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くっぱのブログ

2008-04-25

無断リンク禁止」に対する喩えで忘れられがちなこと

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

を読んで、コメント欄でのお仲間たちたちと楽しげに和気藹々としている雰囲気に水を差すようで気が引けないわけではないのですけど、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

この手の結論を導くような喩えにおいて、考慮することを無視されがちな特性が「無断リンク禁止」には含まれているような気がします。それは、無断リンクをされる側がしようと思えばいつでも、自分の書いたものを変更したり削除できるという点です。つまり、「無断リンク禁止」を宣言している人が、「リンクをされる前に自分の書いたものを変更したり削除したりするかどうかを判断したい」と考えている可能性です。

踏み切りの手前で立っていたら突然他人から背中を突き飛ばされて線路に躍り出てしまったら、ちょっとたまらんですよね。その行為が法律で禁じられているいないに関係なく、突き飛ばした相手に「お前なんで無断で突き飛ばすんだよゴルァ」と詰め寄りたくなるのは自然なことと思います。つまり、事前に「お前がそこに立つなら後ろから突き飛ばすよ、伝えたからな」と通達があれば、その場に立つのを諦めたり、背中を誰かに警護してもらう手はずを整えることもできるわけです。言い換えると、「突き飛ばすなゴルァ」(これは法律を根拠に主張できる嫌悪感)とは独立に、「無断でするなゴルァ」があるわけです。

たまたま踏み切りと自分の間に人が立っていることはあるでしょう。だからといって、その人の背中を突き飛ばさなければ、その突き飛ばしが原因でその人が線路に躍り出てしまうことはありません。自分が突き飛ばさなくても、他の人が突き飛ばすかもしれません。しかし、そのことと自分が突き飛ばすことはまったくの別物です。同様に、あるサイトをたまたま目にすることはあるでしょう。だからといって、そのサイトにリンクを張らなければ、そのリンクが原因でそのサイトが他人からの目に晒されることはありません。自分がリンクを張らなくても、他の人がリンクを張るかもしれません。しかし、そのことと自分がリンクを張ることはまったくの別物です。

さて、踏み切りで無断で背中を突き飛ばされることを個人として許容する人はいるでしょうか。ほとんどいないのではないでしょうか。ならば、「無断突き飛ばし禁止」をわざわざ宣言しなくても、無断で突き飛ばされたときに「無断で突き飛ばされるのを嫌がっていない奴がいったいどこにいるんだよ?」との根拠のもとに「無断でするなゴルァ」を主張できるでしょう。一方、無断リンクについては、それをされるのを個人として許容する人はいくらでもいます。ならば、「無断リンク禁止」を宣言しないと、無断でリンクをされて「無断でするなゴルァ」を主張したとしても、相手から「無断でリンクされるのを嫌がっているなんて知らんかったもん」と困られてしまうわけです。だからこその(「リンクするなゴルァ」を主張する目的ではなく、あくまでも「無断でするなゴルァ」を主張するための)「無断リンク禁止」宣言である可能性は否定されていないのではないでしょうか。

さて、この「無断でするなゴルァ」を加味した形で、どのような喩えを用いると、

弟:となると、「断りのないリンクはお断りします」と主張してる人って、いろいろ間違ってる?

兄:そうかもね。自分が間違っているかもしれない、という視点に立てないこと。これが一番の問題ぢゃないかな?

無断駐リン禁止 - takoponsの意味

という結論が得られるでしょうか。どのような喩えが繰り出されるのか、ちょっと興味があります。

lastlinelastline 2008/04/25 11:20 突き飛ばしの話が意味不明です。

突き飛ばされて、「お前なんで”無断で”突き飛ばすんだよゴルァ」とは言わないですよ。”無断”なんて言わない。
事前に通告しようが、しまいが線路に突き飛ばしたら突き飛ばした方が悪いです。
また、「お前がそこに立つなら後ろから突き飛ばすよ、伝えたからな」は意図によっては脅迫ですよ。
無断だろうが、無断じゃなかろうが「突き飛ばし」はしてはいけません。悪意が無かろうが、故意で無く過失であっても線路に突き飛ばしたら責任を問われますよ。

