としての仕事が終わらず、断念する。
 徹夜仕事のまま、早朝から長野の実況放送をみる。
 日本の主権が侵されている懸念を持つ。

 長野聖火リレーが終わって間もなく、警察が中国人を規制せずにチベット人や日本国民だけを規制したのではないか、という疑念と怒りをぼくに訴える電子メールがいくつか届く。
 情報を集めたうえで、警察当局のある幹部に電話する。
 この幹部は、ふだんからフェアにして冷徹な判断力を持つひとだ。

 ぼくは言った。
「テレビでは、そういったことを何も放送していなくとも、ネットで真実が明かされることは、この頃たいへんに多いのです。ぼくのところに、暴力をふるっている中国人を検挙せずに、日本人やチベット人だけを排除したという、現場からの訴えのメールが入っている。それにyou tube をみると、『日本人はチベットを見捨てない』と書いた手作りのプラカードを、五星紅旗を身にまとった中国人らしい青年がふたりで引きちぎる画像があり、日本語で警察官を呼ぶ声があり、ふたりの警察官が現れながら、その器物損壊の疑いのある行為を黙認している様子が、ありありと映っている。
 こうしたことを、あなたはご存じか。
 あなたを警察機構のなかの良心と思うから、お聞きしたい。
 まず事実関係を、公正に、公平に知りたい。
 それから、ぼくはきわめて残念ながら現場に行けなかったが、テレビで見る限り、警官隊に、中国人には手を出すなという指令が出ていたのかと疑念を感じさせるところがあった。これについても、すぐ調べていただきたい。
 これらが事実であれば、たいへんに良くない。国家主権にかかわる問題だ」

 この幹部は、電話の向こうで驚いていた。
 演技とはとても思えない。
「すぐ調べます」と答えて、電話は切れた。

 この幹部は、いつも反応が早い。
 まもなく電話がかかってきた。
「責任幹部の一人に確認しました。検挙については、中国人、日本人、チベット人らがお互いに衝突していた実情があり、それらの検挙をひとつひとつしていくと混乱が激しくなるので、ただ聖火の列に突っ込んだ人物だけ検挙する方針だったとのことです。銃刀法違反のような事例はそれ以外にも検挙しましたが、ふだんなら暴行や器物損壊で検挙できるケースも、ひとつひとつ検挙する余裕がなく、警備が実施できることを優先した現実があります。
 それから中国人に手を出すな、という指示は絶対に出ていません。ふだんから、中国に対してフェアに厳正に臨んでいる、信頼できる幹部に確認したから、間違いないと思う」

 ぼくはこの答えで了解したわけではない。
 この幹部も、「了解してください」とは、ただの一言も言わなかった。
 ぼくは、さらなる調査と、日本国民のための警察として国民に対する説明が必要だと述べた。

 それにテレビ画面では、中国人の青装束の伴走者が、星野監督に何事かを指示するかのようなシーンも映った。
 中国は、他の国と同じく大量の青装束の伴走者を受け入れるように日本に迫り、それを日本は拒絶したうえで、ふたりだけは「聖火のメンテに専念する。ランナーや警備陣に指示したりはしない」という条件で、受け入れたはずだ。
 星野監督に指示したのなら、約束違反だ。

 それも含めて、中国の国旗がなぜ、日本の行事である長野聖火リレーを埋め尽くしたのか、全般にまだまだ事実確認が必要だ。
 少なくともスタート地点と、ゴール地点は、まるで日本ではなく中国国内のようだった。これは多くの国民が間違いなく、気づいている。


▽4月27日日曜

 午前11時すぎ、テレビ朝日に入る。
 正午ごろから、首都圏を中心に15局をネットしている番組「サンデー・スクランブル」に生出演する。

 スタジオでぼくの隣には、テレビ番組がセットして長野入りした、中国のジャーナリストがいらっしゃる。
 ぼくはメインキャスターの問いに答えて、冒頭に「長野聖火リレーは中国にとっても失敗だった。北京五輪は中国の行事だが、長野聖火リレーは日本の行事だ。その行事を五星紅旗で埋め尽くして、日本国民は聖火をみることもできないのはおかしいと、世界の誰もが感じるだろう。あの五星紅旗が、五輪旗だったら、話は違っていた」と述べた。

 VTRのあと、スタジオで議論になり、中国のジャーナリストは「許し難い暴力行為があった。あなたはそれを認めるのか」と声を荒げておっしゃる。
「検挙された日本人もいるが、何の私的利益にもならないのに、ただチベット人の人権が侵されていることをなんとかしたいという思いで行った行為だ」と述べたが、中国のジャーナリストは「暴力行為を認めるのか」と反復された。

 ほんとうに暴力行為であれば、爆弾を投げたり、実被害の出る行為になるはずだが、長野では紙ビラ、あるいは火の入っていない発煙筒が投げられ、列に入ろうとする行為も、列は乱れたが、聖火を奪うような行為にはみえなかった。
 しかし、番組にはメインキャスターふたりと、レギュラーコメンテーターのテリー伊藤さんと黒鉄ひろしさんがいらっしゃったから(おふたりと親交もあるし…いや、それは関係ない)、ぼくがそこまで発言する時間はなかった。
 それに何より、これを発言するには、もっと事実検証が必要だ。

 ぼくは最後に「中国がこれからも聖火リレーを続けたいのなら、チベット人がフェアに発言できる場をきちんと作ってからにすべきだ」と述べ、中国のジャーナリストも、かすかにではあるが、頷かれた。

 この中国のジャーナリストは、全体に、ぼくの発言を邪魔されるようなことはなかった。
 それに、テレビ局のセッティングであれ何であれ、現場を踏んでいて、ぼくは今回、どのようにやむを得ない理由があっても現場を踏んでいない。
 だから、スタジオを出てから、彼に「現場を踏んでの発言には、重みがありました」と述べた。
 彼は無言だった。
 ぼくとしては意見は大きく違っても評価すべきは評価して、フェアネスを貫きたかったが、通じたかどうかは分からない。

 帰宅後、「来世牧童になるために」というタイトルのブログで、早速にこの番組に触れているのを発見して、ネットのアンテナの鋭さにあらためて感嘆した。

 ネットでは、「日本のふつうの市民が、中国人のおばあさんに噛みつかれて血を流したりしながら、警察官が黙認していた」という証言をはじめ、中国に対してだけではなく、日本の政府権力、日本のマスメディアに対する疑念、怒りがどっと噴出している。

 それをひとつひとつ見つつ、ぼくは「警察をはじめ日本の政府、その政府に寄り添ってきたマスメディアは、自由な市民のネットの偉大な力を知らなさすぎる」と思った。
 ネットでは匿名性が強く、ぼくも脅迫や中傷に常に、いまも晒されている。
 しかし、その一方で、市民のほんものの証言、尊重すべき公正な怒りも、充分に満ちている。
 ぼく自身も、それを学びつつある。

 長野事件も(ぼくはもう、そう呼びたい)、これからじっくりフェアに調べていきたい。

 夕刻、迷ったが、自宅近くのジムへ久しぶりに行く。
 原稿を書く時間を5分でも10分でも増やしたい。
 その思いは正直、切実だ。
 しかし、このごろ身体の切れが鈍く、それが精神にも、原稿にも影響しているように思う。
 そこで思い切って、ジムへ行く。

 ちょうど、85歳にしてジムで身体を作り直している実母が、「筋力トレーニングをまもなく終えてプールでのウォーキングに入る」とトレーナーから聞いて、プールで泳ぎながら待つ。
 現れた母の手を引いて、プールで一往復、ウォーキングする。
 なにが後期高齢者か。
 年齢とともに歩きにくくなっている母には、病院でリハビリするより、若いひとびとのあいだに混じって堂々とトレーニングしてほしくて、このジムの会員になってもらっている。

 母がトレーニングを終えたあと、ぼくはジムに残り、短時間ながら、いつものバーベル挙げ(ベンチプレス)やダンベル・トレーニング、腹筋などをぎゅっと詰めて完遂し、体調はいくぶん良くなった。



▼さて、9日前に収録したTVタックルが放送されるまで、あとわずかな時間だ。
 どんな編集になっているか、それはまったく分からないが、あくまでも編集権はテレビ局にある。
 ぼくは自分の姿をテレビで見るのが正直、たいへん嫌なので、たぶん見ない。
 チベットの民衆の志と無念をどこまで、担うことができたのか、それを考えると、今夜もまた、断腸の思いが繰り返し、くりかえし、胸を噛むだろう。


                4月28日月曜 午後6時すぎ






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直しましょう

2008年04月18日 22時39分57秒 | Weblog



 ひとつまえの書き込み「ふつうのこと」を一部、直しました。

 書き込みの目的は、名古屋での、ふつうのひとびとによるデモ行進の志の清潔さ、高さを知ってもらうことと、参加者が一人でも増えることです。

 いかなる組織や団体も裏にいないことを、まさしく評価していますから、特定の宗教法人(寺院)が主宰しているとは、まったく書いていません。正反対です。
 僧侶も、ひとりの宗教者の良心をもって積極果敢にかかわっておられる、そのことの深い意義を込めて、具体的に記しました。

 しかし一方で、デモ行進をおこなうにあたって、きちんと責任をもって「代表」、「代表補佐」を名乗り、愛知県警との調整などにあたり、無償の努力を重ねておられる市民がいますから、主宰者はそのかたがたです。
 僧侶は参加者です。

 そこで、そのように直しました。

 ぼくに会いに来られた6人衆は、僧侶、サラリーマン、自営業、主婦、学生と、それぞれ立場や仕事は違っても、みな、はっとするような清潔な目をしておられました。

 魂から、うれしく思いました。





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ふつうのこと

2008年04月18日 13時25分55秒 | Weblog



▼この地味ブログを、わざわざ訪ねてくれるみなさんに取り急ぎ、伝えたいことがいくつもあります。
 しかし、ぼくという人間を55個ぐらいに割って、それぞれの任に当たらせたいぐらいに仕事が錯綜しているので、なかなかこの個人ブログに書き込む時間がありません。

 だから、きわめて簡略になってしまいますが、とりあえずお伝えしたく思います。


▼まず、中国によるチベット抑圧に真正面から抗議し、チベット人に支援の声を送るための市民デモ行進が、あす4月19日土曜午後1時から、名古屋市中区で行われます。
 このデモを主宰するのは、ふつうのひとびとです。
 いかなる団体や政党、組織にも属さない、ほんとうにふつうの市民が、しかも多くは初対面のひとびとが、ただインターネットでの呼びかけだけで集まり、デモ行進を計画し、今や1000人規模のふつうのひとびとが集まりそうです。

 そのデモ行進に参加されるうちの6人が、きのう東京の独立総合研究所(独研)本社においでになりました。僧侶ふたり、自営業、主婦、サラリーマン、学生のかたがたです。
 そのなかには主宰者のかた(自営業、サラリーマンのふつうの市民)もいらっしゃいました。

 ぼくは6人からそれぞれのお話を聞くうち、正直、驚き、こころから感嘆しました。
 ぼくが社交辞令は一切、言わないのは、みなご存じだと思います。

 ほんとうに、まったく互いになんの利害関係もない、まんま普通の人々が、ただ「チベット人の苦しみを放っておけない」という理由、それだけで会社を休み、仕事を休み、子どもに留守番してもらい、デモ行進を計画し、実行するのです。

 たとえば、きのうも、愛知県豊田市や京都市などから自分で安くはない交通費を賄って、自分の利益には何もならないのに、ぼくのところへ相談に来られた。
 しかも、ぼくがお会いできる時間を朝いちばんしか、どうしても設定できなかったので、前日から泊まられて、それももちろん自費で賄って、わざわざ来られたのです。

 デモのさまざまな準備も、当日の実行も、もちろん費用も時間も労力もかかります。
 そうまでしてやるのは何のためか。
 すべて、会ったこともない、見たこともない、これからも利害の関係など生まれるはずもない、名も無きチベットのひとびと、遙かヒマラヤ山脈に抱かれて生きる遠いひとびとのためなのです。

 凄いぞ、われら日本国民!

