北京五輪の聖火リレーが二十六日、厳戒態勢が敷かれる中、長野市で行われました。世界各地でチベット問題をめぐる妨害行為が相次ぎ、長野でも中国人留学生とチベット支援者の間で小競り合いが続発し、平和の祭典ムードは盛り上がりに欠けました。
これまでも五輪は国際情勢や世相を色濃く反映してきました。日本の五輪史をひもとくと、さまざまな時代背景が浮かび上がってきます。
「負けたら帰ってくるな」「死んでも勝て」―。かつて、こんな言葉で激励され、国家を背負い悲壮な覚悟で五輪に出場した日本人がいました。
「前畑がんばれ」のラジオ中継で知られる水泳女子二百メートル平泳ぎの前畑秀子選手(一九一四〜九五年)もその一人です。
三六年、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリン五輪。選手村には日本から毎日のように「勝て」の電報が届きます。決勝前夜、なかなか寝付けない前畑選手のために、他の女子選手が歌を歌いながらマッサージをしたそうです。
献身的な周囲のサポートもあり、前畑選手は地元ドイツのゲネンゲル選手との激戦の末、小差で逃げ切り優勝。日本女子初の金メダルを獲得しました。レース後の控室。やっと重圧から解放された前畑選手は、風呂敷包みいっぱいのお守りと電報を抱えたまま「勝った、勝った」と泣きながら歩き回ったといいます。
時代がどんなに変わっても、五輪の主役は選手たち。昨今の重苦しい空気を吹き飛ばすような活躍を、真夏の北京で見せてほしいと思います。
(運動部・飯田陽久)