uchida
登録日: 2005年3月 19日 投稿記事: 88
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時間: 2007/03/05 (月) 00:20 題名: 韓国人の魅力 なぜこれほどまでに恋に落ちるのか K米 S子 |
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目次
はじめに
第1章 韓国人とは?
第1節 食文化
第2節 人間関係
第3節 言葉
第4節 美意識
第5節 時間
第2章 日韓カップルの増加
第1節 韓国の男
第2節 韓国の女
第3節 カップル○○
第4節 日本人の女と韓国人の男
第5節 韓国人の女と日本人の男
第6節 結婚のリアルな話
終わりに
はじめに
私が韓国に初めて訪れたのは2004年夏。きっかけは大学での先輩による韓国でのボランティアワークキャンプの誘いによるものだった。そんな些細なきっかけで、愛する韓国と私の歴史が刻まれることになった。
私が韓国に出会うきっかけとなった元々の理由は、大学に入学する際に選択する第二外国語であった。私は迷うことなく、「朝鮮語」を選んだことを今でもはっきりと覚えている。迷わなかったのは、ここから私と韓国の運命が始まっていたからかもしれない。
私が韓国と出会う前の韓国の印象は、はっきり言って薄かった。記号のような文字と、私たち日本人と同じような顔つき。しかし、世界で一番近くにある国なのに、そんな気が全くしなかった。近いようで遠い、私には手の届かない場所にある国だ、というイメージであった。そんな運命的な出会い方で出会った韓国と私だったが、1回生から2回生の後期まで、韓国語という文字に興味を持つことができなかったのである。勉強はろくにしない。結局私は、この1年半の間に、文字すら覚えることもできなかった。韓国を知ることが苦痛でしかなかったのである。文字が読めない上に、韓国を知れば知るほど、日本よりも一歩遅れた印象が濃くなってくる。今とは逆で、イメージが悪くなっていく一方であった。
しかし、そんなときに出会ったのが、ボランティアワークキャンプであった。韓国に行く!という決心がつくことは簡単だった。ただ、おいしいものがあるという知識がそうさせた。おいしいものが安く食べることができる上に、キャンプ費用が安い。同じ大学生がたくさんいて、一緒に行動できるときたら安心できる。そして韓国人の友達ができるらしい。そんなおいしい話はない、と思った。せっかく朝鮮語を勉強しているし、一度は行って見たいなと思った。
そのときは、キャンプの内容など重く見てはいなかった。ボランティアワークキャンプというほどであるから、私たちが韓国に行く本当の目的がある。私たちが行っているワークキャンプを簡単に説明すると、韓国のハンセン病快復者の人たちが自給自足の生活をしている村に訪問し、困っていることを助けるという活動である。例えば、足場の悪い道路を舗装してほしいと言われれば、セメントを練って、舗装をする。豚を飼っている家の手伝いや、村のゴミ拾い、草刈や、石垣積みなど、できることがあれば何でもする。この活動を知っていくうちに、私のこんな軽い気持ちで、キャンプに参加できないと思った。ただ、韓国に行って、おいしいものを食べて帰ってくるのとは違うのである。私のちっぽけな知識と、遊びたいという欲望だけではいけないと思った。しかし、キャンプの先輩からの一言で、私のこの気持ちはスッと消えた。「きっかけは何でもいい。行ったら絶対楽しいよ。興味があるなら行くべきだし、とりあえず行ってから考えよう。」こんな気持ちでも、いって少しでもできることをしようという気持ちがあれば、なんとかなるのかな、と思えた。ここから私の愛する韓国と私の物語が始まる。
こんなきっかけから、韓国という国で、私はいくつかの冒険をしてきた。それは韓国でのボランティアキャンプを通して感じた文化の違い、価値観や考え方の違い、逆に共通した要素もたくさん発見することができた。私が実際韓国に行き、韓国人と生活を共にし、一緒に笑い、泣き、喜んでこそ得ることができたのだと思う。それは、「交流」という手段の一つに過ぎないものだったのかもしれない。しかし、私にとって韓国を愛することのできた、たった一つの方法だった。この交流を通して感じたこと全てを一生忘れずに暖めていきたい。そしてこの思いをできるだけたくさんの人に伝えたい。ここから国を超えた人間の絆を見つけよう。
第1章 韓国人とは?