踏み切りで”無断で”背中を突き飛ばされることを個人として許容する以前に、突き飛ばしを許容する人がいません。「無断」以前の問題です。
つまり、「リンク」を「突き飛ばし」にたとえる方が無理ですよ。

kofunkofun 2008/04/25 14:59 盛大なあほを久しぶりに見た

quppaquppa 2008/04/26 00:34 >事前に通告しようが、しまいが線路に突き飛ばしたら突き飛ばした方が悪いです。

たとえ「突き飛ばした方が悪いっ!」といくら叫んだとしても、轢かれてしまったら、轢かれた人は自分自身で轢かれたという事実を自分自身に納得させざるを得ない(突き飛ばした人も国家も轢かれたという事実を取り除いてはくれない)わけですから、そのような事態に陥らないように対処するための猶予が与えられるか否かという意味で、突き飛ばされる可能性のある人にとって事前の通告の有無は決定的と言ってもいいほどに違いがあるように思えますけど。

lastlineさんとしては、事前の通告に基づいて回避するのも、通告なしに突き飛ばされるも、同じようなものとお考えなのでしょうか。

mm 2008/04/26 07:19 何かの物事を考えるときはどうしてもある程度の一般化は必要だと思います。あらゆる可能性を考えていたらいつまでも議論が終了しないからです。
くっぱさんの様々な可能性を考慮する姿勢は大切なものではありますが、それにこだわりすぎると話がいつまでも前に進まないだけではないのでしょうか。
あえてその瑣末にだけ取り組むのだとしても一般論としては不適切なので特殊な状況下での論である旨は記述必須ですが。

あと、そのたとえ話にこそわりとすぐ思いつくのに無視されている可能性が潜んでいるのでたとえ話としてはかなり不完全に感じられます。
人間が何か行動を起こす場合は、なんとなく感情にまかせてであるか明確な理由があるかはさておいて、なにかしらの「理由」が存在します。
その理由がどういったものであるかはともかく、相手の中で(それがたとえ世間一般的にめちゃくちゃな理由でも)譲れない確固たる理由があれば、たとえ事前に宣言しようが相手が突き飛ばしを回避しようが相手は執拗に相手を突き飛ばそうとしてくると思われます。
ですがくっぱさんは相手が行動を回避しようとしてもなお突き飛ばそうとしてくる可能性を無視されています。
仮にそれが突き飛ばしでなく代価行為として別の殺人行為や相手に怪我を負わせる行為へと代わったとしても、普通はそれは回避したいと願うものです。

同じように、リンクフリー原理主義者の一部、それこそ無断リンク禁止サイトに無断リンクをするような人は無断リンク禁止という一文があればたとえ移転しようとリンクするわけです。(ここではその行為についての善悪については無視します。それこそ場合によると考えているので)
それを回避するために無断リンク禁止という文面を削除したなら「無断でするなゴルァ」などとはもういえないわけでそのような主張は後だしになってしまいますので意味がなくなってしまいますし。
しかも相手がいくら逃げようと執拗に探して無断リンクをしてくる可能性もあるわけですから(アクセス制限はできてもリンク事態は防ぐことができない)そういう意味での「事前に告知すれば回避ができる」は確実ではありません。回避できる可能性が増えるだけです。

猶予が与えられても、その間に最善の対処をしたとしても完全なる否定ができるわけではないのでそのような行為をしてくること自体が問題視されることもありえる(そしてその場合はそもそも相手が突き飛ばして、リンクしてこなければ回避などしなくても被害をこうむる自体は避けられるという主張が続く)わけですが、それを無視しては議論になどなりえないのではないでしょうか。

mm 2008/04/26 07:26 告知すれば回避できるのあたりのくだりが不完全だったので少し補足します。
相手の宣言が相手に回避を与えるものではなく「これから自分はこういう行動を取るので逃げるなよ、まあ逃げたって無駄だけどな」というつもりでなされた宣言であり逃げようが何しようが相手が己の目的を叶えるために行動し続けるのであれば、回避などできないということです。
事前に相手に対して自分の行動だけでなくその行動を回避する方法も与えるという前提は自分がしたいことを前もって宣言することには含まれてはいないので、宣言されたら回避できるというわけではないので「宣言を事前に聞いても何も対処が出来ない可能性」を無視して論を進めるのはおかしいのではないかということです。

quppaquppa 2008/04/26 09:48 あのー、せっかく長々と書いていただいたのに申し訳ないのですけど、別に踏切での突き飛ばしの話にこだわらなくても、「無断で俺のすぐそばでゲップをするの禁止」宣言をあえてしている人のそばで事前の通告なしにわざとゲップをする行為の話でもいいのですけど。

