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2008年4月28日

 明治の中ごろ金沢の女学校の運動会は人気が高く、来賓席には各界名士に混じって四高生の席まで用意されたという。二十歳前の四高生が、いかに期待されていたかを物語っている

草創期の明治中期に旧制高校に進学できたのは同年齢人口の約750人に1人しかいない(学歴貴族の栄光と挫折・竹内洋著)。2人に1人が大学に進学する現代とは比較にならない超エリートの若者たちだったのである

金沢に「石川四高記念文化交流館」が誕生した。古いエリート養成機関ではないかと反発する声もないではないが、ナンバースクールは近代国家への道を歩み始めた日本を支えた礎の一つである

それも、東京一極ではなくて国内各都市から人材を輩出した歴史を語る場所である。「坂の上の雲」の時代の若者たちが集い、切磋琢磨(せっさたくま)した学都の記憶を未来に語り継ぐ場として、赤レンガ校舎を見直したい

ちなみに、先の女学校の運動会は大正には男子禁制となった。そうなると、四高生はこっそり塀を乗りこえて見学に来て叱(しか)られていたという。今も昔も、変わらぬと言えば変わらぬ少年たちではあった。


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