第1節 食文化
@ 食べ物
私が始めて韓国に到着して口にしたもの、それは「김밥(キンパ)」だった。見た目は、完全に寿司の太巻きである。元々、日本統治時代に日本から太巻きを日本人が持ち込んだことがきっかけで、韓国に太巻きに似た「김밥(キンパ)」が存在しているのである。その「김밥(キンパ)」を口に入れた途端、舌を疑った。酢飯を想像して口に入れたのが間違いであった。白いご飯の中に沢庵とキムチ。想像を絶する味。韓国に来て、韓国の独特の匂いに、食欲をなくしていた私の食欲に衝撃を与える味であった。辛いけどおいしい。もっといろんな韓国を食べて見たいという気持ちが生まれた。
そんな韓国の食べ物の中で最もポピュラーなもの、それは김치(キムチ)である。「김밥(キンパ)」の中にも入っていた김치は元々白菜の塩漬けであった。「野菜の塩漬け」を意味する「チムチェ」は、長い年月を経て、ティムチェ→ディムチエ→ジムチェ→ジムチ→キムチェ→キムチの音に変わりながら、今日のキムチに定着したと言われている。今日のような辛い김치になったのも唐辛子が渡ってきた1600年以降と言われている。唐辛子の伝来は、一方で、その原産地、中南米から15世紀の大航海時代にヨーロッパに渡り、ポルトガル、オランダ人らによって東南アジアを経由して日本にもたらされ、豊臣秀吉の朝鮮侵略時に朝鮮に入ったと言われているが、いずれにせよ、唐辛子の伝来は、その後のキムチの性格を一変させる物であった。
今や김치は日本でも漬け物ランキングの常に上位であるほどの人気である。今や、スーパーやコンビニに必ずあり、日本の食卓に並ぶことも多くなった。しかし、本場韓国ではキムチは買って食べるものではない。食堂や居酒屋に行ったところでメニューにすらない。なぜなら、김치は言わば無料のつきだしだからである。店に入り、席につくと有無を言わず、김치を始め、ナムルや沢庵などたくさん出てくるのが当たり前である。食べ放題で日本の김치よりも断然おいしい。一方、一般家庭では김치はおばあさんやお母さんが作るのが当たり前であった。最近の家庭では買ってくる家庭も増えているようだが、作るのが基本である。買ってくる家庭も、おばあさんやお母さんが作っている家庭でも共通していることは、一家に一台、김치冷蔵庫があるということだ。普通の冷蔵庫の隣に横長い大きな김치冷蔵庫がある。もちろん中身は全て김치。それほどに김치は韓国でとても格別な食べ物なのである。
なぜ김치がここまで格別なのか。指摘されている理由は、一つは栄養価が高いこと、もう一つは幅広く料理に使えることである。キムチチゲをはじめ、キムチチヂミ、ピビンパや冷麺の中にも入っている。ファーストフードに行けばキムチバーガー、コンビニに行けばキムチ味のおにぎり、お菓子がたくさん並んでいる。そしてそんな김치を食べている韓国人にとって日本の김치はどう評価されているのか。その答えは、「김치ではない。」日本の김치は全く別のものらしい。そもそも日本のスーパーに並んでいる김치は和風である。韓国人が김치でないと言うのも納得である。日本の김치は和風だしを元に、作られている。これはこれでおいしいのだが、김치ではないと言われればそうである。そんな日本の김치を食べている日本人も最近では本場のものを求める傾向があるようだ。ハングル表記のものが人気があったり、コリアンタウンに赴き、韓国人が漬けた新鮮な김치を買う人も少なくない。私もその一人で、この前鶴橋に김치を買いに行ったときのこと。おいしい김치を捜し求めている人が多く、驚いた。本物志向の日本人にとってこれからの김치はどのように変化していくのだろうか。韓国から「お取り寄せ」の時代も遠くない?
次に述べる韓国の不思議食べ物は라면(ラーメン)である。最近、スーパーで韓国の라면をよく目にする。その多くは「辛라면(シンラーミョン)」である。パッケージにはみ出んばかりの“辛”と言う字。いかにも辛そうな赤い袋。おもむろに書かれたハングル。いかにも韓国のラーメンである。この「辛라면」は韓国でも人気のあるラーメンのひとつである。このラーメンは韓国の大手食品メーカー「NONGSHIM」が出しているラーメンで、味はその名の通り辛い。韓国の라면の中でも辛いほうである。この라면は日本でハマってしまう人も多い。この라면を食べるだけで、韓国を思い出すことができる。そんな韓国の라면は日本のラーメンのように様々な味、麺、スープは存在しない。韓国で言う라면と言うものは簡単に言ってしまえば「辛라면」とその仲間たちだけである。全てインスタントラーメンである。日本のように生麺はもちろん半生麺も存在しない。もちろんラーメン屋もない。しかし、日本にない食べ方を発見した。韓国の若者によく見られる食べ方であるが、おつまみとして食べる方法である。
<라면のおつまみとしてのおいしい食べ方>@袋をあけ、麺、粉末スープを取り出す。A袋を全部広げ、お皿のように置く。B麺をバラバラに割って袋の上に置く。C粉末スープをBの上に半分だけ振り掛ける。D食べる。
これは日本では見たことのない라면の食べ方である。この食べ方の라면はまた違った食べ物のようでおいしい。日本でこのように食べることはないが、韓国に行けばよく食べる라면の調理法である。なぜこのような食べ方をするのか。それはただ単に、おつまみがない時に出される即席おつまみと言うだけで、これがおいしくてたまらなくて食べているわけではないようだ。これから韓国の라면の人気は延びるであろう。しかし、この食べ方は日本人に馴染むことはないだろう。
A 食べ方
韓国では食事をするとき、箸とスプーンを使って食べる。そして食器や箸、スプーンは、銀製、真鍮のものが多い。店はもちろん、家庭でも同じである。そしてそれらの食器が銀製である理由は食器を手で持たない文化からなるものである。銀製の食器は重いので手で持たなくても安定している。それに銀製の食器に暖かいものを入れて食べる場合、熱くて食器を持つことができない。箸の使い方は、基本的にスプーンでご飯、汁、汁の具を食べる。箸でおかず、キムチやナムルを食べる。箸やスプーンを置くとき、口をつける側を相手に向けて右側に並べて置く。片方を使っているとき、一度使ったものであっても、机に置いておく。箸置きはない。茶碗の上に置くこともない。一度口に入れたものであっても机の上に置いてしまう。これは日本人の私にとってどうしてもできない韓国の食文化の一つである。なぜなら衛生面から考えて口に入れるものを机には置きたくないという考えからである。これは多くの日本人にとって難しいことであろう。