 ぼくは仕事柄ずっと、外国のことへの日本の関心の薄さに苦しんできたので、この奇跡のようなデモ行進の計画に、驚き、こころから感嘆しているのです。


▼この6人衆とお会いしたあと、まずすぐに、警察の中枢幹部に電話しました。
 この幹部は、春風のように穏やかなのに、私心を捨てて国民に尽くしきる志を持っていて、きわめて清廉でもあるから、ぼくが信頼するひとです。
 デモ行進の主宰者はすでに、きちんと愛知県警に届け出て相談され、愛知県警の所轄署の担当警部補をはじめ署長に至るまで、誠実に対応してくれているそうだから、心配はいりません。

 ただ、当初は650人ぐらいの見通しだったのが、1000人を超えそうになり、警備にも新たな課題が生まれます。
 そこで念のため、首都東京にいる中枢幹部に電話し、このデモ行進が、まったく裏のない、そしてわたしたちの日本国が、中国や北朝鮮とは根っこから違う民主主義国家であることの新しい証明のようなデモ行進であることを伝え、われらの自由と民主主義を護るのが使命である警察が、このデモ行進をしっかりと護るよう、強く要請し、それから愛知県警の現場の誠実さに感謝を伝えました。


▼そのあと、天台宗の書寫山圓教寺(書写山円教寺)の執事長、大樹玄承(おおき・けんじょう)師に電話しました。
 なぜなら、このデモ行進は、いかなる宗教団体とも一切関係なく、ふつうの市民が立ち上げた行動ですが、大樹玄承師が関西テレビの情報番組「ぶったま」の誤魔化しのきかない生放送で、日本の仏教者として初めてチベット抑圧への抗議声明を良心と勇気にもとづいて読みあげたことにも、大きな前向きの刺激を受けているからです。

 大樹師は、デモ行進への支持を明言され、できるだけ参加したいともおっしゃいました。


▼大樹玄承師については、もうひとつ、みなさんに伝えたいことがあるのです。
 先週の土曜日、4月12日に東京へ来ていただき、ダライラマ法王を支えるチベット人として日本のテレビ番組で発言するペマ・ギャルポさん(政治学者)らと対談していただきました。
 これは、チベットの民衆蜂起で緊急出版されるムックのための対談です。主宰は、気骨のジャーナリスト、西村幸祐さんです。
 それから、地にしっかり足のついた現場主義の女性ジャーナリスト、大高未貴さんと、ぼくも対談に参加しました。

 そこで出た話のうち大切な部分を、あす4月19日土曜の関テレ「ぶったま」で、ぼくからみなさんへお話しします。


▼今ぼくは、大雨の東京から福岡へ向かって飛び立った飛行機の、機中です。
 日本列島を、深い雲が覆っています。

 福岡で講演し、夜遅くに大阪に入り、明日の「ぶったま」に備えます。
 明日の朝には「ぶったま」に生出演し、すぐ東京へ戻って、テレビ朝日「TVタックル」の中国とチベットをめぐる収録に加わります。

 そのあいだに、名古屋ではデモ行進が行われます。


▼きょうの書き込みの最後に、付け加えておきたいことがあります。
 大樹玄承師は、いまや、みんなを勇気づけるひとです。
 デモ行進の波だって起こせるひとです。

 ただ偶像にはしないでくださいね。
 大樹師は、前夜まで迷われて、それから、生放送で抗議声明を読まれました。
 聖人や偶像ではありません。悩みつつ前へ進むひとだからこそ、尊いのです。
 ぼくは大樹師に今後も、ご無理は決して、なさっていただきたくありません。

 いま大樹師は、とても自然に、あるがままに、できることについて力を尽くされています。
 いつまでも、そのままで居てほしいと、胸の奥から願います。

 不肖のぼく自身を含めて、みんなが、ふつうの悩みを抱える、にんげんでいて、ぼくらのオリジナルな民主主義を造っていく。
 奇跡のような名古屋のデモ行進も、大樹師の良心と勇気の抗議声明も、それから僭越ながら独立総合研究所(独研)のSTRUGGLE(泥のなかを這い進むような戦い)も、そこに根ざすと、ぼくは考えています。






※付記
(主宰者のかたから提供された詳細情報をそのまま掲げておきます)


【4月19日(土)】フリーチベットデモ@名古屋市

【名称】 FREE TIBET in 名古屋

【開催日】2008年4月19日(土曜日)

【集合時間】 13:00 (時間厳守)

【開催時間】 14:00〜 (時間厳守)

【場所】 若宮大通公園 (名古屋市中区)

【主催者】 中国政府のチベット弾圧に抗議するデモ実行委員会(※1)
趣旨 チベットの平和を願い、中国政府によるチベット弾圧に対する抗議を目的
としたデモ

【詳細】FREE TIBET in 名古屋 http://tibet.suppa.jp/
    http://www9.atwiki.jp/freetibetnagoya/

【デモコース】
若宮大通公園

歩道橋、横断歩道を渡る

歩道で4列縦隊に整列

出発(14:00)

若宮大通久屋交差点を左折

久屋大通を北進

(松坂屋・三越の東側を通る)

(テレビ塔の西側を通る)

桜通久屋西交差点(アネックス)を左折

桜通大津交差点を左折

大津通を南進

(松坂屋・三越の西側を通る)

若宮大通公園


【詳細】FREE TIBET in 名古屋 http://tibet.suppa.jp/
    http://www9.atwiki.jp/freetibetnagoya/





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真実

2008年04月09日 01時01分31秒 | Weblog



▼みなさん、今は4月8日火曜の昼、羽田空港で、春の嵐のために飛ばない飛行機をじっと待っているところです。
 この時間を使って、ほんとうは、溜まりに溜まっている原稿をプロとして必死に書かねばなりません。
 しかし、広くみなさんの関心の強いことをめぐって、ひとつ嬉しい話と、それから喜んでばかりはいられない話とが、分かってきましたから、すこしそれについて書いて、この地味ブログにアップしたいと思います。


▼4月5日土曜に関西テレビ「ぶったま」で放送された、日本の僧侶として初めてのチベット支援アピール、すなわち西の比叡山こと書寫山圓教寺(書写山円教寺)の執事長、大樹玄承(おおきけんじょう)師が良心と勇気にもとづいて、誤魔化しのきかない生放送で読みあげた声明文をめぐって、関係者に「わたしも物書きの端くれとして、著作権をしっかり護る社会であってほしいが、今回の放送については、インターネット上の動画を機械的、かつ官僚的に削除しないでほしい」という趣旨のメッセージを、彼らの留守番電話に残しました。

 これは、このブログの前回の書き込みで、ありのままに記しましたね。


▽…と、ここまで書いたところで、待望の搭乗となったのですが、機内に入ってから「実は滑走路が冠水していて、飛び立つまでにあと2時間以上かかる。それまで機はじっと、この駐機場で待機するほかない」という機長のアナウンスがありました。
 そして機長の英断で、機が滑走路へ動き出すまではパソコンが使えることになったので、続きを書きましょう。
 きょうは日航機で大阪へ飛んで、近畿大学経済学部の客員教授(国際関係論)として平成20年度の第1回講義のはずでした。
 今年度から、新1年生と、2〜4年生対象の2種類の講義となるのですが、新1年生はもはや休講が決定的です。2〜4年生も、どうかなぁ、大阪に到着した時どれぐらい時間が残っているか。
 しかし、ぼくは、日本の航空会社はエライと思います。
 アメリカだったらとっくに、あっさりとCANCELLED、キャンセルされちゃって「あとは自分で自分の面倒をみろ」ということに確実になっていたでしょう。
 ぼくの経験からして、間違いないと思います。係員が小さく口笛を吹きながら「CANCELLED」という札を目の前でぼくら乗客に出して、さぁ仕事が減ったとでもいうように気楽な顔でいる現場に、何度か遭遇しましたから。
 日本には、まだまだいいところが沢山ある。
 大樹玄承師のように、因習に負けない、空気に負けない勇気を、謙虚にしっかりとみせる人もいるし。

 いま、この機の出発を諦めて、新幹線に乗り換えようとするお客さんが、どんどん出口に集まって、混乱する地上窓口へ、払い戻しの手続きに向かおうとしています。
 その動きが、ほかのお客さんの不安を刺激して、よけいに出口へ集まる人が増えてもいるようです。
 ぼくと独研のS秘書室長は、あくまでも飛ぼうとするJALの責任感に敬意を表して、動きません。
 それに、ささやかな経験則からすると、こういう時に下手に動くとろくな事がないことがあります。そもそも嵐には、飛行機のほうが新幹線よりも強いことが、意外に多い。

 降りたいお客さんを降ろしたのも、JALの判断ですが、そうなると機の出発はよけいに遅れます。
 搭乗名簿の確認および修正と、それから預けた荷物があるかどうかの確認、あればそれをより分けて機から降ろす作業などなど、びっくりするぐらい時間を要する新たな作業が生まれますから。
 事実、さらに激しく遅れています。

 たとえばアメリカでは、これも絶対にないでしょう。
 しかしこの点は、降りたいひとの気持ちや主張を優先した日本と、「非常時には個人の都合をいちいち聞いていてはいけない」とおそらくは考えるだろうアメリカのどちらが正しいのか、簡単には言えませんね。
 危機管理の専門家としてのぼくの個人的意見は、この一点については、アメリカ型の判断に軍配をあげます。
 気分が悪くなった人などは、この場合、ぜひとも降ろさねばなりません。
 しかし新幹線か飛行機か迷っている人まで積極的に降ろすことによって、機をさらに遅らせるのはどうでしょうか。

 ただし、降りず動かず機に留まったのは、自分の判断ですから、降りる客のために出発がさらに遅れたことに、ことさらクレームを言うつもりは、さらさらありません。

▽機は、とうとう滑走路へ向けて動き出しました。
 ただしまだ、滑走路前で40分か50分は待ちそうです。
 大きな翼を持つ機体は、この地上にあっても強風に大きく揺さぶられ、右にかしぎ左にかしぎ、飛行機に弱いひとなら、もう気分が悪くなるでしょう。
 これで飛べ上がれるのだから、航空技術の進化はたいしたものだナァ。
 さて、話をチベット支援アピールの動画に戻しましょう。


▼まず4月6日の日曜に、留守電を聞いた関係者のひとりから、ぼくに電話がありました。
「さっそく調べてみましたが、関西テレビから、動画削除を依頼した事実はないようです。しかし日曜なので担当者から明確なことは聞けていないので、月曜になってから、あらためて連絡します。わたしもアクセスしてみましたが、You Tube はそのまま削除されずにアップされているようですね。ニコニコ動画などは削除されていますが…」

 関テレから削除依頼を出していないというのは、重要な情報ですが、この電話の通りまだ不明確な情報ですから、ブログには何も書き込みませんでした。


▼明けて4月7日の月曜に、その関係者から、再び約束通りに電話がありました。
「確認しました。やはり一切、削除依頼は出していないとのことです」

 この関係者の誠意を、まずぼくは高く評価します。
 しかし、疑問の点がありました。
 そこで、ぼくから質問をしました。
「ふだんから、ぼくを支えてくれている、ある視聴者がYou Tube にアップしたところ、削除されて、そのあとにYou Tube からのお知らせとして、『この動画は、著作権法上の権利が侵害されたとのKansai Telecasting Corporationによる申し立てにより削除されました』と明記されています。Kansai Telecasting Corporation とはまさしく、関テレの英語表記ですよね。(註・関テレはKTVという分かりやすい略号を使っていますが、社名の英文表記はKansai TelevisionではなくKansai Telecasting Corporation です)
 あなたの話は誠実で、信頼するし、ちゃんと調べて回答してくることも評価もする。しかし客観的事実と、矛盾しているようです。もしも矛盾しないとするなら、You Tube が嘘を記していることになる」

 すると関係者は、もう一度、確認してくれました。
 この答えが大切なのです。


▼その答えは、「確認しました。4月5日のぶったまの放送については、どこにも削除要請を出していないそうです。
 ふだんは、確かに、削除要請を出す、しかし4月5日のぶったまについては、出してないということです」

 おぉー。
 つまり、心意気として、あえて、4月5日のぶったまについては大樹玄承師の勇気を無駄にしないために、削除要請をしないでいてくれたことになります。

 関係者も担当者も、「そうです」とは口が裂けても言えないでしょう。著作権法があります。
 だから、ぼくはここはもう、これ以上は詰めません。
 ただ、ぼくの解釈として、その心意気、志があったことが分かって、たいへんに嬉しくなりました。