とにかく、どんな喩えをもってすれば「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張することが間違いであり、自分が間違っているかもしれない、という視点に立てていない」という結論を導けるのかを問うているわけです。

lastlinelastline 2008/04/26 12:00 >別に踏切での突き飛ばしの話にこだわらなくても
そうですか。それなら、たとえ話にこだわる必要が無いと思いますけど。

ですが、
>事前の通告に基づいて回避するのも、通告なしに突き飛ばされるも、同じようなもの
一応、こちらには回答しておきますね。

踏み切りに突き飛ばした側をA、突き飛ばされた側をBとしましょう。
Bが怪我して一命は取り留めたとしましょう。
くっぱさんは
>轢かれた人は自分自身で轢かれたという事実を自分自身に納得させざるを得ない
と書かれてますが、納得できないならBは民事で損害賠償を請求できます。また、BはAに突き飛ばされる理由がないですし、実際に怪我しているのでBは傷害として刑事責任も問われるでしょう。
窃盗罪なども、たとえ盗んだものを返しても窃盗の罪は消えません。つまり、怪我をしたという事実を取り除けてもBがAに怪我負わせたという事実は消えません。仮に、轢かれたという事実を取り除けても突き飛ばして傷害として刑事責任を問われます。


さて、事前に通告するか否かですが場合分けがあるでしょう。
1.事前に通告しなかった場合
2.事前に通告した場合意

1.事前に通告した場合は、先に述べたように刑事、民事上で責任を問われます。
2.事前に通告した場合は、Bが無視した場合、抵抗した場合、同意した場合で微妙に変わってきますが、突き飛ばして怪我を負わせたという結果は同じなので刑事責任を問われるでしょう。また、通告は脅迫あるいは殺意が明確だった=殺人未遂と取られる可能性もあるので、事前に通告しなかった場合よりも罪が重いかもしれません。
先ず、無視した場合は仮にBが事前に突き飛ばされないような回避策をとらなくても、そもそもBはAに突き飛ばされる謂れはないのですから突き飛ばしに同意したとはみなされないでしょう。
次に、Bが抵抗した場合は、Bが嫌がっているのが明確ですから、無視した場合よりも罪が重いでしょう。
最後に、Bが同意した場合ですが、たとえBが同意していても怪我を負わせたという結果は同じですから、その責任を負わねばなりません。
民事についてはBが突き飛ばされたことに納得できなければ、Aに損害賠償を請求できます。納得しているなら民事裁判を起こさないでしょう。

いずれにしても、AはBを突き飛ばして生じさせた結果を刑事上で責任を負わねばなりませんし、Bが納得できないならAに損害賠償を請求できます。また、Bに通告した方が罪が重い可能性があります。
また、これはBが死んだ場合も同様。

lastlinelastline 2008/04/26 12:02 >「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張することが間違いであり、自分が間違っているかもしれない、という視点に立てていない」という結論を導けるのかを
それは場合によるのではないですか?
「無断にやっても良い」と自由が認められる行為を無断でやった人に「無断でするな」と主張することは間違いです。
一方「無断でやってはいけない」と制限が加えられた自由なら「無断でするな」と主張することができます。
また、「やってはいけない」ことは無断か否かに関わらず行う自由がありません。


で、「無断でするな」と言ったことが「自分が間違っているかもしれない、という視点」に立っているか否かですが。
「無断にやっても良い」と自由が認められる行為をした人に対して、「無断でするな」と言うことが間違いかもしれないと思いながら「無断でするな」と言った場合。無断にしても良い行為に「無断でするな」と言ってしまった結果は同じですから、第三者からは「自分が間違っているという視点に立っていない」と判断されるでしょう。心の中で「無断でするな」と言うことは間違いかもしれないと思っていても、言ってしまった事実は変わりません。