次に、食べ方で代表的なもの、それは비빔밥(ピビンパ)である。訳すと「混ぜご飯」と言う意味である。その名の通り、韓国ではご飯に何でも混ぜる。비빔밥はもちろん、キャンプの時に作ったカレーも全部ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。チゲを頼んでも、クッパを頼んでも、ご飯と汁が別々でてくる。あとは自分で混ぜるだけ。混ぜて食べる理由は混ぜたほうがおいしいかららしい。日本にもそれとよく似た「猫まんま」がある。冷えたご飯に味噌汁をかけたものや、ご飯の上に秋刀魚を乗せたもの、さまざまだが、イメージとしては猫に与えるごはん、つまり、人間が食べた残りの残飯を混ぜて猫にえさとして与えていたご飯である。それを考えると、なんでも混ぜて食べる韓国の文化は、日本人である私たちにとって理解しがたいことである。
次に述べることは、誰も気づいていない不思議ともいえること、それは「種」の謎である。キャンプ中のある日、夜お酒を飲んでいる席にスイカがでた。そこで、韓国のみんなはなんと種ごと食べてしまった。「種は?」と聞くと、「めんどくさいから」の一言。気をつけてみていると、ブドウの種も吐かない。皮は出すのに種は出さない。瓜によく似たメロンもたくさんの種がついたまま食卓に並ぶ。どうやら出してもださなくてもいいらしい。私が小さい頃、種を食べるとお腹から芽が出るよ、と言われたものである。それを韓国の子に説明すると、案の定、笑われてしまった。このことについては、細かい日本人と大雑把な韓国人の違いだと言われればそれまでなのかもしれない。そんな性格の違いも韓国の魅力の一つである。
このように韓国の食文化は、日本とは違い、豪快で力強い。日本では味わえないものも多く、逆に日本にあって韓国にないものの多い。それを韓国人になりきって試してみて、感じることは多い。逆にこっちのほうがおいしい、こっちのほうが効率いい、と感じることも少なくない。それを見つけることは楽しいことでもあり、私が韓国に惹かれる大きな理由の一つである。
第2節 人間関係
@ 友達
韓国の友達が増えて、韓国の子たちの友達づきあいに驚いたことがあった。スキンシップの多さである。街では、多くの女の子たちが手を繋いだり、腕を組んで歩いている。男の子たちは肩を組み、仲良さそうに歩いている。写真を撮るときには、男女関係なく顔をくっつけ、肩を抱き合い写真を撮る。日本ではまずあまりないスタイルである。始めは、なんて馴れ馴れしい!と思ったが、今ではこの“友達スタイル”にも慣れ、溶け込むことができた。
一方、日本人の “友達スタイル”はある程度の距離を置く。なぜなら日本人の特徴として人間関係を構築するときに、まず離れたところから相手を見て、それからその人を分析し、その人と良い“友達スタイル”を構築できるかどうかを見定めるからである。それにはしばしの時間が必要である。
私が感じた韓国人的“友達スタイル”はその時間がかからない。まず、相手と出会い、お互いすぐに相手を知りたがる。ストレートに探りを入れてくる。そして得意のスキンシップ。そのスキンシップをすることで、私たちはもう友達ですよ、という雰囲気を作り出す。その間お互いの話をしながら距離を縮めていくのである。日本のスタイルと韓国のスタイルとの大きな違いは「距離」である。「距離」を置くか、縮めるか。これは互いにいいところでもあり、悪いところでもある。日本のスタイルのように「距離」を離しっぱなしではいつまでたっても仲良くなることはできない。かといって、韓国スタイルのようになんでもズバズバと相手をかき回すことは相手を不快にさせる場合がある。“友達スタイル”を考える場合、ある程度の「距離」を保ちながら、相手を思いやり、自然とスキンシップを取ることのできる関係を構成できるようなスタイルを心がけたいものである。
韓国で上下関係が厳しいことは有名である。学校でも、会社でも、先輩は絶対的存在である。このような関係性は日本でもよく見られる。中学、高校時代のクラブ活動では先輩の指示に従うのは当たり前である。しかし、大学生になり、私たちの友人の中には、年の違った友人が多くなった。浪人や留学などの理由で年上であったり、アルバイト先で仲良くなった高校生、フリーター、主婦・・・年齢・性別は様々である。それらの友人は仲良くなれば、敬語を使わなくなったり、逆に使われなくなったりする。しかし、それは仲良くなった証拠として受け入れる場合が多い。中には嫌がる人もいるが、大半の場合は「タメ語」で話すことと親密な関係になることがと繋がっている。
しかし、韓国では、年上の人と話をする場合、敬語は絶対である。どんなに仲良くなっても敬語を使う。だから、初対面で自己紹介をする場合、名前、生年月日、もしくは大学入学年度を聞く。それによって敬語で話すかタメ語で話すか判断する。そして仲間内での先輩後輩の関係の場合、年上の人には必ず「お兄さん(오빠・형)」「お姉さん(언니・누나)」と呼ぶ。これは韓国独特の呼び方で、親しみを込めて呼ぶ呼び方である。実の兄・姉にもこの呼び方を使う。そうでなくても、親しい間柄の年上の人にも使う。