「あるある問題」で大きく傷つき、いまだに民放連に復帰できていない関テレ。
 その重大すぎる捏造放送と教訓は、まだまだ軽視できません。
 しかし、現在の関テレは、チベットをめぐって、ほかの局にない志をみせました。
 やり直しのきかない生放送で、あの大樹玄承師のアピールを放送しようと、ぼくが提案したとき、他にぼくの提案を断った関テレの番組もあったけれど、「ぶったま」が「やりましょう」と言ってくれたこと。
 その「ぶったま」が、局内の法務部門その他に、しっかりと問い合わせをした時、「やめろ」と言った部門や上司はなく、「青山さんと、それをやっていい」という回答ばかりであったこと。
 そして、大樹玄承師のアピールが実現したあと、その勇気が無駄にならない配慮をみせてくれたこと。

 これはテレビの歴史に書き残す価値のあることではないでしょうか。
 大袈裟な言い方になって、申し訳ない。
 しかし、ぼくは関テレと利害関係がありません。ぼくは芸能プロに属さないし、関テレと特段の契約もしていません。単に、一人の番組参加者(出演者)に過ぎません。
 その立場から、すなおな感想として、記しました。


▼一方で、喜んでばかりはいられないことも、いくつも、あります。

▽多くのひとが視るべき動画も、一律に消されるのは、著作権法そのものに問題があるのではなくて、関テレを含む日本のテレビ局が「最低限度の料金で、フェアに動画を配信する」という努力を、まだまだ怠っているからです。

 そして、ぼくのほんとうの思いは(1)再放送の予定のない生放送であったとき(2)どんな番組であれ、社会性のある内容を扱ったとき―については、まったく無償で、その局のホームページから自由に閲覧できるようにしてほしい、と願っています。

 これは、さして大所高所からは言っていないのです。
 早い話が、そのほうがテレビ局にとっても、自らの放送の存在をアピールし、広く知ってもらうことに、明らかに繋がります。

 日本のテレビでこれがなかなかできない理由のひとつとしては、おそらくは、出演者のかたがたの権利の問題が絡むのでしょう。
 たとえば、ぼく自身は、自分の参加(出演)した番組が、放送後にいくら無料でネットに流されようとも、まったく構いません。
 どしどし、みんなに流してください。反対派、賛成派、嘲笑派、冷笑派、支持派、まさしく民主主義としていろんな考え方がある外の世界へ、どんどん流してください。
 しかし、日本のテレビ番組に出演しているひとは、芸能プロと契約しているひとが、視聴者の考えているよりずっと多いという現実があります。
 ぼくも、自分がテレビに参加(出演)するまでは、知らなかった。
 そういうかたがたの権利の問題が、なかなか難しいのかもしれません。

 しかし、テレビ局は、フェアな閲覧ができるシステムを一日も早く整える努力をすべきだと、あらためて考えます。
 今回は努力をしてくれても、他の放送番組については削除要請をしていることが明らかになったのであり、著作権法に触れることなく閲覧できるシステムを創ることなく削除要請を続けることは、ひとびとと共に生きるメディアとして怠慢であるという問題がそのまま残ります。

▽また、4月5日の「ぶったま」については、テレビ局以外に動画削除を要請、いや要求した者、あるいは組織の存在することが、これでむしろ確認できたのであり、著作権を持たない者あるいは組織が不当に介入している事実が、はっきりと浮かびあがっています。

 それが中国など外国の介入であれば、そのような工作活動が日本で行われることを容認はできません。


▼これらの問題に、あらためて気づかされました。
 だから喜んでばかりは、いられません。


▼ぼくのこの地味なブログに、想像を絶するほど沢山のコメントがあったことは、真実を伝える動画を、著作権法に触れずにフェアに見たいという、多くのひとの熱意をありありと示すものです。
 誰ひとり、自分の利益のために発言したひとはいない。誰もが、わがことのように公(おおやけ)の問題を考えた。

 ぼくの意見や行動への賛否はどうであれ、そのことに感服します。みんなの熱意が、胸に沁みました。
 心にもないきれい事を申すことは、しません。
 ぼくとテレビ・メディアとの関わり方に、このみんなの熱意は、きっと影響します。

 そして、この多くのひとのコメント発信が、ネット上の動画をどうするという問題を解決へ進める助けになることを、強く願います。

 最後に、きちんと誠実に連絡をしてくれた関係者のためにも、ぼくが留守電へのメッセージでも、このブログでも怒ったことにお詫びするためにも、それから一生懸命に考えてくれたみんなに真実をありのままに知らせるためにも、この書き込みは一刻も早くアップしたかったけれど、疲労による体調不良と、もはや、ひとりの人間が処理できる限界を超えた多忙によって、こんなに遅くなってしまったことを、残念にも申し訳なくも、思います。

 飛行機は結局、3時間半遅れで出発し、大阪に着いて、4時間半ほど閉じ込められていた機中から出て、さらに空港の外へ出たとき、青空のカケラが眼に美しく沁みました。

 チベットの空に、いつか自由の青空があることを。


  
         4月9日水曜未明1時





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怒り、ひとつ  (★さらに5時間後に追記)

2008年04月05日 22時31分52秒 | Weblog



▼みなさんのコメントを読んで、先ほど(4月5日土曜夜10時過ぎ)、関係者2人に、電話しました。

 その電話を、フェアにそのまま記します。
 関係者2人は、いずれも留守電になっていたので、ぼくがその留守電に残した内容です。

「今日の放送、ほんとうに、おつかれさん。みんなの努力があって、あの生放送ができました。ぼくのところへも、圓教寺にもたくさん反響が来ているけど、局にも来ていると思います」

「しかし一方で、その番組内容の動画がインターネットにアップされているのを、視聴者やネット閲覧者の解釈ではテレビ局(あるいは著作権者の権利を代行する者)がどんどん削除していて、みんなが見るのに苦労しているという。
 もちろん、著作権法は大切にしなければならない。ぼくも、物書きの端くれだから、著作権法に違反する行為によって被害を受ける立場だ。
 それでも、なにがなんでも削除するだけが能じゃないだろうっ。
 今日ぐらいはせめて、時間を置いてから削除するぐらいのことができないのか。ネットで動画がアップされ、多くのひとがみることが、番組の広報のためにも極めて有効なことぐらい、分かるじゃないか。
 生放送で、再放送もない番組については、もう放送された分をしばらくアップされたままにしておくことに、どんな実際の害があるんだ。どっかの小役人みたいに、なにがなんでも削除するだけでいいのか」

「そもそも、無料のアップが困るなら、100円とか50円とかの有償で配信すべきじゃないか。その努力をしないで、何を削除、削除って、官僚的にやってるんだ。
 ぼくはずっと、関係幹部に、これを申し入れてきた。それなのに何も変わらない。誰が変えないのか、どんな検討がなされているのか、何も分からないままだ。
 削除しているのが、番組のスタッフじゃないことは明白だ。局の担当のひとか、あるいは著作権者の権利を代行する者がやっているんだろうから、その人たちをぼくに会わせなさい。
 直接、話すから。
 とりあえず、今日の放送のアップを、機械的に削除することを、今すぐやめなさい。きみたちでできないなら、もう一度言う、担当者が直接、ぼくに連絡してきてください! フェアに議論しようじゃないか」


▼この国の、悪しき意味の小役人は、役所にいるだけじゃない。
 仕事社会の隅々に、どんな民間にもいること、それがわたしたちの問題なのだ。

 なんのために仕事をするのか。
 志のためか。
 ひとのためか。
 みんなのためか。

 それとも、中国や旧ソ連の独裁官僚のように、ただおのれの保身のためにだけなのか。





★すこし怒りを静めての、追記 (4月6日・日曜未明3時すぎ)


 誰がどのように、あるいは誰が責任を持って、ネット上の動画を削除しているのか、いまだに判然としません。
 ただ、少なからぬテレビ局が、「安価な有料で動画を配信する」という努力もしないまま、とにかくネット上の動画が、その元ビデオがTV番組であれば無差別にただただ、削除され続けていることだけは、はっきりしています。

 TV番組のネット・アップが困るなら、あるいは、著作権法がきちんと守られる社会にしたいなら、まず、上記の「安価な有償配信」を始めるべきだし、『再放送の可能性のない生放送であれば、ネット上の動画も少なくとも一定期間はむしろ積極的な広報戦略として、削除しないでおく』…ということを検討すべきです。

 また、その削除は、誰がどんな責任を持って、誰を実行行為者として行っているのか、あるいはテレビ局としては何も手を下していないのか、下しているのか、すべてのテレビ局はいまや、ディスクロージャー(情報公開)をせねばならないと考えます。

 これは、番組参加者(出演者)のひとりとして、番組のうち、自分の発言した部分に明確な責任を持つ者としての考えです。

 そうした情報公開がないままでは、仮に、外国の工作員や、それに類する者が、彼らにとって気に入らない不都合な内容の番組について、ネット上の動画を勝手に削除するケースがどれだけあるのか分からないし、そうした不当な行為と、著作権法に基づく削除行為との区別も付きません。

 ネット時代になってすでに久しく、動画サイトが社会に広まってからも久しく、この問題へのテレビ局の取り組みが遅れていることは、マスメディアの責任を果たしていないと言わねばなりません。


                              青山繁晴 拝




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ことしの桜花はいつもより長く咲いている。ぼくらに、これが最後の機会だと教えるように。

2008年04月05日 21時04分56秒 | Weblog



▼にんげんも、日本国民も、まだまだ捨てたものじゃないぞ。

 それが今、大樹玄承(おおき・けんじょう)師のチベットに向けたメッセージを聴いてくださった、多くの、ほんとうに思いがけず多くのかたがたの、共通した気持ちではないでしょうか。

 実は、ゆうべ金曜の夜に、関西テレビの小さな会議室で顔を合わせたとき、師の眼には苦悩の色がありました。
 そして、「青山さん、青山さんはブログに良心と勇気と書いてらしたけれど、わたしは、そんな大それた人間じゃありません」とおっしゃったのです。

 ぼくは師の眼を見て、魂の眼を見て、「大樹さん、ぼくがつたないなりに、いつも視聴者のかたがたや国民のみんなに呼びかけているのが、大それた良心や勇気だったことは一度もありません。みんなが、その生活の場で、そのまんま、ほんの少しだけ、小さな歩みを踏み出しましょう、あるいは、ただ胸のなかで考えるだけでもいいのですと、言っているつもりです。明日の生放送は、たいへんなことです。しかし、同時に、小さな最初の一歩です。ありのままの大樹さんの思いを、静かに示していただければ、それだけでいいと信じます」と応えた。

 師は、穏やかに頷かれた。
 師の隣には、師の生きかたを支える、おくさま(尼僧)と、圓教寺執事の金子師がいらっしゃった。
 このおふたりが、この夜に、控えめに、しかししっかりと「どうしたら公平な宗教者としてのメッセージになるか」について意見を述べてくださったことも、師が最後のちいさな迷いを超えて、最終の決意をされることに繋がった。

 師は、まさしく衆生(しゅじょう、命あるもの)の苦悩と共に迷われ、ためらわれつつ、そして、歩幅は小さいのに深い淵を一気に飛び越える、その勇気をみなに示されたのです。

 そこがいちばん、凄いと、ぼくは思います。
 巨大な国家の圧力に淡々と、強靱に、立ち向かい、隅々までしきたりがゆきわたった宗教組織と共存しつつ、にんげんの自由な、自律した意思を示すためには、この迷いを含んだ勇気こそが、有効なのだ。
 ぼくはあらためて、今そう考えます。


▼きょうの生放送に至るまでのことは、あとで(記せる範囲で)記します。

 ぼくの長年の読者である「風便り」さんによると、このブログにコメントが書きにくくなっているそうです。
 原因は分かりませんが、ひょっとしたら、このひとつ前の書き込みへのコメントが80件を超える多さになったからかも知れません。

 そこで、とりあえず、この書き込みを新たに置いておきます。
 コメントしてくださるかたは、利用なさってください。




 みなさん、ありがとうっ。
 みんながね、ぼくの知らせにあんなに熱く反応してくれたからこそ、きょうの生放送が、最後まで揺らぐことなく、ほんとうに実現したのです。
 みんな、かっこいいぞ!
 われら大和の国の民の、名もなき名誉を、おのれの虚栄のためじゃない名誉を、世界に示しました。
 きょうの主役は、大樹師と、師を見つめた、みなさんでした。


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緊急の、緊急の、大切なこと

2008年04月03日 15時47分55秒 | Weblog



▼みなさん、あさって4月5日の土曜日、関西テレビの「ぶったま」という番組を視てください。
 関テレの放送地域でないかたも、電車や車で移動してくださって、視てほしいくらいです。