ちなみに、踏切での突き飛ばしの件は「やってはいけない」ことに分類されるでしょう。ゲップは場合によって「やってはいけない」ことか「無断でやってはいけない」ことに分類されるでしょう。リンクは「無断でやっても良い」ことです。

quppaquppa 2008/04/26 18:03 >それなら、たとえ話にこだわる必要が無いと思いますけど。

そうですね。別に喩えを使ってもらわなくてもいいのですけど、とにかく「対象となる行為によっては、相手が事前の通告なしに自分に対してなすその行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張する人は間違っていて、その人は『自分が間違っているかもしれない』という視点に立てていない」との結論を導くことのできる論法を説明できるのかどうか、というあたりに興味があるわけです。

そして、もしもできないのならば、「『断りのないリンクはお断りします』と主張してる人は間違っていて、自分が間違っているかもしれない、という視点に立てていない」という主張は、もしかしたら論理に基づく裏づけのない単なるプロパガンダみたいな形にしかなっていないのではないかという点です。

というか、「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張する人は間違っている」という行為として、リンク行為以外に具体的に何か別の例を挙げることができるのか、それともリンク行為のみが「相手が事前の通告なしに自分に対してなす行為に対して『無断でするなゴルァ』と主張する人は間違っている」が成立する唯一の特別な行為であるという主張なのかと問うているわけですが。

>「無断にやっても良い」と自由が認められる行為を無断でやった人に「無断でするな」と主張することは間違いです。

肝心のその自由は誰が認めるのかについて何も述べられていないような気がするのですけど。

というか、そのようなことよりも、論調全体を通して覚える違和感は以下に集約されます。

>納得できないならBは民事で損害賠償を請求できます。

でも民事では怪我などの身体に直接受ける負担や恐怖などの心に直接受ける負担は取り除いてもらえないわけで、たとえその負担を受け入れるのがどれほど嫌であったとしても、それを受け入れることについては自分自身で自分を納得させざるを得ないのではないでしょうか。世の中、国家が命じた損害賠償額を相手に払い国家から科せられた刑を受けさえすれば何をしても構わないというものでもないと思うのですけど。道路やコメントで国家が違法行為と判定しなければ何をしても構わないというわけではないのではないかというのと同じ意味で。そのあたりについて、すぐに法律や規則やガイドラインや裁判みたいな話を出してくる人たちというのは、いったいどのように考えているのでしょうか。

mm 2008/04/26 22:21 たとえ話にこだわる必要などないというのには同感です、が。先にたとえ話を持ち出したのがくっぱさんなのでそのたとえ話に対して返すのが礼儀なのかと思いました。
別に私はそれこそ無断でゲップするの禁止の話でもなんでも構いません。
「無断でリンクするの禁止」という言葉の意味が、逆に
>「無断でするなゴルァ」を主張するための)「無断リンク禁止」宣言である可能性
以外の可能性を秘めていることについてはどうお考えなのか、という話です。

あらゆる可能性を全て網羅すれば話し合いなんてできません。
世の中には「無断でリンクをしたりしちゃだめってばっちゃが言ってた」と無断リンクを禁止したり「アルタイルからのお告げで以下略」というのが理由だったり、まあとにかく常人では考え付かないような理由で無断リンク禁止を宣言している可能性もありえるわけです。
そのような規格外の可能性をいちいちつぶしていると議論はいつまでも終わらないわけです。
そして、わざわざその規格外の理由について考える意味はあるのでしょうか?
なぜ考慮しなくてはいけないのか、私はそれを問うています。
もちろん「いやいや、これは規格外どころかごく普通の考え方ですよ」と仰るのであればごく普通の考え方であると根拠を示していただければよいわけです。正確な数を示すのが無理でもサンプルがある程度提示していただけたら統計学的に大体の傾向はつかめますし。
とりあえず私は今までに「回避行動が出来ないので予告なしでリンクすんの禁止な」と仰る無断リンク論者の方は見たことありません。
一般論をする上では少数の例外をあえて考慮しないのは当然ですし、特殊な状況下での論であるならその状況を事前に明確に説明すべきです。

