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Владимир Высоцки
ヴラジミール・ヴィソツキー
(1938〜1980、旧ソ連)

詩人、俳優。シンガーソングライター。生前には、1冊の詩集も1枚のレコードも出すことを禁じられていたにも拘わらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録したカセットテープは何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたという。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で全体主義的管理と状況に立ち向かい、42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の20万人の人々が許可なく集まり、夭折を惜しんだ。代表作に「奴らは戦場から戻らなかった」「狼狩り」「大地の歌」「俺はマガダンに行った」「07」等。俳優としては「ハムレット」「ガリレイ」が代表作。日本では、LP「いまだ日が落ちず」「大地の歌」が発売されている他、90〜91年にかけてTV−CMに「暗闇で」が使われ話題となった。NHKでは五木寛之氏をホストに「モスクワは忘れない〜吟遊詩人ヴィソツキーの歌」を放映。

(以上、VHSを販売した(株)クエストの紹介文から引用)

 他にも、映画『ホワイトナイツ白夜(監督:テイラー・ハックフォード、出演:ミハイル・バリシニコフ, グレゴリー・ハインズ、1985年・アメリカ)』でも、彼の歌を聞くことができます(ついにDVD発売)。
 また、日本ではNTV『ダウンタウンDX』でも、ヴィソツキーの「私は嫌い」という曲が紹介されたこともあります。あくまで僕の推測ですが、松本人志さんは、ヴィソツキーのファンかもしれません。

 僕のヴィソツキー初体験は、映画『ホワイトナイツ白夜』でした。
 ミハイル・バリシニコフ演じる亡命ロシア人バレエダンサー「ニコライ・ロドチェンコ」の乗った飛行機が事故により、ソ連邦領シベリアに不時着します。亡命ロシア人である彼は、КГБ(カー・ゲー・べ―、いわゆるKGB)の監視の下に軟禁状態におかれます。
 かつての恋人は、КГБの諜報員の下にいました。彼女が恋人ニコライ亡命後のソ連邦で生きる為にしたことでした。
 ニコライはキーロフ劇場の舞台で独りでひっそりとヴィソツキーの歌を聴く彼女を見つけソ連邦からの脱出の助けを求めます。当時のソ連邦でヴィソツキーを聴く彼女を見て、その本心が分かったのです。
 ラジカセからのヴィソツキーの歌声が次第に大音量になります。そして、ヴィソツキーの歌声をバックに踊るニコライ。そのシーンは圧巻で、この映画の最高のシーンでしょう。
 しか〜し、なぜかサウンド・トラックにはヴィソツキーの歌が収められていないのです。

 僕は、ヴィソツキーのことを「ロシアのジョン・レノン、ロシアのボブ・ディラン」であったと思っています。

 また、東側世界の「ヴラジミール・ヴィソツキー」の没年が、西側世界の「ジョン・レノン」、第三世界の「ボブ・マーリー」と同じ年なのが、何かを感じさせます。(ちょっと、古い表現でした。)

 例によって、音楽的評論はしいたけ偽姐にお願いしております。



*声の持つ底知れぬ力               しいたけ

ヴィソツキーという名前を最初に耳にしたのは京都のあるシャンソニエでのことだった。
 シャンソニエでは、フランスの歌に限らず日本や世界各地で愛唱されている歌を取り上げている。
 そのなかでもロシアの歌といえば、いわゆるロシア民謡が私たちの頭に真っ先に思い浮かぶのだが、あるシャンソン歌手が「ロシアのヴィソツキーという歌手の歌を歌います」と話して歌いだしたその歌は、ロシア民謡とはまるで違うので拍子抜けした。
 日本語に訳されたその歌は、表現はやわらかいが体制批判的メッセージを含んだもので、曲の作りはフォークのような印象だった。

 そして時が流れ、シャンソンの世界から遠ざかり、ふたたびヴィソツキーの名前を聞くことになった。シャンソンとは縁もゆかりもないが、同じ京都の「亀岡国際秘宝館」というけったいな場所でのことだった。そこではじめて、ヴィソツキー本人の歌声と対面することになろうとは・・・

CDがトレイに載せられる、ほどなく静寂を引き裂く激しいアコースティックギターの音、そして・・・
(これがヴィソツキーの声か!あのとき聴いたシャンソン歌手の歌声と全然違う・・)

地の底から湧きあがるような、聴くものをハラワタから揺さぶるような声だ。 

 (それにしても、このおじさんはなんで怒っているのだろう?)

ロシア語がわからない私はこみあげてくる笑いを館長に気づかれないようにかみ殺しながら数曲聴いた。しかし、聴いているうちにぐいぐい引き込まれて、美とはおよそ対極にあるしわがれた金属的な攻撃性をも含んだその声に圧倒された。

 詩がわからなくても、これほどまでに訴えかけてくる歌声とは・・・平和ボケした私たち日本人に、彼が歌に込めたメッセージの真意は理解できないだろうといわれてもいいではないか、まずはヴィソツキーの声にどっぷりと浸って体で感じてみて欲しい、彼の声の持つ底知れぬ力を。 
 生易しい慰めに満ちた歌声とは性質を異にするが、誰の心にも潜む絶望を、嘆くばかりでなく自身の手で打ち破れ!というメッセージとして置き換えて聴く・・・それはそれでいいではないか、と思う。