 関テレと利害の関係がないぼくが、ここまで言うには、わけがあります。

 チベットの民衆蜂起をめぐって、日本からやっと初めて発信される、ある良心に基づく訴え、アピールがあります。


▼番組は朝9時55分からです。
 しかし、最初は阪神タイガースの大活躍を中心とした野球のコーナーです。
 この番組は、報道番組ではありません。
 だから最初は野球であり、そのあとも、ニュースと関係のないコーナーが続くかも知れません。

 しかし、やがてニュースのコーナーになります。
 そのコーナーでは今週、ぼくが生で、お話しします。
 そして、今週だけは、ぼくのお話だけではなく、この国の心ある人がみんな待っていた、チベットをめぐる良心のアピールがあります。

 何時何分頃になるのか、正直、ぼくには分かりません。
 生放送ですしね。
 もしも野球や、その他のコーナーを視たくないかたは(…こういうコーナーも、出演者やスタッフが頑張っていますから、できれば視てほしいですが)、たとえば、とにかくチャンネルを合わせていただいて他のことをしながら待っていただいてでも、その良心のアピールの時間を待ってください。


▼こんなお知らせをするのは、もちろん、その良心のアピールの勇気に応えるためです。
 ぼくや関テレのためではありません。




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急ぎ、お答えします

2008年03月22日 21時28分04秒 | Weblog



▼いま、3月22日土曜日の夜9時すぎです。
 大阪で関西テレビ「ぶったま」の生放送に参加し、それから東京にとって返してテレビ朝日「TVタックル」の収録を、またまた、いろいろ失敗しながらもどうにか終えて、久しぶりに帰宅したばかりです。
 いくつかの書き込みに、急ぎ、お返事する必要がありますね。

 あすの日曜朝早くに、長野県松代町の明徳寺でひらかれる栗林忠道将軍の法要(と講演)へ出発することもあって、時間がなんとも足りないので、ごくごく簡潔な答えになってしまうことを、どうか許してください。


▼いわば物理的に、すぐにお答えしなければならないかたがたへ

▽大樹玄承さんへ

>私は姫路市にある山寺の圓教寺と言うところの僧侶です。

→おおー、書寫山圓教寺ですね。
 山寺と謙虚にお書きになっていますが、西の比叡山と呼ばれる、天台宗の別格本山ではありませんか。

>私は抗議をしようと思っています。今までもチベット、ダライ・ラマ法王について、意見を持ちながら同じ仏教徒として何もしないまま来てしまいました。
ウチは天台宗に属していますが、恐らく他の教団同様に何もしないと思います。
(中略)
効果的な方法、間違いのない情報を得た上で、私は声を上げたいのですが、時間が経つばかりで、イライラしています。

→わたしは、これを読んで、飛びあがりたいような、頭の奥が熱くなるような思いがしました。
 あなたの勇気に、助力させていただきます。

>独研ではそういうサポートをしてくださるのでしょうか。

→わたしが個人としてサポートさせていただきます。
 まずはお会いしましょう。
 大樹玄承さんからは、独研の総務部にメールも頂いていますね。
 そのメールの中に、「有料でも構わないから貴研究所でサポートをお願いできませんか」という趣旨がありますが、もちろん無償で、わたし個人がサポートします。
 独研は、わたしの個人事務所ではなく、またNGOでもなく、自立して(すなわち自前で食って)どこにも遠慮せずフェアに調査・研究ができるよう株式会社の組織になっています。ですから、独研の仕事にすると基本的に無償でなくなってしまいます。
 そうではなくて、わたしが個人で取り組みます。
 ただ、わたしのすべての動き、スケジュールは、独研の総務部秘書室が管理していますから、実際には、独研の秘書室にも協力を要請しますが、それであっても報酬その他のご心配は一切、要りません。独研の秘書室も、無償の協力となります。

 大阪においでになれるということですから、来週の火曜日あたりをまず、お会いする日として想定しておいていただけますか? 可能でしょうか?
 このあとは、わたしと、それから独研の秘書室からも、eメールでご連絡を差しあげることになります。


▽ランチさんへ

>松代町の明徳寺ですか、青山さんの足元にも及びませんが、やはり時期的にキツい、情勢的には更に辛い!しかし内密にでもぜひ伺いたい。でも声をかけるなんて出来ないだろうな〜何時ぞやの公開アンカーでも影から熱い視線を向ける事くらいしか出来ませんでしたし、講演の後ともなると絶対泣いてしまうだろうし。

→きっと、おいでください。そして、きっと、声をかけてください。
 握手を交わしましょう。
 らくーに、声をかけてください。


▽佐々木さんへ

>今回のこの講演の知らせにぎりぎり今日出会えたのも何かの縁と考え今から心踊り、騒ぎ、ワクワクしています。是非、行かせて頂きます。楽しみにしています。本当にサインや握手などしていただけるのでしょうか?
少し勇気を出してみようか…

→手が腫れるぐらい、握手させていただきます。
 サインも、お望みなだけ、いたします。
 硫黄島でわたしたちのために命を落としてくださった、その魂魄のための法要なのですから。



─────────────────────────────────────── 



▼ふだんは、ぼくは印象的な書き込みがあっても、ひとつひとつにはお答えしません。
 それを始めると、必ず、どんな書き込みにも等しくお答えしたくなり、いったんそうなると、ひとつの答えもゆるがせにはできないので、何度も書き直すことになります。

 そうなると、「脱稿させるための時間がない」というだけの理由で、もう4年近くも新刊を出せていないぼくが、ますます本を出せなくなって、物書きという自分の根っこを失ってしまうことにも、きっと繋がるでしょう。

 きょうは「物理的にすぐにお答えしなければならない」問いかけがあったので、いくつかお答えしました。
 そして、きょうだけは、上記の問いかけと、同じ書き込みにコメントしてくださったかたがたに、等しく、お答えします。だって、同じなのに、返事がないのは寂しいですもんね。

 しかし、たった一言だけのお答えです。申し訳ない。
 そして、このあとはまた、「すべてのコメントをしっかり読んでいますが、個別にお答えはできません」というぼくに戻ることを、どうか、ご容赦ください。


▽Freewillさんへ

>江田島の卒業生の方々には、国民の一人として感謝し、期待しているとお伝えください。

→はい、しっかり伝えました。
 江田島に行くまえに、この言葉をいただいて、Freewillさん同じひとりの国民として嬉しく思いました。


▼おふさんへ

>コメンテーターの方やキャスターに「これはなんだと思いますか?」の様な質問を
時折されますが、あれをやめるというのはいかがでしょう。

→うーむ。これは悩みます。すこし考えさせてください。


▽ランチさんへ

>帝国海軍 海軍兵学校ですか、今は亡き祖父の母校です(何度か連れて行かれました)。
首席を頂いていた事を、祖父の葬儀の日、戦友の方から聞き驚いた事を覚えています。

→これは凄い!
 海軍兵学校で首席というのは、当時の日本では東大法学部を首席で卒業するより価値のあることだったようです。
 ぼくの母は、実の弟さん(つまりぼくの叔父)が海軍の戦闘機乗りとして死んでいます。
その母から、そのように聞いていますよ。
 ところが、お孫さんのランチさんに、まったく自慢されなかったのですね。それがいちばん凄い。
 ところで、ランチというハンドルネーム、なんとなく好きですね。


▽ぼやきくっくりさんへ

>私も個人的には15分間の時間をめいいっぱい使ってほしい、青山さんの論説で埋め尽くしてほしい、とは思います。が、それではやはり視聴者が置いてけぼりを食ってしまうのではないかと。それでなくても政治、外交、安全保障といった重いテーマなわけですし、笑いというか和むシーンも必要じゃないかなと思います。

→このお考え、よく分かります。
 番組に関わっているディレクターらの考えも、実は、同じなのです。
 おふさんの意見とも合わせて、よおく考えます。
 それにしても、ぼやきくっくりさん、あなたの志あふれる尽力と、それから夫婦愛に、こころのなかで感嘆しています。


▽Unknownさんへ

>青山さん、これからもどんどんメディアに出て世論の喚起に貢献してください!僕らも声を上げていきます!

→ぼくの下手くそな発信に、当然ながら反感や反発を示されるかたも多いし、さらには脅迫や妨害、中傷もいーっぱいありますから、正直、すこし嬉しく読みました。
 しかし、いちばん嬉しいのは、「僕らも声を上げる」という、そこです。
 それこそが、ぼくが、つたないなりに発信する、ほんらいの目的です。


▽Unknownさんへ

>テレビだけじゃ時間がないと察します。もっと青山さんの声と情報を聞きたい!
webなどで直接動画を流してはどうですか?
寄付してでも、もっとお話が聞きたいです。

→ネットの活用は、いずれ考えたいと思っています。
 いまは正直、新刊書を出すことが、先決です。
 本じゃあ、声が聞こえない…うーむ、そうですか。
 物書きとして復活できたあとは、ネットの活用を必ず、考えます。
 ほんとはぼくは、忙しくても、もうすこしラジオに関わりたいのですが、いまレギュラーで週に一度だけ電話出演しているRKB毎日放送(福岡)を除いては、どこからもお声がかかりません。
 下手っぴですからね。



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来てください

2008年03月20日 03時27分58秒 | Weblog



▼あまりに直前になってしまいましたが、今度の日曜、23日の午後1時から長野県松代町の「明徳寺」で開かれる栗林忠道・帝国陸軍大将の63年回忌法要に、ぼくも参列し、つたない講演も行います。

 硫黄島の戦いで、敵だったアメリカからいまだに名将と敬愛され、祖国日本からは忘れ去られていた、あの栗林将軍です。

 クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」で、渡辺謙さんが演じ、ジェネラル栗林は、ようやく日本国民にも知られました。
 しかし故郷の松代町では、若者をたくさん死なせた戦争犯罪人のように誤解して、その名を記憶していた人もいたようです。

 いわば名誉回復の法要でもあると、ぼくは考え、参加させていただくことにしました。
 ぼくが2006年の12月に硫黄島を訪れ、島内をぼくなりに懸命にみて歩いたこと、そのあとはいかなる講演会でも、硫黄島で後世の日本の輝きのためにこそ死んでいった将兵の生きっぷりを話していること、それらをご存じのかたも、このブログを訪ねてくださるなかには、いらっしゃると思います。

 交通費はかかりますが、講演などはもちろん無料です。
 誰でもおいでになれます。
 ぼくのためにじゃなく、栗林将軍のご遺族のため、また硫黄島に命を埋めたすべての、わたしたちの先達(せんだち)のために、どうかおいでください。

 写真は、その法要と講演会のちらしです。


▼ぼくは、きょう間もなく、江田島の海上自衛隊・幹部候補生学校の卒業式に列席し、海上自衛隊機で、ほかの列席者とともに夜には東京に帰り、翌日の金曜夜には再び、大阪入りして、土曜日の午前に関西テレビの「ぶったま」の生放送に参加し、そのまま東京にとって返して、TVタックルの収録(放送は3月末)に臨み、翌日の日曜朝に長野県松代町に向かいます。

 ぶったまやタックルに関心があるひとは、どうぞ番組をみてください。
 そして、できれば、松代町でお会いしましょう。
 一人でも多くのかたと、松代町でお会いしたいです。

 このブログを読んで、長野県松代町の法要と講演会に来られたかたは、ぜひに、ぼくに声をかけてください。
 固い握手を交わしたいと思います。
 サインなどを、僭越ながらもしもお望みでしたら、すべてのかたのご要望にお応えします。


 青山繁晴 拝 3月20日春分の日 未明3時40分

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勇気

2008年03月20日 02時22分07秒 | Weblog



▼いま春分の日、3月20日の未明2時8分。
 広島県は呉市のホテルにいる。
 雨もやんで、軍港の街は、水辺に灯りを映して静まっている。

 去ったばかりの昨日、19日の水曜日には、いつもの水曜と同じく大阪で関西テレビの報道番組「ANCHOR」の生放送に参加し、ぼくのコーナーではチベットの反乱をめぐって話した。