それを踏まえ、私は実験を試みた。今年初めて会った大学一年生の男の子に敬語は使わず話してみるように言った。私を누나ではなく、名前で呼ぶようにも言った。するとはじめは変だといいながらも、時間が経つにつれ、自然と敬語を使わなくなった。韓国人でも年の差に関係なく、“日本スタイル”の友達関係を作り上げることができると確信した。しかし、そううまくは行かなかった。なぜなら、それに気づいた오빠(お兄さん)が1年生に向かって怒ったのである。「本人(ここでは私)がそれで良いと言ったとしても実際は年が3つも上だ。それで良いと思っているのか?タメ語ではなく敬語を使い、누나(お姉さん)と呼べ。」その後、なぜか私も怒られてしまった。なぜなら年上の人にタメ語で話すことや、名前で呼ぶことを許すことによって、彼がこれから先も、いろんな人にタメ語を使ったり、名前で呼ぶことを許されてしまうと思ってしまうからだという。ただのサークルの先輩後輩の仲を作っているのではなく、彼がこれから先、軍隊に入隊し、社会に出たときに、恥ずかしくないよう、一大人としての礼儀を教えているのである。そのことを始めて知り、韓国社会での上下関係はただ、厳しく、年の差という壁を作っているのではなく、きちんと意味があることを知った。もし、韓国人の友人がいるのでれば“日本スタイル”ではなく、韓国ならではの注意点に気をつけながら、円滑な友情を築いて行きたい。
A 家族
韓国的な家族とは。韓国の家庭は一見日本と変わらない。しかし、それは外見だけであって、中身は全く違う。韓国は、昔の日本のような亭主関白で、両親を尊敬し、目上の人を敬う文化の根強く残った国である。子は父を尊敬し、母を大切にする。子は両親に敬語を使う。ご飯は父親が箸をつけるまで食べてはならない。お酒を飲むときは親が飲んだ後、腰を横にねじり、親に背中を向けて飲む。お酒をついでもらうときはグラスを持った手に片手を添える、又は片手を胸に当てる。握手をする場合も、同様である。これは、初対面の人や、目上の人と接する場合も同じである。このように、血の繋がった家族であっても尊敬の心を忘れないのが韓国的家族なのである。
友達でも述べたように韓国ではスキンシップが多い。それは家族でも同じである。街中でお母さんと息子が手をつないでいるのをしばしば見かける。この息子は一見結婚していてもおかしくない年頃の息子である。日本人にとってこのような光景はありえない。ありえるとすれば、ただのマザコンである。なぜこのようなことがしばしばあるのか。それは「家族だから」である。要するに、韓国では家族の距離が非常に近く、密な関係なのである。父親でも、母親でも、兄弟でも、家族だからありえてしまうのである。韓国の家族は家族団欒を大切にする。これは韓国ドラマからも感じられることである。大会社の御曹司であっても、リビングで家族団欒の風景は必ずある。逆に貧乏な家庭でも同じ部屋で寝食を供にし、家族団欒を大切にする。そして、家族がいつも一緒にいられるよう、家族団欒の場所には家族写真が必ず飾られている。
韓国では、結婚しても姓が同じにはならない。子どもが生まれると、その子どもは基本的に父方の姓を継ぐ。今でも、儒教的な考えが根強く残っているため、全ての中心は父方の血筋である。女の務めは、男を産んでその血筋を保つことである。このように韓国的家族は、いわば昔の日本を見ているような感じがする。家族を大切にする心は、どんな時代が来ても大切にしなくてはならないことである。韓国がブームになったのも、日本の古き良き時代を思い出させる要素がいたるところで見ることができるからではなかろうか。この韓国ブームによって、家族を殺し合うような残虐な事件がなくなることを祈る。
第3節 言葉
@すみません。
日本語の「すみません」という言葉は様々な場面で使われる。謝るときはもちろん、相手の前を通るときなどクッション言葉のようによく使われる。いわば、Excuse meと I’m sorry を混合した意味のような言葉である。韓国語では直訳すると「미안합니다./미안해요.」という。しかし、この言葉にはExcuse meの意味が含まれない。日本人は日常、ちょっとしたところですぐに「すみません」と言うので、そのままこの「미안합니다./미안해요.」を使っていると、日本人はすぐ謝る、なぜそんなに謝るのか、と質問されてしまうであろう。日本人としては、謝っているつもりはないのだが、つい口癖のように使ってしまう。逆に多くの意味を持つ、融通の利く言葉として便利だと思う。
しかし、このような文化はめったにないようだ。逆に韓国ではちょっとした場面でどのような言葉が使われているのだろう。改めて考えて見ると、あまりそれと似たような言葉は存在しないように思う。人とぶつかったときも、特に言葉は発しない。そもそもなぜ韓国人が謝らないのか。それは他人であれ、身体的に距離が近いせいではないだろうか。@友達関係やA家族でも述べたようにスキンシップが多いせいか、常に人と体が触れ合っていても気にならないのである。「あなたのものは私のもの、私のものは私のもの」という、韓国で私が感じた言葉を例に挙げる。
これは船で韓国から日本に向かっているときのこと、船の中にある共同のお風呂に入った。そのとき、大量の韓国人のおばさんが風呂に入ってきた。気にせず体を洗っていると、横からシャワーを横取りされた。私が一瞬シャワーを使っていない隙を狙って奪われた。その後、奪われたシャワーが返ってくることはなかった。湯船に浸かっているときのこと、自分で持って来た風呂道具から離れている隙に、勝手に私の風呂道具をあさり始めた。私が驚いて呆然としていると、体を洗う道具を勝手に使い始めた。これは日本では絶対にありえないことである。知人ならまだしも、赤の他人、しかも韓国のおばちゃんである。おどおどしながらも、勇気を振り絞って「返してください。」と告げると、おばちゃんはむすっとした表情で「別にいいじゃない!」と逆切れされてしまった。ここまでのことはないかも知れないが、これと似たようなことが韓国ではよく見受けられる。まさに「あなたのものは私のもの、私のものは私のもの」 である。これは人にぶつかっても悪いことではないからあやまる必要がない、という考えと似てはいないだろうか。人の使ったものも、別に自分が使っても悪いことではないから謝る必要はない。このほかにも、韓国ドラマの1シーンで、誰が飲んだか分からない飲み残しを飲んでいるシーンや、キャンプでは、人のタオルで汗を拭き、人のサンダルで出かけることは日常茶飯事である。その度に、日本人はしばしば自分のサンダルを探さなくてはならない。謝る必要のないことなのだろうか。これも神経質な日本人と、大雑把な韓国人の違いだ、といわれてしまえばそれまでなのかもしれない。しかし、ここまで違ってしまうのか、と思うと文化の違いの大きさに驚くばかりである。
