長野、ソウルの五輪聖火リレーは騒然のうちに終わった。現地には中国人留学生が大勢集まり、抗議活動とトラブルも起きた。中国は、これを「愛国の情熱」を示したと誇るばかりでよいのだろうか。
聖火リレーは何度も妨害されたが厚い警備陣が守った。騒ぎが大きくなれば、中国の「反日」機運に火が付くといわれただけに、関係者は、ほっとしただろう。
しかし、楽しいはずのイベントにそぐわない物々しさには一体、何のためのリレーだったかという疑問が、あらためて頭をもたげてくる。
沿道では中国人留学生らが国旗を打ち振り抗議活動を圧倒した。一部抗議団体といざこざが起き、お祭り気分が台無しになった。
中国人に突っかかる日本人がいたのは嘆かわしい。けが人が出たのは全く残念だ。
しかし、中国の若者たちが「中華民族の大家庭」の一員としているチベット人の訴えを顧みず、ののしる姿には違和感も覚えた。
中国ではチベット問題で「政府発表が真実かどうかはわからない」と書いた新聞記者がインターネットで「売国奴」と攻撃された。疑うことなく熱烈に政府を支持する留学生らの姿にも同種の危うさを感じる。
中国政府はチベット騒乱をダライ・ラマ十四世の陰謀と決め付け、疑問を投げかける報道を批判している。内外で高まる中国人の愛国心は頼もしいに違いない。
しかし、愛国心は行き過ぎれば国を誤る「両刃(もろは)の剣」だ。フランス系スーパーがチベットを支援しているというネット情報で広がった不買運動はデモに発展した。
当初、運動に理解を示した政府も今ではチベット側との対話を模索するなど火消しに躍起だ。しかし、不買運動が開放的な経済体制を目指す中国の発展を損なうことは初めから明らかだった。
中国が五輪を誘致したのは世界貿易機関(WTO)加盟が経済の開放を進めたように、五輪で世界に開かれた社会になることを目指したためだった。五輪のスローガン「一つの世界、一つの夢」はそれをよく表している。
五輪で行き過ぎた愛国心を高揚させ、各国と摩擦を起こすことが「和諧(わかい)(調和)世界の実現」を理念に、協調的な外交を目指す胡錦濤政権の本意とは思えない。
中国が愛国心に頼り強硬姿勢を貫くより五輪を世界が祝福する環境を目指し、ダライ・ラマと真の対話を始めるときが来ている。
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