 コーナーは、テレビ番組としては長い15分ほどが割り当てられているのだけど、それでも、いつものことながら時間が、ない、ないのだ!。

 カメラの背後のフロア・ディレクターや番組ディレクターが、時間切れという趣旨を書いた紙をかざして、ぼくの目を惹きつけようと懸命だ。
 スタジオ内に「時間が足りなくなるっ」という異常な緊張が満ちるのを肌で感じながら、それは視聴者には関係のないことだから、視聴者に最低限、伝えるべきはどうにか伝えたいと、内心ではひそかに冷や汗を流しながら、言い足りないところを残しつつも話し終えて、どうにか時間内に収まったと、ほっとして、最後に「中国を一方的に非難するんじゃなくて…」と言いかけたら、キャスターのコメントが入って、ぼくは言葉を飲み込んだ。

 コーナーの最後は、やはりキャスターや、ほかの出演者の自由な語りがあってほしいし、そのキャスターのコメントは印象深い、明快なコメントだったから、ぼくが言葉を続けられなくても、それはそれでいい。

 ただ、ぼくが「中国を一方的に非難するんじゃなくて…」の後に続けたかった言葉は、「事実をあくまでもフェアに観て、考えたいのです」ということだった。

 ひょっとして視聴者には、「中国にも言い分はある」と青山は言葉を続けようとしたのかと、誤解するひともいるかなぁと、関西テレビから新大阪の駅に向かうタクシーのなかで気になった。

 チベット民衆の反乱をめぐっては、中国にもそれなりの言い分があるなどと偽善的に認めるわけにいかない。日本が日本であるように、チベットはチベットであり、中国ではないのだから。

 ま、テレビの番組に参加したあとに、ああ言えば、もっと伝えるべきが伝わったのにナァと後悔するのは、いつものことです。
 ただただ、ぼくがまだ下手くそなだけ。
 コーナーは、今回が98回目だった。100回まで、あと2回。
 このごろ、「コーナーをみるうちに、自分の頭で考えるようになった」という趣旨のeメールや書き込みをいただくことがあるのは、魂から、うれしく感じる。

 きのうの生放送のあと、少年時代にプラトニックな女ともだちだったひとから「あのコーナーで、自分には関係ないと思っていた政治に、目を向け耳を傾けられるようになった」というeメールをもらって、自分の下手くそぶりを悔いる気持ちが、やわらいだ。
 ありがとうっ。
 そして、へたっぴで、ごめん。


▼いつもは関テレから帰京するのだけど、きのうは新幹線で広島へ。
 車内で原稿を書いているうちに、新幹線が強風で遅れていると知って、広島駅に着くと、同行の独研・自然科学部長といっしょにダッシュで走って、在来線の普通電車へ。
 思いがけず、満員電車。
 それに揺られつつ、またモバイル・パソコンを開いて原稿を書き続け、呉駅で降りた。
 もう夜の10時になろうとしていた。春の小雨が降っていた。

 きょう夜が明けると、呉から江田島に移動する。
 桜は、すこしは咲いてるかなぁ。

 江田島には、海上自衛隊の幹部候補生学校がある。
 海軍兵学校であった帝国海軍の時代には、イギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並んで世界の三大海軍兵学校と呼ばれた。
 その江田島で、幹部候補生たちの卒業式に列席する。

 もちろん、海上自衛隊と何の利害関係もない。
 なぜか招待状をいただき、お受けした。

 正直、この3月の年度末の季節は、すべてのシンクタンクにとって地獄の季節だ。
 ありとあらゆる調査・研究プロジェクトが報告書の締め切りを迎えるから。
 東京へ帰らずに西へ向かっている場合じゃない。
 誇張じゃなく、1分1分を惜しんでも、まだ、まったく時間が足りない。

 徹夜の続く夜に、ふとぼんやり、おのれにはひとつの身体、ひとつ分の時間しかないのだから、どうやって割り振っていけばいいのかと、呆然とすることもある。

 だけども、この卒業式への招待だけは、どうしても受けたくて、受けた。
 もしもぼくが戦前に生まれ、戦前に思春期を迎えていたら、作家になるか、海軍軍人になるか迷い悩んだあとに、おのれひとりで、ものを書いているわけにいかないと、この江田島の海軍兵学校を受験し、幸いにして難関をとおれば、どうにか卒業して海軍少尉となり、戦闘機に乗り、そして、そそっかしいぼくはあっという間に、昇進も、ろくな戦果もないままに、さっさと戦死しただろう。

 これはつまり、かつて、わが母が唱えていた説でもある。
「だからね、今のあんたの苦労なんて、さしたることもない。生きてるんやから」

 その思いがあるから、江田島の卒業式への招待を初めていただいて、即、受けた。


▼さて、今朝も早起きせねば。
 あと2時間ほど経って身体が要求すれば、仮眠しよう、いろんな後悔は、うずめて。

 そして夜が明けて今朝に会う、卒業生たちよ、もののふの誇りもて遠洋練習航海に旅立ってほしい。
 イージス艦の衝突事故で深く傷ついた海上自衛隊よ、悔いが希望を生む。
 いつの日か、この国の永い2千年の歴史で初めて、国民軍が誕生し、国民海軍となる。その日に備えて、謙虚に、フェアに、わたしたち主権者とともに歩もう。


 あらためて、思う。
 テレビ番組に参加するときも、ただ、ほんらいの目的に集中したい。
 スタジオにいるときの、ほんらいの目的とは、ひたすらに視聴者、国民に伝えるべきを伝える。
 それだけだ。
 おまえがどう、みられるか、できればカッコよくしたい。そんな偽の目的は、命を曇らせる。

そして、番組にはさまざまな制約があり、番組スタッフのためにもさまざまな配慮が欠かせない。
 それは、大切に踏まえつつ、ほんらいの志は貫こう。
たとえばチベットの反乱をめぐる、ほんらいの志、それは仏とともに生きてきた優しい心根の民衆の、チョモランマの朝のような勇気を支えることにある。





※写真は、まだ足の骨折で松葉杖をついていたころ、東京の晴海埠頭へ、東京海洋大の調査・研究・実習船『海鷹丸』(うみたかまる)を訪ねたときです。

 シンクタンクである独研(独立総合研究所)の、研究本部・自然科学部は、東大と並んでこの東京海洋大とも連携し、日本の革命的な海洋資源、メタンハイドレートの探索に取り組んでいます。

 われらがパートナー、海鷹丸に敬意を表しに行ったのですが、ギブスの右足と松葉杖を無意味に掲げている、ただの怪しい奴ですね。
 ふひ。

 空と海が青かった。
 海上自衛隊にとっても、漁船にとっても、大学の研究船にとっても、帝国海軍にとっても、海は青い。




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再起したい夜、生まれ変わりたい夜

2008年03月10日 11時36分20秒 | Weblog



▼中東カタールの首都ドーハで、徹夜仕事をしながら、日本のことを考えている。
 独研(独立総合研究所)の社長としても、いま大きな心配事がひとつあって、なかなかきびしい。

 徹夜仕事は、その独研から配信している会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の執筆だ。
 ドーハは今、3月10日の月曜、午前3時半。
 ここで開かれている国際会議の参加者は、たいていは寝ているだろうけど、日本は6時間も先に時間が経過していくから、徹夜でレポートを書かないと、配信を待っている会員に届くのがどんどん遅くなるばかりだ。


▼国際会議のほうは、きのうのプレ・オープンで会った中国系の参加者が、いきなりぼくに「東シナ海のガス田問題で、中国と日本はもう裏合意ができている。だから胡錦涛国家主席は(毒ギョウザ問題が未解決でも)、予定通りに4月に訪日するよ」と、ウソかまことか分からない言葉をホンコン・イングリッシュでぶつけてきたり、わりに刺激的な幕開けとなった。

 東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で「北京オリンピックに、ウイグル独立運動によるテロ情報がある。詳報は後送」とお知らせしていたら、それと関係があるのかどうかはまったく分からないけど、いや、まさか関係ないだろうけど、中国の当局がいきなり「北京五輪へのテロ準備でウイグル独立運動の活動家を逮捕した」と、あまりに異例な公表をしたり、このごろの中国には、けっこう驚かされる。

 何をやるか、しでかすか、分かりまっせーん。


▼ドーハにいながら、強い関心を持っていた「日本のこと」のひとつは、名古屋国際マラソンだった。

 Qちゃんの優勝と、北京オリンピックへの出場を願っていたから、モバイルパソコンをネットにつないでスポーツ新聞の速報をみてリアルタイムで結果を追ったりしていた。
 超スローペースのなか、われらがQちゃんが、わずか10キロにも達しない時点でまさかの脱落という現実には、すこし驚いた。

 そして、「引退しない宣言」にも、ほんのすこしだけ、びっくりした。
 だけども、「実は…」とヒザの手術の打ち明け話があったのには、全くびっくりしなかった。

 Qちゃんは、レース前にすでに「山ほどハプニングがあって」とメディアに語っていたから、もしも失敗したら「実は…」という話があるだろうなと、考えていた。

 いまの彼女については、いろんな見方、もっとありのままに言えば、きつい批判もあるだろう。
 特に「実は…」というエキスキューズに落胆したひとも多いのかもしれない。
 ぼくは、落胆まではしないけど。


▼Qちゃんが怪我で苦しんで失速したのは、2006年11月の東京国際マラソンもそうだった。

 そのレースが近づく日の夜、たまたま赤坂プリンスホテルで会合に出るためにエレベーターに乗ったら、小出監督がいらっしゃった。
 まったくの初対面だったけど、小出監督はちょっと身体をぐらぐらさせながら、いきなり「あ、青山さん、いつも視てるよ」とおっしゃった。
 そして「愉しく呑んでいたんだけどね、これからまた一人で呑み直すんですよ」と言って、最上階のバーへ、たったひとりの後ろ姿で向かっていかれた。

 ぼくは、その小出監督の、さっぱりした感じが即、大好きになったけど、Qちゃんのそのあとのレースに、どことなく不安を感じた。

 その時点で、Qちゃんが小出監督との師弟関係を解消して、1年半ぐらいが過ぎていたのじゃないかと思う。
 ぼくはエレベーターで別れ際、思わず「監督、頑張ってください」と声をかけた。もちろん、Qちゃんのために頑張って欲しかったのだ。もはや小出さんは、Qちゃんに手が届かないのに。

 監督は、えへへと笑って、ほんの一瞬だけ、凄まじい勢いで通り過ぎるつむじ風のようにほんの一瞬だけ、命の奥底まで寂しいような顔をみせて、バーへと去っていった。

 ぼくは内心で思った。
『ぼくら日本国民の大好きな、Qちゃん、あなたが自立のために小出監督のもとを離れたのは素晴らしい。でもね、でもね、いつも自立を語るぼくでさえ、やっぱり小出さんとは一緒に最後までやってほしかった』と思ってしまい、それから、いやいやQちゃんの高い志を尊重しなきゃ、と自分に言い聞かせた。


▼ネットでみた、ある新聞に、こう書いてあった。

〜「引退は考えていません」。レース後に(高橋尚子選手は)きっぱりと話した。ただ、「あきらめなければ…」と訴えてきた今回の北京五輪への挑戦。応援し、夢を託した人たちも、それぞれの変わらぬ日常の現実の前に引き戻された。〜

 こりゃ、ちょっと、言い過ぎだよなぁ、よい記事、核心を突いている記事だけど、ぼくならやっぱり、こうは書かないなぁ。
 変わらぬ日常の現実に引き戻される、うーん、そんなふうに決めつけたら、日本国はどんどん世界の孤児になっていくかも。
 …などと、ちらり思い、それから、大袈裟なことを言うものではない、おそらくベテラン記者が書いた率直な記事じゃないかと、また自分に言い聞かせた。


▼ひとつ前の書き込みについて、ある視聴者のかたが関西テレビの報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーについて、「100回を区切りにするのではなく、日本国が変わったことを区切りにするべきだ」という趣旨のコメントを書いてくださった。

 正しい!
 確かに、100回なんて、うわべの区切りにすぎない。
 こういう書き込みがあることそのものが、ぼくとしてはひとつの目的だったから、こころに沁みるように嬉しかった。

 同じく視聴者のかたのコメントで「あのコーナーで、ニュースの見方を知った」とあるのには、飛びあがるぐらい嬉しかった。

 さて、これからのぼくは、どっちへ、どれぐらい、走っていくべきなのだろうか。

 少年の頃のぼくは、通知表に「あきっぽい」と毎年、先生に書かれるような少年だった。
 いまは、諦めないタイプにみえるのかもしれない。
 だけど、ほんとうのぼくは「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、ひとに述べるのは嫌だ。
 ほんとうのぼくは、文学で育っている。
 文学は、こんなこと、言わないよ。叶わない夢が山積みなのが、生きていることだから。