A大丈夫です。
「大丈夫です。(괜찮습니다/괜찮아요)」という言葉はさまざまな場面で登場する。「良いです。」や、「結構です。」などその意味のとらえ方は様々である。私が初めて覚えた韓国語もこの言葉であった。何を言われてもとりあえずこの言葉を知っていればなんとかなる。転んだときに「大丈夫ですか?」と聞かれ、「大丈夫です。」と答える。ご飯を食べている席でも、「もっと食べる?」と聞かれ、「大丈夫です。」と答える。「どこか行きたいところある?」と聞かれ、「大丈夫です。」と答える。このように大変便利な言葉の一つである。しかし、このように答えてばかりいると「何が大丈夫なの?」と通じないことも多い。便利な言葉の反面、やはり確実な意味をついていない分、なかなか伝わらない。
しかし、逆に韓国人はこの言葉をよく使う。しかし、日本人が使う場合と少し意味が違ってくる。韓国人特有の文化、これを私は「ケンチャナ文化」と呼ぶ。韓国人はどんなことがあっても「괜찮아요(けんちゃなよ)」と言って気にしない。物を壊しても、時間に遅れても、人の物を勝手に使っても、この一言で済まされてしまう。これは@で述べたことも謎が解ける。韓国では、細かなことは気にしない、おおらかな文化が存在し、それが今日の“適当”とも言える韓国の文化を構築しているのである。
第四節 美意識
@整形手術
次に述べることは女性なら誰しも一度は考えたことのあるであろう、「整形手術」についてである。私たち日本人にとっての整形手術は、良いイメージはない。「整形手術したい!」という人はたくさんいたとしても、実際に整形手術をする人は少ないであろう。急に顔や体が変わってしまうことに抵抗があるからであり、そのたびに、人からどう思われるのかが気になる。一方韓国では、整形手術についての考え方が日本とは違う。韓国人は完璧な「美」を追求するのである。手術をするだけできれいになれるのならそれでいいじゃない、と言わんばかりに、二重まぶたから始まり、鼻を高くし、頬骨を削り、ほくろをとる。ここでみなさんに質問です。
『韓国人の芸能人を見て、顔が良く似ていると感じたことはありませんか。』
私はいつも思う。特に誰とも知らない芸能人のCMを見て、この人さっき見た人?とか、昨日街で見た人に似てる?とか。あのチェ・ジウでさえも見るたびに顔が違う。
これは芸能人だけに言えることではない。一般人でも同じである。韓国では、二十歳の誕生日に両親からお金をもらって手術しに行く。私の友達にも実際整形手術をしている人もいる。明らかに去年と顔が違っている。しかし、直接聞く勇気がない。
このような考えを持つ理由は整形手術が日本よりも浸透していることのほかに、日本人よりも完璧な「美」を追求する意識のズレがあるからだと言える。私たち日本人の多くの女性が考える「美」意識は、外見ももちろんだが、中身も大切だと考えられている。目が大きくて、鼻が高く、肌が透き通っている人が、とんでもない毒を吐く癖のある人間だったら、さほど人気はないであろう。その人の内面的なものも少なからず含まれており、トータル的に見て美しい人を、本当の「美」と考えるだろう。しかし、韓国では、真っ先に顔やスタイルに重点が置かれる。内面的なことは置いておいて、まず、見た目がきれいであることが重要視されるのである。
内面的「美」を追求している日本人が韓国人から見るとどのように見られているのか。「韓国女性はスリムで美人が多いのに、日本人はデブでブスが多い。」 私はあきれてしまった。少なからず、あなたたちのように整形してませんから!!しかし、実際韓国人はどう思っているのか、私はリサーチして見ることにした。
実際韓国人男性が感じる女性の美しさはどのようなものだろう。化粧をばっちりしている人?整形手術できれいな人?多くの韓国人の男の友達の意見を聞いていると、一つのことが分かった。彼らが重要視している美しさは、笑顔が可愛いい人や、声やしぐさが可愛い人であると思う。もちろん整形手術に対してはそう重く違和感はないのは事実であるが、多くの女性が考えている外見に加え、内面的美も大切だということがわかる。実際に私はアドバイスをもらったこともある。「薄化粧のほうがいいよ。」「笑った顔のほうがかわいいよ。」など、必ずしも整った顔=きれいな顔ではないようだ。内面を磨けば本当の「美」が手に入るのではないだろうか。体の内からでる「美」こそ、神秘的でかつ、惹かれる要素の一つのように思う。
Aモムチャン
次に上げるのは、韓国の男性に多く見られるモムチャンである。モムチャン(몸창)とは、分かりやすく言うと、肉体美のようなニュアンスで鍛えられた筋肉の持ち主を指す。韓国人男性は鍛えるのが好きだ。鍛えた筋肉を見せるのも好きだ。例えば、韓国ドラマで男性が意味もなくタンクトップで登場したり、必要ないと思われる着替えのシーンや、見てくれと言わんばかりのピチッとした
洋服…このほかにも良く見受けられる。これらは、鍛えることが好きな韓国人俳優が視聴者に見せたいがための1シーンである。確かにソフトマッチョはステキだが、いやらし過ぎるではないか。筋肉を見せるためのシーンがある意味が分からない。
この美意識には共通点がある。それは、他人の目である。他人から良く見られたいという意識がこのような現象を引き起こしている。顔を綺麗に整えること、体を鍛えること、どちらも他人に良く見られたいがためのことである。確かに韓国人はみんなどこか自分に自信を持っている。そのため、自分の顔の写真ばかり撮ったり、人の携帯電話で自分の写真を撮って保存したり、自分の顔を待ちうけ画面に設定したりする。日本人なら引いてしまうところだ。このような美意識こそが“自信過剰な韓国人”を作り上げている。もっと内から磨いていこうよ!