ところでくっぱさんが気にしておられることなんですが。
少々気になったので一つばかり質問させてもらいます。

無断リンク禁止を主張する人は無断リンクは「間違った行為」であるという認識の人が少なくない。
何が間違っているのかは場合によるが、よく聞かれるのはマナー違反である、法律(著作権法)違反である、あたり。
実際は、無断リンクという行為は必ずしもマナー違反というわけではないし、むしろウェブの理念は無断リンク推奨。機能もリンクしやすいようにできている。
法律的にもリンクそのものは問題ない(ごく一部には問題になると思われるリンクも存在する。フレーム内リンクなど)。
場合によっては無断リンクすることによりマナーが犯される可能性も否定はできないが、全てをマナー違反と断ずるのは明らかな間違いである。
そのような明らかな間違いを主張している場合はその本人に「自分が間違っている」という自覚がない可能性が高い。

というような論は納得していただけるでしょうか。

quppaquppa 2008/04/27 09:35 >以外の可能性を秘めていることについてはどうお考えなのか、という話です。

可能性を秘めていたとしても、ある特定の可能性のみを事実のように扱って論を進めるのは、藁人形論法なのではないでしょうか。つまり、無断リンク禁止批判を論理に基づいてするためには、「無断でするなゴルァ」のみを目的とした宣言であるという可能性にも対処し得る論法を開発する必要があって、その開発に成功する前に先走って批判をしたとしても、単なるプロパガンダという形にしかなっていないのではないかということを述べているわけです。

>あらゆる可能性を全て網羅すれば話し合いなんてできません。

話し合いをする際に、論理を通すという立場なのか、それとも論理なんて実は関係ないけれど論理風味もプロパガンダの手段として利用するよという立場なのか、そのあたりを知って話し合いをするのとしないのとでは、意味が違ってくるような気がするのですけど。

例えば、「初心者に対する啓蒙」を称する行為において、「啓蒙」する側の人がどれだけ主義・思想的な目的をもってその行為をしているのかについて知ることは、「啓蒙」される側の初心者にとって有用な情報となり得るというのと似たような意味でですけど。

>世の中には「無断でリンクをしたりしちゃだめってばっちゃが言ってた」と無断リンクを禁止したり「アルタイルからのお告げで以下略」というのが理由だったり、まあとにかく常人では考え付かないような理由で無断リンク禁止を宣言している可能性もありえるわけです。

その手の理由は、無断リンク禁止に批判的な立場の人たちなら簡単に論理を構築して蹴散らすことが可能なのではないでしょうか。というか、かえってその手の突飛な理由を率先して創作したうえで蹴散らして見せている人も結構見受けられるような気もするのですが。

>そのような規格外の可能性をいちいちつぶしていると議論はいつまでも終わらないわけです。

なので、反論として成立させるためには、少なくとも反論をする側の人は「蹴散らすための論法は存在していないのではないかと考えている」という立場を取る必要があると思います。自身でいくらでも蹴散らす論理を構築できる他愛もないものを反論を装って繰り返し投げかけるのでは、議論の進行に対する単なる妨害工作でしかないわけですし。

>全てをマナー違反と断ずるのは明らかな間違いである。

ならば、「無断リンク禁止」が間違いなのではなくて、「全てをマナー違反と断ずる」のが間違いなのではないでしょうか。「無断リンク禁止を宣言する」ことが間違いであるかどうかということについては、何ら述べられていないのではないでしょうか。

mm 2008/04/27 14:05 >無断リンク禁止批判を論理に基づいてするためには、「無断でするなゴルァ」のみを目的とした宣言であるという可能性にも対処し得る論法を開発する必要があって、その開発に成功する前に先走って批判をしたとしても、単なるプロパガンダという形にしかなっていないのではないかということを述べているわけです。

はい、ですから何度も「なぜ対処する論法を開発する必要性がおありですか」と尋ねております。
上の質問でもなぜかその部分だけは華麗にスルーされているのですが、今私が聞いていることの骨子はそこです。
本当にそんな人いるんですか、議論するのに可能性を考慮しなければいけないほどの割合で、と。
「なにを、いるかもしれないだろう、世の中には」と仰るのであればいるかもしれないごく少数の、無断リンク問題を論じるうえでは主流の流れに関係ないところでの話として例外の話をしていると言えばよいのです。
「考慮しなければいけないほどの割合でちゃんと存在していますよ」と仰るのであれば、そのような資料を提示すれば「なるほど、そりゃあ考える必要があるね」と納得します。
ですがくっぱさんはそのどちらもしてくださらないわけです。
膨大な情報のあるWWWの世界ですからその厳密な割合を導き出すのは不可能に近いでしょうし、そこまでを求めているわけでもありません。
ですが、本当にそんな人がいるのなら無断リンク論者の数から考えてもせめてちょっと探して三桁は簡単に見つかるくらいでないと論議する必要性があるとはいえないのではないでしょうか。