 Qちゃん、あなたは偽善者じゃなく、本心から「諦めなければ夢は叶う」と言っているから、好きだけど、ぼくはやっぱり『おのれ自身が諦めないのではなくて、なかなか諦めない粘り強い後進のランナーを全身全霊で育てるのが、金メダリストの、新しい夢じゃないかな』と思う。

 小出監督がいつまでも、どこまでも、あなたのことを好きで、こころから支持し、心配してくれているのは、あなたの宝物ですね。
 それを新しい基準にして、今後のことを決めてほしい気がします。

 ぼくも…そうですね、やや疲弊していることや、メディア関係者の自覚なき身勝手にすこし困惑することや、あるいはさまざまに中傷されることを思うより、数はおそらく少なくても、まるで小出監督のようなハートの視聴者、それから、なかなか出ない新刊を辛抱強く待ってくれている熱い読者のことを、ぼくの生きる基準に、あらためて据え直すべきでしょう。


▽写真は、ホテルの自室のベランダからみた、未明のドーハの光景です。
 中東のひとは、なぜか青い灯火が好きで、だから携帯で撮っている手前では、夜がうっすら青く染まっています。
 そして遠くの街の光はオレンジ色です。

 いちどだけ死ぬために、いちどだけ生きよ。充分だろう、それで。
 ことしもドーハのさびしい灯りが、そう告げています。




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ことしもドーハへ

2008年03月09日 06時36分29秒 | Weblog



▼いま、カタール航空の機内にいます。
 成田からは中東カタールへの直行便がないので、羽田からまず関西国際空港に飛び、そこからカタールの首都ドーハへの直行便に乗りました。

 ドーハで開かれる国際戦略会議に今年もまた、カタール政府の公式招待で参加します。
 独研(独立総合研究所)の秘書室長Sが同行しています。

 関空を飛び立って6時間15分が過ぎました。ドーハまではあと6時間弱、ちょうど中間あたりです。
 まっくらな窓の外の遙か遠くに、くすんだ黄金色で都市の灯りが暗闇のなかに浮かんでみえます。
 どこか中央アジアの都市でしょうか。
 宇宙の暗黒のなかに浮かぶ、孤独な惑星都市のようにもみえる、不思議な光景です。


▼去年のこの国際戦略会議では、ドーハから、関西テレビの報道番組「アンカー」のために生中継しました。
 ことしは、それはありません。

 その代わり、来週12日の水曜日に、関西国際空港へ帰国し、そのまま空港の一室からスタジオとつないで、ナマで番組に参加します。
 ほんとうは、現地からの生中継より、こっちのほうがキツイ、キツイ。
 現地も時差があり、中東の地でのややこしい交渉などもあるけど、日本で飛行機を降りてそのまま中継、というほうが、ちと辛いですね。

 海外出張のささやかな楽しみの、上空で呑むお酒も呑めなくなるし、狭い機中でぼろぼろになって原稿を書いていた、そのまんまで出演(参加)ですからね。
 嫌だったけど、「ナマで青山さんの話を聞きたい視聴者が多いんです」という番組スタッフの言葉で、視聴者がそうであれば、とOKしました。


▼水曜「アンカー」のなかの「青山のニュースDEズバリ」のコーナーも、はや、その来週12日の水曜日で97回目です。
 100回が潮時、やめ時かなぁと、このごろ時々、考えなくもありません。
 ふと気がつくと、胸のうちで、おのれにそう呟いていることがある。

 正直、1回1回が全力投球で、情報源への神経がぴーんと張りつめる取材や、時間がたいへんにかかるロケなど、事前の(膨大になる一方の)労力を含めて、負担が想像以上に大きい。
 たいした話もできていないのにね。失敗作ばかりなのにね。


▼ただ、近畿大学経済学部で、国際関係論を講義している学生たちと呑んでいるときに、ちらりと聞くと、やめないでほしいという意見がびっくりするほど強かったから、それには、たいへんに励まされています。
 視聴者のかたがたに、とても真摯に視て、聴いてくれているひとが少なくないことも、強烈な支えです。

 一死一命。
 いっし、いちみょう。
 このごろ胸に去来する言葉です。
 もともと、こういう言葉があるかどうかは、知りません。
 ごく自然に、浮かんできました。
 ひとつの命に、ひとつの死があるだけ。
 非力のまま、やるだけやって、死ねばよい。

 それはテレビ番組でもなんでも、そうなのでしょう。

 窓の外は、まだ真っ暗です。
 時差の関係で、飛行機が近づくにつれ、目的地カタールでは夜が深くなる。
 朝と昼と夜がめぐる丸い地球の上を、まるで、ただただ夜の中へ突き進んでいくかのように飛ぶ。
 ぼくの人生に似ているような。
 一度切りの人生に似ているような。


▽絵は、カタールの国旗です。
 なんだか新撰組の羽織かなんかに共通するような感じですよね。

 白色は平和、そしてエンジ色は、その平和に至るまでカタールの歴史で流された戦いの血を表すとのこと。
 過去の血だから、赤じゃなくエンジ色だと考えれば、なかなかリアルですが、実際は、最初は赤だったのが中東の強い日差しで変色して、そのまま定まってしまったという説が有力らしいです。

 ぼくがかつて、慶應義塾大学文学部を中退して、早稲田大学政経学部に一から入り直したとき、大隈講堂で開かれた運動部の入学歓迎式で、応援団がエンジの旗を掲げて「これは大隈公の血の色である」と叫んだのを、このカタール国旗にまつわる話を聞いて思い出しました。

 スクールカラーの紺と赤をじょうずに使う慶応から、同じスクールカラーでもエンジは血の色だと絶叫する早稲田に移って、こりゃ、えらいところに来たかなと思ったけど、とにかく早稲田は無事に卒業したのでありました。

 ちなみに「青山さんは、中退した慶応と、卒業した早稲田のどちらが好きなのですか」と、けっこう聞かれます。
 慶応を中退したのは慶応が問題なのじゃなく、文学部を去ろうとして転部制度が慶応になく(今はひょっとしたらあるのかも知れませんが当時はなかった)、早稲田も中途入学制度があったのは夜学の社会科学部だけだったから、慶大文学部を中退して、早大政経学部を受験し直しただけのことです。
 だから慶応も早稲田も、正直、好きですね。

 早慶戦はどっちを応援するのですか、とも聞かれるのですが、ぼくはなにせ、ひとりで早慶戦をやっていたようなもの。
 そりゃ、あんた、どっちかを片寄って応援なんてできません。 

 ついでに独研(独立総合研究所)の社員は慶応が多いけど、これもつまりは偶然です。
 卒業大学がどこかで優劣をつけたりしません。
 世に貢献するのは、まさか大学の名前じゃない。ただ実力があるだけ。おのれの実力に謙虚な信頼を置くひとは、ぜひ、来たれ。





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チャオプラヤ河のほとり

2008年02月23日 10時11分14秒 | Weblog



▼いま、バンコクを流れる大河チャオプラヤに昇る朝陽をみています。
 河岸に頭を覗かせたと思うと、みるみる高く大きくなり、濁った河面(かわも)に金色に照っています。

 2月14日に、ここタイに入り、タイを拠点にカンボジアやラオスに出て、またタイに戻ってきました。

 いちばん胸に刻みつけられたのは、忘れられた国になってしまっているラオスの農村で会った少年少女です。
 少年たちは、鼻水を手でぬぐいながらも、きりっと精悍な眼で家と村のために働き、少女たちは、服はきれいじゃない、いやありのままに言えば垢だらけでも、見とれるぐらいに自然に美しく、きびきびと働きます。
 訪れた小学校では、先生がいない教室でも、みな一心不乱にラオス語の書き取りをしています。

 あぁ、日本もこんな若い国に戻りたいなぁ。
 農家のあいだを縫う、埃(ほこり)っぽくて狭い道を辿りながら、思わずそう声に出ました。


▼日本では、イージス艦が漁船と衝突する重大な事故が起きました。
 フジテレビの報道番組から生放送への番組参加( 出演 )の打診があったけど、それに間に合うような帰国便が満席でとれず、応えられなかった。

 旧知の海上自衛隊佐官や海上保安庁幹部らと、電話や電子メールで連絡を取りあっている限りでは、イージス艦に、実はとても単純な、それだけに信じられないような落ち度があったことは、ほぼ確実なようです。

 海自の艦船に乗るときに、ふと感じることのある不安、たとえばアメリカ海軍の艦船に乗るときとは微妙に違う、かすかな緩さ。
 その不安が現実になった気がしています。
 日本の海軍力は、敗戦後に MARITIME SELF DEFENSE FORCE という国際的にはまったく意味不明の名を与えられました。

 それでも、諸国の海軍と比べて将兵のモラルは低くない、いや高い。技術も高い。
 だけれども、海軍ならざる海軍力という不可思議さ、奇妙な感覚が、ほんとうは組織のすみずみに染みわたっていて、それが、あのかすかな緩さにつながっているように思います。


▼今週の水曜日2月20日に放送された関西テレビの報道番組「ANCHOR」(アンカー)の『青山のニュースDEズバリ』コーナーは、ぼく自身はまだ見ていません。

 ぼくがこうして海外にいますから、事前に洞爺湖で収録したロケがVTRで放送されたのですが、ロケがどのように編集されるか、事前にはまったく知らないのです。
 これは今回のロケに限りません。
 ロケがあれば、その現場で一生懸命にやるけれども、そのあとの編集については原則としてテレビ局のディレクターの編集権に口出ししません。

 大阪の主婦の「ぼやきくっくり」さんが、いつも完璧な番組起こし、内容のテキスト化を行ってくださっているので、今回も、それを読んで、放送の様子を知りました。

 生放送の、その場にいないと、好きなことを言われてるナァ。
 キャスターのヤマヒロさんが「青山さんの足の骨折を考えて、スキーはしないようにスタッフは止めたんですよ」という趣旨を話してるけど、ええー、こりゃ違うわい。
 ま、こんなことは事実と違っても、いいんですけどね。

 ディレクターから独研(独立総合研究所)の秘書室長に「サミット会場になる洞爺湖のホテルには、小さいけれどスキー場も付いています。滑りますか」という打診があって初めて、そもそも、スキー場がロケ地にあることを知ったのです。

 秘書室長から電話でそれを聞いて、「うん、滑る」とは即、答えました。
 スキーは学生時代に打ち込んで、やっぱり世界でいちばん好きなスポーツだし、番組にもプラスになるかなぁと思ったから、即座にOKしました。

 でもね、止められたのに無理に滑ったというのとは、正反対ですね、こりゃ。

 この「ぼやきくっくり」さんの起こしてくれたテキストを読んで初めて、「青山さん、いい格好をみせようと無理をして、スタッフが止めるのを押し切ってスキーしたりしないでくださいね」という趣旨のメールを、視聴者のかたからいただいた理由が分かりました。

 スキーを13年間、1度も滑っていなくて、練習ゼロでいきなり滑るのだから、いい格好なんてできにゃい。
 見る人が見れば、滑りの欠点、身体が後ろに残り気味だったり、ストックが短くてちゃんと突けていなかったり、カッコわるいところが分かります。

 番組のなかでスキーをしたのは、ひとりでも多くの視聴者に番組をみてほしいからです。
 あのコーナーは、ぼくが生放送の現場にいなくてロケのVTRだけで放送すると、ふだんより見てくださるかたが、かなり減るんです。

 ちょっとでも興味を持ってもらえるかなぁと、カッコわるい滑りになるのを承知で滑ったので、メールをいただいて意味が分からず、なんだろうなぁと首をひねっていて、テキスト起こしで、あぁなるほど、と分かりました。

 …と、書いてきたけど、もちろん、まぁいいんです。
 ぼくがスキーを滑ろうとどうしようと、それは、どうでもよくて、あのロケでは何より北方領土のことを伝えたかった。
 その部分は、テキスト起こしによると、ちゃんと放送されていたようですから、嬉しく思いました。

 ロケは実際は、ほぼ1日中ずっとカメラを回して、いろんなことを山のように話し、それをわずか十数分に編集するわけです。
 テキスト起こしをみると、「遊びに行ったんじゃないの?」というコメントも言われちゃってるようだけど、ほんとは、スタッフもぼくも、てーへん、大変です。
 もちろん、このコメントも冗談ですよ。ロケがしんどいのは、実際はよくご存じだと思うから。