第五節 時間
@コリアンタイム
韓国人は時間にかなりルーズである。なぜここまでルーズなのであろう。特に細かいことにうるさい日本人だから気にするのかもしれないが、とにかくルーズである。約束の時間はあってないようなもの。多少の遅れは全く気にしない。大切な会議にも遅れる。そんな時間を私は「コリアンタイム」と呼ぶ。これは第三節のAで述べた「ケンチャナヨ」と密接な関係がある。なぜ韓国人は時間にルーズなのか。それはなんでも「ケンチャナヨ」で済まされるからである。それが当たり前で日常なのである。バスが大幅に遅れて到着する、コンサートが開始時間に始まらない、このようなことは多々ある。日本ではありえない現象である。しかし、“大丈夫“という言葉がある限り、韓国文化の一つとして存在し続けるであろう。
第二章 日韓カップル
第一節 韓国の男
ここからは周りの体験などを交えながら伝えたいことがある。
私にとっての韓国人の男性の第一印象は、みんな優しくて、気が利いていて、男らしい。それは私だけが感じていることではない。世のおば様方は、ヨン様やソン様やいろんな韓国人俳優を見てそう感じているはずである。これらは、日本人男性が持ち合わせていないなにかが韓国人男性にはあるように感じるからである。そんな魅力に惹かれるのかもしれない。
私は、実体験を通して、韓国人の男性の特徴や国民性を見つめ直すことにした。このことを見つめ直すことによって信じがたい話や事実を知ることとなる。私は、韓国人との付き合い方や、恋愛についての本を何冊か読んだ。そしてそこには、私が体験したことのないような内容が事細かに書かれており、怒りを覚えた。何冊も読んでいくに従い、私が思っていたことや、感じたことがうそなのではないか、と思い始めてしまった。
私が感じる韓国人男性は第一印象とまったく同じである。いつも気が利いて、やさしい。そして、韓国人男性は日本人女性から人気がある。それは韓流ブームを見れば一目瞭然である。やさしそうな笑顔。すっと伸びる背丈。がっちりとした体。男らしいイメージ。日本人男性とはまた違った雰囲気である。実際に韓国に行ってみると、テレビで見るような人ばかりではないが、やはりどこか日本人男性とは違う。なぜそうも違うのか。その秘密は「徴兵制」が大きく関係している。韓国では21歳になると2年半の間、軍隊に入隊しなければいけない。韓国は大陸と地続きであり、歴史上外敵の侵略を約930回以上受けてきたと言われている。 そのため、徴兵制があるのは当たり前と言っても過言ではない。兵役はただの訓練ではなく、国を守るために任された地域で任務を果たすことが目的とされている。最近では、実際にイラクに派遣されたり、38度線を守っている兵士も彼らの仕事である。そして韓国では、入隊し、2年半無事に過ごして帰ってきてこそ、一人前の男になるという考え方がある。義務としての軍隊の前に、兵役という厳しい試練を乗り越えてこそ一人前の男であるということを証明しなければならない。兵役を終えて帰ってくるということは、健康で一人の男として認めてもらえることとイコールである。実際に兵役に行く前の人と行った後の人では同じ人物であってもまったく違っている。入隊前の人はまだどこかあどけなく、子供っぽい普通の学生である。しかし、軍隊は私たちが思っている以上に過酷らしく、兵役を終えて帰って間もない人は、まだまだ軍の癖が抜けておらず、一目瞭然である。話し方は不自然なほどの敬語、背筋はピンと伸び、敵を見るように私たちを睨み付ける。そしてどこか堅苦しい。そして何よりも笑顔を忘れている。軍隊に入隊するということは、笑顔でいることを忘れさせるほど厳しいようだ。その厳しさがあるからこそ、今日のやさしい表情や男らしさを持ち合わせている韓国男性を形成しているのではないであろうか。徴兵制度の存在しない日本人から見ると、兵役に行くことは悲しく、寂しいことに感じるが、それが当たり前の韓国人からすると、兵役に行くことは、男になるという意味からすれば、任務のようなものなのかもしれない。そして兵役に行かない男は、ただの意気地なしのように見えるのである。このような日本にない厳しい環境の中で、国を守らなければならないという責任感の元に今、人気絶頂の韓国人男性が存在しているのである。
このような彼らが恋愛するとどうなるのか。韓国人男性の恋愛の定義は「口説き落とす」である。韓国で女の子が自分から告白したり、アタックするなどということはあまりない。男の子に口説き落とされることが多い。気に入った女の子を自分の物にするために、何度も何度もしつこいほどアタックする。それが当たり前なのである。なぜ何度もアタックするのか。それは後でも述べることだが、女の子が1回では応じないからである。なぜ1回で応じないからである。それが当たり前なのである。応じてもらえるまでいろんなことをする。初めはデートに誘ったり、ご飯を一緒に食べたりする。徐々に愛の告白をするようになる。彼女のためにバラの花束を買い、公園に数え切れないほどのローソクに火をつけ、その中で愛を語る。ドラマのような演出である。私たちには考えられない。このような演出こそが韓国ドラマを支え、おば様方を喜ばせている。
第二節 韓国人の女