無断でリンクすることがマナー違反であるから、法律違反であるからなどの間違った根拠を前提に自分のサイトへのリンクを全て管理したいのでリンクする場合は先に告知すべきだと考えている場合。
確かにこれは「リンクされるのが嫌だから、対処するから事前通告があれば対処できて便利だよね」とは思っているのですが、その根本に間違った論理があるので、間違った論理から導き出された結論=正しくない結論ということになります。
ですので、間違いの根本であるおかしな認識についてまず正されるべきであり、くっぱさんの仰られる可能性については無視しても構わないのではないかと思われます。
くっぱさんが仰られているような可能性は
・無断リンク禁止という観念は法律にもマナーにも守られておらず、個人の感情のみを優先した結果の「わがまま」である可能性が高い
・自分の宣言が逆に人目につく可能性がある
・それでも事前に告知することで移転や削除などの対応ができるというメリットの方が大きいと判断している
・あくまで自分のわがままなので当然守られない可能性がある、というかむしろある種の文化圏では守られない可能性のほうが高いくらいである
・守られなかったことが不服であっても(そう感じることは自由)、相手の行為をマナー違反や法律違反などと間違った解釈で罵倒することは不当
といった認識を持っているような人に対してのみしか当てはまらないように感じるのですが、違いますか?

>ある特定の可能性のみを事実のように扱って論を進めるのは
一般論をする際に特殊な可能性をあえて考慮しないのはごく普通のことです。
ですので、反論する際は考慮されていない可能性があり、それを欠くと一般論として成り立たないのではないかという指摘をすればよいのではないかと思います。
ですので今回の場合はそれを考慮すべき重大な可能性だと指摘すればよいだけのことかと思います。
ですが今言えたことはその可能性があるというだけであり、考慮すべき重大な可能性であることはいまだに提示されていないのではないでしょうか。
もしくは、その論の前提にある特定の可能性を主題として扱っている場合はその指摘は不当です。

>「無断リンク禁止を宣言する」ことが間違いであるかどうかということについては、何ら述べられていないのではないでしょうか。

では、「無断リンクがマナー違反である、などの間違った認識を元に無断リンク禁止を宣言することは間違いである」という結論についてはどうでしょうか。納得していただけますか、いただけませんか。

quppaquppa 2008/04/27 21:35 >ですから何度も「なぜ対処する論法を開発する必要性がおありですか」と尋ねております。

もしも「主義・思想が異なる人とは論理に基いて話し合いをする気はない。単なるプロパガンダだ」という立場ならば、わざわざ開発する必要はないと思います。

>本当にそんな人いるんですか、議論するのに可能性を考慮しなければいけないほどの割合で、と。

例えば刑事裁判において、たとえ検察がこの犯行シナリオしかあり得ないと決め付けてそのシナリオを支持する証拠のみを提出したとしても、別のシナリオの可能性を否定できないならば、一般に、そのシナリオの可能性を否定する証拠の提出も求められるというものではないでしょうか。論理的にその必要がないのならば、裁判所はわざわざそのような証拠の提出など求めないように思いますけど。

もしも、無断リンク禁止を宣言している人から「俺は『無断でするなゴルァ』という意図で宣言をしているのに、なぜ間違っているのか?」と詰め寄られたら、「お前の意図は『無断でするなゴルァ』ではない!」とどのような論法をもって決め付けることができるのでしょう。もしも決め付けることが出来ないならば、「あなたが無断リンク禁止を宣言するのは間違っていない」と返答をするのでしょうか。本記事では、そのあたりを問うているのですけど。

mm 2008/04/28 01:19 >例えば刑事裁判において〜

刑事事件において、実際の現状は私は現場を知らないのでなんともいえませんが犯人を決め付けたり犯行動機を決め付けたりして見込み捜査をすることは禁じられているはずです。
見込み捜査をしてしまうとどのような弊害があるかについては特に何もいいませんが、よろしいですよね?
で、判決を下す場合は他の事件との類似性や似たような事件の判決を参考にしますが、当然ながら全く同じ事件など存在しないのであくまで参考にしつつ裁判官が実際の様子を見て刑を決めることになります。