 ヤマヒロさんも、コメンテーター陣も、明るく軽いジョークで言っているのです。
 ぼくは、だからOKなんだけど、いくらか意外なメールもいただくので、ちょっと書いておきました。
 もっとも、そのメールもジョーク混じりです。


▼さて、朝陽はもう昇りすぎて?雲のあいだに隠れちゃいました。
 ぼくも…どちらかというと隠れたい。

 隠れて、書きたい原稿だけを書いていたい。
 もの書きは、ものを書き上げた瞬間に、それは自分のものでなくなって、読者のものになり、どのように解釈されても、もはやその解釈には書き手は踏み込まない。

 それが、ぼくにはいちばん生きやすい。
 ぼくはほんとうは、子供のころから、人の目に立つのが嫌いです。
 見知らぬ人のあいだに紛れているのが好きです。

 少年のころにロックバンドに熱中したときも、前に出てくるヴォーカリストよりも、うしろで気楽?に演奏しているメンバーが、いい感じ、たのしい役割に思えました。

 日曜の深夜にバンコクを発ち、月曜の朝には日本に戻っています。



※写真は、チャオプラヤ河です。
 朝陽が隠れてしまったあたりの雲が、深い光をはらんでいます。





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2月20日水曜、みてください

2008年02月12日 15時01分48秒 | Weblog



▼みなさぁん、いま北海道は洞爺湖で、ロケの真っ最中です。
 洞爺湖を一望する、山上の「ウィンザーホテル洞爺」にいます。
 夏には、ここに世界の首脳たちが集まってサミットがひらかれる、美しいリゾートホテルです。
 いまは広大な雪景色のなかで、ブルーグレーの湖とともに、ひっそりと静まっています。


▼ロケは、2月20日水曜に放送される関西テレビの報道番組「ANCHOR」(アンカー)のいつものコーナー「青山のニュースDEズバリ」のためのロケーションです。

 ぼくはこの日、アジア出張の真っ最中で生放送には出演できないので代わりに放送するVTRを収録しているのですが、きょうのロケは、これまでと、ひと味ちがいます。

 たとえば!
 ぼくがスキーをしているシーンも、先ほど撮りました。
 大学時代はアルペン競技スキーヤーだったぼくも、スキーをするのは実に、きょうが13年ぶり。
 まったく無練習で、用具は何から何までレンタル、しかも、13年前には影も形もなかった新しいスキーの「カービングスキー」。
「かつてアルペン競技スキーヤーだったひとは、カービングスキーがあまりにも感覚が違うので、泣くような苦労をする」と聞いていましたし、どうなるかなぁ、とは多少、思ったけれど、とにかく練習する時間なんかない。

 13年ぶりにゲレンデを見て、スキー板をそこに置いて、さぁ足を入れようとして思い出した。
 骨折もまだ、治りきってはいないや。
 ついでに、前夜の睡眠時間は、2時間半ということも思い出した。
 それに足をどうやって、バインディング(締め具)に入れるのかも、一瞬、忘れているっぽい。
 
 だけどまぁ、現役時代も骨折したまま、リハビリも兼ねてガンガン滑っていた。
 ぼくの躯は、むしろ現役時代よりも筋力は付いている。バーベル挙げをはじめ、筋力トレーニングの方法が昔より、はるかに科学的になっているから。
 とにかく、なんとかなる。

 そう思っているうちに、躯は自然に反応して、もうスキーを蹴り出し、滑り出していた。
 さぁ、どうなったやら。
 それはね、番組をみてくださいね。
 同行してくれた番組スタッフの苦労が報われるためにも。


▼もちろん、報道番組なので、スキーシーンは単なる味つけです。
 サミットを北海道で開くからこそ、日本国が絶対に世界へ訴えねばならないこと、それから安倍さんが首相時代に洞爺湖をサミット会場に選んだ隠れた理由、などについて語りました。

 うーん。スキーシーンは味つけだけじゃなく、関テレスタッフ陣の、ぼくへの気配り、贈り物だったかも知れない。
 ロケで滑るのじゃない限り、今のぼくには、スキーを復活させる時間なんてあり得なかったから。

 ただ滑るんじゃなく、みてくださる視聴者が『わたしもサミット会場のここ洞爺湖へ行ってみたいな』と思えるように滑ったつもりです。
 サミットなんて縁遠い…のじゃなくて、洞爺湖で開くなら、みんながその現場を踏むこともできる。もしも現場を踏んでいただいたら、日本国と世界のかかわりが急に、きっと身近に感じられる。
 その思いは確かにあって、その目的があって、滑りました。

 だけどね、えへへ、生き返ったように、うれしくも、ありました。
 



※えー、写真はですね、宇宙人でしょうか。
 違うと思います。

 けさ早く、このホテルの温泉に行ったら、露天風呂の脇に雪の壁ができていました。
 ここに倒れ込んで、躯を冷やして、それから湯に飛び込むと、かぁっと躯が燃えるように血がめぐって、気持ちいいだろうなぁ。(実は、前にも、青森県の出張先でそれをやっているし)

 そう思って、まずは内風呂で躯を温めてから、朝陽が雪を照らし始めた外へ出て、ばったーんと、うつ伏せに雪に倒れ込む。
 その瞬間、もしも雪が薄くて下が岩だったら大怪我だなと、頭をかすめる。
 ぼくの仕事は人の安全を護ることだけど、おのれの安全にはあまり関心がないので、そのまま、ばったり。

 幸い、雪は深かったぁ。
 しかし、その深い雪で、窒息するかと思いました。

 次の瞬間、よこの露天風呂の湯に飛び込むと、痛いっ。
 痛いというほど刺激が強い。
 そして期待通り、躯が燃えるようにあったかくなる。

 あんまりスカッとするので、今度は仰向けに、やっぱり、まっぱで倒れてみました。

 ふと気づくと、一部始終を見ていたらしいガラスの向こう、内風呂につかったおじさんの顔が、右半分で笑って、左半分で引きつっていた…。
 ふひ、ふひ、ふひ。

 写真の右上に、北の朝陽の光が映っています。



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東京のテレビ、大阪のテレビ

2008年02月11日 13時35分38秒 | Weblog



▼東京のテレビは「自主規制」が激しく、大阪のテレビでは出演者が自由闊達な発言をできるのではないか…という印象がこのごろ、視聴者のかたがたに強まっているようだ。
そのようなeメールや書き込みを、多くいただく。

 このブログにも「政治家や評論家らがみずから、大阪の番組では問題なかった発言を東京では問題にされると、発言している」という趣旨の書き込みをいただいた。
 ぼく自身は、政治家や評論家から、そうした話を直接聞いたことは一度もなく、また政治家、評論家、職業的コメンテーターという人たちと、この話題を話したことも一度もない。
 だけども、その書き込みはフェアな姿勢で貫かれていて、きっと指摘は事実なのだろうと思う。

 また、日本のメディア、特にテレビに、北朝鮮、中国などが工作活動を強めていることは、日本のインテリジェンス( 政府機関などが国益のために収集した機密情報 )によって、よく承知している。
 テレビの影響力の強さに注目した工作活動は、世界の常識だが、日本に対しては「国民国家として目覚めていく」ことへの警戒感から、このごろ格段に工作活動が強まっている。
 ぼく自身は、テレビ局によって、それが地域であれ局の個性であれ、発言を変えたことはないし、これからも変えない。
 しかし一方で、この工作活動、アンフェアな働きかけの存在については、客観的な事実として考えねばならない。

 さらに、日本のひとびとはテレビに依然、関心が強い。
 インターネットの時代になっても、その関心の強さは変わらないように思う。
 アメリカに似ている。ヨーロッパとはかなり違う。いずれにしても国民の関心が深いことは、しっかり受け止めなきゃいけない。


▼そこで、ぼく自身の体験から、すこし考えてみたい。
 ゆうべ生放送に参加した「新報道プレミアA」( フジテレビ )を例に、フェアに、かつ具体的にみてみたい。

▽番組から、参加( 一般用語で言えば出演 )の依頼が来たのは、2月7日木曜か8日金曜。独研( 独立総合研究所 )の秘書室経由だったから、ぼく自身ははっきりとは分からない。
 これまで、この番組とは一度も接触がなかった。
このごろ日曜の夜10時から11時という時間帯には、テレビそのものを見ていない。この番組がスタートした頃には、パソコン画面の隅に開くテレビ画面で、ちらちら見たこともあったが、最近の番組の様子はまったく見たことがなかった。

 しかし「毒餃子事件をテーマに話してほしい」ということだった。
これは、われら日本国民の安全のために極めてたいせつなテーマだと思っているから、「受けるよ」と独研の秘書室に返事をした。

 慎重な性格のひとなら、ここで、番組のVTRを取り寄せてみてみたりするのだろうけど、ぼくは自分自身のことにはまったく慎重ではないので、それはしなかった。
 それに、そんなことをしている時間が、まるでない。

▽放送前日の2月9日土曜の夜に、「台本」がeメールで届いた。
 台本といっても、大まかな流れが書いてあるだけだ。
 発言内容が指定されているようなことはない。

 台本の表紙には、ゲストが三宅裕司さんと春風亭小朝さんの2人であり、ぼくは「コーナーゲスト」、毒餃子事件のコーナーだけのゲストであることが明記されている。

 大まかな流れとして分かったのは―
 番組の冒頭は、大相撲のリンチ傷害致死容疑事件で、そのあとに毒餃子事件になること。
 毒餃子事件も、あらかじめつくられたVTRが続き、それが終わって初めて、ぼくが参加すること。
 参加すると、安藤優子キャスターの問いに答えて、一言二言だけ話し、そのあとも安藤さんの問いに一、二、答えたら、ゲストの三宅裕司さん、春風亭小朝さんに振られて、ぼくの発言はないことが前提になっていること。

 つまり、発言時間はあらかじめごく限られた番組参加(出演)になることが分かった。
 いつも言っているように、こうしたことはテレビ局に全面的な決定権があると考えている。ぼくがどうのこうの言うことではない。
 それが嫌なら、参加( 出演 )を断ればいいのであり、ぼくは一方で、いったん受けたものをひっくり返して断るということは、よほどの例外事がない限り、しない。
 だから台本をそのまま受け止めた。

 これが橋下・現大阪府知事や、庶民派で名高い経済評論家、反権力の姿勢で鳴る社会評論家ら、芸能プロダクションと契約しているかたがたなら、なにか番組や局に言うケースも、ひょっとしたらあるのかも知れないが、ぼくは芸能プロダクションと関わらないので、それは分からない。
 他人がどうなさるかは、そのかた次第。ぼくの干渉することではない。そして、ぼく自身はテレビタレントではないのだから、上記のとおりの姿勢でいる。

 この台本がeメールで送られて以後、生放送の当夜まで、番組から接触その他は何もなかった。

▽放送当夜の2月10日日曜午後9時30分に、フジテレビに入った。
生放送が始まる、わずか30分前だ。この時間を、番組に指定された。
控え室に入ると、プロデューサーのNさんと、副プロデューサーのWさんが、打ち合わせに来られた。
 打ち合わせは、これがまったく最初だ。

 この打ち合わせで、Wさんは、ぼくと防衛庁記者クラブで一緒だったフジテレビ政治部記者と分かり、うれしかった。
 粘り強い取材力が際だつ記者だったので、顔を見てすぐ思い出した(ぼくは、社交辞令は言いませぬ)。防衛庁担当のあとは、北京支局の特派員などを歴任されたそうで、中国事情に明るい。

 この打ち合わせで、毒餃子事件のコーナーの中心は、エキストラによる餃子製造工程の再現であることが分かる。
 この番組は、こうした再現に力を入れていることを、おふたりの話から初めて知る。
 VTRも再現を中心に作ってあるそうだが、そのVTRも見ていない。番組本番で初めて見ることになる。
 VTRから降りて、スタジオトークになっても、生でエキストラに再現してもらうそうだ。ほぉー。

 ほぉーと感心しつつ、番組がぼくに期待しているのは、要は、その再現を裏打ちすることなんだなと理解する。
 その仕事に関わる以上は、その仕事を主管するひとびとの意思を尊重するのも、ぼくの信条のひとつ、というか性格上、それしかできないので、今夜はぼくが沢山しゃべってはいけないなと、胸のうちで考える。
 ぼくに寄り添ってくれている少数の視聴者、読者のかたには申し訳ないけど、このやりかたは変えられない。