私が感じる韓国人女性は日本人女性と何ら変わりはない。第四節で述べたように、美意識が高く、いつも綺麗でいたいと思っている。ファッションに興味があり、女同士で話すことと言えば恋の話。食べることが好きで、甘いものが大好きである。むしろ日本人女性よりもたくさんいろんなものを食べる。私がキャンプに参加していたある夏のこと、村人の粋な計らいで、豚を何頭かご馳走してくれた。私たち日本から来た女の子たちは豚の頭や足にビックリ。そしてプリプリとした食感と独特の匂いに一口食べるので限界である。しかし韓国の女の子は当たり前のようにパクパク口に運んでいく。そして私たちに「豚の頭は高いし、めったに食べられないよ。なぜ食べないの?」と不思議そうに質問をしてきた。私は「お腹がいっぱいだから。」としか言えなかった。ここに韓国人女性の美肌の秘密が隠されていることに気づいた。韓国では肌に良い食材をよく食べる。豚の頭や足はコラーゲンたっぷりの食材である。そのほかにもキムチの辛子に含まれているカプサイシンは発刊作用があり、美肌効果がある。
韓国人女性を見ていて、日本人女性と大きく違うところは愛想がないところである。スーパーに行って女性店員をみても挨拶もしない。笑顔なんてもってのほかである。普段からあまり笑わない。日本人女性のように笑顔を振りまくことはない。そして気が強い。韓国人女性と韓国人男性が話をしているところを観察してみると、かなり多くの割合で韓国人男性が圧倒されている。キャンプの会議の時間では、意見を述べるのはほとんどが韓国人女性で、韓国人男性は彼女たちを宥めるので精一杯である。
このように気が強く愛想のない韓国人女性も恋愛となると大きく変わる。韓国人女性は基本的に「男に尽くしたいタイプ」だと言える。なぜなら気が強い反面、押しに弱い。そして、好きな男性がいても自分では好きだといえない。 自分から言うのではなく、相手から言わせるように仕向けるのである。そして第1節でも述べたように、韓国人男性は押しが強い。口説かれる環境が当たり前になっている韓国人女性にとって自分が好きな男性であっても1度で落ちるということは絶対にない。それは軽い女だと思われるからである。そして何度も口説いてくるような男でないと、本当に自分のことを好きで口説いているか確かめられないからである。すなわち韓国では「男の執拗な誘い」と「女の執拗な拒否」 で成り立っている。こんな韓国の恋愛事情で育った韓国人女性が日本人男性との恋に失敗するのも無理もない。ただでさえ、日本人男性は自分から愛を語ることは少ないのに、すぐに断られてしまうと終わってしまう。
そして、第1節でも述べたように、韓国人男性は、一番恋愛をしたい時期に徴兵に行ってしまう。その間カップルたちはどうしているのだろう。それはさまざまである。2年半待っている彼女もいれば、彼が兵役中に他の男性と付き合ってしまうこともある。2年半待っている彼女の場合、頻繁に手紙を書いたり、彼の休暇中に会いに行ったりする。待てなかった彼女の場合は、先ほども述べたように、兵役を終えたオッパ(お兄さん)に口説かれ、落ちてしまうのである。そのため、年上の男性と年下の女性が付き合っている場合が多い。その間、兵役中の彼は絶大なダメージを受ける。厳しい兵役に耐えるためのたった一つの支えを失うのである。最近では、兵役中にフラれることを恐れ、入隊する前に男から別れを告げるパターンが急増しているらしい。
第三節 カップル○○
韓国人は「カップル○○」が大好きである。
韓国の街中を見ていると気づくであろう。まずは「カップルT」である。意味はそのままのカップルTシャツである。お揃いのTシャツから始まり、二人合わせるとハートがくっつくものや、彼の背中には、彼女の方角の矢印の隣に「俺の女だ」と、彼女の背中には、彼の方角の矢印の隣に「私の彼氏です」と書かれたものなどさまざまである。中には上下ともお揃いのカップルもいる。それらを着ることに抵抗はないのであろうか。彼らは、それらを着用することによって、自分たちが恋人同士であることを確認しあっているのである。
次に、カップルカップである。カップルカップとはハートの形をしたマグカップで、半分に分かれるようになっている。そして、片方を彼が、もう片方を彼女が持つ。これは私たちの年頃の人たちが持っていることよりも、中高生が持っている場合が多い。
次に述べる事柄は日本でも多く見られる。それはカップルリングである。しかし、韓国と日本で違うところがある。それは、カップルリングが恋人同士の証だ、と言わんばかりにつけるのである。恋人同士になって間もないカップルもつけていて当たり前である。もちろん二人とも左手の薬指につける。
第四節 日本人の女と韓国人の男
日韓カップルの多くは日本人の女と韓国人の男である。あの有名な阿部美穂子さん夫婦も日本人の女と韓国人の男である。最近では、そのような夫婦が書いた本も多く出版されている。
なぜの日本人女性と韓国人男性のカップルが多いのか。それは、お互いに好印象を持っているからである。日本人女性は昔から大和撫子と言われ、世界でもっともいい女として評価されている。韓国人男性は韓流ブームに伴い、いい男として日本人女性を虜にしている。実際に、私が参加しているキャンプで多くの日韓カップルが誕生している。最近では、結婚して、子供ができた夫婦もいる。
韓国人男性から見て日本人女性は、愛らしく写る。いつも笑顔で、やさしい。いつも気が強く、口説いても口説いても落ちない女性ばかりに囲まれている韓国人男性にとって、天使である。しかし、その反面、「日本人の女は軽い」と感じる人も多い。韓国人女性は1度告白されたくらいでは応じないが、日本人女性はそうではない。日本人男性は普通、1度告白するかである。そんな環境のなかで、男性に告白されるということは一世一代なことであり、滅多にされるようなことではない。そんな日本人女性は、韓国人男性にとって、1度愛を語ったくらいで引っかかる軽い女に見えるのである。