リンク先でのお話の場合はあくまで一般論を構築しているのであって、くっぱさんの仰られるような特殊な事例に関しては一般論としての性質を失わせ論の正当性を薄くするものであるのであえて省いている可能性があります。というか私はそのように解釈しています。
その場合、くっぱさんの問うていることは意味のない質問になります。なぜならそれは全く別のケースであるからです。
ここではAというケースについて考えますよ、といっているのに「じゃあBはどうなんだ」と言っても「それは別の話です」としか言いようがありません。
ですから一般論の話をするのにあえて特殊な事例を持ち出す必要があるのかどうか尋ねているんですが。
ならば普通は一般論としてふさわしい可能性であることを示すか、特殊論であると示すかどちらかしかありませんよね?
事実、takoponsさんは返しの記事に「僕たちの喩え話にどうしてくっぱ大王の比喩を加味しなければならないのか?がまったく分からない。違う比喩を付け足して違う結論を導き出したいのなら、くっぱ大王が自分のブログでやればいいんだよ!プンスカ!」と、書かれている訳ですが。
これはつまり「どうしてそこで関係ない話を持ってくるんだ?」という意味なのではないのでしょうか。

>もしも、無断リンク禁止を宣言している人から〜

基本的に、よっぽどの強硬派でない限りリンクフリー論者が問題として取り上げている無断リンク論者へ対しての言い分は「言うのは自由だけどそれって法律違反でもマナー違反でもなんでもないよね」「守らなきゃいけない絶対のルールみたいに禁止するのは間違ってるよね」「マナーなんて盾にせずに個人的に嫌だから禁止って言えばいいのに」などです。
マナーを盾にしているわけでも間違った法律解釈を持ち出しているでもなく素直に何の建前もなく「私がリンクされるのが個人的に嫌なのでリンク禁止です」と言えば、実際にリンクフリー論者がどのような対応をとるかはともかく、よくある「それは間違いだ」というツッコミはなされないでしょう(一部骨髄反射するような人たちにコイツなんて自己中wwwとバカにされてしまう可能性はありますが、それは別の話です)。
そしてそんな人が実際にいるとすれば、それはよく論じられている無断リンク問題とはまったく別のケースの話です。
そもそも「宣言自体は自由」「無断リンクを嫌がるのは自由」というのはリンクフリー論者の多くが日常的に言っていることです。
その後に「でも言っても守ってくれる人はあんまいないんじゃね?」とか「そんなこと言ってたら逆に注目されちゃうよね」「嫌ならローカルでやりゃいいのに、変なの」と続くことはありますが、それが筋の通ってない建前や間違ったマナー・法律を使ったものでなければ宣言自体を否定する人は過激派ではない普通のリンクフリー論者にはいません。
それこそこのブログによくコメントしておられる人たちのブログを見てまわったら上のような記述や意味を持つ文章は見つかるような気がしますが。
まあ、その後に続く言い分に関しては以前くっぱさんが何だかんだと仰っていたようにも思うんですが、それならなおさらなぜ「主張すること自体は否定しない」というリンクフリー論者の言い分を見落とされているのか謎です。

ちなみに、こちらの記事からくっぱさんが尋ねたかったことを読み取るのは難しいかと思います。
いちいちたとえ話で分かりにくくするよりは素直に「俺はリンクから逃げたいから無断リンク禁止って言ってるんであってリンクすんなって言ってるわけじゃねーんだよ。リンクがマナー違反とか法律違反なんて思ってねーよ」って言ってる人にはどう返答するのかと聞けばよかったのではないのでしょうか。

takoponstakopons 2008/04/28 04:24 mさん

>これはつまり「どうしてそこで関係ない話を持ってくるんだ?」という意味なのではないのでしょうか。

Yes.
まあでも、「関係ないから無視」ってしちゃうと話が進まなくなってしまうので、くっぱ大王のワナに乗っかってみました。でわでわ。

ゲスト


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