 Nさんに「最初に安藤さんが、ぼくに質問しますね。それに答える尺( 時間のこと )は、どれぐらいですか」と聞くと、「50秒ほど。まぁ長くて1分ですね」。
 明快な答えに、内心で感謝する。
 視聴者のみなさま、50秒です、ほんらいの割り当ては。

 このあと、ぼくが、こう話した。
「ぼくは、中国の当局がすでに容疑者を実質的に拘束しているということを話すときに、これまで関西テレビなどでは、ある中央官庁の局長級幹部によると、と話してきました。おふたりに、完全オフレコで申せば、この官庁は●●●です。情報ソースが、ある中央官庁の局長幹部であるというだけでは、視聴者が信用していいのかどうか迷いも出ると思いますから、関西テレビでは、この幹部との3度の電話のやり取り、2月5日午後4時ごろ、同じ5日の深夜11時ごろ、それから2月6日の午前11時ごろの電話のやり取りを、そのまま明らかにしました。今夜は、とてもそんな尺( 時間 )はないと思います」

 Nさんが深く頷いた。

 ぼくは続けて、「そこで、今夜は、この中央官庁を、国民の安全に責任を持つ政府機関、中央官庁の一つと表現しようと思います。これなら、すこし具体的になりますが、該当する省庁はいくつもあります」と話し、ふたりは了承した。

 さらに、ぼくが登場してから最初の、安藤さんとの質疑のあとについて「台本には何も書いてありませんが、要は最後まで、安藤さんの質問に答えるということですね」と確認した。
 ふたりは「そうです」と明快に答えた。
 つまり、あくまでもコーナーの仕切りは安藤さんであり、同じキャスターの滝川クリステルさんでも、台本の表紙に「コメンテーター」と書いてある櫻井よしこさんでもなく、もちろんぼくは安藤さんの仕切りに従ってくださいということだ。

 これで打ち合わせは終わり。
 というより、番組から局入りを要請されたのが、生放送のわずか30分前だったから、そもそも、もう本番まで時間がなかった。
 中国国内での食品テロの可能性にどこまで踏み込むかとか、何を言ってくださいとか、あるいは何を言ってもらっては困ります、といった打ち合わせはなかった。
特に、「これを言うな」という要請は一切、なかったことを明記しておく。

▽このあと、ぼくは急いでメイク室へ行き、顔がライトで、てからないようにだけしてもらった。
 ずっと以前、ある信頼している女性作家が「男性も、テレビに顔を出す以上は、その顔がライトで、てからないようにだけはしなさい。見苦しいから」と雑誌にエッセイを書いていたのを、いまだに覚えている。
 髪は、ぼくが「このままでいいです」と言ったので、メイクさんは何も触らなかった。昼間にジムでバーベルなどを挙げて、そのあとジムのお風呂で頭を洗っているから、今夜はその自然なままでいいと思った。

▽そしてスタジオに入る。
 同じフジテレビで、たまに参加する番組「報道2001」とは違うスタジオで、初めてのスタジオだ。
 もう生本番のスタートが秒読みに入っていて、安藤優子さん、滝川クリステルさん、三宅裕司さん、春風亭小朝さん、いずれもまったく初対面のひとたちと、一言のあいさつを交わす機会もなかった。
 ただひとり、櫻井よしこさんは、何度か一緒に講演しているので、よく存じあげている。その櫻井さんとは、局に入ったときに廊下ですれ違って、あいさつを交わした。

 まず大相撲のリンチ傷害致死容疑事件のコーナーが始まった。
 ぼくはスタジオの一角で、立ってそれを見ている。
 付き添ってくれているAD(?)のYさんが、椅子を持ってきて勧めてくれるが、立っているほうが緊張感が維持できるので、そのまま立っている。

 やがて毒餃子事件のコーナーに入る。
 先ほど述べたような「再現」のVTRが始まる。まったく初めて見るので、雑然としたスタジオのなかで、懸命に見る。
 内心で『これはふつうなら緊張してしまう、典型的パターンだなぁ』と考える。
 まるまる初めての番組を初めてのスタジオの中で、しかも、ぶっつけ生放送、あいさつすらしたことのない初対面のキャスター陣と、その生放送の中で「会う」。さらには、自分の発言と密接にリンケージするはずのVTRを、生放送中に初めて見ている。

 ぼくは、テレビに出始めたときから、いつもこころの内で、ひとつの原則を唱えている。
「ただただ、本来の目的に集中する」

 たとえばラグビーの試合で、ノーサイド( 試合終了 )の直前に、スタンドオフ( 選手のひとり。走り屋の役割 )が、ボールを掴む。これをトライすれば、奇跡の大逆転で優勝する。
 そのとき選手が、トライしたら俺はヒーローだと思ったら、それは本来の目的を誤っている。
しかし、これ入れたらチームは優勝だ、チームに貢献できる、チームは栄光に包まれると思うのも、本来の目的ではない。
本来の目的は、ただ風を切って右に左にステップを踏み、敵陣を駆け抜けてゆき、ただ一撃で逆転する、そのラグビーゲームの本来の愉しみをたのしむ、そこにある。

 テレビに出演する、本来の目的とは何だ。
 ただ生放送の心地よい緊張感のなかで、視聴者、国民、この国の主人公たちに、伝えるべきを伝える、それだけだ。
 てめぇがいい格好をしたいとか、ゆめ考えるな。

 ゆうべも、そうこころの内で、そう唱えた。
 おかげで、緊張は限度ぎりぎりに抑えられていた。
 隣に寄り添って立ってくれているYさん、このひとも初対面だけど、若い女性のYさんがにこにこと柔らかくほほえんでいてくれるのも、ぼくの緊張を抑えるのに役立っていた。
 Yさんからは、この番組にぼくが参加するのを心待ちにしていてくれたような雰囲気が、無言のまま伝わってきていた。

▽4本にわたったVTRが終わりに近づき、セットの中のマルチビジョンの前に呼ばれる。
 やっと、安藤さんと一言だけあいさつを交わす。ほかのかたがたは、時間がないので、目顔であいさつをするだけ。

 さぁ、生放送のカメラが回る。
 安藤さんの問いに答えているうちに、あっというまに時間が過ぎ、安藤さんは台本通りに春風亭小朝さんに振る。
「もし、犯罪だとしたら、動機はなんだと思いますか」
 小朝さんは、「えっ、動機?」と、すこし大きな声を上げて、それ以上は話されない。
 次に振られた三宅裕司さんも、すぐには答えが出ない。
 ほんの少しだけ、スタジオ内の時間のなめらかな流れが止まったのを感じて、ぼくは迷ったけれども、「あの、いいですか」と安藤さんに声を掛けて、三宅さんの眼を見ながら、動機として考えられる三つ、反工場、反中国政府、反日を語った。
 ただし、時間のなさと、自分が割り込んでいるということを考えて、極度に言葉を絞った。

 ぼくが「あの、いいですか」と入ろうとしたとき、その場に一種、異様な緊張感もわずかながら走った。
 初登場のぼくが喋りすぎることを、警戒したのだろうと思う。

 今夜の「局入り時間」の遅さ、打ち合わせ時間の短さ、それらからして、番組がぼくを信頼してくれているのは感じていた。
 この番組が、フジテレビと関西テレビとの共同制作であることも、関係しているのかも知れない。
 同時に、関西テレビの報道番組「ANCHOR」( アンカー )で、15分というテレビにしては破格の長さの、実質的にひとり語りに近いコーナーをぼくが持っていることを知っているのかも知れない。それと同じように話されては困ると、警戒したのかもね。
 それから、副プロデューサーのWさんは「防衛庁記者クラブで一緒だった青山さんを何度もテレビで見た」とおっしゃっていたから、大声で怒鳴り合うテレビタックルのような番組を思い浮かべる番組スタッフも多かったのかも知れない。

 だから、ぼくも迷ったけど、一瞬の判断で、動機の可能性については、ぼくが引き取って話した。
 そのために、ぼくの性格からしても、信条からしても、もうそれ以上割り込むことはできなかった。
 これが食品テロの可能性が高いこと、福田康夫首相の指導力が問われていること、この2つも話したかったが、番組としては、春風亭小朝さん、三宅裕司さんという「硬派ではないゲスト」に話させることをコンセプトにしているのだろうし、櫻井よしこさんの大切なコメントを視聴者に聞いてもらう時間も必要だ。

 そう考えて、割り込むことをせず、黙っていると、もうテレビカメラの横でフロアディレクターが「餃子の皮が売れている話題へ」と指示を出し、滝川クリステルさんが、その話題を仕切るパートに移り、コーナーが終わった。


▽そのコーナーが終わるとすぐにぼくは、スタジオを去り、顔を洗って、自宅へ帰った。
 ミクシィで、「食品テロの言葉が出なかったのは、東京の番組では規制が強いからではないか」という趣旨の書き込みを読み、「F問題( 福田問題 )に触れて欲しかった」という書き込みも読み、ぼくは、いろいろな意味で、あぁ申し訳ないと、ほんのすこし落ち込んだ。

 ここまで、ありのままに具体的に書いてきたように、番組からの規制は一切なかった。
 ぼくの語りに足りない点があったならば、それは、番組構成上の必然性はあったとはいえ、すべてぼくの責任だ。

 ほんのすこし落ち込んで一夜を過ごし、先ほど、同じミクシィに「食品テロという言葉はなかったけれど、バランスの取れた中身で、充分に伝わった」という趣旨を読み、ちょっと安心した。

 いずれにせよ、いかなる事情があるにせよ、ぼくを支えてくれるミクシィのひとびとに、いくらかでもガッカリする気持ちをおこさせるから、ぼくは、この個人ブログにいつも書いているように、テレビに参加したときの自分を下手くそだなぁと思うのです。

 ゆうべ局を出るとき、廊下でWさんと偶然に会い、「動機のところで、あえて引き取りましたが…」と聞いてみたら、Wさんは「あれは、いいフォローでした」と言ってくれた。
 もっとも、元記者クラブ仲間としての社交辞令かも知れない。


▼さて、これでお分かりいただけたように、「新報道プレミアA」に関しては、自主規制めいたものは、ぼくの参加したコーナーについては、一切なかった。


▼だからといって、テレビメディアに自主規制がないとは、ぼくもまったく考えない。
 前述したように、北朝鮮、中国の工作活動が存在することは、日本の複数の政府機関が確認しているし、それ以外にも、個人の弱さと組織の弱さ、個人の欲望と組織の欲望によって、自主規制があることは充分にあり得る。
 日本の視聴者の感覚は、実に鋭いものがある。
 もう一度言うが、ぼくは社交辞令は言わない。
 視聴者が、このごろのテレビメディアに異常を感じている事実、それを大切に考えねばならない。


▼ちなみに、毒餃子事件をめぐってこのほかに、在京のテレビ局から朝の番組のためのコメント収録の依頼があり、日曜のスケジュールを無理に変更して時間をつくったら、「キャンセルします」。
 この番組に、中国への配慮があったのかどうか、キャンセルの理由説明は一切ないから、知るすべもない。

 もっともテレビ局は、この在京局に限らず、この番組に限らず、実に恣意的に依頼をし、そして恣意的にキャンセルをする。
 ぼくや独研であれば絶対にしないことが、常識的に行われる。
 その事実からも、このキャンセルを中国への配慮と決めつけるのは早計だ。ただ同時に、可能性としては存在する。





※さて、ぼくはまもなく、北海道は洞爺湖へ出発します。
 夏のサミットが開かれる会場で、関西テレビ「ANCHOR」のためのロケをやります。
 ぼくは今週から、アジア出張に出るので、2月13日水曜は、生放送に参加できません。
 そこでロケーションでVTRを作成し、いつものコーナーで放送するのです。

 洞爺湖のサミット会場「ウィンザーホテル洞爺湖」には、小さなスキー場が併設されていて、番組のリクエストでそこでスキーをする様子も録画する予定です。

 ぼくは、もとは大学でアルペン競技スキーヤーでした。
 多忙な記者時代も、どうにか滑走日数を確保していました。
 しかし1996年冬、ちょうどスキーシーズン開幕のときに、地球の裏側ペルーで「ペルー日本大使公邸人質事件」が起き、そこへ共同通信の臨時特派員で出張して、それ以来スキーは滑っていません。
 だから13年ぶりの滑走になります。
 ふひ。





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