逆に日本人女性から見る韓国人男性は第一節で述べたように、やさしく、男らしく写る。日本人男性にはない気遣いや、女性を労わる心が見える。そんなところに恋をしてしまう日本人女性は少なくない。その上、優しい言葉で愛を語る。しかも何度も。日本人男性と違うところはここである。有名な韓国語のひとつである「サランヘヨ」はご存知の通り、「愛している」である。そのほかに「好きだ」という意味の言葉もある。しかし、韓国人が愛を語る場合、必ず「サランヘヨ」を使う。これはドラマを見るとすぐに気づくであろう。「好きだ」という言葉は使わない。
逆に日本ではどうであろう。「愛している」という言葉を使う人はいるであろうか。いない。「愛している」という言葉を使うことは少し恥ずかしい。「好きだ」と一言言うのですら時間のかかる日本人にとって、毎日「愛しているよ」と言われることは、新鮮で、喜ばしいことである。そのために、日本人の女性は韓国人の男性の新鮮さや、ロマンチックさに惹かれてしまうのではないだろうか。
第五節 韓国人の女と日本人の男
日韓カップルが増加の傾向にある中で、韓国人女性と日本人男性のカップルは少ないように思う。第四節でも述べたように、常に受身である韓国人女性と、積極性が少し足りない日本人男性では、うまくいかないのではないのだろうか。しつこいほど口説くことのない日本人男性にとって、1度では振り向いてくれない韓国人女性を口説き落とすことは困難である。私の周りにも、韓国人女性と付き合っている日本人男性がいるが、彼らは例外である。日本を勉強している彼女と、韓国を勉強している彼にとって、このような恋愛事情は適応されていない。
韓国人女性が好きな日本人男性がいても、何度も愛の告白をする勇気がないと成立しない。また、日本人男性が好きな韓国人女性がいたとしても、自分から愛の告白をする勇気や1度で応じることができないと成立しないのである。
第六節 リアルな結婚の話
国交が回復傾向にある日本と韓国だが、日本人と韓国人が結婚する場合、いろんな問題がまだまだ残っている。言葉の壁はもちろん、国籍の問題や両親の問題などさまざまである。しかし、これらは韓国だけに限った問題ではない。
私が一番問題だと感じることは、国のイメージである。私たち日本人にとって、韓国という国は、韓流ブームによって国文化的なものはかなり回復されてきたように思う。しかし、朝鮮半島の分離の問題は休戦状態である。そして、拉致問題をまだ抱えている北朝鮮と同一民族である。そのほか、教科書問題など国と国との関係はまだまだ回復されていないように思う。
逆に、韓国人から見た日本はどうであろう。韓流ブームがありながらも、日帝時代の記憶や、教育によって日本のイメージは良いものだとは言えない。日本は、昔、韓国の言葉や文化をすべて潰し、日本の言葉や文化を押し付けてきた、という汚い過去が存在する。私たちの世代よりも、私たちの親世代のイメージが最も思わしくない。そのため、今結婚しようとしているカップルたちは苦労のどん底である。
韓国にお嫁に行くにせよ、韓国の家族のしきたりや、生活、文化は日本の物とはまったく違う。また、日本に住むにせよ、同じである。恋愛と結婚は違う。外国人と恋愛することは、新鮮で、楽しいかもしれない。しかし、結婚となると、両親、兄弟、親戚をも巻き込む。彼らがどれだけ理解があり、心が広いかが、二人の結婚の未来を大きく左右する。
これから先、こんな悩みを持つ韓国人や日本人が増えてゆくだろう。そんな時、国境ってなに?国ってなに?と思うかもしれない。しかし、私はもっと国を知り、相手を思う心さえあれば乗り越えられる問題であると思う。そんな彼らのためになにかできるであろうか。
終わりに
私は、韓国のことをもっと知りたい。韓国語をもっと勉強したい。それは、韓国に携わる仕事がしたいわけでも、韓国にお嫁に行きたいわけでもない。ただ、好きだからである。この大学生活で、韓国という国に行けたこと、友達がたくさんできたことは私にとって宝である。そのために、出会うべくして出会ったキャンプやその仲間たち、韓国に行くことを承諾し、送りだしてくれた両親に感謝している。私がきっかけで多くの人がキャンプに参加してくれたこと、韓国が好きだといってくれた人、ありがとう。
これからもっと学ぶべきことはたくさんある。もちろんこのように何らかの形で韓国を伝えてきたい。もっと多くの人が韓国に興味を持ち、一度は訪れてほしい。そして、何よりも、韓国と日本がもっと良い関係で末永くあり続けることを願っている。
参考文献
・コリアンワークス/『知れば知るほど理解が深まる「日本人と韓国人」なるほど辞典』/PHP文庫/2002年
・小倉紀蔵/『心で知る、韓国』/岩波書店/2005年
・NONGSHIM/http://www.nongshim.co.jp/
・金智羽/『韓国男性に恋してはいけない36の理由』/成甲書房/2005年
・伊藤亜人/『もっと知りたい韓国2[第二版]』/弘文堂/1997年
・呉善花/『恋のすれちがい〜韓国人と日本人−それぞれの愛のかたち〜』/角川文庫/1997年
・呉善花/『日韓、愛の幻想』/文藝春秋/2006年
・ブーミン&モー子/『わたしのカレは韓国人』/二見書房/2005年
・在日日本女性ユニオン/『韓国女性「厚化粧」の裏側』/小学館/2000年 |
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